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タイトルタイトル: 「食糧格差が自決に追い込む」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 西部ニューギニア 見捨てられた戦場 ~千葉県・佐倉歩兵第221連隊~
名前名前: 板垣 正雄さん(千葉県佐倉・歩兵第221連隊 戦地戦地: ニューギニア (ソロン、マノクワリ)  収録年月日収録年月日: 2007年7月19日

チャプター

[1]1 チャプター1 ニューギニアに上陸  02:35
[2]2 チャプター2 再びソロンへ  02:21
[3]3 チャプター3 食糧がないままの行軍  01:01
[4]4 チャプター4 行軍を襲う機銃掃射  02:33
[5]5 チャプター5 ジャングルで倒れる兵士たち  01:57
[6]6 チャプター6 落伍者を攻撃するゲリラ  02:39
[7]7 チャプター7 自給生活  01:16
[8]8 チャプター8 兵士にたかるアリ  02:09
[9]9 チャプター9 陸軍に回ってこない海軍の食糧  01:23
[10]10 チャプター10 たどり着けなかった補給船  03:13
[11]11 チャプター11 終戦、そして島を去る  01:22

チャプター

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ソロンから、あれですよ、あれはどこだったんだっけなあ?ちょっと、もう、本当、ソロンにあがって、で、ソロンからマノクワリへ行ったんですよね。ソロンからあがって、それでソロンに1週間ぐらいしかいなかったですね、最初は。で、それで、そのころはまだ船もききましたからねえ、それで漁船で、それでだいたい20~30人近くですか、やっぱりカツオの船みたいな、とる船みたいな小さい船ですけどね、それでソロンに、あの、マノクワリに向かって夜だけ走るんですよね。昼間は、あれで、敵機が来るんで。で、夜だけ走って。で、昼間は隠れていたんで。それで、あれは1週間かかったですね、マノクワリまで行くまで。ええ。

それでマノクワリへ着きまして、それで、どこをどういうふうに歩いたんだか知らないけど、変な山道ばっかり歩いて。それで小高いとこまで行ったら、そしたらここがみんなの宿営地だっていうんで。ところが宿営地は何もないんですよね、宿営地っていっても。そこで今度は自分たちで、ほったて小屋みたいなのを木を切ってつくって、そこで住んでいたんですよ、ええ。

マノクワリに行きまして、で、マノクワリではいくらもやっぱりいなかった。やっぱり、もう必ず向こうへ行くと風土病になるよって宣言されてたんですよね。ところが案の定、マラリアと、風土病っつって、あのね、オデキができるんですよね。ものすごい、体全身に。もうひどかったですよねえ。そのうちの最たるもんだったんですね。その風土病の、ええ。それで病気しまして、ええ。

そんなこんなやってるうちに、やっぱり陸行の、向こうへ、師団、本部が、師団本部が移るんで、それでまたソロンへ引き返せっていうわけなんで。それで行軍したわけですね。400キロですか。

いや、向こうへ、ソロンに帰る、向こうへね、徒歩で行くっていうね、目的が。船も何も、輸送がきかないから、徒歩で行くからっていうんでねえ。

それで、もう歩くにしたって、もう本当に、ほら、軍装を全部持って、鉄砲を持って弾持って。ですから、かなりのあれですよね、重装備ですよね。それで雨が降るでしょ、スコールみたいな。もう毎日毎日ねえ。それで、その雨ん中を、師団の、司令部の偉い方やなんかと一緒だったですけどね、行く時には。ところが、だんだんだんだん、日がたつに連れて、2~3日するうちには、だんだんだんだん、みんな欠けていっちゃうんですよね。もう歩けなくなったりなんかしちゃって。

で、特に、途中で川があるでしょ。川でもずいぶん流されてるんですよね。わたしも泳げなかったからねえ。でも、どうしたんだか助かっちゃったんですけどね。だから、川が渡れない時は、潮の引くまでね、川のそばで待機してて。それで潮が引いた時に向かって、それでまた渡ったんですよね、ええ。

