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タイトル 「最新装備の中国軍が迫る」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] 北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 ~福岡県・陸軍第18師団~
氏名 井上 咸さん(第18師団 戦地 ビルマ (フーコン)  収録年月日 2007年6月1日

チャプター

[1] チャプター1 青春をささげた軍隊生活  02:03
[2] チャプター2 北ビルマでは防戦一方  03:15
[3] チャプター3 戦場は「死の谷」フーコン  03:00
[4] チャプター4 密林では使えない武器  01:49
[5] チャプター5 命令・情報が伝わらないジャングル戦  01:52
[6] チャプター6 降り注ぐ砲爆撃弾~圧倒的な武器の差  01:18
[7] チャプター7 砕された優越感  03:20
[8] チャプター8 壕(ごう)に潜む兵士たちを襲う迫撃砲弾  02:20
[9] チャプター9 訓練も武器も不足したままの補充兵  02:20
[10] チャプター10 退却  03:05
[11] チャプター11 自分の体を運ぶだけで精いっぱい  01:46
[12] チャプター12 自決を考えた苦難の逃避行  05:04
[13] チャプター13 たどり着いた「筑紫峠」  02:17
[14] チャプター14 斬り込み(きりこみ)攻撃  03:41
[15] チャプター15 斬り込み(きりこみ)の晩届いた終戦の知らせ  06:00
[16] チャプター16 終戦の知らせを受けて  01:27
[17] チャプター17 戦いの果てに見たもの  01:57

提供写真

再生テキスト

確か、23で入営したと思います。学校でその年ですからね。それで帰ってきたのが32歳ですね。入営して2週間目でもう満州に行きました。それからずーっと外地ですね。それから15年の夏に南支派遣軍になっていってね。そして第一線の勤務について、それから福州作戦をやって、それからまた広東の付近の掃討作戦をやって、それでやっているうちに大東亜戦争が始まったわけですよ。

大東亜戦争が始まると同時に、マレー半島の東海岸に行く。東海岸をずーっと歩いて、それでシンガポール総攻撃をやって、それが終わったらすぐ今度はビルマのほうに行けということになってビルマに行きました。それから終戦までビルマと。ビルマにおる間に雲南まで入りましたから、雲南省にしばらくおりまして、それで終戦になって1年間抑留されて復員して帰ってきたと、それ23歳です。ほとんど野戦勤務で歩兵ですからね、いつも第一線の勤務でしたね。そうしたら期間が長くて運がよかったというだけですよ、わたしの経歴は。

伝統のね、菊というのは強いんだということはもう軍隊内部で、日本の軍隊内部の評判だったですからね。そういうのは勢いを得るわけね。勝ち戦になりますと、ご承知のように、百倍も二百倍も勢いいんですよ。物事はみんなそうじゃないですかね。
 
例えばビルマに行って負け戦になったときは、ものすごく弱いですよね。菊といえども僕はそう思いますよ。そして大体、支那軍の、昔の支那軍に追われて退却するということはどういうことだっていうのを最初、本当に僕も思ったし、兵隊もびっくりしとったですね。なんで支那軍に負けるんだと。
  
しかし実際、物量には実際かなわない。それで下がったわけでしょう。そうするともう昔、平家が飛ぶ鳥の羽音で驚いていく話がありますね。まったくそのとおりですよ。弱さは3倍にも4倍にも5倍にもなりますよ。負けだすと。それは菊兵団もどこの兵団も一緒だと思いますよ。負けという勢いに乗ったらもうものすごく弱いですよ。もうビクビクビクビクビクビクビクビクしているのが普通ですよ。全体としては。それは一部には頑張ってるやつもおりますよ。だけど全体として問題は、僕自身ももう本当に恐ろしいしね、逃げるときが怖いです。

シンガポールを落として、それからビルマに行って、ビルマの一応、戡定(カンテイ)作戦というかなぁ、一応全部安定したときに僕は当時の遺骨をえらいたまっとった、内地に返さない遺骨が1800あったんです、師団で、菊兵団でね。 それを内地へ持って帰れと。送ってくれと命令を受けて、幸いに拾われて内地へ帰ったの。そのときは大変な歓迎ですよ。それで初めて現地から兵隊が帰ってきたと。当時は南方軍というのはちょっと違った格好してましたよ、開襟のね。ものすごく新聞社も来たし、いましたよ。それから講演頼まれたりして、大歓迎ですよ。
 
というのは、シンガポールが落ちたときに、国民挙あげて大歓迎したんですね。そうでしょう。ちょうちん行列から国民あげて大歓迎したですよ。それ国民全体がもう勝ちでしょう。ところが負けてから帰ったあとにどうですか、我々は小石扱いですよ。それぐらいに国民全体がもう士気がなくなるわけですよ。そうすると、無駄死にしか思われんのですよ。戦死が値する死は。

