ホーム » 証言 » 中井 昌美さん

チャプター

[1] チャプター1 「ジャワの極楽 ビルマの地獄」  03:03
[2] チャプター2 敗退の兵  06:56
[3] チャプター3 死をみとり続けた衛生兵  04:05
[4] チャプター4 一人でも助けたかった  04:30
[5] チャプター5 戦地であらわになった軍隊の理不尽  01:48
[6] チャプター6 負傷者にも容赦ない攻撃  00:49
[7] チャプター7 困難を極めた負傷兵を抱えての退却  03:51
[8] チャプター8 川に流される病の兵士たち  02:23
[9] チャプター9 終戦~武装解除  03:17
[10] チャプター10 2年にわたった収容所での暮らし  03:13
[11] チャプター11 3年半ぶりの帰郷  01:32

再生テキスト

わたしら下のほうやからね、あんまり状況詳しく知らんですよ。どこへ行くかも知らんなんですよ。シンガポールに上がって、それで今度、シンガポールでしばらくマレー半島の警備に就くということは聞いたんですけれどもね。それでマラッカというところへ行ったでしょう。それでマラッカに2、3、4と3か月ぐらいおりましたかね。そしたら今度、またビルマへ転勤、転属、前進という命令が行って、それからまた。

Q:ビルマでは転進って言われたときにどういうお気持ちでした。

「ああ、いよいよ来たな」という感じやね。我々マレー半島へ行ったときは、もうマレー半島は完全に日本のものになっていましたからね。制圧して。もう敵さんおらなんだから、英軍はね。もうビルマに皆逃げ込んだから、そのビルマに逃げ込んだのを今度追いかけていって、菊兵団っていうのか、九州の兵団が追いかけていって、もうだいぶ真ん中以上に追いかけたんだけれども、それから先がもう何もかもが状況が悪うなってきて、食料が続かんでしょう。それで兵隊が死んでいくでしょう、弾薬がなくなるでしょう。そしたら敵の飛行機が増えていくでしょう。戦車が増えていくでしょう。敵のほうが優勢になって。

Q:ビルマに行ったら帰ってこれると思っていましたか。

まぁ、恐らくあかんやろうと思いました。「もうこれは死にに行く場所やな」と思いました。

Q:やっぱりその仲間の中でもビルマっていうのはそんなにいい場所というふうには思われていなかった。

ああ、みな、こういう具合の表現が出たんですよ。「ジャワの極楽、ビルマの地獄」ということをみんな評判が立ったんです、その時分に。それで、ジャワは極楽で、戦争らしいところは、占領はしとるけども、日本軍がいて押さえておるけども、敵さんは誰もおらんのや。そして物資も豊富や、気候もいいし。ところがビルマは逆に物はないし、敵に追われるし、土地は悪いし、ともかく地獄やと。それで「ジャワの極楽、ビルマの地獄」ということは評判になりましたわ。そうすると、「これは地獄に行かんなんなんや」っていうわたしらの考えで。

あのね、負傷した者がね、手当てもできずに、それから軍服は破れしだい、もうどうかすると、靴なんかにもひどいのは底の抜けたの履いているようなのがおった。鉄道線路へね、鉄道線路の際をわたし、歩いたんやけどね、なんかこう見たら「犬かな」と思ったらそうじゃないんです。もう足が動かんでね、ここからこれだけね、自分で竹でつえ作ってね、まぁ、こう持たして、それでちょんとやってずるずる、ちょっとやってずるずるとお尻でね、前へ前へと前進した、そんな兵隊がおりましたよ。いつ、そんなものどこまで行けるやらわからんでしょう、半ばほうっておくみたいなもんで。まぁ、誰も助けてやれんですな、あれも。ほかの、自分の部隊ならまた「おう」とこう声掛けれるけど、よその知らん部隊やしね、わからんがね、どこへ行ってんか。かわいそうな話や。

それでふっと渇いて水飲もうと思うとね、2、3人、こう水場で死んでいるんですよ。水飲みに行ってそのまま死んだんか、何か知らんけどね。これはもう悲惨なもんやったですよ。

