ホーム » 証言 » 島田 殖壬さん

証言証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る証言一覧

タイトルタイトル: 「苦しみぬいて死んで行った」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
名前名前: 島田 殖壬さん(第1師団 戦地戦地: フィリピン(レイテ島)  収録年月日収録年月日: 2007年12月1日

チャプター

[1]1 チャプター1 「一週間で片がつくはず」  07:10
[2]2 チャプター2 猛烈な砲爆撃  04:23
[3]3 チャプター3 砲撃の前触れ~観測機  02:56
[4]4 チャプター4 まったく食糧がこない最前線  06:11
[5]5 チャプター5 食糧不足と病気が兵士たちの命を奪っていく  05:11
[6]6 チャプター6 レイテ脱出セブ島へ  04:36
[7]7 チャプター7 レイテ戦の残したもの  02:27
[8]8 チャプター8 終戦~捕虜収容所へ  07:26
[9]9 チャプター9 「戦争」について「語る」ということ  02:39

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
8
9

提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
収録年月日収録年月日: 2007年12月1日

証言をご覧になる前にお読みください。

再生テキスト再生テキスト

ただ、満州や中国で討伐に行くっていうことはよくあるわけよね。
そんなの、1週間も行って帰ってくるとみんな帰ってきちゃうんですよ。けが人もなくて。そんな程度の考えしかないから、マニラを船で出てレイテ島へ行くんだって言われてレイテ島ってどんな島だったって、知らねぇんだ、行ったことねぇからみんな知らないんだよ。将校もよく知らないんだから、レイテなんていうのは。そこへアメリカ軍が来たっていうから、それを撃退しに行くんだっていうから、じゃぁ1週間もありゃぁ片づくんじゃねぇのっていうんで、食糧も大体1週間分しか持ってなかったのよ。背嚢(はいのう)の中にね。背嚢に1週間持っているから大体1週間で終わると思ってたんだ、簡単にさ。 で、オルモックへ上陸したでしょう、11月の1日に。その時はまぁ幸い、どんどんどんどん荷揚げして、輸送船1隻やられたけどね。でも荷物はほとんど揚げたから、それで大丈夫だよなんて言ってるんで、それでもう白昼堂々とオルモック街道をリモン峠に向かって行軍していったわけよ。4列縦隊で。昔の満州にいた時と同じような考えだから、将校もみんなそうだから、真っ昼間、堂々と4列縦隊で歩いていきゃぁ飛行機に見つかりゃぁもろに撃たれるわけだよ。

飛行機は道路目掛けてババババァーと来るでしょう。だからみんな左右のヤシ畑にみんなバァーッと散開して逃げたんだけど、僕は逃げ損なっちゃって、道路の脇からこうやってジィーッとこうやってるんだからね。そうしたら目の前の頭のところに飛行機でもってババババァーって撃ってくるのよ。それでここへ入っちったんだけどさ。それで助かったんだけどね。もう背嚢なんかあとで見たらビリビリ。でも中いっぱいいろんなもの詰めといたんで、背中へはこないで背嚢で止まってたから、あれよかったけどね。

それでもいっしょになってずーっとリモンに向かって行ったら、歩1(歩兵第1連隊)がピナ山っていう山へ登ることになったんですよ。そのピナ山へあがって、アメリカ軍がこっちから来るやつを阻止するっていうわけ。49(連隊)と57(連隊)がさらに前進してリモン峠に入ったわけ。そうしたらリモン峠で大激戦になっちゃったわけよ。米軍がずっとリモンに回ったから。歩1がピナ山にあがっても意味がないから、すぐ戻れって言って、また戻ってきたわけ。1週間ぐらいで。

その間に僕の所属してた第2大隊っていうのは、ルソン島のあれ、港、なんて言ったかなぁ。パロンボンじゃぁなくて、なんだっけなぁ、あれ。あとで思い出したら言うけど、そういうマニラまで入るうちに、輸送船がもしやられちゃうと全滅になるからって、2大隊を上陸させたんですよ。49(連隊)も57(連隊)も1大隊ずつ上陸して、3大隊つくって、それが徒歩でもってマニラへ行った。その連中は遅れちゃったわけ、なかなかこないんで。その遅れたまぁ僕らで言えば第2大隊がハラグチ山って、さっきお話した山へ師団司令部の直轄でもってそこへ入っちゃったんですよ。

49(連隊)、57(連隊)が道路上に出て行ってもう、激戦してやっているんですよ。で、僕の所属している二大隊っていうのがハラグチ山へ入って、僕の歩1の本隊はピナ山っていう山から急いで下りてきたわけ。本道上が危ないっていうんで、道路上へずーっと前進したから、第2大隊の2つの大隊は、ハラグチ山で玉砕しちゃったけどね。
1大隊と3大隊はずっとさらに前進してリモンの峠の向こうっ側へ出たから、それでもみんなやられたけどね。

Q:玉砕って何人ですか。生き残れたのは。

第2大隊で24~25人とか言ってた、僕の中隊で。全部で大隊全部で50~60人じゃなかったかなぁ。

Q:何人のうち?

