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チャプター

[1] チャプター1 ビルマへ  02:06
[2] チャプター2 牛を連れた行軍  03:28
[3] チャプター3 コヒマの戦い  03:32
[4] チャプター4 中隊長の遺骨  04:24
[5] チャプター5 絶望の戦場  02:55
[6] チャプター6 独断での退却  02:54
[7] チャプター7 死屍累々の撤退路  04:37
[8] チャプター8 今も見続ける戦場の夢  05:55

再生テキスト

ビルマへ入ったときは、分かんなかったんですよ。ビルマへ入る、いくらか中へ入った、タイの国境ですよね、ビルマとタイの間を、行軍してるときに、初めて、ビルマという、そのインパール作戦に、我々が投入されるんだなということが、分かったんです。ただ、中国から、マレーへ上がって、マレーのタイピンという所で、警備をやってた。そこから、タイに入ったんですけどね。タイにいたときは、ガ島か、何か、行く話も、出てたんですよ。ガダルカナルね。結局、ビルマへ入ってから、インパール作戦をやるっていうことを、聞いたんです。

とにかく、インパールなんたって、これはインドだって言うけど、どんなとこか、とにかく、分かんないからね。とにかくあのころは、張り切ってたからね。少しでも、金鵄勲章か、何か、もらえるように、みんなするつもりでいたんですよ。元気が良かったから。みんな、元気だから。そんな色んなこと、考えずにね。我々は兵隊だから、言われるまま命令どおりに、やるんだからね。

チンドウィン河、渡ると、向こうはもう、インドなんですよね。その河がちょうど、乾季でもって水が、水はきれいだったですよ。で、水はそんなになかったです。なかったけど、駄牛隊というのがあって、我々4中隊は歩兵だけども、1中隊、2中隊、3中隊は、小銃、擲弾筒(てきだんとう)、軽機(関銃)だけど、4中隊というのは、軽機もあるし、小銃もあるけど、牛を200頭近く(河を)渡らせて、インドまで持ってくつもりで、やったんです。その牛を引っ張るのが、いちばん大変だったんです。

結局、ジンギスカンっていたですね(輸送と食用の二つの目的で動物を輸送に用いたという)。その真似してたから、そういうこと、やったわけなんだよね。食料にもなるし、結局、荷物を運ばせるという目的で行ったんです。

こういう生き物を、各部隊でもって、200頭から、引っ張って行ったんじゃ、大変なんですよ。人間も体もみんな参っちゃいますからね。だから上の人は、何、考えてるんだか知らないけど、バカな作戦やったと、思ってますよ、わたしらは。兵隊としてはね。


Q:そのときは、あまりバカだとは思ってなかったんですよね?

 ああ、そのときはね。そういう考えは、全然ない。撤退するときが初めてですよ、そういう考えはね。


Q:撤退するとき、初めてというのは?

 初めてあんなこと、牛を引っ張ったり、何かしなくても、空身(からみ)で行った方が早かったというわけ。その方が陣地を落とすにも、向こうの陣地も、大変だったろうけど、結局、早く占領ができたわけなんですよ。牛を引っ張っただけでもって、全部、一個中隊が、みんな人間が疲れちゃって。普通の小銃を持って、戦争してる連中よりか、まだ疲れるんです。牛っていうのがね。牛は歩かないときは、ローソクでもって、お尻に火をつけて、立たして、歩かせるぐらいのこと、やってたんだから。大変は大変だったですよ。

厳しいよ。2000~3000(メートル)は、ざら。山、上がったと思ったら、夜なんだ。だから、飯ごうの中、水入れたり。こういう竹、あるでしょ、その中へ、現地人に教わって、その中に水、入れて背負って上がったりね。上でもって、設営するんですよ。泊るんですよ。騒いじゃうと、だめなんですよ。そういう山を、いくつも越えて、行くんです。

コヒマのね、ウクルルってところが、あるんですけど、そこを、ちょっと出たところで、石につまづいて、転んじゃった。そしたら、足がこうなっちゃったんです。で、膨れ上がっちゃってね。だけど、足を引きずりながら、陣地に着いたんです。着いたら、その日に、これからニゴ陣地へ、出発するというわけ。攻撃に出るというわけなんだ。「おい佐藤、お前は着いたばかりで、地形がわからないから、足も痛いんだから、今日は我慢しろ」と。「お前の代わりに、わたしの同年兵に、サトウ・シチロウという者がいるんだけど、それ連れてくから。お前は今日、ゆっくり休んで、帰ってきたら、ごちそうでもこしらえておけ」なんて気軽に、出て行ったんですよね。


Q:どういう所で待ってたんですか?

