ホーム » 証言 » 下里 猛さん

チャプター

[1] チャプター1 「107師団に停戦命令を伝えよ」  04:55
[2] チャプター2 ソ連軍機に強制着陸させられる  04:55
[3] チャプター3 交渉決裂  04:30
[4] チャプター4 空からは見えない107師団  01:50
[5] チャプター5 伝えられなかった停戦命令  02:24

再生テキスト

満州航空は関東軍と直結しておって、関東軍が動くたびに部隊を編成して、司令部について、飛行隊を、輸送隊を、編成していくんですよね。で、最期の召集が僕らですね。それは、ソ連参戦と同時に、関東軍司令部に特設航空輸送隊をつくって、関東軍の参謀たちを動かしてあげるのね。

で、終戦までそのまま。だから、一応、形は軍の召集ということなんですねえ、僕ら。

あのう、当日、(関東軍の)司令室に呼ばれて、で、行ったところが、(満州航空の)管区長や本社の人事課長、運行部長もおったかな。その他に、中心におったのは、関東軍の薬袋(ミナイ)参謀と、それから金子大尉ですかね。それから、通訳の方もおりました。主に、そういう人たちに面接みたいに向かい合って座って、「107師団が、無線が途絶えて、状況が分らないで戦っている模様だから、そこへ、停戦命令を伝達して欲しい。それには、満航の飛行機以外には無いから、ぜひ頼む」と言われたんですよ。

僕は根っからの飛行機野郎だったので、これが、俺が最後の飛行機、乗れるんだなあと。別に、恐ろしいとは、そのとき自体は思わなかったんですね。よし、これで俺の最後の飛行機、決まった、思ったんですね。で、行くぞとやっぱり思いました。

僕はもう、最高に良い死に場所を得たと、思ったくらいですからね。はじめ言われた時は。まだ、敵がそこにおる、制空権が全然、無い、そういう状況で飛んでいける、誰も行ったことが無いところへ、「おまえ行け」と言うんですからね。だから、もう、飛行機野郎としては最後の花道だと、思ったですね。

絶対、撃ち落とされると思ったですね。もう、日本の国、空軍力って、無いんですから、初めっから。全部。あの、降伏文書が出る前は、いわゆるソ連軍が入ってきたときから、あの、いわゆる、制空権っていうのは、初めっから無いんですよ。満州の制空権は向こうにあるんですよね。日本側には無い。飛べば、もう、撃ち落とされるかも知れない。


Q:どこを捜すんだとか、どこを飛んで行くんだとかは聞かれてたんですか?

 いえ。それが、情報がそういう風に無線が入らないで、ぜんぜん司令部も、107師団の行方は分らないんですよ。しかし、もともと五叉溝(ウサコウ)の要塞におって、それを新京の方に撤退するように命令してるから。それに、新京に向かって来ているっていうことは、分るんですけれど、すでに、ソ連機甲部隊が入ってますから、たぶん、戦闘があるんじゃないかなと思っていたんでしょうね。で、早く、一刻も早く、その停戦を知らせなきゃいけないということで、僕に、伝単て、ビラなんかいっぱい積んでですね、そいで、敵の飛行場、敵に占領されている五叉溝の飛行場に行け、と言われたんですね。

ええと、夜が明けるのを待って、エンジンをかけたんですよ。そしたら、あの、まだ暗いもんですから、排気管から炎がボーっと出るのが見えてました。で、準備が出来たということで、機関士が知らせたもんですから、夜明けと同時に離陸して、直接、その、五叉溝に向かって、西ですね、西に向かって離陸しました。でも、制空権なんか全然、無いんですから、どっかで敵に会うだろう、ということは予想してましたね。

