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タイトルタイトル: 「濁流のシッタン河渡河」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~
名前名前: 新居 太一さん(徳島・歩兵第143連隊 戦地戦地: ビルマ (シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)  収録年月日収録年月日: 2008年9月27日

チャプター

[1]1 チャプター1 告げられない行き先  02:28
[2]2 チャプター2 タイ軍との衝突  02:52
[3]3 チャプター3 友好的だったビルマ人  01:38
[4]4 チャプター4 制空権のない戦い  02:18
[5]5 チャプター5 取り残された部隊  02:56
[6]6 チャプター6 飢えの中の退却戦  01:41
[7]7 チャプター7 マラリアのまん延する退却路  02:03
[8]8 チャプター8 密林の恐怖  02:18
[9]9 チャプター9 「この苦しさから逃れたい」  04:10
[10]10 チャプター10 思わぬ攻撃  01:41
[11]11 チャプター11 濁流に飲み込まれる兵士たち  02:41

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~
収録年月日収録年月日: 2008年9月27日

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徳島から。これはまた行くから、確か11時ごろに全員出れるように、夜逃げと一緒です。それでも近所の人は、ある程度、知っとるけん、並んで10人か20人ぐらいね。それから、将校の奥さんとかいうんがちょいちょい来とったぐらいでね、もう夜逃げと一緒です。それで香川県の詫間港に着いたのが3時、4時ごろですがね。そして、各民家へ割り当てして、わたしらは小さい、女の人ひとりのところへね、まあ、泊まったんです。

そして、朝ご飯のみそ汁をよばれて、通信があしたの晩に出るぞというような話でね、1週間ぐらい、皆、滞在する何でおったのをね、えらい早いなっていうんで、なぜ、わたしらが皆より早いかというとね、後でわかったんですが、大きいかご、わたしは40頭か50頭ぐらい馬と一緒にわたしは船に乗り込んだんです。それで、この馬は臭いし、朝鮮と九州の間の黄海(中国と朝鮮半島との間の海)というのですか、あそこへ行ったら、大波がこう来て、ああ、いよいよ、野戦に行くんだなと。韓国語、中国語、いろいろ短波が入ってくるんですよね。

そして、1週間ぐらい、ベトナムのサンジャック港というところへ着いたんです。

上がったら、また5人か10人ぐらいが乗るっていうことで。あれ、わたしらは訓練もしてもいないし。これから、こんなんでどこへ行くんだろうかということで。

タイ国は平和進駐やけんな、戦争はないっていうふうに思うとるからね。そしたら、パチン、パチン。この全員がもう命中しとるんです。そしたら、誰か、指揮班のものが、おーい、どっか、木から撃っちょるぞと。狙撃しよるわって。軽機で、一遍、何、撃ってみいって言ってね。軽機というのは、バアバラバラッと撃つのでどこへ飛ぶかわからんような。これで、30発、バラバラーッと撃ったら、バタバタッと3人、木から落ちました。

これから、もう、まあ、弾がこんようになって、ずっと300メートルぐらい進んだら、道路があってね、要は薄明になったら、白旗抱えたタイ国の軍人が平和進駐になったって言うて、わたしらは、連隊本部のほうへ引き揚げたというのがね、事実上であって。

ざっと、弾の何がね。後ろはこんなに大きなのが開いとる。で、即死ですわ。頭を皆、撃たれよったからね。わあ、いよいよ戦争に来たんじゃな。何を、おっさんのバンドウ中尉やいうのは。このバンドウ中尉の古参でさえ、戦争やいうのを知らんぐらいだったからね。戦争って怖いな。「こんなにな」っていうんでね。

なので、やられたのは、たまたま、指揮班である中隊長とか中隊指揮班が12~13名おったのが全員、頭を撃たれて死んどるからね。大事にしてくれよった中隊長が、もうごおって寝とるのにね、全部、ここ木の上から狙撃しとるんやからね。

