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チャプター

[1] チャプター1 対ソ連軍陣地構築  01:38
[2] チャプター2 ソ連の侵攻始まる  02:09
[3] チャプター3 挟みうち  04:48
[4] チャプター4 終戦を知らないまま  05:21
[5] チャプター5 伝わらなかった終戦  05:44

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あっちへ行ったらば、休む暇もなく「ここに壕(ごう)を掘れ、何を掘れ」って。何だと思ったら説明が、「こんぐらいの穴ね、穴を1メートル20センチぐらい深く掘れ」っていうわけ。

「何でだ」と思ったらば、敵の戦車がここを上陸して入ってくると。そのときに、箱爆雷っていうね、爆弾が入ってるやつですよ。こう十文字から、肩からこういうふうに腹に掛けるの。

こういうふうに。これをこう締まってるからね。リュックサックを背負うみたいにして。
その穴の中に入ってて、目の前を敵の戦車が来たならば、目の前に来たら、その穴から出てきて。キャタピラ。戦車の。あれに入れと。こう腹さ抱いて、こうして。

で、戦車につぶしてもらいなさい、っていう教育よ。

今度は、そいつはそのとき、これは夜明け。明るくなってからのいちばん早い列車を。ソ連の飛行機が来たというのは何時ごろだったのか。だいぶ明るくなってですよ。爆撃にきたのはね。

見ただ、目の前だもの。すごいでっかい飛行機。この腹さ、今のガスボンベというのかな。こういうのを。ああいうのを2本つけているんだ。このぐらい太い爆弾をね、腹さ。そこで、ソ連の飛行機だと。「戦争が始まったんでねぇか」ということになったんだ。衛兵の人もね。だけども「ソ連と戦争になった」ということを、誰も言える人はいねぇのよ。下士官であっても何にしても。確かにソ連の爆撃機なんだ。重爆撃機。偵察機というのかな。あれは爆弾をつけて、もっている。偵察に来ているわけ。

それが連続これで、われわれの陣地構築に行っているほうの飛行機が飛んでいっているわ
けよ。次に、ある程度時間かかって、これは4機。4機編成で来ている。次に今度は6機編成で、飛行機が6機だね、6機が来たんだ。年中来ているわけ。しばらくたってから、今度はソ連と戦争が始まったようだ、っていう話になったらば、ハルアルシャンっていう駅の近くに、発電所って変電所があるんですよ。電気を起こすところね。そこさ、今度は爆弾を落としてきたわけだ。いちばん先にね。確かに爆弾だから、ソ連の爆撃機だとなったです。

駅を狙ったのか、発電所狙ったのか、わからないけれども。発電所の脇に爆弾が落ちた。

目の前だからね、わたしの。おれの目の前には7人も8人も、10メートルも離れないで、狙撃兵というのね、狙い撃ちをする兵隊さんが7人もいるんだよ。目の前に、10メートル前さ。おれのところさ。

観測とか通信を殺すために来ているの。目の前さ。そのときに、ちょうどその歩兵部隊が鉢巻きをしたやつが、声が静かになったなと思った。「チャチャチャージャアー」と、一斉に下がったんですよ、左岸で。「兵部隊がそこを下がったなあ」と思ったうちに、将校さんがいちばん先頭になって、やっぱり鉢巻きさ、日の丸の旗をつけて、「トツゲーキヤー(突撃やー)」と声をかけて突っ込んだの。目の前で見ていたのよ。

前にいったかいかないかで、みんな全然、ばたばたばたばたと倒れていった。将校はやっぱり、いちばん先になっていくんだっけな。いちばん後ろにいるといけない。いちばん先になって、軍刀を抜いて突撃をかけたわけ。

今度はいよいよ、西口(シーコー)に行ったときに戦争が始まったときは、なんでもかんでもなく、今度はあっちからは攻撃がすごいんだ。日本の山砲なんとか重砲なんていうのと違うんだ。高射砲なんていうのと違う、ソ連の武器は。

新しい。こっちへ来たらね、品物は見たことねぇけど、カチューシャ砲というのだそうだけれども。ちょうど、将棋の盤みたいに、同じ間隔にコトンコトンコトンコトンでね。将棋の駒みたいにこう弾を落とされる、カチューシャ砲という砲を持っているわけ、向こうにね。カチューシャ砲というんだそうだ、それね。あっちにソビエトでは歌でもよく歌っているのから。“カチューシャ”“カチューシャ”って。

あとそれ以外の武器というのは、ドイツが今度は6月ぐらい7月に負けたでしょう。ソビエトに手をあげて負けたべ。あそこの部隊から、ドイツ軍につかっていた部隊は全部、満州へ持ってきてたんだ。日本と戦争を始める前には。戦車から機関銃から小銃からね。それで今度は、あっちでわれわれを西口で待っていたわけなの。

