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チャプター

[1] チャプター1 おおかみのカレーライス  04:39
[2] チャプター2 ソ連軍機の銃撃を受ける  04:13
[3] チャプター3 馬を連れて五叉溝の陣地へ  02:07
[4] チャプター4 西口の戦い  05:10
[5] チャプター5 跳ね返される砲弾  02:59
[6] チャプター6 全滅した歩兵部隊を目の当たりにする  04:02
[7] チャプター7 号什台の戦闘に間に合わず、夜襲を行う  02:34
[8] チャプター8 日の丸の飛行機  04:03
[9] チャプター9 昭和22年5月、シベリアから帰国を果たす  01:49
[10] チャプター10 戦争を振り返る  02:28

再生テキスト

いや、まさか、人間の生活する場所だと思わなかった。やっぱり鉄砲を持つだけに、ここにいるんだろうと。そんなに雪深いあれではなかったが、一面の雪景色ですわね。

夜になって、あれになるとね、夜の歩哨に立ちますわね。夜になると、これの上に、青いのがポコッと2つ、並ぶんですよ、青いとか、赤いとかね。「おっ、来たな」と思っていると、ダダーッと増えるんです。それは、狼の目玉だったんですよ。隙あらばということで、狙っているわけですよね。だから何発だったか、これも、正確な軍のあれは忘れたけども、警戒用に弾を持たされるんだけど、そのほかに、別に、狼用というやつを、更にそのときだけ、その晩だけ、持たされるんですよ。「あれ、来たときに、これを撃て」と。もちろん、これ、入れてありますが、鉄砲にもね。
前だけ見て、ちょっと振り返るとね、その上にダーツと、青いというか、赤いというか、並ぶんです。玉が2つずつ。「あれが狼なんだ」と言うですね。
1週間ぐらい経ってから、その入隊する(ときに)門のところにあった、あはは(それが)昼に、ライスカレーが出たんですよ。硬い肉だ、硬い肉だって。いや、あそこにあった、狼だと言うんですね。

起床は6時だったのかしら、あれは。起床して、何もない兵隊さんは、とにかく馬屋へ走って行くんですよ、わたしらの部隊(野砲兵107連隊)は。人より先に、とにかく馬の手入れなんですよ。馬屋へ行って、馬を一頭ずつ持って、ええと、あれは、約1キロぐらいのところかな、小さな川、あるんですよ。そこまで手綱を持って、馬に水を飲ませに行くと。入ってすぐ、そうだね。いよいよ、その川も雪で凍って、あれになると、今度は井戸の水を汲んで、馬に飲ますんですよ。兵隊さんで、水やるのがひと仕事。それで、馬を引っ張りだして、空いている馬屋の今度、敷ワラ。もう一晩中の、馬のオシッコでぐしゃぐしゃに、なってますわね。それと、熱でポーポーと湯気も立つように、なっているんですよ。それをかき集めて、外へ出して、干すんですよ。熊手みたいなものを、こうやっていると、「なんだ、その腰つきは」と言って、蹴飛ばされてね、「こうやるんだ」と手でやるんです、今度。あの古い兵隊さんがね、「なんだ、その腰つきは」なんて怒鳴られて。
水飲ませて、敷ワラ出して、そんでようやく、馬屋の関係はとりあえず。あとは、当番の人で大丈夫と。帰って、今度自分の部屋、歯を磨く時間も、何もないですわ、顔だけ洗って。部屋の掃除して、ちょっとすると、食事あがってきますわね。それ食べて、30分ぐらい休む時間、あったのかしら。それで初めて、兵隊さんの、今度は、自分らの教育が始まるんですよ。その日の日程で、場所とあれ言われて、そこへ集まって、しごかれて。

それで専ら、今度は、その幹候教育だったんですよ。9日の朝に、われわれは兵舎の前の広場に、並んで待っていたんです、一服しながら。そのときに、そこへ行くまでの間に、前の晩の不寝番て、2~3時間交代で警戒している兵隊、いるんですよ。

