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タイトル 「自決を拒否して脱出」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] 中国雲南 玉砕・来なかった援軍 ~福岡県・陸軍第56師団~
氏名 早見 正則さん(第56師団 戦地 中華民国(雲南省拉孟)  収録年月日 2008年10月28日

チャプター

[1] チャプター1 ビルマ戦線へ  02:00
[2] チャプター2 平穏だったマレー滞在中  01:38
[3] チャプター3 奪われていた制空権  05:26
[4] チャプター4 反攻に転じた中国軍  06:41
[5] チャプター5 霧に閉ざされた戦場  01:27
[6] チャプター6 頼みの綱は空からの補給  03:26
[7] チャプター7 砲弾も素手で投げた  02:45
[8] チャプター8 自決命令  05:36
[9] チャプター9 生還  02:08

再生テキスト

メコン川をずうっと4時間半、上りますわねえ、普通に。そして、その時に初めて「ああ、南方に来たなあ」っちゅう感じがしましたねえ。
ほして、ずうっと上って、それからサイゴンに着いてですね、ほいで、わたしたち20人ばっかりがですね、あとの船倉の中の掃除に残ったんですよ。ほかの人は全部上陸して、先へ行きましたから。その時、わたしは掃除要員で入って。そしたらもうフンドシやら何やらかんやら、もう山ほど出てきて、それを全部捨てる。そうしたところですね、向こうの仏印の人間が丸木船でですね、日本はこうこぐけど、向こうはこうこいで、それをひらうんやもん。ひらいやよるですよ、そういうわけでですね、本当にやっぱ貧しいんですね。

(日本兵が)帽子をですね、落として、ずうっと岸辺に近づいた、それボートで、ですね、迎えへ行きましたよ。そして上がってきたら、また、ああ、かわいそうなことをしたか言うんでね。たった帽子、ひとつぐらいでね、あれしたから、「貴様、弾の下がくぐれるか!」言うて、こうやられるんですよね。かわいそうでしたよ。その前の晩は、2人、自殺しましたねえ。飛び込み自殺。班長からたたかれてですね、飛び込み自殺しましたよ、バシー海峡で。

それで、そこに正金銀行がありました、正金銀行が。そこで、日本金とマレー金とを換えてね。じゃないと使われませんからね。ほして、ずうっと買い物してですね、ほして、とにかく、ちょうど1か月おったですよ。

兵隊という感じはなかったですねえ。もう、旅行気分でしたね、ほんと。何にも、その、あれはないですしね、ボンボン、弾の音、するじゃなしですね、もう平静なもんでした。

とてもとても、もう大勝利でねえ、とにかく戦争に負けるちゅうことは絶対ないとね、思っとりましたからねえ、みんなもう張り切っとったんでしょ。まあ旅行気分にはなっとったけどですね、あとがですね、えらい目にあったんです。

(ビルマ戦線に)着いたところが、ホームにですね、もう負傷者が担架に乗せてずうっと。ほんでしょうね、それを見たら「はあっ」と思いましたねえ。それから着いたら、やっぱり戦地に来たなあと思うた感じ、しましたね。それまではそうあんまり感じません、感じなかったです。

それで、もうこっちはシンセイ平野で、ものすごくコメを取るところだし、そこに夜になったら、そりゃ連合軍は中国軍部隊への空からの支援を継続し、反攻の機会をうかがっていた。


龍陵から拉孟へ行ったでしょう。それで分かれたでしょう。1大隊、2大隊、3大隊って、それで、わたしたちは騰越が第1大隊で、コンノウ隊に入ったんです。それで、そういうふうな爆竹、敵は攻めてきたのがおるんで、シューッ。

騰越に着いたのは、あっそう、31日ですよ、12月の31日、着いたのはですね。それで、そういう訳で、明くる日が正月でしょう。それで、その晩からもう歩哨に立たされて、わからんでも、「古参歩兵はわかっておる」って言うんで、少年兵なんかわからんで、バンバンバンバーンと鳴るのやけん、「敵襲!」なんて言うて、全部もうみんな慌てて、コウラ山、コウラ山じゃない、あの、ダイホウ山に登ったんですよ。

やっぱり、撃ってきたかと思っとるわけですよ、爆竹で。ババババーンって。


Q:爆竹の音だったんですね?

