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タイトル 「無数の砲弾・中国軍の猛攻」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] 中国雲南 玉砕・来なかった援軍 ~福岡県・陸軍第56師団~
氏名 江副 高明さん(第56師団 戦地 中華民国(雲南省拉孟)  収録年月日 2008年10月30日

チャプター

[1] チャプター1 工兵として赴いた中国・雲南  06:26
[2] チャプター2 平穏だった昭和18年  05:13
[3] チャプター3 中国軍の反攻  04:50
[4] チャプター4 雨とマラリア  05:51
[5] チャプター5 孤立した陣地  05:55
[6] チャプター6 工兵から歩兵に  05:04
[7] チャプター7 空中補給  01:40
[8] チャプター8 拉孟の陥落  01:18
[9] チャプター9 自決も覚悟した中国軍の攻撃  03:58
[10] チャプター10 戦闘終結  03:45

提供写真

再生テキスト

17年に兵隊さんに入って、そして18年の4月に見習い士官で本隊追及。56師団、56連隊、工兵56連隊に追及ということで行きました。ええ。だから、そのころはね、男は、男性はもう、あれ、兵隊になる、あれ、兵隊になって、あ、あとは戦争に行くという、何かそういうような流れはね、べつにどうっと、当たり前だというような考え方を持っとったわけですよね。何もその、おー、これは大ごとだということじゃなくて、男性であれば、そういうふうに当たり前だ、国のためには、は、やむを得んじゃないかっていうような考え方を持っとったわけですね。だから、悲そう感とか何とかちゅうのはないです。はい。それはなかったです。

Q:工兵隊の役割というのはどういうお仕事を?

役割はね、結局はあの、部隊の、あのう、何ちゅうんですか。輜重(しちょう)隊なら輜重隊の通りやすいように、野砲隊やったら野砲が通りやすいようにすると。いわゆる道路構築だとか、それから陣地構築ね。歩兵の陣地構築をやるとか。それから、あのう、河川をね、あのう、わたしたちは師団工兵ですから、大きな橋をつくるっちゅうことはそれできませんし、応急処置としての橋、人馬が通れるぐらいな橋をつくった。陣地構築を、応急的な陣地構築という、そういうような、道路にしたってそうですけどね。そういうふうな任務があったわけですよ。

Q:どちらから出られましたですか。

あのう、広島のね、牛田から出ました。そのときはね、見習い士官はほとんど、まあ、兵科がいろいろ、歩兵、それから輜重、野砲、そういうふうな人がみんな一緒になって行きましたよ。それでビルマ方面はビルマ方面で、と、船一隻で、えー、途中、あの、駆逐艦が1隻ね、護衛を、あのう、高雄まで、台湾の高雄まで護衛してくれて、あとは単独でこう、シンガポールまで行きましたね。

松戸の工兵隊を卒業して、「お前はどこ、お前はどこ、お前は」。で、工兵56連隊っていうことで言われたんですよね。「所属は、お前のところは工兵56連隊だ」と。それどこやったのかったら、なんの、ビルマのいちばん上のほうにあったからね。大体工兵56連隊は、久留米の、編成ですわね。56師団が久留米編成です。だからそこではあの、あの、そういう久留米の編成に行くんじゃないかっちゅうようなことはうすうすわかっておりました。はっきりは56連隊、学校卒業する前にね、言われまして。

大隊芒市が司令部で、連隊本部はそのもうちょっと先のあの、龍陵が連隊本部やったですよ。ああ。そこに、で、初めて連隊復帰っちゅうか、命令で連隊、56連隊、工兵56連隊についたわけですよね。で、そこへ着いてからしばらくは連隊長のとか、ほかの人の教育があるんですよ。初めてのとこですから、わからんけ。それが終わったら、各中隊に配属です。「お前は1中隊、お前は2中隊、お前は3中隊」っちゅう。そういうふうにして配属になったですね。

その、我々が着いたとき1回だけ、あのう、内地から補充兵が来ました。だからそのころは、あー、何ちゅうですか、まあまあ、あー、戦力としてはあったと思いますよね。ええ。