500人ぐらいのうち。もうキライ高地っていう、そこでもってほとんどやられたらしいんだよね。転進する時に、大体、その50人ぐらいしかいなかったみたいよ。その中で僕の中隊で知っている人に会ったの、さっき言った2人だけね。あとほとんどいなかったから。何人かは負傷してね。オルモックの野戦病院へ行った人もいるけど、野戦病院のさっき言ったように最前線だったから、恐らく助かってないと思う。

Q:それを思い返すとどういう気持ちになりますか。

そういうの? だから行って悪し、下がっては死体ね。どっち行っても、僕も肩をけがしたから、ドウナイっていう部落から少し後ろへ下がると、包帯所って言って手当てをしてくれるところがあるんですよ。そこまで道路上を歩いていくでしょう。その間に道路の上へバンバン大砲の弾落ちるの、向こうは道路を目がけて撃ってんだから、補給ができないように。だから歩いてたっていつ落ちるかわかんないのよ。現に僕が歩いている先、50メートルぐらい先に5、6人の兵隊歩いてたらもろにそれがやられてさぁ。全員戦死しちゃって、そこで。道路の上歩いていて。そんな状態だからね、道路上歩いていてもいつ落ちるかわからないっていう状態ね。

で、下がってきて肩の負傷の治療をしてもらって、弾を抜いてもらって、いくらか腕が使えるようになったでしょう。そうしたらもう前線からどんどんどんどん帰ってくるわけよ、負傷兵がみんなその道路を歩いてね。中には片腕とられても平気で歩いている人いたものね、気丈な人でね。そういう人いっぱいいるよ。鼻撃たれている人もいるし、胸撃たれている人もいるし、みんな病院下がったり、病院はもう地獄だって言ったね。その後全部死んだのは。

Q:地獄ってどういうことですか。

だって、鉄砲もない、歯向かうものは何もない、でも敵は目の前にどんどん迫ってきて撃ち込んでくると、もう死ぬしかないじゃないの。逃げまどうしかないっていうことは、鉄砲があればまだ向かって行くっていう気があれば、それほどでもないの、怖くないのよ。

何にもなかったら怖いよ。強盗があんた、拳銃持って来て、ドドドッてやられてこっちなんにもなくて、こうなっている状態と同じですよ。こっちにもなんか刀でも拳銃でもありゃぁこの野郎っていうふうに向かっていけるけどさ。なんにもなかったらどうしようもないじゃない。体はけがして動けない状態でしょう。殺されるのを待ってるだけだもの。だから丈夫な兵隊よりけがしている人のほうが気の毒だね。動けないから。

まぁね、なんて言ったらいいかねぇ。米軍との戦いっていったら、まぁジャングルが平地になっちゃうぐらい撃ってくるからね、大砲を。で中国兵と違って突撃がないんだよ。皆殺しにして入っていくんだから、それでもさらに死体が怖いからっていって銃剣で刺して撃ちこんでくるんだからさ。死体に対して。

Q:死体に対しても?

そう、怖いもの。死んだふりされてたら危ないから。そういうふうな状態で入ったくるんだよ、彼らは。

Q:死んだふりをして反撃することもあったんですか。

反撃するより隠れるんだよ、もう。逃げるためにさぁ。そういう人もいたと思うよ。おれだってそうしようかなと思ったこともあるもの。死んだふりしちゃおうかなと思ってね。それで入ってくるんだったらしようがないから、もう手りゅう弾持って飛び込んじゃおうと思った。

どんなことよりも何も、当たらないようにと思ったよ。ダァーッと怖いから。それまでそんな思いしたことないもん、1回も。初めてそういう思いしたんだから。

演習は何回もやってるよ、満州で。何10回、何100回やってるけど、演習の弾っていうのは空砲だから当たらないよね。弾飛んでこない。音はするけど弾はこないよ。今度はほんとだもの。弾がバババババァンと来るんだからさ。怖いよ、それは。まして上陸してすぐでしょう。

1週間ぐらいはね、胴震いするよ。もう武者震いっていうかね、なんていうか、震えるもの、ガタガタガタガター、怖くて、初めての戦場は。大体1週間ぐらいすると慣れるよ。その砲声とか砲弾とかに。

それでさらにもう1、2週間すると今度は飛んでくる砲弾の音でもって、自分のところへ来るかこないか、大体見分けがつくようになるの、勘で。音でもってね。最初の1週間なんて、初年兵なんていったらガタガタガタガタ武者震いじゃないけど震えるよ。怖いんだよ、それだけ。そうするとまぁ死んでる、こっちのほうで兵隊が死んでるね。そういう死がいなんか見ていっちゃうと余計だもんね。余計怖くなる。

その最前線へ行っちゃって、そういう人のほうがいっぱいになっちゃうと、今度は怖いっていうどこじゃないよ、もうまぁもうあきらめだね、ああなると。あしたはわが身だよ。きょうは人の身、あしたはわが身だ。そういうふうになっちゃう。その1日が終わると、あぁきょうも助かったけど、あしたはわからないっていうこと。あしたの命の保証は全然ないんだからね。誰も保証してくれないから。

