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チャプター

[1] チャプター1 襲いかかる猛烈な砲撃  02:37
[2] チャプター2 避難場所を将校に奪われる  02:34
[3] チャプター3 地獄の退却行  01:25
[4] チャプター4 「盾」にされる兵士  01:48
[5] チャプター5 疲労と飢餓の中での撤退  02:07
[6] チャプター6 シベリアへ  02:03
[7] チャプター7 パンに化けた「金歯」  03:24
[8] チャプター8 中毒死事件と引き換えに改善された「待遇」  02:03
[9] チャプター9 引き揚げてきた田中さんは炭鉱で働くことになった  01:04

再生テキスト

あれは、西口(シーコー)ではね、あれは(昭和20年)8月16日。西口の小高い山なんだよ。山も深いしな。そこへ全部、90連隊集まってね。そうしているうちにもう、ずうっと離れたところにバンバン、バンバン音するわけさ。
そうしているうちに、どっからともなく、大砲が飛んできたわけさ。ボーン、ボンとな。

その、軍旗っちゅうのは、天皇陛下守ると、同じだっちゅうもんな。したから我々は、ただ、武器もなくして、連隊本部の軍旗の後をついて、歩いたもんだ。そのときに、結局、ボンボン、ボンボン大砲が撃ってくるわけさ。山見たら、ソ連の兵隊、バーって並んでるんだもん。

飛んできたのは、大砲か、カチューシャか、わけわかんない。そこで、連隊本部は、もともと武器もなんもないもん、我々はな。ただ、あの、軍旗守ると。

したらもう、死骸がいっぱいだ、行李班(こうりはん)。行李班ちゅうのは、武器とか、弾とか、食料。もう死骸でいっぱい。

連隊本部の、その、糧秣とか、食べ物とかな、そういう、武器運ぶ奴らは、みんな死んでるんだ。


Q:すごい状況だったんでしょうね?

 そうそう、そう。ひどい話だ。そして、その山、火炎戦車来て、火炎放射器。どうして、そういう残酷なね。あの、あれだ、石油にだよ、火をつけて。これは、残酷だ。カチカチ山だべさ。

石川原(いしわら)なの、西口っちゅうところは。石川原(いしわら)でね、砲が落ちたって、そんなに、へこまないの。だけど、必ずこう、いくからね。俺は、目の前で落ちて爆発した所だから、まだ熱いそこへ入ったわけさ。したから、なんぼも。体ちょっと隠すだけさ。

俺も、(前は)山砲だったから。連隊ほ砲だったから。連隊砲、その辺に撃つからね。それを、直感的に頭できって、今、落ちたばっかりだから、もうそこへはもう、二度と来ないから、入ってたわけさ。

その将校が、大尉だ、そこへ来て、軍刀でもって振りかざして、落として、バーンと。

「よけろ」って。なんかね、真っ黒い顔してた。そして、切ってきたんだもん、軍刀で。軍刀、振り回してんだもの。俺と同じなのに、切ってきたんだもの。オレ、まともに受けたら、もう、頭、割れて即死さ。

俺はそのとき、まだ元気いいから、カッとかわすでしょ。泡くって出るでしょ。なんも、鉄砲もなんも、持ってないんだから。そして、這ってるうちに、バンバンきて。

それで、おれが負傷したわけさ。行くとこないんだもの。手と胸。破片が2発入って。

気を失っちゃったわけ。手やられたし、胸もやられたしね。そんなショックではないんだけどな。胸がやられたってこと、感じなかったな。手は痛かった。こう、ぶら下がっちゃったんだから。

将校といったら、神様だな、今、思えばな。社会、出たらくそにもならんて。軍隊、行ったら、そういうようなね、将校を神様にするように、そういう教育だもんな。そうしないと、命令きかないでしょ。将校の命令が、「死ね」って言ったら、「はい、死にます」っていうくらいのね。ああいうように、教育だった。神様さ。

連隊本部まで行くったって、他の部隊行ったら、殺されるからな。見てるんだから。他の部隊、行ったらね、必ず殺されるの。どうしてっちゅうかね、その兵隊がね、残して、向こうに捕まれば、どちらの道、行ったって知らせるから。それで、殺すっちゅうことなの。そういう命令なんだ。したから、他の部隊行ってって、顔を出して、色々聞いたり。「ああ、ここは90連隊でないな」と思って。


Q:他の部隊に紛れ込んだら、殺されるんですか?

 ええ、殺される。


Q:同じ日本人なのに?