どこの戦争だって、戦争をやるときに狙われるのは、いちばん先に狙われるのは観測兵と通信兵がいちばん狙われるの。正常な戦争だったら、観測、距離も何も測ることができなくなったりすれば、今度は次に、観測兵が正確に測量して測ってやっても、通信兵が今度は殺されるとうまくないわけだ。通信兵は「今はこうだああだ」とこう、しゃべってやらないと。だからいちばん狙われるのは観測兵と通信兵、というのがいちばん狙われるのよ。

だからね、うそみたいな話だけれどもそれを今度はソ連を、日本軍の歩兵部隊が突撃をやっちまったから、今度は向こうの兵隊もうろうろ騒いだし、上のほうにいなくなってしまったのだ。みんな下がっていった。向こうの兵隊もね。

そのときに、いつまでもこう、こう死んだふりをしてこう、おれはやっていたでしょう。こういうふうに。わしはハッとこう、「弾もこなくなったなあ」と思って上げたらば。繰り返し言うんだけれども。ひょっとこうしたら、西の空に太陽の沈むほうに、太陽が沈まんとしていた時だから。わたしのおふくろさんが出てきたんだね。空さ。わたしのおふくろだよ。本当に。ここから上だよ。おふくろさんが、腰から上のほうがダアッと、話もしないでハアーッと、大きい空さ。あれはかあちゃんの顔、おかしいな何だろうな、と思っていたんだ。おれのおふくろさんが。間違いなくおふくろさんなんだ。こっからね。

「石口の水筒をよこせ、誰の水筒をよこせ」というわけで、4人だか5人分の水筒を右に左にさげて、こういう急な岩キョウを登山家みたいにしてさがっていったの。岩を押さえて。下の沢まで。

そして水筒に水をくんで、5つもね。のぼってきたよ。元気に。そして今度はのぼってくると、すぐみんなさ、水筒を渡してくれたから、わたしもそれをもらって。「いっぺんに飲んではだめだよ、あとはねぇから」とやっているうちに、「痛い、痛い」ってこうしてやったの。水飲んでから。「どうしたワタナベ」と言ったら、「やられた、やられた」とこうしてやっているから。「ワタナベ、どれ」とこうやって開けてみたら、ここね。

帯剣を取って。そしたら血は出ている。今度は血どころじゃない。腸が出ていた。大腸。これをはずしたから。大腸が出てきているから。今度はだんだん出てくるんだよ。腸は動くでしょう。出てきて。ぐうぐうぐうぐうーっとこう、腸が動いているのよ。「しっかりしろ」と言ったって、頭はまだ大丈夫だからね。「しっかりしろよ」と言ったって。今度はおれのところさ、「石口、殺してくれ、殺してくれ」と、「苦しいから殺してくれ」と言うんだよ。殺すわけにいかないでしょう。おれが死ぬための手りゅう弾1発しか持たないのだ。おれが苦しいときに死ぬための手りゅう弾はひとつ、持っているけれども。おれも、おれの戦友も、そこは確認はしてないのだけれども。助けようがないです。腸が出ている人間だから。そして置き去りになったわけです。その人はね。

腸が出たというだけで、腸が出てきて手の施しようがなくなったというだけで、「ワタナベ君、しっかりしろよ」とは。ただおれの名前まで言って「石口、殺してくれ、石口、殺してけろ」というけれども、とても。戦友のこと手りゅう弾で殺すわけにいかない。「ワタナベ、しっかりやれよー」と言っただけで、あとはおれが逃げたというだけで。

だからね、おそらくあんたはひとりひとり聞いて歩いたって、同じようなことを言う人というのはいねぇと思うよ。この西口の戦争では。ひとりひとり、みんな自分のことしかわからないから。

悔しいとか悲しいとかっていう気はないね、一切。悔しい、という、このやられた、残念だなあ、という気だけが先になるんだよ。どうしようもねぇんだもの。
悔しいとか何とかといったって。

「ワタナベくん、頑張れー、頑張れー」というけど、「苦しいから殺してくれ、殺してくれー」と何べんも言った。それが最後。あと、おれは逃げてしまったからね。わからない。

そこに水たまりがあったから、こうして口をつけてドクドクと飲んだの。のどがざらずれになるほど、田んぼの水を飲んだみたいになったの。「なんか臭いなあ」と思って飲んだんだけれども。明るくなってから見たらば、それが血の色なんだ。人間から出た血液が。人間の血が混ざっていたの。人間があれ、スポンスポンとぬかるからね。たまった水がみんな、赤くなっているのよ。人間の血液が入っているから。それを飲んでいたという。口から出しようがねぇんだもの。

その水、人間の血液が入ったやつを飲んだのは、「気持ち悪い」とか「いやだ」なんていう気は一切、ないね。だだ、ワタナベ君がやられたときは、それがだめだということはわかってっけんども、あれほど、「石口、殺してくれ」と頼まれたけれども殺せなかったということは、残念でしようがないけれどもね。そのときだって、助けようねぇんだもの、あんた。1発もっている手りゅう弾を、おれが悪いときにおれが死ぬために、あれは。ワタナベ君を殺してくれるために、1発しかない手りゅう弾を使うわけにいかないもの。そのときはただ悔しいというだけでね。

