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タイトルタイトル: 「繰り返された白兵突撃」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~
名前名前: 岡田 定信さん(旭川・歩兵第28連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2008年2月14日

チャプター

[1]1 チャプター1 未知の米軍兵力  06:34
[2]2 チャプター2 突然の攻撃  06:33
[3]3 チャプター3 戦車に蹂躙(じゅうりん)される  07:59
[4]4 チャプター4 2度目の戦闘  03:03
[5]5 チャプター5 再び待ち伏せにあう  04:28

チャプター

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アメリカ軍と正規軍と戦ったのはわたしらの部隊がいちばん初めてですから。あとは東南アジアでね、香港とかシンガポール、あれはイギリス軍なんですよね、の正規軍と戦ったのは。あとはあんた、彼らに教えてもらってたいわゆる土人部隊ですから。日本がいかに装備が悪くても、負ける相手じゃあなかったんですよね。

Q:そうするとイメージはなかったってことですか?アメリカ軍の。

アメリカっていうのはもう全然わからない。しかも、わたしたちはガダルカナルの飛行場に2,000人ぐらいの部隊しかいないと。それも装備がどんな部隊かわからない。あるいは引きあげるかもしれないようなことを言われたんですよね。海軍の第2艦隊、それと第8根拠地隊ですかな、の参謀から。まあ海軍さんにしれみれば、設営隊員があそこに3,000人ぐらいいて山の中に逃げ込んだから、何でもいいからそいつらを、それを助け出してほしい、と。もう情報ならない情報を流したわけだよ。それをわれらに、われわれに。

実際は1万人いたんですよね。1個師団ですから。ヴァンデグリフト(司令官)。

Q:ほかに何か情報はあったんですか、海軍からの。

ないです。ないです。それにさ、2,000人いるっていうけど、常識でいえば、陣地に占領してる部隊には攻撃するときはね、3倍の兵力がいるっていったんですけどね。普通。常識的には。ところがそこに2,000人しかいないから、っていってね。駆逐艦6杯に150人ずつ乗せて900人でね、軽装備、小銃と計器と機関銃。まああれは何ていうやつかな。そのぐらい持って、それがいちばん大きな火器ですよ。

Q:軽装備で行くって、どんな…。

軽装備でね。向こうはあんた、戦車持ってる重装備だったんだ。そこへ行ったんですもん。まあ、むちゃくちゃな情報ですよね。情報なんていうもんじゃないですよ。

そしてね、まあ、「夜襲をやれば勝てる」と。そういう頭っから指揮官にあったでしょうね。それしかもうないんですよ、戦法はね。同じパターンで、敵にはわかったでしょうから。

まあ絶対優勢な兵力とね、装備があれば、大砲があり、戦車があり。こっちにもね。陸続きのほうでは、そいういうのは軍隊で動いてますから。軍っていうと2個師団ですよね。そういう司令官がいて戦争やってるわけです。
こっちは支隊ですからね、支隊っていったって、工兵をわずか入れただけで、1個中隊加えただけの部隊ですから、それわずか900人でしょう。何にもできませんよ。ですから夜襲して突撃するより、「突撃すれば相手は怖がって逃げるだろう」と。まあそんな程度ですなあ、はい。

いや、それはもう今までの英軍、そのね土人軍とやってた、その東南アジアでも経験があるんですから、もう短時間のうちにフィリピンね、アンナン、ビルマね、をけん制してさ。ジャワまでとってたんですから、もうね。

ところが向こうのあんた、陣地のくぼ地へ入ったような格好でね、突っ込んじゃったから。4列縦隊。しかも行軍縦隊で入っちゃったでしょう。野ざらしのところへ。敵の銃だから、もう撃たれてもう、身動きがとれない。

まだその情報でいえば、1キロぐらい手前だったんだよね。予想した、われわれが敵のいると思ったとこよりも1キロも手前で、敵の陣地にぶつかっちゃった。

予想してなかった。だからわれわれもその将校斥候(せっこう)も、敵はもうちょっと遠くにいると思ったの。威力捜索に1個中隊ぐらいの米軍と遭遇しちゃった。

Q:予想外だったわけですね?

予想外も予想外ね。敵もびっくりしたらしいよ、そのときは。

Q:向こうも。

向こうも。でも向こうは装備が違いますからね。こっちはあんた、単発のライフルでしょう。向こうはあんたカービンだから。

もうちょっと少なくて弱いアメリカ軍のはずだったのがね、われわれに何倍も能力の上の火力を持った軍隊がいた、っていうわけですよ。そこへ行ったときに。

援軍を得られるような状態であれば、そうしたかもしれませんけど。もう手持ちの兵力はもう知れてるんだし、兵器はもうね、戦車と小銃でやったってね、かなうわけないですよ。
それも夜襲しようと思って行ったところが、まだ先にいると思った敵が、もう目の前に突然あらわれた、というような状態ですからね。そりゃあね、あなた方それは何でこんなばかなことをするんだと思われるでしょうけど。もう持ち駒がこれしかないのを全部出してやって、負けたっていうことですから。それ何十倍ものね、敵がいたっていうことですから。装備から。機関銃が一つあれば、だいたい歩兵1,000人の威力があるんですよ。で、しかもそれが複数になるとね、2乗、3乗の効果があるわけですよ。