そのとき、戦争っていうのはこんなんかと。こんなんだったら来るんじゃなかった。

ペグーに着くでしょう。そしたら、もう召集兵の中には悪いのがおってね、いたずらするものがあって、通信隊、指揮班でっていうのでね。こう負けて、巡視というふうにしてね、入ったときに、英国の旗をズラーッと並べて、ビルマ兵がこれを踏んで行け、これを踏んで行け。踏まなんだら、これを踏めと言ってね。こういう時期もあったんだからね。

英国領でせんか。ビルマそのものは。奪還してビルマの都市になったというのでビルマは喜んどったですよね。奪還してくれたというのでね。英軍はひとりもおらんのやから。

旗を。土、道路の上に並べて、ここを踏んでいけ。まあ、そんなに数、何十もなかったけどね。3つや4つはありました。こうして行ったら、旗を並べてある。これを踏んで行けとね。これは女の人ですよ。旗がこう並べて、踏んでいけと言うのは。

食べるものがないから、取りに下へ降りていってしよったが、大きな飛行機が飛んできて、グルグル、グルグル、わたしらの上を飛んでいるのが、落下傘を付けて大きなこんな箱をそうっと落としてくれるんです。落とすとやな、風で落下傘が開いたまま、スースー、こっちへこううちのほうへ来て、木に引っ掛かるんですよ。その木に引っ掛かったっていったら、葉が1枚もないで、引っ掛かったんだけど取りに行ったら、向こうのやっこさんが軽機でバーッと撃つんですよ。

見たら、もうチョコレートとか、食べれんようなものがようけい入っとるん。それをもう誰か木に上がって真っ黒になって取ってきたら、大きいこんな箱がね、落下傘にストンと落としたら、一週間ぐらい食べるぐらい。糧まつ。これは楽しかったね。下を、もうあっち走り、こっちを走りして、その飛行機からものを落としたのを拾いよるんですよ。たまに風が吹くからツーッと、こっちへ飛んできて、木に引っ掛かるんですよ。すぐ下に落ちてくれればいいのに。木に引っ掛かったらね、これ、取りに行きよってやられたものもおるしね。だけど、それはちょっと楽しみやったですがね。それからね。

チョコレート。航空レーションってね、あのー、栄養、カロリーばっかりあるやつで、これをもう分けるでしょう。日本人は米を食べておるけんね、腹いっぱい食べなんだら、食えないのね。これを食べるでしょう。カロリーの高いものだから、皆、下痢ですわ。

なんぼ踏んでも3か月ぐらいおったかな。ようけい負傷者もできたしね。3大隊で20~30人ほど谷間に何しとるんですよ。負傷兵をね。それでも、いよいよ、電報で交代して、元の陣地まで帰って、帰れというて、退却するぞというのでね。今、思うたらね、こういうて、みんな荷物を持っとるから、負傷兵をこうかなり歩けるものは歩けるんやけんど、もう重傷のものはね、歩けんけん、このチャンマ馬ですよ。細いね、走りよったらダダダダダッていうて、もうそのチャンマ馬を徴発して、10頭か20頭、兵隊を両方にくくって、そして、上も兵隊を3人乗せているところがあるんやね。乗れんから。何人ぐらい入りよったかな。30~40名、野戦病院があってね。それで、いよいよ退却するという。

くくりつけるんです。胴と足と頭とを。こう両方でつっとるわけよね。こうして、こう一緒に下がるんじゃねいけんど、馬は待ってくれへんわね。ヒヒヒーンって言うし。部隊が移動するというのはわかるでしょう。そしたら、英軍のほうから軽機がパラーっと来たら、もう大変ですわ。馬が走り出したら、口は入れとらへんけど、ダーっと。敵やってね、馬は10頭、20頭がブワーっと行ったらね、それは怖いですよ。ワーっと行くんやからね。そんなんで、負傷者はもうほとんど駄目でした。衛生兵、かなり責任があるんやけどね。衛生兵のほうがしよるじゃけんね。かわいそうに。ほんま、そんなんばっかり。地獄。もう嫌です。わたしは思い出すのがね。

Q:負傷兵は馬にくくりつけられたまんま?