もう向こうは夜中でも撃ってくるからね。攻めてこない代わりに。機関銃をバァーって撃ってくるの。機関銃っていうのはね、5発に1発ぐらい曳光(えいこう)弾が入っているんですよ。光る弾が入っているんだ。それがピィーッと飛んでくるんだよ。その間に4発か5発はほんとの弾が入っているんだよね。見てるとわかるんだ、どこを狙って撃ってるのか、花火じゃないからバァーッとこう撃ってるから。だからあんなところに撃ってるのはまだ大丈夫だと思ってね。安心していられるけどさ。それが自分のほうへ飛んできたら大変だからね。彼らも怖いからさ。夜中でもなんでも機関銃撃ってりゃぁ彼らも安心するんじゃないの。弾が当たると思って撃ってないんだよ。ただめちゃくちゃに撃ってるんだから。

やっぱり、前からダダダダダダーンって撃ってくるとウゥーッと機首あげてくるから。飛行機がさ。そのまま行きゃぁ下へ墜落するから、ずーっと下りてくるでしょう。と、ここに道があってバババババンと撃つとずーっと旋回して谷へ下りるんだ、1回飛行機が。で、立て直してまた上がってきて、またダァーーッと来ちゃう、谷間に。1機だらいいよ。これ下りてくるまでに逃げちゃいいんだけど、それが3機も4機も回転してくるんだから逃げる暇なんかないよ。

最前線へ行くと、観測機っていうのがいるの。セスナ機知ってる? 日本の。いま飛んでいるトンボみたいな飛行機。あれがね、ブァーンっていって飛んできて、それでエンジン止めてね、スゥーッとグライダーみたいになってスゥーッと回転してくるのよ。頭の上を。それで下を見て観測して、無線でもって砲兵陣地へどんどんどんどん連絡してるわけ。どの地区に兵隊が日本軍がいると。そうすると向こう、大砲撃ってくるんだよ。そうすると着弾地点からもっと右とか、左とか、前とか、後ろとかって連絡して撃ってくるから、命中率高くなるわけよ。その飛行機に見つかると。

その飛行機、撃って落とせばいいんだけどさ。撃ち損なうと今度はこっちは見つかるでしょう。誰も撃たないんだよ、それを。上の人は、撃て、撃てって言うんだけど、撃ったら撃たれるじゃないよ。撃たれる数が多いじゃない、こっちへ撃つより。だからもう飛行機が来るとみんな隠れちゃうわけよね。隠れなきゃやられるから。飛行機は何もしないのよ、その飛行機は。だからアメリカの飛行機は平気でこうやって見てるんじゃないの? 双眼鏡かなんかでこうやって。スゥーッと行ったら、ああいいなと思うとまたブゥーンと飛んできて撃ってくる。

Q:偵察機。

観測機っていうんです。観測してるわけだ、距離感、、、距離観測。

まぁね、いいですか。まぁ長年ね、はっきり言って僕ら、初年兵、2年兵、3年兵、4年、5年兵ぐらいまでいったんだよ。その辺に関東軍の総司令まで来ているわけ。そうするともう5年、6年軍隊へ行っている人がいっぱいいるわけよ、現役の兵隊でね。

そういう人が訓練に訓練重ねた、あの寒い満州で、ロシアを敵として訓練しているわけでしょう。それで関東軍っていって、僕たちの部隊が第1師団というとおりに日本でいちばん古い軍隊。誇りに思っているわけよ。日本陸軍のいちばん最古の軍隊であり、いろんな戦争に参加しているわけ。

古い話が、西南戦争にも行ってるし、日清、日露も行ってるし、そのほかの支那人その他、みんな参戦してやっている部隊で、軍旗なんかも房だけしかないぼろぼろの軍旗でしょう。それだけに誇りを持ってるわけだよ、そこに入っている軍隊は。関東軍の統合連隊っていう、あるいは統合師団として。そういうものがいわせるんだろうね、やっぱり。だけど実際に僕たちが行ったのは初めての戦闘だからね。気持ちだけはもう誇りを持って行っているよ。統合師団の統合連隊なんだからって。

だからそれは戦時中の戦場ではもうだめなんだよ、はっきり言って。戦場で戦っている兵隊と後方にいる兵隊とがいるわけよ。さらに後方にもいるわけよ。何段階にも兵隊いるわけ。戦場の少し後ろにいるのは敵と撃ち合いしてない、あるいはたまに砲弾が飛んでくるぐらいだったら、畑へ行ってイモを掘ってくるなり、山へ行って食べられそうなものをとってくることだけの余裕があるわけよ。撃ち合いしてないんだから。

だから最前線の兵隊は食うものがないわね。だからだんだんだんだんみんな死んじゃって、やせ細って栄養失調でも倒れるし、弾にも当たって死から、こっちはまたそれ代わり繰り出しても、それが同じ状態になるでしょう。だから全部が全部じゃないんだよ。1万人の兵隊が1万人全部食えないわけじゃないんだよ。後方にいる人は食えるんだよ、お米やなんかあるんだから。ごはん炊いて食べるてる、そこで遊んでいるわけにいかないからね。何日かすると彼らはだんだん前に出てくるでしょう。そうすると亡くなっちゃうじゃない。そんなことの繰り返しだよ。結局は消去されちゃんじゃない、みんな。

Q:消去される?

