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タイトルタイトル: 「信じられなかった敗戦」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~
名前名前: 山口 永さん(水戸・歩兵第2連隊 戦地戦地: ペリリュー島  収録年月日収録年月日: 2007年12月15日

チャプター

[1]1 チャプター1 ペリリュー島を死守せよ  02:51
[2]2 チャプター2 陣地構築  04:49
[3]3 チャプター3 防御訓練  02:04
[4]4 チャプター4 米軍の空襲始まる  05:17
[5]5 チャプター5 「焼き討ち攻撃」  01:40
[6]6 チャプター6 手りゅう弾でケガを負う  01:54
[7]7 チャプター7 洞くつに潜む兵士たち  03:04
[8]8 チャプター8 目標は持久し続けること  01:27
[9]9 チャプター9 苦しかったのどの渇き  02:23
[10]10 チャプター10 米軍の糧秣(りょうまつ)で命を永らえた  04:56
[11]11 チャプター11 戦友の死  02:59
[12]12 チャプター12 洞くつの中で生き続ける  02:20
[13]13 チャプター13 終わりなき闘い  07:18

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~
収録年月日収録年月日: 2007年12月15日

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結局、連隊の使命までは、使命だから、ほれ、連隊は、ただ参謀長は師団長に命令しただっぺから。だから師団長から連隊長へ命令、出たわけだな。2連隊はペリリュー島へ行けっちゅうわけだよ。4月の24日、パラオの港へ着いたの。

そしたら、その前にパラオの港はアメリカ機動部隊の攻撃受けちゃってめちゃめちゃ。港ん中には、船、みんな横倒しになって、こう、ひっくり返ってたの。ほんで機雷が投げ込まれてあるからといううわけでもって、輸送船、中まで入って行けなかったの、パラオの港の中までは。沖へ泊まって、そこから大発でもって、今度は分かれて乗って、なんだ、小さい発動艇でもって、パラオの、パラオ港っていったっけなあ、あそこの港へ上がったのよ。

あのときのペリリュー島はそれほど攻撃受けていなかったからねえ、我々が上陸した、あの北のほうから上がったんだけど、そういう惨状はなかったですよ、そこは。ほんで住民の部落が残ってるしな、うん。ただ、飛行場地区の施設は、相当爆撃受けたんだわな。うん。飛行場あったから。飛行場2つあったんだ、ここに。

きれいだよ、だって、海岸は真っ白い砂もあるしな、あと中は岩山だからね。その岩山から大きい木がいっぱい出ててね、本当緑豊かななんだかんね。いちばん南方行ったって感じで、気持ち良かったのは、父島ば上陸したときがいちばんいいかったよ。亜熱帯一の緑豊かな何やな、あの感激はなかったな。

ほんで26日からペリリューの、なに、決まっとんだから。2連隊はペリリュー島へ進めって、そういう命令をもらったんだっぺ、連隊長と、当然、だから、我々はわかんねえけんど、最後は。ほんで26日にペリリューへ着いて、ほんで野営をして、その間に、ほら、偉い人がそっちに入るとか、そういうもの、決まりだ。ほんで、ほれから各隊はその決められた守備陣地を、今度は行って前線構築をやったわけだ、ほれから。毎日毎日。

岩山だからねえ、ペリリュー島は。完全な岩山。石灰岩の岩山だから、どこへ行ったって岩山だ。海岸だけだから、砂浜っていうのは。だから、それを、その前線構築が大変だったんだよ。我々歩兵らには石山へ。

ほれで、あのころは、ほれ、爆撃があったんでもって、まず防空壕を掘れっちゅうわけでもってな。各隊は、だから、守る陣地を決められたら、そこでもってもう毎日朝から晩まで防空壕を掘り。岩山、ガチコンガチコン、ガチコンガチコンガチコン。資材はないし、爆薬なんてのも十分にはないんだから。だから岩山でも比較的柔いようなとこを狙って掘るように、掘ってな、陣地作りをやったんだよ。あのころ、敵の空襲を非常に警戒してたんだいな。

