ホーム » 証言 » 上田 一馬さん

チャプター

[1] チャプター1 退却支援  04:22
[2] チャプター2 弾の撃てない戦闘  02:21
[3] チャプター3 弾薬も食料もない  01:45
[4] チャプター4 敵陣のなかをぬって脱出  03:13
[5] チャプター5 兵士の命は紙一枚  02:23
[6] チャプター6 敗走  02:57
[7] チャプター7 アーロン収容所  03:03
[8] チャプター8 復員  03:01

再生テキスト

雲南省ではね、龍兵団(第56師団)を救出するために入ったわけ。九州の龍兵団、ね。

それで龍兵団へ入ったんだけど、うちの中隊は龍兵団の9中隊の救援を受けてまで。

救援を受けるなら楽やろうなぁと思ったんだけど、逆にこっちは救出されて、9中隊一人しかおらなんだよね。

かえって余計につらい目にあうがな。

もう配属(一時編入)で入ってきたものでしょう。使えだけ使えっていうようなもんや。

もう今度、わが身の隊は、もう全然、ほとんど使わんでね。まぁ、人数も多かった。

入ったとき多かったさかいにか知らんけど、使うだけ使わにゃ、使うてもいいっていうような。


戦友がもうばたばたと、もう病気で倒れるんでどうもならんのですわ。


それで上へ上がる。山の上でしょう、雲南省はね。

ちょうど富士山くらいの高さのところへ。飯は炊かれんでしょう。

それ、飯炊きに下りなあかんのと、それから今度、もって上がるのに今度、次の飯炊きがまた下りてくるでしょう。

それで一個分隊14人しかおらんでしょう。14人ね。

14人の中、4人も6人も上がったり下がったりばっかりしている。

その繰り返してて。向こうへ着いて、向こうの兵隊と代わるわけなんで、向こうでは、戦闘している者は4人か5人しかおらんで、一個分隊で。


まぁ、でもいちばん最初は、自分ら敵の状況というものが分からんのさ。

ニッサカ中隊で行ったけれども、敵の状況というものが分からんし。

敵の状況が分わからんからやね、列を組んでずっと進んでいったわけや。山の隘路をね、ずっと。

ほうすっというと、上から塞いでしまう、敵がね。日本人は谷底来るでしょう。

敵はこう上のほうにいて、上から射撃する。クモの子を散らしたようになって。もう、どうもこうもならんですわね。
初めはそんなので、敵の状況が分からん思いでしてね。


戦闘は、日本軍はやね、もう昔なら三八。

今の、昔の明治38年式の三八の小銃だけよ。小銃部隊だけですて。

それで機関銃は15発の機関銃だけでしょう。それで新型の機関銃は持っておらんのですわね。

それで、新型の機関銃っていうのもマンダレーに上がってから初めて受けたわけです。


いや、かなわんて。やっぱり敵は自動小銃やでね。

ちょっと当てるには、こっちは当て外れちゃうわけです。自動小銃はみんなが持っているとは知らんでね。


どことなく、足をやられるやら、手をやられる。首やられるわ、頭やられるわ、みんないろいろいるわね。

それで、死んだもんがかわいそうだっていうのは、お椀の穴掘ったでしょう。

この穴の中に逆さまに敵を入れてしまうんですよ。

そうすると、足2本だけこう出しておくのや。これが障害物になってこっちはまた進まれへんの。

これはどうもこうもならんさ。

そして、ちょうど雨季時分でしょう、6月ですわね。

それで雨が毎日降るし、今度はりんが燃える。

火玉がぽろぽろぽろぽろ。あっちからもこっちからも。

何であんなところから、あんなもの、火玉が出てくるって、初めてで分からんのや。

それは、まぁ、あの戦闘っていうのは、連隊長もそこで死んださかいやけどね。

連隊長も何もみんな死んで、ほとんど死んだ。大隊長も死んだでしょう。

みんなここでやられたもんで。これはひどいもんやさ。


向こうは、砲と自動小銃。それで、ガンガンガンガンくるでしょう。

こっちは何、一発ずつ撃っている三八のな、撃っているだけでしょう。

三八の歩兵銃で。そんものとても問題にならんですよ。

それで弾撃たんほうが利口やですよ。どこぞにやら隠れているみたいなもので分からんでね。


ああ、もう全然だ、あかんですよ。トタン屋根の上に、豆まくみたいなもんですわ。

がたがたがたがたーって、撃ちにかかったらもう。


もちろん日本軍は、誰も弾撃っているものは一人もないんやもん。みんな隠れているだけやね。


撃ったらわが身がやられてしまうがね。撃った人がやられてしまう、先に。

そこにいるっていうのが分かったらやな、そこのところに何十人の兵隊がバーっと一斉射撃やるでしょう。

そんなもの何しているのか分からん。


Q:誰も撃てないんですか?

