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タイトルタイトル: 「多くの部下を失った大隊長」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
名前名前: 長嶺 秀雄さん(第1師団 戦地戦地: フィリピン(レイテ島)  収録年月日収録年月日: 2007年12月、2008年6月

チャプター

[1]1 チャプター1 第1師団へ~「レイテは短期で決着がつく」  05:46
[2]2 チャプター2 レイテ上陸  04:05
[3]3 チャプター3 すぐに予感した苦戦  09:26
[4]4 チャプター4 前任者の戦死で大隊長に  04:10
[5]5 チャプター5 思い知らされた米軍との武器の差  10:04
[6]6 チャプター6 まったくなかった食糧補給  03:32
[7]7 チャプター7 飢餓の中の転進  02:52
[8]8 チャプター8 軍隊という組織  03:53
[9]9 チャプター9 レイテからセブ島へ転進~取り残された兵士  09:21
[10]10 チャプター10 レイテ戦とは何だったのか  06:26

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
収録年月日収録年月日: 2007年12月、2008年6月

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そしたらね、参謀が来て、「皆さん集まってください、これから第1師団が来ると。第1師団は満州にいたんですけどね。それで、「古い大尉、若い少佐クラスの人を3人欲しがっている」と。そしたら誰も手を挙げないんですよ、「志願者いませんか」、と、誰も手を挙げないんだ。みんなその第1師団に関係ないからね、「あ、そうですか」と言って参謀帰った。
 
そしたらね、30分ぐらいしたらまた来たんです。「山下大将が、あなた方の中で3人第1師団に志願者を募っておられる、3人出してくれって」。でね、そいじゃあと思って、僕は本籍東京でしたからね、麹町。「そいじゃあ参謀殿、僕が行きます」って手を挙げた。そしたら、僕より先輩は誰も手ぇ挙げない、僕の後輩が2人おった。さっきの郡上音頭の男とね、それからもともと東京の部隊にいたマセという男と3人手を挙げた、「長嶺さんあんた行くんなら僕らも行きます」つって手を挙げた。
 
そしたら参謀が、「長嶺君、あんたはもともと大阪の連隊じゃないか、東京の連隊関係ないよ」と言われたけど、「いや、僕は本籍東京ですから参ります」つった。で、参謀は黙って帰った。
 
それで30分ぐらいしたらまた来て、「もう山下閣下が3名行かせるように決められましたから」というので決まったんです。だから第1師団はそのころずーっとマニラに入港中ですね。それでもう、「翌日の昼めしを山下大将が一緒に食事すると言っておられる」というので食事しました。

Q:そのときどんな様子でした?

ああ、だからね、山下さんは当然、それから参謀長は武藤(章)中将でね、もうその戦況を知っておられたと思うけど僕らには言わない。それで、「ああ、ご苦労である、まぁ体を気をつけて行ってくれよ」って言ってね。それで、山下大将が面白いんだ、ハエたたきを持ってね、それでハエをパタンパタンとたたいて、何も話さない。で、武藤中将がいろいろ雑談をされましたね。
 
それでその、港に行った。そしたらね、僕ら昔さ、軍用行李(こうり)つってね、大きなカバンですわね。大きなカバン、それを持って港に行きました。そしたら第1師団の参謀がいて「君は57連隊」「君が第1連隊」「君はその49連隊」分けた。
 
で、僕は船に乗ろうと思ったら連隊長の宮内さんがおられてね、おられるから敬礼をして、「57連隊付きになりました長嶺少佐であります」って、「はあ、ご苦労をかけるが頼むよ」と言って、そんでこんな大きなね、もうこう大きなカバンです、カバンって行李ですけどね。
 
そしたら軍の参謀が来て、「長嶺君そんなもの要らんよ、君らがそのレイテへ行ったらもうイチコロで勝てるよ」と、こういうことを言われるんですよ。「あ、そうですか、そんなに景気がいいんですか」つって、じゃあカバンは全部下ろして手提げだけにして、手提げカバンだけにして、もちろんピストルですね、拳銃とか双眼鏡は持ちますよ、それから軍刀はね、それで船に乗りまして。

