ホーム » 証言 » 佐野 満寿二さん

チャプター

[1] チャプター1 嵐の中の出発  02:32
[2] チャプター2 決死の攻撃 「斬り込み(きりこみ)」  08:03
[3] チャプター3 自活自戦せよ  01:52
[4] チャプター4 一人きりの退却路  11:19
[5] チャプター5 極限の途  03:17
[6] チャプター6 戦争の傷跡  05:38

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再生テキスト

いや、比島(フィリピン)いうことは分かっておりました。もう比島へ行くと、バシーから比島へ渡るいうと、あのバシーいうたらもうものすごいですけぇの。そいで、嵐の中をカタコンカタコンカタコンいうんだ、「どうしたんだろ」いったら、弾薬の積み込みを間違えまして前と後ろ、後ろへ弾薬を積んで前へ食糧積みゃええのを、前へ弾薬積んで後ろへ食糧積んだもんですけん、プロペラがブーブー、ブルブルブルーッとカラ回りするんだ。ほいで「こりゃダメじゃがなぁ」いうて言いよる間に、わたしらの船が、フィリピンのあの、こういうタコのいちばん先頭へ着いたんですわ。もうもっけの幸いで、「上がれ上がれ」いうことで、どんどんどんどんどんどん上がっていったんです。

こいつはどうするんだろうかなぁと思いよったよ。足らん。もう一つ南へ下った船が、あれが爆沈しちゃったわけですな。それは魚雷を受けて、それで大抵なら10分か15分ぐらいかかるところを、わずか10秒でスーッと沈んじゃったんですわ。それであれら来らん。

初めのなにはどんどんどんどん行きよりますけど、それから近くなってからは、匍匐(ほふく)前進で全員ぐんぐんぐんぐん、蚕(かいこ)が這うようにずーずーずーずー、みんなはうわけですわ。

Q:敵の陣地がどこにあるっていうのはわかるものなんですか。

うん、そう。すかして見るわけですからのう。すぐにわかるんです。
初めのうちはずーずーずーずー立って行動できるのやってて、近くなったら匍匐前進でずんずんずんずん、蚕が這うようにずーずーずーずーね。寄っていくんで、そうしたら前のがあんまり違うから、なにすくって。信号を落として、それで足震えよったらびっくりして。

Q:最終的な姿を見つけたときはちょっとどきどきしませんでしたか。

うん。それはめがけてくらね。兵隊なら大丈夫な。4人ぐらいしかおらんのや、4人か5人。こっちは10人からおるんですけん、1発撃ったって知れとるわ思う。またなにが、向こうが1発撃つのにひかな、ひかな、なんべん出るんよ。こっちなら1発撃つ、1発撃つ、こがねどないもならん。せやから5発しかない。

うん。それで5発撃ったら弾をこめないかんわな。逆を行う、弾を出してはガチャーと。

Q:敵が持っている銃はもっと性能がよかったんですか。

うん、もう。それは向こうは機関銃と同じぐらいの弾が出るんですけん。こっちは1発撃つのに30秒から1分かかるのに、向こうはパンパーンと引くごとになんべんでも出てくるんです。それかけたら銃から次々次々なんぼでも出るんよ。

進めとか、止まれとかいうのが、何も全然なしね。ただ向こうを見つめるだけで、それで足をつついたんですが、ちょいちょいおいおい、どうしたんじゃ言うて。そうしたら、なんにも言わずに敵の正面ですからな、ほんのすぐそばですから。それでどうしたんだら言うたら、なんにも言わんかんね。そないしてたんじゃぁわからんので言いよる間に米軍がボンボンボンボンと撃ったわけよ。あらら、これはやられたで言うて。

向こうはすぐ前に2メートルも1メートルもない、すぐ前へおるんですけな。それでなんにも言わずに震えとるわけですわ。初めてですけん。そやからなんにも言わんこげに。チョンチョンと合図を送ってくれと言うたら、向こうが合図を送ったわけで、バンバンバンバァーンと。そいつが1発目はそういう具合で前にボォーンと抜けたんです。

