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タイトル 日本ニュース 第58号
公開日 1941年(昭和16年)7月15日 ニュース映像について

チャプター

[1] チャプター1 明治丸船内<特輯海の記念日>  00:49
[2] チャプター2 岡山の海員養成<特輯海の記念日>  01:50
[3] チャプター3 可愛い慰問隊 白衣勇士訪問  01:42
[4] チャプター4 板垣大将 朝鮮軍司令官に 南京出発<週間話題>  00:54
[5] チャプター5 日蘭会商 芳沢使節帰朝<週間話題>  00:46
[6] チャプター6 岩手の農業実習で収穫<週間話題>  00:53
[7] チャプター7 北京の姑娘巡査<週間話題>  01:00
[8] チャプター8 更生中国に清郷運動<週間話題>  01:24
[9] チャプター9 海鷲 重慶大空襲  01:24

再生テキスト

かしこくも明治9年7月。明治天皇、東北御巡幸の際における御召船の光栄に輝く明治丸は、今、東京高等商船学校内に係留。若き海の男(おのこ)の練成場となっておりますが、今回明治天皇横浜港着御の日である7月20日を卜(ぼく)し、海の記念日が制定され、海洋発展に拍車をかけることになりました。

四面海を巡らす我が国の興亡は、海軍の発展如何(いかん)にかかっています。そのためには優れた船員を作り上げることが何より必要で、全国各地にその養成所がありますが、これはその一つ、岡山県児島海員養成所の真剣な訓練風景です。ここでは全員厳格な規律の下に共同生活を営み、航海に必要な各種の基礎訓練を行い、帝国海員としての厳しい精神鍛錬を受けます。

(訓練の様子)

大海原は我等(われら)の住みかであるとの信念の下に、常に海に親しみ、海とともに生活し、やがて7つの海へ堂々と乗り出していく日を待っているのです。
そして海軍予備員としての重任を担う彼らは、実戦さながらの壮烈な軍事練習を行って、鍛錬に努めているのです。こうして海国日本は大いなる希望に燃えつつ、海洋制覇へと力強く堂々と驀進(ばくしん)していきます。

暑い真夏の太陽が照りつける現地の海軍病院へ、ある日かわいい慰問隊が訪れました。これは上海第一国民学校の2年生3年生の代表たち。

「集合」
「礼」


≪生徒≫
「私たちの大好きな兵隊さん、ご病気はいかがですか。今日は私たちがお見舞いに参りました」

<海軍兵士>
「本日はお暑いところを、わざわざご慰問くださいまして、ありがとうございました」

(生徒と海軍兵士のふれあいの様子)

板垣支那派遣軍総参謀長は、今回陸軍大将に進級。朝鮮軍司令官に親補(しんぽ)せられ、7月12日、思い出深い南京の官舎を後にしました。板垣大将は昭和14年9月以来、支那派遣軍総参謀長の要職にあって、西尾、畑と2代の総司令官の帷幄(いあく)に参加し、よく大陸作戦を遂行。併せて国民政府確立に力をいたした功績は大きく、南京駅頭には、畑司令官はじめ、軍官民多数の盛大な見送りがありました。

昨年の暮れ、小林前商工大臣に代わり、日蘭会商の帝国代表として重任に当たった芳沢使節は、得意の粘り強い交渉もむなしく、7月8日、神戸入港の日昌丸で帰朝しました。
越えて10日、芳沢代表は東京駅に到着。松岡、及川、秋田の各大臣をはじめ、朝野の盛んなる歓迎を受けました。同代表は、チャルダ総督との最後の会見以来、蘭印政府の態度は以前とはだいぶん変わって、日本人に対する認識をよほど深めてきたと語っております。

岩手県猪川国民学校では、全校児童の手で野菜畑を作っています。食糧増産と農業実習、それに体位向上と一石三鳥の名案です。みんな非常に熱心で、平生の苦労が見事に実を結んで、こんな立派なキャベツや大根やお芋が出来ました。
採れた野菜は車に積んで、高等科児童80名が毎日替わり合って2km離れた栄町に売りに行きます。
青物不足の栄町では大喜びで小さな八百屋さんの来るのを待ちわびているという始末です。

大陸の各地では、更生中国の息吹がいよいよ活発となってきました。これもその一つ、北京の姑娘(くーにゃん)のお巡りさんです。
訓練はなかなか厳重で、まず身体を鍛えることから始まります。
出動。
姑娘(くーにゃん)のお巡さんは命令一下、自転車を引き出し、町の各所へ散っていきます。
ここは北京駅前の検問所で、雑踏する人込みを巧みに整理し、持ち物の検査まで優しく手早くやってのけます。

中国の粛清は中国人の手で、をモットーに、皇軍の力強い指導を得て、今大陸の各地では、目覚ましい清郷工作が続けられております。その中心勢力をなす和平建国軍の兵士たちは、警備、宣伝のかたわら皇軍有志とともに、道路や橋りょうの修理作業に当たったりしています。また我が占領地区内の掃討戦に進んで協力参加し、7月の炎熱を冒してジョウジク付近の新四軍殲滅(せんめつ)戦に出動し、理想郷の実現に邁進(まいしん)。すばらしい成果を上げております。

事変満4カ年の記念日に当たる、7月7日を中心に、我が海の荒鷲は四川の乱雲をついて連続重慶爆撃に出動。輝く第20次爆撃の壮挙を達成しました。敵は相次ぐ我が襲撃に狼狽(ろうばい)し、死に物狂いで高角砲を打ち出しましたが、これをものともせず、我が海の荒鷲は敵の参謀本部をはじめ重要地点を徹底的に爆砕、画期的戦果を収めました。

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