ホーム » 証言 » 山田 新一郎さん

チャプター

[1] チャプター1 突然のソ連侵攻  07:17
[2] チャプター2 届かなかった「終戦」の知らせ  02:46
[3] チャプター3 戦闘継続  06:27
[4] チャプター4 戦闘停止  03:24
[5] チャプター5 蹂躙(じゅうりん)された居留民  01:17
[6] チャプター6 シベリアへ  03:52
[7] チャプター7 シベリア抑留  02:56
[8] チャプター8 なぜ戦い続けたのか  02:46

再生テキスト

なんだか先輩の兵隊がずっと小高い丘に行って、アルシャン方面を見ているわけ。おれも興味あったから、「あるいは」というふうな感じももしか(したら)あったでしょうね。そこへ飛んで行きながら、「何があったんですか」と言ったら、「何もかも、今あそこにアルシャンの上空に飛行機が飛んできてる」というのを聞いて。

「あれ?」っと思ってね。まさか戦争起きるとはまだそのときまではわからなかった。盛んに偵察にくる飛行機とかなんとかは、たまに越境してくる、とちゅうことは聞いておったから。またその飛行機かな、と思っているうちに爆弾を落とされたわけ。

まだじゃったけど、もう明るいわね。こういうまだ薄暗い夜明けだから。爆弾を落ちた
のはとにかくおれ、生まれて初めてあれを見たんだから。下でバンと火柱があがって、「あっ、これは大変だ」と戦争が始まったんだな。

よく飛行機が越境してくる、ちゅうふうなことは聞いておったんだけども。またそれかなあ、と思ってはいたんだけれどもね。それが見たら肉眼でもはっきり見えるように、日本の飛行機とは違うんだよね、格好が違うんだ大体。これはソ連の飛行機だと。そしてぐるっと旋回していながらボカンと、それがどこだと思ったか知らないけれども、発電所近くに落ちた爆弾だった。変電所近くにね。それが行きに落とそうと思ったのか、どうだと思ったかはわからない。

反撃もなにも。反撃しようにもなにも、「高射砲隊があったのかどうか」それもわからないんだけども。確かに師団には高射砲隊ってあったよね。それがアルシャンにおったのか、どこにおったのかわからないな。あとはもう、逃げの一手ですよ。


いやだから、「来た飛行機の、操縦しているのを銃で撃て」というわけよ。本当に撃てるだけの近くまで来るんだから。低空飛行で来て、ダッと機銃で撃っていくんだから。おっかなくて、とても。それだけの戦闘であったんだ。

「撃て」というから、撃つべく構えていましたよ。しかし、横からダカダカダカってくるその機銃の動きが。あの機銃の弾を見たらね、とてもあれにまともに、山砲のこんな弾で撃ったって、山砲でない小銃撃ったって、あの飛行機に当たるもんじゃないんだけども。そういう教育はされておったし、「そうですか」と思って1度構えて撃とうとしたんだけども。

もう、飛行機を歩兵銃で撃って落とすなんて、こんな芸当なんてできるもんじゃない、つうの。それから「山砲でも撃て」なんて言われたんだ。平時にはね。撃つって、もし「山砲で飛行機を撃つというと金鵄勲章(きんしくんしょう)をもらえるとかなんとか、っていったんだけども。でもあの調子で、われわれ肉眼でも山砲なんて飛んでいくあれが見えるのに、あの飛行機の速さにとても、何が当たるもんでもなんでもないんです。

だからすでに軍隊のその訓練とかなんとか、ちゅうものは、ただ仮想の空論でね。今、現在ミサイルをそういうことで、「迎撃で撃て」とか何とかいうのだけども、あれだって単なる抑止力でね。はたしてあれで当るものかどうか、ということは。ただ、あそこでは当たることになってるんですけども。そんなに簡単に当たるものでもなんでもないと思うんだ。

輸送車はひっくり返っているわね。もうとにかくそこら付近、何だか知らないけれども。火ついて燃えているわ。あれだったよ。

その上をグーンと、敵のソ連の飛行機がこう、2~3機飛んで旋回しておったね。ほっとしておれ見てたよね。「あわよくば日本の飛行機かな」と思って見ておったら、敵のあれなんだ。

そのうちにだんだん日暮れ近くなったならば、退却していく日本軍隊が見えたわけよ。
そしたらそこにおる輜重兵(しょちょうへい)だかなんだかね。「ああ、あれに逃げるんだ。あのあとについて逃げていこう」というわけで、わたしもそのあとについて行ったんだけども。

