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タイトルタイトル: 「湧いて出てくる米戦闘機」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ニューギニア・ビアク島 幻の絶対国防圏 ~岩手県・歩兵第222連隊~
名前名前: 佐々木 仁朗さん(岩手県・歩兵第222連隊 戦地戦地: ニューギニア (ビアク島)  収録年月日収録年月日: 2008年4月18日

チャプター

[1]1 チャプター1 ビアク島は絶対国防圏第一線  06:17
[2]2 チャプター2 飛行場建設  03:35
[3]3 チャプター3 自給自足をはかる  02:18
[4]4 チャプター4 米軍襲来  02:12
[5]5 チャプター5 米軍上陸開始  06:58
[6]6 チャプター6 戦闘終結  04:53
[7]7 チャプター7 捕虜になる  01:40

チャプター

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だいたい勝てるあれがないと思う。なかったよ。僕は。あれだけ差があったんだもん。日米の差ってものは。

結局、「主計」というのは食糧・弾薬とかね、そういうものをみんな手当てする。だから女性がやるような仕事なんだ。わりにね。女性が家庭でやってるような仕事をわれわれがやるわけですよ。だから「主計」という、ああいう字を書くわけね。

いちばん肝心なものなんだけれども、とかく軍隊を振り回すことをいちばん勇敢なあれとして、軍人のやるべきことだと思う。しかし食糧だとか弾薬ということになれば、なんとなく女性の領分じゃないか?っていうあれがあるでしょ?それが間違っているわけ。だからいちばん大事なことをやっているというあれがありますね。主計は。

いちばん、なんていうか係数に明るくなきゃならないわけですね。だから、そろばんを片手に軍刀を持つというのが主計の任務なわけですね。これこそが本当の戦力なわけだ。

覚悟はした。覚悟はしたし、無事に着けないと思った僕は。途中で藻くず(もくず)にされるなと思った。それはあまりにも、あのバシー海峡なんかでね、アメリカの潜水艦が跳梁(ちょうりょう)しますわね。
ジグザグ航路は常にとった。

祈るような気持ちですよ。それだけ戦果がどんどんあがったんですもん。だから、われわれが無事にビアク島まで行けた時、あれはもうすばらしいことだと思った。しかし、その間に作戦があったわけだ。陽動作戦が。それであのフィリピンから豪州にかけての海域にずいぶん犠牲があったらしいな。その時を狙ってわれわれが行ったというような格好になったんだ。だからうまく着けた。途中、潜水艦にあわないでね。

(ビアク島には)ちょうどクリスマスの日に着いたんだもん。だからあれは期せずしてああなったわけでしょうね?だからしかも、あそこのニューギニアのボスネック(上陸地点)の辺りは、あれが多いわけですよ。極楽鳥のようなものが多いわけだ。
しかもその鳥が夜鳴いて、あんまり夜鳴く鳥っていないよね、日本にはね。それが夜鳴くんだよ。そういうことでね。いいとこに着いたなぁと思ってね。極楽鳥もいるんだしね。そう思ったよ。

天国のような所じゃないかなぁと思った。

美しいことは本当に美しかった。あんなの見たことはないと思ったね。

カラフルなんだな、色が。実に飛びぬけた色なんですよ。しかも砂浜っていうのがほとんどホワイトでしょ? 海はネイビーブルーっていうかね、そういうこともあるし、なんていうかな、木の色とかもみんな内地と違うわけなんですよ。だからそういう見たことのないような色に魅せられたっていうか。海の中をのぞいてみても、なんていうかいろんな色が、縦じまが入っているでしょ?大胆な縦じまが、しかも日本のような色じゃないんだよ。ほとんど原色に近い色で。のぞいてみてヤスで突こうと思って、敵があるまでの間は楽しかったよ。そういうことが出来たからね。これは天国じゃないかなぁ、と思ったよ。そういう点はね。ただそれが一変して、もう飛行機だとかなんとかってなれば、それは全然また突きのめされたような気になるわけね。それまではよかった。

飛行場をつくるっていうのが絶対条件だった。だから向こうはすでに持ってたんだから。来るやいなや飛行場をつくるんですよ。それも早いわけだ。みんな機械力だ。ブルドーザーというものが日本にはなかったですよ。だからいかにしてつくるのか、って見て驚いたね。
何もないでやるんだ、それを。日本でやるからには発破ですよ。爆発をやったやつを砕いてやる。だから、ブルドーザーみたいなのがないからずいぶんかかるわけだ。ブルドーザーをつくったところで、大きさが違うんですよ。向こうの大きさと。たいがい5倍位あるやつだね。

