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タイトルタイトル: “弾が川のように流れた” 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~
名前名前: 水野 護さん(旭川・歩兵第28連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2008年2月13日

チャプター

[1]1 チャプター1 グアム島  03:00
[2]2 チャプター2 ガダルカナルへ  04:38
[3]3 チャプター3 無血上陸  04:02
[4]4 チャプター4 攻撃前夜  02:41
[5]5 チャプター5 激突  03:53
[6]6 チャプター6 川のように見えた銃撃  04:02
[7]7 チャプター7 5か所に銃創を負う  02:05
[8]8 チャプター8 戦車に蹂躙(じゅうりん)される  05:01
[9]9 チャプター9 捕虜  05:23
[10]10 チャプター10 「フェザーストン捕虜収容所事件」  07:57
[11]11 チャプター11 帰郷  06:01
[12]12 チャプター12 今も残る傷跡  06:25

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グアム島に上がっておったんですよね。そして、いつ出動命令がかかるか、どこ行くかはわからんまま、まあ駐屯しておったんですよね。そしたらね、昭和17年の7月の28日ごろでしたよね、「大本営命令がある」って、「こういう発表があるから集合せい」っていうことがあったんですよ。いや、そのときにはみんな冷やっとしましたよね。「ああ、これまたどこかへ行くんだな」っていう命令だろうと思っておったら、大本営命令を皆に発表するっていうことでね。中隊長が、「『一木部隊は大本営から本国へ撤退せよ』という命令が出たから、みんな準備をして帰る準備をしなさい」という命令が出たんですよ。

そのときに、初めて給料が当たったんですよね。給料っていうものは、その島だけで使える伝票、軍票っていうんですか、そういうのがね、あれ2か月分か3か月分ぐらいもらったのかな。だいぶ金もらったんですよ。それでみんな外出しましてね。それで、明石(アガシ)町って言ったかな、何ていうのかね、ちょっと大きな町があるんですよ。そこに住民の方が相当たくさんいてね、貝細工なんかこうやったり、何だかしておりましたんです。そのときに、こういうまた、あそこに咲いているような、あんなよう、あれとは違うけども、そういう貝のね、こう先のとがったやつで、ちょっとこうした、こんな小さなね、赤とかいろいろなやつを、こう飾りつけたきんちゃくだとか、それからバッグとかっていうのをね、みんなお土産に買ったんですよ。そして買って、みんな荷づくりしましてね。

朝起きて小便しにいった兵隊がおったんですよね。そうしたら、その兵隊があわてておりてきましてね。「おいおい、何だか変だぞ」って。「この輸送船動いていない」って。

「とまっとるぞ」って。「そしてな、島が、恋人岬っていうのもあるし、それから奥のほうにな、重油タンクの焼けたやつが真っ黒になって見えるぞ」って。「あれまちがいない、グアム島だ」って、こう言うんですよ。「いやお前、寝とぼけとるんでないのか。そんなお前、きのう日本兵帰れって、船に乗って帰れって言ったのにお前、そんなことあるわけねえべよ」なんて言って。そしてわたしらあがって見たら、案の定、やっぱりグアム島へ戻っておるんですよね。いや、それからみんな船倉の中に入ってきて、みんな目覚ましてね、「いや、何かがこれ、起きたぞこれ。きっとこれ、出動命令どこかへあるんだぞ」って、そういう感覚が、やっぱりぴんとみんなくるからね。そうしておったら、非常呼集のラッパが鳴る、鳴ったんですよ。「ああ、これはもう間違いない。どこかに戦闘が起きたんだ」って。そしたら、将校集合の今度はラッパが鳴りましてね。


将校を全部、今度は部隊長のところに集められて、そしてその命令を中隊長が持ってきたんですよね。そして中隊長が命令して、一木部隊は、今、大本営から命令が来たけど、○○の、日本軍が飛行場を建設したのを、ゆうべ奪回されたって。それで、そこに、すぐに一木部隊は敵前上陸してそこを奪回するのに行くって言って。そのときにも、グアム島っていうの、ガダルカナル島っていうのは、もう全然言わない。ただ、○○でね。

「一木部隊の半数は、駆逐艦で○○の地点に敵前上陸を敢行するから、名前呼ばれた者は一歩前へ出なさい」って、こういうあれでね。そして、名前を、こうどんどんどんどん呼んでいくんですよね。

そして名前呼ばれた者だけは、「今、駆逐艦が一木部隊の輸送船に向かってきとるから、準備をすぐしなさい」っていう、名前、こう呼ばれてね。呼ばれた者は、わたしも呼ばれたし、第1梯団(ていだん)、それがね。そして、背のうから何から、またもう1回全部調べるっていって。で、手伝って調べてもらってね。そのときに、まだ弾薬が少し足りなかったのかどうか知らんけども、全部で300か200だったかね。まあ、弾が、持つだけくれて。

あのときの気持ちっていったらね。ま、みんなに伝わるかわからんけど、ただ会いたいっていうのはもう間違いなかったね、親にいっぺんね。

会いたいっていうね。まあ死ぬのはもう、これやられるっていうことは、もう大体予測はしてたけどもね。

Q:死はやっぱり覚悟されてるものですか?