まんま敵の中へ飛び込んでしまいます。そしたら、そこら、まあ、ぬくもんがあったら馬は止まったままでしょう。そしたら、もう撃ち殺されてしまうでね。

それで、ラングーンの近く、ペグー山脈の近くまで来たらね、もう、汽車の何て言うんですか、鉄道を越えたら、ジャングルへ入る、山の中へ入れるんです。ここで1週間ぐらいおったんやけどね。やっぱり兵隊が100人、200人いうたら、ブタから鳥からがおらんようになってね。いたときに、タマゴがね、大きなだけでも50から100こう置いてあるんです。食べるものないけん、タマゴばっかりこう塩を付けてね、あれ、最初はうまい。2つ、3つ、食べよったら、もう2日ぐらい食べたらね、こう寄っていったらね、鳥ふん臭いんですよ。これぐらい、卵を食べて、そして、これから、ペグー山脈へ入って、シッタン河を渡る準備をしたわけですよね。ほか、何もないんですよ。タケノコか。タケノコばっかり。もう竹ばっかり。その竹を取ってね、こう葉を取って、ゆがいて。ゆがかないと食べれへんから、竹のおかげです。長生きできたん。

もうほんな、150人おった中で、この間もね、名簿を見せてもらったら、生きて帰っとる人は1割おらんのでね。入院してね。入院というのは、ビルマへ行ったら、みんな、バナナが落ちるぐらい熟れとるんですよ。甘いバナナにはマラリア蚊が皆、刺しとるんです。

1週間ぐらいしたらね、バナナ食べよったら、マラリアっていうのは、最初はもう氷の中に入っていると一緒です。震えて、震えて。布団を10枚ぐらい掛けて、兵隊が2~3人上に乗っているのに、震えるんです。それがなんぼ、1時間ぐらいしよると、はあーってぬくうなるんですよね。ぬくうなったら、40度以上の熱がバーッと出てくるんです。もう汗かいてね。だから、最初、震えとか寒かったらですね、マラリアです。必ずその免疫ができるように、いったんマラリアにいっぺんかかるとね、今度、免疫がもうできとるから。

あれ、最初、そのビルマに行くときに、鉄道に全部網をこうしているんやけどね。網なんかここへしてからね、中へ入られへんの。暑うて。皆、取っとるですよ。そしたら、蚊、マラリア蚊にかまれてね。だから、マラリアでやられたっていうのはようけあるね。

Q:そのときに孤立したっていうのは、皆さん、知っていたんですか。

もう飛行機が飛んだのに、何も襲撃せなんだけんね。ただ、わたしらは後ろへ後退。ラングーンのほうへ下がるときは、晩だけしか行動できない、制空権を握られとるから、日が暮れたら舟艇で、ごそーっと、まあ、何キロか知らんけんど、300メートルでも下がったら、次はどこそこっていうので、工兵隊が、晩になったら、昼は全然行動をしませんけんね。

わたしはもう何回も、水が欲しいでしょう。お米を洗いに井戸へこう行くんよね。掘ったところへ。こうしてね、洗いながらひょっと見たら、2頭トラがこうじっと見よるんです。後ろへずーっと下がったら。そんなときもありました。大体、人間のほうより大きいんやね。それでね、トラはもうこういう野生のトラはね、この毛のつやが違う。ピカーッとしていますわ。鋭いですね。アラカンのトラいうて。明かりをつけとったら、ようこんけどね。あのー、必ず灯りつけて行動する。それで、じーっとおったりしたら、必ずもうやられます。

Q:結構、日本兵もやられたんですか。

やられましたね。アラカンのためにはエサになりました。

やられても、もう自分が食えるところまで口にくわえてずーっと、血をずーっと追っていっとるんですわ。兵隊がね。必ず火はを木をくすぶらせてたいとけということを言いおったね。わたしの隣におった、あれ、第2大隊の5中隊かな。兵隊ひとりやられて、あ、おらんていうて気が付いて、あのー、懸命に追えたけんど、もうずっと山を入ってしもうとるんですよね。

