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タイトル 日本ニュース 第201号
公開日 1944年(昭和19年)4月6日 ニュース映像について

チャプター

[1] チャプター1 少尉候補生の大臣伺候式(東京)  02:52
[2] チャプター2 北辺の守り 海軍部隊  02:34
[3] チャプター3 英印第七師包囲殲滅戦  03:41

再生テキスト

 3月22日、海軍兵学校、機関学校、経理学校を一斉に巣立った各科少尉候補生一同は、輝かしい出陣を前にして、4月1日、海軍省を訪れ、大臣に対する伺侯式に臨みました。嶋田大将は、海軍大臣として、重大戦局に対し、全海軍の候補生に期待するところ大なる所以(ゆえん)を伝えて、激励しました。

<嶋田大臣:
 諸氏は諸先輩の偉業を継承し、常に必勝の信念を堅持し、規矩(きく)や御聖訓を奉体(ほうたい)し、旺盛(おうせい)なる気力と不撓不屈(ふとうふくつ)の心身を錬成するとともに、技能の研鑽(けんさん)練磨に努め、各々(おのおの)、その本務に精進し、もって民、皇恩に応え奉り、光輝ある帝国海軍の伝統をいよいよ陸離(りくり)たらしめんことを期すべし。ここに諸氏の光栄ある門出を祝するとともに、切に武運の長久を祈る。昭和19年4月1日。海軍大臣、嶋田繁太郎。>

 終わって、嶋田大将は、軍令部総長として式場に臨み、候補生一同の敬礼を受けました。南に北に、戦雲急を告げる時、いざ、決戦の大海原へ、今鋭気はつらつたる候補生を送る。帝国海軍はここに一段の威力を加えたのであります。
大元帥陛下には4月2日、これら海軍各科少尉候補生に対し、かしこくも御激励の思し召しをもって拝謁(はいえつ)を仰せつけられました。一同はこの御親閲に感激、一死もって君国に応え奉らん決意をいよいよ固くしたのであります。

 春、4月とはいえ、いまだまだ北方基地は固く冬に閉ざされている。白雪は山を覆い、暗雲は低く垂れて北海特有の気象のうちに、黙々と戦う海軍将兵の労苦。しかもアメリカは、この気象悪しきアリューシャンよりの新航路を日本への最短路としてのみ執着し、あるいは暗夜を利し、あるいは濃霧の陰に隠れて、ゲリラ的蠢動(しゅんどう)を繰り返す。これを封じて厳たる我が海上部隊。

北方のこの地にもやがて春が訪れるであろう。天候の回復とともに、敵の動きも活発になってくる。ことに中部太平洋突破作戦、意のごとくならず、対日決戦を焦る敵の企図は(音声中断)を許さず。これに鋭い眼を見張る、我が海軍航空隊。暁の哨戒に滑走路の雪を除く除雪車が、暗いうちから活躍する。航空隊の勇士にとっては、アメリカ兵より、飛行機の発動機を凍らせる雪と寒さがより強敵ではある。
やがて滑走路が開かれる。哨戒機は雪を蹴(け)散らし、寒さを吹き飛ばして、きょうも、あすも、厳しい監視の任に就いている。

 ビルマを奪還し、大陸よりの対日攻撃を企図する米英は、相図って緬印国境に大軍を集結。マウントバッテンの号令一下、北部、中部、南部より一挙にビルマになだれ込まんとの企図と意地を示す。我がビルマ派遣軍はこの出鼻(ではな)をたたいて2月4日、アキャブ西北において果敢なる攻撃の火蓋(ひぶた)を切った。敵が唯一の防塞(ぼうさい)と頼むマユ山系のジャングル地帯に、道なき道を押し分けて、神速(しんそく)、果敢なる挺身(ていしん)隊は、迂回(うかい)作戦を行い、敵の退路を遮断する。敗走を続ける敵は、空軍の反撃を唯一の頼みとする。その頼みの飛行機も、我が戦闘機隊に遭えば、蒼惶(そうこう)として翼を翻して遁走(とんそう)する。
友軍との連絡が絶えず無電によって緊密に取られ、包囲網は着々引き締められていく。踏み破る数百キロの山岳。ただ2本の足によって、この驚異的作戦を遂行したのだ。英印軍第7師の包囲も近い。山中にしばし疲れを癒す。食糧も今はとぼしく、ただ塩のみをなめて食事を取る。絶望も困苦も、敵軍殲滅(せんめつ)の希望の前に、ひたすら忍ぶ。祖国を汚すイギリス兵、撃つべし。インド国民軍も随所に皇軍に協力。まさに一心同体となって赫々(かくかく)たる戦果を挙げる。

 マユ山系中の盆地シンゼイワに、英印軍第7師を追い込んだ皇軍、インド国民軍は、四方の山々を占領。2月9日以降、これに頂上よりつるべ打ちの痛打を与える。眼下に見下ろすシンゼイワ盆地。その中に兵7000、自動車500、戦車100両。下方、無数の敵が袋のネズミとなって蠢(うごめ)いている。
逃げ道を失って右往左往する敵戦車。敵の狼狽(ろうばい)はその極に達す。我が包囲網は刻一刻と圧縮される。今や敵に残された道は、降伏か全滅あるのみ。
窮余の一策、敵の落下傘をもってする補給もむなしく、英印軍第7師全滅寸前の姿は、我が報道班員の手によって記録されたのであります。

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