そうですね。もう、ほとんどみんな覚悟していましたよね。

怖いというのは、あまり感じなかったね、あの時は。まあ、だからわたしらもう、戦争、本当の実弾を撃ち合いするというのは初めてですからね。

まあ、やっぱり敵前上陸して、駆逐艦からゴム舟艇(しゅうてい)という空気入れるとバーっとふくらむ舟艇にみんな乗って、そして敵前上陸したんだけど。その日はちょうど敵も何もいなくて、無敵であがって。そしてその次、その日の朝かな、将校斥候(せっこう)っていうのが出たんですよ。そしてそのときに、シブタニ大尉が隊長で、各中隊からは小隊長が1人、それで、兵が4人か5人かな。行ったんですよね。そしてあれ、17日の、したから18日の日だね、朝。それで18日の日に将校斥候がやられて、お昼ごろね。

やられてしまった。全員やられたもんだから。あとから「追撃せい」っていう命令が出て、うちの中隊がそこの追撃部隊に中隊になって、すぐわたしたち、そこの将校斥候やられたところまで行ったんですけどね。そして、行ったときにはもう、アメリカの兵隊も何もおらんかったけど。そして、そこらずーっと調べたら、海岸線にずーっとわたしらこう行ってみたらね、重機備えたところがあったんですよね。そこには薬きょうが山になってる。そのくらい弾を撃つんだからね。

撃った薬きょうの空。それがびっしり置いてあったね。そして、まあみんなやられておったもんだからね。全部遺体を集めて。
全部死んでいたね。そして遺体を集めて、そして、各中隊ごとの遺体を今度集めてきてね。そしてそこで中隊ごとに集めて、そこで中隊長が、もう晩方になっちゃったもんだからね、この遺体を片づけて、処分せよっていう命令があって。

昼間は暑いしね。そして昼間は、もうゴソゴソ歩きおったらやられるからね。夜ばっかり歩いていましたね。

そりゃもう全部、前に尖兵(せんぺい)中隊っていうのが出とって、そしてそういう状況を調べて、ここに、こういうふうにこうやって知らせてくるんです。斥候が出てますから。まあ、そんなことを、ずーっと歩いていったんだけど。何か図面見たってね、今まで、そのガダルカナル島だなんていうの、小学校時代でも何でも、そんなこと聞いたこともない島でしょう。だから、どこにどうなってるもんだか、そんなことも勉強したこともないしね。「何だ、あれ、ガタガタだ、ガタガタ島だ」なんていう、「おかしいな」なんていうような話し合いだったね、初年兵同士で。

そのときにもう戦闘のやるそういう静けさといったら、あんなに静けさになるものかね。何ひとつ聞こえない、しーんとした夜でしたよね。そして、出発ちょっと前だったな。黙って見てたら、聞いてたら、何にも音をしない中に鼻すすり声が聞こえてました。ふんふんという、お互いがやっぱり思い出して泣いてたんじゃないですか、みんな兵隊も。それはもう本当に静けさといったら、戦争の行くそういう静けさは、本当に何ひとつ音がないもんね。そのときはやっぱりいちばん寂しかったですよね。

Q:思い出すというのは、何をみんな思い出しているんですか?

やっぱりうちのことですよね。

もう10時ごろに最後のごはん食べたからね。ちょうど闇夜になるのを待っとったと思うんですよ、行軍をね。そして、もう月が入って何して、もう出発準備がもうじきになるかな、なるかなと思っとるときに、みんな考えたんでしょう。それぞれ思い出があったんでしょうね。ひとりで鼻すすり声が聞こえておりましたね、ただね。おそらくみんな泣いてたと思うんです。まあ、お母さんにも会いたいだろうし、それこそ奥さんを持っとる人は奥さんに会いたいだろうしね。それぞれ思い出がたくさんあって、おそらく鼻すすりしとったんでないかな。そのときはいちばんやっぱり何ともいわれん寂しさだったね。そして、ちょっとたってその月が入っちゃって、もう本当の闇夜になった、ちょっとたったら、すぐに出発準備という命令が下ってきて、そしてみんな立って、いつでもできるようにと思って立ったら、今度また前から「実弾を込め」というね。だけど、本当にそのときはぱっと自分に戻ったっていうのか、われに戻ったというかね。いよいよ戦闘開始だという、もうほかのこと何も頭になんか浮かばんかったですけどね。

