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タイトルタイトル: 「届けられなかった遺書」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~
名前名前: 大國 孟彦さん(旭川・歩兵第28連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2008年2月8日

チャプター

[1]1 チャプター1 米軍を侮った作戦  04:00
[2]2 チャプター2 体力を奪ったジャングルの行軍  06:46
[3]3 チャプター3 戦闘前に落ちていく体力  04:22
[4]4 チャプター4 跳ね返された敵討ち  07:53
[5]5 チャプター5 自決に追い込まれた敗走の兵士たち  02:26
[6]6 チャプター6 立ちはだかった米軍の「新」兵器  04:51
[7]7 チャプター7 現れた大本営参謀  05:26
[8]8 チャプター8 軍刀を振り回す追い詰められた将校  02:29
[9]9 チャプター9 餓死していく兵士たち  08:57
[10]10 チャプター10 届けられなかった遺書  05:37

チャプター

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イメージっていうとね、まあ、兵隊入って初めてその作戦に行くっていうんで、いろいろ日本の軍で調査した範囲内のアメリカ兵はこうこうだっていういろんな話を、概略を聞かされてね。まあ、とにかく精神力がないと。やっぱり日本の軍隊と違って精神力がないから。それから戦争、地上戦というのをやったことのない兵隊が多いんだから、だから大したことないんだと。そういうようなもう本当に、今考えてみるとね、調査不足っていうか。本当に、ただただ驚くだけですね。うん。

Q:その大したことないっていう感じだったんですか?

うん。そう。色ね、目は日本人と違ってね、夜間は見えないんだと。ね。そして、日本軍は夜は目が鋭いんだって。だから、襲撃するにはもう絶好な。だから「日本の兵隊1,000人もいりゃあね、それこそ向こう万の兵隊でも陥れることできるんだ」って。そういうような話聞かされましたよ。うん。

Q:その弱いところはその目と、つまり精神的に弱いと。

精神的に弱い、そう。

「アメリカなんかね、戦争、地上戦争やったことねえから。本当にね、あれはもう大したことないんだ」って。うん。「日本の軍隊2,000で、それこそアメリカの兵隊2万でも3万でも相手にしてやれるんだ」って、そう言うのさ。して一木部隊はね、日本一の精鋭中の精鋭だって。そういうことを旭川の練兵場で訓示して、旭川から出たんだからね。
そんなの思うと、本当に思い過ぎもいいとこだったなあ、と思うよ。うん。一木さんばかりでなく、参謀本部も。

まあ、わたしら初めての、わたしも初めての戦争なんだし。だからまず先輩の言うこと、上官の言うことをまともに聞いてましたよ。
その反面ね、わたしらの先輩の中に、ノモンハンだとかそういうところへ行った連中がね、召集で入ってきていますからね。うん。だからその人たちからも実戦の話は聞いてみて、「ずいぶん強気だな」というような話も、ちらほら聞いてましたけどね。

ジャングルに入ってもね、とにかく「部隊に地図がない」ということ。でね、あってもね、謄写版で印刷したような印刷物の地図しかないんだよね。で、もう名前入っている、川の名前だとか、土地の名前。それが「日本軍があそこへ上陸する前につくった、飛行場をつくるために、海軍で何かあそこへ作業隊を送る、その調査の段階でできた地図らしい」っていうようなことを聞きましたけどね。だから本当に、そんな地図しかないのにもう、ジャングルがどんなジャングルで、どれくらい深いんだか。それから地形が謄写版で印刷するようなあれですから、推して知るべしですよ。まったくわかんない。あとからそういうのを参考に、出てきて見せてもらいましたけどね。あれじゃ本当にもう、大変ですよ。あんなのでよく戦争計画したもんだな、と思う。だから本当に、ジャングルではみんな泣かされましたよ。もう本当に。ちょっとわたしらもひとつの山越して、新しい部隊と会うために山越えしたときなんか、2週間、全然もう飲まず食わずだ。うん。飲まず。水は山登っておりれば、沢に行くともう本当に水たまりあるから、そこ汚さないように、みんなかわるがわる水飲んでね。うん。で、食べ物がまったくない。うん。そういうとこを山越えしましたよ。

元気でいるうちはいいのさ。でも、弱ってくると、もうだんだんだんだん、同じとこでも距離が遠く感じて大変になるのね。だから、体力のない者、根性のない者はもう本当にめためたと落ちましたよ。