フーコンは、ひと言でいうと密林でしょうね。密林ですよ。もうこれは人跡未踏だって言われるんですよ。それからビルマ人の間でも、これはもうあそこに入ったら出てこれんというような言われるような人跡未踏のところだったですね。

それでほとんど道路もないし、獣道って言いますかね、そういうところどころにカチン族の部落があるという程度なもんで、恐らく地図なんかもなかったぐらいじゃないかと思いますよ。それで我々行ったときのあれは、本当にすごい密林ですよね。薄暗くて夜みたいなところがあるんですよ。

Q:昼でもですか。

はい。そして普通、そこは歩けられんですよ。ツタだとかなんとかいっぱいありますからね。ただ獣道か、土人が歩く道かありますわね。そういうところをたどって行ったわけですよ。

で、もう虎の声を聞いたり、それから虫が多いですね。ブト、ちっちゃいやつね。それとか山のヒル、ヤマビル、これはすごいんですね。そういうものがしょっちゅうあるですしね、本当に人間の住むところじゃないですね。そこに糧まつのないところに行ったんでけれども、川原ぶちになりますと、ずーっと歩いて霧だね、霧。川霧っていう川の霧でずーっともう午前中ぐらいもう曇っているんですね、全体が。それで結局、夜の中で戦争しとるようなもんですよ。先が見えないんだから。気がついたらすぐ敵が撃ってきよるちゅうようなもんですね。

それで普通のシンガポールとか、野戦ですと戦闘も大体もうやり方決まっていますね。こっち部隊が配置してグーッとね。そういうことできないんだ、ちょっとそこのそういうね、出たとこ勝負のような戦争しかできなかったですね。

それで食料はないし、それから川はとにかく密林というのは、もうちょっと内地では想像つかないね。わたし、斥候に行きまして、磁石でもって南だとか北だとか設定していきますよ。こうあっちこっち潜って、こっちを潜り、こっち潜りしていると、全然違った方向、反対の方向へ出るわけですね。

通常の戦争、予定したような兵器ではだめなんですよ。38銃の長いやつとかね。それから迫撃砲ね、あれがいちばんいいんですね。上から来るんだよね。直射の大砲なんか役立たんですね。

Q:38式の何って、歩兵銃とか?

歩兵銃はとってん長いでしょう。そして1発1発こうしてね。

Q:長いとなんか支障があるんですか。

それはもう大体、行動ができないですよね。重いし、長いしね。つかえてジャングルの中じゃぁ。

Q:つかえちゃうんですか。

うん。あれは日露戦争や日清戦争、休みのときは敵は遠くにおるからだんだんいいけど、ジャングルの中で行動するのはあんな長いもの、それから軍刀なんかもいらんですね。関係ないですよ。あんなもの使うことないですよ。もう攻撃でもって勝負ついちゃうです。接戦して、ちゃんばら、ちゃんばらという手もないですよ。向こうは自動小銃ですから。自動小銃っていうのはおもちゃみたいなね。ちっちゃな、ダララララララーと、あれ、弾をまくんですよね。その方向に、ダララララララーって。日本のほうはこう行くとしても1発1発確実に撃てというのが基本ですよ。一気に狙って、そして狙うどころじゃないですよ。向こうはパラパラパラパラパラパラパラまくんですからね。弾はいくつでもあるし。

Q:なんでそんなところで戦わなきゃいけないのかなと思わなかったですか。

思ったですね。それは思ったですよ。大体、戦争にならないもの、それじゃぁ。だけど命令でしょう。だから守秘命令ってあるね。しょっちゅう「守秘せい」ですからね。結局、玉砕するのはやっぱり北九州部隊のああいう部隊が多いですね。ということは命令を本当に守ろうとするから。これは僕が思うのは、命令出したほうがかなり智将は命令出すけれども、ある時期は引かそうと思っているんだから、それが当たり前と思うですよ。ところがその伝令が伝わらない。連絡がだめです、連絡が。全然。

Q:道がジャングルで歩きづらいからですか。

それだけでなくて、敵の妨害もあるしね。それで結局人間が、伝令が行くんですよね。伝令、兵隊の足の速度と、それが連絡する。もう有線なんか電池がなくなって、無線なんか初めからもうだめ。そうすると連絡方法はもう撤退せいっていう命令出しても行かないんですよ。打つ手ない。こっちは命令が来こんから集まってきしてるでしょう。非常にみな達しがあったんじゃないかというふうに思いますよ。あちこち玉砕するのは。命令するんでも、とてもだめだと思えば撤退命令出すはずなんだよ。それ出したんだろうけれども届かないです。通信が全然だめ。