 いや、結局、落後した者をね、助ければ、ソ連に捕まって、行った方向を知らせるから、駄目なんだと。
それを殺さなければ、沢山の人、やられるっちゅう意味さ。

したらまた、ぼわれて(追われて)沢山の犠牲がでるでしょ。なにせ、武器がないんだから。そんな馬鹿げたね、あれはないって。ひでえ話だって。

「突撃しろ!」ていう。「ニシヤマ! 突撃しろ!」ちゅうわけ。(ソ連軍は)なんぼも離れてないんだから。

もう立ってれば、バタバタ撃つでしょ。前にいるんだから。100メーター前に、自動銃持って。したから、そのまんまだ。そして俺もね、もう、やられたっちゅうこと、分かってるから。

傍へ、倒れて撃たれて。立ってすぐ、倒れたんだからね。したら、誰もそんな所へ、動いたら自分もやられるでしょ。そうしているうちに、下がこう、ウワーっといったからね、やっぱり入ってるものを、下がったんですよ、こっち。

あれから俺はね、今度は俺が、盾になるのかなって。何人、盾になるのかなって。将校、助けるために。我々は盾にならなきゃなんないかって。それから、考え違いしたな(考えを変えた)。

戦闘って、逃げて歩いて、戦闘もなんもおめえ、武器もなにもないもの、おめえ。盾でしょ。

要は、盾さ。もう、あの、本部の。軍旗守る、将校、守るだけの、盾。
ニシヤマさん盾になった。そのとき初めて、おれは、「ああ、盾になるんだな」って。「犠牲になる。偉い人の、将校とかそういう人の盾になるんだな」って、初めて感じだよ。

そしてもう、ひもじくて。もう、寝たら終わりさ。そういう人はみんな、どうなったかな。やっぱり帰ってきてから、誰も、集まらんもん。うん、みんな死んでった。

あきらめて、「もう、おれは、早く楽になりたい」ちゅう人は、みんな死んでいったな。死ななくたって、そこで、道路で、山づたいの細い道路に、日本兵が倒れてたら、みんな裸にされるし、満人に。

それから行軍中、人間は恐ろしいなあ、と思うのは、今でも思い出すけど、牛がね、そこでね、やっぱり満州だから、だいぶ南下しているから、牛が離れていったの。そこへ、ウワーツと10人くらい行って、牛ひっくり返して、腹が、ごぼう剣なんて、切れねえんだから、あれ。なんも。それ無理やり切って、肉はがして、食ってるんだから、みんな。で、牛、まだ目開いて、ピクピクしてるよ。

俺はそれを見てて、後でもらってね、食べたけどね。ひでえもんだ、人間ちゅうのは。野獣だな。

そして、飛行機が飛んできて、ビラ撒いたの。ね。そうしたっておれら分からんよ。だけど、8月15日、停戦だっちゅうの。28日(29日)でしょ。飯も食わないで、逃げて歩いてだよ。そして初めて、武装解除さ。

だいたい、貨車でね。今で言えば、ふつうの貨車で、窓もなんもないとこ。そこを二段ソウシする、そういう貨車を持ってきたの、ソ連で。そこへ乗り込んだわけさ、みんな。だから、トイレもない、あれもない、水もない。それで。

ダモイ(「帰る」というロシア語)でないと。日本に帰るのではないと。チタへ行くんだと。
そうなった時に、だいぶ逃げたな。おれは、その元気ないから。おれは逃げたって、行くとこ分かんないでしょう。
地元でだいぶ、満州に働いた人間、たくさんいるんだが、それが、召集になって来てるんだから、そういうやつの後をついていけば、逃げられたわけさ。
そしてあれ、何日かかったのかな。一週間ぐらいかかったんでないかえ。便所もない、あれもない、水もない。そして降ろされたのが、チタのジップ平原というところ。そして、山へ連れていかれたでしょう。兵舎でもあると思ったら、何もないの。山の野原、零下20度だよ。

そしてソ連のは馬に乗ってきて「ここへ、ヤポンスキー。小屋を建てて、ここへ住め」という命令だもの。ソ連の将校が。そして、鋸(ノコ)とマサカリと、それを置いていったわけさ。そのときおれは、「ああ、ここでみんな、しばれて死ぬんだな」と思った。

