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チャプター

[1] チャプター1 大阪城に集合、一路 満州へ  03:44
[2] チャプター2 ソ連軍が満州に侵攻してきた日  04:11
[3] チャプター3 戦車に追われる  05:30
[4] チャプター4 トロッコに乗って敗走する  02:45
[5] チャプター5 西口の突撃戦  02:28
[6] チャプター6 兵器の優劣も歴然としていた  02:28
[7] チャプター7 泣き叫び、そして自爆した兵士たち  03:13
[8] チャプター8 照明弾に照らされる退却路  04:21
[9] チャプター9 シベリア抑留  03:41
[10] チャプター10 昭和20年11月、捕虜収容所での労働が始まる  08:03
[11] チャプター11 靴職人としてチタ市に移る  01:15
[12] チャプター12 復員-また騙されるのかと思った  03:06

再生テキスト

最初、集合する場所がね、秋に集合したのは大阪城でしたね。大阪城に全部、集合したんです、東北は。そして、集合したときに東北の兵隊ですから、大阪でも、秋ですから、なんぼか暖かかったんですね。そのときに、身体検査終わって、そして、そっちへ行くのは冬服、こっちへ行くのは夏服と、別れたんですね。わたしの場合ですと、冬服、着せられたんですよ。夏服着た者は、そこから今度、船でもってハワイ島のほうに行って、なんか行く途中に全部、終わりと。わたしの場合ですと、冬服を着たもんだから、そのまま下関に行って。それから釜山にのぼって、それから朝鮮から満州に行って、満州からノモンハンというとこあるんですね。ノモンハン事件、あったどこ。あそこ、ノモンハンというところまで行ったんですよ。

Q:行ったところというのは、どんな場所でした?

ノモンハンですからね、前にソビエトと一緒に戦争したとこなんですよ。

馬に乗って行くとか、それから自動車で行くとか、というふうにして、昔の戦場の跡を勉強しに行くんだね。昔、ソビエトとケンカしたとき、こういう場所で戦争したんだよと。お前たちもだんだんには、ここで、こっちで戦争するんだよという。そのためには兵器はこうやると、人を殺すときはこうやると、いうことを勉強するんだね。それは、大体2年ぐらいやりましたね、その教育を。

Q:そのときというのは、やっぱり訓練というのは厳しいものだったんでしょうか?

ああ、すごいんだもの。すごい。初心者のね、要するに初心者と言ったら、初年兵と言ってね、初年兵ということは2年間なんだね。人を殺すときはこうやると、戦争するときはこうやるんだということは、やっぱり2年間ぐらいかかりましたね。2年間、毎日。その間にいいのは、土曜日と日曜は温泉に行ってね、洗濯するんですよ。それから、あのときは兵隊は、なんぼかお金をもらえますからね。それを持ってって、官舎のご飯食べないで、外食ですね。そんなの喜んで食うんですね。今で言うと、要するにジンギスカンだね。中国人だとか、満人が、それから蒙古人が、兵隊が出てくるのを待ってて、ジンギスカンを籠に入れて、売ってくるんだね。売りにくる。そいつを買ってくるんだね、それが楽しみですね。

昭和20年でしたね。8月だものね。8月のときには、わたし、本部にいたものだから。本部がずいぶん騒がしいんでよ、朝がね。なんで、きょう、賑やかだなと思って、寝てたの。そんでまあ、毎朝、出て銃剣術の勉強しますからね。あと、鉄砲撃(ぶ)ちの練習しますからね。それは、まさか、きょう戦争、始まるとは思ってないから、8月20日ですよね?

