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チャプター

[1] チャプター1 ソ連侵攻始まる  04:32
[2] チャプター2 新京へ向けて撤退  01:24
[3] チャプター3 暗号書処分  09:44
[4] チャプター4 挟みうち  10:37
[5] チャプター5 北へ逃げる  03:22
[6] チャプター6 号什台(ゴウジュウダイ)の戦闘  07:47
[7] チャプター7 2週間遅れの終戦  04:42
[8] チャプター8 死んでいく傷病兵たち  05:13

再生テキスト

8月9日にソ連が侵攻したんですけれども、その前夜・8日の夜ですね。蒸し暑くて眠れなかったんですよ。いつの間に班長がいてね、この班長がいろいろどこから情報を得てくるのかね、話して聞かせるんですよ。「どうも、ソ満国境でいろいろ紛争が起きている」と。「本部にどんどん電報が入っている。どうもおかしい。ソ連の部隊も国境に集結してきている」というようなことを聞かされたんですよ。

「いよいよ戦争かな」と思ったんですけんども。その後、翌日9日の未明ですね、わたしひとり外へ出て空を見上げたら、外蒙、蒙古と満州の国境の上空を、蛇状に長ーく飛んでいるんですね、相当。「いや、渡り鳥かな」と思って見ていたら、だんだん近づいて来たら爆音が聞こえてきたんですよ。「おお、飛行機だ、これは。日本もまだ、こんなに飛行機いるんだったら大丈夫だな」と思ったんですよ。それがソ連の飛行機、大体 100機ぐらい飛んで来たんです。編隊して。それが南満に下っていったんですね、南に。それで新京とか奉天、おそらく空襲受けたです。

その帰り道、確か残りの爆弾を落としたのが、目の前のシーク(西口)の駅近くの住宅街に爆弾を落としたんだね。そこに陸軍官舎もあったと思うんですけどもね、それが木っ端みじんに天に舞い上がるんだね。ちょうどビラをバラまいたようにヒラヒラと落ちてくるんです、空からね。それを見て、「いやぁ、いよいよ戦争だな」と思ったんですが。そしたら目の前に落ちたんですわ。一発爆弾が落ちて来たんですよ。なんの、50メーター離れてなかったんでないかな。そしたらそこが砂の中がさく裂して、もう大きなスリ鉢状の穴ができただけでね、飛行機が飛び去ったからね。「これは大変だ」と思って、それから師団司令部の庁舎に駆けつけたんですよ。書類焼く間も機銃掃射されるんですね。飛行機が急降下して来て、機関銃を撃つんですね。はっきり操縦士が見えるんですよ。次々とこうピューッと急降下してきてね。機関銃で撃って。ときたま爆弾も落としたんだけどもね。被害はなかったんですけれども。

11、12、13日までオタケビ山から夜、昼、行軍したんですよ。そして西口(シーコー)に着いたのが13日ですね。そのときも砲撃はあるし空襲はあるしね。西口というと広い草原ですか、はるか向こうには山並みが見えるしね。そのちょっと小高いところに師団司令部が天幕張ってね。そこが戦闘司令所になったんですよ。各部隊に司令を出しておったんですね。そこには師団長と参謀、あと何人かの副官かなんかおられたと思うんですけども。

その日の13日の午後3時ごろですね、その西口の真ん中を流れている、中央を流れている小川があったんですよ。そんなに幅広くないんですけれどもね。そこのほとりで「暗号士集まれ」というわけで、われわれ10人ぐらい集まったのかな。もちろん下士官も他の曹長もおられたと思うんですけども。

そこで「ここで暗号書を全部焼却する」ということになったんで。「はて、暗号書を焼いたらもうおしまいだな」と思ったんですね。これ玉砕覚悟かなと思ってね。目の前には参謀長が立っておられたからね、ずっと見ておったからね。「どうして焼くんだ」と聞くわけにもいかないしね。これだけは命令だから。