 それを敵襲と間違うて、「敵襲!」って。それでダーッっとみんなダイホウ山へ登ったんですよ。そういう訳です。

そしたらね、夜になったら飛行機がね、もう低空でですね、ブンブンブンブン回るしね、で、青い電気ピカッピカッピカッピカッとさせて飛行機が。それで、朝起きたら中隊長、こう見よったらですね、ジャングルに落下傘がいっぱいひっかかっておったですよ。それで、それを取りに行ったんですよ。

それで全部、木にぶら下がっているのを、あれで切ってですね、なかなか切れないね、落下傘のひもは。それでそこへ、もうウィスキーやら、何やらかんやら、チョコレートやら、何やらかんやらですね。


Q:いちばん最初にテン緬公路、ビルマ公路ですね、を見たときには、どんな道でしたですか?

 「どうしてこんな山の中に、こんなアスファルトでね、道をこしらえたのかな」って、あれにびっくりしましたね。ビルマずっとですね、アスファルトできれいな道。相当が死んでるらしいものね、テン緬公路を作るのに。
それ、一番最前線にわたしたちおったですね。そしたら怒江っていう川があって、こっちは日本軍、川向こうは中国軍だったんですよ。

それで、拉孟に着いたらすぐ、わたしたちは拉孟に松山陣地、西山、音部山、関山、オガタ山、ドーッと陣地があるんですよねえ。松山陣地に着いたんですよ。それで、タンケイでいっつも鉢巻山って、こう山があるんでしょう。それ、見よると、ずうっと、こうちょうど人間が鉢巻きしたごとにですね、道があるんですよ。鉢巻山って付けて、そこへ偵察なんです。その道路にですね、敵が乗り捨てて、もう逃げていっているんですよ、トラックを置いて。それで、それを部品外しに、下りてくるんですよ、どんどん。それをですね、こうして見て、野砲隊に野砲に連絡するとですよ。
それで野砲はすぐボーンとすぐ砲撃するんで、それが仕事でした。
それで、もうこっちはシンセイ平野でものすごくコメを取るところだし、そこに夜になったらそりゃ、赤信号、赤ツリボシ、白ツリボシ、それが上がる。赤ツリボシは総攻撃ですね。青ツリボシが渡河、渡河なんです。それがそればもいっつもずうっと見えました。


Q:それはツリボシというのは信号弾のことですか?

 信号弾。あれがドーンと、日本のあんなのなかったですよ。バーンと上がってですね、こうごう、3弾ぐらいになるとですね、青ツリボシ、赤ツリボシって、それが至る所に上がる、怒江の川があるでしょう、それに上がる。そこを敵がこう渡りよるんですよ。


Q:青が、青色が何の信号ですか?

 渡河、渡河、赤が総攻撃で。


Q:川を渡っていけと?

 うん、それが信号弾です。ああ、すごい、アメリカの兵器はすごい兵器でしたね。いろいろ、日本の兵器はだめなんだ。こんなに違う。

そのときまではですね、何も撃つようなことはあんまりなかったです。こっちから三方に、今、敵がここへ、ここへ兵隊も来るから、大砲を撃つぐらいですね。それで、繰り返し繰り返して、それでそのときからもう、インパール作戦が始まっとったかしらね。それで、大隊4個師団おったんですね、いちばん華が龍部隊(56師団)でしょう、菊部隊(18師団)でしょう、それと狼(49師団)でしょう、勇兵団(2師団)というの、それが龍部隊だけは、龍部隊と菊部隊一部が残って、ほかは全部インパールさに行ったんですよ。
それで、普通はこのぐらいのこう、ずうっとおったとが、インパールさ、へ行ったらこんな、こういう警戒しとるから間が空いているでしょう。そこを渡河していく。そこから怒江反撃作戦が始まったわけですよ。