泥棒が夜中にね、忍び込んでみたら、そこにお巡りさんがいっぱいいたのと同じですよ。しかもね、もう射界清掃までしちゃって。

海岸ぶちにヤシ林を1,000メートルぐらいかな、農園がヤシ林を、ヤシを植えて、等間隔に。例えば5メートルに1本ぐらいずつ植えて、碁盤目に植わさってるんですよ。

いわゆるヤシ林を切り開いて。この範囲内なら機関銃いくらでも、さら地ですから。戦車もここへ出てこられるしょ。

Q:つまり機関銃で撃ちやすいようにもう、木は切ってあったわけですか。

そうそうそう。そうそうそう。かげになるところなくしたんだ。ここへ兵隊、敵が入ってきたらね、みんな機関銃が5つぐらいいたんだから。バラバラとやられるだけ。

もう射界まで広げて清掃してたんですからね。もう確信があったんでしょうね、彼らは。

Q:そこへやってくるんだっていう確信ね。

そうそう。もし、日本軍が来ればここへ来ると。そういう算段をしてたんじゃないですかな。

朝になってもう、ここら辺はもう銃声も喚声も聞こえなくなって。夜が明けて、だから川っぷちで米兵が裸になってね。まあ動いてるのが見えたですよ。

裸で何か仕事してたんでしょう。動いてるのが見えたですよ。そのうちにこの、まだわれわれのとこに部隊がいるのがわかって、それで今度砲弾が飛んできたよね、大砲の弾が。

2度目の戦車が来たときには重囲してね、そこら辺にいんのバンバンバンバンやっつけていって、1回引き揚げて、今度は戦車に歩兵がついてきたのね。ああ、これはわたしはもう、ああ、これはもうやられたなと思った。でも幸いにわたしは海岸ぷちにいたから、こっちは来なかったんだね、海岸ぷちは。
ヤシ林の中へね、行っちゃった。それで戦車はわたしの100メートルぐらい後ろへ3台、むこう向いてとまった。だからわたしは、敵と戦車の間へ残されちゃった。もういくらもいなかったけどね。それで夜中に気がついてみたら、2人しか残んなかった、そこに。それで2人して逃げたよ。わたしがあとから逃げたんだけど。うん。それで上陸地点へ帰ったわけ。

Q:戦車はいちばん近くを通ったのはどういうとき、どれぐらい近くを通られましたか。

いや、いちばん近くって、わたしの背中通っていったんだから。

わたしはヤシの木のね、根方にこう伏せてたんだよね。したらゴトゴトゴトゴトゴトゴトと戦車、わたしの背中をひいていったからね。

4台出てきたんですけど、1台はね、何か動かなくなっちゃった。川ぶちで。で、3台が向かってきたですね。

Q:岡田さんたちのほうに。

そうそうそうそうそう。それで、その機関銃と本部がある位置に、そのイル川から200メートルぐらいのとこまで来て、こうグルグルグルグル撃ちながらね。3台で走りまわって。それで引き揚げていったんですけど。そのときにわたしの背中をひいてったわけですよ。

Q:そのときどんな感じがしました?

いやあ、こりゃあもう、終わったと思ったですよね。

Q:ああ。もう、終わったと。

うん。つぶれると思ったもん、わたし。ところが木の根っこでもあったんですかね。ゴトゴトゴトゴトと、ひいて通り過ぎちゃったです。やれやれです。

いや、通り過ぎていったから。ああ、いや助かったと思ったですけどね。ええ。今度来たら危ないなと思ったけど。2度目はそばまで来たけど、まあひかずに行っちゃったから。

そりゃあ怖くてもしようがないです。動けないもん。動いたら撃たれるんだから。

Q:逃げ出したくはなるんじゃないですか。

いや、いや。そんなね、余裕はないですよ。いや、戦車の天蓋(がい)を開けて機関銃を据えてきてるんですからね。

Q:動くともう。

動くとやられる。明るいうちはね。

Q:そういうときっていうのは何を考えてるんですかね。

いや、何にも考えてないですよ。早く戦車向こうへ行ってくれればいい、とかね。ええ。そんなことしか考えてないですよ。まあよくね、あの気が狂わんでいたもんですよね。今考えてみれば。

それしかしようがない。じっと我慢して、生きてたら帰ろうと。たまたまそこ2人いたからね。要は励まし合いながら。

大丈夫かとかね。暗くなるまで頑張ろうとかさ。

Q:そもそも岡田さんたちは何ていうんですかね、反撃っていうか、アメリカに対して攻撃を仕掛けてないんですか。

仕掛けてないですよ。

Q:ずっと見てるだけっていう状態?