迫撃砲みたいに、数がもう多いのね。そしてその弾がものすごく、さっき言ったように、さく裂音がすごいんですよね。それで進発信管と半進発信管と2つ、進発というのは爆発すると土の中へ潜って爆発するのと2種類を混ぜて上から落ちてくるわけですよ。

Q:何発ぐらいくるんですか。

それはねぇ、数えたことないけど、とにかくすごい数が落ちてきますよ。

Q:大体でかまわないんですけど、どんな具合ですか。

まぁパンパーン、ボコン、ボコン、ボーンボーンっていうね、もう算段なく落ちてくるのね。だから本当言うと頭上げられないですよ。そこで大体勝負はつくですね。もう大体、頭上げる気にならんですよ、目の前に落ちるんですからね。それで敵がいつの間にか近寄ってきてるんですね。そして上げたときは今度、自動小銃で撃つでしょう。キャパパー、ワァーッと、ワァーッというんですからね。ポンポンってこれじゃないんですから。ドバー、ドバーと来る。これまたそういう意味では勝負にならないと、兵器で勝負にならない。

最初ぶつかった時に中国兵だったね。それでびっくりしたよ。

Q:なんで中国兵だってわかったんですか。

それはもう戦争して、向こうの捕虜捕まえるからね。

Q:えっ?

捕虜を捕まえるからわかる。こっちも損害出るが向こうも損害でるからね。そのときに中国兵でしょう。びっくりしたね。

Q:なぜですか。なぜびっくりされたんですか。

菊兵団のずーっと中国の戦線におったんだからね。ずーっと、そうでしょう。それで中国の兵隊というものの顔、皆同じよ。格好は違うけどね。なんか同士討ちやっているような気がするわね。それでまぁ激戦のときはそうだけれども、ちょっと近く、向こうの子どもなんかと話すと、本当に親しいんだなぁ。同じ顔色している。ところが今度ずーっとシンガポールからずーっと西へ行って、今度ビルマに行ったでしょう。そして相手は英軍だっていうことを聞いていたからね。またこの英軍が来ると思ったら英軍じゃないよね。また中国兵だ。びっくりしたよ、みんな。また支那さんじゃねぇかちゅうわけやね。いままで飽き飽きするほどあいてたのに、また支那さんだっていうでしょう。支那さんなら大丈夫だって、また優越感を持っていたから、いま支那で。支那軍だから、戦いがすぐもう逃げるという具合に優越感を持っているの、日本軍は全部。支那は弱いと。

だから支那軍と戦えば、もうこれはもう楽ちん、楽ちんだぞという頭、みんな持っている。日本軍、全部そうだ。

行ったところが強いだろう、ものすごく強いんだ。そして兵器がすごい。そして向こうは航空機も全部精鋭あるというかね、アメリカに。それから砲兵もたくさんあるからね。ものすごい弾たくさん。それから強いんだよ。それでこれはなんだろうかということになってくる。それが向こうの支那軍の学生兵かなんかの精鋭をインドに運んで、インドで訓練をして、そしてアメリカの装備をしてアメリカの訓練をして、それをこっちへよこしたわけだ。ビルマによこしよったわけだ。そやから全然昔の支那軍と質が違うんだよ。

Q:動揺しませんでした?

動揺したね。動揺したですよ。そして深く追っかけてやったけれども、やっぱり強いんだなぁ。まず支那軍ではないんだよ。それは違うもの、向こうの武器が違うでしょう。アメリカの武器もらってきてるんだからね。航空隊の支援もあるし、砲撃も支援もあるし、戦車も持っているし、装備も違うからね。それは違いますよ。だからまったくビルマにおいて支那軍と戦った時は意外でもあるしね。非常に強行だったですね。

そしてフーコン作戦になったらそいつが今度来たわけやろう、正面から。

それはもう寂しいですね。寂しいですよね。恐らく兵隊もそうだと思うよ。いろんなこと考えると思うけどね。それが勝ち戦の場合はいろいろなこと考えるわねぇ。だけどもう本当どんどんどんどんやられているときのひとりで壕(ごう)に入っている、夜なんか寂しいですわね。なんでおれがこんなことせないかんかと思うわね。だけどどうしようもないもなぁ。文句のどこに言いようない。まぁそれが当時の日本軍への宿命っていうかな、天皇陛下のため、国のため、なんのためという、大きなあれがあるからですね。それはそうでしょう。自分ら若い者がやらなくて誰がやるんだということになる。女出てきてもらうわけにいかずに、老人に出てもらうわけにいかない。国を守るとういことであれば、嫌でも自分がせないかんという使命感はそれはありましたよ、当時は。僕が軍隊に入ったときに、もう初めは嫌だったね。それは恐ろしい話、いっぱい聞いてるからね、初年兵がこういうふうにいじめられる話ってたくさん聞いているから。だけど合格して入営になった以上は、もうそれは当然だと思ったね。むしろ非常に前向きに僕にとって非常にばかじゃないかと思うほど純真だったね。よし、この際、どうせやるんなら当たり前だと。若い青年が日本が危機の場合には我々がやらんで誰がやるんだと。それに選ばれてしかたないという、そんならやろうという具合に非常に前向きに育ったよ、僕は。ほんとうあほじゃないかと思うよ、いま考えれば。当時、兵隊を忌避してなんやかんやって逃げた人が多いよね。僕はそんなのをむしろ軽べつしとったよ、当時は。