そしてしばらくしておったならば、逃げて行くから、歩兵とか輜重支隊(しちょうしたい)について逃げて行ったの。そしたらその同僚がちゃんと工兵隊がつくったのが、自動車が通れるような道路を、山の中腹(ちゅうふく)ちゅうか、ちょっとしたとこについておったんで、そこを延々として自動車が行くわけ。輜重隊(しちょうたい)の自動車がそこを通ってね。

とうとうもう、いちばん最初の車が前進できなくなったんだよね。そうしたらもう何十台ちゅうその輸送車が、列をなして行けなくなってしまったわけよ。その車になんで火つけたかわからんけども。さっき話したようにね、「火つけてしまって自爆しなさい」というような、そういう教育を受けてるのじゃねぇの。ばかのひとつ覚えで、その車に火つけて吹っ飛ばしてしまったの。そのドラム缶が爆発したおかげで、その爆風でもって亡くなった人は、逃げていく人の中で爆発するもんだから。その爆風にあおられて死んだ人が何十人かいる、ちゅうわけなんですよ。

もう、敵の戦車もすぐ見えるんだよ。向こうのその、おれの歩いてきた、逃げてきたところをね。あの戦車が一発きたら、もうもろともわれわれ吹っ飛んでしまうのに、なんであのときにこう、戦車が来てるんだよ?戦車の砲身が、ダカダカダカダカなってるのに。ああいう一発食らったら、われわれもう、全滅なのに。「なぜ撃たないのかなあ」とは半信半疑であったんだ。

だからそれがちょうど、今思うっちゅうと、8月15日だから。ま、今考えてみるっちゅうと、正午近い時間であったのかな。だからあのときに「もう戦争は終わった」ちゅうことを、ソ連が情報を得て。

「砲撃中止」っちゅうか何かっちゅうか、連絡が入って。「われわれに撃たなかったのなかあ。なんとかなあ」っちゅうような感じを、あとで持つわけよ。

もうすでにソ連が越境してきたならば、日本が負けるんだということはわかるんだから。そのときにもう、いち早く手を挙げてね、白旗を掲げて手を挙げれば、なにも犠牲者も何も出なかったですよ。あれね。それを無謀にも、関東軍の総司令部の連中方が、「国境の236部隊は、こっちを警備して邦人を逃がしてから、新疆(シンキョウ)に転進しなさい」ちゅうような、そういう作戦本部のほうが立てておったらしいから。

だから、国境を警備している236とかなんとかちゅうものは、もうすでに関東軍から、あるいは日本陸軍から「ソ連が攻めてきたならば盾になって死になさい」と。こういう秘密裏のあれだったと思いますよ。

だから無謀にもあんた、「600キロも離れている後方まで、邦人を擁護しつつ転進しよう」なんていう、そういう命令なんて下したって、逃げる前から逃げる先に来てるんだもん。逃げれるわけないでしょ。

彼がもう大腸がはみ出すから、もう逆にこうする、ちゅうとみんな出てしまうから、上向きにしてね。逆の方向にして、こうして背負ってきたんだ、下まで。そして毛布に包んでそして担架に乗せて、こっちに来たんだというのだね。

その間生きているんだから。だから今考えると、「人間の生命力なんちゅうのは大したもんだな」と思うんだね。戦闘やってるときは終えるまでは、8時間なりなんぼなりの時間は生きておったんだよ、あれ。大腸までさらけ出すだけぐらいまでして、あれしておったんだから。

「死ぬ」ちゅうことがわかるんだ。死相があらわれているんだから。それに大腸、出てきてるんだよ。そのにおいなんてプンプンするんだもの。毛布から毛布に包んでいるんだけども。おれその現実を見たことないんだけども、確かにそのとおりなんだ。

はらわたが落ちかかっている人。あの戦場の中でとてもじゃないが、おぶってくるわけでもないし。万が一連れてきたって、とても最後までなんて。それから1週間も10日も20日間もみとるなんて。連れてなんていかれるもんでもないですよ。

今度はおれがなんとかしなきゃならない、と思って。担架の片方を担いで持ってきて。そしたら「ワタナベ、どうしたんだ」と言ったら、「おれ、帰りたいんだ、帰りたいんだ」ちゅうようなことを言うわけ。