中川っていうのがありましてね、中川を渡って、なんぼも歩かんかったと思うんですけどね。ちょっと歩いて、すぐに攻撃態勢をとれっていうことで、背のうを全部おろしてましてね。そして、弾薬だけは雑のうに入れるだけ入れて、そしてこう、前の弾薬入れるところへいっぱい入れて。手りゅう弾が2発かい、そいつも全部こうつけまして。そして攻撃態勢に入ったんだけどね。

そして、攻撃するということで、それぞれ散らばったんですけどね。1小隊、2小隊、3小隊っていうように。で、うちらの中隊が1小隊だったんだけど、いちばんジャングルの、木の、ヤシ林の生えてるいちばん奥だったわけだね。あれ、この間ちょっと、本の中に遺体が全部出てたのね、あれが2小隊。

いちばん奥のほうから、こう何か、ひとつのやつをこう丸く取りまとめて、その裏にまわるという作戦でなかったかなと思うんですよね。まあ、わたしらは将校でないからわからんけどね。

それを、その、あの総攻撃、一度にその3小隊なら3小隊、各中隊ごとに一緒に攻撃するのに、てき弾筒っていってね、てき弾筒で、の打ち上げた合図で総攻撃開始っていうのは聞いてましたから。だから、総攻撃するちょっと前に、アメリカのほうのが先にバーっとあげられて、そして私たちがこう、陣地を攻撃しようという態勢をとっとるのが丸見えになっちゃったんですよ。

照明弾で。何発もあげられてね。

もう、昼みたいですよ。本当にひどくね。それでもう、弾がダーッと、もう川のように流れましてね。
もう本当に、そんなこと言ってれば、ちょっと弾が川のようにって言ったら不思議かもしれんけども、本当に川のように。それがえい光弾があるからわかるんですよ。

あの、えい光弾っていってね、弾に、弾の後ろに明かりつくようになってるんですね、アメリカの弾は。5発撃つっていうと1発が、シューっとこう飛んでくる。そいつが、川のようにその明かりだけが見えるんですよ。だから、どんだけ弾を撃ってきたのかね。

見えないのが4発あるわけだね。

一斉に撃ってきたんですね。そんなもんだから、もうあっという間にもう、たたかれちゃってね。
それでもう全滅、ほとんど全滅しちゃって。そしてもう連隊長が最後には、まあ撤退せよという命令が出てね、中川まで撤退せよという命令があって、わたしが第1小隊のほうに撤退せよという命令をとりに行ったんだけどね。それだけど、もう中隊長が亡くなってしまうし、もうほとんどの兵隊がおらんくなっちゃって。

全滅しちゃったみたいだったから、連隊長が中川まで撤退せいという命令が出てきたからね。そして、中川まで撤退するように各小隊の伝令係が行ったんだけどね。

いや、やっぱり立ってこう、こう凹地(おうち)のところには逃げようと思って逃げた兵隊なんか、だだーっ、ぱっと、こう明かりで見えましたね。そして、もう撃たれて倒れていくのがね。

Q:どんどん倒れていくのも見えるんですか?

見えたんですよ。もうそのくらい明るいですよ。もう昼と一緒ぐらい明るさだったね。それ一発でないから、何発も打ち上げてあるからね。それでもう総攻撃ができなくて、もう全滅しちゃったんだね。

えい光弾あげられちゃったからね。だから、どうしようもならなくて、その場でみんなもうじっとへばりついとったんだけど、もう今言ったように川を流れるような、地上、そうだね、1尺5寸か1尺ぐらいの間のところをだーっと流れるように弾が飛んできて、それでほとんどやられたんだね。

地上を流れる弾というのは、もうだいたい足から下に当たるように、こういう固定板というのが、もう昼の日中につくってあるんだってね。それで、おたくさんのところに狙うようにちゃんと水平板というような板を置いて平らにして、そしてそこに銃をとんと、重機なら重機を置いて軽機なら軽機を置いて、そこをただ狙いも何もしないでただ引き金さえ引けばそこの位置に行くように、日の日中につくってあるらしいんですね。それがアメリカがちゃんとつくっとったんだね。

もう地上をなめるように撃たれてね。いや、本当にあれ戦争でなかったら、きれいな夜ですよ。本当に紫や赤、ね。その弾が一挙にザーッと。最初の撃ち出したときなんか、ババンパンパンじゃないんですよ。ドーッという何かがぶつかって、大きな音のように一挙にドーッというように流れて弾が飛んできましたからね。だから、中隊長でも「おおっ」といっていっとったようだったね。音にびっくりしちゃう。日本のやつだったらパーン、パーン、パーンだからね。

あれだけ撃つんだからね、とてもとても日本の何か30発や40発持っていったぐらいじゃ、もちろんそれが1発1発こうやって交換引いてでしょう。そんなにそんなにやっておれんですよ。何十発もなかなか撃つったら容易なことでない。それが一挙に出るからね、あれ。何っていうの、自動小銃っていうんですか。