なんか、ひそひそ話でね、「昨夜12時ごろ、えたいの知れない飛行機が、飛んだみたい」と。それ、聞いたったんですけどね、ああ、そんなこともあったのかと。こっちはくたびれて、一晩ぐっすり、寝ちゃっていますものね。

ちょっとして、10分ぐらい経って、一服してましたかね。国境のほうから、飛行機、飛んで来るじゃないですか。あら、こんなところへ飛行機、珍しいやと思ったらね。何機だろうかねあれ。3~4機いたのかね、もう数、忘れましたわ。それが、われわれの部隊の上、ずうっと行きかけたんだけど、並んでいるの見えたし、兵舎でもあって、兵舎の脇に兵隊が、何人もいるわけだ、バラバラと。ちょっと角度を変えてね、ビューッと下がって来たじゃないですか。「おっ、なあにこれ?」と思っていたら、マークが日の丸じゃないしね。そこへ、ちょっと見ている間に、パッパッパッと来たじゃない、今度。いやいや、これはやられると。それで散らばって、こんなヨモギ1本でも、雑草1本の陰でも、皆、隠れたんですよ、バラバラに散らばって。

見えている兵隊を、狙って来ているわけですよ。だってね、どこのあれ、あのマークは、確か、日の丸じゃないんで。ずうっと下がって、来たらね、乗ってるその真っ赤な顔した、ゴーグルみたいな、眼鏡かけた、兵隊の顔が見えてね。「こんちきしょう」と思ったけども、こっちは、5発しか弾が入ってないやつ、弾込めてない、鉄砲を持っているだけですしね。真剣な顔してこっち見て、こうやって来るじゃないですか。もうこうなったら、ちょっと、こんな細い窓の陰でもね、とりあえずは隠れてという心境になったんですね、あれは。

いや、あんなことはね、ああいう、初めて恐ろしいと思ったね。パッパッ、パッパパッと、だいぶ前から、続けて、バーッと行くんですよ。あれこそ、怖いなと思いましたね。別に死にたくない、とは思わなかったけど。こんなもんで、やられるのかなと思ってね。

それで、いや、これは冗談じゃないと。とりあえず「別命あるまで、部屋に戻って、待機してろ」と。それで、しばらく、何時間かいましたよね。今と違って通信機関が誠に、拙劣じゃないですか。なおのこと、第一線のあれですから、こんなもんでしょう、手も足も。
それで、ようやくあれ、わかったのかね。「なんか、ソ連が越境して来たらしいと。戦闘開始になるみたいだ」と、いうぐらいの情報しか、われわれの部屋までは、流れて来ないんですよね。とりあえず、今日のあれは中止と。昼ぐらいになってからかな、このアルシャンの兵舎は、閉鎖して、五叉溝の陣地構築したところへ、全部、下がると。

これは、ただごとでないんだ。開戦になったんだ、戦闘になったんだと。昼過ぎてですよ、ソ連の戦車が越境してこっちへ入って、来ていると。だからもう、こっちも戦闘態勢だと。ここにいても、しようがないんで(防御陣地の)五叉溝に合体すると。

わたしらは直接、言われたのは兵舎の自分の物を持って、とりあえず、ボロボロの服を着ているんで、新品の服を支給するんで、これを着れと。それからなんだ、炊事かあれから出してきた、コメを自分で持てと。
あとですね、当時にしてみりゃ、羨ましいキャラメル、羊羹とか、そういった甘味品、というんですかね、お菓子類。誰があれは、この辺の、じきの人が運んでくれたんだね、兵舎周りに、いっぱいあったんですよ。それ、好きなものを持てるだけ、持ったら、あとは馬屋の馬を引っ張りだして、そこに向かうんだと。