レイテの西海岸のオルモックに夕方スーッと4隻並んでね、こう4隻並んで、それから上陸用舟艇を下ろして、それでズーッと行くわけです、夕方。そのときはね、ああこれは海軍もよくやってくれて、1隻もこっちはやられてない。それだからね、「これは勝つかもしらんぞ」と、あわよくば勝つかもしらんぞという気持ちで出ましたね。
 
僕はいちばん先の上陸用舟艇に乗ってって、それで、上陸用舟艇だから海岸まで行けるんですけど、やっぱり底がつかえるから、海岸からね、30メートルぐらいの所でズズズズズーと砂の中にこう行って、だからやっぱり飛び込まないかんでしょ。それであの、海の海岸に飛び込んで、それで昼間暑かったから水の中にジャボーンと飛び込んだときは、こう冷たい感じが実にいい気持ちですよ、さわやかな海のさわやかさで。それでオルモックの海岸に無事に全部上陸をしたんですが。
 
それで、大体夜の間にまぁ7割ぐらいは上陸をして、ほいでやっぱり一晩中やっぱり、弾もある大砲もあるいろんなものを上げないかんでしょ、上陸するから、だからやっぱり1日はかかりますよね、ええ。
 
そしたらね、師団からね、「長嶺少佐、大砲の弾やなんかを陸に上げるから、海岸に置いといたらやられる。だから海岸から4キロぐらい離れたフアトンという所に持っていって、分散してね、分散して隠してくれ」というので、その弾薬なんかの分散をやってました、僕はね、2日の日。
 
だから、
1日、2日。そしたらさ、2日の午後もう夕方近くなって、B24の編隊が来たんですね、アメリカのね。「うん、これはいかんぞ」と。まだ上陸がもう、まぁ90%上がってますよ、で、あとね、10%はまだ弾だとかそれから大砲を引っ張る馬が乗ってるわけだ。
 
僕らの乗った船は「能登丸」といってね、「能登丸」という船に乗ってたんですが、その「能登丸」に弾が集中しましてね、それでその、ほとんど、僕が双眼鏡で見てたんですが、だんだんだんだん傾いていくんですよね。

それでレイテはもう16師団が頑張ってるということでね。それでそしたらその、「16師団が苦しくなってるから早く応援しろ」というのがそのあとで来るわけですよ。だから、僕は連隊本部、まだ大隊長になっていないときですよね、連隊長のそば、相談役みたいな格好でいたわけでしょ。
 
それでも陸軍が、僕らが陸軍が初めて、「これは危ないな」と思ったのは、もうだいぶリモンに近い、近づいていく北のほうに前進をして近づいていったら、前のほうからその日本の兵隊さんがもうフラフラになって帰ってくる。それで初めてね、「あっ、こらいかん」と思いましたね。

夢遊病者みたいにもうフラフラ歩いてくる、ね。敗残兵って言いますよね、それが10名、20名、ああ僕らは、やっぱり100名以上の兵隊さんが第一線から下がってくると、北のほうからフラフラになって。「おいどうしたんだ」って聞いてもね、もう気が抜けたようになってね、もう口も利かないですよ。だから、「あ、これはよほど激しい戦闘があったんだな」という予測はしましたね。 だからその、レイテの西海岸に米軍が上陸して16師団は頑張って守ったんでしょうけども、もうね、もうやっぱり、そのやられた16師団の兵隊さんに聞いてもね、よく言わないですよ、みんなね、もう意識がなくなってね、いわゆるその、いわゆる敗戦の軍隊ですからね。だからね、日本の兵隊さんがどんどん前に行くでしょ、向こうから下がってくるでしょ。だから「おいどうしたんだ、大丈夫か」って言っても、「はあー」ってな顔をしてね、ろくに口も利いてくれない。
 
それでしばらく行ったらその、兵隊さんが監視してるんですね、「どうしたんだ」って言ったら、「こちらの自動車がやられました」って。谷の中にね、16師団の自動車だと思いますがやられて落っこっているんですね。それをそのいたずらされないように兵隊さんが護衛に立ってる、「あー、これはいかんぞ」と思いましたね、ええ。
 