柳行李(やなぎごうり)を脇に持って降ろされたんですよ。それから、暗号書を引っ張りだして焼いたんですよ、1冊ずつね。なかなか燃えないんですよね。こんな箱にいっぱい入っているものだからね。もちろん乱数表も入っておったと思うし、電報用紙も入っておったんですよ。「全部とにかく焼却しろ」というわけでね。大変にかかったね、時間が。
そして焼き終わるころになって、参謀長は帰っていったんですよ。その戦闘司令所のほうへね。何も言わない。「ご苦労」とも言わない。帰っていかれたんですけどね。

その後、その夜ですね、参謀長は自決したんですね。その戦闘司令所からいくらも離れてないところにね、馬に乗って当番兵を連れていったんですよ。途中から当番兵は帰されたと。「帰れ」と。自分だけが馬に乗っていったという。その後まもなく自決されたということでしたね。

暗号書を焼いたというのは、もう何も連絡取れなくなるんですね。あとで思うに、参謀長が独断でやったものか、それとも師団長とか参謀の合議の上で命令したものか。それがちょっと謎なんですね。

あと2日待てばね、終戦の連絡が入ったんですよ。それが入らないもんだから、その終戦を知らずに戦っておったわけです。その後、17か18日ころは、とにかく師団長が聞いた話では、どうやら終戦になったらしい、と師団通信の幹部からかな。なんか通信機にラジオを傍受して、報告に来たというわけですよ。ところが捜索連隊の戦友会では、捜索連隊のササキという曹長がやはり、「通信機で聞いてそれで報告した」とはいってますけどもね。

それで師団長が各部隊長に、「どうやら終戦になったらしいようだけれども、正確に関東軍司令部からは来てないというわけで、できるだけ戦闘を避けるように」という命令を出したらしいんですね。

それほどの犠牲者を出さないで済んだんですよね。千何名の戦死者ですよね。1200名ばかりですか。わずか20日間の間にね。ですから終戦になってれば、2週間でも何千人て戦死してるからね。「悲劇の師団」といわれるだけあって。

つらかったね。もう本職を取られるようなもんだからね。暗号書から全部焼くんだからね。自分の身分がなくなってしまうわけよ、暗号士としての。

焼いたあと、われわれ10人ばかり「われわれの任務は終わったから、特攻隊に行こうか」と言ったんですよ。そしたらそこに上官が来てね。「お前らは特攻隊に行ったらだめだぞ。最後までこの司令部で残って、玉砕するまでいるんだ」って言われたんですよ。

いよいよ玉砕するのかな、と思ったんですよ。そんなこと言われてね。
暗号書さえ焼かなかったらね、連絡取れたんですよ。軍団司令部にしろ、方面軍の軍司令部からもね。それが全然もう、途絶えたもんだからね。

Q:こっちから問い合わせることもできないんですか?

できないんです。それ。第一、師団通信が受けるんですね、向こうから。そしてそれを、師団司令部の暗号士に渡して解読したんですよ。連絡あれば、解読すればわかることなんですよ。それがもう、通信機材も暗号書もみんななくなってしまったもんだからね。連絡取れなくなってしまったんですね。

軍令部から連絡は全然なかったものだからね。それでもう、もう13日でストップしてしまったんですよ。

あと2日待てばね、焼却しなかったら連絡取れたんですよ。そして終戦して停戦になったんですよ。それが終戦知らないもんですから、各部隊に戦闘司令所から命令が出て戦ったんですよ。もちろんソ連軍でもわからなかったんじゃないかな、と思うんですけど。じゃなかったら停止させるはずなんですよ、戦闘をね。どっちもものすごい激戦やってるからね。戦車も来るし飛行機も飛んできて爆撃するしね。15日に終戦になっていると、ソ連でも攻撃してこなかったと思うんですけどもね。

軍令部から「一刻も新京に下がって、第30軍に編入しろ」という。それで白阿線ですか。鉄道を利用して汽車で南下しようとしたらしいんですけどもね。なにしろ直線距離でも 700キロぐらいあるものですからね。

ところが鉄道線路はもう、ソ連軍が蒙古のほうから入ってきて寸断しているんですね。ですから、中央突破するよりしようがなかったんですよね。それで師団長みずからいったのが、94高地から標高914メートルの高地から、各部隊から選抜した兵隊を集めてね。そして、敵陣に夜襲をかけてソ連軍をせん滅しようとしたらしいんです。