もうそれから、もう敵がどんどん、もう夜になると、赤信号、信号弾が上がるでしょう。それから、今度は街全体でしたね。

もう信号弾が、バーッと上がるでしょう。「ああ、渡河するぞ、渡河するぞ」って、それでこうやって、そしたらカランコロン、ゴロン、ワンワンワンいうて、来よるですもんね。それでこっちは機関銃を、機関銃をこう三脚になっとるでしょう。それで普通、撃ってもこう動きますものね、あれ。それを動かんようにして、あれを仕組んで、シャーっとこっちにして撃っても、進路こう動かんようにして、川の真ん中を漂流しておるんですよ。そして、わたしたちは4人、ダーッと。ってね、それで川のふちまで行くんですよ。そして、ワーヤーよかと。もうよかと、横も川面に横よ、それで火、つけるんです。そしたら、ぼうっと燃えるでしょう。それで合図するとですよ。そしたらバーッと下がるんです。そしたら、こっちから機関銃を撃っても倒れんようにしとるけ、バッバッバッバッバー、たあっ、バッバッバッバッバッバッ、アヤマー、アヤマー、アヤマーっていくさ、もうだいぶ、効果がありましたよ。もう、それを毎晩、毎晩交代、交代でですね、やっている。

それで、渡河点攻撃ですね。それで毎晩交代、交代でこうやってたんです。そしたら、ここに4、5軒、家があるでしょう、大きな家が。それで家が、壁が白壁です、ずうっと。それに、日本の悪口が書いてあるんですよ。リーベンクイズ(日本鬼子)、打倒日本。リーべンクイズ(日本鬼子)ということはですね、日本人を鬼のこつ、悪口ですよ、これは。打倒日本、日本を打ち倒せって。至る所に書いてある。部落、部落にそれだけなんです、もう行くごとに。打倒日本、リーペンクイズ(日本鬼子)っていう、悪口です。それでそれが、わたしたちも引き上げてくるでしょう。そしたら、もう敵がその部落に日本軍がおるかと思ってきたども、迫撃砲ば撃つわ、撃つわ。それで赤土でしょう、今、ここはね、ブロックはですね、赤土で作っておるんですものね。あれは効果ない。もうほこりが、ふわあっと、迫撃砲をもっと撃つと、日本軍がそこにおると思ってですね、わたしたちはこっちの山の上におるとですよ。そこにおると思っとってね。「やい、撃て、撃て」って、こっちは笑いましたよ。

日本兵はですね、「中国人はすぐ逃げる」ちゅうって、だけどそうじゃないんですよ、すごいですよ、向こうも総攻撃やってくるんですよ。向こうは今まですね、こっちから攻めてたのを逃げていきよった。やっぱり、教育受けておる。アテンボー、インドのインドで教育受けるんですね、アメリカから。そいで輸送機で、テボ、ホダンとか昆明とかずうっと中国出て、ああ、勇敢でしたよ。


Q:それで早見さん、中国兵は強かったと? 想像しとったよりも?

 そうです。


Q:どんな装備やったですか? 同じ歩兵でも。

 中国の手りゅう弾はですね、こうなって柄が着いておりましたもんね、こうやって。アメリカのだとこう、日本のよりもちょっと、日本のがこれぐらいだったら、アメリカのはこのくらいあった。それを持ってですね。

小銃の弾もですね、こう紐でこう、くくって、こういうなところへずうっと腰の中に巻いてる。日本はここへ、あと、小銃弾や敵はこう巻いてですね、もう全然違いましたね。
ほいでもう、とにかく後ろからアメリカが押してですね、前線はもう、中国兵ばっかりです。もう若いのが12、13から年寄りは60歳ぐらいまで、そりゃあ多いですよ、兵力が。
こっちはみんなあなた、インパールさ、へ行ってしもうたですしねえ、たった一個師団でしょうが。ほいで、関山がいちばん、本道陣地もいちばんあれやったけども、のちはもう関山がですね、いちばん敵が怖がとったですね。