 結局、窪みだね。沢と沢の、窪みの中ですよ。そういう所があるんですよ。ちょうど、壕みたいになってるの、山の中だから。木がね、こんななっちゃってね、大きな木が。それこそ、人の入ったことのないような、トラのいるような山だからね、あそこは。こんな大きな木が、こんなになったり、わけの分からない、穴ぐらがあるんですよ。

そこで、待ってたの。で、そこの前でもって、要するに、飯ごう炊さん、やってた。豆とか、いろんなの煮てね。中隊長が帰ってくるの、待ってたの。

砲弾射撃で、ガンガン、ガンガンみんな、やられちゃったんです。だから、残ったのが15~6人いたかいないかぐらいなんです。

わたしはそのとき、行ってない。運が良くね。帰ってきた連中の、穴掘りやったんですよ。陣地まで連れてきて、穴掘りやったりね。そういう仕事やったんです。そこは、場所はアラザラ高地というんですけどね。


Q:その日、出て行った中隊は、何人ぐらいいらっしゃったのが?

 150~160名行ってるね。一個中隊、全部だから。とにかく全滅しちゃったから。全部、その山で。

結局、中隊長の壕を掘って、壕の中へみんな入れてやった。こしらえたやつを、埋めてやった。ご飯なんかね。要するに、おかずをさ。他の連中は、他の連中でもって、また、陣地へ着いてから、死んだ連中がいるから、そういうのは壕を掘ってみんな、おかずとご飯を「食べたかったろう」って、そこへお供物に、埋めましたよ。

Q:一日にして、本当に中隊が、ほとんど全滅してしまったということなんですか?

 そうです。残った者が、竹と天幕でもって、縛ったりして、竹のあれでもって、すうっとやると、竹は強いから、幹ね。で、縛って中隊長だけ、下げてきたの。で、陣地に下がってきてから、わたしが、すぐ焼かなきゃ、腐っちゃうからね。「じゃ、俺が、佐藤がやるから」って言って。ここから、落としてさ。あと、この下むいてさ。長靴とか、そういうの履いてたけど、そのまま。ここだけ脱がして、ここだけ落としちゃった。これを3日かかって焼いた。普通、兵隊は、死んだときここだけ、取っちゃうんですよ。ここから焼くっていうのは、中隊長だから、特別にあれしたんだけどね。とにかく、ビルマへ持って帰ろうと。

まだ、何とかしようと。オオワダ軍曹というのがいるんだけど、オオワダ軍曹が、おい佐藤、中隊長のあれは刀も、軍刀ね。それと一緒に、遺骨を、わたしはこれ、オオワダ軍曹が中隊長の軍刀を持って、下がる。

わたしは、中隊長のあれを、包帯包というのがあるんで、それでもって縛って、バナナの葉っぱやったりして、中が濡れないように。首ぶら下げて、ビルマへ下がったんです。そこで、分骨したの。これは誰々、これは誰々って死んだ人みんなこう、やった。中隊長のからね、骨からね。


Q:何で、分骨をされたんですか?

 何で、分骨ったって、向こうで死んだ人の、我々の中隊の、連中の死んだ人の遺骨を、下げられなかったから。そのまま、野ざらしですよ。だから、野ざらしだから、こっちへ来てから、これは誰々の、これは誰々のって、中隊長のここからやったんです。骨を取って、分けたの。だから、本人のもんじゃないんだ。みんな違うんだ。だから、中隊長の骨なら、いいだろうってわけで、中隊長の骨をみんな、こうね、名前、書いて少しずつやったんですよ。

それが、分骨。普通、兵隊だったら、中国あたりの、兵隊の戦闘の場合は、状況のいい所だったら、全部、焼いて、お骨にして、帰ったりね。状況の悪いときはやっぱり、ここから取るんですよ。取って、このものはちゃんと親元へ、お骨を返すように、なってるの。白い箱に入れて、きれいに、千手の。景気のいいときはね。こういうふうに、前へこうやって、田舎の方は、学校とかで、式やって、親元がお墓へ、持って行って、お骨を入れるんですよ、お墓の。今回の場合は、それが、ほとんど、できてないですよ。まあ、かわいそうだけどね。


Q:一晩にして、ずっと一緒にいらっしゃった中隊の方々がいなくなる、亡くなってしまう、どういうお気持ちなんですか?

