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チャプター

[1] チャプター1 隠された戦地への出発  02:25
[2] チャプター2 無血上陸の予想が一転、激しい戦闘に  02:44
[3] チャプター3 友好的だったビルマ人  01:42
[4] チャプター4 陽動作戦(第2次アキャブ作戦)  07:11
[5] チャプター5 遺骨と一緒に戦った  02:37
[6] チャプター6 置き去りにされた143連隊  10:27
[7] チャプター7 密林に弾ける自決の手りゅう弾  02:57
[8] チャプター8 立ちはだかった濁流  06:02
[9] チャプター9 終戦  06:05

再生テキスト

入営するときはな、それは普通の昼だったけんどな、絶対にほかへ言うたらいかんちゅうてな。ほんで、まあ、秘密やけんいうて、で、皆、私服で行ったんじゃけどな。私服で行って、ほんで、そこの隊へ入ったら、後、皆、荷物にして家へ皆送って。

Q:蔵本の連隊から蔵本駅に行くまで、夜に行ったって聞いたんですけど。

夜です。夜、もうだったかな。夜が更けよったな。ほだけんど、どこで知ったんかしらん、両側ずーっと来とった、送りに。秘密や言うたってな、もう、みーんな見送りに来とったな、両側いっぱい。
道の両側いっぱい。どこで聞いたんか知らんけんど、皆。

Q:お見送りはあったんですね。

ようけあったけんど、まあ、わたしはまあ、まだ知らんけん、こなんだけどね。でも、来とったとしても、わからんわな。スーッと行くだけやけん。通ってしもうて、ほんで、もう汽車に乗ったら、もうそのまま出てしまうけんね。
ほいで、何やろう、あのう、夏服をくれたんが船の中だったかいな。あ、これは暑いとこへ行くんやなぐらいで、わからん。

Q:船に乗っても、どこに行くかはわからなかった。

わからん。上陸して初めてわかったんじゃ。

プラチュアップ(タイ)へ上陸するときいうたらな、向こうの海岸はな、こまい電柱が1本立ってな、ほいで、裸電球がついとるんよ。その下に1人、何や人が立っとるんが見えた。ほんで、まあずーっとそばへ行ったらな、ほたら、飛び込めちゅうてな、ほんで、皆飛び込んでな、上陸した。ほたら平和進駐や武力進駐やわからんけえいうてな。ほんで、そのときに、1個分隊、この書いたナニを持っていった。そこで撃たれた。ここで戦闘になってな。で、わたしはナニしよった、無線打ちよったら、あのう、空中線抜かれてな、顔へパーッと当たったけん、やられたと思うて顔をこうなでたら、どないもないんじゃ。ほたら、見たら、空中線に穴があいてな、ほんで、これがこう、後ろのな、機関銃の兵隊が壕を掘りよったんがな、胸へ当たって即死や。

弾はそれはものすごい来た。わたしが上がったんは、別働隊で警察のほうへ上がった。ほたら、タイはな、あのう、警察は皆、武装しとる、銃を、日本の銃を持って。軍隊と同じや。すぐに撃たれたんじゃ。タイのあそこで戦争したいうのを、皆、ほとんどの人は知らんのんちゃうで?

こう弾が真っ赤になって、えい光弾飛んでくるで、最初はな、夜間演習みたいに思うた。戦争と思わなんだな。夜間演習みたいに思うたな。ほたら、そのうちにこう皆がやられ出したけえ、ああ、これは戦争やと。最初上がったときはほんまに夜間演習みたいな感じだったな。何せ、戦争やいうことを知っとらんけえ、わからん。

トングーへ行ってたときにな、夜だよ、夜、行っちょったら、向こうのスイカはこんなに大きいんよ。それをこう切って「食べえ」ちゅうてくれるんよ。食べる間は向こうが銃から何から担いで、ほいで、横へついてから、食べるまでずーっとついてくる。そんなときもあったな。ほいで、ナンのスイカは大きいけんな、食べて済んだと思うたらまだ次に待っちょる。そんなに食べれんのに。そんなときがあった。その人らは、一晩中、朝までついてきたけんな。あれは相当歩いてきたと思う、皆な。兵隊にみんななってくれるんじゃけんな。向こうのスイカは大きいでよ。こないあるんじゃ、こう三日月に切ってあるんがな。済んだら次くれるけんな。夜通し食べたことがある。ほじゃけんど、そない食べれんわ、あれはな。