そうそうそうそう。こっちは武器はないしね。わたし何を武器に持ってたと思います?
軍刀ですよ。
軍刀。こんな長い軍刀。軍刀とリボルバー式の拳銃1丁。6連発。それに手りゅう弾が2個。それだけです。

えーとね、第2梯団が月末近くに上がってきましたよね。8月の末。それで第2梯団と一緒に川口支隊が上がってきたんですよ。旅団ですよね。

1個連隊けつの旅団だったですけど。旅団長少将、川口少将率いて。それで、「おれは一木のてつは踏まない」とかって言ってね。言って、だけど第2梯団と合わせて5,000人ぐらいになったんじゃないですか。でも敵が1万いるとはまだ考えてないんですよね。まあ5,000人ぐらいいるのかなっていうような。まあフィフティー・フィフティーだから、いけるかっていうような考えだったんでしょうかね。それで第2回攻撃をやって、夜襲ですよね、結局は成功しなかった。

一木支隊はね、ほれもう、斥候も捜索もしないで、もう中川でね、敵とぶつかって遭遇して。あれは遭遇戦なんですよね。だから向こうが準備してるところへこっちが遭遇戦を仕掛けたようなあれでやられてるんですから、一夜に1,000人近くやられたんですからね。それで今度う回したんですよ。

川口支隊はね、アウステン山の裏側からりょう線を越えて。アウステン山っていうのは飛行場の南側に、何キロ、1キロぐらいかな、のとこにあったいわゆる台地ですね、うん。そっから攻撃して。一部、仙台の大隊がね、突破して海岸近くまで出ちゃったんです。今度収容するのがまた大変だったけど、その仙台の大隊長は非常に決断力のある大隊長で、ちゃんと帰ってきたんですよ。あとはもう、ちゃらんぽらんですね。うん。行った連中も。川口支隊もだいぶ損害出したでしょう。

場所がただ、遠くへ回り道しただけで。うん。成功しなかったんだから同じことですよ。うん。

川口支隊なんかは斥候をね、もう何組も出して。ところが帰ってこない斥候が同数ぐらいいるんですよ。うん。ということは、敵と遭遇してやられてるということだね。だから川口支隊なんかはもう、一生懸命勝つ方法を探したんですけど。結局はね、夜襲を1回やったら終わり。じゃあ今度は、2師団が夜襲をやって終わり。

数においてね、装備が敵に優れてるものがなければ勝ちようがないですよ。特に陣地にいる部隊を攻撃するのにね。陣地攻撃するにはもっとすぐれた、例えば戦車のようなものがね、なければ勝ちようがないですよ。

用意する暇がなかったし、用意する部隊がいなかったんでしょう。敵が1個師団いるのに、900名をね、向けるような、もう貧弱な日本軍だったんですよ。

武器もない。貧弱な装備で夜襲しか、ね。もうこれひとつ覚えのあれのようだけど、日本陸軍の戦闘方法としては、もう夜襲するよりしようがなかった。それ以外に何にもない。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争開戦から半年、日本軍は南太平洋のガダルカナル島に前線基地として飛行場を建設。制空権を握り、米軍とオーストラリア連合軍の連携を絶とうとしたのだ。それに対して、米軍は、日本軍への反撃の第一歩としてガダルカナルを攻略することを決定し、昭和17年(1942年)8月7日、ガダルカナル島に上陸、圧倒的な兵力で日本軍から飛行場を奪い、その日の内にガダルカナルを占領した。

占領された飛行場の奪還を命ぜられたのは、歩兵第28連隊の兵士を中心に編成された「一木支隊」だった。米軍は攻勢を強めていた日本軍を警戒し、11000人の兵力を持ち、周到な準備で日本軍が来るのを待ち構えていた。一方日本軍は、日露戦争以来採用してきた、銃剣を持って敵陣に突撃する「白兵突撃」で向かっていった。しかし、米軍の圧倒的な火力の前に白兵突撃は無力だった。

8月18日から10月24日まで、日本は3度にわたり総攻撃を仕掛け、その度に犠牲を積み重ねた。日本の輸送船は米軍機の空爆を受けて沈められ、補給が絶たれた。ジャングルをさまよう兵士は、飢えと病に苦しみ、兵士の多くが戦わずして死んでいった。やがて、ガダルカナル島は飢餓の島、“餓島(がとう)”と呼ばれるようになった。

昭和17年12月31日、ガダルカナル島の日本軍に撤退命令が下されたが、撤退が実行されたのは、翌年2月。この時、一人で歩くことができない兵士の多くはそのまま島に置き去りにされた。ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1千人のうち、5千人が戦死、1万5千人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。
ガダルカナルの戦いののち、日本軍は南太平洋の島々で次々と敗走していくことになる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
北海道永山村にて生まれる。
1937年
現役兵として旭川第7師団に入隊。満州などに派遣される。
1942年
一木支隊に編入され、本部付き書記として旭川出発。第1悌団としてガダルカナル島上陸。最初の攻撃で左手の貫通銃創はじめ6か所の弾丸による負傷により後続の部隊を運んできた船で撤退。当時、24歳、軍曹(支隊本部書記)。復員後は旭川市で会社員として暮らす。

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