Q:9日です。

ああ、9日ですね、8月9日ね。そんであと、朝礼が決まって、部隊さ、みんな帰ったわけさ。部隊さ、帰ったところがなんて言うんだ、今で語れば召集だね。召集のラッパが、かかってきたんですよ、本部さ。ラッパかかってきたところが、各中隊から伝令と、中隊長と、人事科長が、みんな本部さ、集まったんですよ。全部、集まったの。

おかしいなあ、何やってんだべなと、思ったのよ、初めてだから。戦争というのはどういうものか、命令系統がどういうものか、というのがわかんねえから。そしたら、あとみんな、帰ったんですよ。帰ったところが、今度、本部にいた兵隊が全部、集まれと。もう戦争、始まったと。始まったから、いま、全部、各中隊に命令を出して、兵器受領とか食糧受領に来るから、各係の兵隊は兵器庫さ、行くなり、食糧倉庫さ、行くなりして待ってろ、と。そうなったわけですよ。あれえ? と、なったわけだ。そして、ものの30分、経たないうちに、各中隊からみんな受領に来るわけだね。受領と言うんだけど、受け取りに。鉄砲何十丁とかね、食糧は何日分だとか。それをもらって、みんな帰って行ったんですよ。

帰ってしまったものだから、さあ今度は、本部の中隊長、大隊長だね。大隊長は今度、俺たちに「お前たちも全部、軍服を新しいのを着るべし。それから、靴も取り替えんべし。兵器も持つべし」と。「食糧も持つべし」というふうに言われたわけさ。俺もいちばん先に、食糧庫さ、行ったんですよ。食料庫というのは、いつもだったら戸、閉まって開かねえのよ。開けっ放しなんですよ。だから、食ったこともねえチョコレートとか、それから羊羹とか、そういうのを雑嚢さ、いっぱい入れたんですよ。今度こう、帰りにここへ来て、弾薬庫さ、来たの。弾薬庫へ来たところがね、弾がねえんですよ、鉄砲の弾がないの。みんな各中隊さ、出しちゃったから。んで、俺、持って行けと言われたってなんにもねえなと。戦争さ、行ったって弾もなし、鉄砲もなしと。

それから本部の命令系統を俺がタッチして、各中隊さ、走って、歩かねばねえのかな。そんで馬小屋さ、行ったっけ、ちょうど馬っこが3匹までいたのや。馬っこをかっぱらったんだよ。馬をかっぱらって、軍刀を積んだり食料を積んだりしてね。大隊長はどこまで行ったかわからねえわけさ。先に行ってしまったんだ、偉い人たちは。どこさ、行ったべと思っているけど、ずっと、あっち行ってんだものね。そのあと、ぶっ駆けたの。それで白城子というところまで行って。俺は馬で行ったし、みんなは歩いて行っていたから、追いついたわけだ。そこから今度、始まったわけだね。

オラたちは戦車に対しては、とっても太刀打ちできねえんだわね。だから逃げるよりほかねえんだわ。どんどこ、どんどこ逃げたんだ。だけども、彼らは戦車だし、それから自動車だからね。1時間歩く(走る)と、休むとこまで来んだものね。こっちは一晩中でしょう、一晩て、歩くでしょう。一晩、歩いたって、また仮に5時間歩いたとしたってね、4×5の20で、20キロだもんね。20キロといったって盛岡まで。ここから、盛岡あたりまでだね、歩いたって。それを1時間で来られるんだもの。だから、追いつかれるわけだ、すぐに。追いつかれるし、夏だから日が照ってくるしね、敵が見えるし。

それから、日本の武器、装備。それは全部、わかるでしょう、彼らは。だからバンバンバーとやられるんだわね。だから、戦争、始まったといえば、なあに、たちまちさ。こんなの5台も、6台も、入ってるから、戦車が。ガラガラ、ガラガラやって来るものね。戦車で自動車ぐらい速いからね。

そうしているうちに、こちらは戦車が、川の中を越えて上がって来たんですよ。上がって来られるのはいいけども、道路がこうなるもんだから、ここで4中隊、5中隊、6中隊、8中隊と、こう並んだわけですわね、兵隊が。ところが、戦車がこうして来たから、ここのところに対して、兵隊が一生懸命、弾、撃つけんども、あたるけんとも、故障はこねえのよ。なしてかというと、日本の兵器の弾というのは、戦車を傷めるだけの弾を持っていねえがったんだ。破甲爆雷というやつあるんですよ。ちょうど、これぐらいの大きさだ。これぐらいの大きいのだ。みかん箱なんですよ。その中さ、爆雷が入っているんですよ。そいつを、今度は兵隊が背負って来るの。背負って、鉄砲とか、自分の弾とか、というのはそこさ、ぶん投げて。そして、ここのところの道路の脇さ、土掘って隠れてんの。そして隠れているやつを、戦車はこう回って来たときに、この戦車の中さ、入る。この破甲爆雷を背負ったまま戦車の中へ入る。入るというと、戦車は爆発するわけだ。これは、いちばんいい、戦争方法だったんだよね、これは。