あのときな、9中隊かいな、1個中隊が全滅したことがある。張りついて、それで、ふたを閉められて、ぐるりからやられて全滅した。1人か2人助かったぐらいかいな。ほんでまた、シュウセイ中隊やいうて、9中隊をまた方々から集めてこしらえたことがある。あのときだな、あれ、9中隊が全滅したのは。あのときはな、夜、何せ、敵の中へ行ってラッパを吹いて、で、行進シーンもあったやで、そんなことをよう言いよったわな、あのときは。

物資は飛行機から落としよったな。あの、飛行機が来て、こう上空を舞い回るんよ。ほたら、こうドアを開けとんなと思うたら、足で皆けってな、で、落下傘がついて皆落ちる。ほんで。

上からな、飛行機が。こっちから撃ったら当たるのにと思うぐらいの速度でな、ほんで、相手へけ落としよる。ほいで、たまには物資拾うてきたりしたらやな、弾だったりな、そんなときもある。食料品が当たりゃええんじゃけどな。

大体向こうはな、食糧やいうたら、あのう、乾パンやな。それから、ジャングルレーションやいうてな、こんな、このぐらいの缶よ。それに乾パンがこんなんがちょっと入って、あと、チョコレートじゃの、ブドウじゃの、ええもんがようけ、このぐらいの缶にな、皆に詰め合わしてあるんじゃ。それが1食分じゃ、向こうのな。終戦になったときに、英軍のほうからちょいちょいもろうたことがあるけんどな。

これはもう勝負をなさんと思うたわな。だって、我々は米がなかなかないのにな。

それより前からもうあかんと思うたな。最初の、あの、山やな、向こうを見よったら、ブルドーザーやら、こっちは見たこともないのにな、その当時。それでザーッと押していって山へ道をずーっとつけて、すぐにオートバイで上がりよるんじゃ。こっちは、飛行場を造るやらいうたらな、土面に皆、こんな、あの、頭を置いて、石ちょっとずつ砂置いて運んどんで。そんなんと違うでな。向こうの造りを見たら、ブルドーザーでザーッと押して、ほいで、金の鉄板にこうほうぼう穴があいとるのをな、組み合わせるようになっとるんを、それを持ってきてガチガチガチッと組み合わしたらもう滑走路ができるんじゃけんな。日本軍が飛行場をするいうたら何か月もかかる。向こうは見る間にこしらえてしまう。

大砲でも何でも、ドドド撃ち出したら一日中撃つだけ弾があるんじゃけんな。ずーっと大砲を並べといて、ずーっと皆が交代で撃って、一日中ドンドンドンドンいうとるんでな。こっちは機関銃でも一日中は撃てんのにな。それはもう違うわな。

「一日30発じゃ」いうてな、制限言いよったな。30発、一日。それはな、大砲の弾、一人が1発ずつ負うて運んできよったんではな、それはそんな撃てんわな。大砲の弾いうたらな、あれ、重いけん、一人が1発ずつ負うて、背中へ負うて、で、運んできよる。こまいんだったら2発いけるけんど、もう大きいんになったらな、1発ずつや。そんなんと、ただこんなしてザーと来るんとは違うわな。

あのう、こう見たら、向こうの山にな、おる、兵隊やらな、おるのが皆見えるんだ。それは狙うたら当たるんじゃ。撃てんの。撃ったらおつりがひどいんじゃ。大砲のおつりが来るけん。それはもうな、おるとこを知られたら大砲でドンドンドンドンやられるけんな。じゃけん、おつりのほうがそれはもうひどいけんな、撃てるのわかっとったって撃たなんだな。

すごいというのは、あのう、このぐらいの太さの木だったらブスブス切っていくけんな。ここへ当たったことあるんじゃ。砲がナニして、竹やいうたら向こうの竹はこう蔵になっとんじゃ、ようけがもういっぱいになって。そんな竹もあるんじゃ。それが、砲が落ちたら蔵ごしバーンと。ああ、やられよるなと思いよった。ほたら、ここへカチーンと当たったんじゃ。やられたと思うて、見たら手ついとるんで、あらと思うて、それで下を見たらな、こんな破片がな、落ちとる。これはよっぽど当たりがよかったんやなと思うて、あれ、ちょっとでも斜めになったらな、刃はものすごい刃がついとるんだよ。カミソリの刃みたいに。裂けたとこがな、手でこうやって触れんぐらい刃が出とる。これはよっぽどうまいこと当たったんやなと思うたな。ほな、こんな破片が下へ落ちとる。「ああ、やれやれ」と思うた。