晩、日が暮れるでしょう。それで沼地をこう歩いて、着いてみたらね、この山上がっただけ。そしたら、もうこの足が倍になっとるん。こう触ったらね、ずるずるっと足が腐ってしもうたんやね。もう水ばっかり、土の中ばっかり浸かっとるから、皆、裸足で。それで何かあってからに、こう突き刺さったら、これが化のうして、動けんようになって自決したものもたくさんおりますよね。石にこうしても、ズルッとするでしょう。それで血が出るんですよ。そしたら、毒が入って、足が腐って、動けんようになって自爆した人もあるしね。あの自爆だけは怖かったですよ。戦友は。隣でじっとね、わたしらは、わからんでね。むこうって抱えて死んだら、そばで、ばっと。そしたら、自分が今度、自爆する何になるんやな。

あのね、かえってね、動けるもんが自爆したのが多いね。まだあいつ行けるのにどうしたんだっていうようなのがね。結構、えらいんで。こんなえらいになって。わたしたちは、この船でボーンと飛び込んだでしょう。あの人は楽したな、楽して死ねたな。わしらもあそこで飛び込んで死んどったら、こんな苦労をせえへんだろうなということはね、思いました。というのは、苦労せんと、弾の中で日に日に、日に日に、もう地獄みたいなのを、日に日に、日に日に、何か月もそんなのしよったらね、海へ飛び込んで死んだほうが、もう楽に死ねるで。こう感じたことが何回もありましたね。

もう渡江は近いぞということになったら、木が流れてきたら、木を一丁ずつ引いてきて、シャツを脱いで、シャツでくくって、渡河準備しましたね。で、ほれい、衣類や何かも。そのときも無線機を渡してもあかなんだけんね。水につかって。こういう衣類を全部、今だったらビニールがあるのにね。そのときは布でね、乾かして、上へ上げたら、向こうに見つかったら、もう全部やられるけんね。時々、バーンと飛んでくるんです。

大体、こういうのがようけあります。こう通るでしょう。生きとるんと一緒で、こうやって死んどるのに。もう死んで、水の中で死んどるんですよ。そんなの何もね、転進のときにくたびれてしもうて、水を飲んで横にずっと沈んだら、もう水はどんどん流れよるからきれいでしょう。見えるんです。こう。一晩、かなりシッタン河を渡る前におりましたね。

わたしは通信(兵)ですから、あのー、ほとんど一緒に行動しておったし、連隊本部ですからね、本部と一緒に行動して、離れて行動すればいいのに、できなかったでしょう。それで、そういうような犠牲者はなかったですね。ようけ、あのー、ジャングルの中にちょっと入ったら、10人ぐらい並んどるんですよ。これが全員、もう死んでしもうとるよね。そしたら、木にもたれてね、死ぬ前にしゃっくりがくるんです。もうこんなの思ったら、ぞっとしますよ。もう何時間ももたんですよね。わたしはわからんね。今、あのー、兵隊がズラーッと並んで、結局、ご飯を炊く気力もないんやね。12~13人ぐらい頭並べて死んどるところがあったですよ。

まあ、言うたら、隠れてね、ひとりがしよったら、もう皆、足をやっとるでしょう。ずるずるで。遅れるんですよ。行動を一緒にせんがいかんという。これはさっと引っ込まれて殺されるんでね。これは2、3見ました。

Q:どういうふうにやられているんですか。

もう手や首やちょん切られて、川へ放り込まれとるんです。義勇軍からもだいぶやられたと思います。

これはもう日本も悪いことをしたけんね。

英軍が強要して、英軍の武器を取らせてきとるのもあるし。ただ、日本刀ね、「ラ」っていうなぎなたみたいな。重たいやつを。あれで刀を持っとるんですよ。もう既に英軍が飛行機でどんどん、どんどんおきとるけんね。あのー、もともとイギリスの領土だったけんね。言葉も通じるし、ビルマ軍、ビルマの兵隊のように、もうすぐ教育できますよ。

これから、いよいよ、その山で、2週間ぐらいおりましたかね。いよいよ今夜、シッタンを渡るということでね、シッタン河の近くまで行ったんですけど。そのときに、水ばっかり足つかっとるでしょう、そやから、足がこないに肥えてね、こう触ったら、ぶるぶるっと皮がむける。これぐらい腐っとるんです。皮膚が。