ジャングルったって本当に深いんだもん。木は大きいし。うん。で、北海道では、北海道ばかりでない、日本の兵隊なんてね、ジャングルなんて初めてでしょう。知識が全然ないでしょう。

上陸した、戦闘配備につく間に、もうおなかすいてしまう。弾薬だとか、そういうもの持って歩いて、体疲れるの。ね。そして、動けなくなって倒れていく。ジャングルったって、そこらの林と違って本当にすごいんだ。ジャングルなんか、ジャングルジャングルったって、ジャングルだって、本当に奥深くて、そして暗さも木が大きければ大きいほど。で、ジャングルっていうのはほら、ここらの木と違ってね。年がら年じゅう青々として伸びているんだからね。だから、枯れて、葉が枯れて落ちるということはないの。だから、落ち葉というのは、みんな青いの。葉が成熟して、青いうちに落ちて堆積していくんだから。だから、木はもう、年がら年じゅう伸びてるんだから。だから、木も大きくなるし、もうジャングルっていうのは薄暗い。うん。それ本当に見るのも初め、初めて。そういうところで生活なんてもちろん、予備知識にも教えられてないしね。本当に、あそこへ行った連中は、あそこって南方のああいうところへ行って、いちばん先に立つ、食糧も満足に持たないで行って。それこそガダルカナルに上陸する前にはね、あすからルーズベルトの救援にあずかるんだから。「食糧はこれだけ、2日分」なんて、みんなそういうふうに訓示っていうかな。そういうふうに言われて、2日分しか持たされなかった。

Q:アメリカ軍の食糧をとるつもりだったんですね。

うん。そう。「本当に簡単にガダルカナルは占領できて、アメリカ軍が持ってあがってる食糧にありつけるんだ」って。「ルーズベルトの給与にあずかるんだ」って。そういうふうに言われたからね、われわれも。それくらいもう、日本軍の陸軍は不滅、というか、『不滅の神国』『神国』だって。『神国の軍隊だ』っていうようなことを自負して訓示しておったからな。

野草だとか、もう食べれるようなヤシガニだとか。いろんなの。カニがいるんだよ、野生の。そういうのをとったり。野草ね、ああいうのとって、そして食べて。そうでなかったらもう、自分の体もたないもん。みんなと同じ、食い物ないんだから。で、偶然にも野草だとか何か、わたしも田舎で育ってるからね。サツマイモの野生のサツマイモ、茎だとかそんなの見分けつくでしょう。だから、「食べれる。あっ、これ野草でも、これ食べれるな」と思って、ちょっと何すると食べれる。「ああ、これ食べれるぞ」で、ナス。野生化して。それからトマトなんか、ミニトマトっていうのあるけども、本当こんな小さいの、地べたはってね、それに出くわしたり。そういうの、本当にこんなやつ、拾って食べた。それでも、もう、ああ、今思うと、10個か15個も拾って食べたらもう、「ああ、これで3日も4日も長生きする」っていうような気持ちになってね。うん。そういうことはあったですよ。あった。

だいたい食べ物ない、もう食に飢えてる。そんな状態で体がもう劣ってるからね、とてもとても、そんなとこまで行かなかったですよね。

Q:それでもやっぱり、戦えば勝てるという感じはあったんですかね?

もうそのころはちょっとね、そういう意識はなかった感じがしますね。うん。とにかく食わないで戦う、ということはね。もうみんなもう、栄養失調で病人だからね。まったく、上陸するときに2日分の食糧携えただけで、あとは食糧の支給というのはまったく受けてない。

それでも、あとの8か月もね、頑張ったんだからね。本当に野草、げてもの。口に入るもの、毒にならないものなら何でも食べた、っていっても過言でないね。うん。それも火をたいて、煮たり焼いたりして煙出せばね、もう。われわれのまわりは、海からは船で、それから飛行機でジャングルからも何から全部、偵察してる。うん。日本軍の姿だとか、それから煙あがったりなんかすると、そこには兵隊がいるということを見込んで。そう機銃掃射やったり、小型爆弾を落としていったり、そういうことするからね。まったくあれでないかな。あのころはもうね、戦闘意欲っていうのはなしに、じっと身を沈めてね、生きながらえること。そして救援の部隊の来るのを待ってた、というのが本当の、何でなかったかな。

もういや、撃たれっ放し。それに対して応戦したら、なおそこ集中攻撃受けるから。向こうで終わるまで攻撃してくる。攻撃終わるまで、もうこっちは手出さない。それから、模様見て、それに対して応戦するかったらね、応戦はしない。だいたい、砲弾もじゅうぶん持ってないから、そこで使い果たしたらあと困るぞ、っていう。むだなやつは撃つな、っていうような言い方だった。

Q:でも、こう撃たれてるのに応戦はしないんですか?