そしたらその、師団長が先にもう車で前へ行っておられましたからね。その車が帰ってきて、もうその僕の先頭に歩いていくから、もう連隊長宮内大佐1個小隊でいいと、「歩兵1個小隊でいいから早くそのリモンの峠に応援に来てくれ」と。「あ、これはだいぶ困っておられる」とね、師団長が飛び出してほいで「応援頼む」というのは、「これは」と思ったんですがね。
 その連隊長なんていうのは兵隊さん持ってないでしょ、中隊長、小隊長じゃないから。ほいだもんだからね、歩兵は大砲があるんですね、連隊砲、それから大隊砲、その大隊砲1門とその護衛、大隊砲1門と少しの弾とそれからそれを動かす兵隊さん、それに師団長とか連隊長と僕が乗って、それでダーッとあのリモンの峠にはせ参じるっていうかね。それで、それが11月の3日ですな。
 
それで、「ただいま来ました」つったら師団長が喜んで、師団長がね、歩兵が一個小隊来たと思った。ね、一個小隊というのは50名近いでしょ。「いやぁ師団長、大隊砲1門、それを守る弾と兵隊さん、それだけです」って言ったら、「えっ? それだけか」つってびっくりされましたけどね。
 
その、いわゆる歩兵を何十人も乗せるだけの余裕がないんですよね。だからその、師団長がすぐもうそこに、「じゃあ大隊砲を下ろして配備をして、北のほうに向かって警戒してくれ。おれは少し後ろへ下がるから」と言って参謀長と参謀を連れて後ろへ下がられる。で、僕らは第一線で一晩明かしたんです、そのとき、師団と参謀、スガヤマ参謀という作戦参謀がそのリモンの部落の所で、「長嶺君、これは戦況はおかしいぞ、予想した戦況よりもずっと近い所に米軍が来てるらしい」というような話をされましたね。
 
まぁね、その、ああいうのは遭遇戦、遭遇戦でもいわゆる教科書に書いてあるような遭遇戦じゃなくて、非常にまぁ教科書から言わせれば、全然そういう法則にない遭遇戦ですね、師団長がいちばん前にいるなんていうのはね。
 
というのは、戦況が予想どおり動いてないということですよね。だからその、まぁ戦況が混乱をしてくると日本もそうだけどアメリカ軍もよく分からなかったらしい、戦況の変化がね。もちろんね、日本軍もアメリカ軍もやっぱりろくな地図は持ってないし、それで住民もあまりいないし、ほとんど皆逃げちゃっていないし、だからその、戦場の実際の姿というものをつかむことができないんですよね、正直言ってね。

わたしはね、士官学校や幼年学校の教官をしてましたからね、割合早く地形を見て早く地図を作る、自分で地図を作るというのは割合才能があるほうです、ええ。まぁそれにしても僕はまだ大隊長じゃないから、もう、とにかく地形がわからないですよね、どこに山があってどこに川があってっていう地図がないんですからね。
 
だからその僕の前任者の大隊長ヒライ大尉は、何名かのいわゆる今でも斬り込み(きりこみ)隊、斬り込み隊を連れて山を越えて海岸のほうに潜っていって、で、斬り込みをやろうと思ったら先に見つかってやられちゃうんですよ。だから、もうヒライ大尉が僕の前任者、僕より若いですけどその方が先に亡くなってしまうんですね。それで、「長嶺君、君はヒライ大尉のあとをやってくれ」というんで、わたしがリモンのチャンバラの中心になるわけですがね。

Q:そのヒライ大隊長が亡くなられたのは大体戦闘何日目ぐらいですか。

あれはね、何日になりますかな、うーん、5日かな、ほんとに早い時期ですね、5日か6日か、うーん。

Q:5日目とか6日目だったら当然大砲なんかもまだあるわけですよね。

はい。

Q:なんでそんな早い段階に、斬り込みしないといけない状況になってしまったんですか。

いやそれは、まぁそれはヒライ君に聞かなきゃわからんけど、要するに敵、アメリカがどうなってるのか、それから地形がどうなっているのか、要するに暗中模索ですね。 当時はね、その斬り込みがはやった時代ですよね。それだもんだから斬り込んでも、中国でもそれからガダルカナルでも、案外斬り込んで成功したって話が多かったですよね。だからうーん、成功すると思ったんでしょうね、特に夜ならね。
 