あぁそんなこと全然なし。血も出んのですけん。あらー、これは血が出んのにおかしいなぁ言うて

あぁ殴られたような、ゴゴーンと。それでこれはやられたなぁと思うたんですけど、血が出んのですが、ダァーッと。あら、これはおかしいなぁと思うて、それからさくじょうでもって抜いたら、スゥーッとこっち抜けたの。前はべらべらのひっついとるわけだ。これがどこを通ったんだろうかなあと思おて。しかしまぁいいあんばいにもう1発が胸へ当たったったら。

死んどるんかな。行けぇいうことになりゃぁ行かないけませんしね。勇ましく出ていったようになるですけど、実際、内心はあぁ嫌だなぁ、これはこういうような役目はあんまりよろしくないなぁと思うて、もういっつも。

うん、もう普通の普通です。全然なんやかんや、着とるものは軍服、ほとんど全部、銃剣だけですわ。それから指揮官は指揮刀だけですわ。

(米兵が)話をしたりなんやしおるのが十分わかるぐらい。すぐ近くですけん。そやから1メートル、2メートルもないですわ。

前おるのがなぁ。ブルブル震えたんですよ。それだからなんぼ足つついたって前へすぐ出きよるんですけん、なんにも言いませんよ。

それで足ここんとつついたもんですから、びっくり仰天して、それでそうしたら向こうがバンバァーンと撃ってきたわけです。

生きて帰ろうとかなんとかいうようなことは全然考えておりませんでした。

それはもう全然くれないようになってしもうた。それで糧まつはただし、糧まつは自分で補給せい言う。そやから師団の護衛いうても、糧まつだけは自分で確保しないけん言うて。そんなバカなことがだけん、あるもんに言うて、陣地についたんですけど。

糧まつは取りにいかないけんのですよ。それは取りにいけんのですよ。もうすぐ下へ敵が来てるんですけん。それでしようがないから芋づるをかけたり、わらびを取って食うたり、そういう野菜ばっかしをちぎって食うようになったです。そうしたらもうこのへんに食べるものがない。小隊の初めてもう死んだほうがましじゃが思うた。次々次々バカになるのが多いいうて。そやからここらへんの近所な、死んでる人はよけいあるんですな。

足が悪かったりするもんですから、もう全然連れて出られんのです。師団だけはとっとっとっとっ出てしもうたん。

わたしちの小隊が残ったもんは、それでその分、もうこれで最後じゃけん、ついて出るんならいま出とかなだめで言うて、言うてくれたのに、それからも10日はたってが、それからほんなら行くこうか言うたときには兵隊さんはもうほとんどラッパとそれからなにがおるだけですわ。連絡員がおるだけですよ。あれ、ほかの人はどうしたんやろかねと。ほかの者はどうしたんやかなぁ言うて。それから3人で敵の穴のほうへ行って、川だけこうしてはもう大丈夫じゃけん、川だけこそうて、そのときにラッパがおらんようになって、それから連絡員の兵隊がおらんようになった。ひとりぼっちになってしもうた。でもみんな何しよるんや。塩をなめるのに、自分だけ塩のなにを持っとるもんですけん、自分だけなめてるけん。そやからもう誰もよりつかんようになってしもうた。わたしのほうには。みなずるずるずるずる、ラッパもおらんようになる、それからそれもおらんようになる。それで一人ぼっちで山の中歩きよったんですが。

置いていく。もうしょうがないね。あれ、連れていきゃあ、食べる物を何とかして食わせにゃいけんからね。そやけ、師団も知らん顔した。それからあとから出てきた者、食べる分だけは自分だけで確保してね。だからきちがいになったり、ばかになったりしたような兵隊を連れていかにゃいけんわね。そしたらそれはいつの間にかおらんようになってしまうの。

それで、なんば畑へ出たとたんに、「やれやれこれで一安心じゃ」思うたら、なんばを食べ過ぎて、胸が苦しゅうなって、「どうしたらええじゃろうかな」と思うたら、こげんごとなって、それで吐いたんですけど、もうナンバもそう食われんわなあと思った。そしたら、やっぱり友軍が監視しとるんですが、鉄砲撃つんですな。友軍が、友軍を撃つんですよ。