うん。死んじゃうの。どんどんどんどん。そういうことでしょう。だからこっちには食べ物そっくりざっと行けば、食べられてるんだからまだ動きもいいしね。戦闘意欲を起きるけど、もう食うものはなくなっちゃう、おなかはこわしちゃう、水はなくなっちゃって、もう肩で息して歩いているようで、ハァーハァーってやってんだから、そんなんで戦争がやれるわけがないでしょう。

普通の会社だってそんな状態になったら仕事できないよ。なんにも飲まず食わず、寝ないでもってさ。何日もやってて仕事しろなんて言ったってできるわけないじゃない。そうでしょう。それに対して命がかかってるんだもん。だから戦争の過酷さっていうのはちょっと想像つかないんだよ。普通に話してもね。話しきれないわ。

Q:最前線にいる兵隊さんなのに、もう肩で息をしないと?

やってるよ、もうそういう状態。

Q:それ、どうやって戦うんですか。

だからもう壕(ごう)に入って、敵が来れば撃つしかないけど、大砲の弾で撃たれたときはもう壕の中で小さくなってやっているしかないもの。突撃も何もできないじゃない。最初の1週間ぐらいはできるよ。食べるものもあるし、元気もあるから。だんだんだんだん細っていっちゃうでしょう、それは。もうなくなってきたら。

乾パン1袋、1週間分だって言われたらどうする?こんな小さな袋の乾パン1袋ね。これ1週間で食べろっていうわけよ。1食分だよ、あれ。普通。携帯口糧として渡されるのは。こんな袋の乾パン1袋がさ、1食分の乾パン、1週間分だっていったんじゃぁ、食べたそらないでしょう。1粒か2粒食べて終わりっていうんじゃぁ。そんな状態だから。

アメリカだって補給つかないから、ところがアメリカは飛行機でどんどん落としていくんだよ、食糧を。自分の最前線の部隊へ。缶詰だとか、いろんなそういうふうなレーションといった調理しないで食べられる缶詰がいっぱいあるのよね。そのまま食べれ。どんどんそれ輸送機が来ちゃぁパラシュートでどんどんどんどん落として行くの。それがたまに日本は取ることがあるんだよ。こうなってるんだから、中間なんかへ落ちちゃうと、アメリカの兵隊、命が怖いから取りに来ないけど、日本人はもう命がけで行くからねぇ。食うものないんだから。そうするとアメリカの食糧で戦っているようなもんじゃない。そうでしょう? そんな状態なんだもん。

Q:日本の飛行機は食糧落としてこない?

絶対こない。なんにもこない。1回だけ来たっきり。1回来たのはパラシュートの落下傘部隊が1回来た。落下傘部隊が来たら兵隊が下りたってあんた、食うものあるわけじゃないじゃん。だからだめだっていうの。だから兵隊、いくら補給してくれたって兵隊さんなんか、いくら来たって勝てっこないんだよ。

Q:何をいちばん補給してほしかったですか。

大砲。大砲と爆撃機だよ。米軍のあの野砲陣地となんかばんばん爆撃してくれれば、そうすりゃぁこっちの兵隊も楽になれるよ。歩兵同士の戦いならそんなに差はないんだから、大砲で撃たれたんじゃぁどうしようもないよ。相手が見えなくて、こっちはどんどん死ぬばっかだから。そうでしょう。まぁなんてったって大砲はすごいよ。もうどんどんどんどんどんどんどんどん碁盤のしまのように撃ってくるから、生き残るにはたいへんですよ。穴へ入ってたって穴の中へ落っこってくるからね。

Q:常に撃たれている感じなんですか。

もう雨あられっていうことばがあるけど、もうそれこそ「砲煙弾丸」雨あられのごとくですよ。ほんとにそのとおり降ってくるよ。向こうの迫撃砲っていうのは3発ずつくるんですよ。大体1回カァーンと撃つと、バンバンバンって3発撃つ迫撃砲こっちの。日本のは1発しか出ないけどね。1発ここへバァーンと来るんでしょう。それで2発目はここへ来るんでしょう。だんだん近づいてくると3発目は気をつけなきゃだめよね。

動けなくなっちゃってね。だって食べるものがなくて、おなかこわしちゃって、まぁ大体、赤痢系が多いんだよね。アメーバ赤痢っていうやつ。なって動けなくなっちゃうと、もうそういう兵隊さん、ものの用に立たないじゃない。鉄砲も撃てない、何もできない、動くこともできない。助けてやることもできない。もうそのままになっちゃうからね、みんな。そういう人もいますよ。

僕はカンギポットへ転進して逃げるときにさ、僕の2人前に歩いている兵隊がいたんですよ。でもみんな黙々と歩いているわけ、喋らないで。もうなるべくエネルギー消耗しないでだまっちゃって下向いて歩いている。そうしたらもう突然バチャンって倒れちゃったのよ。それがさ。あっと思って、「どうした?」って声かける人もいないし、手助けしてやる人もいないし、倒れちゃうともうその人の後ろの兵隊はそれをまたいで歩いていくだけなんだよ。もうそういう状態でなんにもしてやれないよ。自分の体が目いっぱいだから、前の人が倒れりゃぁもうその人に声もかけられない、その人をまたいでただただ黙々と歩いているって、そういう状態になっちゃうんだよ。

