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タイトルタイトル: 日本ニュース 第100号
公開日公開日: 1942年(昭和17年)5月5日 ニュース映像について

チャプター

[1]1 チャプター1 泰国使節来朝  01:26
[2]2 チャプター2 孫将軍、和平陣営参加  01:16
[3]3 チャプター3 護送収容の前蘭印総督  01:16
[4]4 チャプター4 セブ島攻略  02:56
[5]5 チャプター5 マンダレー進撃  03:25

チャプター

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公開日公開日: 1942年(昭和17年)5月5日

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大東亜圏への誓いも固く、誕生した日泰同盟を祝って来朝した泰国慶祝使節。ピア・パホン中将の一行は、4月27日宮中に参内、天皇陛下に謁見仰せ付けられました。宮中を退下した使節団一行は、それより首相官邸に東條首相を訪問。喜びの挨拶を交わしました。

抗日蒋介石軍の有力な武将として、山東省に隠然たる勢力を張っていた孫良誠(そんりょうせい)将軍が、部下2万5千の私兵を率いて敢然和平陣営に参加。4月27日、チョ民誼氏をはじめ、喜びの国民政府要人に迎えられて、南京を訪れました。大東亜戦争始まって以来、重慶側将領の和平陣参加はこれが初めてで、イギリス重慶連合軍が、ビルマ戦線にもろくも敗退を続けているとき、けだし敵抗戦陣営に与える影響は大なるものがありましょう。公館で汪兆銘(おうちょうめい)主席に謁見した孫将軍は、力強く決意を披瀝(ひれき)。今後、第2方面軍総司令として活躍することになりました。

敗残の身をバンドンに幽閉中であった前蘭印総督スタルケンボルグ、陸軍長官テルポールテン中将ら、オランダ、イギリス、豪州、アメリカ連合軍の幹部44名が、4月16日、軍用列車でバタビヤに送られてきました。かつての首都の地を、今は捕虜として踏む前総督には、さすがに憔悴(しょうすい)の色、蔽(おお)いがたく、小脇に抱えた3冊の探偵小説に抗戦の夢を洗おうとする。これは土着民の降伏を犠牲にして、王侯貴族もおよばぬ権勢を誇った蘭印総督が自ら選んだ道である。降伏の当時、傲然(ごうぜん)と構えて反省の色も薄かった彼らも、敗戦1ヶ月余りの今日となっては、帝国の揺るがざる正義の前に、極めて従順に捕虜収容所へ送り込まれました。

(音声中断)いまだ明けやらぬ海から、我が艦船に取り囲まれたセブ島の首府、セブの町は、約400年前、マゼランがフィリッピン群島中、初めて第1歩を印(いん)した歴史の町で、いわばここにスペインからアメリカへ、欧米侵略史の第1ページが開かれたところである。我が陸海の将兵、この事実を思い、士気天をつき、戦わずしてすでに敵を飲めば、猛攻を恐れた敵は我が軍の突入を待たずして、憎むべき焦土戦術に出ました。セブ市郊外に達するや、比島人小学校に監禁されていた日本人男女280余名を無事救い出しました。開戦以来まる4ヶ月、今、目の当たり見る祖国日本の強者(つわもの)どものたくましい姿に、打ち振る日章旗もちぎれんばかり。迎える者、迎えられる者、一瞬労苦が消し飛んで感激的場面を展開。
同日午前中、我が部隊は早くも市街に突入。人口14万、フィリピン第2を誇る同市を完全に占領しました。敵がしかけたダイナマイト、および徹底的な焦土戦術によって、市街は見る影もなく破壊し尽くされ、壊滅米比軍の狼狽(ろうばい)と哀れな心情を物語っているのであります。

ビルマ方面帝国陸軍部隊は3月下旬以降、英印蒋連合軍を随所で撃破。北部ビルマ最大の要衝マンダレーを指呼の間(しこのかん)に快進撃を続行す。4月1日、ビルマ中部の要衝プロム地区に盤踞(ばんきょ)する敵軍の攻略を開始した我が陸の精鋭は、翌2日早くも市街に突入、敵虎の子の機械化兵団を一挙に包囲殲滅し、戦車、装甲車をはじめ、多数の兵器を鹵獲(ろかく)、赫々(かくかく)たる戦果を挙げました。ラングーンすでに陥落して、重慶政権唯一の大動脈ビルマルートの切断なった今、英印蒋連合軍、抗日総反抗の夢虚しく破れ、皇軍は潰走(かいそう)する敵をなおも急追、歩兵部隊援護のもと、夜を徹して架橋作業を推し進める。
工兵辛苦の橋梁を感謝の心を込めて渡れば、道は一筋、目指すマンダレーはもうすぐだ。敗走に継ぐ敗走を続ける重慶軍の狼狽(ろうばい)の後を尻目に、向かうところ敵なき皇軍は、さらに体制を整え業火燃えさかるトングー市内を一気に屠(ほふ)り、一路マンダレーさして疾風枯葉を巻く快進撃を続ける。

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