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北大路欣也 北大路欣也

北大路欣也俳優きたおおじきんや

1943年、京都府出身。父は時代劇スターの市川右太衛門。映画デビュー作『父子鷹』では若き日の勝海舟を演じている。映画の代表作に『仁義なき戦い』シリーズ、『華麗なる一族』『空海』『火まつり』『春の鐘』などがある。NHKでは大河ドラマ『竜馬がゆく』で主演を務めたほか『樅ノ木は残った』『独眼竜政宗』『篤姫』、『あめりか物語』『男子の本懐』『最後の忠臣蔵』など多数出演。大河ドラマ『青天を衝け』では番組をナビゲートする徳川家康役を演じて話題となっている。

大河ドラマ 竜馬がゆく(1968)

坂本竜馬役

大河ドラマ 竜馬がゆく

インタビュー

 人生の大きな転換期にいるときにいただいた役でした。司馬遼太郎先生の同名小説「竜馬がゆく」を大河ドラマにした作品。主演の坂本竜馬役に選んでくださったNHKと、脚本の水木洋子先生にはものすごく感謝していますね。原作を読み、司馬先生にお会いして、ぐわ〜っと役にのめり込んでいったことを覚えています。

 ただ当初は作品に対して賛否両論があり、演出家が途中で変わるなど、まるで撮影現場が戦国時代のようでした。そんななかで現場を引っ張ることになったのが、和田勉さんの撮影チーム。交代されてからは怒涛(どとう)のごとく撮影が進んでいきました。

 当時は今と違って、NGを出すと途中から撮り直しができませんでした。どんなに長いシーンでも最初からやり直し。ですから、みんなドキドキしながら自分のセリフの番を待ったものです。幕末の志士たちが侃々諤々(かんかんがくがく)やりあうシーンが多かったので、完璧にセリフを覚えて撮影に参加するのですが、それでもやってしまうもので…、僕も経験しましたよ。最後の最後で間違えて「ごめ〜ん!」って。そうしたら和田さんに「北大路!ギャラ返せ〜!」って怒鳴られて(苦笑)。「こんちくしょ〜」と思いながら、皆でやっていましたね(笑)。

右・武市半平太(高橋英樹)

 撮影中のエピソードで印象深いのは当時の天皇皇后両陛下がスタジオを見学にいらしたときのこと。スタジオの半分にセットを建て、もう半分はレッドカーペットを敷いて緊張しながらお迎えしました。寝待ちの藤兵衛役の三木のり平さんは、普段はカンペを読みながらお芝居をすることで独特の間を作り出すスタイルの方。「どうするんだろう?」と共演者の皆で話していたら、この時だけはセリフを覚えていらっしゃいました。そして本番はいつもの三倍のスピードで話し終え、僕に手紙を渡して「へい!ごめんなすって」とはけてしまわれた。「早いな〜」と思っているうちに僕の方がセリフを忘れてしまい、焦りました(苦笑)。

右・寝待ちの藤兵衛(三木のり平)

 そのとき助けてくださったのが、お登勢役の森光子さんとおりょうを演じた浅丘ルリ子さん。お芝居を元に戻してくれてホッとしたと思ったら、のり平さんから受け取った手紙に僕宛てのイタズラ写真が挟んでありました。そういう、何ともいえない面白い時代でしたね(笑)。両陛下は芝居の途中で退出されましたが、振り返りながら最後までこちらをご覧になっていて、そんなお姿を拝見してとてもうれしかった思い出があります。

左・お登勢(森光子)

 また、殺陣師(たてし)で俳優でもある林邦史朗さんとのエピソードも忘れられません。何十年にもわたり、大河ドラマで殺陣師を務められた林さんですが、僕は『竜馬がゆく』でも林さんに剣術や馬などさまざまなことを教わりました。ですから、竜馬が襲撃される寺田屋のシーンで「林さんに斬られたい」と和田さんに頼んだんです。