そんなような思いで13日ぐらい歩いたですかねえ。それでマイウエイムっていうとこまで行ったわけですけど。それで、そこでもう倒れちゃって、どうしようも動きがつかなくなっちゃって。それで、その間に敵が途中上陸してっから、とにかく向こうまで、ソロンまでは行かれないからもとへ戻れって、こういうわけなんですよね。

戻るにしたってもう食べる物が何もないでしょう。ええ。もう行く時は持って、食べる物だけしか持って行かない。よけいな物、何日分しか持って行かないですからね。何にもなくて。それで、それこそ本当に何でも食べたですね。食べなかったのはアリとハエとウジムシぐらいなんですね。あとはほとんどもう食べたですね。もうそれよりしょうがないですからね。それから、あと、いろんな、こういう、草なんだか、わけのわかんない草っぱだとかね、木の根っこだとか。そういうの、食べられそうなのは、それをもう食べながら、食べ食べ、何とか命をつないであれしたですけどね。

まあ、空襲だけですよね、ええ。全然普通のあれはなかったですけどね。空襲だけですよ。

もう空襲はすごいですよね。1日もう5~6回から、多い時は10回ぐらい来るんですよね。最初、戦闘機が来て、もうめちゃくちゃに機銃掃射やって。で、その次は爆撃機が来て。で、さんざん爆撃をやって。で、そのあと、また、あれなんですよ、戦闘機やら来てまた機銃掃射をやる。それで引きあげてっていうと、また今度は、時間、何時間か間があったんですよ。で、1日、朝ね、朝やって、8時ごろ来て、で、10時ごろ来て、お昼ちょっと過ぎに来て、夕方4時ごろ来て、それから夕方暗くなるころっちゅう。だいたい5~6回は毎日なんですよ、それが、ええ。まあ、すごかったですよねえ。

それで、もう、運良く助かったときもありましたよねえ。ひとつ、防空壕(ぼうくうごう)へ逃げて、で、わたし、これは、どうもこの防空壕はいやだなと思ってねえ、それで飛び出して別の防空壕へ移ったんですよ。ところがその飛び出して向こうへ移った瞬間に、その、その今まで入ってた防空壕がね、直撃を食っちゃって、そこで全滅。残ってたのはみんな死んだ、亡くなっちゃって。わたしひとりだけが助かっちゃった。そういうこともあったんですよね、ええ。

それで、食べ物は、与えられた靴下に2本ぐらいお米もらって。それで、次の、いろんな、こう、村みたいなところ、ありますよねえ、そこへ行きゃあ糧まつが補給できるから。だからそのまんまで、持ってっただけで、それから次のあれをね、持ちこたえろっていう命令で行ったんですよ。ところが行けども行けども、どこ行ったってもう糧まつなんか全然ないんですよね。もう、そのころから。だから行って1週間ぐらいですよね、何とかごはん食べたっていうのは。あとは全然何もなしで。あとはヤドカリとったりね、それから小銃で、やっぱり海のそばへ行って鉄砲で撃ってたり、手りゅう弾投げて魚とったりしてね、それで暮らして、それで捕まえて食った。食ったんですけどね、うん。

やっぱり、みんな、もうマラリアかなんかで熱が出ちゃったりなんかして。で、食べる物はないしね、歩けなくなっちゃうんですね。もうどうしようもないんで、もう置いていくよりしょうがないんでね、うん。だから最初のうちはそうやってみんなバタバタ倒れていった。まあ「しょうがない、あとから頑張ってこいよな」っていう話で行ったけども、全然あとから来た人間はいないしね。

それで、ところが、その行く先行く先でもって途中でみんな倒れちゃって。もう本当にしかばね累々じゃないけど、もう死んでんのがいっぱいいるんですよねえ。もうとにかく道を歩くとくさいのがわかるんですよね。人間の死体のにおいっていうのはまた特別ですからね、うん。もう、「あ、また死んでんなあ」と思って。本当、やっぱりゴロゴロしてんですよねえ。手の下しようがないですよね。