 撃てない、撃てない、そんな。そんなもの撃てたらひどいもんじゃ。


応戦するにもできんというのも、皆、いごろし(居殺)やで、そんなもの。

皆、いごろし(居殺)になってしまうんやぜ。

あいつらが持っているのは、何を持っているのじゃ分からんのじゃぜ。

そうでしょう。自動小銃だけならいいけれども、自動小銃のほかに何を持っているやら分からんのやでね。

それでこっちは敵の戦車や、敵はこっちからこう来るでしょう。

それで・・が倒れているなしたら、もう弾撃つ者も何もないですよ。

それでシーンとしているものやから、敵は引き下がる。

それでこっちは、暗うなるまで待ってて出るっちゅうようになってさ。

そんなもん、日のうちは全然仕事にならん、それで。

飯炊いて、飯炊き出しして、連隊が本部のほうから持ってくるって言ったのが、持ってこんでしょう。

こんなとこにいたって戦争はできんと。生米かじってて、戦争はできません。

これは別れるって。通信隊帰るさけぇと。

通信隊に入れば、また飯も炊けるし、何でもできるし、ちゅうことで別れたんや。


Q:そんなに簡単に別れられるもんなんですか?

 別れるっていったって、1人、各分隊とも4人か5人ずつでしょう。

1人減るだけやもん。僕ら別れていくさかい、どうもならんのや、これ。

あっちとこっち。他のは誰も知らないで。こっち1人だけ、別れて。


それで、別れて、何していくともうて、歩いて。これいよいよ通信隊ないから、これ俺一人じゃどうもならんと。

それで「通信隊はシングにいるんだから、シングのほうへ行かなあかんなあ」と思って何してた。

それで何して、うろうろこうもうて歩いたらやね、ウエムラとひょこんと会うた。

ウエムラ歩哨に立っとってね。それで「ウエムラ、何じゃ」ったら、「上田か、どこじゃー」って。

「俺、お前、通信隊のところへ行くんや」って。

「何だ、俺も連れて行ってくれや」って、今度はウエムラが。今度、逆にこっちに。


そうして、ウエムラがついて。

ウエムラは、今度、「分隊長に、なんて言うてこうか」って。

「イシクラに言うてこうか」って言うてるさかい、イシクラのところまで、行って「俺と、上田と2人は行くさかい」って言って。

そしたらイシクラが後ついてきたんや。

10メートルまでは離れていない、6メートルか7メートルしか離れておらんでしょう。

それでその上にね、クリークが1つある。細いクリークが1つあったの。

そのクリークの中に自分は入って見ていたので。

そうしたところ、上がっては、敵の戦車の下をくぐって歩いたんです。

あっちへ出ても、こっちへ出ても、戦車のそばにもう歩哨が立っている。出るに出られんのよ。どっこへも。

そやけど、何とかして行ったら、ぐるぐるもうて歩いていたら、そしたら、ウエムラに会って。

それでウエムラと2人で行く。

そんなら「どっちへ行く、どこへ行く」ってなって。「ずっと表までいてもうか」って。

「こっちの裏山へ下がるか」って下がって、「下がろう」って下がって。

今度、元いた分隊の、まだ下に下がってですね、そして敵の戦車の一番はなの戦車のところへ出たんです。


そしたら敵の歩兵が、こっち歩哨が立ってる。戦車の後ろのほうにね。

われわれはこっちに、はなのほうからこう出て、そーっと這って出て、2人が。

そしてもう通信隊に行くのに一番近い先なんですよ。そして通信隊のほうへ出ていったわけです。


そして今度、山へ登ると、もう日本軍の壕の中へ敵が入っていて、その敵の何を行くんで、すーっと突っ込んで、2人入ったんです。

次にそのまま入れたけんね。

そしたらこっちは飛び込んで転がっておったし、向こうは弾薬箱にけつまずいて、そこで転んで落ちてきた。自分の後になって落ちてきた、ウエムラはね。

