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タイトル 日本ニュース 第102号
公開日 1942年(昭和17年)5月19日 ニュース映像について

チャプター

[1] チャプター1 コレヒドール陥落  05:45
[2] チャプター2 マンダレー攻略  05:40

再生テキスト

カバリオ島、フライル島を控えてマニラ湾の入り口に難攻不落と伝えられた鉄の島コレヒドール。昭和17年5月7日、もろくも潰(つい)る。バターン半島攻略後、コレヒドール要塞に逃げ込んだ米比連合軍を悠々にらんでいた我が軍は、敵が頼む鉄壁の陣にまず正確無比な爆撃を加える。準備完了、時まさに端午の節句5月5日、勇みに勇む強行上陸部隊はノース海峡を一斉に突破。火を吐く火炎放射器を抱えて、敵のトーチカめがけて肉薄する。決死報国の一念あるのみ。よもや上陸はできまいとひたすらに堅陣を頼みにした米比連合軍は、猛烈果敢な上陸作戦の前に、まず最大の要衝マリンタヒルを失い、投降者相次ぐ。たまりかねた米比軍司令官ウェンライトは、5月6日夕刻、白旗を掲げてバターン半島カブカべンに至り、最高指揮官本間将軍に会見を求む。やせ細りさすがに憔悴(しょうすい)の色、蔽(おお)いがたき敵将は、しかもなおこの会見において、全米東亜軍の降伏を免れんとはかる。されば我が方、猶予すべきにあらず。翌7日にかけて再度の猛攻を開始。午前8時、敵前上陸以来、僅々(きんきん)32時間をもって比島方面帝国陸海軍部隊は全要塞を撃滅。世界戦史に比類なき燦(さん)たる記録を残しました。ここに事実上フィリピン群島の戡定(かんてい)を終わったのみならず、アメリカの拠点をことごとく覆滅するに至ったのであります。
交渉、不調を告げるや、不甲斐なくも率先投降してきたれるウェンライトをはじめ、敵の捕虜約1万2千5百。このコレヒドール攻略にいたるまでバターン半島をはじめ、フィリピン戡定作戦に尊き御身をもってご参加あらせられた東久邇宮盛厚王殿下には、硝煙なお消えやらぬ5月8日、同島に御上陸。敵陣地をご視察あらせられました。かつてアメリカ-スペイン戦争の直後、アギナルド将軍が3年有余にわたってアメリカに執拗な抵抗を試みたと言われる天然の要害に加えて、鋭意力を尽くした近代的陣地構築は、眼前に見る14インチの巨砲は無論のこと、おびただしい鹵獲(ろかく)品の山に武装され、まこと鉄の島の名を与(あと)うるにふさわしく、尽忠無比の皇軍ならずして誰がこの攻略をのぞみえたでありましょうか。地下にはさながら、ひとつの町があり、我が痛爆を恐れたアメリカ兵がここに潜み、かしこに慄き、我が砲撃に傷ついた身をもまた養っていたのでありました。戦史に不滅の大戦果を挙げて、かねてこの時あるまではマニラに入(い)らずと黙々第一線にあった本間最高指揮官は、5月9日打ち振る日章旗の波に迎えられ、首都マニラに感激の入城をいたしました。マニラ湾に今ぞ敵影なし。アメリカの野望を微塵(みじん)に打ち砕いて、フィリピン建設は本格化するに至ったのであります。

焼きつける太陽のもと、酷熱実に130度を冒して、我が陸軍精鋭部隊は軍旗を奉じ、マンダレーへの街道を歩む。里程標(りていひょう)は物語る104マイル。いまだマンダレーへの道、近しとせず。しかもあらゆる困難を突破して、強行に強行を重ねる我が軍の猛進撃は、イギリス重慶合作の連合軍を、随所に補促(ほそく)殲滅(せんめつ)しての快進撃。すなわち飯田最高指揮官統率のもとに、3月下旬トングーを一気に抜き去った皇軍は、援蒋ルート壊滅の決意も固く一路北上。北は雲南省に踏み入り、西はインドに面して、厳然たる陣を敷かんとする。
休む暇も無い進撃に暑さは厳しく、のどは渇く。敵軍よりも頑強な悪疫の逆襲もある。されど必勝の信念あくまで高く、士気極めて旺盛なり。敗敵を追って部落に入れば、重慶軍司令官衛立煌がはかない抗戦の後を留めている。これに引きかえ皇軍を心から信頼するビルマ民衆の歓迎ぶりは、涙のにじむような熱烈さ。このあたりはすでに敵軍の逃げ足早く、ビルマ人の被害は意外に少なかったのである。イギリス軍を討て、重慶軍を葬れと、ビルマ旗を掲げ、美しい清水を捧(ささ)げて民衆は慕いよる。
イギリス人捕虜は次第に数を増してくる。
見よ、余すところ82マイル。マンダレーへ近づいた。ビルマ援蒋ルートの心臓部マンダレーを守らんと、敵は橋を落とす。この哀れな作戦を莞爾(かんじ)と笑って、飯田最高指揮官の命令一下、マンダレー攻略の火蓋(ひぶた)は切られました。
かくて5月1日(いちじつ)、ラングーン突入よりわずか54日にして、征旅実に620キロ。苦闘のうちに尊くも散った戦友の骨を胸に、マンダレーへ入城。ここに北部ビルマの最大拠点はついに陥落しました。英蒋連合軍があくなき焦土戦術に、ビルマ文化を誇る最大の旧都も今は見る影も無く破壊しつくされた。イギリス軍、重慶軍、一兵たりとも許すべからず。北へ奥地へ、急追の軍は進められていく。

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