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タイトルタイトル: 「相次ぐ自決」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~
名前名前: 齊藤 清さん(旭川・歩兵第28連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2008年2月6日

チャプター

[1]1 チャプター1 帰国が一転、ガダルカナルへ  02:51
[2]2 チャプター2 ガダルカナル島上陸  02:07
[3]3 チャプター3 突然の攻撃  04:27
[4]4 チャプター4 一木支隊壊滅、第二悌団と合流  08:14
[5]5 チャプター5 退却  06:56
[6]6 チャプター6 飢えの島 ガダルカナル  02:22
[7]7 チャプター7 ガダルカナルに姿を見せた大本営・辻政信参謀  01:45
[8]8 チャプター8 相次ぐ自決  08:24
[9]9 チャプター9 語れなかった敗戦  01:43
[10]10 チャプター10 ガダルカナルを振り返って  04:52

チャプター

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軽い気持ちでしたよ。そして、グアム島にあがってもね、がれきの中をひとりでもう歩ったりね、連れとふたりで土人の家に行って遊んできたりね。そんなことをやってました。グアム島の守備に行ったときにね。

いや、やっぱりうれしかったね。「もう、故郷に帰れるんだ」ということでね。そして、前の日に1日休んでね。みんなで兵隊を引率してね、小隊ごとに。そのグアム島の反対側のほうにずっと舟で、小舟で行ってね。お土産もね、何やら買ってね、みんな。貝殻でつくったハンドバッグとかね、いろいろ。そうしたもの、土人のつくった土産、たくさん買って。そして背のうの中のものは全部、返納してしまってね。そして背のうにびっしり詰めてさ。喜んで喜んでいたの。

まあ、悲そうなものだったね。もうあの買ったお土産物なんか、海に全部ほうり投げちゃってね。悲そうな思いでしたよ。口には出さんけどね。もうやけくそというか何というか、何とも言えなかったね。そして、弾薬が支給されるでしょう。戦闘に参加するだけのね。乾パンやらいろいろ、缶詰やらね。そういうものをぎっしり詰めんきゃならんからね、背のうの中に。

「ああ、敵前上陸だな」と思って。「敵前上陸なら、あがるまでにやられるかどうかな」と思って、不安だったね。だけど、ひとつの抵抗もなくね、スムーズに上陸したんですよ。上陸地点からその飛行場までね、歩くのに大変でした。

斥候(せっこう)を何回出しても帰ってこないの。だから、状況が全然わからない。

Q:帰ってこないんですか。

ええ、やられちゃって。敵さんらもう、電波を配置してね。もう、ガサガサといったら、もう、すぐ、「ああ、これは何名ぐらい来たな」ということ、陣地にいてわかってる。

そうしていっぺんに「もう、これなら逃げようないな」と思うときにズダーンというんでしょう。ババーっと、あの自動小銃でやられるから、全然抵抗も何もできないよ。

上陸チームは、何にも抵抗もなくね、スムーズにあがって。そして上陸したその舟艇ですね。ゴムの折り畳み舟艇は全部、ジャングルの中へ突っ込んで隠しちゃって。そうしました。

河口から入ってね、で川を上ろうと思ったの。そうしたらもうバリバリーって、もう集中攻撃来た。

えい光弾がビューっとびっしり飛んでくるんです。それから、ぴたっとやんだと思ったら、兵隊が2人、戦場のほうからやってきてね。そして、「もうだめだから、下がれ」と言われて。そこで「軍旗どうした」と言ったら、「軍旗焼いて、部隊長が割腹した」って。「兵隊をあまり殺したから、責任とって割腹したんだろう」って言ってた。

そして、今度は沖に出ろって、その船団の大将が言うから。「沖に出ろ」たって、飛行機でやられたらどうするんだ、と思ったけどね。まあ、言うこと聞かんきゃならんだろうと思って、そのまま出ました。案の定、ボンボンボンボン砲弾はぶち込まれるねえ、海。