それでウエムラをしかたない、担いで。

そしたらもう敵はもう、それはもう弾の撃つことのひどいったら、夜襲やと思ったもんでね。

2人が突っ込んで入っただけで、敵は夜襲やと思って、それはもう撃つわ撃つわ、もうひどいもんに撃ってきた。

それで、自分らのとこには弾は落ちて、敵はもう前のほうに撃っていたもので、全部前はむちゃくちゃに。

それでも2分隊の何は、イシクラの分隊はもう上がってこられんのです。

それで2人は、今度はそこを下りて。

敵方大勢おるんやから、日本軍のいるところしか弾を撃たなくなっちゃった。

「こっちから行きまさ」って言って、2人はずっとまた行った。

そして、ウエムラを連れて、シングまで下がったわけだ。

あんで大体クレの陣地からシングの部落までで、道なら半日とは余計あったかな、1里ぐらいあるんかの。

そこまで下がったんだ。


それでそこへ下がったら「帰れ」って、通信隊。「いいところへ来てくれた。ああ、患者下げてくれ」って。

患者下げようと思っても、こっちは飯も何も食べとらんたい。

「そんなら乾パンやるわい」って言うて。

乾パンもらって食べたかて「そんなもの乾パンぐらいで腹膨れるか」って言ったんだけど。

それで、それからシングの部落から次の部落へ下がったの。

Q:第一線の兵士たちは、クレ高地でどんなお気持で戦っていたんですかね?

 もう、これが最後だと思っていた。もう、連隊がこれで全滅やなと思った。

そうすると、連隊本部は全滅して、クモの子散らすみたいになもんで。

浅野連隊長はあそこで死んだでしょう、ねえ。

それから軍医から何から、ほとんどみんなやられてしもうているんやから。

もうほとんど連隊本部は、これで連隊全滅やなって思った。


勝てないけど。最後までやるだけはやらんならんと思っとったんだ。


やっぱり、戦友が余計死んでいるでしょう。

かたきは取らんならん、という頭が持っとったんです。昔のやはり武士の何じゃないの、これ。

ところが、その、上に立つ人が後ろにいて。楽にいてやね、前にいるのは兵隊ばっかりでしょう。

それでどうもならない、日本は。先になって出るのがおらんのやから。

それでビルマの方面軍の司令官は牟田口さんやけどね、もう牟田口さんらは後ろにいてやね。


前にいる者はひどい目にあう。


むちゃな命令が来るんじゃ。後ろにいるやつは、いいころかえんなもんや。

どうせ図面広げて、見てて。おいしい物食べて、たばこ吸うやて。


Q:上からはどんな命令が来るんですか?

 まぁ、どんな命令って、「あこを取れ」とか、「こっこちも何せい」とかってくるけどやね。

「こっちを攻めて」とか、「あっちを取ってこい」とか、「奪取せえ」とかって。

そんなもの行ける道理がないやて。敵と日本軍と敵と日本軍って、間に挟まっていながらできる道理がないがな。


紙一枚やって。人間を、兵隊を紙一枚とも思っとらんのやって。

ティッシュペーパー一枚やとも思うとらんの。後ろにいる人間は。

ふっと吹けばね、吹いて上がるような紙は、あんなのは、あいつらは死ぬのが当たり前やと。こんなもの。

後ろにいる人は大事やって、本当はこんな根性やったんや。

もう5人、10人ずつ固まって下がったわけです。

みんなふらふらやね。もう弱っている、疲れで。

疲れるって、体がもう衰弱してきてね、それで糧秣がないでしょう。

わん(わたし)の持っている米を炊いては食べるか、それと米持っていないものはしかたなく分けてもらぁなあかん。
もうそんな時分になると、もう現地人のほうが偉くなってね、今度は日本人になかなか分けてくれないんですよ。

日本軍が入ったときは元気よかったときには、日本人にまたくれたけれども、現地人のほうが力つけてしもうた。


Q:みんな、その下がるときに、一日どのぐらい歩くんですか?