離陸してから、やっぱり王爺廟の近くまで行って、王爺廟の手前ですけども、平台という所があるんですね。そこで、敵機に遭遇しました。ええ、2機。2機編隊で、あのう、アメリカのエアコブラという戦闘機ですね。それがビューっと突っ込んで来ました。で、私は言われた通り、一生懸命、(翼を)振りました。そしたら、一機はそのまま上で旋回して、一機は僕、目がけて突っ込んで来ました。そいで、覗き込むようにして、僕の顔を見ていました。それから、僕はかまわず真っ直ぐ直進してたら、僕の前を通って、平台に向かって、ビューっと急降下して。無線、無いですから、「はあ、ここで降りろ」と言うんだなと思ってね、そいで、翼を振って、その方向に向かって急降下して、平台に向かって。で、もう他に仕様がないから、平台に、目的は五叉溝行けって言われているんですけれど、こういう風な状態ですから、平台に着陸しました。

集まってきたソ連兵の、柄の悪い兵隊たちが、もうスーパー(機種名)の貨物室をこじ開けて、中に入っているプレゼントにするウィスキーとか、いろいろなものを掻っ払おうとするわけ。で、通訳が大きな声で怒鳴ったんです。そしたら、将校が来て、いわゆる、あの自動小銃ですね、あれをバラララっと足下に、発射したんですよ。そしたら、兵隊があわてて、置いて、逃げて行ったんですね。そいで、元に戻させて、僕たちを、みな、飛行機から離れさせて、こっち来いって言う。行ったら、そこに、追っかけてきた、あのう、ベルエア戦闘機のパイロットが歩いてきた。年取った方で、飛行服じゃなくて、普通の軍服、着てね、肩章は大佐の肩章着けてる。で、降りてきてから、「お前たちは、どっから来て、どこへ行くんだ?」と尋問する、通訳を通じてね。で、軍使が、薬袋少佐が答えたんですけども、「関東軍司令部の停戦命令を伝達に行くのだ」と。そしたら、「分った」と。「じゃあ、自分たちの飛行機が護衛に行くから、一緒に飛んでこい」と言われて、戻されたんです。

「今から五叉溝まで行こう」っていうことで、一機だけ。今度はその、先に着陸した、あのう、中尉の、若い中尉の飛行機で離陸して、「その後、ついて来い」ということで。で、五叉溝に行ったんです。

五叉溝に行って、で、そこでエンジン止めて。で、そこのテントの前に、隊長が、そこの部隊の隊長が、少将だったと思いますけどね、皮の長いコート、黒いコート着たのが立って、待ってました。それで、僕らは外におりましたけど、その参謀と通訳は中に入って、で、話を始めた。僕ら外で黙って、寝転がって、待ってました。ところで、声が、だんだん、だんだん大きくなって、「こりゃあ、おかしくなったんじゃないかな」と。僕はもう五叉溝まで運んだから、これで仕事は終わったんだと思ってたんです、初めはね。ところが、なかなか出て来ないし、声高になって、喧嘩してるみたいな口調なもんだからね。「これはおかしいなあ。ひょっとすると、話が通じなかったんじゃないかな」と、思ってね。それで、ちょっと心配になったんすが、参謀達が肩、怒らして、天幕飛び出して来て、まあ、「王爺廟まで、また帰ってくれ」言うんですよね。王爺廟の、結局、その上級の司令官がおるんしょうね。そこ行って、話さんと、もう話、通じないと。もうダメだって、ぜんぜん相手にしないんですよね。絶対、あの軍使を山の中に逃げている「107師団」がこもっているだろうと思われる、その山の中に行くこと、許さないんですね。だから、仕様がないから「じゃあ、戻ろう」ということで、で、また、戦闘機の後について、五叉溝から王爺廟まで戻ったんです。


Q:五叉溝での交渉の内容はどんなものだったか、聞きましたか?