うん。それでこんなやせたもんな、撃たんでも、もうちょっと太ったような、がっちりした者狙って撃てばいいのに、こんなよろけたようなもんでなけにゃあ、また当たらんと思うとるんでしょうが。

食料がのうても、食料があっても、やっぱり狙いを定めて一発撃てば、それは人間の肉ならだいぶあるんでしょうけれども、わしらのようなやせっぽちは撃ってどないなるんにゃ。

もう死んでもしょうがないと思うた。それで、サンゲンヤで待てど暮らせど師団も、連隊もこんにせやから、「そんなら奥に出てみようか」言うことで出たら、それこそがいこつがずらーっと。「ああ、これ、もうだめだわな」と思って。それで川を渡って、そしたら大雨が降って、それであすこら辺の川をすぐ増水するんですわ。だから流れてしもうがな。そしたら兵隊さんがたった2人、たった2人になっとるなと。「あれっ、他のはどうしたんや」言うと、「他のは渡らずに他のずっと出ていった」、「あらら」って。

それで、じっと待っちょったんですけど、何もかにも全部持って逃げてしもうとるにけん、「これは取られたらあしたから食べることがでけんなあ」いうて言うたんですけど。輜重(しちょう)隊のひったくりがおって、知った人がおって、それに「なんぞすまんけど、何かくれんかな」言うて、「何かくれんかな言うても上げるものは何もねえで、その代わりこれ、なにやらやったら」言う。「そんならこれ、どうかな」ってアテプリン(マラリヤ薬)出したら、「ああ、これなら大丈夫」。それでごはんが一食になるわけですが。

うん、「食べる物がないから、あんたたちも同じようによその兵隊さんですけど、食べる物がねえから人のものを取ったり、あれしたりすると、結局内地へ帰ったときに大手を振って歩けんようになるから、必ず大手を振って歩けるようにせにゃいかんで」言うてやかましく言う、よその兵隊さんには言うたんですけど。

寝るときに、おやじもおふくろも、「どうぞ生きて帰れますように」言うて。

ああ、毎日見よったんですね。毎日見よったのに、梅干しがはまっとったんです。それでそいつをなめなめずーっと歩いて「佐野さん、えろう元気ですなあ。元気ですなあ」言うて、元気のはずです、梅干し食べるから。このこれぐらいの写真を両脇のポケットに持っていた。

あれは雪の降る、雨も降る、雪も降る、そういうときでもおやじやおふくろは一生懸命に武運長久を祈って言ってくれたのに、ましてこんなことじゃだめだなと思うけど、歩いておったんですけど。

Q:この写真が心の支えになっていたんですか。

はい。やっぱし、晩には、晩いうても日暮れが近くなると引っ張りだして、拝んでおった。

それはもうこれがもう最後だと思うて、それで、拳銃で頭を撃ったら、こっちが抜ける。そういうなんで、バーンと撃ったら、それは空薬莢(からやっきょう)全部入っておった。空ですがの。カチャいうて、いうただけで、あとは全然何も。ドンともパンといわへん。

Q:そのときはどうして、もう自分で死のうって思ったんですか。

もう、これから先へはとても越えられんと思って、一人では。こういう坂道のこういうところを一人で行こういったってとても行けんから、それで、もうこれまでな、それは最後ですな。そのときに鉄砲の弾が出てくれれば死んだのですけれども、そのまま生きてしもうて、このころ、そういうことも考えんようになってしまいましたけど。

目の光るだけで、それで野獣のようになってくる。危険ですからね、よらんようにするんですけど。せないけんですけど。

ええ、普通の状態じゃないんです。それで、狙い撃ちして来るんですから。たまったもんじゃありませんが。そんなの見つけるのなかなかないんですけれど、向こうがボンボンと撃つから、ははぁこれはだいぶ遠いところから撃つんですからな。200メートルから300メートルぐらい。

Q:狙い撃って殺して、何をしようっていうんですか。

肉食うんですわ。肉を食うたり、もうほとんど肉食う。

「佐野さん、生きてることはいいことですよ。死んだら何にもなりませんよ」言うて、3人息子が行ったのが3人とも死んだのに、悪いことをした。

短刀で死ぬつもりでおったんです。そうしたら、オカヤマさんが「死んだら(何もなりませんよ)」いうことで「そんなのは意味がねえなぁ」いうて。それと、朝、昼、晩、雨の日も風の日もおやじがわたしのために拝んでくれたか思うと、かわいそうで、「ああこれは、今死んだらダメだわな」と思うて、そのときに死ぬのをやめた。

