ホーム » 証言 » 栗林 徳次郎さん

チャプター

[1] チャプター1 装備は急造爆雷だけの挺身大隊  04:53
[2] チャプター2 西口の戦場-バタバタ倒れた日本兵  02:17
[3] チャプター3 捨て身の死闘となった号什台(ゴウジュウダイ)の戦い  04:47
[4] チャプター4 捕りょになる  03:23
[5] チャプター5 帰国直前まで殺されると思いつづけた  02:16
[6] チャプター6 感動のない帰国。「いぐねえ」戦だった  02:30

再生テキスト

(アルシャンは)まず山だって、そんな高くねえしさ。そこ、この前も話したように、ノモンハンとトンネルの間だよね。そんなに山って、高い山ないだね、そこはな。トンネルのほうはあったけれども。んだね、戦争、始まるよ、4日ぐらい前に、向こうの騎馬兵がガーッと来たんだよ。4日ぐらい前にな。それで今度は、それをひとつ、思い出して、それから、あの飛行機が新京だの、あっちのほうを爆撃して、ずっと上だけども、戻ったわけよ。ああ、これ、戦争だなあと思って、命令受領に行ってよ、始まったっつうことがわかったんだよな。そのあと今度、汽車襲撃すに、ほら、敵の飛行機、来たわけさ。その時点で、見習い士官等は工兵隊さ、兵器受領に行ったわけ。だけど兵器というのは、まずねだねれ。5~6丁、融通はできたかな、工兵隊のほうもないので。せば、われわれは特攻隊(挺身隊)だげで、急造爆雷しかなもねえきゃ。それから、今度は。


Q:急造爆雷ってどんなものですか?

 どんたな、このぐらいだべな。こう、四角な。升みたいなものさ。あの中さ、入っているんだよな。それは例えば、橋、爆破しておかねば、ここ割って、手榴弾、詰めで、その上さ、今度はみんなで石を上げで、三角なあれやって、ドーンとやって、逃げるわけよ。それが頭へ、バラバラと来てんだよな。それは西口だな、やったの。


Q:橋、壊す時に使ったんですか?

 うん、それ使ったの。だから、西口(シーコー)、んだなあ、要するに毎日、死んでいるだろうな。まあ、ただ17日だと思ってんだよな。いやたしか、日にち、変わってるかもしれないけど。ワー(自分)も間違っているかも知らねど、敵の戦車、来た時と。友軍やられだんだの、ほら、この橋爆破さす敵の戦車来たったね、爆破した時。それで間もなく、今度は敵の戦車来て、向こうさ、真っ直ぐに行くわけよ。で、片一方のほうから、山砲が撃つわけだ。あたっても何もビクともさねんだね、戦車、強くて。あれで1小隊だか、やられてしまったんだよな。


Q:その戦車を山砲で撃ったのは見たんですか?

 うん、見た見た。それだ、山砲が見てる。


Q:それで全然、ビクともしない?

 うん、ビクともさ、ねえ。西口のすぐ向かいの山から撃ちよるんだもの、直ぐわかる。

いやいや、絵っこさ、書いているとおりでよ、バッタバッタどよ。面(顔)さ、上げて死んでいたっけ、一人もない。みんな伏して、死んであったよ。それも、分かんねだったけども、西口にいたとき、山砲でやられたという情報がきたくらい、中でも見てたんだやな。

それで見たんだけどもよ、知ってる人が全然、いないんだよな。それ右側だし、左側、今度は馬がはらわた出してよ。みな、人が歩けば、その後ろをついてくるくらいになっていたのに、われわれも、歩けば。まず、可哀相なものだ、馬も。もう人と同じだったものな。


Q:亡くなっている人を見た時というのはどんな気持?

 まず、気持も何も。自分でも死ぬもんだと思っているだから、そう感じないんだよな、うん。ただ、知っている人がいだがなって、見ただけのもんでよ、うん。


Q:例えば、自分もやられるんじゃないかという怖さとか?

 それはない、うん。いや、殺されるずう気持はあるけれども、別に何とも思わねな、うん。そもそも最初の位置づけ方は、日本は神の国だからね、負げる事ねえという、その精神を皆、持っているわげよ、うん。だからね、そう感じねえと思うんだよなあ。うん。

とにかく、午後だべな、何時頃だべ。それこそ何回もしゃべっけども、曹長が仁丹、飲んでるときに、それさ、足にバーンと来て、ヤギが鳴くような悲鳴を上げたんだ。それがら、今度は、戦、始まったわけよ、われわれ。午後の何時ごろだべ。だいぶ遅くだよな。向こうの自動小銃とこっちど、まず、すぐ、こうはっきりと見えるだね。それで、撃つ人たちだって、何人もいないだべね。第一、兵器ねえもだもね。

急造爆雷は持っているんだ。んだね、あとの人たちも銃、持っていた人も何名ぐらいいだか、わがねえだ。集まり(寄せ集めの)兵隊ばっかりで。


Q:その時というの、やっぱり弾がたくさん飛んできていたんですか? その?