助けてくれられない、助けることができないのが悔しい。何と言っても。誰に聞いても。もっとね、余分な手りゅう弾を持っているとかなら殺してやる。銃とか拳銃とか持っていれば。拳銃も持ってなければ、小銃も銃も持たないでは。殺してやるとなれば、首にロープ、馬のロープで締めてやるとかでないと、殺しようがないですよ。ただ、「頑張れよ、頑張れよ」と言っただけで別れてきたっていうだけで。

8月9日から侵略してきたから戦争にはなったんだけれどもさ。そして今度は、日本では飛行機がない。1台の飛行機も飛ばないんだからね。日本の軍の飛行機は。ヘリコプターすら、飛行機1台も飛ばない。そのときは、8日から始まったんだけど、10日過ぎて11、12、13、14、15と。ところが15日過ぎ20日になっても、われわれとは無線が通じないからだ、といってるんだけれども。20日ごろからは、この前も教えた点で、満州にあった朝日新聞って、2枚羽の飛行機だから。朝日新聞、毎日新聞と大きい文字が書かれていた2枚羽の飛行機が飛んできて、興安嶺(こうあんれい)の山の中で、ずいぶんビラをまいてくれたの。ビラね。黄色から青からいろいろな色のこういうビラを。飛行機からよ。ビラをまいてきたの。

そこにはわれわれだけでなく、何百名という兵がいたんだから。歩兵部隊、工兵部隊、鉄道部隊から何かの部隊がいたから。広範囲になって山にいるから。そこに「日本軍が8月15日に、天皇陛下の命令で無条件で降伏しましたから。無条件降伏したから、ソ連軍に武器を兵器を、抵抗しないで渡しなさい」というビラを、みなまいてくれたの。

われわれ部隊ばかりでない、みんなにわかるように、山の中にひろく。2枚羽の飛行機が。それになっても日本軍は、「一兵ひとりの兵隊になっても日本では無条件降伏なんてあるわけがないんだ」と。「必ず神風が吹くんだ」と。「だから一兵たりとも、ソ連軍のあれは宣伝に踊らされてはだめだ」と。「各員いっそう努力しろ」という命令ばっかりで。全然、ビラを拾ったって「負けた」というのがわれわれもわからないのよ。ほんに知る人もいねぇのよ。

武装解除はイントールというところでやったのね。チチハルのすぐわきだけれども。イントールという。そこでも一度、乱闘があったの。

乱闘ということはね、「日本は戦争には負けるわけがない」という人と。「天皇陛下が無条件降伏した」という、「飛行機も来ないし、日本の飛行機も1台も飛んでない。飛ばないんだ」と、「日本は負けた」という人と。

「日本は負けるわけがない」という人と、「どうしても負けるわけがない」という人は、学校さ行って見習士官(みならいしかん)ってね、兵隊でめしを食うために将校になるような、ために若い、ほれ、来た人がばっかりよね。そういう人は張り切って。日本は(負けた)、そんなことをいうと、怒って何するかわからない。きちがいみたいになっているんだ、「日本は戦争に負けねえ」って。今度は「負けた」と、「日本は負けたんだ」という人と、今度はバチバチが始まっちゃうから。「ここさ集まれ」と集まったところで手りゅう弾を投げたりなんかして。ある将校のやつなんて、悔しいから軍刀抜いて暴れ回ったり、立木をごたごた切ったりするやつがいて。

けんかをやったのよ。そしてね、あれはあれだ。あとからイントールに行ったときに、やっぱり新聞社の飛行機だと思うんだけれどもね。飛行機が飛んできて、われわれが集まった大きい広場に、飛行機が低空(飛行)してくるくるとまわって、ここにおちてきたのよ、下さ。そしたら、ソ連軍の偉い人と、日本の関東軍のいちばん偉い人が、関東軍がずっと上の偉い人の2人が、乗ってきたの。その飛行機さ。そしてここにおりてから、日本軍の各部隊が集まっている先で「日本軍は無条件で降伏しました」と言って。「ソ連軍に対して抵抗してはいかん」と。「武器・弾薬を全部、ソ連軍に渡しなさい」と。「抵抗してはいけない」と。「これは天皇陛下の命令だ」ということで、(終戦に)なったのよ、そこで。

「ああ、やっぱりなあ」と思ったよ。やはり、大人と幼稚園の子どもと大人とけんかするような戦争だもの。誰が考えたってあの戦争に負けるということは、みんなわかっていたと思うよ。幼稚園の子どもと大人がけんかするようなものだもの。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1924年
山形県南置賜郡万世村(現・米沢市)出身
1945年
満州に渡り、第107師団野砲兵第107連隊に入隊、シベリアに抑留
1949年
シベリアから復員、米沢にて国鉄に勤務

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満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

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