朝から晩までだよ、本当に。ほら、自分の命を守るんだから、防空壕を掘るっつうのはもう徹底的にみんな一生懸命やったからな。ダイナマイト、掘るのに、岩山を、こう、穴を空けて、中さ押し込んで爆破すんだかんな。その穴を掘んのにナニがねえんだよ、のみ、のみの配給。1小隊が3丁か5丁かしか配給ねえんだ、のみ。ほんで岩山たたいてやってんだからすぐ切れなくなっちまって、先がな、そいで研いでもらわなくちゃなんねえんだ。

暑い、暑いよ。そりゃもう暑いですよ。ほんで蚊と、ブヨって野郎だ、ブヨ、小いちぇえやつな、蚊帳の中へ入るような、あれが多かったんだよ、非常に。だから作業すんのにねえ、何か予防しとかなきゃ、これ、作業してらんねえんだよ、蚊に刺されて。豊富に資材が配給になるんだらいいけんど、のみだって小隊に3丁か4丁ぐれえしか配給なんねえんだ。ほんで1日使うと、先、丸くなって、今度は切れなくなるんだいな。それを研いでもらったりしてな。

まあ、とにかく能率の上がんねえ仕事をやってたなあ。初年てのは、ほれ、なかなかやりようなかったんだっぺよ、上の、上だって。それだってな、みんな、ほれ、自分の命を守ろう、防空壕だからねえ、一生懸命掘って。防空壕兼自陣の、司令を仲立ちに掘ったんだからな。ほら、守ってんだから、やがてはそこが陣地になるわけだから、敵に上陸された場合にはなあ。だから本当の死に物狂いで。ほんで暑いしな。だけど、デング熱とかそんなもんにはあんまりなんなかったねえ。そういう病気で入院したっつう兵隊は、わたしの小隊なんかは出なかったもの。

で、毎日それをやって、ほんで後半になってからは、陣地がおおむね出来てからは、今度は守る訓練をやったわけよ。敵が上がって来たときにはどう攻め、守るかっていう、その防御訓練をやって。

いや、そんなに細かい命令は下んねえな。この防御する陣地、何中隊はどこを守れっちゅう、ほれ、なに、区域、決めないかんな。そうすると、中隊長が今度はそれを、何大隊は、なに、何小隊はどこだとかって、これが分けるわけだかんな。だから小隊長以下あたりがいちばん、分隊長、5個分隊、6個分隊のナニを使ってな、陣地構築をやるわけだから。陣地構築と、自分の死に場所を、ほれ、掘ってるわけだから。だけんど兵隊も緊張してやってるせいか、病人っちゅうのは出なかったよ、本当。

だから、自分の墳墓の地を作ってるわけだから。結局上がって来られればそこで死ぬしかねえんだかんね、上陸されれば。

いや、負けっちゅうナニはなかったなあ。勝つ勝たねえはともかく、負けるっつう考えはなかったよ。

爆撃が早くからやっていたよな。爆撃は。アメリカの爆撃機はB24って言ったのかな。後ろに方向蛇2つ立てるやつな。あれが爆撃していくんだよ。これが夜は、また違う飛行機が来て、あっちの音は、澄んだ音なんだよ。向こうの飛行機の音はな。キャキャッじゃなかんじの。うん。日本の飛行機みたいに爆音て感じやないんだ。澄んでいるんだよ音はな。だから敵の飛行機だっていうのが分かるんだ、音で。爆撃機の4発あたりだって、音が澄んでいるんだよな。

ここが西浜って言ったんだよ。これがオレンジでオレンジビーチはこっちだな。ホワイトビーチはこっちこうな。

日本の名前は西山って言ったんだよ。みんな。こいつ、あとで付けたんだな。うちらは富山。モミジのうちはあっ、ここ、ここだ。モミジ

敵の主力はこっちから揚がったんだ。こんな。この辺がずっと海だからこの辺から良く見えるだと揚がるんね。敵は舟艇でもって攻めてくるんだ。あんまり細かく書いちゃってあんからね。ちょいとわかんねえ。