皆、この中隊のもんがすぐナニしたるけんな、埋めてやれるときは埋めてやるけんどな。ほじゃけんど、そうやな、そのままなっとるのを見たことはないな。皆、ナニがどないぞ、埋めたか何ぞするんだろうな。もう、焼けんけんな、あんなとこへおったら。ここを切ってな、で、親指だけ外して、ほいて、飯ごうね、ごはん炊くときの。この下で焼いたってな。なかなか焼けんの、親指1本でも。なかなか焼けんもんだよ。それで焼いてな、ほいで、皆、ナニ、首、ナニに、三角きんに入れてな、こう首へつってな。とれる人は皆、持って戻ったはずじゃけんどな、とれん人はもうそのままじゃな。

それはもうな、指1本でもな、なかなか焼けんのだよ。親指をこう外すんじゃな、ここをこう切って。剣で切ってな。なかなか焼けん。ほじゃけんど、皆、ナニは、戦友はできるだけはもうそうやってしてでもな、持って戻ってあげたいんやけんどな、だけど、やっぱりできんのもある。じゅんじゅん移動していきよったら、それはできんでな。それはもうナンだったわな。それはもう、何ちゅうか、ほんまにこっちは目つぶりたいようなことはようけあったわな。

もう早うに逃げよったんじゃな。もう、軍から、師団から、もう皆、早うに逃げてな、うちの連隊がいちばんあとだった。ほいで、それでもな、あのう、ナニが、1大隊、2大隊はもう先に皆下がってしもうてな、連隊本部と、それと連隊砲と通信だけがいちばんあとになって、ほんで、銃を持っとるやいうたら通信だけやな。通信騎兵銃じゃ。それが軍旗護衛したんじゃけんな。通信が軍旗護衛するやて前代未聞ちゃうで。軍旗を護衛するナニがおらんのよ。皆、先に下がってしもうて。それは、あれはな、ナンだったわ。ほたら、狂気やな。ああなったらもう。下がりよったときはもうな、雨季になっとったけんな、もう一面ずーっと水じゃ。水の中をとぼとぼとな、ここをひとりさがりよると、あとはおう、50も60メートルも離れてまたひとりちゅう、そんなようなナンでバタリバタリさがってきた。

うん、もう、狂気街道やいうたらものすごい死んどった。もう白骨ばっかりでな、堤防にもたれたまま死んだり、それから、うつむけになって死んだりな、それから、松葉づえついて滑ったままで死んどるんもあるし、それはもう、ナンの間も水がたまっとる上へ両側ずーっともう、そんな白骨ばっかりじゃった。それはもう、何ちゅうんかな、もうは見とれんのよ。それは皆がさがったとこやけんな。それはもう、病人も皆、先に下さがっただろうしな、それはもう、それはもういろいろの死にざまで、ほんで、我々が行くと、「これはもう白骨街道やな」ちゅうて言うたぐらいな、もう、それは何ぼ、何キロあったやわからんぐらいあったよ。死体もな、何ぼあったやわからん。ものすごい、もう一面にやけん。ひどいのは重なってあるんじゃけんな。白骨でも残っとる髪の毛。髪の毛はな、ナニじゃけんな、そのまま残っとる。ウジ虫が早いんじゃ。それはもう、あれはよう忘れんな。あの白骨街道だけは。それはもう、数何ぼちゅうてもわからんな。皆が下がったとこやけんな。それはもう、あそこだけはもうほんまによう忘れん。

じゃけん、わたしはナンだよ、朝々拝むんだよ、般若心経(はんにゃしんぎょう)を上げて。戦友にな、朝々拝みよるよ。ほかの人は「そんな拝んだって」って言うかもわからんけどな。それは、もう、あんなとこはもう、それはな、皆に言うたって想像もでけんだろう。雨がどんどんどんどん降りよってな、ほんまにもう地獄ちゅうたらあれやな。ものすごいナンだった。それは、あのナニはな、もう。皆、ほじゃけん、戦友で会うたって、あそこのことは言わん。もう、口にするんがな、ナンじゃけん、話しても誰じゃ言わんな。それは、その目にあわなんだら、そんなすごいとこちゅうのはわからんわな。