Q:そうなったいちばんの原因はなんですか。

やっぱり栄養失調じゃないの? 食べるものがなくて、下痢はどんどん続いちゃうし、衰弱しきっちゃって、もうろうとして倒れちゃうんだと思うよ。まだそこまで自分がいかないからね、わかんないけど、その人はもうそのまんま、みんなそれをまたいで歩いてくるだけなので。

底無し沼に将校が1人はまっちゃってさぁ。だんだんだんだんこう埋まっていっちゃうのよ。あるんだよ、向こうに底無し沼っていうのは。だんだんだんだん埋まっていっちゃってもう助けてもらいたいんだけど助ける兵隊もいないんだよ。どうしてやりようもないんだ。ただあぜんとしてるだけだ。とうとう底へ潜っちゃった、これは。将校さん1人ね。道具もないし、気力もないし、力もないし、ただもうぼう然としているだけ。
 
血便が出るんだ、下痢して。赤痢だ、要するに。赤痢状態ね。だからそんな状態でもってやっているところでもって水なんか飲めばみんな感染しちゃうのよ。垂れ流してそこらにいっぱいいるんだからさ。もう衛生状態は最悪ですよ。
だから栄養失調になったっていうけど、栄養失調になる前に食糧不足と赤痢だよね。下痢。それでどんどん衰弱していっちゃうんだよね。

Q:そしてさらに衰弱して、倒れる?

そうなの、水もない、もう死ぬしかないんだ。だから全部が全部、砲弾で死んだ人ばっかりじゃないよね。病死した人も結構いると思うよ。そうしたものはわからないけどね。もう一律に戦死にしたけどさ。

Q:みんな戦死っていうことになったようですね。

なってる。うちの小隊長なんかも、ピナ山から下りて来たときはもう下痢しちゃってゲソーッとしちゃって、1人で歩けなかったんだもん。で、当番兵に担がれ、おぶわれて来て僕のところへ来て、で、置いてったんだよ、小隊長の面倒見ろって言われて、その当番兵が1人着いてたから、いままで1人で番してたの、今度は2人になったわけよ。それでもってその少尉さんの面倒見てたわけ。だけどもどうしても食べるものが口に入らないのよ、衰弱しきっちゃって。それであれ、4、5日で死んだのかなぁ。その人だけよ、ムロヌイって部落にいたから。それ当番と2人で穴掘っていけてあげたのは。それ以外はもう全部野ざらしだからね。あの人だけ、いけてあげたのは。

Q:それ、戦友を埋葬することも考えられない?

考えられないね。遺品をとってあげることもできない。だってとったってこれ、明くる日、自分が死んじゃったらどうしようもないじゃない。ほんとはこれ、切るんだよね。ここ。こういう病気って。で、くるんでそれで遺骨として持っていかなきゃいけないんだけど、そんなことしたって、自分が次の日死んじゃったら、これ誰のものかわかんなくなっちゃうし、戦死を目の前で死んだ人は誰が死にましたって言うけど、確認したって確認した人が死んじゃうともうわかんないもん、どこの誰が死んだのかね。だから生き残っていなけりゃぁ全部戦死っていうことになっちゃうんだよ。

輜重(しちょう)隊と佐倉の57連隊と、それから甲府の49連隊が大発で2回ぐらい行ったんだよ。あれ、1隊70人だから140人ぐらい渡っているわけよ。で、うちの歩1(歩兵第1連隊)が渡る時はもう最後でもって、いっぱい乗って70人の僕たちが先発で渡ったでしょう。まだ260~70人残っているんで、もう1回来る予定だったのよ。その大発がだめになっちゃったんだ。アメリカの魚雷艇にやられて船がなくなっちゃった、迎えに来る船が。

だからこっちの人はもういつ来るか、来るかと思ってたみたいよ。迎えに来てくれると思ってるから。それがぱったりとだえたから、歩1はもう最初の73名で打切りになっちゃったわけよ。あとが続かないから。そうすると73人じゃぁ戦争できないんだよね。戦争できないっていっちゃぁおかしいけど、少なすぎて。

そうしたらセブにね、輸送船がやられて上陸した中隊が1個中隊いたの。静岡の部隊の人でね、26師団の人かな。そこのニムラ隊っていう中隊の人が、独立してセブにいたから、その人たちがそっくり歩1へ入ったのよ、命令でね。で歩1と行動を共にしろって言われて、で、歩1の管轄下に入ってやったから、あの人は200人ぐらいいたから、それに70人だから270人ぐらいいると1つの部隊として動けるわけ。

それでまぁ恐らく戦争してたんだよ。だけどその人たちにばっかりやらせられないからね。こっちの70人もある程度、戦闘に参加するから、結局、半分ぐらい減っちゃったんだけどさ。37人かな、帰ってきたのは。だからそうだね、半分ぐらい、約半分ぐらいはセブで亡くなったわね。

