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タイトルタイトル: 「首里防衛線での激闘」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 ~山形県・歩兵第32連隊~
名前名前: 笹島 繁勝さん(山形・歩兵第32連隊 戦地戦地: 日本(沖縄)  収録年月日収録年月日: 2008年3月

チャプター

[1]1 チャプター1 満州から沖縄へ  04:33
[2]2 チャプター2 米軍上陸  04:13
[3]3 チャプター3 反転総攻撃  04:35
[4]4 チャプター4 首里防衛線  06:49
[5]5 チャプター5 本島南部へ移った戦場  03:42
[6]6 チャプター6 馬乗り攻撃  02:32
[7]7 チャプター7 国頭(くにがみ)突破  03:43
[8]8 チャプター8 終戦を知らずに  06:21
[9]9 チャプター9 帰郷  03:04
[10]10 チャプター10 生き続けようと思った  04:24

チャプター

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沖縄に、那覇に着いて初めて沖縄だっていうことが分かった。もちろん幹部は知っているけれどもね。われわれは全然分からない。馬も門司まで連れてきたんだよね。駄馬。機関銃積載する馬要るから。そうしたら、そこで船に積まない。あれ、どうしたなのかな。そうしたら、その船に乗って。船に乗ったら大変。酒に酔うより、まだ酔うの。俺は。船。それから、今度は甲板に機関銃を据えて、潜水艦、敵の潜水艦の監視していたんだよね。それから、今度は初年兵が交代して、中に入ったら、もう全然駄目。それから、よし、お前たち、中に入ってろ。俺ずっとやるからって。間食と食事だけは運べって。なんぼでも食べれるの、上にいれば。中に入ったら全然食べられんの。

Q:沖縄に行くということは分かっていなかったわけですよね。

分かっていなかった。ただ、南方に行くということは分かっていたけどね。その前に、遺書を書けって。

15文字以内で遺書を書けって。ははあ、やっぱりわれわれは家を出る時から御国に捧げた命、これはやっぱりもう南方に行って終わりだなと思った。それから、俺、なんて書いたのはね、内地の家に来たんだね。来て、それあったの捨てちゃったもんね。15文字というから、なんて書くかなと思ったけど、その時は「父よ、母よ、さらば」それだけ書いて出した。

そして、着いてすぐ、着いたら、すぐ機関銃配備について。そして、高射卓があって、卓があれして。そして、俺、射手だから、飛行機、空襲、まだ上陸してないから、飛行機来たら撃つ用意して。そして、それが、あれいつぐらいだろうな、一晩いたのかな。そうしたら、すぐ伊波(沖縄本島中部・現うるま市)というところに行くと。伊波に行くと言ったって、車で行くんでなくて、歩いてだものね。そして、その時みんな、機関銃は分解搬送して、60キロある機関銃を半分にして30キロずつ。そして伊波行って。伊波で仕事。陣地構築したんだね。陣地構築すると言ってもね、食料も十分ないのね。それから、10時、3時の間食、休憩の時に、なにかかにか平時の場合は出た。それ出ない。そうしたら、今度、15分間休憩。椎の実拾って来い。そして、誰か監視1人つけ。椎の実拾うのに、ずっと沢の方まで行くでしょう。そうしたら、誰か監視つけということは、上にイノシシがいるの。それがバーッと来たらいちころでやられちゃうんだね。ところが、イノシシは傍に来るまでじっとこうやって、ちょっと身体すかしたら、あれカーブ効かないから、真っ直ぐ下まで行って。そうして、夢中になって椎の実拾って、それを食べる。それがおやつだもんね。ということは、食料も、被服、食料も沖縄に持ってきたんだけれども、船団が潜水艦でやられちゃうんだね。

それが来たのはね、上陸する前に、それは出陣する前に兼城というところにいた時には、言うなれば、海の水見えないぐらい。船が、戦艦来るでしょう。それから輸送船。それから空母。沖の方、ずっと来るんだよね。まず地球丸いということは分かるさね。

