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タイトルタイトル: 「中隊長が見つめた飢餓の戦」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~
名前名前: 橋本 長生さん(名古屋・歩兵第228連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2009年6月21日

チャプター

[1]1 チャプター1 職業軍人  02:16
[2]2 チャプター2 連戦連勝の部隊だった228連隊  03:23
[3]3 チャプター3 ガダルカナル島上陸  04:40
[4]4 チャプター4 ジャングルの闇夜  03:46
[5]5 チャプター5 遭遇  01:49
[6]6 チャプター6 武器の差に驚いた  03:05
[7]7 チャプター7 「弾を撃つな」  02:31
[8]8 チャプター8 「死守命令」  03:43
[9]9 チャプター9 砲撃に圧倒される  06:06
[10]10 チャプター10 撤退命令  04:11
[11]11 チャプター11 秘密裏の撤退  03:00
[12]12 チャプター12 撤退路で命を落とす兵士たち  04:32
[13]13 チャプター13 銃さえ持てなくなった兵士たち  03:41
[14]14 チャプター14 収容  03:02
[15]15 チャプター15 遺骨収集  05:49

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わたしは、旧制福井中学、今の藤島高校に。あれは進学校なんですね。福井県で唯一ではないけれども、一番の進学校であった。だから、周囲がみんな何らかの学校へ、進学することが約束づけられたみたいな、雰囲気の中で、それで、どこの学校を受けるかと、いうことになると、まあ、こんなこと話ししていいのか、悪いのか、知らんけど、一番、金のかからんのは、軍隊の学校ね。一番、金がかからんわな。

我々、普通はね、一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。一、軍人は礼儀を正しくすべし。一、軍人は、なんだあ、これが出てこんのだな。武勇を尚ぶべし。一、軍人は信義を重んずべし。一、軍人は質素を旨とすべし。これを、五箇条の、軍事勅諭の五箇条だな。これぐらいがね、平素は、兵隊さんはこれくらいしか、言わんな。私どもは朝夕、これを読まされたんだよ。士官学校は、学習室という、勉強部屋があるんだよ、みんな並んでな。そこでは、朝晩、読むんだよ、宙でないよ。軍人勅諭のやっぱり、こういうのがあって、そして全部、こうして、読むんだよ。こうして、見るんだよ。

17年にはもう、アンボン(モルッカ諸島南部)というところを攻めて、それからチモール。小スンダ列島のチモールというところで攻撃をして、そこに半年おりました。

そして、9月の初めに全師団が合併すべく、合体すべく、われわれはスラバヤ、インドネシアのスラバヤへ、集結をしました。それが9月の、部隊がいろいろあるから、上~中旬にかけてスラバヤへ集結をした。そのときに、アメリカが、ガダルカナルへ上陸したのは確か、8月7日かと思うんですね。われわれがちょうど、スラバヤへ上陸した時分に、アメリカ軍が、ガダルカナルに上陸した。われわれはもちろん知らない。
  
ところが、スラバヤへ集結して、1週間ほど経ったら、ソロモン群島のなんとかという島に、アメリカ軍が上陸したので、それを、いわゆる駆逐せないかんのだと、いうことで。残念ながら、そのソロモン群島もわからないし、当然、ガダルカナルなんて、聞いたこともないから、頭にも残らない。われわれはこれをして「どうなるこうなる」と。ガダルカナルでなくて「どうなるこうなる」なんていう、冗談を飛ばすぐらい、名前を覚えられなかったね、ガダルカナルなんていう名前は。


Q:聞いたことがないからですか?

 行ったこともない、聞いたことも、どこにあるかも全然、知らんのだもの。ソロモンって大体、どこにあるのかも、その存在すら知らない。特に、世界地図でも、持って行けばよかったけれども、何もないんだから。だから、どこにあると。たとえば、ビスマルク群島だ、ラバウルだって言われても、全然、存在感がないわね。

なんにもわからない。われわれが、最初の攻撃部隊であるとか、先遣部隊が出て行ったか、それも全然、知らない。とにかく「なんとかという島に、アメリカ軍が上がったので、急遽、そこへ攻撃に行くんだ」ということぐらいで。

要するに、アメリカ軍なんていうのは、攻撃すれば大体、なんとかなるだろうと。大変、まあ安易な気持ちで、船に乗ったことは、事実。

上陸当初から「ネズミ上陸」と言うて、夜中にガダルカナルに上陸するんだと。その時分には、すでにもう、いわゆる戦列を離れた、敗残兵みたいなのがおって。そういう者が、食料なんかをさらうんだという噂は、実は聞いておった。したがって、上陸したら、そういうようなもの、手伝いと称して来る者がいるから、それは十分警戒をして、物を取られないようにという、忠告は受けていた。 上陸してみたら、案の定、そういうようなのがおって、これほど軍紀の乱れた日本軍がいるのかなと、実は、不思議に思ったね。


Q:どういう姿でしたか?