それは向こうの舟艇は、1隻1隻じゃねえ、群れをなしてこうザーッと帯のようになって揚がってきたのよ。

ほら向こうは上陸しようというとひとりずつ専用の何もあったんだわな。それから水陸両用の戦車、うん。それも海ん中、ずーっと入ってきたかんな。何台何台、数える数字じゃなかったんだ。うん。それが西浜へずーっと。一帯に押してきたんだよ。おれらとこは、あんまり砲弾飛んできなかったからそのときはな。うん。だから、海岸から今度、大勢、見てやんだよ。すごかったよ。数を数えるような状態じゃねえなんだから。

うん。もう、列になって上がったよ。ガーッと。

海上も上空もアメリカのなんだんかな。上空なっちゃってるから、日本の抵抗する船も来なければ飛行機もこないんだから。向こうのアメリカ軍は、演習をやっているような状態。日本からは、たいした砲撃やしねかね。砲撃すれば、そこは発見されるからね。今度は徹底にそこつぶされるから。本当に有効に確実になんないやつはむやみに撃たねえかんね。

武者震いしたっていうんだっぺな。あんた、気持ちだ。だけど、これで勝てるんだろうかっていうは気もあった。ああいう3台5台じゃねえんだから、とにかく。その1隻1隻判別できないような状態でもって、押してきたんだからな。わーっと。そんで我々の陣地辺りもたまに砲弾が飛んで来たんだよ。ただ、ほれ、威圧するために落としたんだっぺけどな。照準を付けて撃ったわけでねえな。うん。

予想以上の光景だな、あれは。日本軍の上陸部隊ではあんだけのすーっと何はやれんめい。うん。堂々とやってくるんだから、日中にな。こっから揚がりますとして、揚がってくるんだからな。

それであの、山にはみんな穴を掘ってそこを陣地にしてるから日本はな。今度は、そこを穴の中まで敵さんなかなか入ってきらんねぇから。上から落っことすんだよ、補助タンク。ガソリンか何か入ってんだ。あれ。こいつを山の上から落っことすと、爆発してたらよ。こいつは焼い弾を投げ込んで今度は焼き打ち。あの油流れ込んだとこへ火をつけらってたまんねぇよ、焼き打ちだよ。

こうやってやって、日本軍は防空壕掘って穴の中にいたからな、こうやってやるしかなかったんだっぺよ、爆破するか焼き打ちするか。中さ攻めて大胆に入ってくんのもいたよ、アメリカ兵でも。だけども、そんなほれ、隠れて撃つから撃たれちゃうかんね。そんであとでもう陣地占領ができないから。だからそうやって爆破するか焼き打ち。

ここを見たってごらんなさい。ここもうほとんど今わかんねぇもんな、治っちゃったもん。手りゅう弾の破片で。傷が浅ければ治るべぇよ。ほとんど今わかんめぇ。いくらか傷残ってる、ここにこう。こう、この辺ぐらいあったな。いくらか残ってんな、こう。ここ、ここへぐらいも。

ウジ。腐っちまうからここな。化のうすんだよ。そうすとウジの野郎が来てハエが卵ひっかけんだっぺよ。ウジ、こうやって包帯取るとポロポロっと落ちるんだべよ。虫、虫、ウジがわくんだいな。だけんど、そのウジがいいらしんだ、あれ傷にな。ほら、その膿みとかそういうのを食うんだっぺ、あれウジ。だから案外きれいでいるわけだ、ウジがな、なんで、傷が。それがかえって害したんだねぇ、いいらしいよ。ほうやって、みんなほっぽっといて治したんだよ。

で、治なんねぇものはもう死ぬしかねぇんだよな。しょうねんだから、やりようねぇんだから。後方に野戦病院あったってそこさおるわけにいかねぇかんな。自分の守っている範囲、その少しだけだから自分で行動できたのはな。

出入り口が大体1か所だ、多くて2か所だかんな。だから出入り口を制圧されちゃえば、中は缶詰とした、どうしようもねぇんだよ。

だけんど、お互いに隣の陣地と連絡取り合ってその、横っ腹からぶちるように工夫をしてやったからな、助け合うように。だけんど、連絡するっつうするまでにはできなかったんだ、それまでやれば完全だよ。