Q:その江副さんが着かれたころの雲南戦線は、どのようなこう、全体的に様子でしたですか。

向こうと対じをしただけで、川を間に挟んでね。怒江の、で、対じしただけであって、べつにそのう、わたしたちが行ってからは、その怒江の線までいっぺん侵攻した、したら、そこで対じをして、それ以後は、結局わたしたちは、道路補修、橋、橋をその戦車ぐらい通れるような橋に改造したり、そういうようなことですね。それから、あのう、騰越、干崖っていうところがありまして、そこの間の道路構築を、あの、連隊全部でやると。そういうようなことを、いわゆる物送、物資輸送に、えー、道路がまず第一ですから。橋が第一ですから。そういうことをやっておりました。はい。
まあ大体工兵隊はね、陣地構築というよりは、さっき話したような、あのう、後方補給のための前線補給のための道路構築、これが主であってですね、で、陣地構築っちゅうのはあんまり考えてなかった。陣地構築ってのは、後、ちょっと戦線が険しくなったなっちゅうところで陣地構築をした、しましたけれど、それまではあまり、敵と対じしたときは平和ですよ。いうならば、平和やったんですよ。ああ。だから、そういふうに道路をつくりながら体力を温存してね、要はやっとったんですよね。

平静ですね。はい。18年のいっぱい、18年いっぱいぐらいは大体、案外平静だったですよ。

平静であって、まあ体力温存でしたね。ええ。で、ほら、あのう、歩兵とか何とかは、守備、いわゆる、するだけで、べつにどうってないけど、工兵隊はそういう間は、いわゆる道路構築を、特に補給路ですね。をつくらにゃいかんわけですから。ええ。休む暇ないんです。ええ。しかし、歩兵隊なんてものは、野砲隊なんかのも、大砲をつけて、向こうに照準して待機しとるわけですからね、いいんですけど、我々はもうしょっちゅう動いて、そういうふうに橋の補修をしたり何かしなきゃと、いかんやったですね。

ひとつのあのう、何ていうですか、市がた、市、立つんですよね。露店っていうですかね。そういうところに行って、まあ自分のお菓子だとか、何か果物とか、あー、買って食べるというようなことであって、えー、内地で言う、酒保っちいいますか、売店ちゅうのはない。ね。それ、その程度であって、まあそれが1つの、あのう、平和のときの楽しみでしょうね。はい。

まあ、表向きはいいんですけれども、敵の中に日本軍が入っておるんですから、常に情報を、はね、敵さんはとりに来るわけです。で、それは何かっていったら、子ども、年寄りですね。だから我々が、まあ、例えば龍陵なら龍陵に着くでしょう。そうすると、まあ、あー、子どもらがよう、あのう、売りに来るんですよ。あのう、果物とか。そしていろいろ話をして、「大人どこから来たか」とか、ね、えー、何かいろいろ聞くわけです。そうしたら、ああ、どっから来たっていうことわかれば、あ、まともなこと言ったらいかんから、「ああ、東京じゃ、東京じゃ」ぐらいに言うですけど、兵隊さんは、「いや、おれは九州じゃ」とか言うですから、この部隊はどこどこの編成のあれだって。工兵隊っていうこと知ってますからね。ああ。そういうで、子ども、子どもが非常に情報をとりに来るんですよ。もう。売り、あの、果物をこうちょっとかごになんか入れたり。それから、じいさん、ばあさんですね。い、担い棒で野菜を売りに来たりなんかして、えー、いろいろ話をする。で、例えばね、ひとつの作戦があるときには、大隊長会議っていうのが司令部に、師団司令部であるんです。そんときは全部、各連隊長、おー、集合してるわけですから。そんな情報をね、聞きに来るわけですよ。「きょうは大人おるか」とか何とか。ねえ。そういうとは、我々は「おろう」ていうことだけでことで、もういい加減に言うやってんが、兵隊さんは、「いや、芒市行ったぞ」とか、何かそういうことを言うわけです。そうだが、向こうはちゃんと情報知ってますからね、念のために聞きよるんです。「ああ、そうなんだ」と。そうすると、飛行機が前線に飛んできて、芒市に飛んできて、爆弾落とす。情報がね、はよ入っておるから。そういうようなことで、敵の中に我々がおるから、常に情報、おー、言うならばスパイと思わにゃいかんですよね。表向きは非常にいいですよ。「ああ、大人、大人」て言うて。けど、やっぱりそういうのが多いんです。全部。うーと、スパイと思うとっても間違いないです。はい。