だけどもその、アメリカのほうにしてみればその、懐中電灯もあるしいろいろありますからね。だからこの、林の中をゴソゴソゴソゴソ潜っていってから最後に斬り込むわけですから、それは楽じゃないし、いわゆる冒険ですよね、正規の戦いじゃないですからね。

まぁ端的に言えば撃ち合い。撃ち合いでまぁ、撃ち合いもね、ほとんど小銃が撃つっていうよりも機関銃ですね。それと、アメリカ軍のほうは大砲ですね。その大砲は、まぁ海軍もそうだが、僕もそう、日本の兵隊さんがいわゆる砲撃というのをいろいろやるでしょ。日本人の常識の砲撃と違うんですよ、もうアメリカのは規模が大きい。
 
だからね、まぁこちらはね、普通その、砲撃っていうと3分・5分・3分っていうふうにね、3分「バーーン」と撃ったらしばらく休んで、また5分「パーン」と撃つんです、大砲でね、それからまた撃つ。
 
ところがアメリカのこういうときの射撃というのは、時間が単位が違うんですよ。こっちは分単位、向こうは10分単位、もうね、それこそもうね、撃ちだしたらもう20分や30分じゃ終わらない、もう4、50分撃ってますね。
 
それがね、大砲の弾の種類も違うんですよ。日本のはね、ほとんどその瞬発信管といってバンバーンと破裂するでしょ。ところがアメリカのやつは、そういうのも当然使うけれども、この空中で破裂する。これを「曳火(えいか)攻」っていうんですが、火をひっぱる曳火攻っていうんですが、その曳火射撃っていうのをやられる。
 
そうすると空中50メートルか、ほんとはやっぱり効果があるのは30メートルか20メートルなんですが、まぁ50メートルでもいい。で、空中でパーーンと破裂する、そうすると弾の破片がパラパラーッと落ちてくるんですよ、それでやられるんです、ね。だから壕(ごう)の中に入ってる上から来ますからね、破片が。わたしなんかもね、やっぱりその上から弾が来るから、持ってるカバンなんかがやられるんですよ、バチーンとね。
 
だからさ、それがアメリカが始めると、日本の兵隊さんも頭上げられないですよ、みんな壕を掘ってその中へ入って耐えている。それがね、僕らの感覚ではほんとに、日本の内地でも大体せいぜい10分か20分なんですよ、その差がね。ところがアメリカのほうは、もう50分でも60分・1時間ぐらい続くんですよ。バーー、バーーと花火と同じ、ね。そうするとそのバーンと音だけならいいけれども、破片がパラパラーっと降ってくるでしょ、そうすると鉄帽にカチーンカチーンと当たるぐらいなんですよ。
 
そういうその射撃、火力、要するに「火の力」って書きますけれども、少なくも第1師団の兵隊さん、そういう経験はなかったんですかね。中国で、満州や中国で戦争してても相手が中国軍だから、中国軍は日本よりまぁ弾が少ないから、ええ。
 
ところがさ、こっちが10分撃ったら30分は撃ち返される。それがその着地してバーンバーンじゃない、空中でパーンパーンってやつをね、曳火射撃、これを使う。これはね、まぁ要するに制圧、制圧されちゃうですよ、大体ね。「はあーダメだ、これはダメだ」っていうふうになっちゃうんですね。
 
これはね、その、うーん、まぁ僕はもちろん、兵隊さんも初めて会う砲撃ですね。僕はその最初のうち、第3大隊のサトウ大尉のところにそばにいたんですけど、もうね、その道路の脇の溝に伏せているだけ、「サトウ君、これはダメだね」って言ったんですよ。頭が上がらない、頭を上げようとすると、パラバラーっ来てみんなやられるでしょ。だからね、もうほんとにこの壕の中へ伏せているだけですね。
 
そういう火力の違いはもう、わたしはもう、ほんとにレイテに行って初めて体験をしましたね。それまではね、まぁ満州でも中国でもやりましたけども、むしろ日本のほうが中国の人に対する射撃は日本が優勢だったから。ところがアメリカの火力というのはね、まぁその火力、その火力の考え方が徹底すれば原子爆弾になりますね。もうわずかな力で上からバーンと来るやつはね。

だから、どういう戦をするか、この正面はもうもうがっちり守る。もう米軍が突撃してくるまでは撃たないとかね、こっちは米軍が油断をしてるから山の上から撃つとか、そういうその僕なりの感覚で命令をするわけです。ええ。
 