煙がこう出るの、眼鏡で見ても、肉眼でも見える。煙がだんだん姿が大きくなる。そうして、われわれの近くに来たら、全部の掃海艇、船を降りるでしょう。真っ黒。そうして撃ちながら来る。その時、われわれの命令は、第一波が上陸し、第二波、第三波が上陸した時には砲を撃つから、その合図で一斉に撃つって、われわれ機関銃据えて。どこにそれだけあげてしまったら。なぜそうしたかと言うと、ちょっと上陸、わずか上陸した時に撃てば、みんな逃げちゃうから、全部上げて、そこで叩く。全然戦法は違ってたのね。

Q:海の水が見えないぐらいの大船団。その船を見た時って、どう思いましたか。

なんと言うかね、自分で自分じゃないね。そしてまだね、それでも死骸見てないでしょう。見てないから、なんと言うか、大体震えが止まらんかったね。そして、これそこに行った時でも、まず戦死する人どんどん出る前までは。だけど、戦死してからは落ち着いてあれしたけども。だから、いまここであれするのは、津嘉山に行って中城湾の時で、ヨシオカと交代して、よし、ヨシオカ交代するぞと俺が土嚢を置いて、土嚢の上に機関銃据えて、そしてヨシオカは墓場(沖縄独特の、大きな亀の甲の形をかたどった墓・「亀甲墓」)の中に入って。そして、いたらその時、あれ無意識だね。俺の兄貴というのは俺より5つ上で、軍隊でノモンハン事件にも行ってきた兄貴なんだけども、腹はすいてる、喉は乾く、疲れてる。その時にね、ここを兄貴につかまれたんだね。危ないって。つかまれて、その後、何が何だか分からん。その時は、兄貴が来るわけないんだけど、なんて言うのかね、それは。

そうしたら、もうその機関銃あったところから、それ後から見たけど、10メートルぐらい飛ばされてるの。そして機関銃見たら、機関銃とんでもないところに行って、壊れちゃってる。それからやっと、ああ俺助かったなと。それから、ヨシオカどうしたかなと思って。そうしたら、ふらふら立ってる。ヨシオカ、お前どうした、どうした、と言ったら、そのままバタッと倒れて、それっきり。ということは後から見たけどね、銃弾でなく、砲弾の破片だね。破片はちょうど、なんと言うかね、鋸の目みたいになって飛んでくるんだね。それでもって、その小さいのは頭貫通したんだけれども、即死でもなかったんだね。ちょっと外れたんだね。そして、だけれども、すぐ倒れたんだね。

総攻撃の命令はね、結局、大隊長からまず来るんだけど、大隊長はどこからあれ来たのかな。首里にいた司令部、師団本部から、司令部から来たか、大隊長が結局、各中隊にそれ伝令、あれするんだね。そして、あれ夜だな。夜集結すると。そうして行って、小さな岩あって、岩陰に、あの時何人いたろうな。20人ぐらいいたと思うんだけども。

そして、行って、そうしたら夜が明けてきたんだもんね。暗いうちに行ったんだけれども、そこに行くのになかなかあれで、夜が明けて。それから、うっすら明けて、それから変だと思って、その岩陰から覗いたら、30メートルほど離れたところに敵が、部隊がごっそりいるんだもんね。さあ、その時は、駄目だ、ここ下がらなきゃ駄目だと。その時は下がれという命令も何もないの。下がらなきゃ駄目だと。その時にアリモトというあれが、浜本さんと同年兵なんだよね。あの人、乙官になって、そして俺の分隊長だったの。

そうして、今度は機関銃を持って、機関銃を取りに俺が行ったら、そうしたらワタナベって三笠炭鉱から来たワタナベ、ワタナベというのは浜本さんと同年兵だ。それが持っていた俺からもぎ取るようにして、あの重い機関銃を、60キロの機関銃を担いで行こうとしたんだね。担いだ瞬間に、そこにあれ、なに手榴弾だと思うんだけども、落ちてバーンと行って、そしてアリモト分隊長もやられて、アリモトは唸る、それからワタナベはもう全然木っ端微塵、機関銃も飛んじゃって。俺も飛ばされたけれども、全然何でもない。

そうしたらアリモト唸るし、だからどうしたどうしたと言ったら、この辺に大体もう明るくなったし、見たら大体15発ぐらいその破片が当たって、全然歩けないんだよ。それから、こりゃ駄目だ、よしと、それからおぶって、そして敵をちょっと背に向けるところが、あれだいぶ距離が長いと思ったけれども、あれで5メートルぐらいあるかね。ちょっとおぶって、下がった時に、もうおぶってて、こうなるんだよね。