 (敗残兵たちは)ぼろぼろの服を着て、極端な者は、靴も履いていないで。もちろん鉄砲も持ってないで、そして、そういうフラフラと歩いてる兵隊が、そんなにたくさん、ゴロゴロおったわけでないけれども、三々五々、見受けられた。そして勇ましかったよ、「お前たち、何してるんだと。今度は、俺たちがカタキとってやるかな」というような気持ちで上陸した。
  
しかし、行くにつれて、だんだん状況、厳しいね。アメリカの飛行機は来るし、日本軍の飛行機は、来たんか来ないんか知らんけど、あまり見ないし、砲撃は受けるし。そして、やしの陰に隠れて。まだ第一線でなかったから、待機をしているというのが、これは、尋常でないなというのは、上陸してすぐ、そういうような気持ちは、いわゆる気持ちの変化は当然、出てきた。


Q:何を目にして、尋常でないなという気持ちになりましたか?

 ぼろぼろの兵隊さん。そして、到るところというほどでは、わたしどもの目には映らなかったけれども。いわゆる、亡くなった人の死骸、臭うからわかるんですよね。


Q.臭う?

 臭う。その臭い。あら、ここにも臭いがするというようなことで、これは大変、厳しいなということが感じました。


Q:どのくらい食料を持って行ったんですか?

10日分ぐらい、持って行った。10日分というと、大体、当時は兵隊の1食分は2合。だから1日6合。倹約しても1日、5合だと。1升~1、8 リットルのコメは、だから2日分になるね。それを、倹約して食べなさいというんで何日ぐらいかな、最初は。そんなに、食い延ばしはしなかった。だから、気持ちが安易な、本当の第一線の、気持ちでないから。

第一線に出るまでには、大体、半分ぐらい食料、無くなっていたと思う。10日、かかったんだからね。上陸したのが11月8日で、第一線に出たのが、あっちで待機、こちらで準備ということで、第一線に出るまで、10日かかったんだから。そうすると、計算してみると、食料は一応、そこで消えているわけだけど、そういうことではなかった。最初から、倹約と言ったので、少なくとも、もう第一線に出たときには、食料は半分以下。当然、補充ができるものということも、頭の中にはあった。実際は、だめだったけどもね。

この戦場はおかしいぞ、というのが日を追うごとに、出てくる。だから、第一線に出るころには、これは容易ならぬことだと。しかも、聞くところによると、アメリカ軍はマイクを使っているんだと。だから夜でも、わかるんだし、なんか、その場所が全部わかるんだって。こういう話ね。ところが、マイクなるものは知らないんだ。マイクというのはどんなのか、知らないんだ、われわれはね。

闇を歩いているのに、攻撃を受ける。おかしいでしょ、闇夜だから。しかも、そんなもう、向こうと離れているんだから、そんなとこを目がけて、大砲の弾が落ちてくるということが、おかしいんだけど、部隊が動くと、攻撃を受ける。マイクだろうなって、マイクがあるんだろうな、という感覚はあるんだけど、そのマイクなるものが、どんなもんか、どこにあんか全然、わからない。あんまり、気持ちのいいものではない。

最後まで、わからなかったよ、今でも、わからんのだけど。だから、あのアメリカは、斥候(せっこう)なんか出て行くと、今の獣につけるような、ああいうようなものを、ところどころに置いていったんだろうと、思うんだな。われわれは、木の上にいわゆる、ラジオの放送のマイクみたいなものが、置いてあるんかな、という感覚しかない。マイクなるものが、わからない。しかし、そのマイクがあるんだということは、よく聞かされた。聞かされたけど、現物にそれがどれか、というものは全然、見つけられなかった。

とにかく、部隊が前進だというとね、暗闇の中を、ジャングルの暗闇の中をね、道で、もちろん、こんな道しかないんだから。道というよりは、人間が歩いたから、獣道ぐらいなものだから。それを、闇夜に歩くんだから、一寸先が見えない。前の人の背のうに、ぶら下がる。後ろの者も、腰なら、腰に、ぶら下がる。それ、一列でね。たとえば、1個中隊なら、百何十名が闇夜を歩くんだな。前の者が止まると、後ろの者も止まるんだけど。それは、止まるときはいいんだけど、歩き出すと前の者が歩く、後ろの者がついて来ない。大変なんだよな、こうしてな。離したら、見えないんだから、全然、ほんとに見えないんだよな。