だからその、まぁ今生き残っている兵隊さんが、「いやぁ長嶺大隊長のそばにいれば安全という感じを当時持った」と言ってますがね。ほかの人に比べると僕はね、もう満州、ノモンハン、中国と体験を積んでおりましたから。第1師団の人たちはね、あんまり体験してないんだ戦の体験は。だから、わたしの言うことを聞いたら損害が少ないということは言ってましたね、過ちが割合少ない、ええ。
 
だから師団の参謀になってもわたしは、あのね、自分で地図を作ったですよ。落っこったアメリカの偵察機から航空写真をもらってきてね、それで地図を作って、それでそれを各部隊の人の命令を受け取る人に写してもらった、それで地図を配るの。これはね、いわゆる非常に役に立ったですね。
 
だからね、地図を持たない軍隊なんていうのはおよそ役に立たないですよね。だから地図を作るということはやりましたけど、だからまぁ今ご質問のあるそのレイテの戦では、やはりそのときの戦況に応じて、「ここは守れ」「ここは攻めろ」っていうことをやるんですね。

要するに後ろのほうに食べものも武器もあるわけでしょ、それを第一線に運ばなきゃいけない、ね。それは極端に言えば、馬でもいい人力で運んでもいいけれども、大体は自動車ですよね、自動車で運ぶんですけれども、アメリカのほうはそれができても、日本はどんどんどんどんアメリカのさっき言った激しい砲撃でみんな車がやられちゃっておるんですよね。そうすると後ろのほうから来る食糧は、人が担ぐかね、馬で担がなければ第一線に持ってこれないというわけです。そうすると、それがこないとなると、この足元にある草でもイモでも何でも食べなきゃ生きていけない。
 
だから、わたしの部下の兵隊さんがお肉を持ってくる。「大隊長これ食えますよ」って言うから、「なんだい、これは」って言ったら、「これサルの肉です、食えます」って言うんですね。食べたらね、腹減ってるから牛肉の味がするんですよ。
 
その、ジャングルでしょ、だからアメリカが砲撃するから、人間もやられるけどサルもやられちゃうんです、その戦死したサルの肉を兵隊さんが取ってきて、「大隊長」っていって持ってきてくれる。もちろんトカゲなんかもね、食べますけどね。

ああ、普通の日本にあるこんなトカゲですよね。それ兵隊さん皮むいてね。それでね、割合あの携帯燃料は皆持ってましたね、それで煮炊きをするんですがね。だから第一線から退却するとき師団長の所に帰っていくときに、途中ずーっと帰ってきたらサツマイモの畑がありましてね、イモ畑が。もう兵隊さんの目の色が変わるですよ、イモ畑で。 そしたらね、連隊長が、「長嶺君、もういいから生イモを食べるように進言しなさい」って言ってね、「わかりました」ちって僕は兵隊さんに、「さぁ今から30分、そのイモを掘って食べろ」つったらね、兵喜びましたね、兵隊さん。生イモをかじってね、ひさしぶりにそういう生イモを食ったわけでしょ。
 
だからもう食糧がないっていうのはまいっちゃいますね。

しっかりした軍曹ぐらいの人が、フラフラフラーっと歩く、「あらどうすんのかな」と思ったら、もうジャングルの中へ1人で入って帰ってこない。それで兵隊さんに「探してこい」ちって言ったんだけど行方がわからない。要するにそのあれですかな、日本でいう富士山の山ろくにもぐり込んで分からなくなる人がいる、西富士でね、ああいうようにその、ジャングルの中へフラフラフラーと入って分からない。結局その、まぁ一種のなんていうのかな、心神喪失のような状態が起こるんです。
 
「おい、ダメだよ、行っちゃダメじゃないか」って言ってもね、フラフラフラフラーっと行っちゃって、もうわからない。それが長い間の戦闘と食糧不足でそうなっちゃうんですね。だから、そういう非常に体力もなくなった部隊を指揮するのは師団長大変でした。僕は先頭に歩いてたです、師団長に、「長嶺、お前先頭」っちゅうんでね、僕は先頭で歩いて後ろから師団兵がみんなついてくる。
 
