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タイトルタイトル: 「壕から追い出された住民」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 ~山形県・歩兵第32連隊~
名前名前: 大場 惣次郎さん(山形・歩兵第32連隊 戦地戦地: 日本(沖縄)  収録年月日収録年月日: 2008年4月

チャプター

[1]1 チャプター1 兵士たちの写真  03:14
[2]2 チャプター2 米軍上陸  04:27
[3]3 チャプター3 失敗した反転総攻撃  04:08
[4]4 チャプター4 自決する負傷した兵士  02:29
[5]5 チャプター5 住民を巻き込んだ戦場  02:45
[6]6 チャプター6 国頭(くにがみ)突破  05:16
[7]7 チャプター7 見捨てられる住民  04:14
[8]8 チャプター8 投降   03:21
[9]9 チャプター9 今も戦友を思う  02:06

チャプター

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思い出すなんて、忘れられないですよね。だから自分の仕事だと、意識していれば忘れられるけれども、やっぱり何か触れてしまうと、もう忘れることの、だからお前、よく知ってるな、なんて、知ってるどころでなくて、忘れられないんだものね。思い出すと、悲しくなるからね。この人も戦死したんだ、砲弾でね、これも同じ。これも優秀な班長だった。

最後に中隊長の遺品もらって、出したのだけど、国頭突破でね。これは、いちばん早く、戦死した。シンガポールの外国語の、達者な人だった。指揮官の前で、捕虜が出たらば、通訳する役目だった。タワラは中隊でいちばん早く戦死したの。敵が上がってくる前に。空襲されてね。・・珊瑚礁の・・で挟まって意識不明になって、10何日生きてたけれども、いちばん早く、戦死した。まだ、第一線に行く前に。これが、うちの分隊長していた人です。

1人ひとりというよりは、自分のそばさ、いる人は分かるけれども、皆は分からないし、聞いても分からない。ただ、話のつれづれに聞けば、ああ、この人はこうして死んだという話は、聞いてたけどね。あとは話を聞いて、確認する。どこでやられて、どこでと。それも、なかなかまとめるの、大変なのね。百人、以上いるからね。


Q:大場さんはなぜ、こんなにたくさん、写真を持っていらっしゃるんですか?

 いや、みんな持ってるでしょう。

兵隊はみんな、撮ってたね。やっぱり、酒保に行ったり、自分の兵舎に連れてきて、それが撮るとみんな続いて、撮ってね。何もないんだから。やっぱり山の中だからね。あとは兵舎だけ、だから。だから何かあると、ではということで。みんな必ず、そういう自覚を持っていたから、撮ってもらったり、やったりして。内地に送ってよこしたのが、こうして、残ってるんだね。


Q:生き残ったのは何人ぐらい?


 ほとんどいないな、ここで残ったのは。生き残ったのはいない。

もう激しいなんて、何もなかったな。やっぱりものの、兵器が違うんだ。

どうしても、やられることは分かっていた。火力の相違がね、全然、違うから。手りゅう弾だけでも、敵のは拳ぐらい大きいからね。

小銃だって、日本のは三八でしょう。5発しか出ないでしょう。1発1発でね。

1発撃ち損じたら、こっちの負けですよ。だから、1発でしとめなければいけない。撃ち合いしたら、負けですよね。兵器の優劣を思い知らされたね。

日本のは何でもそうだ。携帯電話ね。あれも、トンボって飛行機、小さい飛行機。それで見て、弾、誘導するからね。そいつは後で、わかったんだけれども、無線でみな、やってるわけよ。弾を誘導するわけだ。飛行機見てて。だから見つけられれば必ず、弾、来るわけだ。・・だから、あれ、飯ごうと同じ、あれ違うのね。日本のは水筒だって、あれ1本でしょう。あいつ、キャップ付いて、あの水筒も。おれも、野戦したとき、戦死したアメリカ兵の水筒から、喉かわいて飲んだけど、レモン水だもの。そんな、みな違うんだなと、彼らは水でなくて、レモン水だもの。そういう物の優劣はしみじみと感じたね。


Q:第一線での戦いというのは、アメリカの攻撃はどれだけ激しいものだったんですか?