胸のポケットからね、もそもそと出してきたのが、奥さんと子どもを抱いた写真をわたしに見せて、「山田、これ、おれのうちさ持っていってくれ」ちゅうわけだ。

「うちに帰りたいんだ、おれは」なんてね、言うんだけども。その時はもう、うわごとだったんでしょう、あれ。そうしているうちにこう、目をつぶったりしたから、「いま迎えにいくからな、この雨降ってるから、雨止むと迎えに行くからな」と置いてきたのが最後よ。

どうすることもできないんだ。そしてあんな今は、足でもなんでも全身やけどして「苦しい、殺してくれ、殺してくれ」という人を目の前にして。上官が、なんでも人がきて、拳銃を渡して「あの人を撃って、楽にしてやれ」ちゅうんだから。こっち見ながらこうやってね。バンと撃ってその人は楽になるんでしょ、やっぱり。

いや、絶対とか何とかということでなくて、「そうしなければならない」と思っちまうんだよ。いやー、あんたという人は冷たい人だな、と思うかもわからないけども。それが戦争なんだちゅうの。殺すんだもの。はっきりいって。敵を。まずそれが、戦闘のすべてだ。それを話しているというと、とてもじゃないが明日の朝までかかったっておれの気持ち、整理も何にもできないんだけどもね。

苦しがっている人も、なんとも連れて行くわけにもいかないし。勝ち戦だったらね、野戦病院でもなんでもあって、そこに行って軍医方が手術なりなんなりしてね。そして生かす人は生かす。そこで死ぬ人もあるんだろうけども。だいたいその、戦争して戦闘が終わって心情を整理して、なんていうことはできないんだから。逃げていくんだから、けがした人はそのまま、そこにおいて。

Q:つらい気持ちにはなるんじゃないですか?そのときは。

ならないね、そのときは現実は。「つらい」と思ったらね、やっぱり担いでくるもの。これはこの人は、見切りをつけて投げざるを得ないな、と思う。

Q:それはやっぱり、戦争が終ってから振り返ると。

だからいやなときばっかりで苦しかったな。何だとは思うんだけどね。「おれがやらなくったって、誰かやってくれればよかったんだ。なんでおれがやったんだろう」という、そういう慚愧(ざんき)の念もあるんだけども。

つらいことはつらいよ、やっぱり。そこに人を置いてくるんだから。まだ息のある人間を。だけども考えてみると、あれより正しい選択はなかったと思う。やっぱり。

やむを得ないというよりも、「やむを得ないからどうしたらいんだ」ということになるでしょ、答えとしては。じゃ連れてこれたのか、というと連れてこれないんですよ。逃げるときに。

担架に4人を積んで、あの細っこい道をこうね。当然亡くなるであろう、ちゅうことはわかりつつも、その人を心情で連れてくるなんていうことはできないです。

そのあと今度、そこからまた逃げてくるときに、馬と一緒にわれわれ逃げてくるんだけども。対岸のほうからソ連兵が撃ってんだもん。そこを負傷兵とかなんとかを担架に乗せて、なんて、逃げてくる、なんちゅう芸当はできないんですよ。自分が逃げるに精いっぱい。

だからそれが戦争、ちゅうもんなんです。

そのときはね、「ああ、これであの苦しい行軍もなくなったし、戦争も終ったのか」と思ったよ。休戦だから。負けたんでないから。『休戦』と言われたからね。ああ。これはいつごろ戦争が休止したのかと。まさか休戦したからって、武装解除してソ連につれていかれる、なんてはそのときには夢にも思わなかった。「ああ、これでやっと戦争で逃げなくてもいいんだな」と。「戦争がじゃぁ、ここでいったん休止したんだな」ちゅうふうに。いっそ安どの思いになったね。

Q:負けたとは?