二尺三寸の刀(陸奥守吉行)をながめる

 そのときの林さんのスゴかったこと!ふすまを蹴飛ばして入ってきてバーンッと刀を振り下ろし、僕は吹っ飛んで壁に血のりが飛び散ってね。本当にすさまじい殺陣のシーンで、あの映像が残っていないことが悔しくて、あんまり竜馬の話をしたくないと思うほどです。でも、僕の頭には鮮明に残っている。そんなふうにスタッフの情熱に支えられて作品作りができるのは、俳優としての醍醐味(だいごみ)です。

大河ドラマ 樅ノ木は残った(1970)

酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)役

大河ドラマ 樅ノ木は残った

インタビュー

 いわゆる敵役を演じた初めての作品でした。仙台伊達藩のお家騒動「伊達騒動」を題材にしたドラマで、僕が演じたのは伊達家取り潰しを画策する老中の酒井雅楽頭。最後には、藩を守ろうとする主人公・原田甲斐(平幹二朗)の殺害を指示する役どころでした。

 当時の僕にはそういう見地がなかったので、「悪い役は嫌だな」というのが第一印象でした。しかも、映画で見たときはそれなりに貫禄のある役者さんが演じていて、僕みたいな若い役者でいいのかなとも思いました。でも「若くても幕閣だから上から物を言う。それが頭にくるんだ。だから貫禄のある役者ではダメなんだ」と監督がおっしゃって。おかげですごい挑戦をさせていただきました。この役を通して、自分自身の窓をひとつ開けられたような気がしています。

 当時は街を歩いていると、よくおばあちゃんに「平さんをいじめないで!」と言われました(笑)。それがある種、自分のモチベーションアップにつながった。意外に悪役もいいんじゃない?ってね。新たなイメージがついて、それまでと違った役もやっていけると感じました。だから、徹底的に平さん演じる甲斐をいじめてやると、思い切って役づくりをしました。

左・原田甲斐(平幹二朗)

 主演の平さんをはじめ、森雅之さん、高橋昌也さん、岡田英次さんら、足が震えるほど好きな先輩方と多く共演させていただいた作品でもありました。それは僕の大きな宝です。平さんとは映画でお世話になったことがあり、この共演でも安心感がありました。いつも現場で完璧な方なので、それを邪魔しないようにやっていたのを覚えています。

「では、俺の盃は受けぬというのだな?」

あめりか物語(1979)

菊地幸吉役

あめりか物語

インタビュー

 明治時代にアメリカに渡った日系一世の生きざまを描いた作品でした。僕は主人公の幸吉役を10代から92歳まで演じたのですが、実際の日系一世、二世の方々にお会いして日系人の置かれた実情について詳しくうかがい、役づくりをしていきました。

 ハワイやサンフランシスコに長期ロケにも行きました。サンフランシスコでは当時90歳を超えてらした日系一世の方のお宅にうかがいました。入り口を入ると天皇皇后両陛下のお写真が飾ってあり、日本を思いながら外国で暮らされている様子が伝わってきました。懸命に働き、切り拓かれた畑でロケもさせていただき、僕自身もその歴史の一部に足を踏み入れて、想像を絶する苦しみを乗り越えてこられたのだと胸に迫るものがありましたね。

妻・とも(梶芽衣子)とカリフォルニアで農業を営む

 この作品で苦労したのは晩年の特殊メイク。当時は技術が発達しておらず、作った瞬間は良くても、1時間もすると崩れてくるんですよ。やり直すととてつもなく時間がかかるので、その顔のままで1日撮影をするのだけど、共演者のみんなに笑われてね。芝居にならないから「欣也さん、そこどいてくれない?」なんて言われたこともあるほどです(笑)。確かに鏡を見たらぐちゃぐちゃになっていて(苦笑)、照明部にお願いして、アラが目立たないよう工夫をしてもらいました。