まず、やっぱり、あのう、甘いもの、何ぼでも売ってますからね。それで、軍票でしょう。軍票。それから、ほんとは「軍票いらん」って言うんですよ。「銀貨をくれ」って言うけども、持たんから、まあ軍票でこうやるんですけれども、うー、そういうことで、あの、何ちゅうんですかね、えー、食べ物、食べ物やっぱり多いですね。ええ。いろいろあります、もう。

現地のだったらもう、もちとか、あん、まんじゅう、うー、それから、何ですかね、せんべいみたいなのね。あんな甘いものあるし、それから、ちゃんちゅうした、あのう、お酒もあるしね。ちゃん、酒なんかもう大体買うてきて、自分でまた兵舎で飲みますもんね。ああ。だって売ってますよ。

いやあ、日本軍の動きちゅうはもう、あの、やっぱり敵が怒江を渡ってきて、やっぱり歩兵と合戦や、やるわけですけれども、やっぱり何はさておき、その、向こうは物がある。それでもう、どんどん、やっぱり日本にはほら、補充っちゅうのが全然ないでしょう。大砲の弾の補充っちゅうのも、ある程度はあるけれども、そう潤沢にはないわけですよね。そういうことで、やっぱり押されるですね。ああ、やむを得んですよ、それは。うん。第一線のところはやっぱりそういうことでちょっと無理ですね。だんだんだんだんそういうふうになって、向こう、我々はいわゆる、えー、怒江を挟んで、高黎貢(こうれいこう)と向こうの山と対じしとったけど、向こうが怒江を渡河して、そして、えー、来るんですけども、そこんたいがやっぱり向こうはなかなか、飛行機は飛行機で来るでしょう。だからもう昼ドンドンドンドン飛行機でやる。次は野砲が撃ってくる。次、その間に敵はどんどんどんどんはい上がってくる。そしたら、迫、迫撃砲、あの、それから今度は手りゅう弾が来る。そして突っ込んできますもんね。向こうのあのう、その戦法ちゅうのは大体そういうことですよ。だからもう、日本はほら、野砲を撃ったっていったって、それは向こうのごとどんどん撃てんしですね。砲兵は。それから、あー、迫撃砲っていったって、弾がそれはあるわけじゃないし、まあ、ある程度じっと待っとかにゃしょうないですもんね。そういうことでやっぱり、えー、何ていいますかね、うーん、押されがちですよね、じわじわじわじわ。それ。んで、あの、高黎貢の山を下ってきて、わたしはあの、騰越におりましたが、あー、歩兵の、歩兵砲っていうですか、あの歩兵の知っとる人が「おい、おい、よう来たね」って言ったら、「うん。もう高黎貢でやられた」っち言うんですよ。「敵のは、もう高黎貢で日本の連隊砲に突っ込んでくるわい」っち。「ああ、とてもとても。いままでの、あー、中国軍と違う」って言いよんですね。それだけやっぱり向こうはそのう、精神的にも成長したんじゃないでしょうか。ああ。

結局その、日本は撃たれっぱなしでしょう。飛行機は来るしね。だから、それに対するなすすべがなかった。だからもう撃たれっぱなし、それで敵の歩兵部隊がだんだんだんだん接近してくるということになれば、え、こんちきしょうと思うとっても、うー、やっぱり向こうが強いですもんね。どうと。もう日本はほら、百発百中と言いよったけれど何のことはない、向こうはもうその辺にドンドンドンドン大砲で撃てばいいんですよ。そしたら頭上げられんですもん。ええ。それでその間にこう、歩兵がずっと来て、そして迫撃砲やってから手りゅう弾やるっていうことで、突っ込んでくるわけですから、そこんたいでね、やっぱり精神的にだいぶん日本のほうが負けたでしょうね。撃たれっぱなしですから。どうもならんて。向こうはあんたもう、ドンドンドンドン、そういうふうに撃って撃って撃ちまくるんだから。楽でしょう。うん。

そう。撃ち返しようない。撃ち返す余力があったかどうか知りませんけどね、うー、撃っても今度すぐ飛行機が来るから。野砲の陣地に。すぐわかるから。そしたらそこにまた爆弾とか、急降下でこうやるでしょ。だからもう、何しても日本が撃たれっぱなしね。そういうことをすると、結局精神的にも弱るでしょう。撃たれっぱなしで、じいっと待っとかにゃいかんからね。精神的にだいぶこたえましたね。

