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タイトルタイトル: 「艦上攻撃機で真珠湾を空襲」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県・鈴鹿海軍航空隊~
名前名前: 前田 武さん(鈴鹿海軍航空隊 戦地戦地: ミッドウェー  収録年月日収録年月日: 2007年6月27日、7月3日

チャプター

[1]1 チャプター1 ハワイ・真珠湾攻撃  03:40
[2]2 チャプター2 ミッドウェー海戦  03:39
[3]3 チャプター3 不意打ち  09:56
[4]4 チャプター4 「加賀」沈没  03:11
[5]5 チャプター5 かん口令  06:57

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県・鈴鹿海軍航空隊~
収録年月日収録年月日: 2007年6月27日、7月3日

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もう要するにハワイのときにはね、もう士官連中も一切その真珠湾というものを対象にするというそぶりも見せなかったしね、たぶん知ってたんでしょうけどね、まったくねそれに触れなかったですね。
 
ただ、わたしが不思議に思ったのはね、要するに、シルエットですね、アメリカの戦艦のシルエットをたくさん用意して、そしてね、新しい船から順番にね、その名前を覚えさせたですよ。例えば『ワシントン』とかね、そういうその新しい船のね。

だからわれわれは影絵を見るとね、影絵見ると、「あぁこれは『ウェストバージニア』だ」とかね、「これは『ネバダ』だ」とかっていうふうにわかるぐらいにね、毎週毎週ね飛行した作業終わると、あの暑い盛りに天幕を張ってね、そこで見せるわけですよ。

だからね、そのね、例えばわれわれはね、まぁさっきの話しに戻るけどね、真珠湾攻撃なんかに行くときにはね、もう当時は全部これはね、どこかの島あるいはどこかの港、それも軍港で、そこに船がいっぱいいる所へ恐らく突っ込むつもりだろうと。

もうそのいちばん良い例が、その浅震魚雷(浅深度魚雷)というね、この魚雷に尾びれを付けたのがね、愛甲少佐という専門家が作ったんですけどね。もうどれぐらい何回もやり直したかわかりません、それをね、要するに投下試験をわれわれはね。で、高度10メートルでアップ1度で落とすとちょうどまっすぐ走ると。で、15メーターにするとフッと頭が下がるというように、いろいろなことをやりながらね、そしてこれを、その尾びれをね、これは材木ですよ、いわばベニヤですね、を加工したもんですからね。

これは着水するとパッと飛び散るんですがね、そういうときの浮力で頭が上がるんですよね、恐らく。それでそのまま走る。これがなかったらね、真珠湾攻撃は成功しなかったですね。普通の魚雷だと全部潜っちゃいますからね。

だからやっぱりね、アメリカ側は、真珠湾での魚雷攻撃というのはありえないというふうに先入観を持ってたんでしょうね。

それで問題はね、そのまぁ日本の場合は燃料を積んで、で、ある一定の距離を置いてミッドウェーの島へ飛んだ、そして帰ってくる。帰ってくるとね、これはね、まずその戦闘機の場合には、燃料の補給はもちろんだけど、弾を補充しなければいかんわけですね。ほとんど撃ち尽くしてますからね。
 
だからこれにね、その、要は母艦というものの致命的な問題がそこにあるわけですよ。どうしてもね、飛行機をね収容するためには、母艦はどんな場合でも風に船を立てなきゃいかん。風を真っ正面から受けないとですね着艦は難しいわけですね、発艦の場合もそうですがね。
 
だから、そうするとその瞬間は、敵から見るとまっすぐ走らなきゃならんから、敵の良い目標になるわけですね。だからね、そうするとね、さあ問題が起きるわけですね。どちらをとるべきかということになるわけですよ。
 
だからね、やっぱりね行くところへ行っちゃうわけですね。どっちかにしなきゃいかんわけだから、もうとにかく母艦、主要が先決だと、ですね。そして弾薬を補充してすぐまた発艦させないかんということになったんですね。だから思いがけないところに盲点があったわけですよ。

Q:その辺はなんか司令塔の近くにいらしたんだそうですね、。

いや、わたしたちは搭乗員待機室でね、あのうまぁ、高をくくってね、別に敵はいないという見方をしているのはわかってましたからね。「どうせ雷撃はやらんだろう、なぁ」っていうんで、皆、話してましたね。

まぁとにかく、わたしたちもやっぱりね不信感を持っていましたね、その士官連中にね。なんとなくね、山本さんは信頼するに足るけどね、この人たちはちょっとね、まぁなんていうかごう慢というかね、図に乗っているというかね、なんかちょっとわれわれよりもなんかこう、「たるんでる」ような気がしていましたよ、 そんなこと言うとね、その時分の人が生きてると怒るだろうけど。