そうしたら、孫が4人も殺された**のほうから出てきたおじいさんが、うちのは4人も、4人も死んだのを、うちにこう帰ってきてもそう言われたときに「太っとんじゃなあ」言うて、栄養失調で水ぶくれになるんですな。それを、「よう太っとるで、これだけ太っとりゃあ帰れるわな」言うて話をしよるのを聞いて、「あー、こらもうダメだわな」と思うた。そいじゃけど、朝、昼、晩、わたしのために拝んでくれた父や母のことを思うとかわいそうで、あとに残して、かわいそうで困るから思うて、それで死ぬのをやめたんですわ。

わたし、申し訳ないことをした。そじゃから、もうそれから先は外へも出ず家にもう引っ込んだままで、このいすの生活を始めて。

もう、あれだけみんなに死ぬることだけを勧めてきたのに、その本人が遊び歩いたんじゃいけませんし。

部下の人が大勢死んだ、死なしたいう頭があるんでしょうね。この前も、「死んどりゃえかった」いって言いましたっけ。

そうそう。自分があの帰ってからでも、「死んだほう、あの山で死んどりゃいちばんえかったんじゃないか」いうて言いよりましたよ。ほいでも、みんな上の人には、おじいちゃんは、かわいがってもろうたふうですけどね。

Q:その何か責任みたいなのを感じたんですか、たくさんの人が死んだことに対して。

うん。もう、これはとてもな、生きとる自体が大変なことだろなと思うと、そうすと、よけいな命が続いていくような気がして。

もう生きとる自体が難しい時期に、なんでそのときに死ねなんだろうか、3べんも4へんもあったのになぁと思うて、指折り数えて、きょうのもうこの年まで生きてしまいましたが。

出来事の背景

【フィリピン最後の攻防 極限の持久戦 ~岡山県・歩兵第10連隊~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)1月、米軍は空母12隻を含む大艦隊で現れ、フィリピン・ルソン島に上陸。首都マニラと、日本軍司令部の置かれた北部に向けて進行してきた。

日本軍はこの地で、敵の日本本土への進行を遅らせるための持久戦を強いられた。その兵士の数は八個師団を主力とする、およそ30万人。補給も援軍も望めない状況におかれ、「自活自戦永久抗戦」という方針で戦い抜くよう命じられた。

10連隊は、ルソン島中部にあったバレテ峠に陣地を築いた。
バレテ峠は、島の北部に抜ける、幹線道路が通っているため、敵の北上を食い止めるには、死守しなければならない要衝だったのだ。
制空権を握っていた米軍は上空から日本軍のざんごうを次々に爆撃。さらに地上からもブルドーザーで道を切り開きながら、進撃、絶え間ない砲撃を加えてきた。
武器弾薬が欠乏する中、命じられた攻撃法は、手りゅう弾や爆薬を抱えて敵の陣地に突っ込む斬り込み攻撃だった。斬り込み攻撃は米軍の激しい反撃にあい、攻撃に参加したほとんどの兵士たちは帰ってくることがなかった。
さらに食料が底をついた兵士たちは「自活自戦」の名の下、現地の田畑や倉庫から食糧を調達、事実上の略奪も起こった。

5月初め、バレテ峠の日本陣地は陥落。日本軍兵士たちに転進命令が下され、密林地帯を敗走することとなった。日本兵士には想像を絶する飢えと渇きが待ち受け、多くの兵士たちが命を落としていった。

証言者プロフィール

1920年
岡山県新見市に生まれる
1938年
岡山県立高梁高等学校卒業
1941年
奉天の陸軍予備士官学校卒業、歩兵第10連隊入隊、満州ジャムス駐留
1944年
台湾駐留を経て、フィリピン上陸
1945年
第7中隊の中隊長としてプンカン陣地の守備を命じられる、斬り込みで負傷

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フィリピン(ルソン島)

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