応戦できないの。あんまりもうね、本当にあんなに来るのかと思って。不思議なくらい来るんだ。

Q:ああ、弾が。

うん。弾が。だから、ノモンハンだとか、いろんな戦場をくぐってきた先輩たちがいて、「あんな弾、弾の下くぐったの初めてだ」って。

それは襲撃受けるのはもう全然、予想されてない。

で、そんなに大量に長時間撃たれる、とも思ってないし。うん。いろんな弾がね。弾の小銃弾のように、自分の伏せているとこから、もうシューン、シュンと過ぎていく。自分の頭の上を、通っていくような感じの音と、それから音しないで前のほうでチチチチという音でね。「あっ、至近弾だ」とか。あと「後ろのほうに行ってる」とかっていうのも、やっぱり聞き分けできるようになるんですよ。

時間にしたらね、うーん。うん。ねぇー、10分くらいは続くね。そして、ちょっと休んだら、またダダー、と来るしょ。それの繰り返し。だから、動かれないですよ。撃ちやんだからって、動くわけにいかない。

反撃はもう、自分のとこの持ち弾がなくなるし、後のことを考えるしさ。うん。本当にもう持ったきりなんだ。
うん。心細い戦争だったですよ。

そんなにもう、すぐこっちで撃たない前にやられる、なんていうのは、もう本当に考えてもいなかったね。

Q:その、思いのほか向こうの攻撃が早かったと。

早い。こっちで近づいていったときには、もう向こうではちゃんともう、「どの方向から来てる」ということをもう、察知しておったからね。察知しておったんですよ。あれだけ正確に来るんだからね。

もう方向ではまったくもう、攻めていってる部隊のとこへ狙ってきてますからね。
とにかくもう、自分で当たんないように身を守るということ。だから、もう、少しでもほふくって横になってはって、左右前後に動くでしょう。もう本当に気持ちで、3センチでも5センチでも、低いとこへ低いとこへはっていく、という人間の、あの、ああいう危険状態になったときの習性だろうな。うん。そういうようなで動いたね。

結局もうね、ここに頑張っててもだめだ、ということで。それとね、わたしらの場合ね、大隊砲の砲があったしょ。向こうでも攻めてきたんだよ、戦車が。うん。でもう、100メートルくらい前まで来て、「まあ、これはもうやられたな」と思って。みんな観念はしてたの。そしたらね、方向そのまままっすぐ来て、われわれが川の土手の下にいたでしょ。そしたら、そのまま乗り越えてきて、川へ落ちたのさ。戦車が。そして、川の中に亀の子と同じ、ひっくり返っちゃってね。うん。そして、今度そこから水、川の水がこうあふれて、もう中でばたばた騒いでるのがわかるのさ。

そんときもね、撃つかっていうので構えはしてたの。だけど、撃たなかったの。そしたら、ちょうど50~60メートル横通って、川の中へ2台とも落ちちゃったの。そういうことあった。あれでも、本当に命拾いした。ああ。これで。そして、オオクボ隊長も海岸に下がろうということで下がったの。

で、海岸まで2日も。ねえ、普通だったら1日もかかんないで下がられたんだかもしらんけど、何しろ地形が悪くてね。うん。ジャングルとそういうイバラの道だから、何だかんだで2日かかって、そこへ海岸まで下がって。

もうそれから今度ね、また新部隊が来るという話あったし。うん。うん。その辺で、あれだ、食料、食料、ったって。食べ物探しながら、うん。いや本当に大変な島だったですよ。地図はないしね、上陸したときの名前だって、もうどっちでつけたんだかね、本当に。のみ込めないくらい。

歩ける者はね、もとのエスペランスったかな。うーん。だったか、もとの上陸したとこの揚陸地点っていうんだよ、「揚陸地点まで自力で下がんなさい」と。それは、「○月の○日まで」って日にち切って。それから今度、「人手をね、介護を要する者で、下がり得る者は、○月の○日までそこへ下がんなさい」と。それから今度ね、3日と5日のやつは、うん。もうそれに入ったんだな。して、「そこまで下がれない者は、覚悟をせ」って。

Q:覚悟?