あそこは半年が雨で半年が乾季。乾季ちったらもう全然雨降らんですよね。で、工兵隊は、いわゆる補給路、道路の確保ちゅうのがひとつの、ああいうところではあるんですが、雨季はもう、それは毎日毎日、こっちのあの梅雨どきのあれとは違ってね、えー、毎日降るんですよ。だから、毎日降るから、道路、あの、確保して、ト、トラックなんか通してやらんこたい、補給路がつかんわけですが、もうそれが大変です。泥、トラックが泥の中に埋まると、引き上げてやらにゃいかんし、それで道路のヘドロをね、流してやらにゃ。それはもう大変です。だからもう靴なんか、あの兵隊のあの、あの靴もびしょぬれで、水虫はできるしね、それから、あのう、マラリアは出るしって。そういう中でやっぱり、あの雨っちゅうやつは大変やったです。それで、橋なんかも崩れると、それ、それに代わるものをつくらにゃいかん。そうするとやっぱり水の中に行って仕事しにゃいかんですね。材料は山から切ってくると。そんなことでもう大変でした。もう。何しろあの雨季を、行きの輸送道路、補給路を確保ちゅうことは、大変でした。それで乾季になればね、雨が全然降らんからそれはいいんです。ええ。べつにその、道路はもうからからに乾くし、もうどこでもかんでも行けるから。ただ、あー、橋なんかが壊れると補修するとか何とか、そういう程度ですよね。

Q:しかも夜間作業が多くなるんですか。

はい。あのう、敵の攻勢が激しくなると、夜間しかできないですよね。しかしまあ、あのう、天気のいいとき、雨が、雨が降るときは敵さんはこんから、雨が振ったらもう飛行機全然来んから、昼やるわけですよ。ところが、乾季はね、そうはいかんですもんな。飛行機が来てやるから。で、それが困ったですね。

Q:そのう、まあ雨季には病気も増えると。江副さん、何か病気になられました?

マラリア、アメーバ赤痢、にもなりました。水虫はもちろんです。もうアメーバ赤痢とか、あのう、マラリアっていうの、これはだれでもするです。みんな。かからないやつはおらんです。みんな。うん。マラリアはマラリア蚊でやるでしょ。アメーバ赤痢は食べ物ですからね、これはもうだれにでもやった。

あのう、マラリアにかかればね、うーん、熱がまず第一。その熱が出るのが、あー、時間が決まっとるですよ。午前中で、それと午後2時ごろから出る人とおって、それ、熱が出たらば寒くて、30何度、40度ちゅうのって。毛布かぶって寝にゃいかんです。そして、えー、3時間ぐらいして、じっとしときゃ、今度は熱が引いて、いいわけですけれども、あのう、食事をとらんとね、体力がもたんです。だからもう飯を食えとか、何かしよるですけどね、なかなかほら、補給がうまくいかんからね、いかんけれども、それはもう、熱が出たときはもうほんなこときつかです。そして、まあ熱がさめればね、3時間か4時間すればさめますが、そしたらまあ、食事でも行きますけれども、そうでなかときは全然行けない。アメーバ赤痢はね、これはもう下痢。どんどんどんどん、もうやりっぱなし。そしてもう、いま下痢したかと思ったら、また行く。もう、まあはなはだしいこと言えば、トイレのそばに寝とってね、行くと。トイレとこ往復するぐらいになるんですよ。で、ああいうのはその、薬がないですもんね。もうそのころは。もう軍医さんに言うても、薬はなかけん、消し炭、消し炭をこうやって、それでそれを飲んでっていうような、ほんとに、原始的なことをしちょった。だから、あの、おー、泰面国境を越えた、あれがいちばんきつかったですもんね。道がないし、象が行ったあと、ずっと行って、山あり谷あり。で、チェンマイちゅうの、タイの北部のところに集結したんですけれども、そこに来るとやっぱり疲労でね、えー、もちろんマラリア、それからデング熱、それからアメーバ赤痢というの出ますけれども、うーん、黒水病ちゅうのがありましてね、黒いおしっこをする。それは、いまこうして話してるでしょう。そうすると、夕方あたりなると、ひょっとこう来る。白い、んだ、黒いおしっこです。そういう人は多かったですよ。で、そういう人っちも亡くなったり何かして。結局はわからんですからね。原因が何か。