食糧の分散ですよ。そのためにはね、われわれほとんどマラリアにかかるだろ?風土病だ。それもわれわれの体もなかなかいうことをきかないのさ、風土病で。それでずいぶん苦労したよ。

焦った。焦りですよみんな。普通で体がきかないわけだ。そういう風に。マラリアにかかるとですね。だけど、マラリアっていうのはしょうがないな。キニーネしかない。キニーネだってむやみに飲めないもんね。

揚陸場がないわけ、何を揚げるったって重機がある訳じゃない。みんな担いで海を渡るわけですよ。
崖も登って。崖を登るというのは大変なんだ。というのは、崖っていうのはさんご礁の島なんだ、あれはね。だからちょっと歩くにも木をそいだところも道路になるでしょ?そういうあいまいなものがないんですよ。その代わりさんご礁が切れた所とか探さなくちゃならないでしょ。

登りやすい所はないですよ。結局さんご礁を砕いてあがるしかないですよ。だからそれは大変でした。

必ずスコールがあるでしょ。1日に1回はある。しかもシトシトする雨じゃないんだ。ダーって降るんですよ。だから雷が鳴ったりするんですよ、必ず。毎日です。それが大変なんだよ。

(食料を)内地から持ってくるっていうのが大変なんですよ。それでね、われわれの部隊に「開拓勤務中隊」っていう部隊ができたんだ。これは特記したほうがいいよ。「開拓勤務中隊」というのはわれわれの部隊から始まったんだ。
要するに百姓を作ろうかと思った訳さ。百姓を作るためにはまず土地がなければならない。

そこに1個中隊来たんだ。あれがね200人近くきたよ。30歳以上の人だ。だからあれは、大変優秀な農夫がきたんだ。

追走物資(後方からの補給物資)というものを作ろうと思った。

運ぶのは誰でも出来ることだ。そんなことじゃなく、もっと本式の農夫になろう、つくろうと思っていた。それは立派なもんです。あれでね農夫がつくれたらば、大変なことだ。追走物資を前線でつくれたならね、たいしたもんです。

ところがビアクにつくったっていうのが間違いだ。ビアクにはそういう土地が本当はない。ビアク島にそういう土がないんですよ。みんなさんご礁が砕けたやつが、砕けて、砕けて土みたいになっているだけの話だ。本当の土はないわけ。さんご礁はあるけれど、

知らなかった。だからそのためには、いわゆる前線の地理・地誌に詳しくなければならなかった。当然そうあるべきだ。「ビアクの人たちもうそうだろう」と思ったことが、まちがいのもとであった。

知らないままやったわけです。本当は兵用地誌を学ぶべきだった。それが失敗のもとだった。

5月27日。あの時は異常だったよ。寝ずの番をしているこっちの兵隊たち、夜通し寝ないでしてるでしょ?それがね、みんな異常なあれを撃たれたわけ、異常な。
なんか、寝ずの番をしたわけだ、みんな。
少々のものじゃないよ。あれはねー、日本でやれったって出来ないから。あれくらいの艦砲は撃てない

音は大きいし、規模が違うよ規模が。はじめあれだけの艦隊が来たんだからね。少々のもんじゃないぞと。ところが向こうは本当の艦隊だったわけね。

敵艦隊は見るも見ないもないよ、見ざるをえないでしょう。目の前にいるんだもん。

だいたい四十何艘(そう)ですよ。そのほかに無数に飛行機がわいてくるんですから。わくんですよ。そこが違うのさ。

あぁ、ぞっとした。あの艦砲射撃だって少々のものじゃないよ。1時間や2時間じゃないよ。すごいもんですよ。だからまざまざと見せつけられた。力の差を。

見ていられないんだ、本当に。全然装備が違うもん。

武器はあんたも知ってる通り、映画に出てくるだろ。「ババババ」って。しかも三八式歩兵銃のように長いようなもんじゃないよ。半分ってことはないが、こんなもんを抱えて「バババババ」っと。そりゃぁすごいよ。重さといい何といい。うらやましかった。

武器はね、三八式歩兵銃というのは明治38年ですよ。あの頃の甲種合格の人で鉄砲なんかこのくらいでしょ、われわれが持つと騎兵銃を持ったのと同じなんだよ。ちょうど、騎兵銃はいいんですよ。