ほんで、出入り口はほれ射撃口になるわけだからな。それ以外には敵のこと撃つ穴がねぇんだから、窓がねぇ。それが資材が間に合って、ほれ、もっと準備の期間があればな、そういうの何か所か一つの陣地へ作れたわけだよ。連隊本部地区はそれ作ってあったっべ。末端の陣地にはそういう余裕なかったもんな。

見張りの人は夜中に、「敵が来たぞ」とこう言うんだから、すぐにな。そうすると、見張りの所さ随員増やしたりさ。あと、そんなに大勢見張りについたってしようねぇからな、3人から1人だよ、その見張りの人行ってんのは。

だから出入り口っつうのはなくて、出入り口は結局、弾を撃つっ銃口でもあったんだから。だから出入り口も何か所もあればほれ、うんと抵抗できたんだいな。

だからそいつをできねぇ代わりに隣の陣地と連絡、敵が近づいたときに向こうの陣地を狙ってっつうときは、こっちから、ほっぽってやるにな。で、お互いに助け合はやってたべ。それしかねぇんだ、もう出入り口は1か所だから大体が。

だってこう一生懸命見てるもの。ほれ、見て、見た範囲だよ、わかんのは。その死角になったときはしょうねぇや、見えねぇとこは。こうやってほんにな、こう、絶えず見てるわけよ。ほんで、敵さんは案外そういうあんなんは下手だっけから、敵に接近するの。姿勢が大きいんだよな、体具でかいだけんど。だから、「来たぞ、来たぞ」っちゃけんな合図しあって。そうすると、どこか他でも見っけるから、「野郎来たぞ」っちゅうわけで、バーンとこっちから弾飛ぶっぺよ。

だから狭い世界に住んでいるから、いつでも考えがわかっていたよ。ほかの襲撃はねえんだからな。ただ、アメリカの攻撃するのを受けて立つだけなんだ。こっちから攻撃になっていないからな。防御目的だから、我々の任務は。ペリリュー島を防御すべしというように思って行ったわけだから。それで「2大隊は天山飛行場を死守しろ」と。だから死守しないと、そう。最後の一兵になるまでそこを離れないよ、われわれは。

本当は運を天に任せるっていうのは、ああだんべかな。もうどうしようもねえやな。いくら考えたって何だって、どうしようもねえだから。

ただ、最終的な望みっていうのは、日本軍が救出に来るのを望んでいたのよ。

激戦の最中には水では苦労したんだいな、水がないから。ほんで、開戦当分の間はあんまりスコールもなかったのよ、1日に1回ぐらいずつスコールあるんだからあそこはな、それもなくて。だから負傷した兵隊なんつうのは、「水、水」って死んでいったんだよ。

上からストローからこう垂れてな、ポタン、ポタンと落ちるのを缶さためて、そいつを取り合いして飲んでたかんな。負傷した人にあれだ、よけい飲ませっけどな。みんなして自分で置いた所その決めておいて、そこへあの、露垂れるのを缶さ受けて飲んでた。

ほら、水くみに出らんなかったかんな、友軍が掘った井戸の近くまで。だからあのときは水で苦労したんだ。その当時ケガした人は、だから、末期の水も飲めなかったの、「水、水」ってやってて息絶えたヤツおるもん。ねぇんだからしょうねんだ、みんな。くみに行けないしな。ほれ、鍾乳石から垂れるのを受けるしかねぇんだ。こいつなめてるようなもんだっぺよ。あれはまったく残酷だったな、あの水がねえのは。