 いや、激しいなんて、ちょっと想像つかないべな。花火大会、見ているようなもんだ。向こうの弾は全部、曳光弾(えいこう弾)だから。だから、仮に特攻機なんか来ると、ホースでダーッと射撃した跡が。曳光弾がみな、飛行機が来るとザーッと、サーチライトと一緒に、見ていて面白いと言うか、きれいだと言うか、そんなもんだね。

花火大会のように光がザーッと、上がってね。だと、飛行機、急降下して、逃れるわけだね。だと、バーッと追いかけて、分からなくなると、みな探すわけだ、探照灯で。だから、見ていると、面白いみたいなのよ。だけどものはあるから、砲撃でも何でも、日本みたいに何発なんてでなく、雨あられと。本当にバラバラッと、穴に入っていても臭いかいだだけでも、気持ち悪くなる。

弾が大きいから、音でわかるんですよ、勘で。だからうちの兵隊にも、夜はしゃべるなと。しゃべっていて、死んだのが、うちの小隊長とシキ班長。1発で2人亡くなってるの。

だからおれは、兵隊は夜は、もう、しゃべるなと。同じ弾、飛んでも、弾が上のときはシューシューと。照準が合ったときはシュッと、本当に音もしないから。あと、パンパンというのは遠いのね。あと、本当に自分の直で、近いなというときはね、もう語る暇ないね。やっぱり、それは勘で、風圧みたいなものを、感じるんだね。そのときはすぐ、伏せていなければならない。そんで、直撃くったら、それで終わり。そうでなければ、相当近くても、直撃は避けられる。ただ、爆撃で耳やられるから、風圧でやられるということは、あるけれども。直接にはない。それはもう勘だな。

 ほうほうの体と言うか、ひとつの軍隊あれば、ほうほうの体とか、退却なんて言葉は、使いたくないんだけれども、やっぱりそういうことだね。ほうほうの体、とにかく命令なければ、下がれないんだから。これは命令もらったもの。石嶺に帰れるの。だから帰る、下がる・・まで下がる。だから、おれも(戦友が)生き埋めになっても掘り起こすことできなかったもの。

制空権とられてるから、撃てばなんぼでも、すぐたたかれる。われわれもやっぱり大事な・・ということで、弾の数とか、武器とかも制約される。だから・・の140高地でも、穴の中に入ったんだけれども、夜、友軍の砲弾がボーンと、砲の近くだから、聞こえるの。ボーンと。本当にもう、穴がつぶされてもいいから、撃ってくれという気持ちだったね。本当に、数えるほどしかこないんだから、日本の弾は。アメリカはドドーッと、来るけれども、友軍のはボーンと1発、ダーン。しばらく経ってから、また撃ってくるという具合で。だから、日本の弾は・・。だから、ああ、友軍も砲を撃ってくれてる、穴つぶれてもいいから、やってくれという気持ちだったね。

うちの32連隊は 146高地、120高地を、これを、一大隊やらが取ったらば、32連隊はこの部隊を乗り越えて、普天間の方へ抜けろという、命令をもらってた。最初は1中隊さ。2回目は第3中隊が行ったの。だけども、やっぱり攻撃の仕方とか、悪かった。

行ったところを占領しても、向こうは、ほれ、フィリピンとか、レイテとか、戦ってきた人間。経験がある。こっちは初めてです。

戦というのは、その要領がね。行っても、行った人が帰ってこないんだ。ところが、あれ聞くと、やっぱり、その場で撃たれたんだ。夜は分からないと、思ったら1発で仕留められる。それで、行った者が帰ってこない。・・そういう状態が。おら方も聞いていたっけ。だから1中隊も、これ上手、なんだから、夜襲戦もやったんだけれども、やっぱり行けばみな、行ったきり、帰ってこない。

明るくなってきたから、砲弾がバーンと。大隊長が元の位置に下がれと。だから「反対側の・・は退却ですか」と言うと、「退却じゃない」と。「元の位置に下がれ」と。大隊長は失敗したと分かったからね。そこで下がったんだけど。

そして日中、敵情を偵察、報告を受けて、そして、自分も偵察して、そして作戦を行って、そこで120高地の下を。かまねえんだ。よその大隊が取ってからでは、それはかまわねで。それを乗り越えて、弾と弾の間をぬって、棚原まっすぐだから。だから、何と言うかな、その間、匍匐。第1、第2、第3匍匐とあるのよ、ね。敵の前だから、第3でピタッと、くっついて行くわけだ。みな、布を巻いたら音しない。振動すると、ぶつかると音するからね、もう布を巻いていって。大分、匍匐したな。足痛くなるぐらい、匍匐した。