もう白い煙上がって、ばーっと上がるんです。それが今度は届かなくなったらね、飛行機が相変わらずギューンギューと舞いあがってきて、それでグウーとまわってきて、今度はバリバリーッバリバリと。「もう、飛行機が来たぞ」と言ったら、夢中になって今度は陸(おか)のほうに進もうとギックラギックラと、櫓(ろ)でこいでいくあの舟艇ですからね。あんなもの、なんぼこいだって知れてるさね、速さが。まあ着くか着かんかに、その3そう、ねらってバリバリーッバリバリと、もうめちゃくちゃ。1人はヤシの木にこうやってすがって、血、こういう血だらけになってね、「おーい、頼む。おーい、頼む」ったって、こっちは動けるものでないさ。もう、そこにこう横たわった、腐った木があったの。そこをこう、かっちゃいでかっちゃいで、頭だけ突っ込んでた。そしたらもう、またビューンと低空してきて、バリバリーッ、撃ってくる。もう、ここんとこバーっと砂煙があがって、プチプチプチーとね。まあものすごかったね。

もう夢中です。まあ、砲撃あたりはもう届かん、ということわかっていたからね。でも、船の両側にどばーどばと落ちてね、ぐらぐらしていました。もう、飛行機来たぞー、って、もう必ず飛行機来ると思ってからね。叫んだよ、もう。「沖へ行けー」って言ったら、もうもう、手でかっちゃいで、水をね。そんなようなあんばいで、もう岸に着くか着かんかに、もう向こうからギューンとまた来て。バリバリーッバリバリと4機で行くんですからねえ。交代交代で。もう、いい目標になるもんだもん。

第二梯団の来るのを待ったんだ。食料を探しながらね。何日間だったかな。

第二梯団来たときもね、「元気のいいやつ、迎えに出ろ」と言われてね、出たんですよ。それで、ずっと3人ずつこう並んでね、舟艇5~6隻で迎えに出たんです。そしたら、わたしたち3人乗った舟艇がね、全然進まんの。だれもこげるのがいないのさ、ほれ。それで、もう波に揺られて揺られてね。ひどい目に遭いました。

もう波に揺られて吐くものない。もうひどかったです。食べもの食べてないからね、もう、胃から血まで吐くんです。

空元気だろうけど、あだ討ちせんきゃならん、と思って進んだんでしょう。だけども、まあ、戦死するっちゅうぐらいはわかっていたでしょう。

Q:戦死する?

死ななきゃならん、ちゅうことはね。

夕暮れ。それで、第二総攻撃に入ったんですけど、途中にこんな束になって、電気の線がね、いろいろの色がついた線が。切れ端でしょう。わたしが通るところに投げてあったね。だから、相当、昼間でもあの火たいて。ジャングルの中に煙出た、というのは、やっこさんらだろう、と思うのですよ。

Q:アメリカ軍ということですか。

ええ。工事やっていたんじゃないかなと思うわけです。電線のね。

陣地からのマイクロフォンみたいなものを配置していたんでないですか。恐らく。そうでないとわからないもん。ガサガサっつったら、1人ぐらい来たって何さもこたえんなと。5~6人来れば、「ああ、斥候だな」ということがわかるんでしょう。音でもってだいたい、その部隊の流れというものを感知する。それに対応するだけの陣地に構えをすれば、それでいいでしょう。それで、どんどんどんどん、我が軍の進攻していくのを待っているわけ。「どの程度まで入り込んで、どの程度まで下がるのでは、これは壊滅できるな」という計算において、バリバリーっと、もう一斉にやるわけ。総攻撃だってね、わたしはもう、好んで入っていったんですよ。それ、第二梯団の総攻撃に。ずっと渡って、あの映画にあるように、ずっとまわってきて。そして、何だ、鉄条網の低いところくぐってね。で中へ入って。戦闘に入る前に、部隊全部並んで。背のうは置いてきたからね。軽装のまま突っ込んだから。