急にがっくり寂しくなるんだよね。何とも言えないね。寂しい。一人いないというと、ここにいるのがいないんですもんね。ばかみたいに、冗談、言ってたやつが急にいなくなるっていうと。

やつら(連合軍)おっかなくて、日本軍が夜襲に来ると、困るから。見えないんだけど、めちゃめちゃ、やってる(撃ってる)。それだけ、向こうの連中は、弾が余計、あるわけだ。日本はね、そんな無駄なこと、しないですよ。本当に弾は、大事にしてたからね。一発も無駄な弾は、使わなかったですよ。中国から、チェコ式の機関銃を、持ってきたけど、弾がなかったから、みんな捨てちゃったんですよ。弾がなくて、撃てないんだ。それこそクズと同じだ、そんなものはね。

そこへいくと、十一年式というのは、小銃でも、なんでも我々の撃つ小銃の弾と、合うからね、そういうのは大事にするけど。手りゅう弾とか、擲弾(てきだん筒)とかっていう弾が、いちばん大事だったですね、戦闘下においては。あんまり、撃っちゃいけないというのは、いちばん、兵隊においては、いちばん、寂しいですよ、本当。

実は、肉屋やってるからね、ああいうのあんまり、食わないんだ。好きじゃないんだ。豚とか、牛とかは、どんなやつでも平気なの、馬とかね。山砲とか、輜重の連中は馬があるでしょ。「馬をこっちへ貸して。俺が料理するから」「ダメだ」って言う。連中は絶対、渡さないからね。

連中は、馬を大事にしますよ。絶対に、肉は食わないって言ってる。俺たちが言うと、怒るもの「肉くれ」って。やつら、牛は食うかっていうと、牛は食べる。馬は食わない。

うまいとか、まずいじゃなく、ただ何でも、腹の中に入れればいいっていう感覚で、食べてるから。だから、バナナの葉っぱなんか、バナナの芯ね、あれなんかビーッと取ってやると、真ん中の芯っていうのが、ちょうどキュウリと同じにおいがしてね。キュウリ。あんなもの、食べたりね。あんなもの食べるから、下痢しちゃうんだけどね。分かっているんだけどね。食べるものがないと、何でも食べちゃう。1人や、2人じゃないんだから、みんな、同じ気持ちだからね。結局、みんな下痢しちゃったりね。

コヒマで、1回目は占領したでしょ。それから、食料がなくなって、弾は撃つなという、命令がきた。あっ、これは、だめだと思ったね。食料がない、弾がない、それが消えたら、もうだめだなと思った。それで、もうひとつは、牟田口(中将・第15軍司令官)閣下が、インパールが落ちないんで、うちの方から、部隊を応援に出せと言った。そういう命令が来たって、聞いたんだよね。それでもって、烈(31師団)がコヒマを保てないのにね、インパールへ人間なんか行ったら、どうなるかと。その話を聞いて「ああ、これはもう負けだな」と思ったね。

烈部隊というのは、このコヒマを落とすんで、その軍用道路を押さえるために、我々は命令通り、行ったわけです。これを落とした。占領したわけです。占領したはいいけども、今度はインパールの方が、なかなか落ちないで、そのうちに、今度は命令が、あっちのこっちの命令というよりも、おかしな命令が出てね。「インパールの方へ。コヒマを落としたら、コヒマからディマプールへ、出ろ」と。そういう命令が出てきたんだけど、それは上の連中が、みんな異論が出てね。「いや、出ない」と。みんな「出たら、陛下から、預かった軍隊を殺してしまう」と。だから結局、軍司令官の言う事を、聞かなかったの、我々の烈の師団長は。結局、弾薬と糧まつが来るのを待って、来なかったらチンドウィンに、向かって、結局、糧まつと、弾薬の補充されるまで、下がると言ってる。だけど、軍はどこを行っても、食糧とか、弾薬をビルマのラングーンとか、マンダレー、あっちの方から、送ってきてくれないんですよ。ないんですよ、全然。だから、悲惨なものですよ。