いまはばかじゃないかと思うよ。だけどしようがないでしょう。

そうだねぇ、何人、ばらばらばらと来るんだよ。あんなのかたまってバァーッと来るんじゃないの。覚えているのは、まぁ20~30人ずつぐらいバラバラバラバラ陣地に入ってきたね。それは小銃なんていうの、古い小銃よ。38式の。これは昔、菊の紋を彫ってあったんだよ。小銃の。天皇陛下からという意味でね。でも菊の紋出て、それを削って学校の訓練用にみな配ったんだ。配銃って、配する銃ね、配銃。配銃になってね、菊のご紋は削って、それで学校の教練用になった。それを回収してきちゃうんだなぁ、もう一度。昔は配銃になったということは中のらせんが摩滅してるんだよ。あれ、こうなってるんだよ。弾が回るように。これが摩滅していて使えんちゅうことで、学校教練用にやったやつ、また回収して、それを持ってきてるんだよ。

それ見て、これはあかんと。もう兵器はなくなる。訓練聞いたら、途中で撃沈されて、それでほうほうとどこかに泳ぎついて助かって、そしてまぜこぜになって1つの部隊つくって、それでこっちへよこされたっていう話を聞いたら、これはもう訓練もなんもやってないし、来るとき、輸送船がやられて、その生き残りがどこかではい上がって、そんなやつあっちこっちから集めて一つの部隊をつくって、それでそれを持たせて、それ行けとこう言ってる。そういう状況だっていうことがわかったから、これはもう全然使いものにならんですよ、兵隊としては。

訓練も何してないんだから。ただ召集して、ある短期間訓練をしたかもしれんけど、それで輸送船に乗せたときに潜水艦にやられて、それでそういったらそういう部隊があちこちから預かって、それで1つの部隊つくって、誰かが指揮してつくった。こうなんだ。そういう状況知ってからね。これはもうあかんと。

あれはね、もう、逃げ出したのがね、あの大隊全部で100名おるかな、前線全部でね、おったと思うよ。それが途中から敵に会うたびに別れちゃうんだね。分散。そして、ほとんど中隊兵力なのに、中隊がどこかにちぎれちゃってね。気がついたら大隊本部、僕らのね。僕らの兵のところに、あとはねほとんど兵器を持たない小銃だけのものがね、40名か30名ぐらい、それぐらいよ。が、僕についてきたから。で、しかたないからそれを連れてずっと引っ張っていったわけ。

そして、それから、またバラバラバラバラなったものだから、ほんとう大隊入れて全部で、僕についてきたのは、確か30名か40名ぐらいですよ。大隊長も大隊長を先頭にね。それから、大隊長は現役でね、現役で僕と一緒に任官しているんだよ、少尉は。だけど現役だからね、先に大尉かになった。大尉になって。僕は中尉だったけどね。で、僕は副官でした。副官してね。

それでね、彼がだいぶ弱ってしまってね、もう体がもう弱って、それでほとんどね、その30人ぐらいのあれを指示せないんだ、もう。自分自身が弱っているから。そうするとね、勢いね、僕はね、しっかりせざるを得ない立場になったわけだ。僕だって弱っているんだけどね、もう黙っておけばね、みんなもう寝ころんだらね、動かないんだよ、もう。途中で。そういうことですよ、もう。

Q:もう疲れちゃって。

疲れちゃってもう、疲れて。飯も食っとらんし、疲れているから、まぁ眠いし、もう雨にうたれてるしね、みんなもう寝たっきりしたら動かないんだ。そして、普通なら大隊長が一番大将やからね、指示せないかんわね。起きろと、こっち行こうと、あっち行こうと。それがもう黙っておんのや。それから、副官も黙っているんだよ。そしたら、結局、僕もきついんだけどさ、自分がかわいいからね、このまま一緒に死ぬわけいかんからね。なんとかやろうと思って、本当いうとね、大隊長の抜きに僕はもう率先してね、自分自身が怖いものね。とにかく逃げようと思って逃げる。それにみんなついてきたわけですよ。