それがね、夜襲ってことがやったことがないわけでしょ?あれは本当は練習しなくちゃだめなんだよな。なんだって。われわれははじめからやったけれども時間が気になるわけ。時間が。「これはまちがいないのかな?」と。ここはいつも通るとこだからまちがいはないと思うけど、暗い所をやったことがないわけだ。そこだね。やっぱり練習ってのは必要だね。われわれも時間が気になって。夜襲の時は。
初めてのとこなんだもんな。「いつも通っているとこだ、あっ、あの辺だ」と思うけどね。なかなかあわないね。それだけの余裕がない。時間的な余裕がない。練習しなくちゃだめだね。

手りゅう弾持ったよ。手りゅう弾は持てるだけ持った。
何個ぐらいってあれも結構重いよ。あれあんた10個持てないぞ。鉄砲の弾も持たなくちゃならないしね。

はって進めるところがいくらもないわけだ、やぶったってはって行けるような所がないよ。ただ、パッと撃たれたと時ね、こう伏せるでしょ?伏せたとこが下、前かがみになったようなとこに伏せたりするんだよね。本当はあれじゃ鉄砲も撃てないわけだ。前のそんなとこに伏せたりしたんだよ。

「あっ!上にいる」ということが気づいて、体勢をたてなおしてやるんだからね。それはそういう場面がたくさんあった。

手りゅう弾を投げる。手りゅう弾を投げあう距離ってだいたいどのくらいだかわかる?上から下に投げるのはいいよ。下から上に投げるってのは20メートル投げるってのは大変なことだよ。あの重いものをボンと持ち上げるんだから。あの、手りゅう弾投げって馬鹿にするけどね、なかなか下から上に向かって投げるなんて出来ないよ。

(米軍の銃は)1発1発撃つのなんて持ってない。あまり見たことがないな。みんな「ダダダダダッ」みんな連発銃ですよ。

いや、倒れる倒れないも弾が飛んでくるんだから。それはあのー、だいぶ下がったと思うね。
 
破片が当たったんだかなんだかわからないけど、とにかくバッとふいたわけだ。血がばーっとふいた。だからもう、じっとしておられないね。それをひっかついで行ったのがオオムラ曹長だ。野戦病院が近かったからよかったんだなぁ。

目をやられたと思ったさ。この辺からばーっと噴出すんだから。だから何も手につかなかったね。オオムラ曹長の機敏な動作がよかった。あれひっ担いでいってくれたからな。

あぁだめだ、と思った。

死ぬつもりだった。もう争うことはないんだ。もう死ねばいいんだ。最後は死あるのみ、という気持ちだからね、何も恐れることはないですよ。

でもまだ死んではだめなんだ。オオムラが言うわけだ。俺がとにかく担ぎ込むから死ぬのは待ってくれと。いつでも死ねると。彼の決意もいいよ。しかもさんご礁の、どれくらいあるのかな、100メートルあるのか、高さは。さんご礁の道がある。土人の通る道を、そこを彼は走って歩いた。

抱えて。担いでよ。

うん。彼がおぶってくれた。偉いよ。あれは偉い。

あれこそ命の恩人だな。しかも4日後の夜襲で亡くなった。別の夜襲で。本当におしい男だったねあれは。

塩がないとね、体が締まりがなくなる。グダグダになる。そういう風になるんですよ。だから、砂糖を食べなくたってああにはならないと思うよ。そこが砂糖と塩の大事なとこだと思うよ。

塩水を飲むったって、いくらも飲めないんだよあれ。あのただしょっぱいだけじゃないからな。あれは。思ったほど飲めないんだよ。

半分死にかけていたのさ。それが知らない兵隊といっしょにいた。背の高い知らない兵隊といっしょにいた。その背の高い兵隊が誰だったのか、は僕も知らない。おそらくササキも知らんだろ。あれは開拓中隊ではない飛行場設営隊のあれだと思う。

いやー、声をかけたのよ。ササキと。ササキとまちがいないと。だって、われわれの初年兵の時といくらもたってないんだから。だからすぐわかった。

死にかけていたってことはね、もう何を飲ませてもいいと。普通死にかけている人に生水を飲ませるとね、すぐ死ぬ。それを知っていたけど、その傷でね、今飲ませなくたっていずれ近いうちに死ぬと。思ったから飲みなさいと。だから飲んだよ。飲んだからその時死んだよ。