みんな、これ、こんな格好で、松葉づえついたりなにかして、で、やっとここまでたどり着いたと思うたらこないなるんかいなと思うたらな、それはもう、死んだ者がかわいそうだったわな。それはもう数えれん。ほんまに何千というたってわからんぐらいよ。もうぐるりにずーっと重なってな。ほんで、こうもたれたままやな、あれしてるんだったら、やれやれと思うてナニしたんかいなと思うしな。もたれて死んだら、うつむくんが多いでな、うつむいとるんがようけあった。こうやってうつむいた格好そのまま。それは、あれはな、もうあれはナンじゃな、一生忘れんわな。ほいで、こんなナニはな、あんまり言えんのよ。遺族やらに、聞かしとうないで。もしもな、うちのナニがと思うかもわからんでな。まあ、それは戦争をしたらいろいろなことがあるけんどな、あそこだけはすごかった。

どないもできん。もうこのとき、わがもうもうヒョロヒョロで、いつ死ぬかわからんぐらいでな。食べるもんは食べとらへんし、ほいで、日に日に水の中入っとるけんな、足は長靴を履いたようにはれとる。ひょっと見たらな、ろっ骨が皆見える、やせてて。あらあと思うた。だって、何日も食べとらんで。ほいて、水の中じゃけん足ははれてこないなって、臭なっとったんじゃ、足が。もう腐る手前やな。足が臭かったもん。長靴履いたように。ろっ骨はこう骨が皆飛び出して見える。あらあと思ったわな。わがだけじゃなしに、皆見たら、皆それじゃ。

もう、考えてみたら、何のために戦争をしよるんかいなと思うたな。最初から何じゃええことないんじゃけんな。日に日にがもう、殺したり殺されたりの繰り返しやけんな。それはもう、戦争というたらナンじゃな、まあいろいろ理由はあるかわからんけどな、ほやけど、しよる兵隊はほんまにあわれなもんじゃ。入ったときからな、馬やな、軍用犬は、これは兵器。

もう行動し出したら、1日に何か所ももう手りゅう弾が鳴りよったけんな。ほたら、連れてってくれというて言うてな、ひどいのになったら、前後ろへ竹でこうくくりつけてな、押して行くんじゃ。ほんでももう歩けんようになるだろう。ほたら、もうしょうがないでな。ほたら手りゅう弾をやりよる。ちょっとくぼみの人のおらんようなとこへな、行って、ほいで、何じゃ、こっちから皆見よるんじゃ。ほたらな、手りゅう弾をこうやって持ってな、ながめ迷いよるんじゃ。かわいそうだなと思うたってしょうがないでな。ほいで、こうながめ迷いよったのが、もうしまいに、あきらめたんかしらんな、カーンとやっといて腹へ抱いたらしまいじゃ。ドカーンちゅうたら。一日に4回や5回は、日に日に、もうあっちもこっちも手りゅう弾の音がしよったわな。うちの中隊じゃないけど。皆、もう歩けんようになったらな、ほたらもうナニじゃ。それはもう、もう、「わがも連れていってくれ」というて言うて、「ほな」ちゅうて連れて行き出しても、歩けんのやな。ほんでも、なかなか覚悟はつかんのちゃうで。こないながめ迷いよったもん。それはかわいそうなよ。こうやってな、で、ながめ迷って、ほんでもうしまいにあきらめたかしらんな、こうやって発火しといて腹へ抱いたらしまいやわ、ドカンと。あんなんを見るのがつらかったわな。それはもう日に日にやけんな、それが。どこぞかんぞでやりよるんじゃけん。それはもう、あんなナニはないわな。もうほんまにあんな戦争はむごいと思うた。

あれはな、皆、イカダやあんなんこしらえてな、で、ナニをおりたけんど、わたしはもうナニだけで、竹で丸いナニで、天幕を持っとんでそれを張って、それだけでな、で、押して、それで泳いで、泳ぐのは心配ないけんな、じゃけえ、泳いでナニした。ほんで、皆と一緒に渡り出したんやけんどな、一緒におった者は皆流されていくんじゃ、後ろへ。こっちは行きよったらこっちも流されるけん。ほんで、ちょうど向かい岸についたとき、ひとりだったわな。あと皆流されとったわ。ひとりで上へ上がって。ほたら、また流されたもんはあとから来たけんどな。だいぶ流されたらしいけんど。
 