現有兵力、今、そこにいる、中にいる残っている、兵隊ですね。それでもって、馬はほとんど、残ってましたんでね。それを連れて、五叉溝へ向かうと。

だから、100頭ぐらい、いたんだろうね、あの馬は。1人1頭ずつあった。だんだん、だんだん兵隊の数より馬の数が多いもんで、最後は1人で2頭持ち。わたしなんか、3頭持ちましたもんね。1頭に乗って、両手に手綱持って。

あれは、わたしら自体の戦闘、終わる前だったんだろうね。あのう、砲兵隊の前に歩兵が乗り込んで行きますんでね、その援護射撃をやるのが、砲兵の仕事だったんですよね。
わたし思うには、あそこで、恥ずかしながら、ちょっと外れたのか、居眠りでもしたったのかね。ちょっと、あれしたときに気がついたら、斬り込みをやるというので。野原にわたし、寝そべっていました、そのときね。なんで気がついたかというとね、酒の匂いがプーンとしたんです、あの野っ原のど真ん中で。
その前に、兵隊さん、歩兵さんが、第1回に山へ登って行ったのが、攻撃に向かって、ほぼ途中で、皆だめになったんでしょう、あれね。歯が立たないと。夜、今度、夜襲をかけるというので、残っている兵隊さん、バーッと並んでですね、これから斬り込み、やるんだというときに、各人の飯ごうの蓋に、お酒をついてくれてましたよ、あの1升瓶からね。その匂いでポッと、気がついたからなんでね。それから、それやって、気合かけて、上がって行きました、夜ね。

暗闇でしたのでね、斜面を上がって行くわけですよね、鉄砲、片手に。だから、なんて言うんですか、撃てば、向こうから居る場所、わかってやられるし、ある程度なんて言うかな、メドつくまでは、音無しで上がって行ったんじゃないですか。
それで、あれ近くまで行って、向こうだって警戒してますんでね。いっときあれすると、しばらく時間、経ってから、その撃ち合いの音が、聞こえてくるんですね。撃ち合いというか、その前に人間の声がしますわね。そして向こうも、「おお来たか、いたか」というようなことで、撃つわ。それで、あれやってですね、なんせ、向こうの兵力っていうんですか、火力と言うんですか、持ってる武器が、全然違いますんでね。だから、あそこで歩兵部隊はほとんど、全滅に近い形になりましたよね。

あそこの高台でのあれは、白兵戦じゃなくて、鉄砲の弾にやられてますよね。こっちが1発撃つ間に、人数も多いわ。持ってる銃器が違います、出る弾の数がね。あれで、バラバラッとやられたんだと思うんですよ。暗いもんで、はっきり、肉眼で見えるというわけにも、その夜襲のときは見えなかったけど。声というか、雰囲気と言いますかね。なんせ、こっちの撃つのは、たまにパカッパカッと、赤く火が出るだけじゃないですか。向こうは、バラバラバラッですらね。それであたれば唸るわ、叫ぶわですわね。

不特定多数の「ウー、ギャアー」ですよ。恐らくは、過半数は日本兵の声だと思います、あれは。いくらかは、向こうの相手の声も、あったんでしょうけどね。

なにせ、悲惨な声だけは、聞こえましたね。悲惨な声が。

いやいや、悲惨だと思いましたよ。情けないといいますかね、こんなとこで、こうやって、死ななきゃないのかなと思って。だって、あんなところで死んだって、大義名分も何もないじゃないですか。ほんと犬死にみたいなもんじゃないですか。ああいう形で、死ぬんであればですよ。

夜明けまでは、そこまでその場に、わたしいまして、薄明るくなってから、自分の部隊のあとを、また火砲のほうへ寄って行きましたよ。

それで、ようやく、一緒になって、今の稜線のちょっと下の、上に火砲のそばへ行って撃つべく、そばにいたわけですよね。10時、昼近く、昼までもいかなかったのかな。上にあがったころ、わたしの火砲が山へ上がったころには、向こうの戦車も、どんどん、どんどん遠くですけど、走ってましたんでね。