そして、ウジ虫がわいてね、それでこの戦死者の処置ね、これがなかなか行き届かなんだ。後ろから衛生隊とか、野戦病院が付いてこんなんやけど、もう付いてこれんのやね。ほやから患者はもうほうりっぱなしや。もう行ったところ倒れたところで死んでしまう。わたしらもだけど最初は「ここにおるな」って言うてね、行ったでしょう。そして、何かの拍子で1週間ほどしてまたその道帰っていったでしょう。骨になっていましたよ。洋服は着とるけどね、出とるところはみんな骨ばかり。それが虫とかハエとか、あちらにはいろんな害虫がおるでしょうな、アリとか。みんなその死体を食べてしまうのやね、肉を。そやから骨だけズボンのすそから骨が、ここから骨がにゅーっと出とるだけ。そんな死体を幾つも見ましたよ。

Q:まぁ、中井さんは。

18師団の中で菊兵団がいちばんひどい目におうたんじゃないですか。

Q:中井さんは衛生兵として行かれているわけですけれども、そういうほかの部隊を助けるっていうことはできないもんなんですか。

そりゃそうやわね。そんなもの、命令がなければ動けんもん、どこも。勝手に行かれへん。大隊長の横に軍医さんがおって、そして国境の戦闘で負傷者が出たから、「お前は夕方になったらその負傷者を」拾いに行くっていうと語弊があるけど、「連れてこい、探して」、もうそういう命令を受けれなんでしょう。そうすると、そのときはね、もう兵隊1人連れてくるんですわ。そして牛車って言ってね、牛に引っ張らす車があるんですよ、荷車ね。それを1台わたしに貸してくれる。そうするとこんな車ですよ、牛車ってこんなに大きな動かす、こんな、こんな車なのね。そして台があって、それでちょっと荷物乗せる。ダイハチのちょっと幅の広いみたいなのね。それを牛が引っ張るでしょう。そうすると古いもんやからね、もう暗くなってから出るんですよ。7時、8時になってから。「方向はこの方向、この辺が川があるから、この辺で2、3人やられているから、それを見てこい」って。

行くでしょう。そうすると、牛車がこう動くんですね。牛車古いでしょう、そうすると心棒が痛んでおるからね、1回、1回転するとね、やーってやるとギーって言ってきしむんですよ、音が。それがバリバリバリバリと向こうから撃ってくるんですわ。もう見えんでしょう。ジャングルの中やし、真っ暗やし、電気もない。もう細い細いこの道をたどって、ぐーっと牛車動かすでしょう。だーっと2、3歩歩くとギーギーギーギー、それでしばらくすると、またギーギーギーギーって、何かどっかひっかかるんやな、あの車の古いものやから輪が。そうすると、音がする、バンバンバン、バンバンバンって機関銃を撃ってくるんだね。まぁ、カシャーッとこう頭の上を、暗いですからね、敵も目標がわからんのや。音がするさかい「来た」と思ってもうめっぽうに撃ってくるんやな。だからヒューヒューヒューって頭の上へ飛んでくる、弾が多いわ。まぁ、恐ろしかったわ。
そしてどうにか2人だけ見てね、乗せて、で帰ったんですよ、連れて。もうわからんのや。

それでね、下痢っていうか、赤痢っていうか、もう何でも食べるでしょう。そやから腐ったものでも食べたり、毒なものでもわからんから、わたし、猿も食べたし、それから蛇も食べましたで。豚肉やら、鳥なんていうのはもうごちそうのうちやけど、もう食べ物がないと蛇やら猿も食べたことありますけんね。そんなんですわ。

薬をあてがおうと思ってもないんですよ。そうすると、下痢しとるとね、その下痢を止めてやりさえできない。飯盒(はんごう)炊さんっていって、ごはん炊くでしょう。そのときの脇の燃えかすの黒なった炭みたいな、それをわたしはこう持っていってね、ばーっと細かく削ってね、こうして粉にして、もう粉っていったって上等の粉やないよ。ばらばらした粉、それを無理やりに飲ますんよ。そうすると、下痢止まるの。もうそれよりなかったね、下痢を止めるのは。

マラリアは特殊なもんやから、これはもう薬でなきゃ止まらんし、ひどいのになると、これはもうね、40度の熱が出て何しますけれども。そんなのはもう後方へ、後方へと送らんなんわね。