そのときはわたしは騰越におりましたよ。へえで、えー、内容、詳しいこと知りませんけれども、龍陵が包囲されたということを聞きました。へえで、それで、えー、「助けに行こう」って言うけど、騰越には騰越でやっぱり守っとかにゃいかんからですね、あのう、指令、芒市のほうから救援に来て、まあそのときまではまだ救援する部隊がおりましたが、で、龍陵を解放して、それでそうすると同時に、わたしたち工兵隊は龍陵に来たんですよ。でから、途中だいぶ、あの、中国兵の死骸とか何とかありましたけど、拉孟もね、わたしは堅固な陣地やから、とは思ったけれど、やっぱりさっき話したように、撃たれっぱなしでしょう。それと同時に、そのう、(中国軍が)包囲するからね、もう拉孟との連絡ちゅうやつは全然できないでしょう。ああ。だから、あのう、キノシタ中尉こられました、連絡来られましたけど、あんときはわたしは龍陵の守備についとったんです。もう工兵隊ね、もう兵隊、あー、いや、橋とか道路なんか、そういう仕事は全然できんでしょう。何もないから。あのう、陣地についとりました。それで、キノシタ中尉ともう1人かだれか、来さったけんど、の連絡に来られたけんど、龍陵にしろ、騰越にしろ、もう結局撃たれっぱなしですからね。あれがもうこたえるでしょう。ああ。守備しといて。守備隊のときも、ドンドンドンドン撃ち返しができればいいですけどね、それがないもんだから、わたしは、あー、拉孟も大変やったろうと思うんですよね。ええ。

龍陵が大体、あの、連隊本部、工兵隊なら連隊本部で。で、龍陵の支部隊長は工兵の連隊長やったんですよ。で、まあそういう意味で、我々は仕事が配属なんて終わったら必ず龍陵に帰りよったわけです。で、敵がやっぱり拉孟とか騰越、どんどんどん攻めるでしょ。で、そのころは、これは龍陵も危ないと。で、これ陣地をつ、「陣地構築をしなさい」って言うて陣地構築をあれして、いろいろ、おー、あっちこっち、えー、橋も壊してるしね。敵がこれないようにした。つくった橋を壊したりなんかして、えー、おったんですけれども、龍陵、いや、龍陵やないか、騰越、拉孟が玉砕したら、その勢いで今度は龍陵に来るでしょ。拉孟、騰越がもう玉砕したから、一遍にでーっともう、龍陵に来るしね。まあそういうことで、わたしたちは陣地を構築したら、もうね、兵隊さんがおらんですよ。歩兵っちゅうたってね、決められておる、こ、小松山陣地の。だから「お前たちそこで守れ」っていうことで、もうそれは自分でつくった陣地を守るについてこう、6山っていう陣地やったです。
 
でまあ、それはよかったばってんが、敵はどんどんどんどん攻めてくるし、龍陵の、おー、守備は小松山陣地のいちばん激戦だったけど、ここは歩兵の残留部隊、148の残留部隊がおって、へえから、1山、2山、3山、4山、6山ということで、こっちのほうはもう工兵隊、わたしたちが守ったのは6山っちゅう陣地ですね。だから、龍陵をこうぐるっとこう守って、えー、おったわけなんですけれども、わたしたちがつくった陣地はそれは自分で守るちゅうたって、その材料そのものがね、えー、木を1本、板を1枚はくにしても、山の上まで持ってこにゃいかんでしょ。それは大変やったですよ。だからそんなに頑丈にはできないしですね、まあまあ急造の陣地です。けれども、やっぱり第3中隊はその陣地を守ったわけですけん。それと無線が1個分隊ついてですね、えー、本部との連絡、そのときついとったわけです。敵がやっぱり拉孟、騰越の玉砕の勢いで、えー、龍陵にどんどんどんどん押し寄せてくるわけですよね。だからその龍陵に来る敵の戦力ちゅうのは、それは大変、大したもんですよ。それで、拉孟と騰越と、ちょうど三差路でしょ。あそこはね。だからもう、向こうはもう勝ち戦に、乗じて、やりっぱなし撃つ、飛行機は来るというということでですね、えー、大変やったです。はい。我々は手りゅう弾1丁もなかなかないしですね、ええ、困ったですけど。