そうやって埋めてやるにしたってね、掘れないんですよね。下がリーフっていって岩みたいなとこですからね。ただ本当に土をちょっとどかして、で、木の葉っぱかなんかかぶしてやるぐらいのもんでね。全然、もう。だから、少し雨降ったりなんかすると、みんな白骨が、お骨が出てきちゃうんですよ、ええ。それで川に流されちゃうと、今度、川の、すぐ、ほら、海がそばでしょ。だからそのまんま持ってかれちゃって、どうなってんだか、それも全然そのままだよね。もう助けてやることも、拾って骨埋めてやることも、どうすることもできないんですよね。そんなのかまっちゃいらんないですよ。自分がどうなるかわかんないからねえ。そんな思いだったんですけどねえ。

歩けなくなっちゃって。それで、そのままあそこにね、そうね、だいぶしばらくいたですねえ。半月ぐらい、1か月近くいたのかなあ。それで、とにかく向こうへ行ったんじゃ食い物はないし敵が待ってるから、もうマノクワリまで戻れっていうわけでしょ。

そのね、あれなんですよ、途中でやっぱり同年兵が3~4人、4人ばっかり一緒だったんですよ、最初はね。で、それと一緒に暮らしてたんですけどね。それで、じゃあ、しょうがないから、もうそうやって帰るよりしょうがないっていうんで。で、4人で歩き出したんですよ。で、ところが、歩いて1週間目ぐらいになったら、途中で敵が待ち構えてたんですよね。土人が。パプア人、パプア人っていうんですけどねえ。

それがみんなもうあれを持ってんですよ。アメリカともうツーツーになってたですからね。それに襲われちゃったんですよ。

ええ。で、わたしだけが助かって、あとはみんな、もうその場でやられちゃったんですよね。全然応答なしなんだ。

それで、もうそのすぐそばにまた川が、大きい川があったんですよね。で、それを、今度、しょうがないから、誰もいないし、今度、ひとりでずーっともう歩いてきたんですよね。うん。あと、仲間は、ほら、みんな途中で亡くなる、死んだ。さっきも言ったように撃たれちゃって死んじゃったからね、誰もいないんで、わたしひとりでポコポコポコポコ歩いて来たんですけどね。それで、最後まで、もう、ひとりで歩きっぱなしだったんですね。途中で何人かは会うことは会ったけども、みんなやっぱりヒョロヒョロヒョロヒョロして、やっぱり歩けないんですよね、うん。それで食べる物は何にもないし、それでヤドカリをとったりいろんな葉っぱをとったりなんかしてやっと命をつないで、フラフラフラフラしながら。それでマノクワリまでたどり着いたんですよ。それでマノクワリに着いた時は、まあ、ぶっ倒れちゃったですよね、うん。そんな状態だったんだよねえ。

で、その間にも、もう、とにかくもう道路にはゴロゴロゴロゴロ日本の兵隊が死んでるんですよねえ。うん。そんな状態だったんですよねえ

いや、マノクワリは、やっぱり着いた時はやっぱり食べ物がなかったんでねえ。それで、だから、そのころから、農耕っつって、もう百姓ばっかりやってたんでねえ。

それで、そのころ、いろんな、トウモロコシだとか、それからマメだとか、そういうのを植えたりなんかしてたんですけどね。実がならないんですよね。それでみんななったと思っても虫が食っちゃってだめなんですよ。人間が食うまでいかないんですよね。

それで、だめだっていうんで、今度、サツマイモに切り替えたんだよね。で、サツマイモの、それで、今度、サツマイモだって、あれ、なるまでには4か月かそこらかかるんですからね。で、それまで、結局、畑に、畑をおこして、それで植えて、植えたんだけど。それでその葉っぱを結局みんな食べてたですね、主食にして、ええ。

