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タイトルタイトル: 「現地住民からの食料略奪」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
名前名前: 山本 安五郎さん(第1師団 戦地戦地: フィリピン(レイテ島)  収録年月日収録年月日: 2007年12月

チャプター

[1]1 チャプター1 レイテ島上陸  06:30
[2]2 チャプター2 走らせた薪自動車  03:40
[3]3 チャプター3 略奪  09:27
[4]4 チャプター4 フィリピン人たちは、抗日ゲリラとなっていった  06:23
[5]5 チャプター5 セブ島への脱出  04:47
[6]6 チャプター6 8月15日、山本さんはセブ島で終戦を迎えた  06:36

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
収録年月日収録年月日: 2007年12月

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レイテ行くことになったの・・。25、26かな。それまで満州にいたんだよね。中国にさ。満州からレイテいったのは19年か。戦争に負けたのは20年。そうだよね。

Q:ずっと満州にいらっしゃって、レイテに行くっていうのは最初から知っていました。

もちろん知らないけどね。南方行くだなんて。上海出て台湾行くんだなんていってたけど、どうも違うんだな、なんて。もっと南方らしいぞなんてね。自分のことだから、兵隊なんてどこに連れていかれるかなんて知らされりゃしないんだから。

上海をでてから満鉄でずーッと上海にでていったんだから。それで、はじめて船に乗った時、どうも南方に行くらしいなって。でもね、絶対、日本軍勝ってると思ってたから。途中でやられるなんてことはあんまり考えなかったね。うん。米軍の飛行機より日本軍の飛行機のが強いんだ。米軍が全滅したなんていってるのにさ、兵隊だって「あ、そうか」って思ったんだから。

Q:米軍が全滅したという話を聞いていたんですか。

いや、「飛行機は飛んで来ない」と、「日本の飛行機にやられちゃって全滅したんだよ」なんてさ。そんなことしか知らないよ。勝ってるとばっか思ってたんだから。向こうは、準備してるんだろうけども、こっちは、負けて来ねえんだと思ってた。・・・

Q:じゃあもう本当に勝てると思ってレイテを目指した。

そりゃそうですよ。

Q:そんな状態で上海からレイテに向かった。そのときの船の様子で覚えてることとかありますか。

船の様子。船の周りに木材でも全部さげて、ぶら下げていったよ、船の周りに。いつボカチンくっても材木でも何でもね、・・それにつかまってればいいだなんて。そんな状態で行ったんだもん。あのとき5杯くらいの船でいったんだよ。香椎丸(第2次輸送部隊)っていうわたしらの船は無事にレイテ着いたんだ。

けっこう警戒もなにも、あんた。やられちゃうんだから。バコーンって。船だって。島があれば島影あわてて入ったりさ。制空権とられちゃったんだもん。よくレイテ行かれたと思うよ。あれだけ米軍が制空権も持ってて。

Q:島影に入ったり出たりっていう状態で。

大きい船だからそんな島影だって入るわけにいかないでしょ。香椎丸なんていうのはけっこう大きい船だから。

Q:米軍の飛行機は全滅していたと聞いていたのに、おかしいと思いませんでした。

そりゃ思ってますよ。

Q:思ったというのはどういうことを思いました。

いや、太平洋戦そのものは負けてるっていうことは感じてましたよね。うん。

Q:山本さんご自身のレイテ島での任務はどんなものだったんですか。

師団司令部の従者(司令部付きの運転兵)だったんだ。管理部のね、トラックで、上官を上陸地点から戦場まで連れて行ったりさ。上陸地点から戦場まで参謀長を乗せて・・・そしたら米軍が、どんどん上陸してるんだよな、南側の方に。そしたら参謀長がすぐ「ワーッ」て言って・・そのあとはいったい・・そして山の中に司令部入っちゃうんだよな。山の方に。見たらトラックも戦車もガンガン陸揚げしてるんだよな。かなうわけないよ。薪自動車のトラックかなんかでいってるんだからね。薪燃して自動車走らせてたんだから。薪自動車と木炭車。あんなものあったんだから。

Q:自動車は現地で改造したんですか。

こっちから持ってったんだ。改造したものを。

Q:でも薪自動車って、当時の日本軍としたらかなり重要な・・

満州あたりにはけっこう薪があったから。薪を入れてそれを木炭にして。木炭ガスで燃えてたんだ。力がなかったな・・。

Q:どのくらいの速さで走るんですか。

せいぜい、30~40キロ。そんなものじゃないかな。

Q:30~40キロ。米軍の方はどのくらいで。

米軍の方はガソリンですもの。まったくかわりないですよ。ジープでもなんでもガンガンえらいところ上がってくるもんね。ジープも四駆でしょ。日本の車なんか上がれない坂道ガンガン上がってきたもんな。あんな国と何で戦争したのかと思うと、「これだ、これだ、精神力だ」。精神力じゃ弾は出ないもん。