覚悟。覚悟をしなさい、って。うん。っていう話。そのためにね、最初からあそこへ行ったのはね、あの、あれなんだよ。自爆用の手りゅう弾、っていうのを持たせてるんだけどね。もう、その自爆用のやつはね、魚をとったり。何か知らないけど、ほとんどの人は使ったんでねえかな。うん。

手りゅう弾で、手りゅう弾持ってる者はね、自決せ、っていう内容だったね。うん。

歩ける者はね、そこまで歩きなさいと。歩けない者は、介助を受けて歩ける者は、○月の○日までそこへ下がんなさいと。で、そこまで行けない者はね、覚悟せ、っていう内容ははっきりしてたね。うん。

実際にまあ、あそこへあがって。戦争状態を見てね。兵器がもう全然違う。もうね。日本はもう本当に、小銃と重機関銃しか持っていってない。それも、向こうはね、何でもあるんだ。銃器の、戦車までね。それから大きな砲、われわれ想像もしてない大砲がね、そういう兵器がそろってる。というのは、日本にはもう制空権、制海権、そういうものがないからね。兵器だとか兵隊を運ぶ輸送船っていうのがなかったんですよ。それで、駆逐艦だとか軍艦で行動するでしょう。だから、そのためには、兵器やなにかの重量品なんていうのは、限界があるわけですよ。駆逐艦に積むにしても。もうせめて分解搬送して、人間が持ち込みできるような重機関銃程度はいいけども、それより大きくなったら、もうどうもなんない。だから、したがって兵器なんかも制限されて、大きいものは持っていけなかったっていうようなことですね。行ってみて本当に、ただただ驚きですよね。

戦ってみて初めて、「あっ、これだな」っていうようなこともわかったのは、われわれもそれから上官もまったく知らなかったのはね、いよいよ戦闘始まって敵地に近寄っていった。ね。したらね、昼でも夜でも集中攻撃を受けるっていうことですよ、ね。あとでわかったんだけども、とにかく敵は日本軍が攻めてくる周囲、マイクロホンを全部すえつけたわけですよ。それで、日本軍がなんぼ静かに忍び込んでって行っても、ガサガサっていう音でもって、距離・方向。ね。そういうものがわかるわけだ。そうするともう、もちろん話し声なんかも全部わかるから、それで今度攻撃してくる。まったくもう、それが最初のうちはわかんなかったから、不思議なくらい。

結局ね、わたしらの場合も、あとからアメさんの兵器の進んでること。戦略の、戦略の違いだろうな。うん。うん。もう日本ではアメさんが、そもそもガダルカナルというのは、日本軍が先に上陸してあそこへ飛行場をつくって、あれは17年の8月の7日だかに飛行場落成して、あと何だか飛行機来るのを待ってた。そこへ上陸されたんだから。向こうでは奪還に来たんだと。そのときに奪還に来たんだから、大したもんではないというようなところから、何か兵力が2,000ぐらいだという。だから、一木隊の900人の兵隊でじゅうぶん間に合うんだって。もうアメさんは戦争もしたこともない兵隊だし、大したことないんだという。もう軽く見て。

10月ごろね。10月、もうあれは10月の中過ぎにね、来たの。

参謀がね。あれガダルカナルの戦況を見にきたんだよ、あれ。ね。もう次々と、第1次隊、2次隊、3次と、もうねえ増援出してもみんな失敗。失敗でしょ。それで今度ね、あの人はガダルカナル担当だったらしいよ。うん。そして戦況を見にね、来たのさ。