ソ連の戦車、ババーッて来てますよね。あれはわたしら、あたったのは最初の、そのうちの1両。何両目だったのかな、1発はあたりましたよ、最初の一発は。まさか、あんなところに日本軍がいるとは、思わなかったんでしょうね、向こうの戦車は。

一発はね、撃って戦車がキャタピラーでも傷んだのか、ちょっと止まりましたよ。中から2~3人出てきて、なんか、やってましたけどね、動くの見えたんだけど。動くたって、蟻がなんか、動いてるような感じ。何やっているかは、わかんない、手元まではね。遠いもんで。

10分か20分、止まってましたけど、ちょっとしたら、また、ダーッと前へ行きましたもの。あそこから、撃たれたというのがわかったもんで、わたしらがいたほうへ、山へ向かって、撃ってきましたもんね。その戦車のほか、ほかのあれもね、「あそこに敵がいるな」ということ、わかったんでしょう。弾、飛んで来たもんで。

それだけ、なんて言うんですか、当時の日本軍の弾というのは、破壊力がなかったのか、それ以上の鉄の強さがあったんじゃないですか。

まあ、蚊に食われたぐらいの、あれじゃなかったんでしょうかね。全然、無視するような形で、どんどん、南下して来ましたのでね。それに対抗するね、あれが何もないんですね、その日本軍にはね。当時の第一線の、日本軍の守備力には。

Q:高台でその攻撃を終えたあとというのは、山を降りたんでしょうか?

 降りたんです。そのときはですね、なんであそこに、また歩兵がいたのか、歩兵が全滅してましたよね。ほんと、なんで、ちょっと腑に落ちないんですけど、どういう状況だったのか。焚き火をやって、飯ごうで飯を炊いたあれがあったんですよね。

あれはね、わたしら火砲を置いた場所から見えない、ちょうど、角度の関係から見えない、あれだったんだけれども。どういう状況で、やられたもんかですね、半端な人間の数じゃなかったと、思いますけども。あるいは、飯ごうで飯炊いてあったというところを見ると、そういう戦闘状況じゃなかったんでしょう、恐らく。なんかで不意をつかれたんじゃないかと思うんですよね。

ちょろちょろ、ちょろちょろ水の音がするもんで、「ああ、これは水、飲めるな」と思って行ったら、芝生みたいな沢水みたいなのが、水じゃなくて、真っ赤な血の流れですよね。それが、ちょろちょろ、ちょろちょろ音立てて流れているんですよ。「いや、これは飲めないわ」と、水はだめだなと。そのちょっと脇に、焚き火があって、あれを組んで丸太を渡して、飯ごう炊さんをやってるんですが、飯ごうが掛かっているんですよね。兵隊さんも、誰も皆、生きてる人間、誰もいないんですよ。いや、これはいいわいと思ってね、1つ外して、そこで人の飯を食べさせてもらったけど、水は飲めなかったですけどね。
あれは高台にいる間に、あとから来たもんか、もともとそこへ待機していたもんかの歩兵部隊は、全滅してましたね。唸っている人はいましたけど、そんなもん、とてもわれわれのあれじゃ、手に負えないもので、手かけなかったですけどね。


Q:佐藤さん、そういうのを見たときに、どんなことを感じましたか?

 いや、もう何も感じないですね。まあ、かわいそうとか悲惨だとしか。そういう状況で、いや、ちょろちょろ水の流れる音がしたけど、水は飲めないと。「おっ、なんだ、ここに飯あるな」と。「ちょうどいいわ、これ、腹ごしらえしよう」と。そういう神経、普通ならなんないでしょう、まともであれば。いくら腹、減ってもね。
でも、ちょっとあれしたらね、すぐ、飯ごうひとつ、降ろして飯、食べましたもんね、おかずも
何もなくても。


Q:その人が亡くなっているところでですか。


 ええ、血なまぐさい空気ですよ。その辺に唸っているのも、何人かいますしね。

まず、まともな神経じゃちょっと、考えられないんじゃないですか。飢え死にする寸前のあれじゃないですかね、心境としては。本当に、今でも、われながらよくあの飯ごうに手、出たなと思って。直前まで、あの兵隊さんら生きてたんですよ、まだ飯ごう、熱いんですからね。冷たい飯じゃないんですよ。