そのときはね、わたしらは個人的に動くっていうことできんさかい、軍医さんと大隊長の幹部のおるところの近くにおって、それで「あすこに患者が出たから、連れに行け」とか、「ここにマラリアがなっとるさかい、薬やれ」とか、そんなことで動くだけですね。

それで、サーモには大きな砂糖工場がありましてね、そこにこんな大きな砂糖の原料か何か知らん、ドラム缶が20、30本並んでいるんですよ。それがもう腐りかけてとるんでね、中からどろーっとその原料の何か知らんけどちょうどあめみたいなね、黒砂糖のあめみたいなのがだーっと。そした川を通じて流れて出るんですよ。甘いんでね、それをみんなそのもう甘いのを欠けとるでしょう。ちょっと触ったって甘い、「おいしいわ」って、それ食ったら必ず下痢するのに決まっとるのに、もう腐っとるんやろうねえ。そんなあれやった。

それから、マラリアとその砂糖工場の官舎、官舎っていうか、兵舎みたい、こう、従業員の家があったんですよ、バラックの。そこへみんな寝かしてね、わたしがそこの宿舎に寝て、軍医さんは朝くるけど、ちゃーっと患者を診察して帰ってしまうの。わたしはここにおって、一日中、「ああ、頭痛い」、「しょんべんしたい」、ああ、何したいって、動かれんさかい、おしっこから、便所からみな尻までふいてやるような状態ですよ。そんな仕事ばっかり。

そこでもって死んでいくやろう。そうすると、軍医さんが来て「あかんな」って。そうすると、わたしはまぁ、ここのところばーんと切ってね、小刀で。それでいついっかなになにの兵隊が死んだって名前ちゃんと控えて、そしてその指と一緒に持っとるんです。薬の箱に持っとるんです。そうせんと、記録がないから。その死体を今度、官舎のその倉庫の横のとこ、溝みたいなのを掘ってそこへ埋めてやるんです。

Q:どこを切るんですか。

この手。

Q:手のどこ。

ここ、小指をこう落とす。ぼーんと。そんな大きなところ落とせんもん、なかなか、骨がかたい。

Q:何で落とすんですか。

軍刀やね。わたしは軍刀持っているでしょう。それを台にやってこう持って、やってやると、落ちますげね。

Q:それが証拠というか。

あれがお骨やね。焼いていきたいけども、焼いとる時間がない。生や。それを持っとったけどね、もうそのカバンどっかに吹っ飛んでしもた。途中でなくなって。記録だけ残しておったけどね、ちょっと。そのあと、すぐ、その係の人に言うでしょう、「誰それがどこぞで死んだ」って。その骨なくても、記録だけすぐ報告しておかな、どこで亡くなったかわからんわけね。そうすると、連隊であんたに帳面あげたでしょう。ああいう人がおって、あれがちゃんと記録しいもん。そうすると、もう骨がのうても石ころ入れといてもよろしいがな。そういう話があったがな。石ころ入っとったってな。あれはまともにとれへん。今、そこに敵が来てるっちゅうのに、自分もやられるかもわからん。

そしたらその最後の戦闘が終わったときにね、戦闘の、あれは何キロぐらいあったかな。3キロあったかね、山道、象のフンがこんなして落ち取るような山道をわたし、一人でね、まぁ、「中井、お前は10中隊の」、カナモリさんか、あの人は10中隊やったな。あの人が中隊でな、戦闘に出ておった。そこへわたしの本部の誰かが派遣されて行っとった。それがもう病気で動けんし、「もう終戦になって帰らんなんけど動かれんさかい、お前が行って連れて、本隊は今晩」、ここからここへ。

そしたら、その10隊長の中隊長が「よう来てくれた。本日はもうマラリアで動けんから」、マラリアでのうて、マラリアでなしに下痢で、ともかくもお尻から血の出るほど下っているの。それを「連れていってくれ」って。兵隊1名貸すという。それで兵隊1名、達者な兵隊1名をわたしに付けてくれたんや。
 そやけど、そんな1名くれてたってね、担架はなしね、どんなしていくやら。それでもう考えた。その兵隊にわたしの持っとった道具、それから病人の道具、背中の背嚢(はいのう)やね。銃とか、もう銃なんてもう持てんさかい、それでその兵隊、派遣されたその1名の兵隊が2人分を背負って、自分の分と3人分だわな、それでわたしのお尻についてくる。