そのときも、わしの仲のよかったナニが命令受領しよったけどな、それがな。で、ナンで、「てっつぁん、行かんか」と言うたら、「いや、まだちょっと」って。「まだちょっとたって、もうわしらがいちばん終わりぞ」と言うて、「もうそんなにあと残っとらへんわ」ちゅうたらな、「いや、もうちょっとナンじゃ」言うてな、「ほな、わし、先へ行くけん、あとからこいよ」と言うて、ほいで渡ったんじゃ。
 
ほいで、しばらくしてから、まだあと2~3人来たけん、「ナニを知らんか」ちゅうたらな、「一緒に渡りよったけど、川の真ん中でブクブクと沈んでしもうた。」言う。「えー」ちゅうて。そんな。一緒に来とったらな、またわからんのにな。だけど。泳ぎはわりかた達者なけえ、心臓マヒでもなったんかいな。そのナニでもな、ええナンだったけんな。じゃけん、仲ようしよったんやけんどな、あれも。そんなんじゃ、もう皆な。あっけなあに皆もう戦友は死んでしまうんじゃ。

もう靴がないようになったんは河を渡ってからやな、やっぱり。もう靴は底がとれてしもうてな。ほんで、もう、足に布を巻いたり、ガーゼを巻いたりしてもな、向こうへ行ったら、ナンの草にな、毛のある草がようけあるんじゃ。足の裏をいっぱいナニして血まみれになるんじゃな。そんなんで、もう滑ってナニして歩けんで、ナニしたことがある、いっぺんはな。
 
左がこうへばりついてな、動かんようになったんじゃ、急に。ほしたら、もう、銃をつえについて歩いてもこけるんじゃ、ストーンと。歩けんのじゃ。ほんで、ちょうどそのときはもう夕方だったけん、ほいで、そこのちょっと草むらで休むようになっとったけんど、もうわしはナニにあかんわちゅうて、「もうわしもいよいよ手りゅう弾のお世話になるわ」ちゅうて。

もう手がこないなったら歩けんな、滑って。バランスがとれんのやな。もう、一足歩いたらもう、ほたらもう、雨が降っとるけん、下はドロドロで、ツルッと滑りこけてな。もうこれはいよいよあかんと思うた。「もう、これはもう手りゅう弾じゃわ」と言うたけんな。だけど、とめたくれたけん、「一晩待て」ちゅうてな。「ほなら一晩待ってみようか」ちゅうて。ほいたら、明くる日、また目が覚めたら動くようになっとるんじゃな。あれは不思議なもんじゃ。

「さよならあ」やいうて手挙げるんもおるし、それはもう必死になって泳ぎよるんもおるしな。とにかく流れが速いもんやけんな。ほんでも、手挙げて「さよならあ」言うんもおるな。もうあかんと思うたんかしらんな。それはもう、あんなもんな、あんなとこの広いとこをな、よう泳がん人も泳ぐ人も皆同じに渡れちゅうたってな、無理な話なんじゃよ。じゃけど、渡らなんだら生きれんのやけん、しょうがないでな。皆、必死じゃな。

渡り切って、それからだいぶ下がってきよって、ほいでナニが来たんじゃな、軍使が。わしが下さがって来よるとき、まだ、ドンドンドンドン大砲を撃ってきよったでよ。砲撃されよってわしは下がってきた。ほたら、下がりよってもう遠のいたかいなと思うたら、やっぱり同じようにまた大砲が追わえてきよったもん。ほんなら、逃げなんだら砲にやられるんだったよな。ほいで、あれに、24日か25日、25日か。軍使が来たんじゃな。あのう、後ろのほうからな、大きい背の将校が来たんよ。「あら?」と思うたら、話しよった。それまでにナンじゃいうんは、あの、ビラをまいたり、あんなんしよったけんどな、まあ信用しとらんで。それでもうナニして、軍使が来たけん、後ろから。負けたちゅうんがわかってな。それで、あれは25日か、連隊旗を焼いたんじゃな。

連隊旗は連隊でいちばん優秀な将校が持っとるけんな。ナニで、護衛も、優秀な中隊が連隊旗護衛てな、しよったで。それが、皆、先に下がってもうたけん、通信が護衛したんじゃ。そんな哀れな話やな。ほんで、あれ、連隊旗を焼いたんじゃな。連隊長がさおを切ったでよ、パーンと軍刀でな。