あのジャンルの闇というのは、漆黒というかな、真っ暗闇で、横の光も見えないし、星の光も見えない。なんにも見えない中で、その谷あいの山を、一列になって進むんだよ。それこそ大変だ。どこへ行くのか、どっち向いてるのかも、全然、方角もわからない、北向いているのか、南向いているのか、わからんが、とにかく、前の者につかまって、前の者が歩くとおり歩く。ときどき頭の上で、ボカンと、いわゆる迫撃砲の砲弾が、破裂する。そうすると、パラパラッとね、葉っぱへ、その砲弾の破片が当たるのがね、パラパラパラーッという音がするんだよ。その中を一生懸命、こうしてね。

ぶつかったところが、あの場所だった、敵にぶつかった。そこで、戦闘が始まった。それで、いわゆる敵との接触が、そこで初めて、できたということね。それまではあの闇を、今、言うように、そして歩いたけれども、砲撃も受けたけれども。第一線同士の接触はなかったわけだな。

丘の草原にね。わたしどもは、ジャングルの中を歩いて行ったんだけど、草原に顔を出したときに、アメリカ軍も出て来た。そこで、戦闘が始まった。フナハシというのは、大変勇敢な男で、軍刀、抜いて切りかかったという話だ。だめだね、ピストルで撃ったほうが、早いんだな。ねっ、刀と鉄砲では、鉄砲の弾のほうが、先に来るんだね。日本軍は白兵戦、こういう教育を受けているし、そういう気持ちが先だったから。彼のやった行為はそれで、正当なんだけど、向こうさんから銃撃受けて、心臓を抜かれた。すぐ、わたしのところへ連絡が来て、そして「フナハシ小隊長が、やられた。中隊長に会いたいと、言っているんだ」ということで、すぐ、第一線へ出て行ったけれども、彼と会うたときにはもう、虫の息で言葉がなかった、呼ばったけれども、返事なかった。惜しい人を亡くした。

われわれとして、見た感じは、日本軍と同じように、鉄砲と軽機とを持っているが、ただアメリカ軍の鉄砲は、日本軍のやつは、ガチャガチャと言って、一発ずつしか、出ないけれども、アメリカ軍の鉄砲は拳銃みたいに、ピストルみたいに、パーンパーンパーンと、撃てた鉄砲であった。日本軍の弾は、ガチャガチャパン、ガチャガチャパン。詰めてまたガチャガチャパン。そういうような、日本軍の鉄砲に対して、アメリカ軍のやつは、パンパンパーンの連発で出たから、そこらあたりも違った。それから向こうは、自動小銃というのがあった。日本軍には、自動小銃というのはなかった、残念ながら、三八歩兵銃しかなかった。もちろん、軽機関銃はあったけどね。

だから日本軍の中で、いちばんわたしが、いい兵器だと思ったのは、てき弾筒というのがあって、小さい大砲だな、手持ちの大砲が、あれが第一線の部隊としては、非常に良かった。ただ残念ながら、あの、てき弾筒の弾を持つことが、運ぶこと、持つことが大変だったんで、数がよけい、なかった。


Q.勝てると思いましたか?

 単純な話で、ご理解できるかどうかは、知らないけれども、負けるとは思わなかった。そのうちに、援軍が来るんでなかろうか。すでにわれわれの耳には、いわゆる命令でないんだな。どこからか情報が入って、そして、今に、第6師団。これは結局、ボーゲンビルにいるんだ、要は、終わったんだけど。第6師団が上陸して、来るんだ。それまで頑張って、あれが、上陸して来たら、総攻撃するんだ。だから兵隊さんも、精いっぱい、損害、出すともう、総攻撃に間に合わないから、精いっぱい兵隊さん、死なないようにということは、いつかお話したかもしらんが、心がけていた。

だから、最後は、敵襲があるとね、わたしは少々後方にいたけれども、第一線に出て行ってね、「弾を撃つな」大きい声で、呼ばったよ。


Q.どんなふうに?

 だって、アメリカ軍はどんどこ、どんどこ撃ってくるんだから、第一線の兵隊さんが、たとえば、軽機なら軽機、やっぱりあるだけ、撃つよ。

敵襲があると、すぐわたしは、第一線に出ていったんだ。どうせ死ぬなら、この谷底で死ぬよりは、思いはそんなことだな。第一線で死んだほうが、いいじゃないかというので、第一線まで、出て行ったんだけど。「撃つなよう、弾、倹約せえよ」と、こういうようなことで、呼んだんだな。

「弾を倹約せえ」。だけど、倹約してくれんやろ、聞こえないもの、大体。そんな声ぐらいで、聞こえない。呼んだって、聞こえないもの、バッパ、バッパやっているんだから、そうでしょ。こちらは呼ばったつもりだけど、兵隊さんの耳には、1人も入らんよ、命かけて撃ち合いしているんだからよ。