それでね、僕はね、もうみんな体力ないでしょ、だからこの、木が倒れた倒木、倒れているとそのまままたいで逃げるでしょ。それ師団長が来て、「ダメじゃないか、みんなは疲れてるんだ、この倒木を脇にどけて皆が通りやすくしなきゃダメじゃないかっ」て怒られました。そいでね、「あーほんとに、その先頭の僕はそれを切り開いてみんなをね、逃がさないかんのに、面倒くさいもんだからくぐったりまたいだりして僕ら先頭の者は行くわけだ。それがいけないんだと、先頭に行くお前はその倒れた木を横へよけて、それで通りやすくしてやらなきゃ後ろのほうの疲れ果てた部隊は通れないつってね、師団長に怒られましたね。

条件が、弾もない食糧もない水もない、その中で軍隊というものは、その組織を崩さないでそこに存在をすることに一つの意義があるようにもっていかないかん。それができないとそれは指揮官ではないですね。
 
だから、この条件ではこういうことしかできない、ここまではできる。だから僕はさっきお話ししかけたのは、第一線から師団司令部に帰ってきたときに参謀長が、「長嶺君、ここに予備隊が100名おる、これを君が指揮をして目の前300メートルに来てる米軍の中に突撃をしてほしい」と参謀長は言われた。
 
だけどね、わたしそのときに反撃をしたんですよ、「参謀長ね、ジャングルの中を潜ってその敵のそば50メートルぐらいまで接近することは僕はできます、しかしその最後の50メートルを突撃をするときに皆やられてしまいます。そうすると、せっかく参謀長が持ってる予備隊がなくなっちゃいます。僕はご命令とあればやります、でも、それは無理であると思います」と言って参謀長と議論してた。
 
そしたら師団長が濠の中からドコドコドコっと出てきて、たったひと言、参謀長がオカバヤシさん、「オカバヤシ君、その計画はやめておきたまえ」、そして僕は助かった。あれやってたら今ごろ存在しない、それが一つの例ですよ。その条件でこれは出来てこれはできないということを上の人がつかまにゃいかん、ここまではできる。だから参謀長はね、大本営から来た偉い参謀長を連れてきた、オカバヤシさん。
 
だけどもね、図上戦術でね、長嶺のところにこれだけ予備隊が200名おると、これを連れて敵の後ろに回って突撃をしろって。それはふだんなら理屈に合ってる。そいで、「僕はそれはご命令ならやりますが、とても最後の50メートルがダメです」これがまぁ言えば実際感覚ですね。
 
そしたら師団長が出てきて、「オカバヤシ君、その計画はやめておきたまえ」とこう言ってくれたんですね。そそそ、それなんですよ、やるかやらないかということを上の人は決めないかん。

大体どこからどこに行くというようなことは、まぁ皆知らないんですよね。だけど、僕の連隊でいえば連隊長が知っておる。それで、行くんならどこどこ付近から船に乗るということをまぁ大体、わたしは大隊長であってももう大隊はないんですからね。

だから何やってるっていえば、迎えに来るということを知ってる第6中隊の生き残りがのろしの任務を、のろしを上げて来る所を教えてやらなきゃいかんでしょ、セブ島の船が来るのを。だからその、のろしを上げるということは船が来る、迎えに来るということですよね。だから、ああ、もう大体見当はつきますよ、兵隊さんでもね。そうしないと船に乗るときに混乱が起こりますからね、かえってその損害が大きくなる。

Q:混乱ってどういう混乱ですか。

ええ、われ先に船に乗るとかね、おれの中隊は先に乗るとかね、そこでいわゆる混乱ですよ、もうメッチャクチャになっちゃって。要するに、助かるために人間というのはほんとにおかしくなりますからね。
 
だからわたしのところはもう、連隊長に乗ってもらってみんな乗ってもらって僕は最後を見届ける。だけども僕は第6中隊のね、そのヒラタ以下20名ぐらいは山の上でのろしを上げてるでしょ。で、これを見捨てるわけにはいかないから僕は残るって、その海岸でみんな乗せてしまって僕は残ると。「みんな船に乗れ」って乗せてしまう、ここまでつかってね。 そしたら軍の参謀が来ておって、「何を言っとるんだ、あののろしの仕事はこれから軍が、軍司令部がですよ、軍司令部が直接あれをやるから、お前は船に乗って連隊長を助けなきゃダメだ」って言われて、もう「船が出ますよー」ってね、よく映画にあるけど、「船が出ますよー」って言ってるのに、最後に僕は海の中歩いてここまでつかって、そしたら船舶の人が僕の手を引っ張って上げてくれた。
 