そのとき、この日は十何日かな。15日だと思ったんですけどね。8月の15日。参謀長が亡くなったのが13日ですから翌日だと思ったんですが、その日に15日か13、14。翌日14日にね。14か15だと思ったね。敵の戦車が現れたんですよ、その西口に。はるか向こうから、のこのこ現れたんですよ。2台か3台見たわけです。

そしたら「総司令部の全員、軍装をととのえて突撃するから」と言われたんです。「全員、銃を持って出ろ」と言われてね。突撃するといったところで、「あの広い野原なのに、どうして戦車と立ち向かうか」と、ちょっとこっちもびっくりしたね。

そしたら、はるか後方から砲兵が撃ったんですね。それが命中したんですよ、戦車に。

1台か2台、かく座(かくざ=こわれて動かなくなること)したんじゃないかな、戦車が。そしてあと皆、山のかげに後退して見えなくなってしまったんですね。それでまず収まったんですね。

その晩なんですよ。師団長が「高地から攻撃をする」と。「夜襲をかける」と。標高 914メートルですか。それも、なんにもわれわれ知らないんですよね、そういうことをね。

そして夜8時ごろかな。真っ暗になってから、師団長が馬に乗って当番兵を連れて立ったんですよ。「おい、お前らあとからついてこい」と言われたんです。「どこへ行くのかな」と思ったら、「いずれついて来い。一緒に」10名ぐらいわれわれ兵隊、後ろから完全武装してね、ついていったんですよ。先頭に下士官が日の丸の旗を持ってね。そして次に師団長が馬に乗ってね。そしてわれわれ兵隊が、後ろからついて行ったんですよ。

だいぶ行ったね、坂道、山に登るのにね。そして途中でいっぺん、中腹から双眼鏡で眺めておったんです。真っ暗でなんにも見えないところなんけれどもね。それで「よし」と。それからまた戻ってね、山頂目指して登ったんですよね。

いや、しんどかったね。とにかくささやぶとかバラでね。とにかくついていかなくてはならないもんだからね。「遅れてはならない」と思って、高地の山頂に行ったら「よし、ここだ」って。「よく師団長が場所をわかっているもんだな」と思ったんですよ。そしたら前衛というのがあって、おそらく捜索連隊かなんかの前衛が、1個中隊か前におったんだ。それらが全部、準備しておいたんだね。「よく師団長がこういう場所をわかったな」と思ったんですよね。「ここだ」と。ちょっと広いところに陣取って。そしてこうして時計を見ておったね。「まもなく12時だ。よし」と声かけたらね、その下士官がね、下士官だか士官だかわからないんだけども、なんかよくよく見ると、アオヤマという参謀部のなんだ、あれ。その方じゃないかと思うんだけどもね。土に点火したんですよ。そしたらスパーッと空高くね、照明弾があがったんです。それが青とか赤とか、ヒラヒラヒラ落ちてくるんですね。下が真昼・昼間と同じように見えるんです。それが消えると真っ暗闇なんです。

そしたら一斉にウワーッという喚声が聞こえたんですね。攻撃の総攻撃。ちょうど映画を見てるようにね。弾が飛んで行くと放物線を描いて、点々点々(・・・・)とよくテレビでも見るように太い線と細い線、どんどん見えるんですよ。

ソ連のほうからも飛んでくるのが見えてね。その間、おそらく爆雷を持って飛び込んだ兵隊もいたんじゃないか、と思うんですけども。あとはソ連の戦車なのか、ものすごい鉄板の音がしてね。金属音がピーンと響いてくるんだけどね。ちょうど高いところから鉄板を落としたようなね。バーンとした。おそらくあれ、爆雷を抱いて飛び込んだ特攻隊員じゃないかと思うんです。その行く前に、まだ明るかったね。夕方に、特攻隊が何人、20~30人爆雷を抱いて行ったところを見たんです。

