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タイトルタイトル: 「置き去りにされて」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~
名前名前: 原田 昌治さん(旭川・歩兵第28連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2008年2月4日

チャプター

[1]1 チャプター1 陸軍入隊  02:49
[2]2 チャプター2 消えた帰国  02:03
[3]3 チャプター3 9月、ガダルカナルに上陸  02:43
[4]4 チャプター4 闇を突いての行軍  02:51
[5]5 チャプター5 突然打ち上げられた照明弾  06:46
[6]6 チャプター6 「撃つな」と命じられた接近戦  02:31
[7]7 チャプター7 川口支隊も敗退  02:34
[8]8 チャプター8 野戦病院  04:20
[9]9 チャプター9 取り残される  03:54
[10]10 チャプター10 来なかった救出の援軍  04:48
[11]11 チャプター11 捕虜収容所  06:22
[12]12 チャプター12 まったく知らなかった米軍の物量と武器  02:54

チャプター

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早足行進、ね。そのときは「勇往邁進(ゆうおうまいしん)の気概あるを要す」とかって、そういうような歩兵操典とか、何か出てるわけですよね。だからそういう、精神面と実際の面と、両方習うわけさ。朝は、毎朝起きたら軍人勅諭(ちょくゆ)。寝るときか、寝るときだね。点呼というのあるんですけど、点呼の前に軍人勅諭を言わされるんです。「ひとつ、軍人は忠節を旨とすべし。ひとつ、軍人は質素を旨とすべし。ひとつ、軍人は武勇を尊ぶべし」とかって、5か条あるんですよね。

そして、あとは今度だんだん進んでくると、射撃の練習から、もうそこの射撃ごう場がそこにあったんですよね、その山に向かって撃つんですよね。

鉄砲の撃ち方から、まあ背のうの畳み方から、巻き脚絆(まききゃはん)の巻き方とか、もういろいろとだんだん積み上げて訓練していって。防毒マスクつけて、ガス室で防毒マスクつけてやる体験もしましたし。それから1年の終わりには秋季演習っていって、秋の秋季演習というのがあって。それはもう大々的に旅団と旅団というか、大隊と大隊が、同じ師団の中の2つが紅白に分かれて、遠くから、もう網走のとこっちからとぶつかっていく。実戦演習をやるんですよね。もうそうやって訓練されていくの。だんだんだんだん、戦地に行くように訓練されてた。

銃剣術がある。これでまず、これも朝晩、たいがい朝晩あるんでないかな。歩兵は。

Q:ああ、朝晩。

それがもう突く練習。それから今度、それはそれで競技会があるんですけども、今度はわら筒をつくって、人間のようにつくって、わら筒つくって。それに走っていって「わあー」って刺す。ぶぁーわって、これ何べんも。

Q:何べんも?

もうやるんです。白兵撃。もうそういう練習はものすごくやってる。

とにかくグアム島から一時、帰還命令が出た、と。そのとき、やっぱり喜んだですね。みんな。みんなそうだと思うんですけども、「日本へ帰れる」ということで喜んだ。そしてまあ、いろいろ貝細工だとかさんごのお土産とか買って、そして船に乗ったんですから。やっぱり喜んでいるに違いないですね、みんな。そして、船に乗って出発出航したんですよね。で、次の朝になったら、またもとのとこに帰ってたと。そしたら、まあ僕ら一兵卒ですからわかりませんけれども、何かうわさによると、南太平洋のほうで戦いがあるんで、そっちのほうに向かうということのようなことだったんですね。でそれで、「いや、せっかく帰れる」とね。「日本に帰れると思ったのに、残念だな」というかそういう気持ちと、「いや、これはもう大変だと。しかし、もう今度はもうだめだな」というような気持ちはあったね。

Q:だめというのはどういうことですか?

いや、もう、生きて日本に帰ることができないんでないかというようなひとつの気持ちですね。

ガダルカナルという島がどこにあるのかも、そのときはわかりませんし、上陸してもわからん、ね、どこの島だかわからないもの。

Q:あ、上陸しても、どこの島かもわかんないんですか?