ところが、彼らもバカでねえから、この破甲爆雷を持って来た兵隊が、戦車の脇さ、来たと思うとね、戦車から機銃掃射ってでたんですよ。ダーッと、機関銃で撃ってくるの。そうすると、このところの道路の脇さ、モクモクと動くでしょう、この兵隊が。重たいから。それ目がけて撃たれる。俺はちょうど、ここにいだったから、ここにいたからね、戦車にやられるやつが、すぐわかるんですよ。なしてかというと、土ぼこり上がるからね。爆雷が破裂とすれば、土のほこりがバーンと、上がるんだもの。そうしているうちにこの戦車は動かねえ。動かねえけんとも、その爆雷も、うまくキャタピラーの中に入れば、これは走行することは不可能だけんとも、(たいていはうまくいかないから)動かしてみれば動くから、なんだ、今度は5(中隊)、6(中隊)、7(中隊)、8(中隊)とこうなったとこさ、みんな、めちゃくちゃ、めちゃくちゃ、みんな踏んづけられたわけさ。オラほうの各中隊の中隊は。だから、めちゃくちゃにやられたの。ここだと、玉砕なの。だから、トンネルの山の、白城子というところには、アルシャン部隊の、田中隊の兵隊は全滅、全滅したの。俺は本部との中間にいたから、ここから、逃げたのさ。おっかねえかったから、逃げたの。これを見届けたけんとも、俺は豆鉄砲持っていったって、かなわなねえんだわね。逃げたほうがいいと思って逃げたの。

戦いというのはね、こういうふうにやるんだ、ということは言葉であって、実際問題の場面が来っというとね、なかなか自分でね、戦うというよりも、自分の命が大事になるんだね。だから、なるべくなら、逃げよう、逃げようと、するわけさ。逃げてはあかんねえぞ、という、教育にはそう言うんだよ。教育と現実と、相反するもんだわね、誰だって、同じことだ。タカハシさんだって、ソ連軍とケンカするときは、こうして殺すんだぞと、言うけどもね、さあ、その場になったら、おっかねえから、逃げんだ。で、俺も逃げたの。

そうしているうちに、まず下がんべ、下がんべ、新京まで下がると。下がるというので、そういう命令をもらったったから、歩いてもいいから、何日かかってもいいから、歩くべと。飯も食(か)ねべし、寝ることも、しねえべし。そして、どんどん、どんどん、下がったっけね、線路のとこから、なんだか物が落ちてんですよ。なんだと、そばさ、行ってみたらトロッコ。ほら、トロッコあるでしょう。あいつが落ちてたのよ。あいつが落ちてたからね、それを、満人と一緒に、そのトロッコを上さ、上げたのよ。そして満人と、俺と、2人でトロッコを押したのさ。そうしたら気持ちよく走るんだわね、トロッコだから。そして行ったの、どことさ。だけども踏むことと、ブレーキかけることしか知らねえの、トロッコというのはね。ずうっと行ったところが、今度は、橋さ、ぶつかったんだ。橋というよりも、なんだ、川のとこさ橋架かっていたんだよ。ところが、その橋が全部、ソビエトの飛行機かなんかで、落とされてんだよ。だからこっちも、おっかねえもんだから、トロッコから、がたがた落ちたのさ。落ちて、トロッコはそのまま行っちゃったんだ。あとは川の中へ入ったっけ。オラはそのまま、あと今度は、流域伝いに、どんどん下がって行ったの。下がって行ったっけ、そっちのほうからの敗残兵。オラたちの敗残兵。疲れていって、歩く、腹減って歩けねくなったの、なんも、めちゃくちゃなんだ。そういうなのが、いっぱい集まったのさ、あるところの停車場さ。

そこで今度は、ああいうときには生き残りの兵隊だけ集まって、混成中隊というのを作んだものね。ケガしたり、歩けねくなった者はだめ。動けてる者、鉄砲を持っている者、それだけで50人でも、30人でも、いいから、そこで集まって、混成中隊をつくって、1つの部隊をつくるわけね。