彼はね、喜んで死んだ。僕が誰だっていうことがわかったわけだ。それでね。

どんな表情もないよ。もう亡くなるばかりの人だったからね、もういくらも生きていなかった、飲ませてから。だけど、彼が滂沱(ぼうだ)と涙。滂沱だよ。滂沱と涙を流すのが不思議だね。あんな水分があるはずがないんだよ。本当はね。それなのにあれだけ涙を流した。ということは僕はおもしろいもんだなぁ、と思ったよ。あんなに水を飲みたがったでしょ?水を飲んだには飲んだけど、それほど涙を流したわけじゃないな。

くやしい。くやしい。自分が死ななくちゃならんということとね、死がそこまできているということがわかったでしょ?そういうことだと思うよ。


僕はよかったなぁと。ほんとに「飲めるだけ飲め」と言ったのがよかった。もう、自分で飲みたいだけ飲んだ。そして死んだと。それが僕はよかった。かえってよかった。中途半端に飲ませて、あとは死ぬからやめなさい、と言うよりも「飲めるだけ飲め」と言って飲んだ方がよかったと僕は思う。

こんなに自分を責めるものだろうかと思った。僕が悪いから犬すらも逃げたんだから。僕の面相を見て逃げたんだ、犬のほうが。普通ならかかってくるはずだ。ところが僕の顔をみて逃げた。だからよっぽど怖い顔をしてたんじゃないかと思ったね。

ともかく死んでいられないという気がしたんだ。だから僕は、犬にもかみつくつもりでいったわけだ。だけど犬が逃げた。それでわかった。俺よっぽど怖い顔してるんだな、と。
人間ではない。うん。犬すらも驚いて逃げるんだから。

それで捕虜になった。これもしょうがないよ。なんとも個人としてはね、捕虜になるよりほかないだろ。「捕虜になっていい」と思って捕虜になったわけじゃないが、結果において捕虜になったわけだ。しかしあの時のね、陸軍大臣になったあの人、なんていった?
東条英機の言葉、どうだ?あんたはどう思う?あれが問題だ。誰だってああいうことは出来ないはず。それが問題だよ。
それはなんていうか、日本という国家がね、そういうそれ以外に発展するあれがなかったんじゃないかな。それがぎりぎりのところじゃないかな。だからそれ以上、しようがないじゃない。
やむをえない。

出来事の背景出来事の背景

【ニューギニア・ビアク島 幻の絶対国防圏 ~岩手県・歩兵第222連隊~】

出来事の背景 写真赤道直下、ニューギニア島の北西に位置するビアク島は、日本軍が南太平洋の制空権を握るための要の地だった。昭和18年(1943年)秋、日本軍は当時攻勢を強めていた米軍の進撃を阻止するため防衛ライン、いわゆる絶対国防圏の第一線をここに定め、飛行場建設を計画。昭和18年12月、飛行場建設とその守備を任務に、222連隊の兵士3900人がビアク島に上陸した。

昭和19年4月、3つの飛行場がビアク島に完成。ところが飛行部隊はいっこうに飛来しなかった。日本軍にはそこを利用する航空兵力がすでに失われていたのだ。
4月28日、マッカーサー率いる米軍は爆撃機を中心とする大編隊でビアク島への攻撃を開始。飛行場のある南の海岸線が集中的に狙われ、大型爆弾が降り注いだ。

5月9日、日本の大本営陸軍部は、防衛ラインをビアク島から西部ニューギニアのソロンに引き下げることを発表決定。ビアク島は絶対国防圏から外され、後続の部隊も送られないことが決定された。

ビアク島に残された歩兵第222連隊の兵士たちは、米軍の掃討から逃れるようにジャングルをさまよい、極限まで追い詰められていった。また、ゲリラと化した現地住民の攻撃にも苦しめられた。

8月20日、米軍はビアク島での戦闘終了を宣言。ビアク島の飛行場はすべてフィリピン進攻への拠点として奪われた。そして昭和20年に入ると、主戦場はフィリピンに移り、ニューギニアは戦略的に忘れられた戦場となっていった。密林に残された日本兵たちは、昭和20年8月の終戦まで、厳しい自活を強いられ、捕虜になった兵士も含めて生還できたのはわずか、総員の3.9%だった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1919年
岩手県下閉伊郡山田町にて生まれる。
1942年
現役兵として歩兵第52連隊に入隊。
1943年
新京の陸軍経理学校に入学。原隊復帰後、歩兵第222連隊本部主計少尉としてビアク島に上陸。当時、24歳。
1944年
受傷し捕虜として豪州ブリスベンに収容。
1946年
シドニーより浦賀上陸、復員。「ビアク戦友会」を結成。

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ニューギニア (ビアク島)

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