直接。そして、われわれのいるちょっとね、近くに上陸して。そして今度来たのさ。でも、われわれ全然そんなの知らないから、まさかそんな人、来るとは思ってなかった。そのときに川口部隊の隊長もいたんだね、うん。そして今度、その位置がね、本当、偶然にもわれわれもう本当に動けなくなった仲間、30人くらいまとめて、ジャングルのはしで休ませてた。休ませてたっていっても、夜になったらそこで寝るんだから、そのまま。うん。そんなような状態さ。食うものも何もないんだしさ、歩くこともできないんだし。それを見張りしてたの。そしたらね、あわただしく下士官がね、十数人来てさ。「辻参謀(大本営参謀 辻政信中佐)が来るから失礼のないようにせよ」って言うわけさ。「失礼のないようにせよ」って言ったってさ、動けないやつどうするのさ。立てないやつ。おれと4~5人ね、動けるのいた程度。まあこっちも、全部病人ということでね。横になったまま欠礼するつもりでさ。そしたら案の定、「どこの兵隊だ」と。こうなったわけさ。

うん。
参謀が聞くの。そしてほれ、もう目の玉だってね、視力が、もう色変わって白くなってるんだよ。瞳孔(どうこう)、本当に開くような状態にまで息の下がった兵隊が。そしたらね、軍刀の柄(つか)って、軍刀を差すさやだ。軍隊あの人たち持ってるのは。さやをさらに革で覆ってるんだ。あのさやがちょっと長いんだよ。それでガッガッと。「おい、おい」っと。こうやって、こう触るんだよね。いや、それ見たとき、もう本当、なんともいえなかったな。

みんなに気合いかけて、元気出させるつもりでいってるんでないのかな。だけども、あの人たちはね、ラバウルあたりからね、飛行機で来たり、駆逐艦で乗りかえして来てさ。その、体力はあるし。もう本当に、われわれがそんなんになって、夢遊病者みたくなっているまでの経過っていうものがわかんないからね。本当に、「仮病でも使ってそうやっているんでねえか」っていうような気は、当然持ったと思うよ。ところが、川口中将はね、「辻参謀」手を出してね。そして「何してる」って言ったら、やめたもん。その一声で。こうやって。それでやめたの。で、あと、川口部隊長のところへ行っちゃってさ、何か話して、行っちゃった。あぁ、もう本当にね、そういう苦労を知らない人は、本当に、「仮病使って、そんなたるんでるから、そういうざまになるんだ」っていうような見方だったんだろうね。それは本当に腹立ったな。うん。

もうブンブンブンブン飛んできて、偵察してるでしょう。それから、戦闘機がもう低空で来て、ジャングルすれすれにバアーと波立ててね。ヤシ林のヤシの木なんか、もうこう波打つんだよね。それくらいもう、低空してきて、常にやってるしょ。それの繰り返し繰り返しだから。だからもういいかげん、ノイローゼになるの。それが恐怖病だね。戦争恐怖病。うん。そして、それがこじれてくると、もう大声出して。ね。うん。逃げまどうわけだ。で、普通だったらそういうのが来たらね、退避しないとないの。動かないでね。ジャングルの木のかげに隠れるとか、くぼみに入るとか、草の中へ入るとかって。それ、逆に今度、将校の人だとかなんか、軍刀抜いてね。軍刀、ぴかぴかしてるしょ。それを今度ね、振り回すんですよ。うん。そういう人も出てきてね、いや、それをとめるのに、大変だったよね。

Q:うん。軍刀抜いて、戦闘機に向かっていくの。

うん。そういう人いた、うん。今ちょうどね、今日、2月の7日というとね、わたしらガダルカナル最後の撤退兵だったの。わたしら。最後の船に、舟艇(しゅうてい)であそこを撤退したんだけど。まあそのころ、そういう将校さん、3~4人いた。

押さえてね、だまして何するんだけど、何しろ刃物、軍刀持っているでしょう。うん。こっちは素手だから。もうわれわれなんか本当に。うん。自爆用の自分で死ぬときの自爆用の手りゅう弾しか、手りゅう弾1発しか持ってないんだから。うん。

栄養失調で、それで餓死する寸前になったらもう。餓死するっていうとね、もう本当にやせて骨からになってしまう人と、逆に水ぶくれに腫れて、もう体が動かすこともできないような状態になる人と、だいたい2通りあるんでないかな。大きく分けるとそんなような。わたしらもそんな負傷者の手当てだとか、具合悪い者の処置、応急処置。そういうものをやっておったから、容易にそういうの、見分けはできたけどもね。うん。それだけに大変だったですよ。で、わたしらも、ほら、俗に『衛生』なんていうと、部隊と別々に行動するものと思われてるけども、ガダルカナルのああいう本当の戦場に行くと、常にもう兵隊さんと一緒に行動する。だから、もう負傷したらもう応急処置。だから、いつどんな負傷者が来るか。それの救急処置はもう自分で見て、自分で判断して処置していかなきゃならない。