そいつの繰り返しで、西口、号什台、あの辺あたりを、どんどん、どんどん、戦争して歩ったのさ。

西口というのは、ひとつの山だからね。そしたら、ソ連軍が自動車で歩くもんだから、こうやって、裏のほうの道路を使っているんだね。裏のほうの道路を使ってね、ここのところさ、自動車置いて、この山の上さ、あがったのさ。そして、俺たちは下のほうにいたもんだから、下からあがって来る日本の兵隊を、上にいた兵隊、ソ連軍がここで待ち伏せくったのさ。そういうのが現実だったね、西口では。そんで、オラたちここにいるもんだから、この山を登るというときには、鉄砲、持って上がんのだから、そんなに歩けねえわけさ。力、出ねえ。ソ連軍は車で来て、ここのところを平坦地を来て、ここで自分たちの壕を掘って待ってんだから、お手のもんなんだ。うん、お手のもんなの。

そして俺たちは、ここへ行って、それで、ここで突撃を敢行したの。突撃を敢行するということは、声出して下がるから、ここにいたソ連兵はね、おっかねがってさ、そして逃げたのさ。逃げたとこに、テメエたちが、ここにいた自動車さ、乗されば、ここにも戦車がいたと思うんだ。だから、そこまで逃げれば、御身大事に逃げることできんだわね。オラたちは、御身大事なんて語ってられねえんだ。こいつを、なんぼだって、殺さねばねえがら。だけど、こいつらワアワアと、叫ぶわけさ。叫ぶのはあいつらの言葉だか、「あっちへ行け、そっちへ行け」と言っているのだか、「そっちへ行って、わかんねえ」とかいうことを言ってんのだか、「逃げろ、逃げろ」ということを語ってんのだか、日本語ではそのロシア語、わかんねえわけさ。わかるわけねえんだもの、通訳でねえから。だからあと、こいつを、とにかくぼったくって。声は聞こえねくなったから、ここでぼったくった、ぼったくったと喜んだわけだ、オラたちは。

こっちはね、一発、弾でしょう、三八歩兵銃というのは。拳銃だって、ひとつしかでない。自動でねえからね。ところが彼らはね、全部、自動小銃だものね。だからね、ものすごいんだ。弾、飛んで来ること。だから、日本人なんか、見事なもんだ、見事にやられる。だからおめえ、150人なら 150人の中隊、混成中隊つくって行ってもね、ソ連軍をぼったくって、こっちで帰ってきて、また、下で数えてみるわけだ。ケガしたのも死んだのも、半分ぐれえいねえがったな。150人ならば、70人ぐらいは、外の戦闘で。そいつの繰り返しさ、あの当時は。んだから、いかに日本の兵器、日本の武器がダメだったかと、いうことがわかるの。見事なんだ。150人の1個中隊でだよ、1つの戦闘で、半分ぐらい死んでんだから。とてもじゃねえんだ。それで3回も4回もやられたんだ。

とにかく、音がうるさいからね。なんか、自動小銃の音だけでねえんだもの。そのほかにも、手りゅう弾、来るもんだか、なんだ、大砲みたいなのが、飛んで来るもんだか、それは爆発するもんだか。とにかく、そういうのがすごく騒がしいんだよね。うるせえんだよ。だから、そういう中で、こっちも弾、撃っているんだからね、ものを考える能力というのはねえんでねえ。俺は、あのときはなかったね。

とにかく、あまりにも騒がしいもんだから、弾が飛んでくっから。騒がしいからね。なんて言ったら、いいんだろう、そういうのが、生き地獄なんだべよ。これが、本当の生き地獄であり、戦争というものなんだべ、というぐれえなもんだね。

叫んでいるうちは、いいほうだ。叫んでいるうちは、いいほう。「痛い、痛い、痛い」って、叫んでいるうちは、いいほう。あれなら、叫んでいるうちはね、ここから、血が出るとか、こっちが、足がねくなった、とかいうのだ。あとはね、あとのはもう、出血多量で死んでるよ。この山の中のね、こういうふうな山の中でだよ。この中でも、この下のほうでも、ケガしても、下へまた下りて、来っちゃ、こっちへ行かねえで。こっちへ上がるより、ケガしたら下で下りたほうが、楽、なんだものね。誰か助けてくれるという人はいるから、ここまで来るわけさ。ここでもう、なんて言ったらいいかな、命が絶えて、ここで終わり。それからあと、この中間で終わり、というのもいるし、「ケガした、助けてけろ」と言うのもいるし。