晩年の特殊メイク

 海外ロケに鞄持ちで家内を連れていったのも印象深いです。あらかじめスタッフや共演者の皆さんに了解を得て、俳優という僕の仕事を理解してもらうために同行してもらったのですが、収録現場の過酷さやスタッフの皆さんのハードな仕事ぶりに驚いたようでした。僕たち俳優はある程度準備が整ったところに入って撮影に臨むけれど、実際はその何倍もの労力が準備にかかっていますから、身内になった家内にはそれを知っていてもらいたかったんです。この時に見聞きした物は、何十年も僕を側で支えてくれる大きな力になっていると思います。

男子の本懐(1981)

浜口雄幸役

男子の本懐

インタビュー

 素晴らしい作品でしたね。まだまだ若造だったのに、よく僕を起用していただけたと思います。城山三郎さんの同名作品を原作にした骨太のドラマ。財政再建、軍縮、行政改革に命を賭けた浜口雄幸首相と、井上準之助蔵相(近藤正臣)の生きざまを描いていました。

 僕が演じたのは浜口雄幸首相。動画でご紹介しているのは、浜口と夫人の夏(檀ふみ)との若き日の一場面。この時は何だか役に吹き上げられているような感じで、気分が高揚していました。だって「もし僕が死ぬときに男子の本懐だと思ったら、それは君がすばらしい妻だったということだ」なんて、ふつう言えないでしょ!!

妻・夏(檀ふみ)

 実はこの若き日のシーンは浜口の最期のシーンにつながっていて、東京駅で襲撃されて息を引き取る間際、夏夫人に「男子の本懐だった」と言葉をかけるんです。こういう場面を演じられることを役者冥利(みょうり)に尽きるっていうんですよね。僕もこのシーンを久しぶりに見直して、一瞬、震えちゃいましたよ。本当にいい役をいただいていますね。

東京駅で銃で撃たれるシーン

 襲撃シーンは実際に東京駅の地下で撮影したのですが、今はあの場所はもうないかもしれないですね。ほかにも、首相の役でしたから「国会でしゃべるシーンもあったな」などと印象的なシーンがいくつも浮かびます。また、盟友の井上を演じた近藤正臣さんとは、少ししか年が離れていないのに、とても落ち着いていらして頼れる先輩という印象でした。現場でもみんな頼りにしていたと思いますよ。この作品以来、共演の機会はあまりありませんが、思い出は本当にたくさんあります。そんなふうに同じ年代の俳優さんたちとは、いい時間を過ごしてきたなと様々に思い出されますね。

病院で「あなたがいてくれるから安心だ」と井上(近藤正臣)に伝える

大河ドラマ 独眼竜政宗(1987)

伊達輝宗役

大河ドラマ 独眼竜政宗

インタビュー

 最初は伊達政宗役をやると思ったんですよ!お話をいただいたときに「伊達政宗か〜。いいなぁ」ってね(笑)。それがよく聞くと輝宗役で、実はこの作品が初の父親役になりました。渡辺謙さんが演じた本役の政宗が登場するまでは輝宗の時代。岩下志麻さん演じる正室・義姫との青春を思い切り演じさせていただきました。

正室・義姫(岩下志麻)との祝言

 政宗の子ども時代、梵天丸(ぼんてんまる)を演じた藤間遼太くん(現:藤間勘十郎)が実に爽やかで、「梵天丸もかくありたい」というセリフが流行語にもなりました。今では藤間流の宗家におなりですが、当時は本当にかわいかったですよ。夫婦を演じた岩下さんとの共演は緊張しましたが、側で支えてくださったおかげで、とても調子がよく評判も上々でした。

幼少期の政宗・梵天丸(藤間遼太)を可愛がる

 そんな中、放送開始から約2か月を経て謙ちゃん演じる政宗が初登場するシーンがありました。輝宗役の僕は座敷で待っていて、そこに政宗が入ってくるという場面。遠くから廊下を歩いてくる謙ちゃんのガンッ、ガンッ、ガンッという力強い足音が聞こえて、何かものすごいものを感じましたね。彼が背負っているものの大きさというかね。その後、ふすまをバーンと開けて入ってきたときの迫力もすごかったです。