いや、ほかの兵隊が下がってくる。それから今度、周辺、周辺に負傷者ないか。いると、声かかる。ね。それから、自分でもまわりにいないかどうか。大きい声出して騒ぐわけにいかんし、もう自分で目の届く限りのとこは、衛生兵というのは拾って。そして応急処置。けがしてれば応急処理。それをして、そして本人の自力で下がれる者は下げるし、それから下げられない者は、行動をともにできるような仲間がいたら、それに頼んで後方に下げる、というふうにして。わたしらひとりであれもこれもできるわけでないしね。ただ、本当のけが人の応急処置しかできないと。それが精いっぱい。

マラリアの薬だとか、そんなのはね、持ってるけどね。まぁ、本当に、栄養失調だとか餓死寸前のそういう重病人の薬なんていうのは、全然ないから。持ってないからね。でも、なんか、なんていったら、本当、気持ちでね、胃腸の関係の薬でも何でも、1錠でも2錠でも持ってたら分けてやる、と。そういうような気持ちは持ってね、あげた。そうすると、本当に「あぁ、何せもう何」て言って。もう本当、次に、もう次の日行ってみるとね、もう亡くなってるもんね。うん。いや。本当にそういう、悲惨な死に方していく仲間っていうのと、5か月、一緒にいたからね。

まずね、何とかして助けたいと思っても、助けようなかったもん。薬ないし、食料ないし。食料もらいに行くとこないでしょ。だから、自分もこんななりたくないと思ったら、自分で体を動かして、みんなのとこをまわりながら、ちょっとジャングルからはずれた草原に。草原だとか、そういうとこに行って野草とってたりね。そういうことで雑草を食べて。

もう埋めてやりたいのさ。ね。だけど、深く掘れないだもん。道具ないでしょ。あの携帯用のスコップの、こんなのあるの。で柄(え)が50センチくらい。それでジャングルあたり腐葉土だからね。落ち葉が年がら年じゅう落ちてんだから、枯れ葉っていうのはないの。それが腐って、堆積して何してるから、土はやわらかいから。だから、そうだね、本当に20センチか30センチ。人間の身長だけ掘ってさ。そしてそこへ入れて、そして掘りあげた土をこうかけてまつるの。それだけ。そうすると、本当に4~5日していったらね、もう平らになってるよ。

Q:もうすぐなくなってしまうという。

もうね、そういう栄養失調だとか餓死して死んでいく人はね、もう腹部から膨張して、もう腹こんなになるの。そしてね、腸が膨張して、にゅっとこう飛び出すんだよ、ここから。

Q:はあ、飛び出すの。

うん。飛び出すの。ここ、おへその下あたり、あたりから。うん。そしてもうね、もう死ぬ前からもうね、きょうあした死ぬ人はもう、前の日あたりからもうね、鼻、口の中、ウジだらけ。もう。

Q:ああ、先にウジがつくの。

うん、ウジがつくの。うん。そして、もうひと晩もたないの。口の中だとか、鼻にウジついたら。鼻に。ここらだったら、大きな銀バエだとか。大きなハエあるしょ。ああいう系統のハエなの。だから、もう本当にすごいんだよ。で、何かけてやったって、もうね。もう死ぬ人はもうね、ハエを追うだけの気力も何にもないの。本当にね、かわいそうだったよ。まあ、そういうことで、死んだ人は、われわれのほかにもそばにいる仲間が、みんなお互いにそういうふうになったら手借りるんだ、っていう気持ちがあるから。亡くなったら本当にいつまでもさらしておかないで、亡くなったらもう本当に、立って穴掘る人、掘れる人なんていくらもいなかった。もうひざついて、本当にこうやって掘って。
まあ、本当に、そんなことを今考えるとね、何であんな戦争やったのかなって。ねえ。ばかなこと、ばかな戦争やったもんだな、と思うね。