というのはですね、その1日ぐらい前、また集落があって、そこでまた、餌集めしたんですよ。そこでは割合に餌もあったんですよね、詰めて飯ごうへ入れて、火を焚きはじめたら、それ、戦闘開始だというんで慌てて、火を消して、その飯ごうだけ持って、後を追っかけたんですがね。

で、号什台へ向かって行ったんですよ。号什台の山裾のところに、ずうっと窪みがあったんですよね。そこの古年次兵というか、古い兵隊さんも含めて20人かそこらいたんですよ。下士官が1人いて、「お前ら行かなくてもいいから、ここで待機せえ」と。そこで一息入れていたんですよ。


そうしてね、その夜は夜襲、かけたんですよね。あれはもう間違いなく勝ち戦になったんですよ。夜、薄暗くなったらね、ラジオとかレコードだかわからないけど、ジャンジャン、ジャンジャン、ミュージックが聞こえてね。女の声もすんですよ。いちばん最後尾の、後続部隊ですよね。だもんで、勝ち戦、どんどん先へ行っちゃってるじゃないですか。もう今更、弾に打たれることなんてないということで、夕方にもなったし、もう休もうということで、そういう雰囲気だったんじゃないですか、向こうにしてみれば。そこへダーッと行ったもんでね、それはもちろん勝ち戦になりますわね。寝込みを襲う。寝込みじゃないわ、寝る前のあれだね。

向こうは、ほとんど無防備ですからね。まあ、いわば丸腰みたいなもんじゃないですか。もう晩飯やって、一杯やって楽しくやろう、というような雰囲気のとこを襲ったわけですからね。恐らくあれは、ラジオでないレコードだったんだろうと思うけども、ジャンジャン、ジャンジャン、ミュージック流れてましたんでね。

あんまり息してるのも、いなかったような気もしますよ。無抵抗みたいな状態だから、完膚
無きまでに、たたいたんじゃないですか。

ずうっと、25(日)~26(日)が号什台か。それから1日半、山の中、林の中を歩きましたわね。当然、戦争終わってますから、誰も撃ってもこないし、爆弾も来ないですわね。そこで28日の夕方、ちょっと、まとまった村落に近いところへたどり着いたんですよ。いや、ここはなんかあるだろうと。いくら遅くても、こんだけ広けりゃ、物あるだろうということで、適当なうち(家)に、それぞれに見っけて、グループであれして、また引っかき回しや、かっさらいを始めたわけですよ。まあ、それなりにありましたわね。

それまで3日、4日かな、ずっと雨続きでね。

久しぶりに、それも逃れて屋根の下で、腹一杯、腹膨らませて、雨のあたらないところに、これ暮らせるわ、一晩休めるわと。そういうつもりで一晩寝て、朝、起きてまた、起きてちゃんと目を開きゃ、飯はあると。「さあ、きょうこそ張り切って、また出るぞ」と言って出たのが、29日の朝の、その村落の前の広場だったんですよね。
並び始めは9時過ぎでしょう、きっと。
また、初めて、日の丸のついた飛行機が、飛んで来たんですよ、その原っぱの向こう端に。ぐるっと、回って戻りながら、われわれの集まっているあれへ、スーッと田んぼの、畑の真ん中に降りちゃったんですよ。
そうしたら、とくと、われわれは直接は関係ないから、一応、将校集合というようなことで。
その飛行機のところへ、みんな走って行きましたがね。向こうから、飛行機は降りて、日本の参謀とその後ろから、赤い憲章をつけた、ソ連のあの、降りて来たじゃないですか。
ちょっと、なんか話をしていて、帰ってきて、こういう舞台つくれと。
連隊長は箱を重ねて、段つくらせて、そこへ上がったと思ったら、「この度は戦争をやめたんだそうだ、終わったんだそうだと。まあ仕方ない、持っている武器はここへあれして、いったん、東京へ引き揚げようと。英気を養って、捲土重来、また出直して来よう」と。あの背のちんこいやつが、伸び上がってね、デカい声で檄を飛ばしたんですよ。
それから、わあわあわあ、泣くものは泣く。騒ぐ者は騒ぐね。「俺はまだやるんだ」と張り切った将校さんもいましたしね。われわれ兵隊は、そうかと。しようがない、言うとおりに持っている武器を全部そこへ、広場へ山積みにして、何もかも、ごっちゃにしてね。それがもう昼過ぎにかかったでしょうね。