それで、それまではいいんですけど、やっぱり敵はなかなか、あー、ゲリラ的な行動に出てね、芒市と龍陵は1本道ですから、そこの遮断に出たんですよ。そして、えー、迫撃砲を持った、恐らく1個分隊かどうか知りませんけど、戦力は大したことなかった。その部隊が、龍陵と芒市との間に白鷺(しらさぎ)部落ちゅうのがあるんです。白鷺がいっぱいとまる。そこの近所に橋があるんです。それを壊したわけですよ。ね。それを壊されたからもう、全然トラックなんか通れんし、それでわたしは芒…、ああ、龍陵、ああ、じゃない、騰越から帰ったらすぐ今度はそこの補修に行けっちゅう。行くは、けれども、なんかそれ、あの、敵はね、迫撃砲を持ってそこを撃ってくるわけですよ。だから、それに制圧をする、やっぱり歩兵2個分隊からつけてもらって、そして夜、昼はね、もうとても行けないし、夜、夕方から行って、で、白鷺部落に行って、それからその、その辺の材料を集めて、そして橋をつくったけど、敵が撃ってくるんですよ。夜でも大体目標わかりますからね。そうすると、あんま撃ってくる、こっちがカタカタカタカタ音すると、撃ってくるわけです。そんときはやめにゃしょうないですね。あい、それで、それと、やんだと思ったらまたへだて、あのう、橋をつくるわけです。そして、迫撃砲、迫撃砲がね、わたしたちのそばに落ちたんですよ。そしたらわたしと一緒におった、あの、兵隊さんが、わたしに当たらんでその人に当たってね、あのう、お尻のところに破片が入って。これは大変だっていうことで、芒市に、あのう、野戦病院がありますから、そこに送ってやって、で、その人亡くなったんですよ。どういう、わかりませんもんね。夜やから、どんな、どの程度の、おー、負傷か。野戦病院連れてって。で、その、その間にまあ結局、その橋を補修して、明方になってやっと、おー、通れる程度に直しました。けれども、いわゆる敵前です。敵が撃ってくる、撃ってくる敵がやめて、そして、おとなしくなったときに出ていってまた、あの、補修するということで、夜明け前ですね、やっとそこを通れるようになりました。で、あとはずっと、あのう、輜重(しちょう)隊の車が待っとるんですよ。

今度は陣地構築行って、それで陣地構築したら、もう守る兵隊さんがおらんから、「お前ところでやれ」と。それで工兵隊がやった。だから、あー、もちろんスコップとツルハシだけですよね。塹壕(ざんごう)こう掘って、それから中隊長のところは、まあ鉄板をそこんとこから持ってきて、板を持ってきて、それで丸太でこう組んで、土を入れてということで、まあ頑丈につくってるけれども、でそのなかなかその、あー、思ったようにその頑丈にはできないけど、もうしょうがないですよ、そこんたいあるやつでやらにゃいかんからですね。ただその、もう守る兵隊さんがおらんから、「工兵隊が自分で陣地つくったらそこ守りなさい」と。「守れ」ということですから、もうそのときはね、「おれらはおれたちが守らにゃいかんかい」と。ね。歩兵の仕事をせにゃいかんかちゅうようなことで、びっくりしたんですけど、まあしょうないですよね。ここを守る人がおらんから。もう結局はそれだけ、うーん、あの、あのころは8月、7月から8月ぐらいですけど、半年ぐらいの間に、えらいその、消耗、いわゆる軍の消耗率が大きかったんでしょうね。守る兵隊がおらんぐらいですから。結局拉孟統一で戦力を全部つぎ込んでしもうたからですね。その点が、その、非常に、えー、あんな なんかしらん、わたしたちはね、拉孟にしろ騰越にしろ、玉砕すると思わなかったですよ。必ずこっちから救援に行って、帰ってくるというふうに思うとったですけどね、うん、とうとう玉砕してしまったですから。それだけ、戦力がなかったですとね。ええ。

龍陵には、1回と思うんですが、2回ぐらい来たかな。何しろ1回。1機ですよ、それが。1機来た。ああ。で、そんときはうれしかったですよ。ああ、あの、手りゅう弾を下ろしてくれたしね。ええ。で、小松山陣地のいちばん激戦のところで、そこに向かってデデデデッと飛行機から撃ってくれてね。ああ、よかったです。ええ。ばってん飛行機もないからね。手りゅう弾を落とすのも、それは量的にはね、知れてるんですけど、まあ来んとよりかましですよ。

あれはうれしかったです。が、飛行機は、まあ、何か知らんけどね、何回でも来てくれりゃほんによかったばってん、それはこ、来んやったもんね。で、そのあとからすぐ敵の飛行機が来ました。何ちゅうこっちゃちゅうことやった。ああ。