そして、そういう人たちはね、本当に多くの遺書だとか、なんかね、もう本当に、いつ書いたんだか知らんけども。あの野戦ではもう、書いても、今のような、雨にぬれない湿らないというような紙だとか、保存する封筒だとか、そういうものないでしょう。それを大事に懐へ入れたり出したりしているうちに、もう本当に紙が変質してぼろぼろになった遺書をね。わたしら本官の兵隊でないから。衛生兵だからね。わたしら若造のいちばん下の兵隊でも、「衛生兵殿、衛生兵殿」って殿つけて呼んで。そして遺書を。もう、そのころは自分でもことばは通じない、しゃべれないような状態の人が出してくれるのを、何通ってわたしは受け取って。そして、もう医療品も何も使い果たして。空になったかばんを捨てるわけにもならない。それをその中にそういうものを入れて、「何か機会あったら必ず、届けてやるぞ」、誓いながら30通以上の遺書をかばんの中へ入れて、大事に大事に持って帰ってきた、っていう。そんなようなことも本当に今になったら。本当に、家族の方にこれには届けてあげたかったんだけども、この日本軍の規律によって、帰るときに検査に引っかかって「防ちょう上、だめだ」ということで。そういうものは一切取り上げられて。うん。そして家族に対して残された遺書だとか、そういうものは取り上げられちゃって、目的を達することができなかったし。

いや本当にね、あの憲兵の何もね、下士官だったんだけども、わたしよりもはるかに階級も上だし。このー、本当にね、何ともいえない憎しみは感じた。うん。だけども、それをどうすることもできないでしょう。軍隊って本当、矛盾して、何て理解のないのばっかりいるな、と思って、うん。

Q:じゃ、説明はしたんですか?

もう、問答無用ですよ。問答無用。

うん。防ちょう上ね。これは没収するって。それだけ。

いや、もう何にも言えない。うん。それに何したらもう、残されて、何か処置されるのが。ね。何かあるだけでね。みんなと一緒に旭川へ帰りたいから、渡さざるを得なかったですよ。だから、わたしらも本当に洗面道具だけ。

あー、もう本当にそれはもうね、今でもそれはもう、預かった、亡くなっていった人たち、それから家族に対しても申しわけない。それだけ。それから没収した、うーん、あの兵、係だな。要するに憲兵が悪いんだか、係が悪いんだか。もう本当にそれは、本当に恨むっていうかな、それはもういまだに忘れませんよ。



出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争開戦から半年、日本軍は南太平洋のガダルカナル島に前線基地として飛行場を建設。制空権を握り、米軍とオーストラリア連合軍の連携を絶とうとしたのだ。それに対して、米軍は、日本軍への反撃の第一歩としてガダルカナルを攻略することを決定し、昭和17年(1942年)8月7日、ガダルカナル島に上陸、圧倒的な兵力で日本軍から飛行場を奪い、その日の内にガダルカナルを占領した。

占領された飛行場の奪還を命ぜられたのは、歩兵第28連隊の兵士を中心に編成された「一木支隊」だった。米軍は攻勢を強めていた日本軍を警戒し、11000人の兵力を持ち、周到な準備で日本軍が来るのを待ち構えていた。一方日本軍は、日露戦争以来採用してきた、銃剣を持って敵陣に突撃する「白兵突撃」で向かっていった。しかし、米軍の圧倒的な火力の前に白兵突撃は無力だった。

8月18日から10月24日まで、日本は3度にわたり総攻撃を仕掛け、その度に犠牲を積み重ねた。日本の輸送船は米軍機の空爆を受けて沈められ、補給が絶たれた。ジャングルをさまよう兵士は、飢えと病に苦しみ、兵士の多くが戦わずして死んでいった。やがて、ガダルカナル島は飢餓の島、“餓島(がとう)”と呼ばれるようになった。

昭和17年12月31日、ガダルカナル島の日本軍に撤退命令が下されたが、撤退が実行されたのは、翌年2月。この時、一人で歩くことができない兵士の多くはそのまま島に置き去りにされた。ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1千人のうち、5千人が戦死、1万5千人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。
ガダルカナルの戦いののち、日本軍は南太平洋の島々で次々と敗走していくことになる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
北海道伊達町にて生まれる。
1941年
現役兵として旭川歩兵第27連隊入隊。
1942年
第28連隊に転属。第2悌団・機関銃中隊の衛生兵としてガダルカナル島上陸。当時、22歳、上等兵(衛生兵)。
1943年
ガダルカナル島撤退後、再び旭川に駐屯。
1945年
復員。復員後は、国鉄に復職する。

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