これだけ弾が出るんならかなわんぞな。そのとき、だからそんな交換の引いた、引くときの明治時代の、あの日露戦争のときのようなそんな鉄砲では、まあそれではなかったけど、九九式で新しいんだけど、式は同じだからね。交換引いて一発入れて、一発撃つって、また一発出して、また一発込めてだから。だから、これではかなわんわなっていうことは、友達とも一緒の兵隊同士では話したことがあったですけどね。

この足は戦車が来たときに戦車から撃たれて、これへ当たったんですよね。これ左足と右足と2発ずつ受けてね。

敵陣地に向こうの陣地がありますからね。そこの陣地に攻撃に皆が行くときに撃たれたんですよね。
焼け火ばしこう突き通ったような感じで、ここへ弾が当たったときに、ばあっと入った瞬間もうこっちに抜けるからね。ここがバアーと熱くなって、ただ通っていったあとが焼け火ばしをジューッと通ったような感じでしたね。

それがね、どういうんだったか知らんけど、そんなにやまなかったのね。出血はね、あれ何というの、昔のヨードチンキありますよね。
あいつの原液といったら、ちょうどいったら、皮膚が焼けるような強い薬なんです。そいつをけつのほうにガーゼ詰めて、こうガーゼ詰めて、そしてこっちから、この穴のあいたところから原液をつぎ込んでくれたんです。そして、そこへつっぺしたんですね。それで、血管が焼けて血が出なくなったのね。

どういうても、もうただことばでちょっと言えんね。それどうだっていっても、とにかくダアーって来るから、もうなるだけ当たらんようにという。火は、木の陰とか丸太の倒れてるところね、弾が飛んだらこっちへ寄るとかいうぐらいだったわね。

Q:一応よけてはいたんですか?

ええ、やっぱりよけたんでしょうね。木にこうそばに寄ったり、壁際にこうひっついたりしてね。そして、戦車がこう上がってきてね。そして、こっちの3人まだ生きてたんだけど、つぶされて死んだんだね。

5時、5時半ごろだと思ったな。何かものすごい音がするんですよ。グアグアグアグアグアという。そうしたらあんた、戦車がね、何台も海辺を走ってきよるんですよ。そして、その後ろに兵隊がついてきとる。ああ、今度は中隊長が「破壊班おらんか」って言ったんだけど、破壊班どこにおるんだか、どこで死んどるんだか全然わからんでしょう。それで、もうしょうないわけで、そのままにしていたら、戦車がね、こういう掩体壕(えんたいごう)を掘っておる頭の中へちょうどこうスポンと、こんな、こういう掩体壕を掘って入っておるでしょう。それで、ダダダダって上がっていっただけでは、中の人間死なないから。

隠れてるから。ピタッとここへ、で止まって、キリキリキリキリってこう回るんですよ。
戦車が、うん、回転。そしたら掘れるでしょう。
掘っていく。それで、首から肩からこう引きちぎられてね。

ヤシの木がかかっているもんだから、こういうふうにね。こっちからカチャカチャってやったら、わたしとここにおったマナベっていうのと2人だけが助かったんですよ。それで、こうグウグウグウグウと上がってきて、こっちの端がドッチンって落ちますわね。落ちると、落ちるときに前の兵隊つぶして、けつのやつで2人、こうつぶしてね。そしてこう、ビュッと馬力かけて上がっとれば、もうひとりぐらい何ともなかったんだろうけどもね。わざわざ、ゆっくりゆっくり落として上がって、こう上がっていったもんだからね。だから3人つぶされちゃってね。

そして掩体壕を見つけたら、今言ったように、ちょっとキリキリキリと回っては首っ玉を、こうぶち切れちゃうんだわね。

Q:でも、水野さんの目の前で、その人が踏みつぶされてるのを見たんですよね?

そうそうそうそうそう。まあ、残酷なっていったら、戦争だからこれは仕方がない。人をよけい殺したほうが勝ちですからね。

いや、もうだめだっていうのは、やっぱり思ったね。そして、そこから今度は、機関銃でダッダッダッダッダッダッ、ちゃんと乗り出して、砲塔みたいなこう真ん丸っこい出入りするところから、自動小銃か何かで撃ちまくっとったわね。見えるんだけどね、どうしようもならんもんね。

ああ、もうだめだなというのが真相ですね。目の前でだもの。もう10メートルか15メートルぐらいのところに入っておる兵隊が、ギューっとまわってつぶされてね、ファーっと立ち上がってドーンと倒れていくのだけど。あれも、やっぱり苦し紛れに立ち上がるんでしょうね。