だからそれは僕の歌にありますけどね、その決戦回顧にね、このね、本当に最後、このとおりなんですよ。もうほんとにもう、このね、ここの最後のところはね、もうほんとに「軍旗をば お船に移しまいらせて 残らんというこの我を、強くしったの参謀に あとを頼みて船に乗る」というとこなんですよね。で「エンジンの音も静かに離れ行く 船辺に立ちて真な友に --真な友というのは残ったヒラタ隊の20名--祈れば星の影淡く レイテの島の黒々と」ということになっていくんですよ。
 
これはね、これはね、たくさんの兵隊さんをリモンの峠で殺してしまってね、亡くしてしもうて、それで、まぁ参謀に尻をたたかれて船に乗るんだけれども、それあんた、600人もの大隊がね、ほんのわずかになって船に乗っとるでしょ。だから「僕は残ります」と言ったんだ。すると、「そんなのろしの任務のやつは軍司令部でやるから、お前は船に乗って連隊長を助けないかんじゃないかっ」ていって言われた。それで船に乗ったわけだ。
 
だけどね、もうね、船がエンジンかけて西のほうへ行くでしょ。そうするとね、レイテの山がこう黒ーく残るわけですよ、船から見るとね。そりゃあね、もう悲惨な、悲惨じゃないな悲痛でしたよね。でも連隊長も乗っておられるんで、軍旗も乗って。
 
そしたらね、僕の当番伝令が、僕が乗ってないかもしらんと思って心配してね、そいでね、船がどんどんどんどんで、朝方そのセブ島が見えるようになったらね、僕の当番のワタナベ君が、僕が乗ってないかと思って船の中をこうやって探すわけだ、彼は隣の船に乗っとって。そいだもんだから僕が、「大丈夫だ、ワタナベ」ってこう手を振って、そしたら喜んでね、くれましたけどね。そりゃあね、人間のその環境の変化の激しいこと、その中でどうやってみんなと一緒に生きていくかっていうの、大変ですね。

Q:そのヒラタ隊、残されてしまったわけですよね。

ヒラタ君の隊がね、残って僕は、それも呼びにやったんだからね。ヒラタが、「暗いといけないから」っていってヒラタを呼びにやった。そしたらもう真夜中でしょ。もう早く出ないと、夜が明けたらアメリカの魚雷艇にやられちゃいますからね。だからその上陸用舟艇は、なんとしてももう12時か1時までに出ないと朝までに着かない。非常に難しい瀬戸際ですよ。
 
だからね、もう船舶の人はね、「船が出ますよー」っていう、こっちは、ヒラタがこないよーといってるから、ほんとにこの後ろ髪を引かれるっちゅうかね、そういうことで。それで船はとうとう出てしまう。そうするとヒラタが残ったレイテの山がこう、ほんとうに黒く残って見えるんですね、そらぁ、そらぁ悲痛ですよ、ええ。結局、ヒラタのところは全滅したんですけどね、残ったからね。
 
だから僕もね、日本に帰ってからヒラタ君の遺族にね、ほんとに謝りましたよ。残しちゃってね、申し訳ないって。だから、もしもですよ、参謀が来ないで僕がヒラタの所へ行ってたら、どうなるかわかりませんね、もう恐らく生きてはいないでしょう、だからね、実にその、もうつらいとこですね。

やはり極端にいえば人の問題であると思いますね。これが大きな組織を動かすときに、よほど気をつけないと、まずいことになると思います。それは日本だけの問題じゃなしに、いろんな国の問題もあるけれども、なぜレイテ決戦なんかやるようになったんだということになると、非常に問題ですね。それは。
 
だから僕はね、大本営までさかのぼるんじゃなしに、もうちょっと下のレベルで考えられたんではないかと思ってるんですよね。レイテ決戦を考えたっていう事は、誰がどういうふうにして考えたか。マッカーサーは、アイシャルリターンで、オーストラリアからどんどんどんどん上がってきたんですけれども、はたしてマッカーサーが、レイテに来るこがわかっていたとは思えないしね。マッカーサーはどこでも、レイテじゃなくたって、直接ルソンに来たっていいわけですからね。それの判断を、なぜレイテに決めたかいう事になると、非常にこれは問題になる。
 