なに食ったかな。パパイヤも食ったし。あとは、部落に行ったらサツマイモが植えてあったからかっぱらって食ったよ。部落へ襲撃して米かっぱらったり。

Q:襲撃したとおっしゃったが現地の人がいたんですか。

みんな山の中に逃げ込んで。持ってけなかったもの置いてったでしょ。そんなのかっぱらった。

Q:それはどういうものがあったんですか。

うーん。なに食ってたっけなあ。

Q:一番ご馳走だったのはなんですか。

バナナ熟れたの食うくらいだね。

Q:最初に日本から持ってった食糧っていつごろまで。

そんなの上陸してすぐなくなっちゃった。

Q:それから現地のものを食べて。お肉はたべなかったんですか。

肉は犬でも何でもぶっ殺して食った。レイテの大事に飼ってる牛かなんかも見つけて食べた。殺して、かーって食ったよ。牛なんて生で食ったもんな。腹減っちゃてるから。

師団司令部にいたんだけども、隷下部隊は大勢だからね。我々は何千人だ-。どういうもの食ってたんだかー我々は。管理部は管理部で「現地物資見つけてこい」だなんて。部落へ行ってフィリピンの置いてっちゃった米とか、あんなものかっぱらって食ってたんだ。

それは現地物資収集ってしょっちゅう。何にもないんだから。5,6人でね。土民が逃げた部落のあとへいってトウモロコシでもなんでもかっぱらってきたんですよ。それで偉い人や何かの食糧にしてた。そこに持ってこないのも、我々が土民の部落にね、かっぱらいで行った我々がね、土民の部落、逃げちゃったあと行くと、トウモロコシでも何でも、いっぱいあるよ。そいつを煮たりなんかしてね。仲間で腹一杯食って、残ったの持っていって。そんなことやったんだよ。だって偉い人はそんなことやってないでしょ。兵隊は物資収集しろっていわれたらあるところへ行ってかっぱらってきたんだよね。

Q:でもフィリピンの人は抵抗したりしないんですか。

うん。みんな山の中逃げちゃって遠くのほうで見ていた。米軍が上陸してからアメリカ軍と一緒だからね。

Q:米軍が上陸してからどうなんったんですか。

そりゃ我々だって、山の中逃げちゃった。

Q:山本さんご自身は一回も現地の人に会わなかった。

戦争中。最初のころは現地人と一緒ですよ。

Q:現地人と接してた。どういう形で接してたんですか。

だって米軍が上陸するまでは日本軍にフィリピンはついていたんだからね。米軍が上陸して全部寝返ってしまった。みんな逃げちゃったんだ。まあ、いいんだなー、南方は3ヶ月に1回ぐらいは実るからなバナナが。満州あたりでは食うものないからな。南方は暖かいところでなにか食うものあるからな。ヤシの実落っことして割って中のやつ食ったり。パパイヤの実だって青いやつ煮て食ったりさ。なんとか食うものあったからさ。

Q:その日本の軍隊もフィリピンに対して相当危機感を持ってたんですか。

もっともそうですよ。だって米軍に負け始めたらどうしようもないでしょ。内地から何も来るわけじゃないしさ。米軍は近代兵器もってどんどん上陸してくる。勝てるわけがないんだよ。フィリピンだって全部アメリカについちゃったんだから。

フィリピンはみんなアメリカ軍になっちゃったんだもん。

Q:アメリカの兵器をもったフィリピン人に会ったことはある?

だって会えばみんなアメリカの兵器だよ。日本の兵器なんて持ってないよ。全部アメリカになっちゃったんだもん。こっちが逃げちゃうってなって、フィリピンが追っかけてきたってアメリカの機関銃だよ。銃だってみんなアメリカのカービン銃だよね。日本じゃろくな兵器はないから。

Q:夜、見つからないようにフィリピンの部落にいったりしてたんですか。

夜、行かない。昼間、行くんだ。昼間、行けばみんな逃げちゃう。どっかに隠したものがあるからな。米だとかさ。夜、行ったってわかんないもん。昼間、鉄砲持っていって、フィリピンにいわせりゃバーンなんて撃つから、昼間、出てこないから。ジャングルに入っちゃって。フィリピンの部落にあるものみんなちって食っちゃったんだから。

Q:フィリピン人を見かけたら。

あー、殺せっていう命令。

Q:なぜそういう命令がでたんですか。

みつかりゃあそこに日本軍がいるって米軍に通知がいっちゃえば、襲撃されちゃうだろう。こっちがさ、だから、フィリピンでもなんでも見たらぶっ殺せって。そういうことですよ。フィリピン人が日本のために食糧を取ってくれたりするわけないんだから。日本がそれ以上の悪いことしてるんだから。ね。