Q:それ聞いたときは佐藤さんは、どんなふうに思ったんですか?

 バカかと思ってましたよ。どんだけ、あれができるかどうかわかりません。バカかと思ったというのは、今の気持ちが入ってますけどね。なあに、そんなことできんのかいと。とりあえずは、あれのない、平和なところへ帰れるわ、というあれがいちばん先でしたね、正直言うと。

ほっとしたですね、ほっとしましたよ。

約、そこで半年ぐらい、春になってから作業出されて、いろんな仕事やって。ある程度メドついたら次の収容所、次の収容所といってね、5~6個所移動しましたよ。最後に行ったのが、チタなんですよね。あそこに約1年近くいたのかな。帰って来たのはチタからです。

わたしらを連れて来たのが「これに乗れ」と。また、このままどこかへ連れて行かれるんだ、と思ってね。1週間ぐらい走りましたか、その貨車に乗って。初めて、あっ、と思って、安心したのは、ウラジオの手前のナホトカという船の入る港あるんだけど、そこへ着く3日ぐらい前からね、浜風の潮の匂いがしてね、興奮して、寝られなかったんですよね。「ああ、これだとやっぱり帰れるのかな」と思った。

あの人数の中、たった8人だけの中に、なぜか、わたしが入ったんですよね。これだけは、ラッキーだと思ってます、今でも。

そう言っちゃ、あれですね、やはり、日本軍なんて腐っていましたよね。

だって(昭和20年の)8月じゃないや、7月の末に来た兵隊さんなんか、あんた軍服、着ただけで、持ってくる鉄砲もないんですよ。腰に下げるごぼう剣もなくて、丸腰で来たんですからね。その、ちょっと後に来たのかな、アルマイトの水筒でなく、竹を一節、切って、それにヒモつけて、それ水筒にして来たんですもの。軍服に戦闘帽かぶってましたけどね。ああ。

戦うなんて、あれじゃないもんね。それと、もうひとつだけね、あまり芳しくないことは言いたくないけども、あれだけ山砲の弾があたっても、ちょっと止まるだけで、全然、破壊もしなかった戦車。その下に、木のみかん箱ぐらいのあれに爆薬を詰めて、そこへ飛び込むという、たこつぼというのを、掘らされたんですよね。そんなもんだったら、対抗できますかね。何分の1かの兵隊は、その訓練ばっかしですよ、後半になってから。前もって、穴を掘っているのもあるし、脇に隠れて、来たら戦車の下へ飛び込めと。これを抱えて、背中とこれ抱えて、飛び込めと、そういう訓練をされた兵隊さんも、たくさんいるんですよ。

考えられない、まともな神経じゃね。でも、あの当時の上層部にしては、そうまでもしなきゃなかったんでしょうね。

それで、向こうへ持って行かれた、6万何人という人間、死んでいるわけでしょう。あれ、すぐ帰ってくりゃ、誰も、1人も死なないですんだわけですよね。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1924年
秋田県由利郡本荘町に生まれる
1941年
秋田県立工業高校冶金科卒業、釜石製鉄所に就職
1945年
満州に渡り、第107師団野砲兵第107連隊に入隊、上等兵、イントールにて武装解除、シベリアに抑留
1947年
シベリアから復員、復員後は建設業などに従事

関連する地図

満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

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