わからないです。どこって、南太平洋の島だなんていうこと、全然わからないもん、うん。南のほうへずっと下ったこと、南下したことはわかっても、そのソロモン諸島のガダルカナルだなんて全然わからないです。

剣をつけてですね、もう弾込めて、そして駆逐艦で送られてきたと思いますね。海岸ぶちまで。

そして、駆逐艦から鉄舟(てっしゅう)に乗って、そしてガ島に着いたと。して、もう薄暗く…、暗くなってからですよね。して、敵勢がいる。敵前上陸なんですけども。日本がいったん飛行場つくったところをアメリカ軍に占領されてるんですから、敵前上陸なんですよね。だけども、まずそこに海岸には敵はもちろんいなくて、上陸してすぐ警備というか、歩哨(ほしょう)に僕らはついたんですけどね。別に何もなかったけども、夜になって飛行機があがったらしいという、まあ情報ですね。ブンブンブンブン、もう本当にそれこそ午前10時でなくて、夜半なるまで飛行機の音うるさくて。して機銃射撃、時々するんですよね。全然、音だけなんですけども。われわれはなんか設営したテントみたいなとこに寝てたのかな。そしたらもう、バラバラバラバラと撃ってくるんですよ。来るんだけ、もうそれこそ今、当たるんでないかと思うぐらい、キューとなって。「はじめ壕(ごう)を掘っておけ」というですね。タコつぼ、穴掘って。そして、そこに入ったんですね、たしか。入ってて、あそこに上陸地点に二晩もいたんでしょうかね、一晩か二晩かちょっと忘れましたけども。その壕に入ったこともあるし、タコつぼにね、入ったこともあるし。テントに寝たこともあるんですけども、寝てても、やっぱり飛行機パパパパと撃ってくるんですね。そのたびにもう、どっか当たるんでないかというような気持ちははじめ。最初ですからね。最初の弾ですから。ま、そんな気持ちはありました。しかしまあ、ほとんど弾に当たった人はいなくて、そのまま前進したんでないかと思いますね。二晩ぐらい泊まって。

とにかく昼間暑いしね。虫がいるし。寝れないけども、昼間寝なきゃならんの。そして夜、ジャングルの中、行軍して敵陣地に近づく。だからもう、最後になったらもういよいよ飛行場に着く2日ぐらい前になったら、もう歩きながらもう居眠り出るぐらい。ちょっと見失ったら、もう前の人だれか暗くてわからない。そういうことが何べんもあったですね。そして、何か光る木の皮かなんかみたいのがあって、それを背のうの後ろにつけて、それを目印に歩いたということもちょっと記憶にある。それぐらいの暗闇なんですよね。

突撃に入るわけですけども。突撃に。いよいよ飛行場近くなって、海岸ぶちを2日ぐらい、1日か2日歩いて。それからあと今度、飛行機で、制空権が握られてるから飛行機でうるさいもんだから、ジャングルの中を飛行場に向かって行ったんですよね。地図もあまりないところをそうやって行ったし、暗いし、暗闇だし、もうどうにもならないと。して、いよいよその飛行場に近くなった。そこで今度、ちょっと後先になりますけども、背のうもう全部置いて、して着剣して、弾込めて全部ね。背のう、若干の乾麺麭(かんめんぼう)とか食糧が入ったんですけど、そういうものを置いて。そしてもう突撃できるような態勢で飛行場のとこに行ったんですね。そして飛行場が台地みたいなちょっとなってますから、そこにあがるところで。真っ暗なときで、いよいよその総攻撃というときに、下のほうの川のとこ。小さな川あって水もないんですけど、川のようなくぼみのところで、カラカラーンと音がして。したら2~3人、なんか暗闇の中だーっと向こうに逃げたのはわかったんですね。あとで考えてみたら、それがなんか缶詰の缶に、木につるしておくかなんかして、人がさわったら音がする。それによって土人が向こうへ通報したんでないかと思うんですね。ということは、飛行場にあがったらもう、照明弾バーンとあがった。それでわかったんですがね。

とにかくわれわれは、カンカーンって音したのは聞いたわけで。そんなものはもう問題にならんから、そのまま逃げちゃったし。今度、ずうっとちょっとした高い台地にあがったんですね。もうすぐですから。そしてそこで傘型散開(かさがたさんかい)っていってね、傘のように開くんですね。こう、こうこうこう、何メートルか置いてね。そういう、そうやって進んでいくんです。歩兵の、傘型散開というんです。

傘の型ですね。その、そしてばーっと。何ていうんだろう。戦線に着いたときに、もう照明弾パーンとあがりました。

もう、どれぐらいの量というんですかね。僕らはこの範囲しかわからんけども、もうもうシュッシュッシュッシュともう、本当に飛んでくるね。して、それがえい光弾がずっとあがって、間もなく今度、機関銃ですね。弾が、もう。今度これは、光りもあまりしないんですけども、シュッシュッシュッシュと音がして。もうチッチッチッチッチチーとかすめるからわかるのね、音で。

Q:かすめるんですか?