負けたというよりも『休み』だといういことだと思っていたから。

Q:負けたとは思ってない。

うん、そのときの気持ちとしてはね。

どういう感じもなにも、軍人なんて武装解除された格好なんちゅうものはね、見られたもんじゃないね、やっぱり。ちゃんと帯剣やってね、巻き脚絆(まききゃはん)をやって、軍歌をやって、鉄砲担いでいる、というと真に軍人なんだけども。鉄砲は取ってしまうわ、そういうふうに帯剣は取られてしまうわ。そうなったときの軍人の姿なんちゅうのは、まるでこじきみたいなもんだよ。こじき集団だわ。

それをね、格好いい18~19のソ連の兵隊が馬さ乗って。あんた警戒しながら何千人の人間が、興安(コウアン)までに道路を歩くんだもの。まるで本当に、なんちゅうの、引かれる子羊みたいなもんでね。

前にいた連中は都会の軍隊とか何とかは、戦争、われわれみたいに戦争をしない軍隊だから、彼らはきれいな格好をしてるわけ。われわれはもうこじきみたいなもんだよね。1週間、食うや食わずのあれしてやってきているもんだから。われわれを見てね、「あれはなんだ。こじきの部隊が来た」なんて冷やかしているわけ。

そうすると我々はね本当に20日間も戦闘してきたのに、こじきの部隊とはなんだ、ちゅうわけで、えらい邦人間で確執があったのよね。やっているところへ引っ張ってきて、ぶん殴ったりなんだりした。そういう事実もあるんだ。

落後した人は、われわれの行く途中にもいっぱいあったよ。でももう目をうつろにしてね。だけどその連中をなんとしようもないんだって。ものを食わすたって自分の食うものもないんだから。彼らに食わす必要もないし。本当に自分の知ってる人であったってね、もう一緒に連れてくることができなかったんですよね。

興安の駅に行きわれわれが使役に出される、ちゅうと、女の人が引っ張られてきてね。そして暴行を受けてる、ちゅうのをわれわれは聞こえるんだけども。「兵隊さん助けて」ちゅう声を聞こえたんだけども、なんともできない。それが現実の戦争の負け戦の姿なんだ。そういったようなことも、かつては日本の軍隊もやってきたんだから、満州でね。北支の戦線では。

Q:そういうことがあった。実際ソ連兵に暴行されているのを聞こえたわけですか?

聞こえたし、目の当たりにして見てきて、彼らは誇らしげにわれわれにそれをほらっぽくんだから。「日本人はどうだから」「日本人マダムはどうだ」とかなんとかかんとか、って言うんだよ。やっぱり卑わいなことを言ってね。どこでもそういう連中はいるんだよね。

満州のシベリアの荒野にある、ヒロクという町に降ろされたわけよね。降りて、ある、ブダラ・トボルトチーヒ収容所ですよね。一冬おかれたわけなんだよ。その森林伐採の仕事を。

Q:仕事はきつかったんでしょうか?

仕事はやっぱり、未経験の連中だから、伐採してそれを今度、冬のそりでもって川岸まで運搬するわけだから。これは経験のある人はどうちゅうことない。全然、未経験の連中方があんた、こういう丸太を切ってそして運ぶわけだから。ただことじゃないわけなんだよ。

ただそれがひどかったんだけども、さらにひどかったのはね、そのシベリアの収容所の中でわれわれの部隊は、全然その戦闘状態のままで連れて行かれたわけなんですよ。厳然として大隊長は大隊長、中隊長は中隊長の服装ながら、軍隊の組織そのままの生活なわけよ。若い初年兵方はいじめられるわけ、やっぱり。

昼間いっしょに行って塗炭(とたん)の苦しみを味わってきて。今度はようやくその収容所の暗い所に入ってくるちゅうと、またぞろ、その初年兵がどうのこうのと連れて行かれるわけ。それで戦友なんか、そこで殴られたりなんだりしたのを(見た)。その「捕虜になってからまでも殴られるのか」というようなぐあいでね。一触即発の、いわゆる暴動の起きるとこまでいったんだ。ブダラの収容所で。

Q:仲間内で。

仲間内で、ちゅうか、その初年兵だけはね、仲いいわけよ。同じだから。それから1つ年のいった連中方はね、軍隊の先輩だったから。軍隊時代をそのまま、捕虜生活へ持っていったわけ。

凍った松の木だから、松の木にキノコがあるわけ。凍ってしまって乾燥してるから、毒キノコかとかなんだかわからないんだよ。それを取ってきたり。そこら付近にいるネズミ、野ネズミ取ってみたり。カエル。そのカエルを持ってきて皮むいて乾かしてみたり。人間、生きる術(すべ)、ちゅうものはなんぼでもあるもんだよ。最後には松の木の皮さえとってね。そうすると、するめでもかじっているような、そういう状態もあるんだ。そうしているうちに、自分の、晩それがないちゅうと眠れないような毛布を持っていってね。ソ連の部落に行って、その毛布1枚やってパンと交換してきたり。生きるためにはしょうがねえんだ。食わねえちゅうと。そういう連続をして生きてきたのよ。

