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タイトルタイトル: 「追いつめた英印軍が優勢に」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~
名前名前: 高井 利亮さん(徳島・歩兵第143連隊 戦地戦地: ビルマ (シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)  収録年月日収録年月日: 2008年9月26日

チャプター

[1]1 チャプター1 緒戦でビルマ制圧  02:05
[2]2 チャプター2 逆転  02:32
[3]3 チャプター3 ビルマの大地の恵みを使い果たす  01:36

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~
収録年月日収録年月日: 2008年9月26日

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(英軍は)やっぱしわれわれから思うたら、あんまり強うなかったな。損害は出したけんど。結局は逃げたんじゃ。あのー、夜間攻撃で。ひと晩で落とした。

それはイギリス軍を駆除したといって、日本軍のために、あのー、行軍しよったら、(ビルマの人々が)サトウキビ、サトウキビを絞った汁とか、それから、あのー、黒砂糖のかたまりとかをくれてね。それで、進軍しよるのに、ちゃんと待って、待ってくれとるんじゃ。サトウキビとかああいうのを持って。それはありがたかったね。

それはよう協力してくれた。それで、日本軍がイギリス軍を追っ払ってくれたということに感謝しとった。

向こうが好意を持っとるけん、やっぱしな。うん。で、日本語を教える時間もあったわ。うん。日本語学校を開いたりな。

とにかく日本人は好いてくれとったな。うん。友好、友好性があつかったな。ビルマ人は。

盆地の中へ、シンゼイワ盆地の中へまとまって入ったんじゃな。それで、それをその盆地に鉄条網を張ってな。向こうが。歩兵が入ってこんようにして。それで、攻めたらええのに、あのー、あのときも思い切って突撃したらよかったんだろうに、それなのに、向こうはようやらんのや。補給を受けるけん。

そしたら、包囲しとるほうは、補給がないもんじゃけん、食料がない。弾がないで、攻めきれないようになってしもうたんやな。それで円筒陣地、円筒陣地いうて、円筒でこうなっとる陣地やで。飛行機が出てこう落として。

あれは、6機編隊というて、6機が必ず来よったな。上へ来たら、盆地の上へ来たら、旋回して、それで、旋回するちゅうか、急降下して落としよったな。急降下して。それで、1機ずつ済んだら、また次のがこう来て。われわれ日本軍が拾った人もあるんじゃ。
あのー、色が違うものを落としよった。落下傘をな。

色によってな。食料とか弾薬によって色を変えてあるんや。拾う人が便利なように。

1週間ぐらいしか食料を持っとらへんのや。それで、向こうは降参する、手を挙げると思ったやつが降参せんもんじゃけん、長引いて、あのー、食料、弾薬が欠乏してくるというような状態になってしもうたんじゃ。

とにかくな、向こうは暑いところやけんな、このー、村っちゅうもんは、あのー、田んぼの中にあるで。で、村には皆、あのー、マンゴーとかパパイヤの木があるで。それで、その木には果実がなるでな。

それが、われわれがアキャブに行ってから、帰りにはもう何もないようになっているんやからな。かわいそうに、気の毒なことをしたなと思うわ。最初に行ったときには、ニワトリもおるし、ブタもおるしな。部落へ入ったら。食べるものがいろいろあったんじゃわ。それが、まあ、3年間、あのー、あのほうへ行っとって、アキャブのほうに行っとって、それで逃げてから、ビルマの内地に帰ってきたときには、もう何もないような。ほんまに気の毒なことをしたと思った。

それは気の毒に思うたな。帰りしなには。うーん、ビルマの国土が、ニワトリがおらんようになるし、マンゴーの実もないようになるし。うん。もう何もないようになっとるんじゃもの。で、住民もおらんようになって。どこで生活しよるかと思うようだったね。えらい日本、来て、日本はビルマへ来てからよう荒らしたなと思うたね。うん。

出来事の背景出来事の背景

【ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争の開戦から間もない昭和17年1月、日本軍は英領ビルマに侵攻し、わずか半年余りでビルマ全土を制圧した。

しかし、昭和18年になると、連合軍が反撃に転じる。対する日本軍は連合軍の拠点インド東部のインパールへ進攻し、連合軍の反撃を防ごうというインパール作戦を計画する。
作戦を成功に導くため、第143連隊は、ビルマ西南部で攻撃をしかけ、連合軍の主力を引き付ける陽動作戦が命じられた。

航空機を使った空からの補給によって、連合軍は最新兵器で途絶えることなく攻撃を仕掛けてくる。一方、十分な補給がない日本軍は追い込まれていく。

昭和20年4月、連合軍は日本軍のビルマ方面軍司令部が置かれていた首都ラングーンに迫る。危機を感じた司令部はラングーンを放棄し、前線で戦う部隊に対して何の命令も与えぬまま、タイ国境近いモールメンまで退却。前線の部隊は敵中に置き去りにされてしまった。

歩兵第143連隊が属する第28師団の師団長司令官は、決死の退却戦を決意。バラバラに戦っていた部隊を集結させ、シッタン河を渡って別の味方部隊と合流するという計画だった。

深い密林に阻まれ、飢えと病に苦しみながらも、7月20日、ペグー山系で部隊の集結は完了。敵の目をかいくぐりながら、シッタン河をめざした。しかし、シッタン河突破作戦を事前に察知していた連合軍は、いたるところで待ち構え、攻撃してきた。

敵の包囲網をくぐり抜け、ようやくシッタン河にたどり着いた兵士たちは、雨季で増水した濁流に飛び込み懸命に渡るが、連合軍やゲリラに狙撃され、また、シッタン河の濁流に飲み込まれ、作戦に参加した3万4千人の兵士のうち、味方に合流できたのは1万5千人であった。そして8月、生き残った兵士たちは、シッタン河のほとりで終戦を知った。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1916年
徳島県那賀郡富岡町に生まれる。
1937年
現役兵として徳島歩兵第43 連隊に入隊。
1940年
満期除隊。
1941年
召集により徳島歩兵第143 連隊に入隊。
1942年
ビルマ戦線参加。
1945年
ラオスのタケックーで終戦を迎える。
1946年
復員

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ビルマ (シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)

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