わたしらからちょうど15メートルぐらい離れていたかな。20メートルも離れていないと思った。そこへ掩体壕掘って入っておった。そこできりきり舞いされてね、そして、その戦車がずっと出ていった瞬間、「やあっ」とその壕(ごう)から立ち上がって、「殺してくれー」って言っていって、ドーンと倒れたきり、もう声がなかったけどね。あれ、瞬間的にああいうふうに立ったのかね。

「殺してくれ」ってね。いや、苦しいからね、みんなね。だから、わしらも、これやられたときなんかは、何ていうのかね、弾、痛いんじゃないんですよね。熱いんですよ。ここからこっちへ、肩に抜けてこの肩甲骨折れてこっちへ出たときなんか、焼け火ばしこう、ジュッと通ったような感じでね。

熱いですね、弾がね。みんなね、そうやって死んでしまったときのみんなの最後の、あのー、死ぬまで正気だからね、あれは。出血多量で死んでいくっていうやつはね。

あのあとは、だからわたしは、水を飲みに川まで下がりたくてマナベさんと一緒に下がろうと言ったけれども、マナベ君「もう行けないわ」って言ったんで。わたしも少し行ったんだけど、その先で眠っちゃったんだね。

Q:それは、もう夜になってからですか?

夜です。

Q:夜になってから、水飲みに行かれた?

はい、水飲みにね。まあ、「水飲んで、腹いっぱい飲んで死のうや」ってマナベ君と言って出たんだけど、マナベ君ももう疲れてて、「おれここから動けんわ」って言って、そこで別れてね。それでわたしも、なんぼぐらい行ったか、どのぐらい歩いたか、行ったんだけど、もうそこで倒れちゃって。それで、そのときに、から何日かぐらいたったんでしょうね、1日か2日ぐらいはたったんでないだろうか。そして遺体片づけっていうのが、その島の飛行場建設部隊っていうのがあがっておって、飛行場つくっておったんです。そのときにだいたい2000人ぐらいいたとかっていう話だけどね、飛行場つくりにね。それが遺体片づけに来とって、わたしらが生きとったのと、それから一緒におったマナベ君も、まあ拾われてね。そして運ばれたのが、わたしはアメリカの海軍の野戦病院みたいだったもんね。そこへ入れられて、そこで治療を受けたり何だかしとったんです。そして、何日間ぐらいたってからかな、1週間ぐらいたってからかね。夜中に赤十字のマークのついた自動車が何台も来ましてね。先に、そのアメリカの兵隊さんどんどんどんどんと運んでいったんですよ。「いや、アメリカの兵隊運んでいった。これ、おれらだけの病院にするつもりかな」そんなことをみんなで話していたの。そしたら、わたしらも乗せて運んでいくんですよ。そして、同じ自動車に乗ってたワダさんや何人かと「いや、おれらはね、これ捕虜になっとるんだから、これ最後に殺されるんだわ」って、「どっかへ連れていかれて殺されるんだわ」って、そんなことを言ってたんですよ。そして、着いたところを見たら、そうでないんですよ。こう大きな輸送船みたいのがあってね、そこにこういう、戸板みたいのがあって、3人ぐらいこう、そのまま担架みたいなやつに乗せて、ぐーっと本船へ引き上げるんですよ。ありゃりゃ、おい、どこへこれ、本船で連れていくのかなって。そして、1週、4日か5日走ったかな、そしたら港へ着いてね、そして運ばれたところがニュージーランドの病院だったんですよ。その病院で、わたしらが治療を受けたんですよ。そうして今度は、アメリカの兵隊さんもそっちのほうにおるし、こっちは日本の、その一木部隊の兵隊が、あのときに何人おったかな、あれ7人か8人おったんでないだろうか。

アメリカっていうのは、まあ言えば、残酷だっていうような話も聞いてたからね。そんなことは聞いとったけども、実際と、その看護のしかたがね、まったく違うもので、それにはびっくりしましたよね。

もう、トイレから何から全部、アメリカでしょう。ニュージーランドの兵隊でしょう。まあ、便所がしたければ便所、便器持ってきて、3人も4人もしてお尻を上げてくれたり、まあ本当に(いたれり)尽くせりっていうのかな、そんな思いでしたね。

本当に今見たら感心しますよ、本当に。日本人ならあんなことするだろうかなって思う。本当にね。もう便所だって全部とってくれたからね。

Q:ああ、下の世話まで。

全部。もう全然だれも動けん兵隊ばっかりだったから。全員便器もつけて、あっちではここがこれがしたいからぱあーっと、こうやって呼ぶとね、すぐ便器持ってさ、そして持ってきて、足へ両方つっとるでしょう、上げれんもんだから。そうすると、3人ぐらいで便器へこう体を持ち上げてくれて、真ん中から便器入れてさ、「それでやれ」ってそう言うんだよね。そして、小便のほうはちゃんと小便つぼを持ってきて、つかまえて、そしてこうやって入れて、そうしてとってくれてたんですよね。