わたしはその寝とる患者を起こして、巻脚絆(きゃはん)を外して、それで両方で背中におぶって、巻脚絆でおぶいひもこさえて、それでそれを負うて山道をやな、夜の夜中に、朝までにそこに着かにゃならん。そこから骨が出て、向こうの川へ渡れんね。「甲兵隊が待っとるから、その川のところまでこいと。もしあんまり遅なると、もう甲兵隊が船を引き上げて向こうへ行く」と。終戦のときには弾を撃ってこんでしょう。もう敵はこんでしょう。飛行機はこんでしょう。なん普通の道歩いているのと一緒。なんや関係ないのや。ただ、気持ち悪いだけで。

でも、山を一山越さんなん。越して下へ下りたところが川や。それを負うてね、もうあんで夜の9時ごろからずっと夜明けの3時ごろまで負うたかね。その患者がね、5分間背中におるとね、「ちょっと下ろしてください」って言う。何やって、「便が出る」って言う。「ああ、ほうか。そりゃ便が出るとどうもならんな」って下ろしてやるでしょう。ずっと見とるとね、びーびーびーと出るんですけど、鼻血が出たみたいに赤い血がぽろぽろっと落ちるだけ。「どうや」、「もうよろしい」って、「ほうか」って。負うでしょう。ずっと歩くでしょう。10分になると、また「下ろしてください」って、また下ろす。夜中じゅう、そうして歩いたんですよ、下ろしながら、また負いながら。えらかった。あのときはもう死にたかったわ。そやけど、一人の生命助けなあかんさかい、「わたしの任務や」と思って、「衛生兵の最後の任務」って、わたしの本に書いてありましたやろう。あれがわたしの任務やと思って頑張って、「この人助けなあかん」と思って、そしてその山を下りて、どうにか本隊に着いたんです。もう苦労しましたぜ、あのときは。

もう戦争済んだったから、敵に襲われる必要はなかった。そやけどその距離間を大きな人間を負うて、もうふらふら、自分でもふらふらしとるんのにやね、それを負うて。何とか言われんわ。そんなことで経験です、わたしらの衛生兵の。鉄砲でこう撃つやなしに、要するに患者の処置にね。

戦闘機は来るよ。こんな話言うと、悪いけどね、わたしらの壕(ごう)の穴の近くにね、大隊長って、もう偉い人ね、軍医さんやら偉い人、5、6人おるんですよ。そこの横のところちょっとこう防空壕を掘ったの。飛行機が来たらここへ入らんなん。

そうしたら、わたしも近くにおったんやけどね、わーっと低空で入ってきてね、ばんばんばんばんばんと音したでしょう。そしたら、そこのところに1人兵隊がね、いちばん先にその壕へね、ばーっと走って入り込んだんや。そしたらその次ね、大隊長っていうのが、大隊のいちばん偉い人やな、大尉。その人は自分も入らなきゃあ、先に1人入り込んだでしょう。何ちゅうたと思う。「兵隊がなんだ。いちばん先に入ることをならん。偉い人が入ってから兵隊が入れ」、まるで自分の命が先に大事みたいなして、「こんな世の中かな」と、わたし、あのとき思ったがな。兵隊も命は一緒やろうと思ったけど、どうやろう。

Q:どう思われますか。

どんなに思ったって、「何と偉いという人は勝手なこと言うな」、命はな、兵隊でも、兵でも何でも、上も下のう、変わらんと思う。恐ろしさは変わらんと思うのに、それがあかんと言う。「兵隊はあとに入れ」って。偉い人先入って、壕の中に隠れるのに。

撃たれたら撃たれたで。お寺のね、ところにちょっと病人集めてね、看護しておった。そこへお寺にバーンと爆弾撃ってね、本堂がバーンと吹っ飛んだんですよ。そこで余計死んだけどね。わたしもお寺の下の縁の下のこんな大きな土台石の横にこう、それでその土台石で助かったんや。本堂の上、みんな飛んで焼けてもた。その近くにおった人は兵隊、病人で寝とったあれはみんな死んでもうた。