ですから皆、その近くにおったのか。攻撃隊に入ったものかわからないんだけどもね。どこの部隊かもわからないしね。その山頂というのは、もう尾根の道がはっきりわかるんだね。だいぶ高いんだけどね。興安嶺(こうあんれい)なのか。とにかく山の尾根が星の明かりではっきり見えたね。ただ、戦っているところは真っ暗なのよ。

その砲弾とか、なんかさく裂するときは明るくなるからね。ちょっとだけ見えるんですよ。

あとは真っ暗でなんにも見えないんです。それが明け方まで戦闘してるんだね。夜が明るくなってきたところに師団長が「よし、この辺で終わり」と。

どんどんトラックが出発したもんだからね。「早く乗れ」と叫ばれてね。最後のトラックかな、飛び乗ったんですよ。

それからというのはすごい雨でね。山から川のように流れてきてね。泥にはまってトラックが動けなくなってしまったんですよ。「みんな、トラックからおりて進め」と言われてね。トラックから飛びおりて行ったんですよ。

ハマコ―ザを目指して行ったんですけども。ハマコ―ザの手前だね。そこで「ここで今晩ひと晩、露営する」と言われて、みんな山を登ったんですよ、山道をね。だいぶこう配の強い斜面だったけどもね。そこを登って行ったわけだ。

そのとき、あしたの食料だと渡されたのがジャガイモ。親指ぐらいの細いのを5本です。
「これ、あした1日分だ」こっちは腹減っているしね。のどがかわいているから、歩きながらみんな食べてしまったんですよ。

そして山の上に行って、「いよいよゆっくり休めるな」と思ったらね、見たら師団長が立っているんだものね。さっきの西口のほうから飛んでくるんですよ。小銃の弾がね、ヒューヒューうなってね。師団長がじっと双眼鏡をかけてね、ソ連軍のほうを見ておったね。

こっち、弾でもあたると思って気が気でなくてね。師団長の後ろでそわそわしておったらね、後ろを振り返りもしないですし。師団長が双眼鏡を見ながらね、「お前らは初年兵だろう」と言われたんです。「はい、そうであります」と言ったら、「弾のほうからよけるんだから、君らにはあたらんよ。怖くないんだから心配することない」「はい」としているうちに、師団長がにっこり振り向いてね「いや、ご苦労」って。

たまたま興安嶺を越えて南下して行くソ連軍とぶつかった。交差してしまったわけです。
そしてどっちから発砲したのかわからんけどもね、戦ったんだね。それで師団長が命令を下したんです。「戦え」と。「攻撃しろ」ということになって、そこで初めて戦闘したんです。ところがソ連がもうだいぶ南下してたのが引き返して、その号什台(ゴウジュウダイ)の戦闘に加わったんだね。

ところが 107師団の戦闘、もう終戦になったところの音徳爾(オンドル)まで行ってあったんですね、部隊が。たまたま司令部がぶつかったもんだからね。それで師団ていしん隊というのが戦ったし、201部隊は歩兵連隊がそれに加わって激戦したという。

わたしが25日から戦闘が始まったんだね。そして26日にわたしらがそこへ行ったんですよ。どんどん弾が飛んでくるんでね。すごい砲撃されてね。伏せたんですよ、そこに。われわれの何人、10人ばかりおったんだけども、伏せて立ちあがることができないんですよね。どんどん飛んでくるもんだからね。そのうちに一発が、迫撃砲弾が目の前に落ちてしまってね、ボカーンとやられた。さく裂したんだね。わたしはそのとき真っ暗になったね。そのさく裂した土煙でね。そしたら左手に冷水をかけられたようにね、ヒヤッと冷たくなったんですよ。そしたらすぐ煙が収まってね。見たら手からシューシューシューシュー、血が飛び出しているじゃない。本当にシューッと出るんだね。よくよく見たら、ちょうどここがV型にえぐられているんだね。見たら、この骨とか筋が、青か赤が見えるんだね。

「はて、指5本まだついているから大丈夫だ」と思ってね。ところが下の草むらが真っ赤にね、こうやれば血がたまるんですよ。すぐ。パッとして、これじゃ大変。今だったら出血多量で倒れてしまうね。