Q:みんな、ついてきたわけですか。

ええ。そして、最後までついてきたのが、やっぱり30何名ですね。あとはもう落ちたり、どこか行方不明になって、ついて来れないんだな。

あっちにつかまりこっちにつかまりね。それで、行ったときにね、何日目かにね、56連隊のあれ2大隊と思うけどね、が、100 人ぐらいおったよ。先にやっぱり同じときに逃げた。それに追いついたんだけどね、その前に2名の兵隊がね、草の中、水の中につかって寝とったよ。そしてね「どうしたんだ」と言ったら「いや、もう歩けない、もうここでね、頑張ると、もう歩けない」と。一人はもう死んだのかなあ、もうほとんど長くなって、その横にひとりで目開けておったから、聞いたら、もうとても歩けないと。置いていってくれと。そして、部隊はこっちのほうに行ったと。だからそっちに早く行けと僕らに言うんだよ。

僕らもね、連れて行きたいけど、とても人を。それで「頑張りなさいよ」言うてね、「できるだけついてこいや」と言うただけよ。そしたら、自分らは手りゅう弾を持っとってね、「まだ、これあるから大丈夫ですよ」って、言っていたよ。びっくりしたね。それは56連隊の兵隊よ。それでね、僕はそのときちょっと恥ずかしいと思った、本当に。そんなこれもあるから大丈夫だと手りゅう弾を持ってさ、最後これでやるという意味だろうね。それで僕らも一生懸命逃げよるだろう。しかし、何だかこう恥ずかしかったな、将校として。

何とかその川を渡りきってですね、残ったものが、また、いよいよ友軍に近づいたという感じがして、なおりあったの。最後はね、もういいだろうと思うような非常に深い谷がありましてね、その谷を下りて行ったんです。もうこれ下りるだけですからね、下りて行った。

そしたらね、ちょっとしたこうくぼ地がありましてね。そこに小さい流れがちょろちょろして、清いきれいな水が流れていて、そこで水を飲んで、ここならもうちょっと敵も来るところじゃないなと思って安心しておったところね、ちょっと行ったら石を積んでね、炊事した焼け跡が見えるんです。そして、敵の、砂に靴跡が見えたんです。ここまでも敵が来ているんだということでね、もうがっくりきたですね。もう先に敵が来ておったわね。

それで、もうそのときに、もうこれはあかんと、もう。これ以上もう頑張れんと、本当にわたしも絶望的なりましてね。もうこのままずっと眠ったら楽だなぁという気がしましたよ。そのときに、だったと思うな。もういよいよもう楽に死んだほうがいいという気になったときに、何となくね、おやじのことを思い出した。おやじが出てきたね。そして「なぜ、頑張らないんだなー」というようなね、おやじの声がしたような気がしたんですよ。これはね、幻想ですよ。幻想でしょうね。それでね、これは頑張らないかんという、もう一回ね、やってみるかという気になった。

 そのときに、わたし、最後まで持っておった家族の写真をね、さすがに破ってそこに埋めたような気がしますね。もう、あれを持っておるとね、死んだときに、いや、女々しいと言われるんですよね。将校がその家族や恋人や奥さんの写真を持っているということは、非常によくない。それでシンガポール攻撃の時は、僕は一回破って捨てたの。今度も破ろうと思ったけどね、一つ残っていたの。それをね、そのときは破って捨てたんかな。捨てたんかな、どうしたか、ちょっとそういうはっきりせんがね。

それで、それをしたんだけども、おやじの声が何かしたというような気がして、もう一回頑張らんといかんと。それでそのがけをまた登ったんだね、そこから。そしたら、やっぱり何人か付いてきたね。それで、そういう登ったころね、確か木に印がしてあるんだ、こう。ちょうど人間の目の高さにこう消したあとがあるんだな。それは何か印だわな。人間必ず消すというんだから、こう印に決まってるんだよ。だからここ人間通ったということがわかる。これ敵かもわからんし、あとのためにこう通路をね。そして、敵かもわからんし、もういいと。とにかく行ってみようと。敵でもしかたない。それを登ったんだ。

そしたらね、そこに友軍の、昔の日本軍で作った現地のたばこのくずが袋が落ちておったよ。あ、これ友軍だといって、それで元気がついてね、それでまた登っていった。そしたらそこが筑紫峠なんだよ。それはあとで考えると。筑紫峠の大体終わりのほうを登ってきたんだよ。

Q:で、助かったと。

それで助かった。それでね、みんなもう、ところがそのときも一人ね、がけを登るときにね、落ちたね。やっぱり。バーッとがけから落ちていったよ。一人ね。かわいそうにね。やっぱりもう力がないんだな。それでそこで登ったときに、友軍がおったよ。それはね、今思うと衛生隊か何かと思うんだけどね、あとで調べると何か輜重(しちょう)隊とか、とにかく兵隊がおった、日本軍の。