いやいやもう拍手喝さいで見てた。だから艦橋へ集まってね、そして、まぁなんていうんかね、まぁとにかく、もう本当に見物していたみたいだね、ことばでいうと、悪くいうとね。

爆弾に魚雷を下ろして爆弾に積み替えるの。それはなぜかってね、これ爆弾とね、魚雷とでね、長さも違うし直径も違うわけですよ、ね。だから投下器のとこ、投下ハブっていうか、これを押さえるその器具も全部そっから取り替えかないかんわけです。

だからね、そういうことをねあの人たち自分でやっていないからねわかんないんですよ。 それをわたしは原因だ、簡単に考え、やる命令出しているのね。

あと5分あればっていうのはなんかっていうと、全部発艦が終わって、母艦には飛行機はいなかったということをいいたかったんだと思うんだけどね。

何やっているんだ、みんな、そんなに簡単にね、あの、それが飛行甲板の中ですよ、帰ってきた艦爆もいる、それそんなかでね片一方で油積んで、束(弾薬)積んでいるとまあやっているわけですよ。そんなとこでね、そのね、ひろっぱらかなんかでやっているようなねことをね考えているからだめですよ。だから自分がやったことないから、それをね。だからわたしは、これはヤバイと思ったら案の定その、5分間どこの騒ぎじゃないですよ。2時間半かかってもまだ終わらないんだから、チェンジはね? しかもその、下ろしてさ、魚雷、これだけの魚雷をね、5メータ半もある魚雷、これをね台車の上でね、台車でもってね、カジを切りながら錯そうしている飛行機の中を縫うようにして、とにかく弾薬庫までとても時間ないもんだから、全部両側へ寄るようにとやっているわけですよね、作業は。 それでとにかく爆弾に積み替えると。わたしはねこれはねえらいことになったと思います。 だが、もう搭乗員待機室から時々見に来たのがもうずーっと、時々、でなくて、なんか平均に、おいなんか、「手伝うことあったら手伝うよ」って言ったら、「いやいや、搭乗員はゆっくりしてください。わしがやるよ」そんでもうね、やった。

まぁ2時間半たってもまだどうにもならなかったね、うん。なかなかね、5分間の最後である、勝負であったなんていうのはちょっと。

だからこれがね、ちょうどこれもドーントレス(米軍の艦上爆撃機)としてはね、もう赤城・加賀の要するに日本の空母の集団のとこへ来たときにはですね、もう燃料はほとんど帰る燃料考えねばならん。帰りの燃料を考えるとちょっとね、ここでもたもたできないという非常にせっぱ詰まった段階だったそうです。

それで、どうするつもり、士官連中はね、全部その日本のゼロ戦が敵のアメリカの飛行機を落としているのを、手を打たれて見ている。艦橋にはだから、上を向いている人間はいない、ね。赤城の場合、加賀からの場合よ。だから、あとからね。終わってから。やっぱりね、ほとんど見張れん、だめだ。見張るのも双眼鏡とね、肉眼で見ているんだからもう朝から目は真っ赤にして見た。

それで、「敵艦爆、敵艦爆」、こう言っていると、その声に応じて、艦長はカジをどっちかに切られないかんわけですね。

ご承知のように赤城は、左艦橋、加賀は右艦橋ですから、とにかくどっちの飛行機もだいたい相手をね撃って逃げるか、落としますからね。これは加賀の場合はもうちょっとそれると、海、海の中という状態だったんですがね。それはちょうど運悪く艦橋のちょっと左のほうへね落ちて、このために艦長以下、3人か4人ぐらい士官、士官と飛行科の士官で残ったのは3人か4人ですね。あとは全部即死状態だった。艦橋に全部おったから。

赤城の場合はね、艦橋には全部死んだであるって、かなり士官残ったんですけど加賀の場合はもう3人しかいなかった。全部正規の兵学校の士官ばっかり。

でわたしは、ラッタルをね、キュッと上がったら全然、もう全部駆け足で下りるったってそんなに早いほうじゃないですけど、そのいちばん下からね10段目ぐらいのところへ来たときに左舷のにドーントレスがね、1機爆弾を積んだまま撃墜されているんです。つまりねそれはだからもう撃芯がね恐らくオフ、オンになったんでしょう? 
で、爆発したんですね。たまたま運悪くその、わたしが階段のちょうど下りる最中にその左のね、関節の上をね、そこに落ちたやつが弾いて破片が飛んできたんですね。