かすめるというか、もうチューチュッって音が走るんですよね、ええ。
それでわかる。それを、その間を縫ってほふく、敵陣地に少しでも近づこうとして、ほふく前進をする。

Q:撃たれながら前進するわけですか?

そうです。そうです。撃たれなかったら、なんぼでも前進できるけど。だからいくらも進めないんですよね。もう弾来ても前進はするんですけどね、照明弾あがったときだけは、前進できない。動いたら撃たれ…。もう狙われるから。

それまでは暗いから。向こうは照明弾あげて「あの辺だな」と思ったら、えい光弾で「あの辺、弾着してるな」ということがわかったら、そこを撃ってるわけでしょ。向こうは。照明弾の撃ってるとき、あがったときだったら本当にわかるから。人がいるということわかるから、いっぺんにやられちゃうというの。そんな状況ですね。だから、照明弾のあがらないときだけほふく前進をして、照明弾あがったらぴたーっと静かにして。というそういう状況ですね。

Q:そもそも原田さんたちはその照明弾があがるというのは想定にあったんですか?

いや、全然ないですよ。全然初…。何ていうんだろう。初めての戦いだし、連隊長やなんかとか、そういう将校連中は、経験者はあったかもしらんけど。われわれなんか全然、照明弾だかえい光弾だかわかったもんでないです。

Q:そんなもの、事前には教えてはくれないんですか?

うーん。照明弾が総攻撃のときにあがるとか、えい光弾が飛んでくるとかということ、習わんかったですね。1年しか教育受けないですけども。

照明弾も、いつまでも時間があがってるわけでないからね。だから、少しでも前進して、おそらく敵陣近くなったらもう、突っ込むというか。そういうあれだ、作戦だと思うんですよね、うん。

とにかく、敵が撃ってきたり、射撃してきた場合には、低いとこに身を伏せるとか、そういうことはもう何べんも訓練はしてるんですよね。照明弾があがって明るくなったときは動くなということは、習ってなかったね。またそんなもの。歩兵操典にもないのかもしれませんしね、ええ。

それで、そうやってるうちにですね、少しずつ前進していったと。して、また今度、機関銃の弾がどんどんどんどんもう飛んでくるしですね。進んでるうちに何か動かないから、これは。いや、こうやって見たら、次、ここの隣の戦友が死んでると。弾に当たって、何か動かないと。「ああ、困ったな」と思って。まあこうやって見たら、またこっちも動かない、という。そんなようになってね。それでもとにかく前へ進んでいかんきゃだめなんだ、ということ。ね。意識あるから。だから弾の少し途切れ、途切れることもないんだけども。と思うようなときとか、もう照明弾もそんなにバツバツバツバツ。2~3回か4~5回あがったら、もうあがりませんでしたから。それで、ま、少しずつ前進してた。したけどほふく前進ですから、いくらも進んでないんですよね、ええ。したらそのうちに、夜が少し明るくな…。白々としてきて、そしてぼーっと、人というのが見えるようになってきたんだね。そうしたら、誰が言ったか、将校か下士官かわかりませんけども、「とにかく後方へ下がれー」というような命令が来て。そして出てね。それから後ろ、今度、敵、向こうへ進んでたのが、後ろ向いてはうようにして下がったんですけど。その下がったときに、今感じたら、本当にもう、前進するときは弾の恐ろしさというの、全然ないね。何にもないの。もう「とにかく進んで敵陣に乗り込んで、突撃せんきゃならん」ってこの一点張りで。もう何もないんです。もう無心というか、何というか。そういうものなんですよね。ところが、後ろに下がるときに、なんだか異様な感じというかね、がしたということは、事実ですね。ええ。そして、またもとの、カラカラと鳴った川沿いのあった下にさがったの。したら弾は上を飛んでますけども、そこは安全、安全地帯みたいなものね。