わたしらが、半年ほどちょうどまた、8月に入って2月でしたからね、2月の何日かなあ、あれ、ニュージーランドの病院出たんですよ。そして、キャンプに行くからっていってキャンプへ行ったらね、2つキャンプあったんですよ。1つのキャンプは、飛行場建設に行っていた作業員が入っておるところと、それからもう1つは、兵隊さんばっかりのキャンプと、こう2つあったんだよね。わたしらは2つ入っとるほうの、兵隊ばっかりのところへ入ったんですよね。そして、兵隊ばかり入ってるんだけども、そのときに、そのときにあれ、どうだったのかね、作業員が何か、どういうわけで作業員が出なかったのかは、わたしらまだ入って1週間ぐらいだから何にもわからんかったんですよ。だけど、作業は、出とったやつが、「もう作業は出ない」ということになって。そして「作業に出ないから」いってもう、作業員が集まって出なかったんですよ。そしたらあれがね、あの通訳が来てね、「作業に出てこないと大変なことが起きるかもしれんよ」っていう通知があったみたいだった。そして、しばらくしたら「全員外に出なさい」っていうことでね。で、わたしらはあのときに10人か15人ぐらいおったのかな。体の具合が悪くて、そういう仕事もできない、何もできない者がね。そして、「あんたたちはこっち、元気のいい者はこっち」っていうふうに分けられて。そしておったら、司令官が兵隊を7~8人連れてきたのかな、連れてきて入ってきたんですよ。そして入ってきて、そこの中にアダチ少尉っていう古鷹の巡洋艦の将校がひとり入っておったんですよ。本当は、将校は別なまたキャンプに入っとったから、そこへ入るのが本当なんだけど、兵隊の中に入っとったんだ。

「アダチ少尉さん『出てこない』っていうと、司令官が『あなたを撃ちますよ』って言ってますよ」って言ったんですよね。そしたら、アダチ少尉は、胸たたいてね「どうぞわたしを撃ちたかったら撃ってください」って言ってね、こう胸たたいてね手広げて「撃ちなさい」って言った。そしたら、司令官が、「それじゃ撃ちますよ」ってことでね、こうやって拳銃をとってねらい定めてね、撃とうとするところに、前に3人か4人ばあっと、こう、アダチ少尉をふさいだんですよ。それで、拳銃で放したら、アダチ少尉に当たらんで、兵隊に当たって兵隊ドーンとひっくり返ったの。そして、2発目にまた撃とうとしたら、そのときには5~6人、ばーっとまた立った。そしてまた兵隊が当たって、その流れ弾かどれか知らんけども、肩に当たったんだね、ここら辺に当たって、そしてアダチ少尉も倒れて、3発目を撃とうとしたときに、兵隊が「うわーっ」とこう、自動小銃を持って囲んどる兵隊に飛びかかったんですよ。そしたら、こういうように真ん丸っこく、本当は、撃つ気であったら、あんなしてこう、丸く折るように点々々々と囲まないんだろうけど、点々々って囲んでおったやつが、一瞬にこう弾を撃ち出したもんだから。もう、だから今度は同士撃ちしたんですね、あれ。

何人か亡くなっておるはずですよ。そして、ダーッと撃たれて倒れて、もうぐちゃぐちゃになっちゃってね。そしてもう、肩を、病院に運ばれ、あれ、でも「あんだけやって撃ち殺したら、みんな撃ち殺せばいいのにな」と思って、わたしらね。「何でおれらも殺さんのかな」と思っとったんですよ。そしたら、今度自動車が入ってきましてね。生きた、生きとる人と死んどる人と分けてね、どんどんどんどんと自動車何台も来てね、運んでいっちゃった。そしてニュージーランドじゅうの病院に、もうあっちこっちに、こう入れたんですね。100人ぐらいおったんでないだろうかね。そして、あれだよねぇ、わたしたちがそのときに、死んだ人がね、置いていったもんだから、その晩に晩飯食べて、今晩な死んだ人のお通夜をしようと思ってっていうことで、そういうことがあったもんだからね。そしてその晩、その場所へみんな集まって、あのときに60、50~60人おったのかな。そういう人がみんな集まってね、その場所へ座って。もう血だらけだから、どこもここも座れないんですよ。だけどちょっと離れた場所に、こう座ってね。そして9時まで、まあ「お通夜をしよう」って言ってお通夜して。終わったら、9時になったら、「もう幕舎へ入れ」って言ってニュージーランドの兵隊が、銃持って入ってきてね。「はいはいはいはい」してね、追いたくられて。そして自分らはみんな、自分の兵舎、兵舎でない幕舎へ戻って。そして朝起きてみたらね、亡くなった49人の遺体がひとつもないんですよ。きれいに運んでいっちゃってね。で、お通夜で、どこへ持っていったのか、それも全然わからんずくでね、もって。それからわたしたちは、21年の、20年の12月の31日に日本に帰りなさいっていうことで、今度はみんな帰されたんですよ。