Q:おう~ じゃどんな傷なんですか。

うん、それはもうね、これがそうです、これ。これね。こっからね、これをこうV型に切り裂いてね、そしてこっから出ていったわけですね。

わたしはね、ああこれはもう左やられたからここかと思った。ここだと思ったわけ。もう自分の感覚でね。だからこれはもう足切らなきゃいかんなと思ってね。うーんどうもこれ、足切るのも嫌だし、どうせこれ命あるかどうかもわからないしと思って、まあそれは、ドーンと落ちたわけですよ。だから、これどっかね、ほか骨折しとっているといかんと思って、こっちは骨折していないとやったね、別にどこにもないから、あっこれはまあなぁなんとか骨は大丈夫だと、それでみなねバーッと飛んで来てね、そんでね、「前田大丈夫か」ってこうして、すぐマフラーしていましたからね、絹のマフラーでこうしてこうしっかり止めてね、これでただ、ただ止めただけでは血はとまんないんですよ。こういうね、棒をね用意しといて、棒をこう結び目に突っ込んでね、これをねじるんです少しね。こうするとね血が止まるんですよ。一応これ、しかしもう手がつまれるだけですね血流が止まっちゃうんだからね。しょっちゅうはできないんだ、そいつ緩めてねまた強くして。

そうそう、海の中へ飛び込んだんです。海の中へ飛び込んで、だってボートもなんにもないし、みんなが飛び込まないとね、救いようがないから、駆逐艦はとにかく具合の悪いものは全部海へ入ってくれと、ボートを出すからという信号をね、手旗信号やっていたからね。だから当然みなわたしはね、自分で飛び込めないから、ほっと、よいしょと言ってね、ほうり投げたわけですよ、それで海ね。

それでもうとにかくあとは大の字になってね、運を任して天に任してね、浮いていりゃいいやと。ただ出血は止まる時々さっきいった棒ね、ドライバー辺りのね、ドライバーをピュッピュッとねじってね、時々緩めたりしながら、3時間ぐらいいました。

そんなことよりもね、「はて、これからあとどうなるんだ」ということが一つと。あとはね、まぁ、ボートが下りていよいよ、なんか来そうだなと思っていたときなんかは、まぁそういうようにどんどんどんどん頭が行くからね、とにかく船へ乗って、それで今度は同期生がね、肩へ担いでね、2人で、階段上がって、で、駆逐艦の甲板で、「『加賀』を今から沈めるから皆見とれよ」という放送をね、艦長がしたから、わたしも「ぜひ見たいから」って言ってね、2人同期生やって。2人ともね、もうそのまま2人とも死んじゃったですね。

Q:それはどんな情景だったですか。

まぁもうね、ほとんどね、『加賀』の場合はね、水平を保っていましたね。スッとね、要するにこうなったりこうなったりしてなかった。本によるとね、「傾いていた」っていうようなことを書いてる本あるけどね、わたしが見た目ではそれは錯覚であってね、もうほとんど水平だったです、水平のままこーう沈んだですよ。

あれは涙出ましたよ、うん。だからね、まぁ半年以上ね、まぁその、『加賀』の乗組員になってから1年以上なるわけだけど、実際母艦で乗って戦争したのは、真珠湾行くときと、それからその単冠(択捉島・ヒトカップ湾)行くときと、真珠湾まで行くときと、それから今度ラバウルまで行くときと、それからラバウルからずっとね、やっとるというようにね、ずーっと、こう頭の中をよぎりながらね、「いやぁ、あの船は沈むんか」と思ってね。

そうしてね、いろんな大事なものがいっぱいあの、あれベッドがね、木製ベッドでね、2段になってるんですよ、それが2つ、上へ寝る人間の分もね、下へ寝る人間の分も引出しがかなり大きな引出しがあってね、そこは衣装箱になって、その中にいろいろ大事なもんが入れてあるわけですよ。だから、わたしは、親いないから遺書も書かなかったし何も書いてないけどね。まぁ遺書は書いた人間は、ほとんどその中へ皆、遺書を入れとったらしいからね、そのまま沈んだわけですね。

呉へね、夜入ったんです。ところがね、まぁ夕方その6時か7時だったですよ、だからね、「どうしたんだい」って言ったらね、看護兵がね、いや、そうじゃねぇんだ。

その前にね、今度はね、病院船が迎えにきたわけ、『長門』がケガ人をね、呉で下ろすというとね、ちょっとまたまずい、周りから見えるからね。

それがわかるから、それで病院船が迎えに来て、で、四国の沖で病院船にまた重症者は全部『長門』から移して、それで病院船が、今横浜に停泊している要するにあれですよ。

Q:氷川丸。

氷川丸。うんうん氷川丸がね、いい船でね、あれは病院船だったんです。それで呉へ入った。で、呉へ入ったけども、夕方に入ったんだけども下ろさないわけですよ。

それで「なんでや」って言ったらね、要するに「人が通らなくなってから下ろすから」と言ってね、要するに秘密にしてるんでね。それでまぁあの、行って。それで、呉の病院に入るときも裏口からね、裏口から入る。もう敗残兵はそうなってくる。
で、もうすぐ病室がね、全部ほかの患者を出してね、とにかくそのミッドウエーだけの患者にして外界と遮断しちゃった。で、看護婦も全部外出できねえ。その、それを知ってる看護婦はね、出さない。