それは気強いですよ。はい。「あれ、これやってくれる、これはやっぱ見捨てんでやってくれるばい」という、いうことでね、それはよかったですよ。

やっぱり我々のことを考えてもらってね、やっぱり応援に来てくれたということで、そりゃうれしかったです。

拉孟が玉砕したときにはどんな気持ちか、もう、何ていいますかね、あー、いずれ今度は、わたしはそのとき龍陵の陣地におりましたけども、いずれまた龍陵もそういうふうになるんじゃないかというような気持ちはありましたね。もうそれは拉孟、騰越もそうやったですけど、あれだけの部隊が玉砕するということは、それは大変なことですよね。部隊そのものが。だから、龍陵も、あすは我が身じゃないかなというような気持ちはあったですね。うん。しかしもう我々としてはどうすることもできんでしょうね。手の、我々としては手、手のほどこしよう、いまの陣地を守る以外にないわけですから。

情けなかった。まず第1はね、反撃する物資がなかった。情けない。大砲の弾なし、手、手りゅう弾なし。食べ物はもちろんないですよ。食べ物ないのはまあまあとして、そういう反撃する力がない。それがまあやっぱり情けなかったですね。情けないっていうふうに。物資が、そういうのがあればね、何もそのう、敵に撃たれっぱなしのあれはないですよ。頑張るだけ力あるんで。そういうのがないから情けなかったですね。ええ。

わたしも拳銃持っとった。拳銃は一発だけ入れるんですよ。あと自決するための拳銃、1発だけ。それは、それまで撃って撃って撃ちまくったけど。

うん、最後の1発はもう必ずとってました。ああ。もう自決する。もうわたしも口にくわえて自決寸前やったです。しかし、もうちょっと待ってやらにゃいかんていうことで、やめたんですけどね。それはもう。撃たれっぱなしのやりっぱなしされたら、ほんとにもう。精神的に参るですよ。ええ。朝8時ごろ、天気がよければ8時か、ごろ、敵の、あの、観測機が回るんですよ。うちの陣地を。ね。そして、白煙弾撃つ。バーンと。それでそれが近いかどうか、目的地に来ればオーケーですよね。それをいちいち、あのう、観測機が連絡するわけ。で、それでよければ、もう後はドンドンドンドンドンドン撃ちよる。で、観測機というのは、そういう無線ももちろん来ますけど、あの、眼鏡、もうあの電話線の黄色い電話線、ああいうやつが見えるぐらいに、えー、あのう、観測ができるんですよ。非常に優秀です。初めはわたしたちもわからなかったけど、その足出したね、パラパラパラっていうような飛行機やったけど、なになに、相当優秀なあれを持っとるわけ。やから、それがもう毎日朝になったら、陣地の上を舞って、白煙弾をして野砲が、と連絡って。で、白煙弾が思うところに行けば、あとはもうオーケー、ダンダンダンダンダンダンダン、撃って撃って撃ちまくる。それで、まあそういうやつが何日か続くとね、全然撃たへん日があるんですよ。何じゃろかなと思ったら、敵やたもう撃った弾をもう、全部撃ってしもうた。もう。だから今度は敵はあのう、輸送機が来て、赤、黄、黒、白、いろいろ、あのう、落とす品物によって、あのう、パラシュートの色が違うわけ。それをやっぱりやるです。1日か2日。食糧その他ね。それで、それをある程度整備したら、また前と前と同じように撃って撃って撃ちまくる。

あー、もう、間違うてあの弾、あの、あれをこの陣地に落としてくれんかと思うたけど、そういうことはないしね。もう敵のその補給路、補給の関係じっと見とる以外にないです。で、我々はいつか来るんじゃない、いつか来るんじゃないっていう。