うん、でね、この部隊はこのまぁ、「ここから敵さんはあした必ず来るから、もうここからどきなさい。後ろに下がりなさい」っていう命令が来たらね、軍医さんがね、動けん患者を診断して歩くの。もううーうーうなってね、もうどうにもなんもせん。そうするとね、「あんた、あんた」と。そうすると、もうここで寿命を渡されるんだよ。要するに「あんたはもう、みんなここを出るけど、もう覚悟しなさいよ」と。手りゅう弾をみんな持っておるでしょう。これ、ばーんって。残していってしまうの。そうすると、敵が入ってくるでしょう。手りゅう弾でばーんってやらにゃあ、しょうがないがな。それかもう命寸前っていう、もう生きとるか生きてんかわからんっちゅう患者、これは防空壕やらね、爆弾壕へみんなほうり込むの、だーっと。そしてもう埋めて、それでいってしもう。そうせんと、荷物なり、行軍ができん。逃げられへん、ほかの者が。

Q:いつぐらいの話ですか、それ。

それ、7月からずっと戦争終わるまでそうやわ。その場所、その場所によって違うけど。もう今晩ここを撤退っていうと、それが始まる。なるべくみんな助けて連れていってやるっていう人は連れていってもらうけどね。もうどうにも動けん人は「もう手りゅう弾で自爆してくれ」って言うて、「敵が入ってきたら何とかせいよ、覚悟せいよ」って言うて置いていかなしゃあない。そうすると、敵が入ってきてやれてばーんてやるか、自分が白旗上げて敵に降参して、敵のほうに助けてもらうか、そんな人もおりましたわ。

「軍医さん、これは無理やから、おってもらわなあかん」とか、「これはちょっとみんなで手引っ張ってでも連れてってやってくれ」とかということになると、まだ丈夫な兵隊に頼んで、「これも一緒に連れてってやって」と。わたしは何人も一人で連れていかれんだけね。

「ああ、気の毒やな。もういよいよこれはこの人はここで死なんなんな」と思うな。そやけどやっぱり自分の体がいちばん大事、命惜しさけえ、かまとられんわなあ、人のことまで。「そんなこと言わんと連れてってー」って泣くような者もおるしなあ。

戦争というのはもういやおうなしやで。「そんならちょっと待っとれ」っていうわけにいかんのであかんわ。「あした迎えにきてやる」っていうわけにいかん。どっちがでやられるわ。敵にやられるか、自分が死ぬかや。敵にやられりゃ名誉の戦死やけ、捕虜になったら恥やし、今度は。「日本軍人として捕虜になるべからず」という何かこの戦陣訓にも出とるさかい、恐らく根性のあるやつは自分で死ぬやろう。「どうでもええわい。捕虜で笑われてもええわい」っていうやつはもう捕虜になるかもしれない。捕虜になったのもおる、脱走してな。

わたしも1人ね、10人ほど連れてね、次の病院へ送っていくときね、マラリア途中で出てね、それでもうあおむけで死んで、そして今度、川が雨季で増水してね、いつもぺちゃぺちゃやった水やのにね、もう雨季になるともう3倍も、4倍も、背立たんほど水が流れるでしょう、ビルマ辺りは、半年も続くから。

そこを渡らんなんの。そうすると、病人でふらふらしたのは渡れんわいね。わたしも1人手引っ張って渡ったんやけど、何かつまずいたらね、手が外れたんや、患者のほうが、ふらっとなって、つないでおった手が。まだ濁流やから「あーっ」と流されて、ほんでしまい。もうどこへ行ったかわからん。そんなして死んだ人おる。名前はちゃんと控えてあるさかい、誰ってわかるけど、助けようがない、もう。足もうぽんと、激流やから足すくわれるとね、もう立っておられんのや、たーっと足すくわれて。たーって・・・と、わーっと流れてしまうのや。

それはもうみんなああいうところで苦労してますよ。もう終戦前にね、あっこのビルマの西のほうが敵に包囲されて山にね、何作戦って言ったな、何じゃ集団っていうのは、看護婦もおったし、もういろんなのがおってね。それが今度、川を渡ってこっちへ、我々が援護しとったんやけどね。まぁ、かわいそうなもんやった。もう、何ともみんな川で流されて、流れていくのを目の前に見たよ。そこら船を探してもないでしょう。だから竹切ったりね、木切ったりしていかだを作ってね、3人か4人でその木にぶら下がってこっちに渡ろうとするんだけどね、激流が激してね、途中でみんな流されてもう。だーって、もうそのままやったきりや。