その次のときも同じよ。彼はやっぱり一人前もらって「食いたいから食おう」と思うんだけども。もう1日に30回も便しているんだから。それを食いたいために彼の、病院さ入院した病院さへ(行く)。やっぱりそのとおり、「山田、来い」なんて言うから、行くちゅうとね、ちゃんと食わないで残してくれているの。赤痢患者が残した残飯を食ってきたんだよ。それだけ仲良かったの。その人間が亡くなったんだよね。

隣で見てたんでなく、彼は病院に入って(いて)。病院におれ毎日、作業から帰ってくると、「サクラバ、どうしたなぁ」なんて言えば、「うーん」なんて。

「きょう何回、便に行った」とかなんとか話していると。「ちょっと待てな」なんて言うと、自分、その昼に残った食料を「これ食え」って。「待ってて、食え」と持ってきて、おれに食わすわけよね。おれ、それ食いたくて行くんだから。彼のところへ見舞いに。まさに餓鬼道だよね。

そして行って食って、「ああだ、こうだ、こいだ」なんて言っているうちに、とうとうある時期に「彼亡くなった」というような知らせで。それで行ったら、確かに亡くなっているわ。「お前、友達だから、これを墓地に埋めてこい」というわけよ。

慚愧の念に耐えなくてね。いちばん最初に復員して来てからは、そこの家へ行ってきたんだけども。やっぱりまだ若かったからね。心底そういうふうな話まではできなかったね。

何としてこれを教えたらいいかと思ってね。何かこれ、今言ったように、遺品を持って行かなければならねえと思ったんだけれども、遺品らしいものは何ひとつないんだもの。はぁ。だからおれ、持っていったスコップでね、小指をこうやって置いてね、小指をこう切って持って来て。それを今度はまきで焼いて、それを骨にしてこれを持って行こうと思って、持って来たの。ところがもう、ナホトカで行ったり来たりしているうちに、そういう私物の検査とか何度かされて、ソ連の人方がなんと思ったかしらないけども、もうなくなってしまったんです。

「絶対に捕虜なんかにはなるよりも、自爆しよう。戦争して負けたのならば、これはもう、捕虜なんかにならないで自決しよう」そのために手りゅう弾を1つずつ、持たせられたんだから。だけども、いざそうなってくるというと、「何でこのためにね、天皇陛下万歳のために死ななきゃならないんだ」とばからしくなってくるの。歩いてるちゅうと。自然とそうなるわな、やっぱり。

Q:たとえば山の中を歩いているときは、負けるとかは全然思っていないですよね?日本は、勝つと思って歩いているんですね?その時は。

いや、「勝つ」とは思わないけども、「何か神風みたいなものが吹いてきて、何とかわれわれは助かるんじゃなかろうかな」というのは、そういう一縷(いちる)のあれは頭の底にはあったね。今こうやって、苦しくこの山中を歩いているんだけども、今まさに誰か、友軍が助けに来てくれるんだろう、とか、今度ようやく飛行機が飛んで来て、敵のソ連軍に爆弾を落としてくれるんだろう、とか。いちるの望みは頭の中にありつつも、やっぱり歩いたけども。「このままではどうも」というような「なんだか負けているような感じだな」というふうなことは、うすうす体には感じたね。やっぱりね戦争中は。

それが戦争ですって。もう、尋常の常識では考えられないような行動がすべてだから。だって人が人を殺すんだもの。そういうことになるんでしょう。自分が殺さなければ殺される、というのは、それが原則なんだから。

「なんで遺骨収集に行くんだ。シベリアの墓参に行くんだ」というんだけども。あの過酷な苦しみの中から、そういう中からね、やっぱり命を拾ってきたんだから。それじゃ、亡くなった人はどうなんだと。その人のためにやっぱり行って墓所を拝んでき、また遺骨を持って来て家族に渡すことはこれ、おれが生きてるためのひとつの使命じゃないんだろうかなと。ただ、それだけ。なんにも理屈も何もないんだ。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1925年
秋田県上小阿仁村に生まれる
1945年
満州に渡り、第107師団野砲兵第107連隊に入隊、陸軍幹部候補生、イントールにて武装解除、シベリアに抑留
1949年
復員後は林業に従事、その後、福島市で材木会社に勤務

関連する地図

満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

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