Q:その200人、取り残された戦友の人たちはどうなったんですか。

1人も生きてなかった。終戦後に軍のお偉いさんが飛行機でもってずーっと回って呼びたけしたらしいんだよ、ビラ配ったりなんかして。もう生きている人があったら(戦争は終わったから)安心して出てこいって、日本文書いて全部やったけど、1人もいなかったね。全部亡くなったから。

たくさんセブに渡ったあとに、ものすごい攻撃されたもの。セブとレイテは近いんだよ。見えるんだから、島が。そうすると1月、2月ごろになるとレイテがものすごいの。僕たちいなくなったあと、砲声が。大砲の音がドカンドカンドカン。あぁやられてるんじゃないかなぁなんてみんな心配してたのよ。やっぱりそうだったんだよ。結局やられちゃった、みんな、米軍にね。ものすごい砲声が聞こえたもん、何日も何日も。

Q:どんな気持ちで聞いてたんですか。

だからやられてんなと思ったけど、手も足も出ないじゃない。海越えちゃってんだから助けに行きようもないしさ。それだけの兵力もないしさ。そうでしょう。だから攻められた人はその人たちだけでなんとかしなきゃなんないけど、なんともならないと思うよ、結局ね。

船があれば助かったんだ。その船がなくなっちゃったんだからさ。船があればさらにまた70人ぐらい帰ってこられたのね。結局はそういうふうな、もう品物がなくなっちゃったっていうことが戦が負けるもとだよね。なんにもないって、物を運ぶ船もない、飛行機もない、大砲もない、なんにもない、ただ兵隊さんがそこにいるだけっていうんじゃぁ、ガダルカナルと同じこと。全部餓死して死んじゃったっていうけどさ。それと同じことを繰り返したんだよ、レイテは。ガダルカナルとね。

戦死した人がそのまま放置されて、腐って骨になっちゃって、軍服着たままみんな倒れてるし、それをなんの手当てもしない、なんにもしないで放置したままで戦して、最後にそのまま残して移動しちゃったっていうことでしょうね。そんなこと、なんかやってあげられるっていう力が全然ないからね。あれがいちばん悲惨ですよ。

だから、この間、僕は心臓手術したけど、ほんとにあれ、幸せだと思う。医学をきちんと受けてさ。手当てしてもらってね。看護師の人がいろいろ面倒みてくれて、あれが戦時中にやってくれたらどれだけの人が助かったかと思うよ。そういうこと一切なしだから。けがしても、まだ生きているうちからもう見放されちゃうんだから、動けなければ。そんなの悲惨でしょう。手当てすれば助かるんだよ、みんな、それなりのね。その手当てする薬もない、手当てする人もいない、なんにもないんだから。もうその人はそのまんまっていうこと。生きている人間がいつそうなるかっていうことは、もう毎日毎日そういうふうにどんどん増えていっているんだから、自分だってその身になるんだからね。あれはいちばん悲惨だと思うよ。

もう倒れれば倒れたまんまの状態でそこに置いていかれるんだから。

Q:じゃぁいちばん後悔していることはなんですか。

後悔ですか。後悔はあんまりしないんだよね。好きで行っちゃってんだから。好きって言っちゃおかしいけど、無理に徴兵で引っ張られた身じゃないでしょう、僕。はっきり言って志願しちゃった口じゃない。だから後悔することないじゃない、自分が選んだ道なんだからさ。

だからいまでもそういうふうに何事もそういうふうに思うようにしてる。帰ってきてからも後悔はすまいと。自分が選んできた道だから、そのときに一生懸命やって、やってきたんだからもうそれ以上しようがないと思っちゃうよね。あきらめだよ、もうそうなると。会社でもなんでもそう思ってた。

終戦知ったのはね、最初は米軍のビラなんだよ。8月15日に飛行機がビラまいていったの。

Q:どんなビラを?

だからもう戦争は終わったと。米軍は何もしないんだから皆さんは武装解除して出てきなさいと。そういうビラが来るんだよ。だけど信用しないわけよ、そんな。米軍のビラなんか、日本文で書いてあるんだよね。だけど文章がおかしいんだよ、みんな二世かなんかが書く文章だから。冗談じゃないよ、こんなんでだまされるわけねぇじゃねぇかってみんな言ってるわけよ。

そのうちに師団が、やっぱり部隊が揃っていると師団司令部っていうのがあるんでしょう。司令部がなんかおかしいって気がついたんだよ。というのは、僕たちが固まっているのに米軍が全部取り囲んでいるわけ、セブで。戦車も銃砲もみんなそろっているんで見えるんだよね。全然撃ってこないんだよ、その8月15日過ぎには。なんで撃ってこねぇんだ、あいつは総攻撃してこないのかなんて、あしたやるつもりかな、あさって撃つつもりかなって、こっちはもう覚悟してたんだけどさ。全然攻撃してこないのよ。1発も撃ってこないんだよ。