それでも、終戦と聞いて、「やれやれこんで命あったな」と思ったな。「全部武器を返納せい」って言ってね、あれで返納したで。そうしたらわたしらも軍刀下げておったけれど、インドの兵隊、黒い兵隊が出てきて、人の軍刀取って、どうとかこうとか自分のものにするやら持って帰る。時計は取られる、万年筆は取られる、もうちょっとしたものみなそのときの武装解除で取られたわ。

そういう銃、鉄砲とか大きいものはみな山にして積んだけどね、小さいその個人的な物はみな兵隊自分で持って帰るんやな、あれは。お土産やと思って。

Q:やれやれと思いましたか。

ああ、思うたな。「こんで命あったな」と思った。ほやけど、「日本へいつ帰れるかわからんな」と思ったわ。そのとき、終戦のときこういううわさが立ったんや。もう日本は全面降伏したけれども、お前らは、兵隊はみなどこか、どこの炭鉱かしらんけど一生炭鉱へ連れていって、死ぬまで働かされるって。そう聞いたんでね、「わーっ、これやったらはよう死んだほうがましやったな」と思った。それはうそ、流言飛語でそんな話は出たよ。どこへ連れていくかわからないって。

そやけどやっぱり赤十字条約とかいろいろ軍の世界的な、そういう条約があるんじゃない。それにやっぱりイギリスも従うて、あんで捕虜優待したけ、いかったけど。

ビルマ人はね、日本ひいきやったの。わたしがビルマ入ったときね、ここにあるビルマ人こう言うたの。日本の兵隊さんは「こら、ばか野郎でようたたく。だめやって、そのたたくの。イギリスの兵隊さんはたたかんって。優しいって。そやけどイギリス兵士はそんなにいいかって言うたら悪いとこがあるんや。何やって言ったら、イギリスの兵隊は心が悪いんやって。そうやからビルマのいいものをたくさんあるとか、何とかかんとか言って、いいものは自分とこ持って帰る、自分のイギリスへ持って帰って、そして我々は生活は苦しいんやって。それで心が悪いんだ」って、そんな言うたビルマ人おるよ。実際そうかなと思った。

昔は英国の属領やったんでね、戦争前は。それはインドもそうやけど、ああいう東南アジアのああいうマレーとかああいうところも全部イギリスが統治しておったでね。独立せなんだげな。日本があれして初めて戦争が終わって各独立なったさけな。

作業やな。遊んでおればいいのに、朝8時にトラックが何十台って迎えに来るでしょう。そうすると「きょうは誰と誰と誰と」っていうふうなトラックに乗って、そして港へ行くと港の船が着いておって、タラップから荷物を降ろすこと、その荷物を担いで倉庫の中、こうやって運ばんなならん。

そういうところへ行かん人は鉄道のほうへ行って、駅舎の爆撃でやられて線路が曲がったり兵舎が飛んだり、いろんな機械が崩れておるところを・・・の何持って、あれ持ってね、こう、とんがったこう何て言うのや、シャベルか、持ってその鉄道の整備やな。そんなもの毎日、それから草取りとかね。

日本人は賢いさかいね、ビルマ人の監督しておるとこへ行くとね、「きょうはここからここまでは草取ってください」って言うやろう。そうすると「もう草取ったら帰ってもいいの」って言うやろう。そうするとな、一生懸命やるんや。それで晩の4時までやらないけど、午前中に済ましてもらって、「もう済んだで」って、それで帰るんや。任務を果たしたけん、向こうも言われんのや。そうすると明くる日行くとね、今度は増えておるんや、場所が。今度は倍になっておる。それでもすーっとして、早く帰ってこんやさかい。帰って宿舎で自己流の作ったマージャン、碁、将棋、こんなのみんな楽しんでおるやろ、はよ帰ってね。そやけん、もう作業へ行って要領のいいやつはすーっと帰るんだけど。