もう死にたいと、死にたいと思ったよ。死ぬのが楽と思ったよ。それ以上に苦労したくなかったね。だから兵隊はもっと苦労したんじゃないかと思うけどね。僕はね、そういう自分自身も怖いしね、助かりたいし、しかし、兵隊も付いてくるしね。まぁ、それだけですよ。もう何が何やらわからないように、もう無我夢中で上がってきた。

もう本当にこう寝たら、そのままずっと寝てしまうような状態よ。で、その証拠にね、上がってきたところ、ほとんどね倒れたのね。それでね、その衛生隊かしらんが友軍がね、乾パンね、あれをくれたよ。それはみな吐き出すね、食べても。胃がもう受け付けないんだよ。それで、みんなね、30人おったけどほとんどもう熱、熱発、発熱で倒れ込んでしまった。もう力の限界をはたしたんだね、安心して。安心したあれで。僕も同じがっくり。それでね、そのときに面白いね、20~30人出てきたからなそれは。

それをね、どこかに連絡したんだな。そしたら、すぐどことかに来いと、どっかの陣地に着けという電話があったよ。マンテンかな何とか任地にすぐ着けと。冗談じゃないですよ。僕にすれば。もうそれでね、僕はその命令は無視した、僕は。聞かんかったよ。それでね、ちょうど軍医が、オオクボ軍医、あれだ。あれがおったんだ。あれがね、全部入院ということをしてくれた。

それで、それから、山を下りたわけ。そのときはもう象に乗ったりね、背負ったりね、して、それも筑紫峠の最後のころだからね。あの筑紫峠という、有名な大変な悲惨な目にあった兵隊いっぱいおるんだね。あすこ越えきらずにね。

斬り込み(きりこみ)というのはね、あのー正規の攻撃じゃないですね。当たり前の攻撃じゃないです。もう本当のね、やむにやまれぬ戦法だと思います。というのは、シッタンで盛んに斬り込みをやったのはね、あのー、たまたま雨季でそのシッタン川を挟んでですね、お互いに対じし合うわけですね。それで敵のほうはですね、もう川の増水で死体ですから、ほとんど水浸しになってんですよ。して残ってるのはね、部落がね、村落、こうポツポツポツと残ってるんです。水の上にですね。そこに敵がこうおるわけです。で、それをね、あのー襲うわけですよ。

どうしてそうするかっていうことになるとだね、その逃げ遅れた軍団がおるわけ、向こうに。川の向こうに。28軍ちゅってね。それをね、軍としては助けにゃいかんという。そのためにはね、攻撃よりずっと守ってる部隊だけども、もう1回川を渡って向こうに攻撃する、かけると、そういう姿勢を見せにゃいかんということで、また頑張ってるわけですよ。

そこでその戦術で入れたのはですね、正式な攻撃はとてもできないですよ。戦力取られて。それで部落ごとにこう敵がおるわけですね。それ水に浮いてる、水の上にこう部落が浮いてんだから、それをね、襲うわけですよ。だから斬り込み戦というのはそういうもんです。そのとき、そのときにですね、向こうの隣の部隊あたりで盛んにそれをやってるわけですよ。というのはね、少ないのは5、6人、2、3人ね、そんなもんがね、手りゅう弾を持って、それでこっそり渡ってだね、それで敵の陣地にこうぶち込んでくると。そんな程度ですよ。

Q:ど、あ、あの午前中なんですか、夜なんですか。ど、どういう時間帯に行かれるんですか。斬り込み(きりこみ)というのは。

それは夜ですよね、もちろん夜ですよ。

Q:何で夜なんですか。

か、川渡るのに渡れないもの、昼間は。敵の飛行機ずっと飛んでるもの、渡れないです。夜こっそりね、泳ぐか何かしてね、ほんとに2、3人グループなってね、決死隊がね。ほいで結局もぐり込んでね、手りゅう弾投げ込んでくるとか、あるいは斬り込んでいくとか、もうほとんど決死隊だね。そういう戦術なんですよ。それでわたし、そういうのがね、あっちこっち各部隊ごとにやらされてた。それで僕とこの部隊もね、いよいよね、あのーある程度の部隊でもってね、その部落見えてんだからね、水の上にこう。こっちから見えてる。そこにあの部落に行こうということだね。

Q:そこの集落にはあの連合軍の兵士がいた、いるということですか。

おるんだと。

Q:それが見えるわけですか。

見える、見える。見えるですよ。それが独立地帯だからね、彼らも心強いと思うよ。下の部落何人かおる、おる、向こうの前線だから、こっちをやってるわけだから。それをね、脅しかけるわけだね。ほん、本当のその戦争じゃないですよね。ただ脅しかけて、攻勢を見せかけるわけでしょ。