だから、すぐに三角巾(三角きん)を取り出してぐるぐるまいたんだけどもね。すぐびしょびしょになるのね。それでゲートルを片方外して首からつったんですよ。そしてまず、鉄かぶともしばったのも、切れて後ろのほうに飛んであったんですよ。そして銃を持って鉄かぶとをかぶって、ひとまず飛び出したんですよ。ちょっと小高い傾斜になった山を登っていったらね、待っていたんですね、戦友たちがね。

そしたらそこに、士官だね。下士官じゃない見習士官なのか将校が立っていたんですよ。「大丈夫か」と言うわけだ。「はい」と。「ちょっと、腹を出して見せろ」と言うわけだ。「どうしたのかな」と思ったら、ここに薬のうってバンドのあれに弾入れ、薬のうというんだけど。それにぎっしり詰めて。一発も撃ってなかったからね、びっしり入っていたの。それがポロポロ落ちるというんですよね。

それで「腹に弾あたっていないか」というわけです。見たら、なんだ、薬のうに穴が開いているんですよね。あんな厚い生皮なんだけどもね。腹はなんとでもない。これでよけたんだけども、ただ小銃の弾でもね、薬きょうのほうにあたったら、逝くんだよね。ところが弾の先、弾がつぶれているんですよ。そんだけ強くあたったんだね。まぁ運がよかったわけです。

そんで将校が、「お前の銃と拳銃と、交換しろ」と言う。「いや、拳銃はいらない」と。「軍刀もいらないから。おれはまだ片手で戦えるから」って銃持ってね。そして司令部についていったんですけれども。

戦友たちから三角巾を集めてね。ぐるぐるまいて、そしてその将校が「ここに止血しろ」と。ここじゃなくて。ここにその三角巾をさいてぐるぐる巻いてね。暗号士だから鉛筆持っていたからね。鉛筆を挟めて、ぐるぐる絞られたんです。痛いのなんのね。これ復員してからまでも型ついてました。ここに黒くね。それでまあ止血して、そのまま行軍したんですよ。

そしたらその晩がまた雨が降ってね、雨水がしみて痛いのなんとも。

そして26、27日の日かな。夜明けごろかな、師団の患者収容隊の軍用トラックが来たんですよ。そしたら、うちの師団の将校が「君、乗っていけ」と言う。「けがしているんだから乗っていきなさい」と言う。そのトラックに乗ったら、座るところもないほどごろごろ。死んでいるのか生きているのかね、いっぱい乗っていたんですよ。

そしてトラックが猛スピードで行ったんだけんども、それが音徳爾(オンドル)に着いたんですよ。で、音徳爾に降ろされたんですけども、そこが終戦になった土地なんですね。

そこで昼過ぎだね。何時ごろか、12時過ぎてからだね。飛行機が飛んできたんですよ。見たら日の丸の旗が、日の丸がついているんですよ。いやぁ、ようやく友軍が来た、と喜んだんです。

そしたらビラまかれてね。だいぶビラまいたね。落ちてきたビラを見たらね、B4ぐらいだね。B4ぐらいの大きさでね、タイトルが「日ソ停戦協定成立」と書いてあるの。そして次にちょっと小さな活字でね、かじょう書きに書いているんですよ。5か条ぐらい書いてあったかな。その最後を読んだらね、「速やかに近くのソ連軍に、武器弾薬を提供するように」という。「渡せ」ということに。

「はて、これはちょっと怪しい」と。「停戦だったら別にわれわれ武器、ソ連軍に渡す必要ないじゃないか」という疑いがあったんだね。それで、そのうちに飛行機が着陸したんだよ。そしたらやっぱり、なんだな、それから降りてきたのがソ連の将校なんだわね。日本の参謀2人と3人。そして師団司令部の場所へ行ったんですね、通訳も連れて。それで師団長に初めて終戦の詔書(しょうしょ)を伝達したんだね。それは書かれているとおりです。

そして直ちに軍用トラックに、これ見たんですけども、大きな赤い旗とね、日の丸の旗と白い旗と立ててね。そしてミゾイ参謀が乗っていったのを見たんですよ。それにはもちろん、ソ連の将校が乗っていたと思うんですけどね。軍使に来たソ連の将校が乗って、疾走していったんですよ。で、とめたんだね。その戦いをやめるようにね。あとは書かれているとおりだね。