あの、春になるとね、5月くらいになれば、だいぶやわくなるわけさ。したけど、下はしばれてよ、シベリアだから。そこで死骸をね、6体ずつ運んだもんだ。

その山へね、6体ずつ、引っ張ってくわけさ。そして、焼いたら、焼いて、そこへ、ぶん投げてくるわけさ。そういう勤務だもん。して、私の場合は運ぶほうだし。ね、焼くのは、また別だもの。そこに、お寺さんがいたの。

その、住職が、そこに、居てて、お経あげるわけさ。次から次って、焼いてくんだから。焼くったって、おまえ、もう人間、肉ないんだから。みんな、骸骨になって、顔もなんもわからんよ、みんな。歯だして、誰が誰だか分からんよ。たった3ヶ月の間に。それを今度は焼いて、吹っ飛ばしてるわけさ。

だから、死んだ人、みんな歯むき出して。骸骨、口開くんだから。口閉めて寝ねんだから。金歯をみんな取ってね、パンと取り替えたのは、それは記憶あるな、俺も。ま、人間ちゅうのは、哀れなもんだ。

金歯って、なかなか取れねえんだよ、あれ。なんぼ、死んでても。それ取るんだから、容易なことでないよ。誰が誰だか分からないんだから、もう。それを、やっぱし、手まめに取って。

いや、そのときはね、みんな、「いいなあ」って思ってね、他の者は、指くわえているようなもんだ。みんな、ないんだもん。配給しかないんだもの。みんな、ひもじくて、どうしようもないでしょ。

取ったやつを、ソ連軍のマダムへ「ハラシラ、ハラシラ」って、こう見せて、パンと取り替えたり、煙草と取り替えたりさ。なにせ、そんなんね、上品なことしてたら、生きていけない。

みんな夜になると、寝てて、シラミで、もうもう、苦しいわけさ。しらみがでかいんだもん。日本の3倍くらいあるんだもん。そのシラミをね、取って、かしかし、かじってさ。それがひとつの、お菓子の代わりみたいなもんだ。

卵は食わんよ。シラミはねえ、かゆいから、こう触るでしょ。したら、自然に口入るでしょ。ひとつのね、まあ、あれだ。楽しみさ。だから、お菓子みたいに食う。なんのあれもないんだから。シラミしかいないんだから。自分の血吸ってる、シラミだから、けっこうあれするわけさ。

4月になるとね、シベリアは、たんぽぽがでてくるの。たんぽぽの根、ものすごい、苦いよ。そして、ニラがでてくるの。それから、死ななくなったな。

山菜採りさ。して、今でも思うのは、一晩で8人だか、18人だか、死んだんだ。それはね、勝手に、ソ連に、日本にいっぱいいるよ、山に、ニンジンみたいなやつ、あるの。で、ちょっとニンジンの匂いするの。葉もにんじんと同じ。それを、出たのは食ったわけさ。それが、みんな血吐いて、死んだ。おれもね、春になると運動のために、山菜採りにいくんだ。うす(山)行ったらいっぱいあるの、それ。これ食ったら大毒だよって。ニンジンの葉と一緒、ニンジンに間違う、ニンジンの葉と。同じだもの。そうなって、大量に死んだから、それからだんだん、待遇変わってきてね。

食べ物も少しよくなったし、風呂も、やるようになったし。

そのときに、ソ連は、ドラム缶で風呂を沸かしてくれた。着るものは全部ね、熱いお湯かけて、しらみを退治してくれたわけさ。それから、あまり死ななくなったな。だけど、そのときは、国際上、日本人の、ソ連の捕りょを、日本に登録したっちゅうの。

そして、しょうがなくて、駅へ、手弁当持って、日雇い人夫に出たわけさ。それで、なんだかんだで、ホクタン(北海道炭鉱汽船・道内で炭鉱と海運を経営していた会社)に拾われてね、大した、いい思いした。その前にね、死のうと思ったな。首つって、死のうかなあ、と思って。流行ったんだもん。そこの、ソクリョウザンの赤い電球あるでしょ。
あそこで、毎日、もう5~6人、首つりだ。引揚者。


Q:それは、なんでですか?

 やっぱし、前途なくて、希望なくてさ。行くとこなくて。仕事探して歩いても、なくて、みんな。それから、だんだん、炭坑がよくなってきたの。朝鮮動乱になってから。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1923年
北海道夕張郡夕張町に生まれる
1944年
旭川北部第三部隊に入隊、その後満州にわたり第107師団歩兵第90連隊に入隊
1945年
上等兵、イントールにて武装解除、シベリアに抑留
1948年
シベリアから復員、復員後は北海道炭鉱汽船に勤める

関連する地図

満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

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