ただわたしは、このレイテの大隊長として、一生懸命兵隊さんとやってきて、それでたくさんの兵隊さんを亡くしたということ。そして現地の人たちにも迷惑をかけたということで、わたし自身は、できるだけの努力をしたいと思ってるんですよ。それだから57連隊なんていうのは、千葉の連隊、千葉県の連隊でありますけれども、少なくとも二千何百っていう方がレイテに行って亡くなって、それでわたしはね、戦後日本に帰ってきてから復員局で、千葉県の津田沼で整理をして、一生懸命毎日毎日ご遺族に会って説明するわけだ。その中でお父さんやお母さんが、泣く人もたくさんいるしね。そういう方に説明をしながら、復員局の仕事をやりましたけどね。つらいですよ。それはね。
 
だから、レイテで戦った兵隊さんたちの思いを少しでも生かしたいと思って、戦後はもっぱら僕は自衛隊の教育。防衛大学校作るときも、育成からお世話をしてやってきてるわけですね。 
なんでもわたしは、ほんとに子どもも、おやじばかじゃねえか、レイテレイテっていう子どもがそう言いますけども、わたしは、それをどんなばか参謀が考えた作戦かもしらんけども、とにかく一生懸命やって、たくさん命をかけて、レイテで戦った人になんとか報いないかんっていうことで、そのためにまた後輩に教えていこうっていうんでやってるんですよね。ほんとになんでレイテじゃないじゃないかっていう人もいますけども、わたしはずーっとこのレイテで、生きてるわけですよね。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~】

出来事の背景 写真昭和19年10月中旬、マッカーサー率いる20万の大軍がフィリピンに接近、上陸地点はレイテ島が選ばれた。レイテ島は、日本軍にとっても5つの飛行場がある重要な軍事拠点であった。
10月、太平洋戦争中最大の誤報がレイテ決戦の決行につながった。米軍機動部隊はフィリピン侵攻の前哨戦として台湾を空襲。迎え撃つ日本軍との間で激しい航空戦を展開した。ほとんど戦果はなかったにもかかわらず、海軍が報告した米機動部隊撃滅の大戦果を大本営は鵜呑みにし、昭和19年10月20日、レイテ島で一勝をあげることで和平につなごうとしたのだ。
昭和19年11月、1週間で勝てると言われた第1師団がレイテ島に上陸した時点で、既に制空権は米軍の手に握られ、米軍機が次々と襲いかかってきた。また、米軍の上陸直後から猛烈な砲撃を受けた。短期間の戦いを予想して十分な物資を持たなかった兵士たちは、すぐに食料・弾薬が尽きてしまった。
さらに兵士たちに過酷な命令が下された。限られた武器を手に敵陣に突っ込む「斬り込み攻撃」である。次々に兵士たちの命は失われていった。

食料や弾薬を運ぶはずの日本の輸送船は攻撃され次々と撃沈され、レイテ島の日本軍は孤立。生き残った兵士たちは食糧を求めて、密林をさまよった。

第1師団上陸から50日あまりたった12月21日、大本営はついに、レイテ島の放棄を決断、兵士たちに転進命令が下る。米軍が上陸していないセブ島で再起を図れというものだった。しかし、セブ島に行くために用意されたのは、わずか4隻の小型艇。第1師団1万3000人のうち集結地点にたどり着いた兵士は2600人。船に乗れなかった2000人はレイテ島に置き去りにされ、米軍とフィリピン人ゲリラの掃討にあい、全滅していった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
福岡県福岡市にて生まれる。
1937年
歩兵第8連隊士官候補生として満州に駐屯。その後、ノモンハン事件などに参加。
1943年
帰国し、東京陸軍幼年学校生徒監に就任。
1944年
戦況の悪化に伴い、レイテ島に派遣。戦死した大隊長の後任として、第1師団歩兵57連隊の第2大隊の指揮をとる。
1945年
セブ島で終戦を迎える。

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フィリピン(レイテ島)

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