7月、7月の末ですが、7月の末にね、突然、「あした山本長官が非公式にね、まぁ「非公式」っていうの「隠密に」というでしょ、隠密に見舞いにお出でになるんだ。皆、失礼にあたらないようにしろ」という通知がね、軍医長から来ましてね。「あ、そうか。じゃあ山本さんもいよいよ司令長官辞めるんかな」とわたしは思ってね、いたんだけど。

そしたらその当日ね、来ましたよ。いつもならね、幕僚連れてズラッと連れてくるんだけどね、隠密だから副官だけ連れてね、副官1人だけ連れて。それであとはその病院長が1人ついて、3人でね、ずーっと病室の中をね、ひと通り見て、それであの、別室に個室にね、士官の、うーん、あれですね、1人、全身ね、顔ヤケドして手こんなんなったのと、それとさっき申し上げたあの、真珠湾のときの指揮官やったあの、なんだあれ、あの人の名前すぐ忘れちゃうんだけど。

ああ、淵田美津雄(空母・赤城飛行隊長)。あれと2人が士官用の病室で寝てたから、同じフロアですからね、それを見舞ってそれから来たんでしょう。で、ずーっと行って、ちょっとこの枕元に名札がついてるわけですよ。ただし、船の名前とかそういうあれはちょっと、ただ、階級と名前だけ書いてあるんだね。

で、わたしは入ってすぐの列のいちばん窓側のいちばんいい場所で、いちばん階級が上やったからそこで、わたしの前へ来たときに初めて止まってね、それで名札をジッと見て、で、「前田兵曹は真珠湾から『加賀』か」って言うから、「あ、真珠湾から『加賀』の雷撃隊です」って言ったら、「あ、ご苦労かけたな」ちってね、それであの、「早く治ってまた働いてくれ」つってね、それであの、スーッと行かれた。それをわたしはありあり覚えてるね、「あの人は律儀な人だな」と思ってね。

ほかはもうね、全部下士官はほとんど格納庫でケガした整備科の下士官でね、あとは皆もう兵隊でね、搭乗員はわたし1人だったわけですよ。搭乗員は死ぬかケガしたかどっちかということでね、まぁあの、搭乗員は死んだのたくさんいるけどね、ケガは、わたしみたいな大きなケガしたのはわたしだけなんですね、恐らくあの全体の見てね。

Q:じゃあ、その病院の中ではやっぱりこう、負け戦だったことについていろいろ話。

いやしない。「一切その話はせんでくれ」と、班命があるね。  室長というのがおってね、そう言ってました。で、看護婦もね、長い間外出止めにできないんで、だから外出するときには必ずね、口止めしてね、外出したって。

出来事の背景出来事の背景

【マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県・鈴鹿海軍航空隊~】

出来事の背景 写真昭和18年(1943年)9月、日本軍は本土防衛のために絶対に確保すべき範囲「絶対国防圏」を設定。翌19年5月には、アメリカにちなむ「あ」号作戦計画を発令。島々にある基地航空隊と機動部隊が、進攻してくるアメリカ機動部隊 を迎え撃ち、劣勢を一気に挽回しようとする作戦計画だった。この計画を基に、昭和19年6月、日本から南へ500キロのマリアナ沖で海戦が行われることになる。
マリアナ沖海戦の一ヶ月前、日本機動部隊はフィリピン南西部タウイタウイ島に集結。ここで燃料を積んでから出撃しようという作戦だった。しかし、周辺には米軍の潜水艦が頻繁に出没し、日本機動部隊は爆弾投下の訓練はおろか、洋上での飛行訓練もできない状態であった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
福井県大野市に生まれる
1938年
横須賀海軍航空隊に入隊、霞ヶ浦海軍航空隊で訓練を受ける
1940年
飛行練習生として鈴鹿海軍航空隊で、偵察員の教育を受ける
1941年
空母「加賀」に乗り組み、艦上攻撃機偵察員として真珠湾攻撃に参加
1945年
終戦、鈴鹿海軍航空隊から復員

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