で、ソロンからマノクワリへ着いた時に、あんまり体が具合が悪いからっていうんで、野戦病院、病院送りにされたんですよ。もう病院へ送られたっていうのは絶対もう、死ぬと決まってたんですからね。もう何も、薬もなければ食べ物もないんですから。病院なんては名前だけで。ええ、全然。毎日毎日20人、30人と死んでいくんですよね。

それで、あれは汚いもんで、死ぬ間際になるとね、どういうわけかしらないけど、何万匹っていうんだ、何十万匹っていうぐらいね、小さいアリがね、いーっぱい来るんですよね。寝てるとこに。そうすると、こういうところだとか、鼻の穴だとか目だとかね、指のこういう間にね、真っ黒になるぐらいね、あれなんですよ、アリが、ええ。だからアリがチョロチョロ来始まったらもうだめだな、っていうふうになったんですよね。まずみじめだったんですよねえ。どうすることもできないんだからねえ。

配給なんて全然だめです。もう、だから自分であれするよりどうにもならないんですね、ええ。とにかく配給っつったって、もう病院に行ったってね、馬に食わせるぬかがあるでしょ、米のぬかね。あれにちょっとサツマイモの葉っぱなり、葉っぱが浮いてるぐらいのもので、ええ。本当に、もう、ごはんの、飯粒なんかとんでもない話ですよね。そんなようなのが食器に半分ぐらいね。病院の生活がそうだったんだよねえ、うん。いい加減、食べられなかったんですよねえ。

いやあ、だいたい全部がひどかった。だけども海軍は良かったんですよね。われわれは食えないけど、海軍はごはん食べてたんですからねえ、うん。そういう。もう、あれは、わたし、直接見なかったけどね、みんなもう言ってたですよ。「海軍のやつらはみんな、飯食ってる」なんていってブーブーいってたこと、あったんですけどね。うん、海軍は良かったみたいだねえ。話は何度も、話はずいぶん聞きましたね、うん。

Q:なかなか海軍の物を回してもらえるっていうことはないですか?

全然ないですよね、ええ。全然回ってこなかったですよね。

Q:海軍の食糧倉庫なんかもあったとかいう話も。

それはあることはあったでしょう。わたしなんか、それ、全然見たことないですね、ええ。で、陸軍の、やっぱり、高射砲隊の、やっぱり糧まつ倉庫みたいなのがあってね。そこを“荒らし”ってやって、それが発覚して。それは見つけしだい射殺してもいいっていうことまで命令が出たこと、ありますよね。だから絶対そういうとこには近寄らないでくれっていう命令が出たこと、あったですよね。

アメリカの、ええ、もう焼き尽くされちゃったんですね。

もう、とにかくパラオの、ソロンからパラオに着いた時、ソロンからじゃない、パラオに着いた時には、あれですよねえ、まわりが、沈んでる船っていうのはみんな日本の船ばっかり。それで、みんな、建物なんていうのはみんなめちゃくちゃにもう爆撃されたりなんかしちゃって、もうグチャグチャになってましたけどねえ。もうこんなにひどいもんかと思ったですねえ。「アメリカっていうのはばかになんないんだな」と思ってね、わたし。ほんと、思いましたけどねえ。
まあ、とにかく日本の船、いっぱい沈んでいたですよね、うん。あれだけ、相当輸送してたんでしょう。で、パラオっていうのは本当にもう一大集積基地になってたですからね。それがみんな空襲でやられちゃったんですからねえ。だから、なお向こうへ、ニューギニアのほうまでは行かなかったわけですね。もうあそこで止まっちゃってる。

Q:マノクワリに着いてからはですね、補給が来たなんていうことは?

