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タイトルタイトル: 「補給で敗れたシンゼイワ」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~
名前名前: 日根 高雄さん(徳島・歩兵第143連隊 戦地戦地: ビルマ(シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)  収録年月日収録年月日: 2008年9月28日

チャプター

[1]1 チャプター1 極秘の派兵  01:34
[2]2 チャプター2 突撃  02:46
[3]3 チャプター3 当初好意的だったビルマの人々  01:29
[4]4 チャプター4 補給なき戦い  02:26
[5]5 チャプター5 退却路で次々にたおれていく  03:54
[6]6 チャプター6 立ちはだかった濁流のシッタン河  03:51
[7]7 チャプター7 敗戦を聞いて  04:05

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~
収録年月日収録年月日: 2008年9月28日

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徳島の、蔵本の連隊から、出たんだけどね、わしらが出て行きよるときは、全然、見送りやいうのはないわけなんだ。家族が夜、来とったって、まあ、ようけ(大勢)の中から、我が息子を見出すっていうわけだね。軍隊のほうは、秘密召集。秘密の出発。

全然、家族には会わしてくれんと、そのまま出発して、駅でね、汽車に乗ったわけなんだ。

出発したときにな、もう冬が近いのにやね、夏服くれとると。ただの服、くれるわけやね。ということは、南方へ行くんだろうと。皆がそういうように、予想しておったんだ。だけど、一切、わしは下士官だったけんどな、下士官でもわからなんだな。

夏服で、冬が来よるのに、夏服くれるということは、これは南方行くんだ。その通り。20日船に乗っとったけどね。

Q:分隊長は、「突撃」って言われたら、先頭に立って行かなきゃいけないんですか?

 行かないかん。そなんだら、兵隊、付いて来へん。先頭にすることがな。だから、結局、分隊長っていうのが一番前におるいう、ことになる。戦争、敵と。まあ、平らな平地で戦闘やったらな。分隊長が一番先に行くようになる。


Q:一番、命も危険ですよね?

 死や、いうことを考えよったら、戦闘できんわな。「できん」言うたって、これ、命令で、召集があって、戦場に連れて行かれたら、それはしょうない。決してきた者も、おるわな。誰も戦争がしとうて、した者はおれへん。

よう弾に、当たらなかったもんじゃと、思うもんね。そりゃピュンピュン来よる中、弾が飛んで来よる中、通り過ぎたことがあるけんね。そらもう、砲が、山におって敵の砲撃を受けたときは、敵がすぐそばまで、来よったもんな。

這い上がって、来よった。そんなときはもう、警戒、兵隊を壕の中へ入れといてね、私、一人が見よると。「お前ら、中へ入っとれ」と言って。して、けんど、たまたま出ると当たらんもんで、横をピョーンと、弾、飛んで来るんだよ。

もう、自分があかんと思ったら、皆、殺されてしまうからな。そんなこともある。まあ、無事に戻れたもんじゃと思うな。まあ、60何年も、生きさしてもうたんじゃけん。

案外、親切だったんだね。日本に刃向かってくるようなこともせえへんしな。

だいたい話、片言ながら、意味がわかってね、話、できよった。やっぱり、半期一緒におったらね、近くにおったら、やっぱり、覚えられるんやな。向こうも教えてくれるわけや。こっちが、習うようにしとったたらな。その点はまだ、かわいいんだよな。常には「マスター、マスター」言うてな。

具体的に言うと、最初にしばらく、ちょっと慣れるまでは、果物、持ってきてくれたりな。そんな、しとったのもあったね。まあ、食料品はもう、軍隊のほうにあるけん。果物やそんなものを、ビルマ人がくれとったな。「マスター、マスター」言うてな。

戦車と機動車のな、装甲車じゃな。装甲車に苦しめられた。もう戦車は、日本は対戦車の砲がないんだろ。日本は。対戦車砲がないけん、肉迫攻撃でいかないかん。そんな、戦車に向かって行ったって、あかんやろう。結局、戦車包囲して、なにしてたって、戦車(の操縦士)が小便でもほるところ、ようなところ、出てくるという式にいかなんだら、戦車、取れんわな。撃ったってあかんのやもん。小銃持って、ポコポコ撃ったって、それ皆、跳ねるだけだろう。