司令部もなんかおかしいって言ってたら、司令部の無線になんかシンガポールかなんかの無線が入ったらしいのよ。日本は停戦してもう降伏したんだっていうことを、そういうことがね。それで師団司令部の参謀が1人、下士官が1人、白旗を持って米軍のほうへ行ったわけ。決死隊ですよ、死ぬかもしんないんだから。それで話をした結果、8月15日に日本が降伏して停戦になっているから、もう戦闘状態は解除してくれっていうことになったのよ。それで帰ってきて師団長にそれを報告して、それはどうもほんとらしいっていうことで、それで一応、そこの傘下の第一師団の兵隊にもう停戦命令が出たから、一応、戦闘状態は解除すると。で、鉄砲やなんかも武装解除になるんだから、きちんと兵器の手入れをしろっていうわけ。ね、戦争しないんだから兵器の手入れしたってしようがないと思うけど、みっともないもの出すなっていうわけよ。

それがね、8月の28日ごろだと思ったね。イーハンという高原でもって武装解除の式があったわけ。師団長が軍刀をとって、向こうの指揮官に渡して、一応、武装解除の式は終わって、僕たちは鉄砲をどんどんどんどん積み上げちゃってさ。丸裸になってね。で、トラックに乗せられちゃったんだよ。トラックに乗せられて、セブ市の収容所へもっていかれたのね。僕はほら、連隊本部にいたから、わりかた前のほうのトラックに乗せられたのよ。だからバァーッと先頭走って走って行ったからいいけど、後ろの車に乗ったのがみんなフィリピン人に石ぶつけられて、ずいぶんけが人が出たんだよ。もうフィリピン人は日本軍憎んでいるから、パタイ、パタイって言ってみんな石ぶつけるんだよ。

Q:パタイってどういうことですか。

殺せっていうこと。そのパタイ、パタイ、パタイって、首切って殺せっていうことなんだよ。日本の兵隊を。だけど米軍がみんな監視してるでしょう、銃持って監視しているから彼ら、手出すことができないわけよ。警備兵がみんな米軍が乗ってて、だから石ぶつけるわけよね。だから僕はいちばん先頭の車だからわかんないんだよ。後ろの車に日本兵が運ばれてるっていうのがわかったから、みんな村から町から人が出てきてさぁ、騒ぎたてるわけだよ。お前ら、殺されるんだ、パタイ、パタイってこうやって首切る格好だよ。何を言ってるんだ、そんなことしやがったらまた今度、またもう1来て今度ぶっ殺してやるから。当時はそう思った。もう頭にきたんだよね。フィリピンの土人に負けたわけじゃあるまいし、米軍に負けたんだからね。あいつらにあんなこと言われる覚えはねぇって。もうそのときはまだ血の気が多かったんだね。若いから。

それでもって1週間か10日ぐらいいたのかな、セブの収容所に。毎日コンビーフ食わされてさ。最初、喜んでいたんだよ。三度三度コンビーフだから。朝昼晩、朝昼晩、毎日コンビーフ。最初はもう体が枯れてるからおいしい、おいしいってパクパクパクパク食ったよ。そのうちにだんだんだんだん飽きてきちゃったの。毎日コンビーフだ。またコンビーフだ。たまにはなんか変わったものねぇのかなと思う。もう終いには見るのも、においかぐのも嫌になってきちゃった。ぜいたくだね、人間っていうのは。食べるものが豊富になるとそうなるんだよ。

それで10日ぐらいしたらね、輸送船に乗れっていうわけ。船に乗れって。あぁじゃぁ内地へ帰れるんだってみんな喜んだんだよ。そうしたら輸送船がまたレイテへ来ちゃったのよ。それでレイテにあのビサイ地区っていうんだよね、あの地区は。ミンダナオだとかレイテとかセブとかね。ビサイ地区の連中は全部レイテの収容所へ入れられたわけ。あそこでかい収容所つくったから。この本にも出てるけどさ。そこへ全部収容されたんだよ。

あぁじゃぁこれ、当分帰れないんだなって言ったけど、米軍の給与だからわりかたいいんだよ。食べるものは。パンにシチューだとか、豆をいっぱい煮てくれるとか、だんだんだんだんみんな元気になってきたんだけど、今度は帰りたくなっちゃうわけだよ、元気になると早く内地へ帰りたいって。それでなかなか帰れなかったんだけど、11月の末に、カンバック、カンバックって米軍が言うからなんだって言ったら、早く収容所へ帰れっていうわけよ。仕事している最中にね。

それでトラックに乗せられて収容所へ帰ってきたら、船に乗って帰るんだからすぐ支度しろっていうわけ。米軍ってこんなずだ袋みたいな袋持ってるんでしょう。あの中へ全部ぶっこんでさ。閉めて担いで、それで船に乗っちゃった。そうしたら1週間かかって浦賀へ着いたけどね。

内地へ帰ってきたでしょう、それで。昭和20年の12月に。そうしたら内地が食うものはない、住むところはない、着るものはない、働くところはない、なんにもないで、こんならもう少しレイテにいりゃぁよかったと。

