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タイトル 日本ニュース 第22号
公開日 1940年(昭和15年)11月6日 ニュース映像について

チャプター

[1] チャプター1 教育勅語渙発五十周年記念式典  02:34
[2] チャプター2 日独伊三国同盟歴史的調印式  01:10
[3] チャプター3 援蒋路遮断成り皇軍堂々南寧撤退  01:04
[4] チャプター4 太行山脈討伐戦  01:08
[5] チャプター5 敵要衝壊滅を期す海鷲の連爆  04:35

再生テキスト

教育勅語渙発50年記念式典は、かしこくも天皇陛下の御名代として閑院宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、全国内外地、教育関係者1万2000名参列の上、10月30日、憲法記念館で厳粛盛大に挙行されました。

(一同、君が代斉唱)

橋田文部大臣の式辞朗読。

《橋田大臣》
「本日、ここに天皇陛下御名代、閑院宮載仁(ことひと)親王殿下台臨(たいりん)のもとに、教育に関する勅語渙発五十年記念式典を挙行いたしますことは、誠に恐懼(きょうく)感激の極みでございます。」

(一同、礼)

閑院宮殿下には、かしこくも天皇陛下より賜りたる優渥(ゆうあく)なる勅語を奉読あらせられました。

(一同、万歳三唱)

世界の外交に一新紀元を画する日独伊三国同盟調印式に参列のチアノ・イタリア外相は、9月27日、リッベントロップ・ドイツ外相の出迎えを受け、ヴィルヘルム・シュトラーセの総統官邸に入りました。かくてベルリン時間午後1時、歴史的調印式は開始され、独伊両国外相と我が日本側からは来栖大使が出席。次に入口の大扉を排してヒトラー総統はつかつかと入場し、チアノ外相と握手。さらに我が来栖大使の手を固く握って感激の握手を交わしました。
各代表は枢軸国の提携強化を祝う挨拶を交換した後、真っ赤な羊皮に包まれた原本3通に、それぞれ歴史的署名を行い、ここに世界新秩序の建設を担う光輝ある調印式を滞りなく終了いたしました。

昨年11月、西南ルートの第一拠点、南寧を占領してからここに1年。我が軍は仏印進駐により戦略的に無価値となった同地を捨て、堂々撤退することになりました。かくて皇軍仏印進駐により、南支援蒋ルートは完全に切断され、我が軍は南寧駐屯の必要を認めずという皇軍撤退の布告は復興成った南寧の町々に貼られ、さらに撤退に先立って我が軍は市内の清掃を行い、塵ひとつとどめず、立つ鳥跡を濁さずのゆかしさを示し、名残を惜しむ支那良民の目を引きました。いよいよ撤退の朝。トラックに分乗した我が部隊は、全軍自主的撤退の、隊形も整然と城門を出発。この日、黄塵の舞う並木の上に南支の空は曇り、我が快速部隊は金寧行路をうずめて延々と続きました。

晋察冀辺区、大行山脈の峨々(がが)たる峻険(しゅんけん)を巣窟(そうくつ)として蠢動(しゅんどう)を続ける残敵を討伐すべく、我が精鋭は去る10月13日早朝、一斉に行動を開始しました。大行山脈北部の峻険(しゅんけん)を登攀(とうはん)進撃する諸部隊と呼応し、東より進撃する吉井、荒井、山村、サクライの各部隊は10月下旬、いよいよその包囲圏を圧縮、付近にある敵の軍事各施設を破壊し、全軍、緊密な連絡を保ちつつ、さらに前進。反撃する敵を片っ端から掃討。逃げ惑う敵を捕捉、殲滅(せんめつ)して、ますますその包囲網を縮め、多大の戦果を収めました。

仏印進駐の我が海の荒鷲部隊は、西南支那の空を圧して縦横に飛び、昆明、成都の空襲や、功果橋、恵通橋、軍事施設の爆砕と、連日、付近の爆撃を続け、その赫々(かくかく)たる戦果は、我が航空史上に輝くページを記録していきます。駐支艦隊報道部○○基地、10月26日午後7時発表。本日、長谷川部隊の戦闘機隊は飯田大尉指揮のもとに、単独長駆成都を空襲。新津飛行場上空において敵機10機と遭遇。空中戦闘の結果、全機を撃墜せり。戦闘機単独長躯襲撃の記録的戦果を収めた誉れの荒鷲は、戦い終わった26日夕刻、全機、銀翼を連ねて基地に帰還しました。地上に待ちこがれた戦友は、飯田部隊長らの愛機に殺到。歓呼の声を上げて、輝く殊勲を称え、迎える者、迎えられる者、深紅の夕陽燃えさかるうちに、ただ感激の劇的シーンを展開しました。かくて夕闇ようやくせまる航空基地に無事報告を終えた我が誉れの八勇士は、また明日の爆撃攻を誓うのであります。

さらに援蒋ルート襲撃の我が海軍航空部隊は、ビルマ国境に近い敵の飛行機工場爆撃の壮途に着きました。このあたりは南支特有の山岳地帯で、重畳と続く峻険(しゅんけん)な連山は、その尖峰を雲海上に屹立(きつりつ)。我が海の荒鷲は堂々の編隊を組んで、驀進(ばくしん)を続けました。

かくてビルマ・南坎(ナンカン)の対岸にある敵の飛行機工場を発見した我が部隊は、付属飛行場に爆弾の雨を降らせ、敵機6機を粉砕、工場に大火災を起こさせ、ここに敵空軍再建の企図を完全に打ち砕きました。

また10月29日、我が爆撃部隊は折からの快晴を利して雲海上を快捷。ビルマルートの国境に近い恵通橋攻撃に向かいました。雲南の山は高く、谷は深い。その山に登り、谷に下り、延々と続く白い自動車道路がビルマ援蒋ルートであります。このルートの要所、メコン川に架せられた高架橋は、去る25日の爆撃で完全に切断され、今また道路上の要衝、恵通橋に向かう我が荒鷲の意気はまさに天に沖(ちゅう)するものがあります。やがて我が部隊は、谷底に黄色くうねり流れるサルウィン川を発見。恵通橋めがけて巨弾の雨を降らせました。さすが堅牢を誇る同橋梁も直撃弾を受けて完全に切断。かくてビルマ領最大の橋梁は、2つながら完全に破壊され、重慶最後の生命線ビルマ援蒋ルートは決定的にその機能を喪失するに至りました。

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