ゲリラがいっぱいいたもん。ゲリラ-。どっから撃ってくるのかわからないようなところがたくさんあったんですよ。とんでもないところからね、パーンと撃たれてやられたって。うん。だから、米軍やフィリピンに見つからないようなところを逃げまわらなくちゃならないからね。

ゲリラは米軍の兵器貰って日本兵見かけれりゃ撃った。だから、そういうのを、我々は土民でもなんでもゲリラ、ゲリラっていってた。土民だってみんな米軍の兵器もらって、日本兵見たら、日本は土民でもなんでもやたら撃ってたもんね。フィリピンだって日本兵見かけりゃすぐ撃ってきます。だから山奥入っていったんだ。フィリピンでさえ来られないような奥に逃げこんでるんだもん。

組織立ってればね。あんなバラバラになって逃げてちゃ、土民一人だってかないませんよ。途中でよく知ってる土民兵、こっから撃ちゃあいつらやられれるとか、みんなもう、こっちはどこがどうなんだかどこが道路かなんだか、わかんないんだから。

Q:食べ物もないし、「皆がバラバラになった」のって負けた原因のひとつ?

バラバラにはなんないよ。司令部は一つになってたんだもん。個人になっちゃったらもうだめだよね。だから、部隊から離れたのはもうだめだ。

Q:本部が移動しちゃうんですか。

われわれは本部についてたから動くのはわかってたから。本部から離れたやつは、兵隊としての役割を失ったという人が本部からの命令を受けないでいるんだから。そのかわり本部が突然どっかへ・・移動したらば、どこいったかわからず残されちゃうんだよ。本部にくっついていれば軍部がまだあるわけですよ、いろいろ。それが離れてしまえば、2,3人でかたまって土民の部落に襲撃しに行く。モノとって、命令でもなんでもないんだから。朝から寝ていてもいいんだからさ。もう本部と一緒に動いていれば、命令があって動かないといけないでしょう。そのかわり突然本部が、どっかにいなくなっちゃったら、外れたらわからなくなっちゃう。なにもわかんねえよ。あくまでも運だよ。軍隊は「運隊」っていうけど運だよ。

わたしは司令部にいたから早くわかりましたよ。「これから敵前上陸だ」っていってみんな上陸用舟艇に乗ったんです。司令部にいたから、偉い人から聞きだした兵隊が、「いや、敵前上陸じゃなく、セブ島に逃げるみたいだな」って。「本当かよ」って。「誰にも言うなよ」っていったのに、みんなにわかっちゃった。それでセブ行ったら、銃声しないからみんな「ワー」って喜んだんだ。喜んでかけあがったよ。それまでレイテにいると・・・どっかでバリバリバリバリね。銃声したから。夜まっくらやみのなかでセブ島へ逃げこんで。上陸して銃声ひとつしないんだもん。「ワーッよかった」って。

Q:一方で多くの戦友の方がレイテに残ったんですんよね。

そう、レイテは何万と残ったんだ。

Q:セブ島からレイテ島の様子ってわかったんですか。

わからない。

Q:そもそも最初敵前上陸って・・

逃げるとはいわないでしょ。だから敵前上陸だ。それでレイテ島からセブにいったんだ。セブ島に逃げましたよなんていったら、我先にってみんな来るだろ。セブは米軍が上陸しないってわかってるから。

Q:逃げるっていうことは秘密だった。なぜ?

だって逃げるなんていえないでしょ。司令部だけ敵のいないセブ島へ逃げていくなんてこと。だから敵前上陸っていって船に乗ったんだから。そしたらセブ島に着いたんだから。セブ島なんて当時どれだけ離れてるかなんて知りゃしないよ。

Q:レイテに残った人たちはどうなっちゃったんですか。

わからない。ぜんぜん俺なんかわからない。ほんとうにわからない。全滅したんでしょう。だって、周りが全部フィリピン人からなにから敵になっちゃったんだからねえ。勝てるわきゃないよね・・。

Q:周りが全部敵なんですか。

だってそうでしょ。戦争だもん。敵地だもん。レイテ島は。レイテの土地でしょ。そこへ強制的に上陸したんだから周りは全部敵でしょ。情報がわかるから土民をみたら直ちに殺せなんて命令が出てるんだから。土民見つけたら撃ったりなんかしたんだから。フィリピンの人には申し訳ないけど、そういうあれだったもんね。