その翌日から4日3晩だね。行軍させられたんですよ、興安まで。ソ連の兵隊は馬で、マンドリンの小銃を持ってついてくるんですよね。何人かね。捕虜って惨めなもんだな、と思ったね。そのとき何にもないしね。ただ歩くだけで。むしろ疲れるんだね。軍装をしている時と違ってね、銃も何もないから身軽になったようなもんでも。だけれども次々と倒れて行くんだね。暑さがひどくて。最初は上着を脱ぐ。シャツを捨て。最初は裸になって、あとはパタンと。ずいぶん死んだね。行軍中に。4日間のうちに。

興安まで行って、興安の郊外の急斜面のある山に全員、そこに置かれたんですよ。1週間ぐらい野宿してたんじゃないかな、そこで。

わたしはもう、「ソ連の軍医がね、今、戦傷病者を探している。うちの班ではお前だけが負傷しているが、情報おりるまで待ってろ。隠してろ、情報をね」ミゾイ参謀から言われたんですよね。おそらくあのとき、けが人とか病人、まとめてばっさりされてから、と思ったんじゃないかな。処分されても困ると思ってね。

そのうちにまた来たんだよね、そのソ連軍がな。そしたら「大丈夫なんだから、行け」というわけで、行ったんですよ。そしたら白い建物の中に入ってね、入っていったら、びっしりけが人とか病人が何百人かいたか。とにかくすごい数なんですよ。そこに入ったんですよ。そしたら女の軍医ともうひとりのソ連の軍医が入ってきてね、おれのこと指さしするんだもんね。「出てこい」というわけで。

「どうしたのかな」と思って。「外へ出てこい」と。そしたら「このほろ馬車に乗れ」というわけだ。

「興安の野戦病院まで送るから、これに乗れ」と。ところがそれに2~3人乗ってね。お前だったら4人だから、座ってでも行けるからって。

で、そのほろ馬車の馬主ですね、馬主のわきに座れ、というわけで。座ったんですよ。そしたらよくよく見なかったけれども、後ろにズラッとほろ馬車が20台ぐらい並んでいたんですね。ピーッと吹いて。そのほろ馬車の隊長かな。本当にしわくちゃの老人でね。なんか笛を吹いたら出発したんですよ。

そのときに、興安にその山に来るまでの間に、川から水泳してたソ連の兵隊たちね、まる裸であがってきたんだね。パンツも何もないのね。そして略奪だわね。時計とか万年筆とかバンドとかね。あるいはその場で殺されたのも何人かあったのかな。そのほろ馬車の上から見るにね、死体が何体か見たんですけどもね。もう1週間であれだけ、もう骨が出てきてね。なんか見られなかったね。そっちこっちに死体があってね。

そして興安の町に初めて入ったんじゃないかなあ、われわれ。われわれの部隊では初めて入って。橋を渡って、広い川があってね。そこの川端に天幕を張った野戦病院があってね。そしてわれわれ患者は別な天幕に。ただ草むらに天幕を張って、それだけなんですよ。そこに寝せられたんですよ。入れ、と。

そしたら毎日10人ぐらいは死んでいくんだね。川端に穴掘ってね、毎日埋めていくんだっけね。こうやって。そして名前を書いた墓標をたててね。それには蒙古兵もだいぶいたったね。ちょっと見た顔は日本人にそっくりなもんだからね。蒙古兵か日本兵かわからなかったけどもね。だいぶ死んだね。あの川端にズラーッと墓標がたってたね。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1924年
岩手県盛岡市に生まれる。
1945年
満州に渡り、ハルビンの第107師団捜索第107連隊に入隊、号什台の戦いにおいて、迫撃砲団の破片で左手負傷、イントールにて武装解除、チチハル陸軍病院に入院
1946年
コロ島から復員(佐世保)、復員後は、家業(木工業)に従事した後、岩手大学に文部技官として勤務

関連する地図

満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

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