 いやあ、その結果だけしか聞かん。ダメだったっていう事しか。その途中経過はね、もちろん、言ったことは分かりますよ。その、日本軍に合わせろと言ったんだろうと思いますよね。行くこと許せと言ったんだと。ところが、結果としては全然、許さなかったって言うんですね。

で、伝単なんかもね、ビラね、「置いていけ」と。「自分たちが配っておく」と。「撒いておくから」って。紙のままとか、それから竹筒みたいなやつに入れたとかね、そんな伝単でしたよ。関東軍司令官布告というのかな、命令というのか、そういう「直ちに戦闘を停止して降伏する。武装解除せよ」っていう文面だったと思いますがね。


Q:その、五叉溝までせっかく来て、これからという時に戻んなきゃダメだった時ていうのは、どんな気持ちだったんですか?

 そうですね、お先真っ暗だったですけどね。ううん、しかし、他に方法、無いんですよね。だから、戻ったら、また何とかなるだろうと、思ってね。もうあまりいい気持ちじゃないけども、あのう、暗い気持ちで戻ったですね、やっぱり。

Q:ええ、捜しに行くときですね、捜しに行くときっていうのは、空の上からは、やっぱり、部隊がいるかどうかっていうのは、捜したりしたんですか?

 いえ、全然。もちろん見ますけれどもね。そんな様子は全然、無いんです。あの、司令部も沿線上に来てるかどうかはわからんのですよ。実は、いなかったんですよ、そこに、本当は。あとで、結果ですけれどね。実は、あの、一度、接触してから、ソ連軍と107師団が接触してから、山の中に入ったんですよ。だから、あの、見えるわけもないんですけれどね。あの、はずれてしまったんですね。で、我々、そういう、索敵な事なんか、場所も聞いてないしね。ここにいるらしいと言うこと、聞いてないしね。もっと、我々の飛んだよりも北の方に行っていたんですね、実際は。我々は沿線上に行ったんですね、鉄道線路上を。


Q:一応、その、鉄道線路上を行きますよね? 五叉溝まで。その時はやっぱり、一応、っていうか、捜した?

 もちろん、もちろん、しょっちゅう見ています。

よく見えますよ。うん、あのスーパーは。あの、上翼単葉ですから、下に翼がないから、邪魔しないから、視界はいいですよ。

でも、大部隊ですから、1万3千人ですからね。そんな目につくような所にはいなかったですね。

あの時、2~3千人、戦死してるんですよね。むざむざとね、戦争、終わった後で、そんな沢山の戦死者を出すなんてのはね。やっぱり、軍部としては手落ちですよ。そんな作戦にならざるを得なかったということはね。もっと、早くから、手を打てたんじゃないかなあ、と。素人の僕らが作戦はわからんけどもねえ。

それはやっぱりね、歴史に、もしもということはないけどもね。やっぱり、そうであったらね、命をね、沢山の命を救うことができたんだと思いますね。しかしそれでもね、第二次のやつが接触したからね、一万(人)ぐらいの命を救ってるんですよ。それが、我が満州航空かと思えばね、役に立ったことあるんだなあ、と思ってますよ。

やっぱりね、いつまでも負い目を感じるやね。そうじゃなくともね、我々の年代のやつはね、長生きしたやつはね、みんな負い目を感じてるよ。同期生が全部、戦死したのがいっぱいおるからね。その、107師団に限らず、ねっ。我が満航部隊でも、中学校の同級生でも、みんな、この年齢は負け戦ですからね、僕らの時代は。いっぱい死んでるよね、戦死してますから、やっぱり、生きること自体に引け目を感じてね。すまんだったなあ、長く俺だけ生き残ってと思ってますよね。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1923年
中国黒竜江省昴々渓に生まれる
1943年
岐阜陸軍飛行学校卒業、任陸軍伍長、満州航空株式会社入社、一等操縦士、二等航空士免許取得
1945年
軍使輸送、満航機のシベリア輸送に従事
1946年
ハルビン市から引き揚げ、戦後は長崎県の小学校教員を定年まで勤めた後、有益語学学院講師を務める。

関連する地図

満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

地図から検索

関連する証言

ページトップ