Q:その異様な感じというのはどういうことなんですか?ちょっと具体的に。

後ろから弾が当たるんでないかというか、そういう一種異様な感じ。行くときには、弾当たるんでないかなというの思わないんですよ、うん。これは不思議なものですね。

やっぱりもうそういう任務というか、軍人精神というか。その辺でやっぱり訓練されて、教育されてたのかね。ところが、そんな敵に後ろを見せるなんていうのも、その操典に書いてもいないし、また初めてだろうしさ。初めてかどうかわかりませんけど、とにかく何か一種異様な感じが、後ろに弾が当たるんでないか、というような感じはしました。

出発のときね。出発ったらおかしいですけども。背のう置いて、いよいよ総攻撃に、飛行場にあがるときに、あがる前に、とにかく弾は装てんしてあるけども、撃ってはいけない。突撃、最後突撃で撃った。またそうですね。ま、今考えてみたら、何も一発撃ったら向こう50発ぐらい返ってくるんだから。だからそれ当然なんだけども、とにかく撃つなという指令なんだね。

だから接近戦術。突撃というのはもう接近して、だからほふく前進してる。少しでも敵に接近していく。

ジャングルの中、音がしたらいけないから、総攻撃に入る前まで巻いてたんですね
白いきれで、音がカチャカチャってちょっと音がしますからね。そんなにひどい音でないんだけども、それでもたくさんの人のだったら、やっぱりだいぶ音するかもしらんから。それで白いきれを巻いたと思うんです。
弾、装てんするところにね、白いきれ巻いた。もちろんそれは外して、総攻撃に移った。

「撃ってもいい」なんてひと言もないですよ。ただその、総攻撃をして、敵の陣地を奪取して、あしたはルーズベルト食事を食べよう、と。米軍の食糧を奪取して食べよう。そういうことだけです。撃つなも撃つなも、とにかく突撃していって、陣地を破って、そして向こう参らせて、敵の食糧にありつくということ。そういうこと。

暗くて全然わからない、何にもわからないんだもの。向こうはこそ、照明弾あげたり、えい光弾でとか、何かでわかるけども。こっちは何にもわからないんだから、どこに陣地があるかも何もわからないんだもの。もうおそらく将校だってそうだと思うのね。だから、撃つどころ、撃ちたい、撃とう、とかそんなこと全然ないもんね。ただ、前進あるのみ。

僕ひとりでないんですけども、まず背のうを置いていったもんだから、もちろん食糧はないし、飲み水もないし。それで山越え、ね。10日間もかけて山越えするんですから、途中で倒れてる人も背のうしょったまま、休んだままそこへ死んでいる軍人とかね。それから大きな川みたいなとこあって、汚い川なんですけども、その川にぶよぶよ浮いている人がいたりして。もうこれ大変な死の行軍というぐらい、大した高い山じゃないんですけどもね、大変でした。

水、まあ泥水飲んだり。何か草の葉っぱの食べられそうなのあったら食べたり。そんなことして行った覚えはあります。
魚を取ろうと思って、手りゅう弾ね、あれを投げたんですよね。そしたら、なんかぷーっとこう浮いてくるんですよね。浮いて、こう沈んだりなんかする。「何かな」と思って見たら、その工兵隊の人、割合元気な若い人でね。若いって僕らが若かったんだけど、えんぴ(シャベル)でくるくる出てくるやつをこれぐらい入ってね。川のよどんだとこにある、ぷーっと、ばーんとはたいたんですよね。そしたら、ころっとひっくり返ったのがワニだったんでね、うん。して、そのワニをとっても重たくて、長さ1メートル、2メートルぐらい近くもあるようなワニですからね。

火、マッチ持ってる人がいて、火つけて焼いて、黒こげにして、そしてそれ食べて。あとは残り飯ごうに詰めて、そして出発したんです。そしたらもう、下痢して。もう途中でひどい目にあってね。