結局、あかなんだんだよ。向こうは戦車でな。戦車で、飛行機で、皆、物資の輸送をしてくるもんな。日本は弾は送ってこんのや。向こうは、砲を撃ち出したら、2時間ぐらい、連続で撃ってくる。ドコドコドコドコドコってな。そしたら、日本はしばらくしたら、ポーンっていうて。山砲がたまに撃つだけじゃ。弾がないんだよ。それで、向こうは弾なんか、すごう、あるけん。ドコドコ、ドコドコと撃ち出したら、2時間撃って来るんだよ。そのあたり、砲弾だらけになるわ。

砲にはまいったな。砲のようけ撃ってくるのには、まいったな。

物量の差。物量。結局は物量の差。向こうの半分の兵器をな、くれたら、絶対に負けへんなて、みんな兵隊が言いおった。半分のな、物量半分くれたらな、絶対に負けへんて。

塩分がなくなってきたら、フラフラで、動けんようになってくる。塩分なかったら。塩分がのうて困ったんじゃ。

砂糖はなくても、糖分は摂れるけんどな、あるもんで、塩は他に、摂る方法がないんだよな。塩がないから困った。塩分が欠乏やいうと、動けんようになるけん。

そのときの行軍は大変だったな。そのときになって倒れてな、要するに、平地を歩きよるときにな、倒れて、まあ亡くなった人もあるわけだ。どっちにしたって、倒れたら、自分の体は自分でしなんだら、どないもしてくれんのやもん。そんなしよったらな、皆が死んでしまいよるもん。そやけん、もう、ほってくる。置いてくるっていう。

悲しいことやな。でも、やむをえんで。それと1人連れてくるのに担架でしたら、4人いるんだよ。

(手りゅう弾を)だいたい持っとる。1つは持っとる。もうだから自殺しとるわな。それか鉄砲な。鉄砲くわえてな、足で引く。

ほってきたんもある。山で。中には、もうしゃあないけんな。だって連れていけんで。担架でかく言うたって、かく兵隊がおらんもん。


Q:ほっておくっていうのは、どういうふうにするんですか?

 こけたまま、ほっとくんじゃ。倒れてしもとんねん。その辺は、余力があったらなにして、担いできたらいいけど、担ぐだけの兵隊がおらんで。もう、分隊長だったけど、分隊長のわしも一番(しょこい)やつやな。兵隊ほってくるやつはな。

それで、死んだんだけどな、そうやって、死んだ人間もだいぶあるだろうな。そりゃ山で、ほっておかれたら、生きとる気がせんだろう。山の山奥の、まあ、ほっといたら、トラの餌になってまうわ。トラもおるけんな。わしも野生のトラ、斥候に行って、出くわしたことあるけどな。

Q:日根さん、最後にですね、シッタン川を渡るときのこと?

 シッタン川ね、渡るときに船で渡ったら、一番ええんだよな。船を、土民の船を取ってきてな、渡ったらこれ、一番楽な方法やな。それと、竹をやな、山を出る前に、シッタン川を渡るといって、こんな竹を切って、みんないかだを組むっていって、かついでしばらく来たけどもな、もうそれ持っても、もうみんな、行けんって言って倒れてるのを、もう、ほってもうたからな。ほんでまあ一部の人間は持ってきとったんだよ。竹に組んでちゃんと船をとできたんとな、2組に分かれたわけじゃ。

わしらは船、わしは要用があるけんな、船にただで乗れた。それで船で、わしは渡れたけんね、敵機が、敵の飛行機が飛びよるし、警戒しよるけん、明るいうちには、渡河でけんのよ。だけん暗くなる、薄暗くなってな、そんなときを利用して船で渡る。

船で渡ったほうやけど、竹で渡った人も途中で竹がひっくり返ってな、亡くなった人もおる。流れてしもうた。また水が吉野川の台風のあとの水ぐらい、流れよるんじゃ。シッタン川の水っていうのが、そやけん、流されてもうた者もおる。まあそれは、一部やけどな。今、言うたみたいに要用があるけん。頼むぞって、言って、兵隊に頼んだあったけんな、飛行機の間でサーッと渡ったら、まあ首尾よく渡れて。


Q:川を渡る前とか、川を渡った後とか、その川に流されてる日本兵とか見ましたか?