その時に、バンバン手榴弾投げられて、手榴弾の破片が背中にだいぶ当たったんだもんね。そして、やっと下がって、交通壕に入って。そうしたら、もう苦しい苦しいと。血止めするったって止血するも何も、包帯もなければ薬も何もない。ただ、せいぜい小さな傷だったら舐めて、ちょうど熊なんかこうあれするように。

そうしていたら、そこで、うわーやられたと来たのはオオタタクジロウって召集兵で、子供3人かなんかいる。北海道のあれだけれども。どうしたと言ったら、足のこの腓やられたと、ものすごい、そして俺が自決用に持っている手榴弾を取ろうとするんだ。ここに縛って。そうしたら、殺してくれと。今度はアリモトも殺してくれ、殺してくれと言う。いまそんなことでどうするんだと。それも大きな声出したら、またパンパンと来るわけ。あの時ならどんな気持ちだか分かんなかったね。

反撃一番ひどかったのは、そこから出てね、そして今度は150高地、140高地ってあるんだよね。その高地がちょっと小高いあれで、墓場があって、上に小高いあれがあって、墓場が途中にあって。それから、ぐっと50メートルぐらい下に下がって、そこは敵の大部隊がいたのね。そこに入って、その間撃たれる、ほとんど撃たれる。そうしたら、少尉が1人、他の部隊の、そこにいて、全滅して。少尉が、お前たち、何日もつかな。駄目だぞ、みんなわれわれの部隊全滅だからと。そこら足場ないの。

死骸で。そして今度、俺が墓場に入って、そして伊東大隊長が、すぐその墓場の端の墓場に入って、そして俺が機関銃持って行って、機関銃そこに据えて、偽装して、敵から分からんように。敵との間、大体70~80メートル。そして、そのすぐ、こういう目で見たら、そこに谷みたいなところがあって、俺、直感来たもんね。あれ、きっと戦車か攻撃部隊が来るぞと思って。見たら、それ50メートルぐらい。それから今度は機関銃。一連ホダン30発詰めて。そして俺、自分のあれに大隊長のいたところからなんぼもいない、その時20人ぐらい同じ壕にいたと思う。そうしたら、そこにどんどん手榴弾投げられる、あれする、上から手榴弾落ちてくる。そしたら、まるでみんなやられて。そうしたら今度、大隊長にみんなやられましたと。

Q:みんなやられるというのは、どういう状況だったんですか?

やられたということは手榴弾。

Q:手榴弾が落ちてきて。

まだ小銃まで来ないで、手榴弾落ちて、それでやられたんだね。そうしたら、見たら、20人ぐらいいたところ3人しかいないの。いやー、亡くなっている。したからね、あれ出たらね、うんうん唸っているんだよね。

唸るというのは無意識のうちに意識不明さね。生き埋めになっているの。その度にパンパンと下から来るんだよね。唸る声が聞こえるんだよね。それで近いところに。そしたら、大隊長、楽にせい。楽にせいって言ったてね、そんなことできるもんじゃない。

Q:楽にせいってというのは、どういうことですか?

殺すということさ。息の根を止めると。

Q:その唸ってる人を?

声が出るからね、どうせ助からないだから。だけども、そんなこともできんし。そしたら、ある兵隊がやってたけどね、エンピって小さいスコップ、携帯用のスコップでやったけども、駄目。鉄カブトかぶっているでしょう。ゴツンゴツンと。それから分かって、横っちょの方からやれば、声無くなるんだよね。そういうのね。それは本当の、なんと言うかな、普通の人が聞いたらうわっと思うけども、これも戦友愛なんだよね。

結局、そうやって、恐らく意識不明だけれども、もうやらなきゃ、どうせ死ぬんだし。ああいうところ見て本当に。その度に、なんと言うかね、もう自分が、なんと言うか、どうかすれば落ち込む場合もあるの。いつ何時、いま顔合わせて、おい今度、お前生きてたのか、そうだ。そして、どうしてもあれだ。今度は自分を士気を鼓舞するためにね、恩賜のタバコいただいてという歌あるんだよね。恩賜のタバコいただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は、荒野の風も生臭し、という歌。それを、大元帥陛下と言ったらもうそれこそ神様だから、自分をクシャクシャした気持ちをあれするために、恩賜のタバコいただいてと、心の中で声出さんで。そして、思ったもんだよ。