じいさんとばあさんが、うちの母親とおやじが、この玄関の前へ立っとってね。そして、わたしおりて、そしておやじの前へ行って「今帰ったよ」って、そう言ったら、黙って足のほうを見てるんですよ。それから、ずんずんずんずんと、こう体を見て、顔と、目と顔が合ったらね、「お前は生きて帰ってくれて、よかったな。親孝行してくれたな」って、そのことばが今でも忘れんけどもね。もう、ありがたさっていうのか何ていうんか、もう胸が詰まってきて、そのときの感情っていうのは、ことばでどうやって言ったらわかるかなと思うぐらいの気持ちでしたね。そして、おふくろがね、おやじはそう言ったまんま、さっさとうちへ入っちゃったの。そしたら、おふくろがおって、「ほれ、上がんな」って言って手引っ張ってくれて。そしてそのときに、やっと、足かけ6年目にね、敷居をまたいだんですよ。そして台所のほうから、こう上がっていったらね、兄嫁さんがおって、「まあちゃん、お帰りなさい」って、そう言うんで。「ただいま」って、そう言ったら、「あのね、ばあちゃんはね、あんたが戦死したっていう日から、弘法大師さんの掛け軸の前にね、毎朝お祈りしとったんだよ。だから、お参りしなさい」って言って、わたしを案内してくれた。そして、行ってみたら、こういうお盆にね、コップに入れて水供えてありました。「こうやってね、帰るまで供えてくれたんだよ。これをお祈りしたおかげだよ」って、そう言われたときにはね、本当に親でなければこんなことしてくれんなって思って、胸がいっぱいでしたね。

まず、どの、わたしたちと一緒に帰った人も、ほとんどがやっぱりそうだったと思いますよ。親でなければこんなことできないですよ。下手したら本当にね、親不孝者って言われるかもしれん。そんなこともなくね「親孝行してくれた」って、何、何が親孝行だろうかなと思うような。だけど、自分が親になってみて、初めて親というありがたさがわかりましたよ。やはり、親というものは子供に対して、子供が健康であってまじめに勤めてくれたら、これがいちばん最高の親孝行ではないでしょうかね。

Q:お父さんはやっぱり、その帰ってきてくれたことが親孝行だという。

そうですね。生きて帰ってくれて親孝行してくれたなっていうのが、親孝行だっていうんでしょうね。それと母親が、「死んでいない」っていって信じ切って、毎朝1枚の掛け軸の前にね、朝必ず水をあげていてくれてた。18年、17年に戦死して、18、19、20、21年と足かけ4年ですよね。神社にお参りしたり、お寺の百度参りってそこに石があるんですけどね、お寺に。そこへ来て千度参りしたとか言ってました、兄嫁さんが。

Q:お母さんは、じゃ、戦死したっていう報告を受けても死んでないっていうふうに思ってた。

信じないって。絶対死んでないってね。それ信じ切っていたようですね。

どうして大東亜戦争が起きたか、どうしてやったのか、やっぱり知りたいですよね。だから、天皇陛下がおいでになるんだから、天皇陛下の命によって戦争が起きたんでしょう。天皇陛下がよろしいということで。だから、それ前にはいろいろな私は陛下との、そういう総理大臣とかそういうあれだ、陸軍大臣とか海軍大臣とかという方々と話し合いの上で戦争が起きたと思う。その中身がおそらく国民の方でだれも知っとる人いないでしょう。どういうわけで戦争が起きたのかを。ただ私らは兵隊は「戦争をやれ、あそこへ突入せい、あそこへ行け」「はいはい、それでは行きます」。それじゃ、「鉄砲を持ってあそこへ飛び込みます」というような、しかわからんのよね。ただ命令に従っているだけで、われわれどうやっとるのか本当にわからんですよね。

ああ、いやですね。もし「戦争でやる」と言ったら、まあ体張ってでもとめたいですね。戦争っていうのは本当に無残ですよ。まあさっきも話したけど人の殺し合いだからね。人をよけい殺したほうが戦勝で勝って、それが何したっていうわけ。人の命をとるというぐらい本当に残酷なものはないですから。

いやあ、人をね、殺害するというのは。
あの、悲鳴ね。まあここにも3人来ておられるけど、そういうような悲鳴は聞いたことはないけども、本当に耳から離れませんよ。かわいそうで。何の罪もない者を上から処分せよという命令が来るでしょう。放してやるわけにもいかないし、放してやれば、もし敵に行ったらね、敵にわれわれがおる場所もわかるし、どのぐらいの兵力もわかるし、それはもう本当にやむをえなくそうした処置をとるんだろうけどもね。本当にそうされる者がかわいそうですよ、またね。だから、まあそういうことだけ避けていただければありがたいなと思って。

Q:その声というのは耳に残ってらっしゃいますか?