 うん。おったおった。おったおった。それでね、「飛び込め」と言うて、上から声掛けてるもんな。よう泳がんのです。飛び込まんと流れていったのは。一部そういう人がおった。

もう、ずっと流れていきよるのな。「飛び込め」言っても飛び込みもできんし。結局、あれは沖へ、流されたんだろうな。あれ、そやけど、川って、流れていきよって、こっちへ来る、かなり来る場合も、あるもんな。そんだけど、せっかく来たら飛び込めと、そういって言っても、よう泳がんので、一人でそのまま乗っとったのもあったな。


「とうとう負けたか」と思ったな。ちょうど行軍しよったな。ビルマで。行軍しよるところへ、部隊の人が言うてくれたな。(ビルマ南部の)ラングーンにだいぶ、近づいとったと思うな。歩いて。それまでに敵機が来たって、上、飛んでいくだけじゃ。「なあ、これ、おかしいな」言いおったらな。

負けとった。敗戦になっとった。敗戦になったか。負けたかと思うた。負けると思うたわな。物資が向こうと違うんじゃけんな。物量が。向こうとはな。物量の差じゃ。イギリスに負けたのはね。イギリスはアメリカに協力してる物量やけん、日本が一人でジタバタしたかってあかんもんな。

捕虜ちゅうたって、食べるものもくれたし、捕虜同様、まあ捕虜っていうのになったような感じが、せなんだわな。

捕虜生活で、あれ、これっていう仕事もせえへなんだけど、これに載ってろう。

捕虜生活。たいしたことはしとれへんねん。

食料をね、フランスに行く食料を船に積み込む。積み込まされたよ。船の荷役っていうんかい。船の積んだり。それをさされた。これも最初は、フランス軍が毎日、人員の割り当てをしてきて、使役を出し、フランス軍の戦車内の掃除や洗濯などをさせられていた。

出来事の背景出来事の背景

【ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争の開戦から間もない昭和17年1月、日本軍は英領ビルマに侵攻し、わずか半年余りでビルマ全土を制圧した。

しかし、昭和18年になると、連合軍が反撃に転じる。対する日本軍は連合軍の拠点インド東部のインパールへ進攻し、連合軍の反撃を防ごうというインパール作戦を計画する。
作戦を成功に導くため、第143連隊は、ビルマ西南部で攻撃をしかけ、連合軍の主力を引き付ける陽動作戦が命じられた。

航空機を使った空からの補給によって、連合軍は最新兵器で途絶えることなく攻撃を仕掛けてくる。一方、十分な補給がない日本軍は追い込まれていく。

昭和20年4月、連合軍は日本軍のビルマ方面軍司令部が置かれていた首都ラングーンに迫る。危機を感じた司令部はラングーンを放棄し、前線で戦う部隊に対して何の命令も与えぬまま、タイ国境近いモールメンまで退却。前線の部隊は敵中に置き去りにされてしまった。

歩兵第143連隊が属する第28師団の師団長司令官は、決死の退却戦を決意。バラバラに戦っていた部隊を集結させ、シッタン河を渡って別の味方部隊と合流するという計画だった。

深い密林に阻まれ、飢えと病に苦しみながらも、7月20日、ペグー山系で部隊の集結は完了。敵の目をかいくぐりながら、シッタン河をめざした。しかし、シッタン河突破作戦を事前に察知していた連合軍は、いたるところで待ち構え、攻撃してきた。

敵の包囲網をくぐり抜け、ようやくシッタン河にたどり着いた兵士たちは、雨季で増水した濁流に飛び込み懸命に渡るが、連合軍やゲリラに狙撃され、また、シッタン河の濁流に飲み込まれ、作戦に参加した3万4千人の兵士のうち、味方に合流できたのは1万5千人であった。そして8月、生き残った兵士たちは、シッタン河のほとりで終戦を知った。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
徳島県板野郡応神村に生まれる。
1938年
現役兵として徳島歩兵第43連隊に入隊。満州に渡り、ソ連との国境警備、”匪賊掃討”の任務に当たる。
1940年
満期除隊となり内地帰還。
1941年
召集、徳島歩兵第143連隊に入隊。タイ上陸。
1942年
ビルマ侵攻作戦に従軍
1945年
シッタン河渡河作戦後、タイへ転進中に終戦。
1947年
復員

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ビルマ(シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)

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