手りゅう弾2つをね、雑のうに入れて。それからここに、二百何十発という弾をここに入れたのね。持って、銃剣さして、鉄砲につけてね。

もう、いつでもやっつけれるようにね。肉弾戦ですよ、ほとんど。まあ、肉弾戦に入るまでに、ほとんどやられました。
それからまた夢中になって、敵のほうに向かってね、匍匐(ほふく)前進。もうもう、匍匐前進も何もできないのさ。弾が来るでしょう。それからあの、ぴたっとやんだと思ったら、今度は照明弾があがる。パアーっと、昼間明るくね。したら、全然動けないの。動いたら、向こうでもう見てて、弾着を修正して、そこをねらって、今度は、照明弾が消えたらバリバリーとやられるでしょう。それを繰り返し繰り返し、やるんだわ。その合間をねらって、もう夢中になって進むわけさ。10メートルでも20メートルでもね。そして、陣地までわたし行ったんですよ。アメリカ兵がぺらぺらぺらぺらしゃべっているの。甲高い声で、命令してたんですよ。何かはっきり聞こえるんだ。

そこまで行ったら気がついてね、わたし。「よし、敵さんの陣地近いな」と思って、手りゅう弾引っ張り出して投げ込んでやろうと思ってね。だけど、「待てよ」と思って考えた。それで周囲を見たってだれもいないんだもの。「ああ、おれ、ここで手りゅう弾をぶち込んだら、いい目標になってくちゃくちゃにやられちまう」と。「『死んだ』って、だれが認めるんだ。ひとりでもおればね、生き残っておれば、わたしの報告も、死んだのも無駄にならん」と思ってね。そう思ったら、もう何だかいやになってね。「またあとでやってくるかな」と思って。じりじりじりじり下がったけどね。

わたしは、犬死にになると思って。わたしひとりしかいなんだもの。全部が死んで成功すればいいけども、必ず、もう1人や2人でなく、下手やったら、丸々死なないかもしれない。どれだけ離れているかもわからんからね。10メートルか、20メートルか。

ここ真っすぐ下がれば、とにかく背のうの置いたとこへ下がれると。そうして、5~6人ついてきたんですよ。いきなりその、そこの沼みたいなところに飛び込んでさ、わたし先頭になってずーっといった。そうしたら、またバリバリーっと。もう夢中に、もう来るでしょう。曳光弾(えいこうだん)がピューっと。水の中ピシピシピシーっとはねて、もう大変だ。「早く陸(おか)へあがるべ」っつって、陸(おか)にこう、あがったの。そして、こんな太い枯れ木が、20メーターか30メーターあったかね、そこのとこにはい上がってさ。そうしていたらバカーンってさく裂した。その木の根っこにぶち当たってさ。あとでわかったんだけど、その木はもうぶっ倒れて、倒れるもそっちに倒れたからよかったけど、わたしのほうに倒れたら、ぺちゃんこになったけどね。そして、そこで爆風でね、気を失って朝まで、わたしわからんでいたの。朝になって、すやすやと冷えてくるからね、目を覚ましてね、行ったのさ。「やっこさんら、どうしたべな」と思って、ずっと探してみた。だけども、ひとりもけがしたりなんかして残っていたのいないし、もう逃げちゃったんだよ。ところが、ここ、時計見たら、時計もなければ夜光羅針もないわけさ。銃を握りしめて、うつ伏せになって倒れてた。いや、のど乾いてね、それから起きあがって、水飲みに行こうと思って立って、ちょろちょろ流れているところに行ったの。行こうとしたら、またバリバリーだ。そして小川が流れている土べらのところへババッーと、ジャジャジャジャーンと砂やらあれが落ちて。いや、水どころでねえの。「こんなところで死んでいられるか」というので、また匍匐してさ、そろそろそろそろ、そうして出てきたんですよ。

飛行場の近くでしょ。その近くまで行ってるから、あの電波でも何でも配置してやっているんでしょう。その電波の中に入るもんだもん。やられるわね。

何回攻撃されたかね。爆撃もされたし、攻撃もされたしね。いや、ひとりのとき見っかって、飛行機にねらわれてやられたのがいちばんつらかったね。
海岸線なんか、病院に行くときにだけどね、もうてくてくてくてく。もうひとりだからどうでもいい、と思って歩ってったんですよね。ところが、飛行機がかすか向こうからこう来たの。はい。まあ、近寄るまでいいわ、と思って歩っていったら、今度逆転してきてね、低空してバリバリー、バリバリとやられるんですよ。ヤシの木につかまって、飛行機の反対側、反対側へとくるくるくるくるまわってね、そして逃れたけどね。しまいには威嚇(いかく)射撃、機関砲ですか、バーン、バーン。もう地面の石に当たってバーンと、もう火花散らしていく。その近くに味方の兵も潜んでるんじゃないか、と思って威嚇したんでしょう。で、だれも出てこんし、結局はそのまま引きあげていったけどね。その飛行機なんてね、アメリカで見たことのない飛行機なんですよ。あの、どっ腹の下のほうにね、こんな眼鏡がこう2つついてるわけさ、こうね。そして下を見て偵察するんだね。そんな飛行機でしたよ。