そして、よし分かったぞ。機関銃行くぞ。今度は機関銃持って。そして行って。なんも機関銃撃ちも何もしない。戦わんうちに。

なんも至るところからウワーッと迫撃砲。そのドンドン音したから、これは来るぞと、それから俺ずっと離れて伏せてたの。そうしたら、そこになんぼ来たもんだか。戦車も何も、もう燃える、あれする。兵隊誰もいなかったもんね。みんなやられちゃって。

虫のようなもの。そして、下水みたいなところは、低いところはみんな死骸で埋まっているでしょう。そしたら今度、全部死んだんでなく負傷した兵隊もいるから、そのうちだんだんね、来るな来るな、シュシュシュシュもう自決。自分で行動できなくなったら自決する。そしてバーンと。だんだんそれやったら、腕飛んじゃうんだよね。半身。そして、しばらくの間、苦しむんだよ。それから、だんだん死に方を覚えて、手榴弾安全栓抜いて、発火したら、ここに抱いて伏せるの。伏せたら、一思いにバーンと行っちゃう。そういう死に方まであれしてね。

お母さんとかお父さんとか言うというの、天皇陛下万歳とか、一つも聞かなかった。その時はね、みんなが大本営何をやってる、東条英機何やってると。われわれに援軍しないでって。そればっかり言って、畜生、野郎、悔しいと。そういうあれで、もう天皇陛下万歳だの、お母さんだのというの、一つも聞かなかったね。

津嘉山(南風原町津嘉山・那覇市の南東に接していた)から誰かの命令で、糸満(沖縄本島南部)の陣地まで後退せいと、命令来て。それ大隊長が恐らく出したと思うんだけど、大隊長どこにいたか分からない。それから、あの60キロの機関銃担いで、その時の体重はやっぱり50キロ近くはあったと思う。もう腹は減る、喉は乾く、そしてそれを夢中になって、そして担いで下がった。そうしたら今度、弾痕に砲弾の穴あって、そこに水ダブっと溜まって、必ずそこに5~6人兵隊は死んでいるんだよね。水飲みに入って。

そうしたら、そこに将校がいて、おい助けてくれ、助けれくれと、なんと言うか、軍刀を杖にしてこうやってんの。ところが、そんなことをしてられない。われわれは歩くと言ってもね、横から来るか、後ろ、前方から何が来るか、もうこういう格好で歩いてたもんね。そいつそのまま見過ごして、それはみんな、恐らくあのまま上がれないんだから、死んじゃうんだもんね。そして、あとあそこ、糸満の壕まで。糸満の壕は大きな壕。あれ、前に石部隊か誰か築いたあれ。そしてわれわれもそれにして掘った壕で。それがもう最後のあれだもんね。そこへ行って。

海岸も見えるし、糸満も見える。それから、敵がきっとあの辺来るぞと思って。そして見ていたら、そしたら朝8時頃、夜明けでも8時頃になったら来たのね。砲兵が。小さい砲兵を人が引っ張って来て。そしたら据えて、そこに据えた。いや、来たな。それから機関銃そこにあれするようにやって。そしたら、みんな裸になってね、温かいもんだから肉眼で見えるの。そうしたら、もう虱取りやっているの。日本人はこうやったりね、言うなればこうやったりするけども、やつら取ってやってるんだよね。

それから、よしよし、あれあそこにいるのは誰だ、まず一番大事なやつを撃とうと思って、1発あれして、照準して。1発バーンとやったら死んだんだよね。さあ、そしたら、みんなそこにわっと来て、今度は後退して、さあ今度はこっちの方を見てるもんね。だから、きっと弾来るぞ。今度は砲、その砲を見てたの、筒先。いいか、手で合図したら、すぐ下がれよ、そこから下がれよ。そうしたら、砲が筒真ん丸になったもんね。下がれー。したら、ボガーンと来て、もう何も、機関銃も何も吹っ飛んじゃって。その時はもうすぐに俺、下まで降りちゃってるんだもんね。だから、何ほど俺がそういったあれが早かったのか。そして、あれしたら。そうだ、それからしばらくそこにいたんだ。それから、まず外に行っても痒いし、なんかそこら死骸一杯いるし。