もう、どういうたって、負けたというたら、来るもんが来たちゅう感じやな。もうそのときは、負け戦ちゅうんが大体もう、大方もう頭へ入っとったけんな。「あ、来るもんが来た」と思うたぐらいじゃ。それはもう大体がもうわかっとったけんな。それは、ナニやいうたら、通信兵いうたらどうしてももう、ナンのとこばっかり行くで、皆。中隊でも連隊でも皆、主のナニがおるとこばっかり行くけん、じゃけん、自然ともう耳に入ってくるけんな。ああ、もう来るとこへ来たなと思うた。人によったら、ほっとしたや言う人もおったりするけんど、わしは、「あ、来るもんが来たな」と思うたぐらいやな、もう。
どうせもう、最初からもう、あのナニのときからもう、これはあかんと思うとったけんな。もう負け戦やと。

今だったら、まあ言うたら、無駄な戦争をしたと、そう思うだけやな。結局、下のもんはもう皆、命取られて何やかやして、ほいで、それのナニって、それの見返りって何じゃないのにな。皆それで。我々はまあナンだよ、まあ言うたら、青春時代は全部、軍隊でおったんじゃ。な。13年やけん、14年から入って22年まで軍隊ばっかりで、若いしのナンで皆ええときはみんなもう軍隊で。今だったら、若い人だったら、ほんなんで辛抱せんだろう。な。昔はそれが通りよったんやな。教育がそんなんだったけん。教育がもうナンでな、あのう、もう小学校へ入ってからもうナニだったもんな、軍国主義の教育ばっかりだったけんな。ほじゃけん、まあ、その当時のことだったら、我々にしたら、当たり前と思うとる。頭はもうそれで固められとるけん、当たり前と思う。今考えてみたら、あほなナンじゃなと。
 そのナニでな、今みたいによう、若いしのとき、ものを言わんのよな。今の人だったら皆、結構言うで、何じゃかんじゃ。そのときは言えんで。

じゃけん、大体、世の中もそうなっとったんじゃけんな。当たり前と思うとったわな。大きいなったら兵隊になるちゅうんがもう当たり前みたいにな、言いよったで。歌にでも子どもが言いよったけんな。

出来事の背景

【ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争の開戦から間もない昭和17年1月、日本軍は英領ビルマに侵攻し、わずか半年余りでビルマ全土を制圧した。

しかし、昭和18年になると、連合軍が反撃に転じる。対する日本軍は連合軍の拠点インド東部のインパールへ進攻し、連合軍の反撃を防ごうというインパール作戦を計画する。
作戦を成功に導くため、第143連隊は、ビルマ西南部で攻撃をしかけ、連合軍の主力を引き付ける陽動作戦が命じられた。

航空機を使った空からの補給によって、連合軍は最新兵器で途絶えることなく攻撃を仕掛けてくる。一方、十分な補給がない日本軍は追い込まれていく。

昭和20年4月、連合軍は日本軍のビルマ方面軍司令部が置かれていた首都ラングーンに迫る。危機を感じた司令部はラングーンを放棄し、前線で戦う部隊に対して何の命令も与えぬまま、タイ国境近いモールメンまで退却。前線の部隊は敵中に置き去りにされてしまった。

歩兵第143連隊が属する第28師団の師団長司令官は、決死の退却戦を決意。バラバラに戦っていた部隊を集結させ、シッタン河を渡って別の味方部隊と合流するという計画だった。

深い密林に阻まれ、飢えと病に苦しみながらも、7月20日、ペグー山系で部隊の集結は完了。敵の目をかいくぐりながら、シッタン河をめざした。しかし、シッタン河突破作戦を事前に察知していた連合軍は、いたるところで待ち構え、攻撃してきた。

敵の包囲網をくぐり抜け、ようやくシッタン河にたどり着いた兵士たちは、雨季で増水した濁流に飛び込み懸命に渡るが、連合軍やゲリラに狙撃され、また、シッタン河の濁流に飲み込まれ、作戦に参加した3万4千人の兵士のうち、味方に合流できたのは1万5千人であった。そして8月、生き残った兵士たちは、シッタン河のほとりで終戦を知った。

証言者プロフィール

1918年
徳島県徳島市安宅町に生まれる。
1939年
現役兵として徳島歩兵第43連隊に入隊。
1940年
通信中隊に配属。その後、除隊。
1941年
召集、徳島第143連隊に入隊。
1942年
ビルマ侵攻作戦に従軍
1945年
シッタン河渡河作戦後、タイへ転進中に終戦を迎える。
1947年
復員

関連する地図

ビルマ (シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)

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