そのマラリアが、その前にだから出た覚えあまりないんですけども、出て。マラリアという病気はまあ、あとでも話しますけども、もう寒くって寒くてね。熱が出て、寒くてどうにもならん。それがその人の度合いによって違うけども、なんぼか続いたら、今度は暑くて暑くてもうどうにもならないという、そういう病気なんですよね。それ終わったら、まあ体はだんだん衰弱してきますけども、まあまあ何でもないというような病気なんです。そのマラリアが出て、もう寒かったんだろうと思うんですけども、ヤシの葉陰で、ヤシの木のそばでもうぐったりしてたこと、覚えてるんですよね。そしたら、イワコシ准尉が「総攻撃に耐えないから、野戦病院に入院しろ」という命令が出て。そして割合近くにあった水無川(ポハ川)というところの野戦病院に入ったと。そこから、だから総攻撃から、部隊から外れた、ということですね。

野戦病院というのは名ばかりでね。まず自分で持ってたテントを水無川の川べりに張る。薬もないし、食料もくれないんですね、うん。だから、マラリアの薬、もちろんほかの薬、下痢の薬も何もないし、それから食料も全然ない。自分でとりに行くしかないですね。そんなありさまでした。だから、病院ったって名前ばかりで、ただ固まってそこにいるという。それで患者の治療、弾に当たった人も何かいまして、何か治療も上のほうで、上のほうって川上のほうでしてたようですけど。そこまでも行ってもみなかったし。

そしてもう傷した人で、ね、ウジ虫がわく。ハエがたかってウジ虫わくんですよね。したら、ウジがそのうみを食べてくれるからいいって、軍医。軍医もいたんだろうけども。そんな話も聞こえてきたし。だからまあ、ただそこに集団していたということですね。薬もない、食料もなければ。

手やなんかやられた人の、だーっと血出たら、とにかくもうすぐ腐るから。それをハエがばーっとたかりますからね。したらウジ虫がずっと、わいてるんですよね。包帯か何かぐらいはしてくれるのかも。してああ、ウジ虫、ウジがうみを食べてくれるから、何かいいという話を聞いたことがあるんですね。そんなありさまです。野戦病院、名ばかり。

それ死体はどこか。あるとき、ちょっとした道路通ったら、すぐその野戦病院のすぐそばに、爆弾の穴みたいなの大きな穴があって。そこに何か、死体投げ込んでるようなんですよね。それでもう、その横ってちょっと離れてるんですけど、50メートルぐらい離れてるとこ通ったら、もうブーンって本当にハエの音が。音から、黒くなって、すごいんですよね。

いやーもう、本当に何ともいえない。してもう、本当に何ていうか、かわいそうだというか。ね、気持ちと。またもうひとつは、あしたはわが身だという、ね。いよいよおれの番だなと、そういう気持ちがありましたね。

土人の小屋にね、ええ。土人の小屋にたどり着いて。そのときに、まあやっぱり、そこ名前忘れましたけども、ふたりだったんですね。して、ふたりで、だいぶ入ったつもりだけど、いくらもあとから入ってなかったようですけども、土人の小屋があって。土人の小屋というのは、ちょうどこの部屋ぐらい。ま、わかりませんけども、このぐらいの部屋で、寝台がこう、竹で編んだような、ヤシの葉で編んだような、竹ではないね、何かヤシの木か葉か何か知らんけど、編んだような寝台が2つあって。その下にヤシの実がごろごろ、食べかすがあって。その寝台のほかは土間、もちろん土間なんですよね。そういう小屋なの。そして、その周囲を、周囲というか、こっち側のほうを裏口があって、小川が流れてるのね。して、その小川のこの辺には、サツマイモみたいな芋、タロ芋か何か知らんけど、芋の葉っぱやなんか、芋のつるなんか張って。もう既にもう、われわれ遅いですから。土人とかそういうの食べ尽くして。もうもちろん、何も食べるものはないんですけども、そういうあとがあったり。小川の水が何たってきれいで、ね。そういう水。ま、おなかいっぱい飲めるというか、そういうことができたということ。そこに、わたしが壁側で、もうひとりの人がその次の隣にふたりで寝たと。寝たというか、暮らしたということですね。