そのうち敵が攻めて来て、馬乗り攻撃やられたの。上から。それから、今度は穴の中に、奥に入って。手榴弾は投げられる、中あれしたけども、それでも岩だからね、何でもなかったの。

それ敵がもう誰も日本軍はみんなやられたと思って。そして行って。その時にタカエ隊長がどこにいたのか、その記憶ないんだけどね、タカエ隊長が馬鹿のようになってふらふらとしているんだね。それから、隊長殿どうした。アーアーと。だけども、あの人は気立てのいい人だからね、この人は殺したくない、このままわれわれ下がったら、もう駄目だ。今度はそれからようしと思って、今度は長靴はいてたの、長靴はいて軍刀持ってたの。

軍刀も全部投げて、おぶって。隊長をしっかりおぶって。今度は手に持ったって、それが今度はこうやってここ持たせて、手でこうやって。そして、やっとはってきた。あれ、さっきも言ったように、1200メートルぐらいよくおぶって来れた。その時だもの。なんかカサカサするなと思って、ひょっと空とあれと透かして見たら、なんか将校みたいなんだよね。そしたら、誰だと言うから、一機。一機と言ったら、一機関銃中隊だと。そうしたら、その時に、なぜ敬礼をせんかと。腹立ったもんね。それどころか隊長おぶってるし、命からがらあれしてるし。拳銃に手かかった。弾5発入ってるし。そうしたけども、それはやっぱり止めたね。これ撃てば幹部を殺したんでは、もう駄目だ。そして、そこをやっと行って。

そして、そこへ来て、糸満に、壕にまた戻って。そして糸満の壕に、どこに隊長を置いたか。隊長をそこに置いて。そうしたら隊長、そのまま助かったんだもんね。

斬り込みにちょいちょい出たけども、今度われわれの時は斬り込みでなく、国頭突破(敵陣を突破して沖縄本島北部に脱出する行動)、3人一組で国頭突破。そうしたら、その時に3人一組で7組あれしたんだね。だから、21人出て、みんな別々の行動して、そこを出て。出た時に、われわれの傍からずっと離れたところに、負傷した浜本君がいたんだよね。それ、いたということは分かるけど、どこにいたか。後から聞いたけど、ずっと下の方にいたって。だから、われわれそこから出たら、元気のいいわれわれが出たら、浜本君はそこで死んじゃうんだよね。もう食べるものもないし。そうして、われわれはそこから出て。そうして行って、座波まで来たんだな。

 
そうしてひょっと見たら、ずらっとみんな自動小銃持って。あれなんぼ、20メートルぐらいのところに。そしてわれわれの足を撃って捕虜にするつもりだったんだね。それから今度、ホンマケンジって、すぐおれの上来たから、お前待て、いいか、もういよいよ駄目だから、俺大きな声出すから、声出したら全部バラバラにそこ行け。そして、もう何でもいいから、敵にぶつかったら殴ってでも何でもいいから、行け。言ってるうちに、そのホンマケンジが飛び出しちゃったんだよね。もう普段からちょっとせっかちな男だった。同年兵だけど。そうして行ったっけ、まもなくボンと撃たれて、どこを撃たれたか倒れちゃった。それから、もうどうもならん思って、それが俺、ワーッとありったけの声出したの。そうしたら、みんなワーッと声出して。そしたら、もう小銃撃てない。敵と入り交じっているから。敵も撃てないわけさ。したもんだから、みんなあれして、服引っ張ったり、髪の毛引っ張ったりなんかしてるうちに、みんな、畜生、野郎って。帯剣持っている者でも帯剣抜く暇がないの。