 大体25キロぐらい歩かした。あっちへ行ったり、こっち行ったりね。

「今ここを通ったんでねえか」っていうしかたで。「またか」と言ったら、こっちなの。


Q:ついてこれるんですか? みんな?

 えっ? それでついてこれらん者は、敵の戦車の下敷きになったわけ。敵の戦車の下敷きに。

がたがたがたがたと来る。もう、ふらふらになって歩かれへん。


倒れたらぐしゃっと踏んで、また、がたがたがたがた。歩かな、歩かれるときは歩かなあかんのだし。

40度の熱が出て、死ぬほどの熱があっても、マラリアでね、何とかして歩いて行く。

ついていかな、敵の戦車にぐしゃっと潰されたらそれきっきり。


日本軍で行くとこ行くとこ、敵の戦車が歩いてくるんじゃ。

日本軍のほうへ行くとこ、行くとこ、敵の戦車がついてくるの。

ついてきてもやね、弾撃たんとて来るのや。弾撃つなら戦争しているんだけど、それせんのや。

ただもう日本軍あっち歩き、こっち歩きしてふらふらになって歩く。

倒れるのを待っていて、潰してはこういうふうに。


だからといって、くしゃっと潰されたら、また後同じ。一緒や。

ぐーっと、またそこへ来て、またそれから、ふらふらふらふらと歩いていく。どうもならんて、そういうときは。


自分の命だけを守らなあかんな、という気分や。


Q:そのためには、どうしなければいけないんですか?

 それじゃあ、もうしかたがない、みんな部隊と一緒に下がるよりほかないですよ。

アーロンの収容所にいたとき、出てきたんです、戦犯の問題がね。

それで、A級戦犯はほとんど刑務所へ行ったんです、ラングーンの刑務所へ。

119はね、B級戦犯やったです。それで連隊長はもうハラハラしておった。

ところが、連隊長はハラハラするけど、浅野連隊がやったんやろって、こうなるものね。

と、羽賀連隊、お前、頭へ来た。羽賀連隊責任負うた。それで羽賀連隊長は責任負うようになったんです。

浅野連隊長は死んで、もう出せんし。


Q:上田さんは現地の人と戦闘したことあるんですか?