そいでその17日だ、17日の晩はわれわれのほうもね、いよいよ残りの部隊でね、相当大がかりの、大がかりなね、大がかりな部隊の斬り込み(きりこみ)をやろうということになったわけだ。

Q:8月ですか。

8月のね、あれは何日かな、もう終戦間際ですよ。

Q:あ、17日というのは何月の17日ですか。

それ、それで1回行ったんですよ。

Q:あ、17日っていうのは何月の17日ですか。

8月の。8月の17日にね、あのそういうことをやってたと。で、その晩もね、もう1回ね、それをやると言うて我々の部隊がね、部隊たってもう人数にしてわずかなもんですよ。5、60人おったんかな、あれ。だ、新しい大隊長を先頭に行きかけたです。そんときに僕はね、あのもう副官やめてね、大隊付、大隊の本部付ね、大隊長のそばにまあ相談役みたいなのでついてた。で、川をね、ふちをずーっとね、夜ね、そのと、渡河点があるわけです。ずっと、渡りやすい所あるのね、そこまでずーっと歩いた。雨がもう降ってね。

Q:雨が、雨が降ってたんですね、かなり。

雨降って。ちょうど雨季に入ってるからね。雨ですよ。

Q:で、そのときあの井上さんが持ってた武器というのは、どういう武器を持ってたんですか。

武器はほとんどないですよ。

Q:井上さんは

わたしには何もないですよ、もちろん。軍刀と拳銃ぐらいなもんだね。

Q:あ、軍刀と拳銃。

僕はね。兵隊だってあんた小銃とか、ま、軽機関銃は1丁か2丁あったかもわからんね。もう武器らしい武器もない。いわゆる斬り込みですからね、正規の攻撃なんかできないんだから。もう脅しみたいなもんだ。それでいよいよ行くって、あれ17日の晩だと思いますよ。で、行って、雨ん中をね、その川ぶちですから、こっち側に川がだんだん流れてる音がしてて、その川をずーっと渡ってね、その渡河点とこまで行きかけた。

Q:そういうちょっとあの暗がりを歩いてるときって、どういうお気持ちを抱きながら歩いてるんですか。

いやもう、さ、これが最後だと思ったね。もういよいよこれで斬り込み行けばね、また最後になるかもわからんという具合です。

Q:なぜ最後だというふうに思われたんですか。

いやもう、今までの状況から見てさ、望みないもん、大体。攻撃してみたって。ただ命令だから行ってるわけですよ。

Q:相手がかなり攻撃激しくて、もう亡くなるかたが多かったってことですか。

うん、そうですよ。大体帰ってくんのがその3人とか4人で行ったらさ、大体帰ってこれないもん。それはね、わからないよ。逃げたか、不安になったかね。帰ってこんほうが多い。我々はもうある程度グループで行くんだからね、これはもういよいよね、大体持ってる兵器もない、ほとんどないんだから、ただ渡ってね、脅してくるっちゅうような作戦だからね、これはもう望みないですよ。だからまたいよいよこれは最後かなあと思うけどね、これしょうがないもの。どんな気持ちで行く、行ったって、もうしょうがないんだもの。運命だと思って行くよ。

Q:あ、運命だと思って?

うん、運命と思うしかないね。そして行きかけたらね、後ろから伝令が来てね、「攻撃中止」て。

Q:伝令のかたがこう走ってきたんですか。

そうだろうね。真っ暗な晩だからね、うちの部隊、僕も戦闘に行ってたからね、後ろへ伝令が来たって言って、あのーあれだと、攻撃中止て、もとの陣地に戻れて。そのときにパッとひらめいたね。あ、こら何かあったなと。そらもう負けるってもう頭にあったもの。大体もういつか負けるんだっちゅう。もう全体の状況から見てね、とても望みはないしね、これはもう何かあったなっていう具合にね、もど、戻れちゅうんだから、やめて。そんときにパッときたよ。そんときはね、終戦なんて言わないんだよ。ただあのもとの陣地に戻れと。

それでみんなはもうブーブー言うてね、そんときは。面白いもんだね。兵隊たちは何もわからんからね。またもとにも、もとの陣地に帰れて言いよるんだからね、兵隊はブースカブースカ言うてね、また穴の中へ戻る。

そして戻りかけたら、そしたらね、あの当時の副官がね、大隊副官が、僕は大隊付であるからね、副官、若い副官がね、来てね、あのー終戦らしいですよって聞いたね。「らしいですよ」って言ったよ。それで僕はぴんときた。やっぱりそうかと。それはね、まだ誰にも言うていかんと。兵隊にも言うていかんて、こう言うた。「わかった」と。それで大隊長言うて、おれたちは陣地に戻るんだということで、あの引き返したんですよ。それがね、結局あの17日の真夜中だったと思う、引き返したの。それが本当に終戦だったんだよ。

