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タイトル 日本ニュース 第98号
公開日 1942年(昭和17年)4月21日 ニュース映像について

チャプター

[1] チャプター1 ポートモレスビー大爆撃  02:42
[2] チャプター2 建設進むグアム島  03:15
[3] チャプター3 ビルマ英蒋軍撃破  03:17
[4] チャプター4 バタアン半島敵軍降伏  01:49

再生テキスト

(音声中断)翻る海軍前進航空機に武勲の海鷲、今日もまた翼を連ねて出動の準備を完了。我は今、なおも蠢動(しゅんどう)を続ける豪州方面の敵軍に対し反復攻撃、これを爆砕せんとす。一死報国、もとより生還を期する者なし。行く者、送る者、想いは既にはるか洋上遠く、敵地上空に飛ぶ。
(音声中断)漠々たる雲海をついて新鋭攻撃機、再び南海の大空にはばたけば、我にはむかう敵影なし。敵が打ち出す防空砲火の弾幕をくぐって、悠々巨弾をたたきつければ、敵はもろくも我に慴伏(しょうふく)。かくては荒鷲に凱歌(がいか)高らかにあがる。

(音声中断)この島は1898年、アメリカ・スペイン戦争の結果、米国の領有に帰し、爾来(じらい)アメリカはその軍略地点たるに着目して、これが経営にあたり、大東亜戦争勃発するや皇軍は間髪を入れずこれを占領し、今日に至ったものであります。政庁前のこの木の香も新しい陸戦隊激戦の地の記念碑付近には、敵敗戦を物語る魚雷、爆雷が皇軍、勇戦奮闘の跡をしのばせております。住民に暖かい手をさしのべた海軍病院では、土地のうら若い看護婦の立ち働く姿もかいがいしく、戦いに強く情けに厚い皇軍に、今更のように感謝の瞳を輝かせております。懐かしい故国の町名を掲げた国民学校では、制服も凛々(りり)しい海軍の兵隊さんに今日から日本語を熱心に学ぶ島の子どもの姿もほほえましく、和やかな風景です。
再び巡り来たった春の陽を浴びて、住民は島の社建立の勤労奉仕に喜々として働き、ここにも新しき東亜の黎明(れいめい)が読み取られます。

ビルマ方面帝国陸軍部隊はラングーン攻略後、英印蒋連合軍約5万を随所に撃破、なおも果敢なる進撃を続行す。4月1日、プロム地区の敵軍に対し攻撃を開始した我が陸の精鋭は、早くも翌2日、敵虎の子の機械化部隊を包囲殲滅(せんめつ)し、重戦車30台、自動車約150輌におよぶ兵器を鹵獲(ろかく)して、赫々(かくかく)たる戦果をあげました。皇軍ラングーン攻略により、唯一の動脈ビルマルートを切断され、今は抗日総反抗の夢も虚しい敵軍を急追して、我が精鋭は夜を徹し、歩兵部隊援護のもと、架橋作業を推し進める。
工兵辛苦の橋梁を渡りトングーに入った皇軍の諸部隊は、愴惶(そうこう)退却した敵重慶軍の狼狽(ろうばい)の跡を尻目にさらに体制を整え、やけつく炎暑もものかは、燃えさかるトングー市街を通過。ビルマルートの要衝、マンダレーに向かって堂々の進軍を続ける。

(音声中断)暴挙によって、比島1800万民衆信仰の的、マニラ最古を誇るピノンド教会も無残にも焼け落ちた。親を失い、子を傷つけられ(音声中断)惨めに打ち壊されて、フィリピン国民の怒りは頂点に(音声中断)マリベレスの天険により(音声中断)をした米比連合軍も、皇軍空陸一体の総(音声中断)わずか8日にして、士気まったく阻喪。(音声中断)最後の要衝マリベレス空港我が掌中に帰する4月11日、ついに我が軍門にくだる。バタアン軍司令(音声中断)キング以下、比島軍(音声中断)フランシスコ少将ら首脳部10名は、米比の(音声中断)約4万とともに捕虜となり、さしも頑強を極めたバターン半島の(音声中断)ここにまったく壊滅し去ったのであり(音声中断)。かくて彼我の砲声絶えて硝煙おさまった全島に、すでに敵影なく、今や一衣帯水(いちいたいすい)の彼方に我が艨艟(=軍艦)(音声中断)と気息奄々(えんえん)たるコレヒドール島要塞を残すのみとなりました。

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