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タイトル 日本ニュース 第206号
公開日 1944年(昭和19年)5月10日 ニュース映像について

チャプター

[1] チャプター1 皇太子殿下 香取鹿島両神宮御参拝  02:28
[2] チャプター2 航空機増産に大御心  01:35
[3] チャプター3 緬印(ビルマ・インド)戦線  05:59
[4] チャプター4 あゝ古賀元帥  05:12

再生テキスト

 学習院初等科第5学年に御在学の皇太子殿下には、山梨学習院院長引率の御学友と御一緒に、5月3日より2日間の御日程にて、千葉、茨城、両県下に行啓。菖蒲(しょうぶ)の風さわやかな水郷地方御見学旅行をあそばされた。3日、伊波比主命(いわいぬしのみこと)を祀(まつ)る香取神宮に御参拝あらせられました。
桜も美しく散りしく参道を進ませられ、やがて拝殿前に御到着。御学友と御ともに御拝礼あそばされました。
殿下には、海軍航空隊に御1泊。翌4日、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る鹿島神宮に御参拝あそばされました。
神苑(しんえん)は5月の陽光に映えて緑したたるばかり。ひとしお、荘厳さを加えるかのごとくであります。かしこくもこのたびの御旅行は、学生の御資格をもって殿下初の御1泊旅行と拝察されるのでありますが、遠き肇国(ちょうこく)の戦の神に御参拝あそばされる殿下の、御英邁(えいまい)なるお姿を拝しますことは、誠にありがたき極みで、大東亜戦争下、国民等しく感激申し上げるところであります。

 決戦下、航空機増産激励のありがたき思し召しをもって、天皇陛下におかせられましては、4月以来、全国各地の航空機関係工場に侍従武官を御差遣あそばされ、生産陣第一線の模様を視察せしめられつつありますが、先に侍従武官山県陸軍大佐を、三菱化成工業某工場に御差遣になり、米英撃滅に燃え立つ工場の増産状況を巡視せしめられたのであります。
また5月3日には侍従武官坪島陸軍中将を、立川飛行機○○工場に御差遣。つぶさに産業戦士の活躍ぶりを視察せしめられました。このありがたき思し召しを拝し、工場関係者一同は恐懼(きょうく)感激、いよいよ飛行機増産の実を挙げ、もって大御心に沿い奉らん決意を固くしたのであります。

 アラカンの南、カラダン川をさかのぼって、きょうも前線への補給に急ぐ、我が陸軍舟艇隊。ジャングルに覆われるインド、ビルマ国境南部戦線は、わずかに河川の網の目が基地と前線をつなぐ。舟艇隊の任務は重い。夕闇は次第に迫る。しかし我が補給路攪乱(こうらん)にいつ襲来するかもしれぬ敵機に対して寸分の油断も許されない。
敵機。直ちに煙幕を張って対空戦闘に移る。敵機、スピットファイヤー。こしゃくにも超低空で我に肉薄。我が熾烈(しれつ)な砲火に敵機は遁走(とんそう)した。陣容を整えた舟艇隊は再び前進に移る。川は既に上流に近く、水底はようやく浅い。定かならぬ水路。船が浅瀬に乗り上げた。我が破竹の進撃を追って、補給はいささかも遅れてはならぬ。さらば、ザンブと水に飛び込んで、船を押す。補給隊の勇士にとっては、まさに真剣な川との戦いである。勇士の力限りの奮闘の前には、浅瀬もついに障害とはなり得ず。整然、舳艫相銜んだ舟艇隊はぐっと船足を速めて、今は間近い前線へ。東部インド、ベンガルを目指す友軍の下へ。