1回なんか不発弾だと思ったら、時限爆弾でね。時間来たら爆発するんだね。「ああ、飛行機来たな」っと思って、行く段取り、背のうにテント縛りつけたりいろいろやってたの。そうしたら、きゅっとこう機首を下げたんですよ。してスーっとおりてきたら、パッと腹んとこから爆弾放したのね。したら、シューっとねらって落ちてきた。「ああ、どうせ不発だろうなあ」と思ってね、おったらドカーンとさく裂して。結局、死角にいたから助かったんで、ちょっと少しでも離れていたら、もう爆発した破片で全部やられたね。

Q:そんな近くに落ちたんですか。

ええ。土がばーっとかぶっちゃってね。いいとこねらって落とすよ。結構、敵さんも。

戦争に来たらもう、もうあの当時は軍隊の盛りだったからね、軍隊生活が。世のため、人のため、国のためってね、みんな親からも言われてたし。だから、殴られても、蹴られても、何しても、生きてこられたんでしょう。現役当時はどうにか過ぎたからね。

Q:ガダルカナル島にいるときに、「帰りたいなあ」と、「もう島を離れたいなあ」というふうに思ったことはないですか。

ないですね。思ったけども、到底届くもんじゃないしね。まあ、島で土人とでも暮らすかな、と思ったことはありますよ。気候がいいしね。

Q:もう帰れるとは思ってなかったんですか?

ああ、思ってないね。

Q:帰りたくもなかったですか?

別に帰りたくもなかったね。まあ、ただごはんを食べたかったね。戦友たちも、あの白いごはんのことを『銀飯』って言ってたんですよ。そのときに「銀飯食べたいなあ」って。「もう銀飯腹いっぱい食べたら死んでもいいから」って、そう言って相当死んだのもいましたよ、ずいぶん。

アメリカは相当なもんだろうなと思ってました。全然、もう及びもつかんだから。それにむちゃだもん。どんどんどんどん空手のような兵隊送り込んでね、そうしてみんな死んでしまうんだもん。殺しに連れてくるようなもんだ、結局。

辻(政信)参謀なんかもたまたま顔出してたけどね、第二梯団になってから。部隊の中歩っておったけど。

Q:辻参謀はごらんになったんですか。

見ました。

ただ黙々として偉そうな格好してました。当番兵をそばに置いてね、真っ白なごはん、ふかふかのやつを飯ごうにいっぱい盛り上がるほど炊いてね、そして持っていって食べらせておりましたよ。わたしら何にも当たらんのにね。いや、うまそうだなあ、と思って眺めてた。

偉い人はいいもんだなあ、と思ったね。飛行機で行ったり来たりしてね、

もうせつなくなったら、夜になってみんなシーンとして静まったころね、バーンって音するんですよ。自分の与えられた手りゅう弾で。その部隊のそばでやったら迷惑かけると思って、ジャングルの中へ潜り込んでいってね、そしてやってるんでしょう。「ああ、やったな」っていってみんな寝てるさ。わたしも死のうと思ったこと、何回もあるもん。部隊に置かれてね、ひとりになってさ、そしてもうこんなにつらい思いするなら、いっそうのこと死んだほうなんぼ楽だかな、と思ってね。手りゅう弾引っぱりだしてさ、眺めながらこうやって。したら、やっぱり故郷のことを思い出すもんね。しかし、何のためにここまで来たんだろう、と思ってね。そして、あれだけの人たちを死なせてさ。それ思ったら、もう本当にいやになっちゃったね、うん。これで死ぬんなら、コツンとぶつければね、そのまま逝く(いく)んだから。しかし、何のためにここまで来たんだろう、と思ったことがいちばんつらかったね。そして、みんなそうやって死んでいくんだからね。わたしそこでね、こんなことを考えた。「死ぬんならいつでも死ねる」と思った。しかし、この悲惨な状況をね、万が一生きていたら、故郷の人たちに「どんな思いだった」って言われたら、それを知らせる義務があるんじゃないかな、と思ったりしてね。