もっとも、負傷時はほれ、あんまり水なんかガボガボ飲まねぇほうがいいんだけどよ。

流血が激しくなっかんな。だけんど、死ぬ間際には飲みたかったっぺ。

糧まつ庫を発見したからな。ほら、無尽蔵だから、アメリカの糧まつ庫は。日本辺りのなんとは違うから、けたが。缶詰がもう野積みになってんだから。あれ発見しなければ人の肉まで食えるようになっぺけれ。んだけど、あいつ発見した、アメリカさんが来るようになってからもう、あの主食は缶詰類、アメリカの食う缶詰とそれから乾パンの入った携帯食あんだよな。朝・昼・晩違うんだ、ほれ。サパーとかディナーとか、なんだっけ、3種類あんだな。そいつがまぁ糧箱に入っててな、で、中にはタバコは入ってるマッチは入ってる、至れり尽くせりだ、野戦でこう食事をやる。そういうの、マッチまで入れてんだもんな、タバコは数本、うん。そういうのかっぱらってきて食ってたから、だから糧まつの争いっつうのはやんなかったもんな。

それから、部隊が海軍関係のなには、日本の部隊が入ってたその鍾乳洞の中にね、食糧がいっぱい残ってたのよ、陣中モチだとかね、いろんな食糧が。それが我々がいた天山地区には日本の海軍のなにがあったんだいな、鍾乳洞が。そこへその海軍の兵隊もいたからほれ、案内して取りにいってたかんな。結構だから、食糧ではほんなに苦労しなかったよ。

だいいちアメリカの糧まつ庫行ったら、おい、とっても、ちっとばかりじゃなんねんだから。そいつをこう、缶に入ったのとか糧箱に詰めたのはね、ダンボールさ入れて、それ2箱3箱ずつ背負って夜に盗みにいくんだよ。あの乾燥玉子の粉末したのは、非常にこあいかったな。

それ本当の苦しい場面までになっちまえば、そんなことはないよ。1人でもその仲間を増やしたくなんだから。そういうことは、いさかいというのは全然なかったよ。それで、動物らみたいに食い物で争うっちゅうことも、なかったかんな、なお違ったんだいな。糧まつ庫へ行くようになってからもう大名暮らしだかんな。それ糧まつ積んであんだからいっぱい、行って取って食えばいいんだからな。

そういうその供給する、ほんで取れなくなるかもわかんないと、そういう心配もあったかんな。そのために、各隊1年分ぐらい食える糧まつはみんな確保してたから、陣地の中さ入れとくとかな、いかいへこみさ入れて、上さ石かぶせてな、こうやってやっとくことで。各隊、最低なんだっぺ、1年分ぐらいの糧まつは確保してあるよ。

だから食い物は豊富にあるしな。あと、敵に接触しなければ撃ち合いはやんねぇかんな。本当の相対勝負になっちまえばもう、あんな気楽なあれはねぇよ。ただ、鉄砲持って向こうの野郎歩ってっからな。ほいで歩いてっから、それさえ気をつければ。だからなんだよ、仲間同士のいざこざっちゅうのはなかったぞ。「衣食足りて礼節を知る」か、衣食十分あったから。

ある兵隊が、陣地の警護に立ってて、敵に数弾ぼっこまれたんだ。ほんではらってなんかすると思ったらここで爆発するだ。そんで重傷を負っちゃってなぁ。とにかく治らねぇちゅうわけなんだ、本人も治らねぇから殺してくれよ、殺してくれよってやってんだ。それだがすぐバンパーンにな。何秒かたってからだから、あれなんだろう、早く投げれば投げ返すこともできんだよな。ところが、爆発寸前に落っこったから、こうやったところは腕持っていかれちゃった。爆破でもって。

それでそいつの班の上等兵に、おれはもうだめだから殺してくれろ、殺してくれろって叫んでいるのしとるんだわ。それで腕がこう回っちゃっては、もう治しようねぇからな。薬も何もねぇんだから。腕1本なくなってはとても戦地では治んねぇよ。病院さ行かなくちゃぁ。薬にヨーチンだけでは。

うん、戦友だからまだよ。殺してくれー、殺してくれーって。そうすると戦友だってわかってるよ。これならとても治りっこねぇだから、そういう例はいっぱいあるんだから、おれは。