もう、ただこうやって相手を突き飛ばす。そうしているうちに、ちょっとした、あれ大した高いと思ったけど、2メートルぐらいのところに落ちたんだね。よくあれ鉄兜もかぶっていたからだけど、どこも何でもない。そしてひょっと見たら、こっちの方からなんかそよそよ風来るし、あれっと思って、ひょっと見たら、壕があるんだよね。それから、ああ、これ壕だ、よしよしと思って、その壕に入ったら、後から分かったけど、ちょうどコの字型になった壕で、元病院の跡だったんだね。野戦病院。仮にそこにいたんだね。したっけ、誰だ誰だと言うから。笹島だと言ったら、あれ、大場軍曹。大場さんもちゃんと入ってた。よっぽど早いんだ、あの人は。そして、ひょっと見たら、大場さんと4人入ってる。すると俺とで5人さ。

そして、やっとあれだいぶ掛かって、夜明ける前に糸満の壕に着いて。そしたら壕にも兵隊もなんぼかいたし。確かいたと思った。それから今度は穴のずっと奥の方に入って。そしたら食料、炊事婦がその時5人だかいたの。炊事婦も出したいんだけど、出せばスパイになるから。例えばこの穴に兵隊がどれぐらいいるとか何とか。だから出さんで。そして炊事婦に、お前たち、食料もしあったら運べって。そしたら、穴の入口に、反対側の入口に、さっき言ったように、玄米3俵あったんだね。その3俵玄米だから、1俵は下ドブに浸かって、3俵の一番上には兵隊1人そこで死んでて、白骨になっているんだよね。だから、下までそれが脂落ちて。

それから今度、炊事婦がそれを3本の指で、1人に1日1回、みんな配って歩いたんだね。なんかに入れて。そして持ってきて、1人ずつ。それを口に入れて。最後何もない。ガツガツと喰う。それから喉は乾く。喉が乾けばこうやって。そうしてこうやればドタンなんて、坑木の間からなんぼか水下がるんだよね。下がったやつを舐めて。口は乾く。そうすれば隣に炊事婦いた。もうほとんど裸同様。温かいから、中。割と気候風土に慣れているから、炊事婦は割と丈夫なんだよね。そして、それ運んで。そしたら、もうこっちも疲れているし、その時の俺、体重は30キロそこそこだったと思う。もう本当に骨に皮付いている。全然歩けないし。

そしたら、入口には今度はその頃からね、だんだん物を持ってくるようになったの。そして、日本軍、無駄な戦は止めなさいって。戦は終わりましたって。そういうふうに書いて、それから中に、そこにチョコレートだのタバコだの置いてあるんだね。それから、なにこれいい加減なこと言って、そしてわれわれを出すつもりだと。そして、後から行ったら、・・・あの女死んでたわって。そうしたら、その時にだいぶ経ってから、それちょうど、やや2月その壕にいたんだよ。もうあと1週間もいたら、俺もそのキクチというのももう駄目だったな思うね。そしたら、その時、大隊長どの辺にいたのか、大隊長とあれ軍医見習い士官だと思う。そしたら、軍医見習い士官がいくらか英語を話せるんだね。そしたら、いいか、いろいろラジオで聞いてるから、いま軍医と一緒に行ってみるから。米軍の方へ出るから。出て、もし本当であれば、戦が終わったんであれば呼びに来るから、それまで待っていろと。そして出て行ったんだ。

そしたら、その前にね、昼夜の別問わず発砲するという場所図面に書いてあるの。それから、昼夜を問わず発砲しない、昼間でも日本軍が出て歩いても発砲しないという区域。ということは、早く出てくれということなんだね。そして、それで大隊長が出て行った。そしたら、あれ何日ぐらいいたろう。2日もいたろうか。そしたら、おーい、大隊長だ、戦は本当に終わった。そしてその時に、自決した牛島閣下(沖縄守備軍司令官)のあれと、それからそこで米軍の最高指揮官が亡くなっているんだよね(米軍司令官バックナー中将は6月18日に戦死)。そこにみんな兵隊がお参りしている姿見た。そうしたらラジオ、内地のラジオも聞いて。そうしたら、もう大丈夫だと。それから出て。いよいよ出る。そしたら元気のいい兵隊2人に俺肩持ってもらって、やっと出て。