あのう、終戦は知りませんでした。というのはね、向こうのあの飛行機が盛んにビラをまくわけです。それで、「日本は負けたぞ」とか、天皇陛下の写真なんかして「日本負けた」と。いうような言うけども、我々はそれを信用しない。負けるちゅうことは考えていなかったわけですよ。ね。あれだけ撃たれて、ずっと後方へ下がりましたけん、ケマビユの付近におったですね。で、しかし、敵は飛行機は来るんですけど、昔みたいにこう急降下でこうやらん。「ああ、おかしいな、飛行機が撃たんばい」っち言いながらも、あー、黙って見とったけれども、あー、そのうちだんだんだんだん「戦争がやまったばい」ちゅうような話。戦争がやまったっていうけど、か、勝ってやまったとわたしたちは思った。ね。あれだけ押されて、後退してきたけども、負けるちゅうことを考えていなかった。だから、「ああ、それなら、戦争が勝ってやめたばいね」。それがだんだんだんだん、その「戦争負けたばい」て言うた。で、やめたばいちゅうことになって、だから正式に終戦になったっちゅう話は知らん。人のうわさでこう来たわけですよ。そしたら、負けたちゅうことになればね、やっぱ兵隊さんは動揺する。というのは、沖縄が占領されたでしょ。そういうこともあって、うーん、日本に帰れるんじゃろうかと。いうのが1つですね。

本音を言えば、やっぱり、なんかほっとした気持ちはありましたよね。うん。ほっとする。しかしそれはあんまり言えんしね。そんなことは言えんし。まあ自分の本音としては、なんかほっとしたなという。いわゆる命を失わんでいいと。自分の生命は維持されるんだというような気持ちですね。ただそれだけ。

何だったろうかと思うでしょ。みんな、そうですね、わたしもそうだけど、戦争ちゅう、何だったろうか。しかし、まあ、いい悪いは別にして、わたしの人生では、あー、3年か4年ぐらいの間ですけども、これはもう忘れることのできない出来事ですね。と同時に、戦争とは、すべきものではない。戦争はどんなことあってもやってはいけない。戦争反対です。ああ。そして、やっぱり尊い人命っていうのは、1つしかないから、また買い、あのう、求めるわけはできんし、人間の命というのは非常に大切なもんですから、絶対に命を、命のやり取りをする戦争っていうのは、やってはいけないと。わたしはそう思います。しかし、それはそうですけど、あのう、人生の中での戦争は、いいにつけ悪い…、戦争の兵隊生活ね、それはいいにつけ悪いにつけ、まあまあ、人生の経験にはなりました。はい。いいにつけ悪いにつけ。いい面もあったけど、悪い面もあったです。ええ。だけん戦争だけは絶対にしちゃいけないと。

出来事の背景

【中国雲南 玉砕・来なかった援軍 ~福岡県・陸軍第56師団~】

出来事の背景 写真昭和17年(1942年)3月、日本軍は英領ビルマ占領の勢いに乗じ、ラングーンから中国雲南省・昆明に至る全長2300キロ、連合軍による蒋介石への重要な補給路、ビルマルートの遮断に動き出す。

5月、日本軍は中国雲南省に到達。ここでの戦闘で日本軍は優勢に立ち、敗走する中国軍は自ら橋を爆破。ビルマルートは遮断され、日本軍の使命は達成されたかにみえた。

それから2年間、中国軍との大きな戦闘もなく平穏な日々が続いた。しかし、その間も連合軍は中国軍に空からの支援を継続。反攻の機会をうかがっていた。昭和19年5月、米軍によって最新兵器を与えられたうえに徹底的に鍛え上げられた中国軍がついに反攻に転じた。

6月7日、日本軍の拠点の一つ、龍陵(りゅうりょう)と拉孟(らもう)の間に中国軍が侵入。補給路を断たれた日本軍は孤立。日本の兵力はわずか1300名。対する中国軍の兵力は4万。戦況が深刻化するなか、7月中旬、守備隊に「断作戦」が伝えられた。断作戦とは、連合軍の補給ルートを遮断し、同時に援軍を投入するというもの。しかし、インパール作戦に失敗した直後の日本軍は、
拉孟に援軍を送れる体制になかった。

中国軍に包囲され、食糧も弾薬も尽きた状態で兵士たちはざんごうに身を潜め、援軍を待ち続けた。7月下旬、中国軍による総攻撃が始まり、昭和19年9月7日、持久戦を強いられてきた拉孟の守備隊はついに力尽き、全滅した。

証言者プロフィール

1921年
佐賀県佐賀郡鍋島村に生まれる。
1942年
現役兵として久留米西部第52部隊に入隊。
1943年
第56師団工兵第五六連隊に配属になり、ビルマ戦線へ出発。以後、北部ビルマから中国雲南省の拉孟、騰越、龍陵を転戦。
1945年
ビルマ、ケマピユでサルウィン河の渡河作戦中に終戦を迎える。
1946年
復員(神奈川・浦賀)。

関連する地図

中華民国(雲南省拉孟)

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