だからほんとうに治る見込みねぇ場合には、それは殺してやるしかねぇな。死ぬまでいたらだめだとは言えねぇもんな。あの薬がなくて、片腕1本もふっ飛ばさったから治んないよ、恐らく。薬がなくても。これやがて出血多量でもってこん睡状態にいって、すぐに死ぬぜ、おれば。殺してくれって言わなくなれば間もなく死ぬよ。黙っているようになったら。これはいけねぇ、死んだほれなんていうようになるよ。

だから死に方にもいろいろあるよ。1発でコロッといっちまうのは、まぁ幸福なほうだな、戦場では。あとで「いてえいてえ」って痛みぬいて死ぬかどっちかだかんな。1発でパッタリ死んだほうがよかっぺ。

ここらでいう、お通夜の状態だよ。みんな仲間らが戦死すっと。みんな無言が多いよ。まぁ黙ってるんだ。今度はおれの番かなと思ってみんなおれな。無言の状態が多かったよ。そんなに笑ったり談笑しているなんていうことはなかったよ。

特に何がつらかったっていう、特にっていうのはあんまりみんなつらいだけで、それ慢性化したからなんだけどなぁ。戦場っていうのはこういうもんだと思ってるから、ほんでどうしようもねぇもの、そんなこと思ったって考えたって。

だからそこら中やられちゃってんだからどうしようもねぇの。ひとつは仲間から離れれば、生きていらんねぇ、もちろんこれは。やっているわけねぇだかんな。だからみんなで助け合って生き残り策を講じるしかなかったんだよ。どうしようもねぇぞ、これは。それでまわりはいっぱい敵なんだもの、この穴の中から出られればなぁ、他人の世界だもの。

だからみんなして、我慢して、壕の中でじーっとしてるしかなかったんだよ。ほんで夜になれば、あれ人間、食い物のことしかねぇからなぁ。それを調達するほかねぇんだ、食い物を。

いや、運が悪ければ敵に見つかれば殺されるよ。だけどそんなに恐怖心はなくなっていくから、慣れていくから。ほんで死んだってそんなに思うほど感傷的になってねぇかんな。戦友どもも。

敗戦を信じている人はいなかったわな。敗戦を信じて投降すべっていうのはいなかったな。それを見て、師団司令部がパラオの本島にいたから、そこまで歩いていけるんだよ、干潮のときに行けばな。だからそこへ行って「師団司令部の状況を調査してくる」という書き置きを置いて出ていった兵隊がいるんだよ、夜に出ていったのが。海岸に行ったんだよな。それがアメリカの歩哨船にぶつかって、手上げちゃった。九州の者だけど。

それで、その人がアメリカの司令部に連れて行かれてな、そのころ、日本では各古戦場に生き残りが結構残っていたんだわな、ニューギニアだの、あっちのほうの島に。

それで、おれらのそばには第4艦隊、トラック島にあったんだわな。その参謀長の澄川(元海軍少将)という人がそこにいて、海軍の大尉の人、長でもって9人くれえの日本兵が生き残っているっていう情報が入ったんですけど、「それではわたし、行きましょう」というわけでもって第4艦隊の参謀長、澄川っていう少将がな、通訳ひとり付けてアメリカから派遣されていた。「ペリリューの日本兵を救助しろ」と、そういう命令を受けて。

それで来て、澄川少将がいろいろ我々が歩きそうなところにその終戦になった情報を見えるようにこう下げて、何とか、反応があるのを待っていたわけだよ。だけどいつまでたっても反応がないわけだから、だからマイクでどなったですな。「日本は負けて、こういう状態になっているんだ」って。まるっきり反応がないうちに、さっき九州の者が出て行ってつかんだから、それで今度は澄川少将とアメリカの司令部で話し合って、「日本はもうとっくに負けたんだ」とすっかり聞かせられてな。それでペリリュー島にはどこにどういう者がいて、その手上げた人がしゃべったわけだ、澄川少将に語ったわけだ。「それではわたしが行きましょう」っていうことでもって、澄川少将が通訳連れて、捕虜になった兵隊とな、こいつの案内でペリリュー島に来たわけよ。