でも、中には、手りゅう弾を自分で取って、抱いて、そして、死ぬのもいたったよ。土がバーッと、跳ねんの、土が。だから、手りゅう弾をたんがえて、たんがえてだよ、そして立ってねえ、手りゅう弾を抱くやつはいねえと思うんだ、俺。それじゃあ、弾を取って、石さ、ぶつけて、立ってて、「ああ、天皇陛下、父ちゃん、母ちゃん、さよなら」で、ねえくて、そこまでいかねえと思う、俺は。手りゅう弾をそこから取って、石をさ、はたいた。自分も一緒に倒れた。そんで死んでしまった、と。だから、土ぼこりがうんと上がんだ。

Q:死んだ人はたくさんいたんですか?

いたいたいた。だから、あの1個中隊300人のうち、半分ぐれえ死んだもの。150人だよ、1つの戦場で。だけど、俺たちも、なんだのかんだのって、動けるやつは、俺、背負ったり、担いだりするけど、ここまで降りて来ねえばねえんだ。だけど、あっちにも死んだ、こっちにも死んだと言って、捜がしているわけにいかねえんだ。すぐ次の行動に、俺たち、移んねばねえの。移んねばねえから、あいつはかわいそうだ、叫んでいるようだから、行ってみっかなとか、あいつはくたばったよと、行ってみっかなと、そんな余裕はありません。とにかく、この戦闘で勝って、ぼったくって、次の戦闘の準備さ、入んねばねえから。そして、みんな集まったときには、いま言ったように、半分しかいねえんだ、ここに。

やっぱり80も過ぎれば、あんまり、そんなことは思い出したくねえがったですね。ただ、思い出したのはね、花火。いや、花火だら、俺、行ったことねえよ。ここにもあんだけども。なして行かねえのさ。花火というのはおっかねえ。思い出して。花火というのは、昼間でなく夜、上げるよ。ところが兵隊は昼間のなか戦争して、夜は道路沿いに歩くわけだ、ごうでもどこでもね。そうするとね、その脇、道路の脇から、花火が上がってくんのさ。花火もダーンと上がってもね、スンと落ちてこねえ花火なんだよ。バーンと上がっててもね、ゆっくり上がっていくの。そうして上まで行ったら、その花火が、また、ゆっくり落ちてくんだね。そうすると、俺たちは5時間も、6時間も、歩いてる道路が、5時間だって、6時間がね、昼間のなかと同じ。昼間のなかと同じ。上がっときと、下りるときと、同じ速さだ。バン、ウンというのでねえのだもの。こう上がっていくんだもの。だから、ここに兵隊が歩っているのわかんだ。

ここから、今度、機関銃を持って来るの。そしてパラパラと撃たれるの。だから、そういうような経験をやってったから、あの花火というのはうんといやんだ。おっかね。

Q:夜にパッと明るくなるのは、やっぱり怖い?

うん。パーッとでねえのでや。ノロノロ、ノロノロと、だからねバーン、バンーでねえの。んだらば、いいのよ、俺もおっかねぐねえのよ。んでねえんだ。歩いていたときに、直そこからだよ、ズーッと花火上がっていくんだもの。だから、この道路が見えるわけだ。道路には俺たちが歩いてっから。歩いているし、もう1つは歩くときにだよ、昼間のなか、戦闘してるから、ケガしてる者もいるし、腹、減ったり、疲れたりしてる兵隊もいたわけだ。 だから花火上げれても、グーッと隠れることできねえんだ。その元気がねえんだ。わかるすべ。そいつを今度、機関銃で撃たれるの。自動小銃で撃たれるの。とってもあれだ、おっかねえ、おっかねえ。だから、撃たれることもだけんとも、花火自体が頭さ、きてんだよ、俺は。撃たれることはしゃあねえよ、戦争だから。だけど、花火は戦争でねえんだからね。

Q:照明弾ですよねえ?