それから倉庫へ、英軍の倉庫へ、港なんかの倉庫へ行くとね、こんないろんなものあるんや。時計もあるし、万年筆があるし、化粧品あるし、シャツあるし、これを自分の欲しいものね、ちょろまかしてな、持って帰るんだ。そんなのおった。

わたしはね、この洋服屋しておったでしょう。だから途中からね、英軍、ミシン貸してくれたよ、ミシンを。わたしは洋服屋やろ。「もう作業なんて行かいでもいい」って、「その代わりこれ作ってくれ」、何作った、リュックサック。

自分らも今度、帰らならんやろう、船来ると。もう背中負うて帰るものがないやない。背嚢(はいのう)も何もないんだ、裸やさかい。着とるものだけやろう。袋やこういうもの、リュックサックやこうやってな、ビルマでためたもの、盗んできたものみな持って帰りたいのや。米もあるやろうし、塩も持って帰った。そういうリュックサックもな製造にわたしかかったんや。だから朝から晩までリュックサック作っとった。

Q:でも復員が決まったときはどういうお気持ちでしたか。

それはうれしいわな。「わーっ、帰れるぞ」って言って。「もうこんなところに向いてしょんべんもせんよ」って言うて帰ってきた。

うれしかったな、船に乗るときは。こんで日本に帰れると思って。
うちの、わたしの母親がここ焼けたでしょう。おやじと一緒に田舎に疎開したでしょう。そうするとおやじは死んだでしょう。もう3年間ほどひとりで田舎の生まれたとこで、自分の生まれたとこで隣の小さい部屋借りてここにおったんだ、ひとり。そこへ帰っていった。田舎へ歩いて帰ったの。誰も迎えにこん。突然帰ったんだ。知らんのやわ。

だけども、母親ももう歳いっておったし、父親が死んだでしょう。自分の婿さん死んでおるでしょう。それで息子が帰らんでしょう。ちょっとは。

出来事の背景

【ビルマ 退却戦の悲闘 ~福井県・敦賀歩兵第119連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争後半の昭和19年(1944年)、日本軍は、連合軍の拠点や輸送路を制圧するため、ビルマとインドの国境地帯に進撃。しかし日本軍は壊滅的な打撃を受け、退却を余儀なくされた。

この時、歩兵第119連隊3000人に命じられたのは、進軍ではなく敵に包囲されていた通称菊兵団と呼ばれる第18師団を救出することだった。

昭和19年6月27日、前線に到着した第119連隊は、連合軍を相手に初めての戦闘を行った。最新鋭の装備で襲いかかる連合軍。食料や弾薬などの補給をほとんど受けられず、さらには、マラリアや赤痢がまん延、およそ800人が病で命を落とした。第119連隊は、18師団退却の楯となりながら後退、昭和20年1月、日本軍が拠点を置く中部ビルマのマンダレーに到着。この時すでに3000人の将兵のうち、半数以上が帰らぬ人となっていた。一方、連合軍もマンダレーに迫っていた。連合軍は6個師団に2つの戦車部隊を伴った大戦力。対する日本軍は第119連隊を含む4個師団であったが、北部ビルマ戦で消耗し、兵力は半分ほどになっていた。劣勢に立つ日本軍の中には、マンダレーを放棄して戦線を縮小すべきという意見も出始めるしかし、ビルマ方面軍・田中新一参謀長は全面対決を行い、敵を撃滅する、という方針を変えず、イラワジ河沿いに陣地を築き、マンダレーを目指す連合軍を迎え撃つことを命じる。しかし、連合軍の圧倒的な兵力を前に、多くの兵士が命を落とし、マンダレーは連合軍の手に落ちた。日本軍は、さらに退却しながら、勝算のない戦いを続けた。

昭和20年8月15日、気力も体力も限界を超えたなか、終戦を迎える。第119連隊のうち、生きて帰ることができたのは、1000人足らずであった。

証言者プロフィール

1921年
福井県敦賀市に生まれる
1941年
敦賀の青年学校卒業
1942年
現役兵として歩兵第19連隊に入隊
1944年
歩兵第119連隊に転じ、ビルマ戦線へ
1945年
終戦当時、24歳、軍曹
1947年
復員後は敦賀市にて洋服商を営む

関連する地図

ビルマ (サーモ、マンダレー、クレ高地)

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