吉野川よりちょっと広いぐらいで、ゴーっと流れようです。それで、もうものはもう全部ここらの木とかそんなんを束にして、荷物を沈まんだけにしておいてね、それで、いよいよ今夜、出発すると。日が暮れたら、皆ここ口に加えて、泳いで行ってはグーっと引っ張って。泳いで行ってはグーっと。声を掛け合うて。そしたら、向こうが上がったら、敵がこうスーッと巡回しちょうるんやね。こう一晩、こうやって泳いどるけんね、今度、こう向こうへ前へ行きよると、どんどん自分が出た河口へ着いたものもおるしね。かなりやられましたね。

ようけ亡くなったね。そこで、結局、1人や2人が行動しよったら、ビルマの住民にやられたっていうんで、シッタン河へほうり込まれて死体が流れよるのを、こうわたしも確認しましたな。

嫌な、もう二度と言いたくない。地獄の、思い出しとうないもんね。ようけ死んで。ほんまの朋友(友達)が、一緒の9中隊で配属になったものが皆、死んだもんね。

するべきでないね。戦争は。傷むのはもう地獄へ行くのと一緒で。

もう死にに行くんだから。地獄へ。誰もすき好んで、第一、わたし、今でもビルマの話はしたくないというのが、もう日に日に、日に日に。手りゅう弾を腹に抱えて、バーン、バンバンってやはり自決するんでしょう。こうやって休憩しとるのに、1メートルぐらいのところで、手りゅう弾を抱えてやられたらね、そばでもこの手足が飛んで、何でもないのに死なないかんような場合があるやん。できるだけ弱ったものの離れなんだら、近くでやりよったら、いつその手りゅう弾を抱えて死ぬやらわからない。そういうような状況でね。

出来事の背景出来事の背景

【ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争の開戦から間もない昭和17年1月、日本軍は英領ビルマに侵攻し、わずか半年余りでビルマ全土を制圧した。

しかし、昭和18年になると、連合軍が反撃に転じる。対する日本軍は連合軍の拠点インド東部のインパールへ進攻し、連合軍の反撃を防ごうというインパール作戦を計画する。
作戦を成功に導くため、第143連隊は、ビルマ西南部で攻撃をしかけ、連合軍の主力を引き付ける陽動作戦が命じられた。

航空機を使った空からの補給によって、連合軍は最新兵器で途絶えることなく攻撃を仕掛けてくる。一方、十分な補給がない日本軍は追い込まれていく。

昭和20年4月、連合軍は日本軍のビルマ方面軍司令部が置かれていた首都ラングーンに迫る。危機を感じた司令部はラングーンを放棄し、前線で戦う部隊に対して何の命令も与えぬまま、タイ国境近いモールメンまで退却。前線の部隊は敵中に置き去りにされてしまった。

歩兵第143連隊が属する第28師団の師団長司令官は、決死の退却戦を決意。バラバラに戦っていた部隊を集結させ、シッタン河を渡って別の味方部隊と合流するという計画だった。

深い密林に阻まれ、飢えと病に苦しみながらも、7月20日、ペグー山系で部隊の集結は完了。敵の目をかいくぐりながら、シッタン河をめざした。しかし、シッタン河突破作戦を事前に察知していた連合軍は、いたるところで待ち構え、攻撃してきた。

敵の包囲網をくぐり抜け、ようやくシッタン河にたどり着いた兵士たちは、雨季で増水した濁流に飛び込み懸命に渡るが、連合軍やゲリラに狙撃され、また、シッタン河の濁流に飲み込まれ、作戦に参加した3万4千人の兵士のうち、味方に合流できたのは1万5千人であった。そして8月、生き残った兵士たちは、シッタン河のほとりで終戦を知った。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
徳島県板野郡板西町に生まれる。
1941年
現役兵として徳島歩兵第43連隊に入隊。その後、徳島第143連隊の通信中隊に入隊。太平洋戦争開戦と同時にタイ上陸。
1942年
ビルマ侵攻作戦に従軍
1945年
シッタン河渡河作戦後、タイへ転進中に終戦を迎える。連合軍の指揮下、ビルマで労役に従事。
1947年
復員(広島・宇品)。

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ビルマ (シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)

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