 ビルマ、インド国境南部、カラダン地区作戦の進展に呼応して、中部国境突破を目指す皇軍の進撃、また急を告げ、3月下旬、インパール前衛の拠点、英印軍第17師団司令部、ティディム、またトンザン、我が手に落つ。
急ごしらえのトーチカ。塹壕(ざんごう)。焼け崩れた軍用トラック。遺棄された軍需物資の山。この地に大軍を擁して、不敵にもビルマ侵入を夢見た敵イギリスの、今はあえなく潰(つい)え去った野望を物語る。ティディム、トンザン前面、既に敵影なし。しかし敵は敗走に当たって、道路の要所一面に地雷を敷設。我が進撃を食い止めんとする。工兵隊は深甚の注意を払って、これが除去に努める。
障害はすべて除かれた。インパールへの道は開かれた。ハトカイの山々を縫って、九千尺の高みに坦々(たんたん)として続く国境の道。皇軍重砲隊は日没をついて、一路インド国内へと怒濤(どとう)の進撃を開始する。九千尺の峰々を走る、この街道。この道こそ、敵イギリス軍がビルマ奪回の侵攻路として、惨憺(さんたん)たる努力のうちに切り開いた軍用路であった。そして今、皇軍疾風の進撃をさらに速めて、自らの末路を急ぐイギリス・インド帝国崩壊の道と化し去ったのである。インパール近し。暗黒の国境につるべ打ちの砲火。今ぞ敗敵、殲滅(せんめつ)へ咆吼する。

<栗原大本営海軍報道部長:
 大本営発表。昭和19年5月5日15時。
1、連合艦隊司令長官、古賀峯一大将は、本年3月、前線において飛行機に搭乗。全般作戦指導中、殉職せり。
2、後任には豊田副武大将、親補(しんぽ)せられ、既に連合艦隊の指揮を執りつつあり。
3、横須賀鎮守府司令長官後任には吉田善吾大将、親補(しんぽ)せられたり。終わり。>

 昭和19年5月7日。その忠烈永久に大東亜戦史を彩る、連合艦隊司令長官古賀元帥の英魂(えいこん)、祖国に帰りたもう。
午前11時13分、かしこき辺りより御差遣の勅使、各宮家御使いをはじめ、遺族、高位顕官、陸海の将星、粛然襟を正して出迎える中を、元帥の英霊は東京へ帰着。帝都に無言の凱旋(がいせん)をしました。恩賜の元帥刀、元帥徽章(きしょう)。功一級金鵄(きんし)勲章。勲一等旭日桐花大綬章(だいじゅしょう)。燦(さん)として元帥の偉勲を伝う。武人としてまさに無上の賞栄。また死して至高の御賜号を忝(かたじけ)のうす。武人の本懐、これに勝るものはないでありましょう。
御霊、今帰る。在職中の隆々たる辛苦艱難(かんなん)を忍んでは、ただ感謝賛仰に頭を垂れる国民に迎えられ、英霊は海軍省前を通過。麻布の自邸に入りました。
昨年4月、山本元帥の後を受け、古賀元帥は常に陣頭にあって作戦の指揮に当たり、また病院船が作戦基地へ寄港した際には、寸暇を割いて傷ついた勇士を見舞い、親しく一人一人の病状を聞いて、ねんごろに激励の言葉を贈りました。恩威兼ね備えたこの長官の下、我死なん。凄絶(せいぜつ)なる決戦の間にあって、闘志いや燃える元帥麾下(きか)の連合艦隊は、よく敵の鋭鋒(えいほう)をくじき、我が戦略態勢の優位を確保し来たったのであります。

<ただ今、古賀連合艦隊司令長官閣下の悲報に、我等(われら)戦場人は、否、大日本一億国民は、すべて断腸の思いであります。しかし諸君、我等産業戦士は、いたずらに驚き、悲しんでいる時ではありません。増産に増産をもって、職場も戦場、倒れるまで一人残らず戦士の数をいよいよ強く、新たにやって、やって、やり抜き、御霊に応えようではありませんか。黙祷(もくとう)。>
 あゝ古賀元帥、決戦の姿、今熾烈(しれつ)を極め、皇国まさに興廃の関頭にある時、ここに古賀元帥、指揮官先頭の範を示して、我等一億を導く。我等、故元帥の御霊にぬかずき、決意を新たにして大東亜戦争を戦い抜かんことを誓います。

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