照明弾なの。それでもなんだ、ものすごいでっけえの。ものすごいでっけえのがゆうったりだからよお。

見てる暇もねえんだもの。弾、飛んでくるもの。だから、道路の脇の藪の中へ入って、隠れるのさ。そしてあと、なんていうんだがな、花火が上がんねぐなったときに、また歩くんだ。歩き出したら、必ず、花火、出っから。

Q:じゃ、そのとき、結構、多くの人が亡くなった?

なあ、死んだ死んだ。あらゆる兵器を使って、あらゆる考え方を使って、今度のソ連軍は戦争したんでねえすか。

その前からなんだけども、満州里からソビエトの貨物列車。そいつが、棚を組んであるんですよ、こう2段とか3段。その中は乾燥ワラ。馬っこさ、食(か)せるワラ。あいつを敷くんですよ。あいつを敷いたとこさ、ねえ、日本人の捕虜を、はい、ここさ、何十人、何十人て、全部、指名で入れてしまうわけさ。そして、昼間のなかね、どんどん、どんどん、突っ込んでしまうの。夜だねえよ、昼間のなか、突っ込んでしまって、発車すんのは、夜中、夜中。夜中、昼間んなか絶対、動かない。なして、わかる? 逃亡すっから。逃亡するということと、もう1つはね、地形が、わかられるから。「なんだ、この汽車? ウラジオストックのほうさ、行かないでナホトカのほうへ行くな」こうなるわけだ。2つに分かれっから。こっちへ行けばウラジオストクだから、こっちへ行けばモスクワのほうだ。だから、ここで汽車が動けば、こっちが動けば何もねえの。こっちが動けば、「ありゃ、これじゃ、ナホトカさ、行かねえで、あっちさ、行く」と。モスクワのほうさ、行くと。

Q:阿部さんが、列車がおかしい方向に行っているなと気づいたのは、どうして?

いや、俺、気づいたのはね、しばらあく、行ってからだものね、満州里から。しばらく行ってからだもん。下のほうさしばらく、なんぼ、2日か、3日経ってからだもの、分かったの。なんだ、ここは? そしたら全部、ソ連の停車場だと、こうなったわけだ。ああ、そんでは、わかね。では、逃げっかだ。逃げるにも、逃げられねがすぺ。なんともなんねえな。

行く前に、今度ほら、汽車が止まるまではね、ずうっと止まんねえんだ。3日も、4日も汽車、動いてんのよ。止まるのは夜だけ。夜だけ。昼間は止まんねえの。昼間、止まったというと、昼間、逃げられっから。夜だったら逃げられねえと。だから、夜だけ止まって、昼間はものすごくぶっ飛ばすわけ。そして3日だか、4日経って、ジップ平原というとこさ、着いたの。そんで着いたっけ、今度は朝間。着いたのは朝間。着いたときに「なんだおめえたち」バケツの中さ、スープなんか、入れてあった。「なじょに、したらいい?」と、こうなったわけだ。貨車の中さ、スープ、バケツさ、2つだか、3つもらったの。「なに?」と言ったのさ。通訳も何もねえわけだから。

それで降ろされて、そしてそっから、朝方だから自分の持って行った荷物。うちに帰るといって持っていった荷物に、荷物はそれ、持って行ったの、持って降りた。降りたっけ、そこから今度は「この山を越して、あっちまで行くのだ」と、こうなったわけだ。そうしたってね、朝方、早くだから、まだ暗いわけだ。暗いとこを歩いて行ったの。それで明るくなるまで行ったっけ、そこに兵舎があったの。そこはドイツ人の捕虜が、昨日まで入っていたの。昨日まで入っていた兵舎。そこさ「こら、貴様たち、今晩から、お前らがこっちへ入って、寝るんだ」と言う。貨車から降りて、持ってきた毛布なんかあんべ。それからパンとかなんかもあんべ。そいつら広げて食(け)えと。それで1日か、2日か、そういうもの、オラたちが持って行ったものを、食ったの。それで3日目から、ソ連軍の給食があがったの。それで、4日目から、今度は伐採仕事で山さ、行って伐採するからというので、ノコギリとか、タポルノとかって、あずけられで行ったの。そこから始まったの、そこから伐採、始まったの。そこから、もう完全に捕虜だ。

Q:伐採は大変だったんでしょうか?