今度はわたしが今度、弱っちゃってね。もう熱が出てね、デング熱っちゅうのか、マラリアっちゅうのかね。そうして、もう全然歩けれる状態でないの。ごはんも食べないしね。何の食事もとらないで3日も4日も歩ったしょ。そんなもんで。ヤシの木の根っこにじっと座ったっきり。そしたら(戦友が)黙って立って見てたよ。「おれ、ちょっとそこまでそろそろ行ってるから」って、そう言うわけさ。「ああ、これは置いていくつもりだな」と心のうちで思った。案の定、見てたら、ずうっと行って草の陰に、こうなるような曲がり道にちょっと行ったら、後ろ向きながらさっささっさ行くわけさ。「おーい、待ってくれー。待ってくれー」叫んだけども、もう待たないでとうとう行っちゃった。捨てられたんだ、結局ね。それから情けなくてね。

わたしは見つけ次第たたき殺してやろう、と思った。

『野戦病院』っていったけどね、『野戦病院』じゃないのさ、全然。ただ病人の死にどころだよ。医者もまわってこないしね、軍医なんか全然まわってきません。薬もくれるわけじゃなし。野戦病院っちゅう名前だけで。

行軍中に毒草をね、とって、食べかかって、死にかかったこともあるしね。

前の行った連中が刻んでもう落としてあるんです、下に。若々しい草なもんだから「ああ、これは食べれるんだな」と思って眺めながら行って。「どっかにこの草あるはずだ」と。ずーっと山の切り立ったところをね、眺めながら行ったらあったね。だからそこへやっとこ、すっとこ、もう力尽きてるから登れないけど我慢して登ってさ、その草をやっととってきて。そして泥だけ落として、ガリガリガリガリかじり始めたの。そして飲み込もうとしたら、何かビリビリっと来たもんね、舌に。「あっ」と思って吐き出したもう瞬間、目まいしてぶっ倒れちゃった、そのまま。

あれ飲み込んだら死んでたね。飲み込まんかったからよかったようなものの。

倒れて目覚めてからね、今度あの、そこら辺に前に踏んでいったとこの、水たまりの泥水のところまでずっと行ってさ。そしてその水をくんで、べろをすっかりその泥水で洗ってね。吐き出して。そしてまたそこで休んでた。したら、わたしより遅く来た連中が、頭またいでずんずんずんずん進んでいって。わたしがのびていても声もかけないし、ただ漠然と歩ってただけでしょう、連中なんか。そうしてそこから抜け出していって、部隊に着いたら「休憩」っちゅうから、バタバタっと倒れて休んでた。で、あの、テントかぶってね、休んでた、そういう連中がおったから、「おい、出発だぞ」ってけっ飛ばしたの。したら、うんともすんとも反応がない。もう死んでたのね。疲れ果てて。そんなもんですよ。

ずいぶん死んだね。生き残っていきそうだなと思っても、その者もみんな死んでしまったもんね。

Q:斉藤さんたちは負けたのよく知ってるわけですよね。

ええ。

Q:それを、帰ってきたときにみんなに言ったりしなかったですか。

言ったらもうすぐ憲兵隊に引っ張られていったからね、防諜で。防諜罪で。

Q:引っ張られていくんですか。

ええ。それ待ってるんだから、ひとりでも挙げてやろうと思って。ガダルカナルなんて特にさ。どこで聞いてるかわからんからね。だからね、わたしが帰ってきても、「何、あの斉藤さんなら穴の中に潜っていってるか、病院生活してきたんだろう」なんて、そんなばかげたことばっかり言ってた。「ああ、今のところ何でもいいから想像しておけ」っていって、何もしゃべらなかったね。またしゃべりたくないし、しゃべったら下手にやったら引っ張られるしね。それこそ、拷問を受けたりね。いろいろ。「何をしゃべった、全部白状せえ」なんて。