そのときに、まだやっぱり、3月の前だと思うんです。だから3月10日には、陸軍記念日というのあるね。あのころ陸軍記念日って、奉天の戦いの戦勝したのを記念して、陸軍記念日。その3月10日には、友軍が迎えにくるんでないかとか、ね。それから、4月の29日が天長節なの。ね。昭和天皇の。「天長節には来るんでないか」と。ひそかな考え、思いをやっぱり秘めて。「見捨てて行くわけない」と思うからさ。「迎えにくるんでないか」というようなひそかな望みを持って、そこに。マラリアに冒され、この辺にハエがとまってね。汚物が、汚くなってるから、この辺にウジがわいたりなんかしても、そうやって望みを持ってた。かすかな望みを持ってた。

まあ、見捨てられたなんて思わんし、最後の撤退なんてもちろんそのときわかりませんからね。その兵隊は「何か撤退したらしいぞ」とかって言ったけども。ね。やっぱり、かすかな望みを持って僕らは生きてた、ということだと思いますね。

トイレはどうしていったものか。とにかく小川に飯ごうがやっぱりあったんだな。飯ごう。こうやって張って、小川へ行って、水を飲んで、水をくんで。くんだったって、そこで半分こぼれるからね。して、そこで休んではもう2、3、とろとろとなって。そして寝台にはい上がってきたら半日というような。

そのうちに、いよいよもう僕も「きょう、あす死ぬんでないか」ということになって。して、まあ白い…。その前からもう、「白いごはんとか暖かいごはん食べたら、1ぜん食べたら死んでもいい」とかって思ったこともあったし。友軍も来ないし。いよいよもうこれは、まあ今晩、きょうかあす、死ぬかも知らんと自分でわかって。「死ぬときにはこの汚いまんまね、死ぬことできないから、きれいな小川の中に入って死のう」と、そう思ってたんですよね。そのやさきに、突然、その朝、ブアーッと土人の声。外から、銃声が聞こえた。

それで、銃声聞こえてね、そしたら土間にいた3人は元気なもんだから。裏口があるんだけど、小川をつたってばーっと逃げちゃった。裏口とにかく、裏からばーっと逃げちゃったの。3人。残されたのはわれわれ早くから住み着いていたふたりなの。そして、そのうちのひとりは、弾がボッボッボッボッて、壁抜けて音、わかるんですよね。音、壁、チャッチャッチャッチャ突き抜けてくるから。

僕はあおむけになって頭向こうで、そのままになって、ええい、もう、ね、きょう死のうと思った、「弾に当たってもいい」と。しかし、日本人として、さっき言ったその、あれなんですよね。「捕虜になるということは、これは軍人としての恥だ」と。おれひとりかもしれんから。「これはひとつやってやれ…。殺されてもいいから、とにかくやって死のう」というつもりでね、ちらっと見たら、木づちだか金づちだかわからん。まあ木づちでないかと思うんですけど、何かつちのようなものがあったんですね。それでそれをずっと手伸ばしたら、届くとこにあったもんだから、それを持って、こう死んだふりして、薄目あけて見てたんですね。したら弾、15分ぐらい、まあそれも時間わかりませんけども、しばらく撃ったら、撃ちやんで。してちょうど入り口がそこで、僕は向こうが顔だから、薄目あけてるから見えるんですけども。それこそその、その上につきそうなぐらい背の高い、初めて近くで見る外人ですから。大きな兵が、それをこーっとのぞいてね。わーっと、それこそなんぼ撃ったってまた生きてて、がーっとやられたら困るから、だと思うんですけども。じろーっと室内を見回して、「ああ、誰もいない」とかって、そしたら2~3人入ってきたんですよね。銃持って入ってきたんです。そして、見回して「本当にいない」とかっていってね。

そしたら、今度、その寝台にもたれかかって倒れてるその人の襟首捕まえて、ぐっと引っ張った。頭重たいから、がくーんとなった。それに銃口つけて、バーンと撃ったんですね。で今度、いよいよ僕の番になって、襟首捕まえてぎゅっと引き起こした。ね。して向こうは寝台だから、こう頭出るし、これぐっと引き起こすときに一緒に起こされた。起きてきた。一緒に頭出てたもんだから。うまく剣道やったせいかどうかわかりませんけども、うまく当たって…。

Q:あ、金づちが。

うん。ガーンって。まあそれが力あればね、ひとりぐらい気絶できるんだけども。ようやく当たったようなもんかもしれませんね。だけど、痛いことは痛かったと思うのです。今度、怒っちゃって。そして、僕は座ったような感じになった。したら、向こうは怒って、今度、銃の床尾板(しょうびばん)って、下の、あそこでどーんとつつかれて、ばたんと倒れた。ま、そのまま気絶して、終わりと。

Q:捕虜になった?