それで、我々のねぐらへ来て、その捕虜になった人はおれらのねぐらで一緒に生活していたんだからな、その前は。それの案内で連れてきたんだ、我々の壕に。「日本はもうとっくに終戦になったんだよ」って言っていろんな周辺の状況を聞かせたって。それで澄川少将が「山口少尉、早く出てこい」ってあすこで怒鳴ってな。「おれは丸腰で何も持ってねえだから、お前も丸腰で出てこい」って言うわけな。

それで壕から出ていって、澄川少将に話聞いたんだ。そしたらもうとっくに終戦になったんだと。だからいつまでこうして頑張っているのは、不正にあたるんだって。今までの功績がゼロになるっていうわけでな。しょうがなくてアメリカの司令部があったんだよな、飛行場に。そこへ連れて行かれてな。

いや、断腸の思いだよ。だけんど、負けたとは思わなかったなあ。とうに負けちゃったって言うんだから。それで、日本の国内の様子なんかいろいろ聞いてな、東京は焼け野原になっているとか。

それでアメリカの司令官はな、9人中、中佐の人だけが「お前たちのことは捕虜としては取り扱いしない」と。武装解除後っていうのは、あれ、労役なんかはしなかったんだな。それで、アンガウル島まで船が通っていたんだよ、あのころ。リン鉱石運ぶ船。「その船便で連絡がつきしだい内地へ帰すと。ただ労役には付さないけんど、自分の寝室だけは掃除しろ」と、そういう宣告を受けてな、ほんで今度、かまぼこ兵舎に入って、その船が来るのを待っていたのよ。だから仕事は全然やらなかったよ。

うれしかったなあ。横浜へ上陸したときには。周りみんな日本人だからな。最高の喜びだよ。ほんで横浜に一晩泊まって、あすこでいろんな復員の手続きをとって、次の3月、4月、4月だな、4月の15日が、復員。それで帰ってきたの。

まぁ、とにかく負けたんだからしょうがあんべと思ってあきらめておるわい。戦争が負けて、政府がいったんなくなったんだからな。あれ、陸軍省とか、海軍省とかというのがなくなって、復員連絡事務所とか何とかっていうのができたのだっぺ。あとな、復員局なんて言っていたとこ。それで、だからもうさっきの兵隊の復員もやったわけだっぺから、兵役が解いたわけだ、これでな。

出来事の背景出来事の背景

【ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~】

出来事の背景 写真 昭和19年(1944年)、米軍は、ペリリューを含むパラオ諸島をフィリピン奪還の拠点として利用するため、攻略を決定する。一方、日本軍は、パラオを死守するため、飛行場のあるペリリュー島に歩兵第2連隊を含むおよそ1万人の部隊を派遣した。
 9月13日、米軍は艦砲射撃を開始し2日後の15日、「2,3日で陥落させられる」との予想の下、3万人近い部隊を上陸させた。これに対して日本軍は島じゅうに張り巡らせた洞窟陣地を使って組織的な徹底抗戦に出た。日本軍は、米軍の圧倒的な兵力と物量に対し2か月以上にわたって抗戦し、1万人を超す戦死者を出して11月25日、組織的な戦闘は終結した。一方米軍も、日本軍の激しい抵抗によって、1万人近い戦死傷者を出した。
 ペリリュー島の戦いでは、洞窟に追い詰められた日本兵たちの多くが、死ぬなら敵に突撃し一矢報いて命を散らしたいと願ったが、大本営は「玉砕」を禁じ、「持久戦を完遂せよ」という命令を出していた。
 昭和20年8月の終戦後も、生き残った兵士たちは洞窟にたてこもり続け、戦闘終結から2年半後の昭和22年4月22日、元海軍少将の説得でようやく兵士たちは武装解除に応じた。そのとき生き残っていた日本兵はわずか34人だった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
茨城県稲敷郡江戸崎町にて生まれる
1942年
歩兵第2連隊入隊
1944年
ペリリュー島の戦闘において、側背部と左腕を負傷。当時、23歳、少尉。
1947年
復員。復員後は家業の農業を営む

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