 いや、来る来る、弾は。あっち、自動小銃はね、バババババッと来るもんだのよ。曹長が出てねば、俺んとこさ、弾は飛んでこなかったかもしれないけども。高いとこさ、曹長上がって、仁丹、飲んでいたからね。今でも耳につくような、腹、撃たれてよ、ヤギが鳴くのと同じようだ、あんまり悲鳴を上げて。そのあと、今度はほら、敵が来て、見習い士官たちがみんな出て行ったわけよ。

見習い士官、鼻から、喉さやて、即死だべ。中隊長腿(もも)やられで、なんぼ出血止める気になって、紐でもって、こうして、血止めしたって止まらない。とうとう死んでしまったからね。

いや、そばにいたんだもの。自分も、銃も、何も、持っていないけど、そばにいだの。小隊長こっち、中隊長こっちにいたんだ。だから分かったんだけど。直ぐ下げろって、下げてよ。そして、血止めしに、草こう縄かけてぐるぐると巻いてもよ、何ぼしても止まんねだに。


Q:元々例えば、敵がいるから、敵をやっつけに行ったわけじゃないんですか?

 ではない、別に。戦争するずう気持で行ったわけでもない。これから撤収して、元の位置へ行くつもりで歩いていたわげさ。まず、戦するという腹(考え)も、第一、銃も何もねえしなあ。んだから、これで撤収すべ、という腹もってるわげな。それ、撃だれたわげよ。

武器もねえしさ、短時間のうちで終わったんだね。そんなに長くやらないの。それ、何回もしゃべるけど、曹長が撃たれて、そして、間もなく敵のあれが、側へずっと、見えてきたもんだ。それを、いまの機銃でバーッと撃たれてよ。それだったら、彼らも行かなくてよかったのに、死んずのも見えていたべし。なんぼも長くはやんねだ、そこで。われわれだば、晩まで、暗くなるのを待っていたわけだけどもな。

そのあと、晩までいで。ほら、みんな怪我してがら、まあ、死んでからよ。その晩まで、そこにいたの。それで残った人たち、俺ど、まず2組に別れだわげよ。

夜中に撤収して、そこで離れでしまったず。前に中隊長の死んだどごがら、2組に別れだずよ。その内、明くる日、騎馬兵にやられたわげ。

ひとつはさ、満人の寝る床の下さ、隠れたわげ。それがまあ、満人が仕掛けたわげよ。入っていて、それで撃だれたわげ。ワーだけ、隣の倉庫あったどこで、それ鍵かかってあって、樽被っていたわげ。それで一人、生きてたわけ。それで明くる日、ずっと来て、途中で、今度、眠くなったで、寝ていたでしょう、それで捕まったの。

川の岸に寝ていたら、捕まったわけ。それで、ぐるぐる、ぐるぐる回されで、収容所さ、行ったの。ワー(自分は)、感心したよ。よくまあ、生きてる人がたくさんいたなあ、と思ってよ。それからソ連兵にあって。

それがら、今度はマーチュさ、乗って、半日ぐれえ歩いたかな。そのマーチュさ、乗った時も普通の兵隊、首を車に傾けて死んでいた。まず、二人で、ほら、行っても、軍法会議さ、回されるという考えで、二人して、しゃべってらわげよ。だけゃ、一人の若げぇやづ、首を傾けて、ここは何処だときいたけど、このガラガラ(騒々しい)車なんだ。ささやいている内に、死んだえな。そのあとソ連兵、鉄砲ドンと撃ってよ。それから俺たちのことを、今度は、厳しく車の中さ、つないでおいでよ。それずっと最後に来たら敵の将校いだべ。それで2日ばりジープさ、乗ってたべよ。「山砲なんぼあるがさ」、「兵器はどれぐらいあるか」というごと、きかれだわげよ。それで最後に、ソ連兵が俺たちを、あれどこだっけ、みな収容所に入れたわけ。うん。

どこさ、連れでどうされるか、なんもわかんねえな。ただ、いつが殺されるべずう、その気持だけはあった。 


Q:殺されると思ったわけですね?