やっぱり1人ケガすれば、歩ければ1人で下がれるけれども、歩けなければ、担架に乗せれば、3人から4人で、下がらなくちゃいけない。それだけ兵力が減る、分隊は12名しかいないんだから。あとうちの機関銃の場合だと、銃身4名、弾薬者4名で、8名でしょう。

そこから、下がれと言えば、1人で歩けければ、下がるけれども、歩けなければ、2人ないし3人。動けなければ4人も割いて。それでは、兵力が減るわけだ。そのことはみんな、分かってるわけよ。だから、自分が自決すれば、誰にも迷惑かからないわけだ。そのまま、戦力を維持していける。1人だけ、マイナスになるけれども。そういうことは、みんな、承知しているから、言わず、語らずで。頭は正確でも、足が歩けなくなったらば、自決ということは、みな、わたしをはじめ、みんなそうでないかと思う。おれも、そう考えた。自分も自決しようと思ったから、足が動かないと。
やっぱり、自決というのは、瞬間だからね。ああいや、やるなんて、そんなもんじゃない。瞬間的にすっからね、止められないですよ。

当時の兵隊は、戦陣訓で捕虜になってはいけない、捕虜になるなら、自決しろというふうに、教えられたの、それは。だから、そういうふうに、教育したし。だから皆、そういうふうに、自分自身も思ったし、そう思ってた。だから自決する瞬間に、「今からやります」なんて、そんなもんじゃない。瞬間だからね、やるのは。おれの場合、余裕あったから。だんだん傷が治ること、分かったからやめたけど、自分も最初思った。

本当に、あのとき思ったのは、ああ、本当に、親孝行、何もしないで終わるな、ということだね。そして、今、ここで死ねば、穴の中で朽ちる。どこの穴かわからない。果たして、ここで埋まれば、骨もどうなるかわからない。だけど、周りに、迷惑かかるから、死ななくちゃいけないなと、思っているうち、自分の足のケガの程度が、わかったからね、もう、死ななかったけれども。

「兵隊さん、助けてくれ、連れてってくれ」と言われたけど、本当に、かわいそうだよな。だけど、おれらは部隊で動いてるから、列から離れて、助けるわけにいかない。そういうことはもう、日常茶飯事だ。そんなのに関わったら、戦争されなくなるから。おれらは、戦闘員だから。だから非常にね、日本兵は無情だと、言われるかも知れない。それは連隊の組を知らないから、言えるのであって。だから関係ない。

だから、無益なことをしちゃいかんのだ。だから、みんな一つの任務で考えて、することなんだけれども、われわれはただ駒のひと駒として、動かされているだけだから・・・

ちょうど雨期に入ったからね。

雨。ちょうど沖縄の雨期に入ったの。だから戦車のなんかも、あまり来なかったんだけれども、やっぱり戦死した人は天ぷら。泥でみな天ぷら揚げしたみたいに。人の格好してるんだけれども、男だか女だか分からない。あと子供を背負ってるのは、分かるんだ、こう背負ってるからね。

Q:子供を背負ってる?

うん、女。住民。沖縄の人。子供、背負って一緒に並んでたから。泥でみな天ぷらの衣を付けたように。泥で揚げたのと同じ。人の格好してるけれども、子供もおぶったのは、女と分かるけれども、あとは、男か女か分からない。本当に路傍ににな、いっぱい。真ん中のは邪魔になるから、みな片づけてるんだ。路面いっぱい。

というのは、日本の戦では、片づけられないから。みな最初は、土かぶせて。土かぶせても雨が降ると、みんなはがれて、取れちゃって、骨だけが出てるんだ。目の眼窩(がんか)、骸骨の眼窩が、天井をにらんで。だから、次のがあると、次の人で。骸骨が天井向いて、ずっと骸骨だけ出てんの。それでも、そうしている人は、まだ体のいい方。土かけてやるから。