季節は日本と変わりませんよ。春、夏、秋、冬、四季があってですね。だけど、4月のですねえ、半ばから9月いっぱいまでですね、雨季で、雨ばかりです。たまには、お天気のいい時もあるけれども、そして霧がかかってる。字のごとく、雲、「雲南」って書いてるでしょ、雲南省って。もう霧が深いんですよ。で、わたしたちもえとうかと陣地におるでしょ、で、敵が来るでしょ。日本はどこはおろう、わからずに来ると、ちょうど幽霊のごとく、雲の中からフワーっと出てくるわけで、それでポンポン、ポンポン殺されるわけです。ええとこもあったですね、あの霧の深いのはですね。あれがやっぱりお天気ばっかりやったら、やっぱり日本の、恐らく、一人もおらんやったんじゃなかろうと思うんですね。雲がかからんやったら、雲のかかったばっかりにね、わからんでしょうが。

3か月半、包囲されましたもんね。それで、お天気がよかったらですね、1か月半も(生きて)おれんです、天気が多かったからですね。

そのときに、ちょっとこういうことがあったんですよ。第1回目ですよ。そのときはね、やっぱりお天気の、雨が降ってもね、ええときがあるわけですよ。それ見計らって来るわけですよねえ。
だけど、やっぱりある程度雲が張っておるんですよ。それで、連隊本部の下にちょっと野原がありましたね、広いところ。そこに白い布を張って、物を落とす目標にして、それで第1回目がね、何時ごろやったか、2時ぐらいでしたかねえ。向こうの西のほうから来ました。あのときは3機やったや。大概3機やったごたね。急に来ましたよ。

それで、ずうっと来てね、それで案外お天気がよかったから、低空で来たんですな。まあ、そのときのみんな喜んだことですね。みんなですね、腹巻に、ゲタ、タオル振ったり何やらで、こういったああいうふうにしていくさ。そして、狙撃です、敵から。だいぶ、死んだんですよ。うれしかって、わーって壕から体が乗り出しているのがいて、敵はこう構えておるものやけんですね、おるんですよ、もう50メートルから、30から50メートルにいっぱいおるんですから。それにずっと来たでしょう。うれしまぎれに、こう壕からの。わたしも手振ったりなど、するんだけど、撃ちにくる、狙撃。死んだんですよ。
ああ、それはもう、すごかったですね。もうそして、もう第2回目、もうそのときは涙ぼろぼろでしたね。うれしかった。なんで、ですね。それで幸いですね、案外ね、1回目はまあまあ、落下傘が開いたですね。それで2回、3回はですね、落下傘が開かんのですよ、雨で。アメリカの飛行機は大きな輸送機でしょう。それで窓開けてくる、胴体の中から出してね、ぱっというと、こう、どんどんどん敵のは落ちる。日本のはですね、胴体とか翼に飛行機の予備タンクを中にね、手りゅう弾とか小銃の弾とか入れて、ぼろ布でこうして挟んで、ぼろ布でこうね、こうして振動のこうならんように。それが、あんた、雨が降るでしょう、それでぬれるでしょう、布でしょう。落下傘が開かんとですよ。シェーっとしてくるとね。それでもう1メートルばかり、こん包は。それで、それは昼行かれんとですよ。夜行くんですよ。昼は撃ってくるから。

とにかくもう、その弾も、もう輸送ができんでしょう。来てもそういうようなもう大きいものを落とさない。小さい小銃とか弾とかあげん箱落として、だからですねえ、弾はあっても砲がないという。
もうそいうふうでですね、弾はあった、案外あったです。山砲の砲弾がだいぶありましたね、弾薬庫に。

手りゅう弾の代わりに、大隊砲の弾がたくさんあったからですね、それをおれね、投げるわけにいかんでしょうが。竹をね、4つ割りに割って、こういうように竹を4つに割って、弾を挟んで針金でしっかり縛って、そして1間ごとぐらいずっと置いたんですよ。それで安全栓をね、全部抜けてこう、そして、こっからこうって、敵がわあっと攻めてきたとき、こっちからこうなことで、柄(つか)が付いて、こうでバーンって放す。普通に投げたら、こう行って破裂せんものでね。柄が付いているからこう行って、こう落ちる。それでも、だいぶ効果ありましたよ。それで、だいぶ、効果ありました。


Q:大砲で撃つんではなくて?