渡辺謙演じる政宗の初登場シーン

 輝宗の最期のシーンは、政宗が自らの鉄砲隊で父もろとも敵を撃つという衝撃的なものでした。実はこのとき、僕は政宗自身に撃ってもらいたかったんですよ。中国の昔ばなしで聞いたことのあった「俺をどこの者かも分からぬ者に殺させるな、自ら殺して乗り越えていけ」という、父の思いを叶えた子のお話を思い出したからです。でも、輝宗親子の史実とは違うので、政宗は輝宗を撃つことはありませんでした。だから「気持ちの上だけでもそういうお芝居をしていいですか」と監督に話をしたのを覚えています。

自分もろとも敵を撃てと政宗に叫ぶ

 ドラマはすごい評判で、謙ちゃんもこの作品から大きなものを得たんじゃないかと思います。秀吉役の勝新太郎さんや、徳川家康を演じた津川雅彦さんら、さまざまな世代の先輩と芝居で対峙(たいじ)し、走破していったのですから。僕自身も『竜馬がゆく』で同じような経験をさせていただいたので、こうやって次世代の俳優が育っていくんだなと感慨深いものがありました。そういう意味でも楽しく、いい思い出になっています。

大河ドラマ 青天を衝け(2021)

徳川家康役

大河ドラマ 青天を衝け

インタビュー

 最初にお話をいただいた時は、徳川家康の姿でドラマをナビゲートするなんて、どうなるのか見当もつかなくて戸惑いました。ドラマの邪魔にならない存在で、かつ見る方に受け入れていただかなくてはいけませんから、ものすごく悩みましたね。でも徳川家康さんは、僕が若いころに1年半かけて、竹千代時代から晩年までを演じた方。その後もいくつかの作品でご縁のある役なので、何かお役に立たなくてはとお引き受けしました。
 徳川家康という人物は言うまでもなく、すごい人ですよね。そんな方の一生を演じさせていただいた経験は、俳優として得難いもので、役の成長とともに自分も成長させてもらったと思っています。僕ら俳優というのは役に教わることがとても多いんです。家康さんからも、人間の核というか、心棒になるようなものをいただき、役に憧れながら演じていきました。

「青天を衝け」のナビゲート役・徳川家康

 ですが今回は、そんな家康さんを演じながらカメラに向かって「こんばんは、徳川家康です」と語りかけるのですから、ドキドキものです(笑)。ドラマに迷惑がかからないよう、自然に出ていかなくてはいけないでしょう。だから勇気がいります。そんななか、支えてくださるスタッフのみなさんが僕のやりやすいようにとても気をつかってくださるので、お互いにアイデアを出しながら撮影を進めています。なんと言っても徳川家康ですから、大事にしてもらって本当に幸せです(笑)。

「こんばんは、徳川家康です」

 デビュー作では勝海舟、大河ドラマでは坂本竜馬、そして井伊直弼や徳川斉昭など、幕末の偉人を多く演じてきたので、それぞれの人物像についてはすぐにイメージができます。そういう意味で渋沢栄一さんについてはイメージが足りなかったですね。ただ、コロナ禍で世の中がガラッと変わっていく今、現代日本の下地を作った彼の人生を改めて描くというのは、大きな意味を持つと思います。僕も家康を通して渋沢さんについて学び、どのようにして近代日本が生まれたのかを改めて知らなくては! でなければ先に進めないような気がしています。

毎回さまざまな趣向で時代背景などを解説

 実は『竜馬がゆく』に出演していたときに、どうしても分からなかったセリフがありました。海援隊の皆の前で言った「俺たちは世界人になろう!」というセリフです。何日も悩んだ挙げ句、完全には理解できないまま本番に臨み、監督に「将来分かるように勉強します」と言いましたが、それがいま少し分かってきました。世界に国境や人種の垣根はいらない。皆で力を出し合って地球も守らないとダメだと思うようになったんです。日本において、そうした考え方の源流となったのが坂本竜馬であり、渋沢栄一じゃないかと思います。今から竜馬を演じ直すわけにはいきませんが、『青天を衝け』の栄一を通して竜馬にもつながっているような気がしています。

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