そしたら、外はいい天気で、目開けられないの。何日も暗がりにいたでしょう。それからしばらくこうやって。そしたらあの時ね、いま言う朝鮮人だと思うの。2世だよね。日本で。皆さんご苦労さん。皆さんご苦労さんって、タバコを1本ずつくれたんだよ。さあ、そのタバコはのみたいし、取ったけども、まだあれだし。それから外はもう小鳥の声もしてる。そして入る時は、そこら畑みたいに砲弾飛んであれだったのが、2月経ったらもう草がぼうぼう生えて。やっとあれしたら。そしたらもう、われわれは出たということ分からんものだから、観測機で、女がもうここまで出して、そしてなんかあれして、そして足半分出してヘリコプターのところで。そしてハンカチ振って、われわれに。われわれ、そんなものね、まだ敵と思っているから。

そしたら今度、大隊長が、いや、あそこに廃屋があるから、廃屋で一晩暮らせ。その廃屋で一晩、誰も、米軍も何も付かんで一晩暮らして。そして明くる日、赤十字のマークついた、あれが何台来たろう。あの時ね、何人ぐらい、われわれ30人近く出たのかな。そして、みんなそれ乗せてもらって、そして石川まで行ったの。石川の収容所。

昭和21年11月3日。もう忘れません。そして船に乗せられたんだね。そしたら、その時にはみんな、お前忘れるなよ、全部ここに刃物、ここに入れたり、どこかこの辺に刃物入れたり。そしてわれわれ帰ったら、大学生が待ってると。名古屋に入るというあれでした。名古屋に入ったら大学生が待ってるから。お前たち負けたから日本軍が負けた、日本は負けたんだって。きっとそれ言われるぞ。言われたら、黙ってないで、どうせわれわれ死んだ身だ。みんなもう好きにするべ。そうして来たの。

 そうしたら、名古屋湾かな、あそこに入ったらね、漁師がいるんだよね。漁師が何かしてたから、おっ、漁師いるぞ。そうしたら、なんか半纏みたいなの脱いで手振るんだよね。なんで手振ってるんだ。だんだん近づいたら、ご苦労さんご苦労さん。全然違うんだよ。その時に俺、遺骨2柱持ってきて。そしてずっとそういうふうにして行って、そして上陸したら、あの頃ね、愛国婦人会だね、婦人部の人たすき掛けて。そしてわれわれをちゃんとあれして。そして遺骨をある場所に安置してくれて。そしてあの時に、お祝いだって酒、本当に猪口に一つずつもらって。そして米軍から日当。あの頃の金でね、70何円貰ったんだよね。70何円貰ったら、ようし、これでもし生きて家まで帰れたら、家で何か商売やろう、みんなで話したの。
 
そして俺は家へ。家へ帰るのも線路伝って家へ帰ったけどね。頭下げて。やっぱり捕虜という最悪の不名誉なんだよね。捕虜で生き延びてきたという。頭下げて。そして帰ったら、母親いて、なんも電報も何も打たんであれしたから、さあ母親、こうやって足ばっかり見てるの。幽霊だと思ったんだね。もっとも、行ったら仏壇に俺の陰膳据えてあったもんね。それからそのまま、落ち着くまで泊まって。馬屋に行って馬見に行ったら、兵隊に行く前にいた馬あったから、その馬と頬ずりして。それから本当の地方人になった。大体こんなところで。

津嘉山から確か帰る時、その時に伝令が、牛島閣下の訓示をあれしたんだな。全南西諸島の最高指揮官だから、南西諸島の将兵よ、堅忍持久忠誠を尽くせ。堅忍ということは、とにかく我慢せい。忍耐。そして生き長らえて、忠節を尽くせということは、それから、「もう死なれない。絶対死なれない。」そう思ったもんね。

堅忍持久忠誠を尽くせ。だから、われわれは悟ったのは何人かでね。堅忍持久。堅忍ということは、きっと忍耐、我慢して、無茶して犬死にするなということだ。我慢して、そして長く生き長らえて、忠誠を尽くせという意味だ。というふうに取ったのね。
だけども、さっき言ったように、もう敵に接近されて、ああいう時にはね、もうどうせ死ぬなら、相手を撃って、自分で死ぬという、そういう気持ちにはすぐなったけどね。ああいう時の気持ちというのは、まず人間も強いね。そして自分でどういうつもりでそういう行動をしたか、まず判断できないというか、口に出して表すことできないね。