あんまり愚か過ぎるね。愚かなことを平気でやったものだ、と思って。しかし、まあ現在にいたってはアメリカからいろいろと導入したり、一緒に訓練したりしてるからまあまあだろうけど、昔だったら全然ないからね。明治のままですよ、兵隊なんか。いかに精神力だって、精神とともに物量がなかったらね、とてもやれるわけがないでしょう。ただ単なる、天皇を利用した権力者の味方をしていたようなもんだね。

戦争ちゅうのは暴力であり、無辜(むこ)の人間を殺害して罪をつくる一方だから。人の生命を軽視してるもんね、戦争っちゅうのは。命の尊厳っていうことを知らないんだよ。今の人間はそうなりつつあるよ。『自分さえいければよい』っていうような考えの人たちが多いもんね。本当に若い人たちそうだね。女の人たちの話を聞いてもはっきりするもんね。恐ろしい時代だと思うよ。

そして思いやりもないしね、うん。人への思いやりっていうことは大事だと思うよ。

それも親からしてそうだからね、現在の。親がだいたい子供に教えてやらんきゃならんことは、そういうことから始めてやらなければ、到底教育なんて無駄なことでしょう。

帝国主義。小さいときから植えつけてね、育て上げて、命の軽視だね。ただ、強い者勝ちだからね。暴力だもんね、結局、敵に対する。ちょっと話がこじれてしまったら、すぐ戦争だもんね、当時は。

ばからしい戦争したもんだと思ってね、後悔してます。あまりにもね、愚かだったんじゃないですか。だけど、当時そんなこと言ったらもう、いきなりもうぶち込まれるしね。

しかし戦犯なんかも実際、本当に靖国神社にまつるだけの資格がないじゃないですか。兵隊をあれだけ殺してね。あんまりにもひど過ぎるよね。いや、世の中は変わるんじゃないですか。変わらなきゃどうにもなりませんもんね。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争開戦から半年、日本軍は南太平洋のガダルカナル島に前線基地として飛行場を建設。制空権を握り、米軍とオーストラリア連合軍の連携を絶とうとしたのだ。それに対して、米軍は、日本軍への反撃の第一歩としてガダルカナルを攻略することを決定し、昭和17年(1942年)8月7日、ガダルカナル島に上陸、圧倒的な兵力で日本軍から飛行場を奪い、その日の内にガダルカナルを占領した。

占領された飛行場の奪還を命ぜられたのは、歩兵第28連隊の兵士を中心に編成された「一木支隊」だった。米軍は攻勢を強めていた日本軍を警戒し、11000人の兵力を持ち、周到な準備で日本軍が来るのを待ち構えていた。一方日本軍は、日露戦争以来採用してきた、銃剣を持って敵陣に突撃する「白兵突撃」で向かっていった。しかし、米軍の圧倒的な火力の前に白兵突撃は無力だった。

8月18日から10月24日まで、日本は3度にわたり総攻撃を仕掛け、その度に犠牲を積み重ねた。日本の輸送船は米軍機の空爆を受けて沈められ、補給が絶たれた。ジャングルをさまよう兵士は、飢えと病に苦しみ、兵士の多くが戦わずして死んでいった。やがて、ガダルカナル島は飢餓の島、“餓島(がとう)”と呼ばれるようになった。

昭和17年12月31日、ガダルカナル島の日本軍に撤退命令が下されたが、撤退が実行されたのは、翌年2月。この時、一人で歩くことができない兵士の多くはそのまま島に置き去りにされた。ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1千人のうち、5千人が戦死、1万5千人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。
ガダルカナルの戦いののち、日本軍は南太平洋の島々で次々と敗走していくことになる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1918年
空知郡山部村に生まれる
1939年
旭川北部第四部隊に入隊
1941年
満期除隊
1942年
召集により再び旭川北部第四部隊に入隊。ガダルカナル島上陸。
1943年
ガダルカナル島撤退。ブーケンビル・マニラ・広島・広前・旭川と各地の病院を回った後12月除隊
1944年
再び召集され入隊。千葉の海岸警備に就く
1945年
復員。復員後は、故郷にて消防署に勤める

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