ああ、ノルマだからね。それで、あっちへ入ったのが11月だから、なんだ寒いし、食うものはねえべし、風呂へはへえんねべし。なんの、だからあっちへ行ってね、栄養失調になって死んだ。毎晩5人から、6人ぐらい、死ぬんだ。そんでも、しゃあねえんだな、なんともなんねえんだっけ。なに、ひでえもんだ。だから、そこで栄養失調になる原因はね、発疹チフスって、シラミ。今、シラミってあんまりいねえからね。あのときにね、大体、人間というのは着たきりでいた場合に、3か月。2か月から、3か月、風呂さ、入らないで、着たまんまで生活すっと、必ずシラミが起きるものね。シラミ起きる。だから栄養失調になる。

Q:まわりの人で亡くなった人もいるんですか?

だからみんな、栄養失調になってくたばった。

夜になってから、パンなんか、あがってくる。スープで食う。「ああ、オラゲ(家)にいればな。オラ、今ごろパン食った」とか。パンでねえ、「ご飯食った」とか「魚食った」とか「肉食った」とか、そんなこと寝言、語っているわけだ。「腹いっぺえ、食いてえもんだなあ、腹いっぺえ食いてもんだな」って。腹いっぺえ食(か)せられねえのよ。なんでかと言えば、ノルマが貫通しねえから。100パーセントのノルマが貫通しねえば、ご飯も来ねえの。だから、どこまでも痩せていくの。

そして「ああ、母ちゃん、母ちゃん、身はこだになって」寝言、語ってんだよ。そしたら、次の朝間になってハッケク(冷たく)なってるよ。栄養失調になって死ぬやつというのは、そうだ。やめるまで、食いたい、食いたいって。朝間になると、ハッケクなって死んでる。ハッケクなって、冷たくなって。冷たくなって死んでる。そいつは、あと挟まれて、引っ張りだすのさ、その死んでるの。臭くなっから。

Q:亡くなった人を運んで埋めに行ったことはあるんですか?

うん、毎日だ、毎日。毎日行ったのだ。毎日、うん。

Q:毎日、埋めに行った?

毎日。だって毎日死ぬんだもの。そこもやっぱり300人か、400人いるんだから。毎晩、よったり(4人)か、5人ぐらい死ぬんだっけ。それで、そこさ、置くと、ストーブ焚いてっから、乾燥ワラの上さ、くたばったまま置くとねえ、今度は腐れてくるわけだ。だから、だめだというので、みんな引っ張りだして外へ出すのさ。それで、朝間になって、そいつを、今度、雪の中でソリっこさ、乗っけて、山さ、持って行って投げてくんの。

Q:投げてくる?

投げてくるのさ。だって、雪だと掘れねえもの。雪、掘れねえもの。ナタで掘ったたって、到底10センチと、掘れねえんだもの。だって、氷点下30度から、35度だもの、掘れるわけねえんだもの。だから雪の上さ、ぶん投げてくるの。そいつを今度、行って。

Q:投げてくるって、そのときというのは、なかなかつらいものがありません?

俺がああいうでも、こういうふうになるんだな。俺もいつかこうなるな、と。ただそれだけさ。みんなそうだ。そんなことを語って、みんな投げてくんだよ。「今度、ああ、俺、死ぬかもしんねえぞ。おめえ、俺んとこ投げてけろな」「そんなこと言ったってわかんねえ。そのうちに俺も、なっかもしんねえ」みんなこうさ。お互いにそうだ。お互いにそう思ってるんだもの。