 現地の人と戦闘かい、殺すとことは殺した。


だけどそれを殺すとやね、弾がこれで、敵からの。これで分かるわけですよ。

それ殺さんでおくと必ず日本軍の弾だった。

それで敵はマグネシウム焚いた。昔の写真機はマクネシウム焚いたでしょう。

こう開いたやつはね。あのマグネシウム焚いて敵に連絡をとっているわけ。


それで自分は斥候に出たときに、それを見たんです。マグネシウム焚いているのを。

それで、ぱーっと光ったもので、あらーっと思って、こうやると。そうしたら分かったんだ。

「あっ、これは連絡取っているな」っていうのが。

それはあのマグネシウム焚くと、4キロも5キロ向こうでも分かるとでね。


こんな第一線の戦場にはね、ビルマ人がいるはずはないんだと。

それ何でいるんやと、こうなるんや。

これはもう、要するにスパイをやっているに違いない。ビルマ人は全部殺した。


殺すのが多かったんです。ビルマ人を殺すのが多かったの。

それは自分だけではないで、まだ他にもいるんだぜ。

恐らくビルマ人を殺したのが多いもんやから、戦犯に上がったわけ。


どうも思わんですね。

菊兵団(18師団)もB級戦犯上がっていたから。菊兵団がね。菊兵団のB級戦犯。

菊は戦犯にもちろん上がるわなって言っていたら、案の定、菊があがった。

「じゃ、やつが何で上がらなんね」と、こんなもんや。


キャンプ入ってから1年ぐらいたってからでしょう。そういう問題が出てきたのは。

「また延びたんけえ」っていうようなもんや。


そりゃあ、早かれ遅かれ、いつかは帰れるなあっていうのは分かっていたんですよね。

連隊長がいる間は大丈夫だろうと。

連隊長が戦犯で引っ張られたらやねえ、こりゃあ、いつ何をされるかは分からないと思うけど。

連隊長がいる間は大丈夫だろうと。

それはね、戦犯って、そんなして一番先に出たでしょう。

B級戦犯がね、一番先に乗ったでしょう。どこの連隊も乗らない。

一番先に、119が乗ったわけです、船にね。

それで船、ラングーンの港出たらね、「もうこれで帰れる」って思った。「もうこれで大丈夫や」って。

そんな気で出た。そしてシンガポール回って、それで今度はずっともう、呉めがけて出たわけです。


もうね、呉が見えたときには、「おーい、日本見えるぞ」って言って何したときには、「うわーっ」ともうみんな甲板に出てね。嬉しかったです。


上陸手続きや検便で尻を、検疫やら何やらやっておるでしょう。

そして、そうしたら、みんなどことなくあれで、上陸したものからね、「おい、帰ってくるべきものが、帰ってきたんでないんでな」って、こんな話。

帰るべきものが、帰ってきたんじゃないんだ。

行くときは死ぬって言って出ていっただけに、「生身でこうして。第一家へ帰られんな」って。

「これは隠れて帰らなあかんな」って。

みんなそんな気になってきたわ。・・が変わってくるわけでね。


始めから死ぬと言って出ていったんだから、うなもん、イーケー顔して帰らんなんことになってよ。

われわれはもう本当にもう呉の駅降りたら、すぐすっすっと裏まわって裏道ばかり。

まともな表帰られんわ、なんて。


それでね、駅降りたときにね、親のほうから自分に抱きついてきちゃって。

そしてこっちは元気で帰る、五体揃って帰ってくるんだからね。

親たちは負傷でもしているか、どうしているか分からんさかいね。

そう思うとき、「ああ、親ならこそな」と思った。「親ならこそな」と。

「親があればこそな」と思った、あのときには。


今から思うと、やっぱり何のおかげかなと思うて。半分嬉しい、半分もう心配やね。

生きているということは、また、親のまた死に目に会わなあかんのやしね。不安もそれ。

どうもそれで、戦争っていうのは、いいもんも悪いもので。

あんなで侵略戦争とか何とかって、そんな大作戦で、われわれはほんの幹部に使われているだけ。

わけのわからない仕事をして。

出来事の背景

【ビルマ 退却戦の悲闘 ~福井県・敦賀歩兵第119連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争後半の昭和19年(1944年)、日本軍は、連合軍の拠点や輸送路を制圧するため、ビルマとインドの国境地帯に進撃。しかし日本軍は壊滅的な打撃を受け、退却を余儀なくされた。

この時、歩兵第119連隊3000人に命じられたのは、進軍ではなく敵に包囲されていた通称菊兵団と呼ばれる第18師団を救出することだった。

昭和19年6月27日、前線に到着した第119連隊は、連合軍を相手に初めての戦闘を行った。最新鋭の装備で襲いかかる連合軍。食料や弾薬などの補給をほとんど受けられず、さらには、マラリアや赤痢がまん延、およそ800人が病で命を落とした。第119連隊は、18師団退却の楯となりながら後退、昭和20年1月、日本軍が拠点を置く中部ビルマのマンダレーに到着。この時すでに3000人の将兵のうち、半数以上が帰らぬ人となっていた。一方、連合軍もマンダレーに迫っていた。連合軍は6個師団に2つの戦車部隊を伴った大戦力。対する日本軍は第119連隊を含む4個師団であったが、北部ビルマ戦で消耗し、兵力は半分ほどになっていた。劣勢に立つ日本軍の中には、マンダレーを放棄して戦線を縮小すべきという意見も出始めるしかし、ビルマ方面軍・田中新一参謀長は全面対決を行い、敵を撃滅する、という方針を変えず、イラワジ河沿いに陣地を築き、マンダレーを目指す連合軍を迎え撃つことを命じる。しかし、連合軍の圧倒的な兵力を前に、多くの兵士が命を落とし、マンダレーは連合軍の手に落ちた。日本軍は、さらに退却しながら、勝算のない戦いを続けた。

昭和20年8月15日、気力も体力も限界を超えたなか、終戦を迎える。第119連隊のうち、生きて帰ることができたのは、1000人足らずであった。

証言者プロフィール

1918年
福井県足羽郡に生まれる
1938年
福井県鯖江歩兵第36連隊入隊、満州へ
1944年
召集され、歩兵第119連隊に配属、ビルマ戦線へ
1945年
終戦
1947年
復員後は、公務員となる

関連する地図

ビルマ(サーモ、マンダレー、クレ高地)

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