 その突破というのは、まだ、連隊が再興して、まだ、軍旗が残ってるんだから。連隊長もいたんだから。国頭はさっきも言ったように、奥羽山脈みたいな山岳地帯だから、誰かが残ってると。だからそこに行って、再起を図ろうと。こっちはもう布陣するところないわけだ。丘陵地帯で。だから国頭、突破して行って、だから国頭に行けば、どこかの部隊がいるはずだと。いるはずだと言ってもわからない。確認したわけではないから。連絡取っていないんだから。部隊が少ないの。だけど、山岳だ、国頭、島尻ぜんぶ山岳だから、誰かいるはずだと。


だから、そこで再起を図るということで。ところがやっこさんたち(米軍)は、入り込んでて、ウサギ狩りと同じで、途中にみな、歩哨立てて、ボンガボンガ撃たれて、なかなか突破されないんだ。

行ったのがちょうど、テルヤからザワの山まで、大体20人ぐらいしか、いないんだから。そこ2日間で、行ったの。一晩、泊まって。

いろいろ考えてるうちに、東の空が明るくなってきたのよ。ぼやぼやして、いられないなと。そこで決心して・・それで・・を先頭にして、おれが後ろについて、歩いて行ったら、ものの5~6分したら、バンバンと撃たれた。おれは「敵だ、逃げろ」と言って、逃げて。そして、おれは稜線をさっと、越えた。おれにも2~3人ついて来たんだよな。

そしてその、ハラダらがドーンと落ちてきたんだ。敵だと思って構えたらば、日本の兵隊が2人、落ちてきた。落ちたというのは、洞窟の入り口に落ちたの。入り口には昼間、黄リン弾攻撃されたのがわかるの。弾はホタルのようにいっぱい、くっついてくるから、いぶってるから、わかるんだ。昼間やられたなと。入らないかなと、思ったけど、どこも入るところが、ないわけよ。それでもいいやと思って、入ろうと言って、みんなして入った。その中は長さが、50メートルぐらい。広いコの字型の、病院の跡だった。薬、臭かったから、病院の跡だということがわかったの。

そこに入って、明日はいよいよ、爆雷来るかもしれない。爆雷来ても、岩は珊瑚礁だから、珊瑚礁というのはガサッと落ちないから。今で言う、ロックってやつだから、直接弾が当たらなければ、大丈夫だと思って、珊瑚礁の穴に入って、黙って真ん中で、歩哨たった。

そうしたら、こっちから、米軍が入って来た。おれも肘ついて、拳銃構えて、いつでも入ってきたら、撃ってやろうと思って。坑道に沿って、拳銃構えて、顔出したら撃とうと、構えた。途中までしか、来ないから、何だべなと思ったら、コローンと音した。あっ、手りゅう弾投げたなと。破裂しないんだ。したら間もなくバーン。爆雷かけられた。もう帽子は吹っ飛んでいく、真っ白で、何もわからないんだね、しばらく。後ろの方も、警戒さんなねから、後ろへ下げた。まず、後ろも爆雷かけられた。でもおれは進んだった。

「敵が出てくるのを、待ってるかも知れないから、いた方がいい」と。「それも、そうだな」と。そして、今晩一晩、いようということで、また泊まった。

おれは、2日掛かりで来て、しかも12名、来て、それがまた10何人もあるところが、それが1人も残らない、そんなのは、意味がないと。そうしたら班長、「もう一遍、戻るべ」と、そう言われたわけ。おれは、自分が出した手前、そんなことは、言われないわけよ。それで考えたわけよ。

おれも考えて、何、言われてもここまで来て、12人でなくて、5人しかいない、7人が死んだとすれば、おれが12人を預かった、意味がないと。何がなんでも、下がろうと。「よし、では下がる」と。で、立った。そのまま一気に走って戻って来たのよ、ずうっと。

まあ、結果的には無謀よ。組織的なあれだから・・は何も。ただ、思いつきみたいに。ただ、上から命令、来て、おらだは、まだ連隊の系統があったから、命令に従っていたけれども。

結局、住民というのは兵隊と一緒にいると、助かるだろうという考えだから、糸満近くのうちの中隊は大きいのよ。

だけどもよ、その部隊はやっぱり勝手なことして、駄目なのよ。うちは、点呼もちゃんと取ったし、それで秩序よく、生活してたんだけれども、よその部隊は、みな女が入って来てたから。だから、地方人も兵隊と一緒にいれば、大丈夫だという観念で、一緒に逃げて来たから。うちの中隊の壕も利用されたわけだ。