棚原下がる時にだね。みんなバタバタ行く。最後には、さっき言ったように、壕に、病院の跡に機銃がそこに据えて、米軍がどんどん撃ってた。まず哀れだねと思ったね。だけどもね、哀れだと思ってもね、可哀相だとか、いやーあいつ戦死した、そういう気持ちはなかったね。自分もいつその身になるか、完全になるということ知っていたから。生きて帰るとは思ってなかったから。そういう気持ちが、そういうふうにしたんでないかと思うね。惨めだとか哀れだとか、あんまり思わなかったね。

そして、よく俺、戦友助けた時に、大隊長、あの気性の激しい大隊長が何も言わなかった。一時、われわれ戦友という歌、中止なったの。戦友は、ここは御国の何百里、離れて遠き満州の、そういう歌あったの。その中にね、中にどういうあれだったか。これがいけないという。「ああ戰いの最中に、鄰に居りし我が友の、俄にはたと倒れしを、我は思はず驅け寄りて、軍律嚴しき中なれど、是が見捨てゝ置かれうか」これが悪いと言うんだよね。そのバタッと倒れた戦友。戦友はもう戦闘能力ないんだから、戦闘能力のない者を戦闘能力のある者は、それを助ける暇があったら、敵に突っ込んで行け。そういう教育だもんね。ひどい。それ、俺、隊長おぶったあれを聞いて何も言わなかったんだと思ったね。

下がる途中に砲弾の跡に水が溜まってる。その水を飲みに入った将校や戦友死んでる。将校も軍刀ついて助けてくれと。それは絶対そんなこと。もっとも、それは軍律厳しいから助けないというんでなく、そんな気持ちになれないんだね。いま俺がこうやって歩いててもね、もう前後左右、もう後ろから来るか前から来るか、そればかりして歩いているから。そんなのを助けなきゃならない、可哀相だ、そういう気持ちは全然起きなかったね。

出来事の背景出来事の背景

【沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 ~山形県・歩兵第32連隊~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)3月、米軍は沖縄に迫り、4月1日沖縄本島中部に上陸を開始した。米軍の総兵力は54万。迎え撃つ日本軍は防衛召集した県民や鉄血勤皇隊などを含む10万人だった。

戦闘開始から1カ月半、圧倒的な兵力の差で戦い続ける事を強いられた日本軍は6万人あまりが戦死。米軍は沖縄本島の中部から北部を制圧し、5月下旬には那覇市北方、首里の日本軍司令部に迫った。司令部は、玉砕覚悟で首里にとどまるか、それとも南部にさがって持久戦をつづけるかの決断を迫られた。

5月22日、沖縄守備軍司令官、牛島中将は戦闘の継続を決断。歩兵第32連隊も南部、喜屋武半島への移動を開始した。しかし、この冷静を欠いた命令により、沖縄の住民をさらに戦闘に巻き込み、大きな被害をもたらす結果となった。後退する日本軍と避難する住民であふれる南部への道に向けて、米軍は容赦なく砲爆撃を繰り返した。道沿いには夥しい死体の山が築かれた。

沖縄本島南部で、日本軍は洞くつを利用した地下ごうにこもって戦いを続けようとした。また、住民も攻撃を逃れて洞くつに避難していた。6月中旬、米軍の掃討作戦は激しさを増し、「馬乗り攻撃」と呼ばれる洞くつへの掃討戦が始まった。壕に爆弾を投げ入れ、火炎放射を浴びせたのだ。投降の呼びかけに応じない場合、住民と軍が一緒にいた地下ごうにも容赦ない攻撃が加えられた。

6月23日、米軍は喜屋武半島を制圧。軍の幹部たちは次々に自決し、沖縄守備軍は壊滅、組織的な戦闘は終った。

本土防衛の最後の拠点となった沖縄。太平洋戦争中、類を見ない地上戦で、日本軍将兵9万4千人が命を落とし、ほぼ同じ数の一般住民が戦闘に巻き込まれて死亡した。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
北海道浦河郡浦河町にて生まれる
1942年
旭川北部第3部隊に入隊。満州にて歩兵第32連隊へ配属される。
1944年
那覇港より沖縄上陸。陣地構築の任務に当たる
1945年
沖縄戦当時、24歳、伍長。復員後は食品卸売業を営む

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日本(沖縄)

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