 んだな。その時でも、ソ連さ、連れて行っで、殺すだべど思って、みんなそう思ったべよ。よその人も。うん。ソ連さ、連れて、みんな殺してしまうだべって気持だったべ。とにかく生きるずう気持はながったねな。

そんだ。家さ、来るまで、そうであったんだ。家さ、来るまで。収容所あるでしょう、ここの収容所が1か月か、2か月あれば、脇さ、やって。日本さ、戻る、ダモイだってよ、戻したって言って、なんも嘘ばかり、ずっと、やってるわげよ。そんだで、われわれ帰国するときも、まだ、樺太さ、でも連れでいくべなあずう気持で、おもしえ(うれしい)気持もなもねえで、だったすよ。


Q:ずっと向こうに居る間は、いつか殺されると思っていたわけですか?

 うん、そうそうそう。それと今度は、樺太の炭鉱さ、やるとがよ、とにかく日本さ、帰すという腹はねえべど思ってだの。

みな、殺されるものだどして、考えでだわげよ、われわれだば。まず、ソ連さ、行っても同じごど。帰す、帰すったって、一生、帰さないと思って。日本さ、向かって来た船でも、樺太へ行くんだべな思ってよ。

なんも、おもしろぐね(うれしくない)。おもしえ気持、何もねえだ。どういう関係ださよ。全然、おもしろいとは、あれはながったなあ。なんも、うれしいと思わねな、どういう関係だがよ。


Q:それはどうしてでてすか? それは?

 どうしてって、共産主義をお互い、教えられたからかもしれないけどもよ。何となく、そう、おもしろぐはねえだよな。うん。


Q:日本が見えた時とかでも、あまり感動はしなかったんですか?

 感動さねえずおん。なんとなく、あの時点で、共産主義のあれ教育されてるじゃない。それさ、そのウソばかり言われたから、ダモイ、戻す、戻すってよ。一生、戻さないで向こうに行かせたまま、ということで。舞鶴さ、戻ってきたわげ。その時だって、ソ連軍の将校の外套、着てよ、うん、暑いんだげど着てらねえら。


Q:栗林さんなりに、これは戦争の真実として話しておきたいということとかありますか?

 まず、いぐねえ戦したなあとは、思う。悪い戦しだなとば、思うてな。まず、無理だ戦したというごとだ。今になってみればな。

亡くなった人もあるし、まず、領土もみな取られたり。そのことも考えるな。


Q:自分が生きて帰って来てよかったと思いますか?

 今だばな。今なら帰ってきて、いがったなと思うけどよ。今年まで、生きておんだもの。

出来事の背景

【満蒙国境 知らされなかった終戦 ~青森県・陸軍第107師団~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)4月、ソ連は日本に日ソ中立条約を延長しないことを通達。緊張が高まる中、東北出身の兵士たちを中心に編成された107師団は、モンゴルとの国境に近い、いわば最前線の「アルシャン」に配備されていた。

8月8日深夜、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告。
翌9日未明、150万を超える兵員と5000両の戦車、そして5000機の飛行機で満州へ侵攻してきた。重戦車や連続発射可能なロケット砲など、すさまじい火力で日本軍を圧倒した。
107師団は、関東軍総司令部から、国境付近から600キロ離れた新京まで後退せよとの命令を受ける。しかし、機動力に勝るソ連戦車部隊の追撃、挟撃で西口(シーコー)の原野で14日から15日にかけて激しい戦闘になり、大きな被害を受ける。

8月15日、日本では終戦が伝えられた。しかし107師団には、終戦とそれに伴う停戦命令が伝わらなかった。軍の命令を解読する「暗号書」を処分していた107師団は、停戦命令を受け取ることが出来なかったのだ。

敗走する107師団は、ソ連軍に進路を阻まれ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山中に入った。飲まず食わずの行軍で、疲れは極限にまで達していた。
8月25日、山中を抜けた107師団は、ソ連軍と号什台(ごうじゅうだい)で遭遇、武器のないまま、捨て身の攻撃を仕掛け、さらに戦死者を出した。

8月29日になって、飛行機からまかれたビラでようやく終戦を知った107師団は戦闘を停止。終戦後も続いた戦闘と行軍で、1300人の命が失われた。
しかし、生き残った兵士たちにも過酷な運命が待ちうけていた。極寒のシベリアでの収容所生活である。

証言者プロフィール

1922年
青森県南津軽郡に生まれる
1943年
新潟県高田の独立山砲兵第一連隊に入隊、その後満州に渡り、第107師団野砲兵第107連隊に入隊
1945年
第107師団挺身大隊に転属、シベリアに抑留、復員後は食料・雑貨の仲卸業を営む

関連する地図

満州(アルシャン、五叉溝、大興安嶺、号什台)

地図から検索

関連する証言

ページトップ