全然ないです。全然ありません、ええ。もう何にもなかったですよね。

Q:あと、もうあとはマノクワリで農耕をして暮らしていった。

そうそう。農耕で暮らした、でやってたですよね。
で、わたしはいいことに、ほら、床屋だったからねえ、それでずいぶん重宝がられたですね。人の頭刈ってやってるうちに農耕はあんまりしないで済んだことも何回もありましたしね。うん。本当、最初のうちは、お偉いさんとこへ行って、頭刈りになんか行くと、いろんな物を、タバコくれたりお菓子やなんかくれたりして、もらったこと、ありましたけどね。だんだんだんだんそんな物も全然もらえなくなっちゃったですけど。なにしろそういういいとこもあったんですよね、うん。

そうですね、終戦になってからでやっぱり、思い出っていうのはやっぱりね、カメとりにいくとか、魚とりにいくとか。ええ、そんなようなね。
魚ほら、海のそばだからね、魚はなんとかかんとか。でも、あれでもって手りゅう弾でもってずいぶん魚とりにいって、川とほら、海の境目辺りに行くと魚がいっぱいいるんですよね、そこへ手りゅう弾でやるんですよ、そこでだいぶ死んでおりますよね。

Q:死んでるっていうのは、魚がですか。

いえ、魚じゃない、人間が。あの、あれしちゃってね、投げる瞬間が狂っちゃうとこっちで爆発しちゃうでしょ、それで、それで何人か死んでますよね。だから、同じ8中隊でもやっぱり、アソさんという人がそれで、魚とりにいって手りゅう弾で自分であれしちゃったですがね、亡くなったんですけど。

まぁ、なんか懐かしいなで、もう少しいたいような気もするしね。こんなにあれして。で、また、この死んだ人間がね、埋まってるのが、これどうなんのかなと思ったんだよね。そうかってあの、持っていくわけにいかないしね。本当にまぁ、寂しい思いだったですわね。

平たんな道を400キロならいいだろうけどね、いや、とんでもない山を上がったり下りたりでしょ。それで道がないですからね、ジャングルの中を歩いていくわけですからね。そうかっていって、やっぱり海の縁を歩きたいけども、飛行機に狙われるからね、あんまり海岸縁も歩けないんですよね。だから結局ジャングルの中を進んでいくよりしようがないですよね。

そうしてみると、1日いくらも進めないんですよね、ええ。まったくね、ああいう思いするとは、ほんとに夢にも思わなかったですけどね。だから、あんな思いはさしたくないね、ほんとに。今の人は幸せだ。ほんとに。うん。

出来事の背景出来事の背景

【西部ニューギニア 見捨てられた戦場 ~千葉県・佐倉歩兵第221連隊~】

出来事の背景 写真昭和18年(1943年)、9月、日本は戦況の悪化にともない、絶対国防圏を設定し、西部ニューギニアがその要衝の一角に組み込まれた。重要な飛行場を有するビアク島防衛のため、第35師団歩兵第221連隊が派遣された。しかし、米軍に阻まれ、昭和19年5月、主力は西部ニューギニアのマノクワリに、その他の部隊はソロンに上陸した。その後、ビアク島に上陸した一部の部隊は米軍の攻撃で全滅した。マノクワリとソロンに上陸した部隊は、その後、上級司令部の指揮命令系統の崩壊によって、高温多湿と泥濘のジャングルを長距離にわたって行軍させられ、補給もないまま、飢えと病で多くの兵士が倒れていった。

また、ゲリラとなった現地住民の襲撃にも苦しめられた。

昭和20年1月になると、主戦場はフィリピンに移り、見捨てられた221連隊は、ジャングルに孤立させられた。ときには日本軍同士で食料を奪い合う事態も発生。加えて、マラリアが兵士たちの命を奪った。終戦後、現地で10か月にわたり自給自足の生活を余儀なくされ、連合軍の監視下、日本に生還できた兵士は3300人、わずか1割にすぎなかった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1922年
埼玉県所沢市に生まれる。
1943年
現役兵として歩兵第221連隊に入隊
1944年
西部ニューギニアの作戦に参加
1945年
西部ニューギニア・マノクワリで終戦を迎える
1946年
名古屋にて復員、復員後は理容師として暮らす

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