撤退するときはね、顔を知ってるやつらが、いたけどさ、見ないふりしてんだ。道路でも、歩けなくて、銃だけ持ってるけどね、こうやって、みんな歩いて来るんだもの。こうやってさ、泥だらけのとこをね。ああいうの見てるとね、かわいそうだなと思って。自分が力あればさ、手伝ってやりたいんだけど、こっちの体だって、もうマラリアでおかしくなっちゃってるからね。人ごとじゃないから、本当。

どうしようもないんだよ。あれじゃ、人間じゃないよ。負傷したやつなんかも、人間離れして。米を、兵隊さんに「米は、ありませんか」とか「ご飯があったら、くれ」とかね。もう、銃は持ってないんだよね。飯ごうぶら下げて、杖をついて、歩いてるんだから。これが日本の兵隊かと、思うような連中が、たくさんいるんだよ。負傷しちゃってね。

あれは、撤退するとき。撤退するときは、帽子がなくなったりね、もう、帽子がボロボロになったり、靴が破けたりするとね、死んだ人のを悪いけど、もらっちゃうんです。脱がしちゃってね。

結局ね、一礼してね、「悪いけどもらっていくよ」って言って、自分の破けてるやつを交換して、かぶせてね。で、靴を脱がせてさ。自分の靴とね。自分の靴は、パカパカして、履けないから。彼の靴がいいから、交換しちゃうんです。それはやりましたよ。

薬が、消毒するものがないし、薬もない。だから、傷ついたところが、ウジだらけになってね、ハエがとまって。出てるんだものウジが。こういうのは、もう絶対、生きないけどね。だいたい、死んじゃうけどね。目のふちのあたりに、ウジがわいてるやつはもう、どんな薬やっても、注射やっても、生きない。もうだめ。もう人間じゃない。何、だろうな、もう、ああなっちゃうと、人間じゃないね。「手りゅう弾をくれ」とかさ。手りゅう弾くれというのは、まだましなんだよ。自殺する気があるからね。手りゅう弾くれとも、言わない、フワフワ歩いてるような、マラリアで下痢して垂れ流しになって、歩いてるようなのは、本当にかわいそうというか、人間じゃないよ。ああなっちゃうとね。親、子供、兄弟に見せられないよ。そんなの、見てるからね、けっこう、夢なんか、見ることがあるんだよ。これが本当に、日本の軍隊かなあと思うと、情けないよ。

撤退してくるときは、不思議でね、死ぬ人が1人じゃ、死なない。どこか川が、きれいな川が流れて5、6人そこへ、寝よってるんだよ、なあ。不思議だよな、あれ。川淵で人が死んでるとこ、行って死んでるんだよね。

我々が撤退するところは、靖国街道とも言うしね。兵隊の仲間じゃね、白骨街道とも言ってるの。

白骨街道と言ったら、ぴしゃりと当たるところだな。当てはまるところだね。どっちへ行っても、死体がね、転がってたから。

口には出さないけどね、本当。帽子なんかもそうだし。寝てると、悪いやつがいてね、こうやって、帽子かぶって寝てるとね、夜なんか、他の部隊が来て、それを落として、持ってくやつがいるんだよ。鉄帽なんかは、背のうに付けてあるから、重いから、もったけど、帽子はかぶってないやつは、みんなどこか落っことしたりする。けっこう、帽子は大事に使ってたからね。

そう。これはね、あったらしいんだ。他の人間の肉を取って、売ったとかね、そういう話は聞いてるんだよ。


Q:佐藤さん自体はそういう場面を、ご覧になられたりは?

 いや、それはね、場面は見ないしね。話は何回も、聞いてるの。だけど、それは部隊がしっかりした部隊だったら、そんなこと、ひとつにまとまってる規律が、厳しい部隊はね、そんなことしない。中隊長なり、大隊長なり、連隊長なりが、ちゃんとしてるとこの部隊は、そういうことは日本軍としてはね、いちばん、恥ずかしいんだもの、そんなことは絶対、やらない。ただ、落伍した連中はね、戦争を脱落した連中は、いるんだよ。もう部隊には、ついていけないとか言ったら、殺されるからね、単独行動で、下がる連中はこれやるんだよ。聞いてる、話はね。話は聞いてるんだ。だけど、我々部隊としては、そんなことは絶対やらない。もう絶対と言っていい。これは、そういうことは、やれるわけがないですよ。

肉をね、見たやつは、ももをはぎ取られたとかさ。そういうのを取られたやつが、死んでるのをね。あれは人間が取った、間違いないと。そういう話は聞いてるけど。取るとこは、見てないですよ。それはもう、取ったのは、戦友は確実に、見てるんだよね、そういうのはね。わたしは見たことないです。見たこともないし、やったこともないから。だけど、衣類なんていうのはね、帽子だとか、靴なんか、取ってるのは我々、やってましたよ、実際には。これはやってます。


Q:ももを切り取られた、死体があるっていうことなんですか?