おれも困ったなと。・・あのとき言ったのはね、米俵、南京袋に玄米みたいなのが、5俵あった。5俵あったけれども、結局、さっき話した1個師団が逆上陸するというのが頭にあったから、それまで食料を計算すると、地方人もいると間に合わないのね。そうなると、出さなくちゃいけない。それで、困ったから、わたしは一人で考えて郵便局長の、いわば、リーダー格を呼んで、「いま大隊長の命令で、大隊は11月まで、ここでは食料がない」と。「だけど、悪いけれども、ひとつ他の壕を探すから、女はそこで暮らしてくれ」ということで、わたしは、その郵便局長にお願いして。

そこから、住民も気が立ってるからね。「兵隊さんは自分を守る洞門、持ってるんだ」と。「おら、どこへ行けばいいんだ」と。じゃあ、なんだと思ったの。

こっちも命懸けで、明日はどうなるか、わからないんだ。だけどやっぱり、住民のために、おれは巡視、見て回っているのに。何もやる必要がないと、おれは思った。なんだと思った、そのときは。でも、道路、見っと、地方人ら、頭に上げて子供を抱いて、荷物持っているわけだけど、道路はアメリカがザッと立ちおって、みんな誘導して行くわけよ。


Q:住民を誘導していたんですか? 米軍は?

 住民を。住民は年寄りとか、ばあちゃんとか、子供の手を引いたりして、荷物もって、みな、固まって行くわけだ。だと、両側から米軍が、飛び出してきて、誘導して連れて行く。だから、それをおれ、見ていたから、「どこさ行く」と言われたから、おれも「どこさ行くって、おれも明日の・・分わからないんだから、どこさ、行くなんて言われないから。だけども今、出て行っても包囲状態だから、単独ではなく固まっていれば、そうして連れて行く。そうして行きなさい」と言ったんだけど。

だから、本当はそういう結果というのは、申し訳ないと思う。その責任は、おれにもあるな。だけど、あの当時はそれしかしようがないんだ。連隊の任務を果たすにはね。

申し訳ないですよ。もし一緒にいたらばな、こんなこと、なくてもよかったかも知れないし。あまたの地方人、死ななくても。女子供、年寄りだけしかいないんだから。女だれも死なない。だから離れて、どれだけだとも、おれも触れないし、そういうことは。誰も分からなかった。

正直、おれも確認しようもないし、確認しても、どうなるものでもないし。ただ、いまここに、自分が生きて、そのまま、それを思い出すと、申し訳ないと思う。




おれさ、説得しろというので、おれはみな、自分も兵隊で、みな知ってる兵隊だから、集めて、そして、負けた理由3つを言ってね。

それでおれ話して、みんな集めて、こういうわけで降伏したと。それで28日に軍旗を焼いて、29日、そして明後日から兵隊が迎えに来るから、そのとき、みんな出はれと言う。そういうことしたらば、奥の方から笹の葉ずれみたいにして、すすり泣きが聞こえるわけさ。「班長、おらたちは帰られない」と。「おら部落で・・言ってきたんだ」と。「いまそれ・・しても帰られない」と。「なんなら、ここで最後まで、やらせてくれ」と。異口同音にみな言ったんだ。みんな泣いてやった。

そうしても、「とにかく、みんな生きて帰れ」と。「それでも、男という手は欲しいんだから、行って、もし駄目だったら、そこから、自分で好きにしても、遅くないんだから、一応、帰ってくれ。大隊本部からも、こういう事故が起きないように言われてきた。一旦は帰るべ」と。そしてね、みな一旦は、くぐってやると。そういうことして決めたの。

そのとき、米軍の憲兵中尉でヤンという人は、東京に何年もいた日本語、達者なのよ。おれ行くとすぐ、拳銃のボタンを外していたっけ、やっぱり。おれ、いちばん早く、出て行ったから。そしたら兵隊、何人だか、日本語パッと掛けられたものな。兵隊何人、将校何人、病人何人と、矢継ぎ早に、聞かれたから、おれも驚いちゃった。