ええ、残ってますね。まあ、ここに3人の方だから、あんまり人殺しの話したなんていうことは言わんでいただきたいけども。ただ、3人だと1人、3人つくんです、1人を殺害するのにね。それを片方の腕を1人、片方の腕を1人、こういうふうな形で腕をこう持って、こう2人真ん中に入るように。そしてこう背中の首の襟足首のところをつかまえて行くんです。そして、その後ろから銃剣持った人が1人行くんですよ。そして上で、「いいか、放すぞ」という、「放せ」という命令が出るから、言われたら放す。放すんだ。

放したら銃剣でこう刺すんですよね。刺すときの声ったらね、本当にいやあーっていうね、苦しみ方。死んでいくときの苦しい…、やっぱり刺されるから血が噴き出すし、そういうのがやっぱりかなりありましたよね。
だから、人を殺すということは、本当に今でもあんな残酷なことはな、やれるもんじゃないけども、やらなきゃしょうがない。命令だって言われたら。「軍隊はひとつ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」という教育を、もう本当に私軍隊に1年半おったけども、毎朝晩やるんだから、それをね。だから、その教育はやっぱり実行するためには。またそういうことでいかないで、「お前右向け右、おれは右側向きたくないから左向くんだ」って言っとったんじゃ、軍隊じゃないですからね。だから、「やれ」ということは絶対やらないかんだから。そういう点には、まあ、かなり苦しい立場の人もおったでしょう。

その人が目の前で戦車にひかれて、「殺してくれ」って言って死んでいったけどね。それはことばで言えないぐらいかわいそうですよ。今、ガ島にでもニュージーランドで死んだ人も、どこに埋められているのかもわからんで冷たい土の中でおると思ったら、こんなに幸せな生活しとると本当に申しわけないと思っておりますよ。早くそういう人のね、遺骨を日本に帰してほしいですよ。

だから、わたしは、父親が戦争の話を聞きたくないというのも、何かわかるような気がします。護が苦しんでおるだろうということではないかなと思って、今思っておりますけれどね。最後の戦闘に行くときには、「最後のごはんだ、食べなさい。これが最後になるかもしれん」という。ごはん。ことばではおいしいとかおいしくないとか、そんなことを考えることなく、ただ涙が出てくるばっかりでしたよ。月を見ても南十字星を見ても、ただ泣けるばっかりでしたね。泣くって大声で泣くわけにはない。鼻すすり声が聞こえてきて、本当に寂しかった。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争開戦から半年、日本軍は南太平洋のガダルカナル島に前線基地として飛行場を建設。制空権を握り、米軍とオーストラリア連合軍の連携を絶とうとしたのだ。それに対して、米軍は、日本軍への反撃の第一歩としてガダルカナルを攻略することを決定し、昭和17年(1942年)8月7日、ガダルカナル島に上陸、圧倒的な兵力で日本軍から飛行場を奪い、その日の内にガダルカナルを占領した。

占領された飛行場の奪還を命ぜられたのは、歩兵第28連隊の兵士を中心に編成された「一木支隊」だった。米軍は攻勢を強めていた日本軍を警戒し、11000人の兵力を持ち、周到な準備で日本軍が来るのを待ち構えていた。一方日本軍は、日露戦争以来採用してきた、銃剣を持って敵陣に突撃する「白兵突撃」で向かっていった。しかし、米軍の圧倒的な火力の前に白兵突撃は無力だった。

8月18日から10月24日まで、日本は3度にわたり総攻撃を仕掛け、その度に犠牲を積み重ねた。日本の輸送船は米軍機の空爆を受けて沈められ、補給が絶たれた。ジャングルをさまよう兵士は、飢えと病に苦しみ、兵士の多くが戦わずして死んでいった。やがて、ガダルカナル島は飢餓の島、“餓島(がとう)”と呼ばれるようになった。

昭和17年12月31日、ガダルカナル島の日本軍に撤退命令が下されたが、撤退が実行されたのは、翌年2月。この時、一人で歩くことができない兵士の多くはそのまま島に置き去りにされた。ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1千人のうち、5千人が戦死、1万5千人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。
ガダルカナルの戦いののち、日本軍は南太平洋の島々で次々と敗走していくことになる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
北海道上湧別村(現・上湧別町)にて生まれる。
1941年
現役兵として歩兵第28連隊に入隊。
1942年
第1悌団の歩兵としてガダルカナル島上陸。最初の攻撃で足を負傷。気絶しているところを捕虜となる。当時22歳、一等兵(歩兵)。
1946年
ニュージーランドの収容所から復員。4年前に戦死したことになっていた。復員後は故郷で農家を継ぐ。

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ガダルカナル島

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