 そういうのを戦友が、見てるんだよね。あれは普通のあれじゃないと。人間が取ったんだと。だって、動物が来て取るのと、違うんだから。なんか、包丁で取ったような。人間の体というのはさ、血が全部、出ちゃうと、負傷したりなんかすると、結局、豚や牛とみんな同じ、鳥なんかと。わたしもここから落としてるから、血が出ましたよ。出たけど肉そのものは、鳥の胸と同じ肉が、きれいなの、ここが。包丁ちょっと入れて、ポリッとやると取れるから、これが。関節のあれだからね。これもそうですよ、みんな、関節がポロポロ、取れるんですよ。

戦友が言うには、俺は見たと。取るとこは、見てないけども、あれは包丁かなんかでもってね、切った跡だと。いうことを、言ってるわけだ。それで、もうひとつはね、売りに来たというのが、4、5人でかたまってると「肉を買わないか」って言って。買わないかっていうじゃなくて、肉と持ってる塩とか、米があったら、そこで取り換える。お金じゃないんだ。取り換えてくれと、言ってくるのがいたらしいんだよね。俺が見たわけじゃない、戦友がそれを見たらね、あれは人間じゃないと、言ってるわけだ。

この戦争が、撤退する時点から、もう、この戦争は手柄とか、嬉しいなんていう、戦争じゃなかったからね。悲しい戦争ですよ、これは。自慢する、戦争じゃないからね、どこの戦場へ行っても。それこそ、満州事変とか、あのころの連中はね、人を殺したとか、自慢話ばかりしてたけどね。我々の戦争のときは、自慢話じゃないですよ、悲しい戦争ばっかりですよ。人に聞かせるような、あれじゃないですよね、本当。

戦場の夢は、まだ、見ますね。向こうの戦争したときの夢というのはね、忘れないですよ。一生、忘れないんじゃないですか。帰ってきたときなんかも、物音がすると、ピョツと起きたりね。癖が抜けなくてね。わたしは目が悪いもんだから、音には敏感で、ちょっとすると、スッと、起きちゃうんですよ。そんなこと、随分あったですよ。

出来事の背景

【インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘 ~新潟県・高田歩兵第58連隊~】

出来事の背景 写真昭和19年(1944年)、戦局が悪化の一途をたどっていた日本軍は、連合軍の反撃を防ぐため、連合軍の東インドの拠点都市、インパールを攻略する大規模な作戦を決行する。「インパール作戦」である。

インパール作戦に参加した58連隊は、インパール北方、130キロに位置する「コヒマ」にむかった。インパールへ援軍や物資を送る唯一の街道の中継地で、このコヒマの占領を命じられていた。しかし、牛に荷物を運ばせながら、2000メートル級の山を越える行軍は、苦難を極めた。4月のコヒマ到着後は、守備の手薄だった連合軍の陣地を次々に奪い取ったがすぐに連合軍の反攻を受けるようになった。補給の途絶えた58連隊は、弾薬が不足し、からだごと敵戦車に飛び込む肉弾攻撃を行うようになり、兵士たちは命を落として行った。雨季に入った5月、58連隊の所属する31師団の佐藤幸徳師団長は、まったく補給がないことから独断で退却を決断した。

しかし、食べ物もないまま、険しい山道と密林を撤退する兵士たちは次々に飢えと病に倒れ、撤退の道は「白骨街道」とまで呼ばれるようになった。

証言者プロフィール

1921年
新潟県小千谷市にて生まれる
1932年
ひ生尋常高等小学校卒業
1941年
現役兵として仙台東部22部隊に入隊。歩兵第58連隊に転じる。
1944年
コヒマ作戦当時、22歳、兵長。
1946年
復員。復員後は食品会社に勤める

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