ヤンという中尉は、東京に何年か小さいときにいたから、日本語、達者なんだと。それが第一に聞くわけだ。そして・・は出て、集められて、今から注意するから、従ってくれと。なに、注意したかと、ここから糸満の学校まで、道1本だけど、ここから、出ないでくれと。出れば、警戒しているあれが発砲するから、発砲には、責任負えませんと。その道路を通って、学校にはケガした人を、赤十字の救急病院の車がいて、それに乗ってくれと。そして、あと一般の沖縄人は車のあるところで、するからと。そして、われわれは黒人のトラックに、6人ずつ乗ってくれと。そして分けられて、乗ったのね。


思い出すなんてもんじゃない。忘れられないから、忘れろったって、忘れられるもんじゃない。今度、断続、1人ひとり浮かんでくるからね。

あっ、これはまずかったな。こんなところに、狙撃されるの当たり前や。いま思ったことだけでも、もっとな、もう少し賢くまわったら、もう少しなんとかなったんじゃないかなと。申し訳ないと思う、いま考えれば。敵に体をさらすと、(壕を)出せばやられるに決まってるのに。

稜線だから、どこからでもみな、見えるわけだ。狙撃されるわけよ。

やっぱり守るためには、誰でもいいからそこに行けと。行った者はやられる。またやる。またやられた。そんな、バカな、その繰り返しだ。そういうところに、同じことを繰り返す。知恵のなさだな。うん、知恵の。もう少し、戦場は。それが、悔やまれるね。

結局、わたしは自分の気持ちを納めるため、1人でまた今月23日、イナバ神社にお参りさせて、家内を連れて行って水、汲ませて、そして、墓掃除して、お参りして来ます。あと、5月6日の・・の中隊長に、そのときも、お参りします。ずっと終戦後、復員してから毎年、行ってるんです、必ずそれだけは。

本当は、北海道の戦友みんなに、お参りしなくちゃいけないが、とてもそれはできないので、自分の気持ちを、それで納得させて、勘弁してもらうということで。

戦友に、お墓のお参りさせてもらって、という気持ちです。

出来事の背景出来事の背景

【沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 ~山形県・歩兵第32連隊~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)3月、米軍は沖縄に迫り、4月1日沖縄本島中部に上陸を開始した。米軍の総兵力は54万。迎え撃つ日本軍は防衛召集した県民や鉄血勤皇隊などを含む10万人だった。

戦闘開始から1カ月半、圧倒的な兵力の差で戦い続ける事を強いられた日本軍は6万人あまりが戦死。米軍は沖縄本島の中部から北部を制圧し、5月下旬には那覇市北方、首里の日本軍司令部に迫った。司令部は、玉砕覚悟で首里にとどまるか、それとも南部にさがって持久戦をつづけるかの決断を迫られた。

5月22日、沖縄守備軍司令官、牛島中将は戦闘の継続を決断。歩兵第32連隊も南部、喜屋武半島への移動を開始した。しかし、この冷静を欠いた命令により、沖縄の住民をさらに戦闘に巻き込み、大きな被害をもたらす結果となった。後退する日本軍と避難する住民であふれる南部への道に向けて、米軍は容赦なく砲爆撃を繰り返した。道沿いには夥しい死体の山が築かれた。

沖縄本島南部で、日本軍は洞くつを利用した地下ごうにこもって戦いを続けようとした。また、住民も攻撃を逃れて洞くつに避難していた。6月中旬、米軍の掃討作戦は激しさを増し、「馬乗り攻撃」と呼ばれる洞くつへの掃討戦が始まった。壕に爆弾を投げ入れ、火炎放射を浴びせたのだ。投降の呼びかけに応じない場合、住民と軍が一緒にいた地下ごうにも容赦ない攻撃が加えられた。

6月23日、米軍は喜屋武半島を制圧。軍の幹部たちは次々に自決し、沖縄守備軍は壊滅、組織的な戦闘は終った。

本土防衛の最後の拠点となった沖縄。太平洋戦争中、類を見ない地上戦で、日本軍将兵9万4千人が命を落とし、ほぼ同じ数の一般住民が戦闘に巻き込まれて死亡した。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1922年
山形県山形市にて生まれる
1940年
歩兵第32連隊に入隊
1945年
沖縄戦当時、23歳、曹長。復員後は国鉄職員として働く

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