だけどね、いろんな本読むとね、それの翌日か何かね、連隊長がね、全部集めてね、終戦だっていうことを正式に言うた。そんときにね、まだ南方軍としては態度わからんって、こう言うたのね。だけど終戦ちゅうことはね、放送があったちゅうことは少しして、だから17日の夜中ね、聞いたってことは、実際は15日に放送あったんだな、終戦の放送は。だから二日遅れてるわけですよ。だからうっかり、それなけりゃまだ突っ込んでるですよ。

そらもう助かったと思ったね、まず。もう正直言ってね、やれやれと思ったね。これで助かったと。もう弾では死なんと。「うわあ、助かった」ちゅうようなもう、だけ。それは言われないですよ、当時の立場上は。それは誰も言わない。兵隊も言わないね。建て前はね、「残念、残念」ちゅうのが普通。

ところがあとから知ったら、後ろの者ほど残念がってるわけやな。自分実行部隊からすく、遠ざかった、死ぬ、死ぬことから遠い者ほど残念がるわけさ。前線の人はみんなね、本当は「やれやれ助かった」と思ったのが正直だと思うよ。僕はそう思ったね。これは助かったと。ただそれを表に出せないね、あれがあったから、まあ苦虫つぶしたような顔してるけども、みんなもそうですよ。表に出さんけど、みんな喜んだと思うよ。兵隊たちみな喜んだんじゃないかな。将校の顔、顔あってるから、そんな飛び上がって喜ばんけど、僕本当喜んだよ。こんなこと言うかな。言わんだろ、あまり。残念がったって言うんじゃないか、普通の人は。

敵のね、様子を見たかったからだろうね、終戦になって。敵がずっとおるんだからね、どうなったかっていうね、それで行ってみたの。
そしたらもう終戦だからね、まあ遠くだけどね、何か人の動くあれがするわね。それから鉄橋の近くにも何か人がバラバラおるんだね。ということはもう、敵だろうな。

そしたらね、もう弾は飛んでこんでし、もう本当にね、何ていうかな、もう天国に行ったような気がしてね。ただそこに残っとるね、せん、戦友がたくさんおるということね。もうほっとしてね、そいで下りていってね、橋のそばまで行ってね、こうやってみたらね、向こうもね、こう振るんだよね。

こう手振ってみたんだ。そしたら向こうも振ったよ。それでね、ああこれでね、もう終わりだと。ね。普通なら撃ってくるはずだな、こんなのしたら。これで終わり、本当にもう終わってるのって、本当にもう。

そのとき思い出したのは、ああやっぱり人間ちゅうものはね、あんなもんだなあとね。あのー戦争となれば、お互い憎み合ってるけどもね、実際もう戦争っちゅうことなけ、なければね、人間としてこう、振れば向こうも振るというね、そういう???だなあというね、非常にあのそういう思いが強くなったね。

んでそれから、うんそうだな、もう、それからもう絶対におれはこれで生き残るんだとね、もう。

出来事の背景

【北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 ~福岡県・陸軍第18師団~】

出来事の背景 写真昭和17年5月、日本はビルマ全土を制圧。しかし、連合軍はインドからビルマ北部を経て、中国の蒋介石率いる国民党軍に支援物資を送る「援蒋ルート」の一部建設に動き出した。その進行を阻止するため、日本軍は通称菊兵団と呼ばれた第18師団4000人を、インドとの国境線の密林地帯、フーコン地区へ送り込んだ。昭和18年10月、連合軍がビルマへ進攻。連合軍は、密林での戦いを研究し、小型の迫撃砲や自動小銃など機動性の高い武器を準備してきた。対する日本軍は、中国戦線で使われていた大砲をそのまま現地へ持ち込んでいた。砲弾は密林にさえぎられ、容易に敵陣には届くことはなかった。
さらに、中国戦線では日本軍が圧倒したはずの中国軍が、ジャングル戦の訓練を受けて鍛え上げられたうえに、米軍の最新の装備で、日本軍を追い詰めてきた。さらに、インパール作戦の失敗により、フーコン地区の第18師団は、援軍も補給路も絶たれた。そしてついに、昭和19年6月、連合軍の攻撃に追い詰められ、ちりぢりとなって、フーコンの南にあった日本軍の支配地域を目指して後退した。

昭和20年8月、ビルマ南部のシッタン河のほとりで斬り込み攻撃を続けていた兵士たちは終戦を知らされた。フーコンで戦った4000人のうち、3000人以上が戦死した。

証言者プロフィール

1915年
京城(現・ソウル)に生まれる
1938年
長崎大村第46連隊に入隊、満州に派遣され、以後、中国、マレー半島、シンガポール、ビルマを転戦
1945年
終戦
1946年
復員後は損害保険会社に勤める

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ビルマ (フーコン)

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