はい。目が覚めてみたら、米軍のキャンプで捕虜になってたと。こういうことです。

気がついたらですね、米軍のキャンプ。3段ベッドだと思う。2段か3段ベッドが両側にあって、そこに…。そこに連れてこられたころに気づいたのかな。それから、どこか乗せられてね、アメリカのガ島の本部みたいなところにちょっと行ったような気もしますけども。それ、夢うつつであまりわかりませんけれども、とにかく体を洗ってくれて、ね。そして、真ん中に担架あって、担架。病人運ぶ担架置いて、その上に新しい毛布敷いて、そこに寝かされた。体を洗って、ような記憶があるんですよね。そしたら、その僕を捕まえたマリーン、アメリカの陸戦隊が、今でもうろ覚えに覚えてるのは、シェリーって覚えてるんですけども。それが手がらにもなるから殺さないようにしたんだと思うんですけども、軍医に連れてきてね。診察。診察っても。したら軍医の手がここね、おなかにさわったら、こんな厚みがない。何もない。食べてないから、もう背中に届いたような記憶だけはあるんですよね。何かね。

そして、ああ、これはもうさっきの英語みたいなもんで、「今晩もつかどうかわからん」と、ね。「だから、好きなもん食べさす」とかって言ってるんですよね。そして帰っちゃった、軍医は。そしたらそのシェリーが、「お前、何か食べたいものあったら言え」ということ言って。して僕はその時に、「カレーライス食べたい」って言ったんですね。うーん。そしたら「しばらく待ってれ」と言って。しばらくたったら、オートミールというんですか。麦のおかゆみたいなものを持ってきたんですよね。それがまあ本当に何か月ぶりで食べた。したら、もう汚い話ですけど下痢しちゃってね。そのままその体、洗ってもらって寝たんですけども、夜中に2~3回あったんでないかと思う。そのたびに「くさい」っていって怒ってですね、ながら体を洗ってくれたんですからね。

今考えてみたら、本当にありがたかったと思うけども。また食べ物もね、かたい物を少しでも食べさせられたら、もういっぺんに参っちゃったかもしらんけど。だからガ島から引きあげて、ブーゲンビルとかああいうとこへ行って、何かごはんをたくさん食べて、具合悪くなって死んだと、いうのたくさんいますからね。だから、ものすごい長期間の空腹とか栄養失調になった場合に、急にそういうもの食べたらだめなんだね。ま、それがよかったのか、何かちょっとわかりません。何もかにも、よかったんだと思いますけども。とにかく米軍は親切にしてくれたことは事実ですね。

しばらくしてからなんだけども、もうとにかくそのごろになったらもう、何か夢うつつみたいな感じで。ね、はっきりしないんですけどもね。今になったらなおさらはっきりしないんだけども、数日たって、マラリアが出たんですよね。してもう、だんだんマラリアというの、さっきも話したように、だんだん重くなるというか。もう時間的にも早くなるし、長くなるし早くなる、回数が。してはじめは寒くて、その次暑いという。それを繰り返して、もう熱にうなされてか、騒いだんですね、うん。これあまり話したくないんだけどさ。あまりうるさいので、担架に縛られて、こうね、暴れたんだろうと思うんですけど。縛られて、して寒かったからか知らんけど、暖かいとこに。何か日が照ってて、飛行機がブンブンブンブン飛んでるのがちょっと記憶にあるんですよね。そういうとこにこうなって縛られていたんだと思うんです。そしたら、あんまりうるさいもんだから、「して殺せ」と言ったと思うんですね。だから「それなら殺してやる」って。もう熱にうなされてもいたと思うんですけどね。爆弾の穴みたいな穴があって、「そこへ入れ」って。兵隊がずっと銃を持って取り巻いて、僕ひとりそこに、こう入っていった。して「いよいよこれが」と思ったから、まあ「天皇陛下、万歳」と言った記憶はあるんですけどね。したら、カチャカチャってみんなねらって撃ったのが、空弾。弾が入ってないんですよね。して、「ハハハハ」とかって、みんな笑って。それで劇は終わり。