われわれは固まってちゃんといたんだ、命令通り。8月15日終戦ってのがわかってね、・・・・
終戦の式やったんだ。米軍と日本の師団長片岡閣下っていうのが軍刀を司令官に渡して、兵隊は全部、銃剣から銃までみんな置いて、裸になって。それで米軍のトラックに乗せられて米軍の収容所にいった。だから日本人の考えを収容所なんていうのを・・・。行ったら、あんた、ちゃんと天幕がたってるんだもん。行ったらすぐ石けんくれて、パンツくれて、ランニングシャツくれて、行ったら「すぐに裸になれ」って。それでみんなシラミだらけだからね、すぐ外ですっ裸にされちゃって。石けんとパンツもらって。そしたらすぐシャワー出てくる。シャワーあびて。

米軍ってのはたいしたもんだよね。あれが一番驚きだったよね。どうなったのかと思った。日本軍じゃ、捕虜になったら米軍に捕虜になったら、それでも国のために働いてるんだから、ぶん殴られるからね。日本は「生きて虜囚の辱めを受けず」って戦陣訓に、生きて捕虜になっちゃいけないってのがあるんだから。ところが米軍あたりはもうそこまで戦ってこられたんだから最高なんですよ。だから手を挙げて捕虜になるのはもう・・みんな・・。

Q:捕虜になるの恐れて自決してしまう。

そう。当時の思想としては「生きて虜囚の辱めを受けず」って戦陣訓のなかにあったんですよ。「生きて捕虜になっちゃだめだ、死んじまえっ」てのが。ところが米軍あたりは戦って捕虜になるのは名誉だったんでしょ。日本にはそういうのないんだから。だから日本じゃ捕虜になったらオーストラリアの奥の山の中にいって、炭坑かなんかで働いて殺されちゃうんだもん、なんていってるからね。そうして、米軍の捕虜になったら、米をすぐ食わしてくれるんだものね。あんなに持てる国と持てない国はちがうんだよね。ま、世相も違うからね。もう日本人の前は、人間の感覚じゃなく扱われる。米軍あたりは、人間として扱ってくれるからね。

Q:レイテ島で戦ったことが、山本さんの人生に何をのこした?

・・なんにもないね。なんのためにあんなとこで戦争して何だったのかっていうとわかんないよ。それがむかしの軍隊のばかなとこなんですよ。当時はお国のため、天皇のため。だったでしょ。なんであんなところで戦争して、天皇陛下のためになったのか。お国のためになったのか。外国いってその国をとろうなんてのは、お国のためなんていう考えが、当時、全く違う考え思ってたんだよ。上層部は。

Q:最後に言っておきたいことは?

そりゃもう戦争だけはやんないほうがいい。やっちゃダメだってことだよ。あんな馬鹿なことをね。人間同士が殺し合うなんてこと、考えられないでしょ。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~】

出来事の背景 写真昭和19年10月中旬、マッカーサー率いる20万の大軍がフィリピンに接近、上陸地点はレイテ島が選ばれた。レイテ島は、日本軍にとっても5つの飛行場がある重要な軍事拠点であった。
10月、太平洋戦争中最大の誤報がレイテ決戦の決行につながった。米軍機動部隊はフィリピン侵攻の前哨戦として台湾を空襲。迎え撃つ日本軍との間で激しい航空戦を展開した。ほとんど戦果はなかったにもかかわらず、海軍が報告した米機動部隊撃滅の大戦果を大本営は鵜呑みにし、昭和19年10月20日、レイテ島で一勝をあげることで和平につなごうとしたのだ
昭和19年11月、1週間で勝てると言われた第1師団がレイテ島に上陸した時点で、既に制空権は米軍の手に握られ、米軍機が次々と襲いかかってきた。また、米軍の上陸直後から猛烈な砲撃を受けた。短期間の戦いを予想して十分な物資を持たなかった兵士たちは、すぐに食料・弾薬が尽きてしまった。
さらに兵士たちに過酷な命令が下された。限られた武器を手に敵陣に突っ込む「斬り込み攻撃」である。次々に兵士たちの命は失われていった。

食料や弾薬を運ぶはずの日本の輸送船は攻撃され次々と撃沈され、レイテ島の日本軍は孤立。生き残った兵士たちは食糧を求めて、密林をさまよった。

第1師団上陸から50日あまりたった12月21日、大本営はついに、レイテ島の放棄を決断、兵士たちに転進命令が下る。米軍が上陸していないセブ島で再起を図れというものだった。しかし、セブ島に行くために用意されたのは、わずか4隻の小型艇。第1師団1万3000人のうち集結地点にたどり着いた兵士は2600人。船に乗れなかった2000人はレイテ島に置き去りにされ、米軍とフィリピン人ゲリラの掃討にあい、全滅していった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1916年
埼玉県所沢市にて生まれる。
1942年
東京の軍需自動車工場に勤めていた当時、26歳で徴集。自動車による輸送要員として、満州に派遣。第1師団司令部に配属される。
1944年
レイテ戦当時、28歳。兵長。
1945年
セブ島で終戦を迎える。復員後は東京で自動車修理工場を営む。

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フィリピン(レイテ島)

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