そうしているうちに、今度は、だんだんと、そんではねえんだと。風呂さ、入れてあれするよと、こうなったわけだ。それから、2か月ぐれえ経ってからだな、風呂、焚いて。薪はいっぺえあったから。風呂ったってドラム缶。ドラム缶を改造して、薪ダンガラと焚いて。あんたたちも経験したことあるけども、ドラム缶、雪入れて風呂さ、入るまでに、何時間ぐれえ、火を焚いたらいいと思います? 零下30度だよ、外で。大体8時間だ。雪の上さ、ドラム缶置いて。いいですか、そしてそれと雪入れて、下から火焚くの。ドラム缶、真っ赤になるんだ。これが風呂さ、入るまでに、温まるまでに、ドラム缶さ、入れた雪がお湯になるまでに8時間。朝の5時に焚けば5、6、7、8、9、10、11、12、それぐれえ火を焚くと、風呂さ、入るのよくなる。そのうち(それまでは)入られねえ。そうするうちに今度、みんな入るもんだから、ダガダガと水、無くなっちゃう。すると、また雪入れる。また8時間。だから入れねえんだ。だから夜、夜中に風呂入ったり、朝も入ったり。

Q:少しずつは改善されていったんですか?

あんまり死ぬからね。改善されたというんだか。あんまりにもかわいそうだと思ったんでねえ、ソ連軍も。だって毎晩5人、6人ずつ死ぬんだもの。

それだの分けられたのよ。分けられて、俺はなんぼもできねがったけど「おっ、靴屋」と言ったの。でえぐ(大工)はでえぐ、洋服屋は洋服屋で、みんな手挙げたりしたの。それで挙げたやつは、その日の朝間、今度、汽車さ、乗せられて、チタまで行ったの、チタ。ソビエトのチタね。あそこさ、行って降ろされて。そして、そこの工場さ、入れられたの。工場へ入ったっけ、やっぱりドイツ人の捕虜も、そこで稼いでいたね。ベットあったと。ベットで1人ずつ、1人さ、1つずつ、もらったのさ。

あとはずっといたの、そこに。帰るまで。

Q:それで帰ってきた?

それで帰ってきた。だから俺は靴屋をやるようになってから、割り方ね、給食もえがったの。パンも馬鈴薯もいっぺい、食(か)せられた。

あんときは、もう1回、帰されるかなと思った。帰されたのもいたよ。というのはね、舞鶴に来る前に、ナホトカに来たでしょう。ナホトカに来たときにね、やっぱり、身体検査とか、それからソビエトの教育、共産党教育、なんぼ、受けたか。なんぼ身についたか。そいつをね、検査されたのだ。そんで、あす、あさってに舞鶴さ、帰る船さ、乗さんない、というときにね、そこから、また名前を呼ばれて、それで、また帰って行ったね。

ナホトカから舞鶴へ来たの。ナホトカから舞鶴へ来っとき、正直、言ってね、ナホトカまで来て、また騙されるんでねえかなと思ったの。また、シベリアのほうさ、行くんでねえかと思ったの。だけども今度は、ナホトカから、舞鶴から行くのに船っこ来ちゃったの。日本の漁船。それさ、乗せられて帰って来たの。そして、ナホトカから舞鶴まではね、3昼夜かかった。3昼夜。

Q:帰って来たときは、日本が見えたときはどう思いました?

なあに、みんな手はたたいて喜んだ。だってね、騙されるという気あったんだ。この前だって、満州里からナホトカさ、行ったでしょう。ナホトカに出て、あっちさ、ね。それをだまされたんだから。今度また、騙されんなと思った。だけども、ナホトカ見えたときはね、舞鶴、見えたっけ。「ああ」、なんて。

Q:当時のことをやっぱり思い出すことはあるんですかね?

うん。夢なんかでるね、よく。あっ、と思って目覚めるときあるよ。ああ、ここはオラエ(家)だったなと思って。

まず、死ぬまで離れねえんねえ。んだと思うよ。だって、あんな地獄、地獄な場所って、ねえんだわ。それは、言葉でねえんだもの、現実に見てきてるんだもの、見てきたものは、ああ、脳ミソの中さ、ビジッと、入ってしまったんだうん。それを、消すこと、できねえのだものね、教育の中で、うん。だから、わかんねえんだものね。もう死ぬまで、消えねえんでねえ、うん。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1923年
岩手県胆沢郡前沢町三日町に生まれる
1944年
満州に渡り、第107師団歩兵第90連隊に入隊
1945年
上等兵、牛汾台、西口などで戦闘、徳伯斯で終戦を知る、シベリアに抑留
1949年
シベリアから復員、復員後は靴店を営む

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満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

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