向こうに行きゃぁ三度三度なんとか食事させてくれてさぁ。仕事もなんかあるんだよ。帰ってきたらなんにもないじゃないよ。浦賀へ上陸していちばん最初に聞いたのは、さっきも言ったように親がいないから、まず心配なのは生活だよね。どうやって生活しようかって、生活費聞いたのよ。浦賀のおばさんに、道筋の。「おばさんね、悪いけどいま内地でどれだけお金あったら1か月暮らせるんですか」って聞いたらね。500円だっていうんだよ。僕は1、2年前に内地発って戦争に行く時はさ、40~50円あれば1か月食べられたんだよ、部屋借りてても。それが「500円ないとあんちゃん、ちょっと苦しいよ」って言うから、10倍も値上がりしているわけじゃない? 10倍どうやって働こうって、そのほうが先に頭にきちゃったよ。このままぼんやりしてたら食ってかれないっていうこと。やっぱり生きることだよね。

だからわびしいもんですよ。話し相手もいないんだもの。戦争の話して理解してくれく人もいないじゃない。あなたみたいに聞いてくれる人もいないんだよ。いま平和になってるとね。それこそ身内だっていないよ。戦争の話なんかいま、孫にしたって全然聞きゃしないよ、そんなの。ほんと。

たぶん、この間、僕が手術して入院した時に看護師さんの女の子いたの。まだ20歳ちょっとぐらいの子がさ。その人のおじいさんももう90近くって、なんかやっぱり戦争にも行ったらしいんだって。だけどなんにもわたしに話をしてくれないっていうの、戦争の話を。だからそのおじいさんも孫にそんな話してもしようがないと思ってあきらめてるんだろうと思うけど、僕がちょっと話してあげたのよ。戦争へ行ったらこんなあんたたちみたいに手厚く看護してくれる人もいないしね。みんな血だらけになって野たれ死にするように泥田の中で死んでいったんだよって。それを思うといま僕は幸せなんだよって。あんたたちに手厚く看護されて病院でいろいろ手当てしてくれてるんだから、ほんとに感謝してるよって言ったらね。もう涙目になって聞いてくれくのよ、そういう話を。
 
だってあまりにも悲惨だもの。だからみんな名誉の戦死ですよって言うしかないんだよ。華々しく戦って名誉の戦死しましたって言えば安心するよ、当時の人はね、遺族の人は。でも泥田の中でもがき苦しんで、痛い痛い、つらいつらいでもってもうしがみつくようにして、殺してくれって言いながら死んでいったんですよなんて言ったら、気の毒じゃないよ、そんなことは言えないよ。

でもほとんどの人がそうだもんね。1発で即死っていうのはそんなに何人もいないよ。それこそ心臓に1発受けるとか、頭に1発受けりゃぁ即死だけど、それ以外に腹にでも当たっちゃってみなよ。苦しいんだから、腹はいちばん痛くて。もうそれこそあれだよ。殺してくれ、殺してくれだよ。

自分で死にたくて手りゅう弾、こうやるんだけど発火できないんだよ、力がないから。自殺もできない。死ぬこともできない。ただ苦しみだけが残っちゃう。で、いずれはそれも亡くなったらば終わりだけどね。そういう人たちが大多数じゃないのかね。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~】

出来事の背景 写真昭和19年10月中旬、マッカーサー率いる20万の大軍がフィリピンに接近、上陸地点はレイテ島が選ばれた。レイテ島は、日本軍にとっても5つの飛行場がある重要な軍事拠点であった。
10月、太平洋戦争中最大の誤報がレイテ決戦の決行につながった。米軍機動部隊はフィリピン侵攻の前哨戦として台湾を空襲。迎え撃つ日本軍との間で激しい航空戦を展開した。ほとんど戦果はなかったにもかかわらず、海軍が報告した米機動部隊撃滅の大戦果を大本営は鵜呑みにし、昭和19年10月20日、レイテ島で一勝をあげることで和平につなごうとしたのだ。
昭和19年11月、1週間で勝てると言われた第1師団がレイテ島に上陸した時点で、既に制空権は米軍の手に握られ、米軍機が次々と襲いかかってきた。また、米軍の上陸直後から猛烈な砲撃を受けた。短期間の戦いを予想して十分な物資を持たなかった兵士たちは、すぐに食料・弾薬が尽きてしまった。
さらに兵士たちに過酷な命令が下された。限られた武器を手に敵陣に突っ込む「斬り込み攻撃」である。次々に兵士たちの命は失われていった。

食料や弾薬を運ぶはずの日本の輸送船は攻撃され次々と撃沈され、レイテ島の日本軍は孤立。生き残った兵士たちは食糧を求めて、密林をさまよった。

第1師団上陸から50日あまりたった12月21日、大本営はついに、レイテ島の放棄を決断、兵士たちに転進命令が下る。米軍が上陸していないセブ島で再起を図れというものだった。しかし、セブ島に行くために用意されたのは、わずか4隻の小型艇。第1師団1万3000人のうち集結地点にたどり着いた兵士は2600人。船に乗れなかった2000人はレイテ島に置き去りにされ、米軍とフィリピン人ゲリラの掃討にあい、全滅していった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1925年
東京都杉並区にて生まれる。
1943年
現役兵(志願)として、東京の歩兵第1連隊に入隊。
1944年
満州を経て、レイテ島に派遣。当時、19歳、上等兵。
1945年
セブ島で終戦を迎える。復員後は東京の出版社で活版整版士として働く。

関連する地図関連する地図

フィリピン(レイテ島)

地図から検索

NHKサイトを離れます