 うん。手で。

もう、こう作ってですね、下の谷間に石ころ、いっぱい石ころがあったですよ。そればずっと2人で担いで、壕がこうあるでしょう。壕の縁にずうっと石ば置いて、千早城(楠木正成の城)ですね。敵が来たら、そういう石ば、転がるんですよ。そういうふうにしてやったんですよ。


Q:そういう、その包囲されておったときに師団司令部は、救援部隊を送らなかったんですか?

 全然。返事ないですよ、救援隊。全然なかったですよ。だからもう、全員、草ばっかり食っとるですよ。ジャングルそばでですね。湯がいてかし、この状態や、そればっかり、みんなもうがいこつ、みんながいこつ、目玉だけケロンケロンしてました、みんな。食べ物ないから。

その関山おる時に、第一回目の自決命令が出たんですよ、それで兵隊みんな反対したんです。それで、とりやめになって、そして、ずっと来て、いますわね。それから、どんどんの戦況を悪くなって、どんどん敵機が、どんどん攻めてきて、ほんとうに陣地もとってしまう、どんどん、どんどん狭くなって、もう連隊本部も危なくなったんですね。

そいで、わたしの誕生日がちょうど、誕生日で6日。6日の朝ですたい。敵弾にやられて、まもなくして、尻ば突かれて、ほいでわたしはもうカーッて、やぶの中に入り込んで、このくらいの松の木が、とんぼとんぼ生えとる、その中に入り込んで、そいでもう、どうきがしてね、ハァハァハァいうて、そいで、こうやってなるだけ音のせんようにね。

それから、行ったわけですよ。それでふちにこうなっとる。それから、中へ入ったら、足のひざの大たい部のところに2発弾を受けている。足グシャグシャや。それでそれからもう三角巾して、血止めはしたですよ。そしてもさ、血が止まらんと。そして誰がよと、言ったらナカムラ・タネジロウという。やつ同じ伝令しよった。タネジロウやまあ。。そうしてて、時計ば外してね、「早見くん、あんたがね、わたし、日本に帰ったらこればお母さんにやって」と、時計ば外して、わたしにくれた。

壕(ごう)がありまして、二つあった、トンネルが。で、わたしは手前のところに入って、そして、もう中はもう重症患者ばっかりですよ。それでそこの壕の上は、もう敵ばっかりですよ。

もう中のほうは、もう一番奥は重症患者ばっかりですよ。「小便飲みたかー」、「水飲みたかー」、もうその悲鳴がですね、聞こえるし、もうわたしは案外元気よかったからね、まぁ、その時は、もうシンバシンバしてですね、前に弾痕があると、そこへちゃっと行って、泥水ですよ。持ってきて飲ませよった。ああ、おいしかったひと言うて、そしてもう、なかで小便飲もうとか、小便飲もうとか、始めは衛生兵や軍医が置いてきますね。あれに管ば通してですね。そしたら、そう出てきますものね、この小便が。それで、いいわけです。それで、もう全然衛生もなにも道具もないです。もう狂い死に。ああ、かわいそかったですね。

ほうして、その晩です。それはもう6日に、わたしのちょうど誕生日ですよ。その夕方、自決命令が出たと。(容体の)ひどいものには、昇こう水ば飲ませ。泥水ばくんで、それ昇こう水、2服ずつ渡して、それを入れて、みんな飲ませておる。そして、わたしもね、2服もらった、でも途中で捨ててしまった。手りゅう弾だけは2発こう持っておる。つかめるだけ2発持っておった。そして、暗くなって行った。