「殺される、むごく殺されるんなら、あっさり殺してもらったほうがいい」という。まして捕虜だから、生きて帰るわけにいかないというか。それはあるから。うん。そういう考え方だと思いますね。

ああもう、「虜囚(りょしゅう)の辱め(はずかしめ)を受けるなかれ」という戦陣訓のひとつだからね。

まずひとつは、大本営が非常に机上プランで無謀な戦いをさせた。そのために悲惨な戦いが起こったというか、そういうことがひとつ、大きなあれだと思うんですよね。そのうちの中で例えば、米軍の軍備が日本軍に大きくまさっていたにもかかわらず、さっき言ったようにその、「大和魂さえあれば、突撃して勝てる」と。そういう誤った武士道精神というか、軍人精神というのがあった。もう大本営そのものにも、日本軍人全部にもあった。そういうことが、ね、あったということ。それがひとつですね。それから、制海権、制空権というのが、もう全部アメリカに握られていたと。南方の孤島で、制海権と制空権がなかったら、支那大陸じゃないですから。問題にならない、無謀な戦いであるということわかる。それからもうひとつは、暗号とか情報とかというものは、もう暗号全部解読されていて、しかも情報が全部入手されていた、と。敵にですね。それで勝てるわけがない、ということ。そんなようなことを感じました。大本営についてはね。

で、だから要するに日本軍人は、ものがなくても、大和魂さえあれば勝てるんだ、という大きな誤りが、考えの誤りがあったと思います。

徹底して。そうなんだね。これ射撃もね、それとは徹底してやっぱり。射撃もあれだからね、日本の三八式でも三九式でも、全部弾1発ずつこれだからね。装てん、5発装てんしては、1発ずつ引き金引くんだから。向こうはもう弾入れたやつ、ダラララララってこう、弾倉から飛び出していくんだから。機関銃。いわゆる機関銃だからね。だからどうにもならんもんね。だから、こっちの1発が、向こうの50発にも。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争開戦から半年、日本軍は南太平洋のガダルカナル島に前線基地として飛行場を建設。制空権を握り、米軍とオーストラリア連合軍の連携を絶とうとしたのだ。それに対して、米軍は、日本軍への反撃の第一歩としてガダルカナルを攻略することを決定し、昭和17年(1942年)8月7日、ガダルカナル島に上陸、圧倒的な兵力で日本軍から飛行場を奪い、その日の内にガダルカナルを占領した。

占領された飛行場の奪還を命ぜられたのは、歩兵第28連隊の兵士を中心に編成された「一木支隊」だった。米軍は攻勢を強めていた日本軍を警戒し、11000人の兵力を持ち、周到な準備で日本軍が来るのを待ち構えていた。一方日本軍は、日露戦争以来採用してきた、銃剣を持って敵陣に突撃する「白兵突撃」で向かっていった。しかし、米軍の圧倒的な火力の前に白兵突撃は無力だった。

8月18日から10月24日まで、日本は3度にわたり総攻撃を仕掛け、その度に犠牲を積み重ねた。日本の輸送船は米軍機の空爆を受けて沈められ、補給が絶たれた。ジャングルをさまよう兵士は、飢えと病に苦しみ、兵士の多くが戦わずして死んでいった。やがて、ガダルカナル島は飢餓の島、“餓島(がとう)”と呼ばれるようになった。

昭和17年12月31日、ガダルカナル島の日本軍に撤退命令が下されたが、撤退が実行されたのは、翌年2月。この時、一人で歩くことができない兵士の多くはそのまま島に置き去りにされた。ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1千人のうち、5千人が戦死、1万5千人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。
ガダルカナルの戦いののち、日本軍は南太平洋の島々で次々と敗走していくことになる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
東旭川村米飯にて生まれる。
1941年
現役兵として歩兵第28連隊に入隊。
1942年
第2悌団の歩兵としてガダルカナル島上陸。
1943年
マラリアで動けなくなったところを米軍に捕まり捕虜となる。ニューカレドニア・サンフランシスコなどの収容所で捕虜生活を送る。
1946年
復員。

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ガダルカナル島

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