その時、モリ兵長と肩を組んで、山ばこう、チガチガチガして登った。「こんどやられたらね、一発で、殺してくれ」言うて、こうお互いにね、話して。山をもう、チガチガチガで、でも一晩中かかって、横股(陣地)さ下りたんだ。

そうすと、そのわたしらが、そこの西山(陣地)から森兵長と二人で、横股陣地に下りてきた、その時は、もう動揺しよりましたね。そして、砲撃で、ボンボンボンボン、そして、もう軍旗ば、御紋章ば、あの倉庫の裏に掘って埋めて、マナべさんがたすきかけて、そして、「元気な者は、本隊に追及せよ」との声やった。それから、みんなワーッと(飛び出した)もう。

マナベ大尉、今、言うた、たすきかけて西山陣地へ、一人で敵の中へ突っ込んで行きました。そして、わたしと別れた時は写真撮っておりますよ。

博多へ帰ってきたのが6月の20日です。ほいたらもう、行く手が、博多駅から向こうへ、能古島や玄海灘が見えんとこが、行ったら見えるんですもんね、焼け野原。

もう、戦死公報の札がさがっとったです。この戦死の公報は2回目、3回目とは市役所へ行って、生還届、2日間腰弁当で2日間、せいきょくば生かすのに。籍が切れとったです。ほうでほれやな。これが、こうやって書いてある。
昭和19年9月7日、中華民国拉孟、戦死したって書いてあります。


Q:本人が帰ってきてあるのに、これが届いたんですね?

 ああ、そうです。町内会長が「早見さん、戦死の公報が来よりましたよ」いうて言うてくれる。
3回目です、これ。これ、死亡通知書。

もう、今からは、もう戦争は絶対駄目。全世界があって、意見あってですね、平和にいくことがね、一番もう、わたしの望みですね。それ以外、別にないです。

出来事の背景

【中国雲南 玉砕・来なかった援軍 ~福岡県・陸軍第56師団~】

出来事の背景 写真昭和17年(1942年)3月、日本軍は英領ビルマ占領の勢いに乗じ、ラングーンから中国雲南省・昆明に至る全長2300キロ、連合軍による蒋介石への重要な補給路、ビルマルートの遮断に動き出す。

5月、日本軍は中国雲南省に到達。ここでの戦闘で日本軍は優勢に立ち、敗走する中国軍は自ら橋を爆破。ビルマルートは遮断され、日本軍の使命は達成されたかにみえた。

それから2年間、中国軍との大きな戦闘もなく平穏な日々が続いた。しかし、その間も連合軍は中国軍に空からの支援を継続。反攻の機会をうかがっていた。昭和19年5月、米軍によって最新兵器を与えられたうえに徹底的に鍛え上げられた中国軍がついに反攻に転じた。

6月7日、日本軍の拠点の一つ、龍陵(りゅうりょう)と拉孟(らもう)の間に中国軍が侵入。補給路を断たれた日本軍は孤立。日本の兵力はわずか1300名。対する中国軍の兵力は4万。戦況が深刻化するなか、7月中旬、守備隊に「断作戦」が伝えられた。断作戦とは、連合軍の補給ルートを遮断し、同時に援軍を投入するというもの。しかし、インパール作戦に失敗した直後の日本軍は、
拉孟に援軍を送れる体制になかった。

中国軍に包囲され、食糧も弾薬も尽きた状態で兵士たちはざんごうに身を潜め、援軍を待ち続けた。7月下旬、中国軍による総攻撃が始まり、昭和19年9月7日、持久戦を強いられてきた拉孟の守備隊はついに力尽き、全滅した。

証言者プロフィール

1922年
福岡県糸島郡二丈町副吉に生まれる。
1943年
現役兵として久留米西部第46部隊に入隊。第56師団歩兵第113連隊に配属、ビルマ戦線に出発。中国雲南省拉孟守備隊、歩兵重機関銃射手
1944年
省拉孟守備隊玉砕時に脱出を図るが、連合軍の捕虜となる。
1945年
終戦当時、23歳、上等兵。
1946年
昆明、重慶、上海を経て復員。復員。

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中華民国(雲南省拉孟)

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