弾、なくなってしまうよ。だって、補充がないんだから。どういうふうに、補充したかというと、だんだん戦死者なんか出て、数が減ってくるので、自然、補給をしたわけだ、な。自然補給ということは、亡くなった、戦死した者の、あるいは負傷して下がった者を、全部、かき集めて補充していくんだな。増えっこないけど。

もう、なんにもないよ。亡くなった人は、仮埋めをするんだな、埋葬なんていうご立派なものでねえんだ。仮埋葬で終わって、それがイコール、埋葬になってしまうんだけど。その人のいわゆる、持っている弾を全部、引き上げるんだ。食料はなんにもないんだ、な。食料もほんとは、引き上げて、補充したいんだけど、誰の持ち物の中に、食べ物はなんにもない。弾ぐらいは、少々残る。それを全部、かき集める。それから最後には、本部のほうから、多少は補充をしてくれた。補充をしてくれたというのは、予備隊というかな、後方にも部隊がいるから、その部隊の弾を送ってくれた。要するに、もう補充らしい補充は、全然ないんだ、弾薬のな。

しばらくしてね、命令が変わってね、わたしども第一拠点。第一拠点はミカワ陣地と、称したかな。ミカワ陣地とか、オワリ陣地とか、名前をつけて、そして「死守すべし」と。「中隊長は中隊以上の攻撃は、絶対、命令がなければするな」と。要するに、こっちから、積極的に仕掛けるなというような、命令が出てたのよ。

ただ、命令は、もう私どもの命令は「攻撃はするな。もっぱら死守すべし」と。

専らしっかり、陣地を守れと。攻撃すれば、損害が多いんだよ、ね。出て攻撃すれば、損害が多い。守っておれば、損害が少ないんだよ、穴の中におるから。要するに裸にならないから。「死守すべし」と、「命令なくして、中隊長の中隊の攻撃はすべからず」と。

だから、なお困るんだよな。食料はないし、弾はないし、攻撃はするな。しかし、その命令を守ったために、わたしの人生は潰れなかったのかもしれない。

Q:そういう「死守せよ」という、作戦というか、命令というのは、それまで受けたこと、あったんですか? 他の戦いで?

 だいたい、日本軍というのは、防御、防備を主とする戦闘は、あまり良しとしないから、死守すべしというような命令は、あまり出ない。出なかったし、出さない。ガダルカナルはかなり早い時期に「死守すべし」という命令が出た。

結局、総攻撃をしながら、総攻撃は成功せずに、そして、いわゆる部隊が動いたために、もう、兵力が損耗してしまって、戦力がなくなってしまった。

いよいよもって、難しい事態になったな、ということは、日とともに、わかってくるよ、な。兵隊さんは、だんだん戦死していくし、兵力は減っていくし、そして、食料の補給はないし、弾薬の補給はもちろんないし、砲兵はいるかいないか知らんけど、大砲はちょっとも撃ってくれないし。向こうの大砲は来るけど、こっちの大砲の弾は、聞こえないんだし。飛行機も来たらしいけれども、われわれの目には、日本の飛行機が来ているような状況は、一向、見受けられないし、非常に切迫してきたな。いよいよ最後が、近いんじゃないかな、という感じは受けてきた。いずれ、われわれもこれは、大変難しい、状態になるだろうな。だから、ここが死に場所だな、死守すべしは、そこで死守すべしだから。結局、ここがわれわれの墓場に、なるんだなという感じは受けてきたよ。

すごいね、太鼓を打つように。距離があるんでね、恐らく千メートルないし、二千メートルは、離れているんでしょうね、向こうの砲兵の陣地とね。第一軍はすぐそこに、その塀垣ぐらいのところで、向き合うんだから、あのアメリカの第一線は、その塀垣ぐらいのところなんだ。そこへ、簡易の鉄条網を張ってきた。アメリカのほうが、鉄条網を張っているんだから。だから、こっちから行くと、鉄条網にひかかってしまう。第一線はそこで向き合っているし、そしてアメリカのほうへ、陣地は大体、1キロから2キロ先にあるんだ。

そうするとね、音が聞こえるんだな。ドンドン、ドンドンって、太鼓打ちだな。そうすると、2~3秒すると、ヒューンと、飛んで来るんだよ。だからドンドン、ドンドンという音がしたら、全部、穴の中へ入るんだよ。というのは大砲を撃ってる間は、アメリカの第一線も、絶対、攻撃してくるってないんだ、そうでしょ。そこにいるのが出て来ることはないんだ、撃ち合いは、絶対ないんだ。だから、そのドンドン、ドンドーンという音が聞こえると、みんな穴の中に潜るんだ。穴の中ったって、ちょうど、このテーブルの下ぐらいなもんで。

頭の上をこんなもので、座ってね。こうやって、あぐらかいてね。そして、ここの上に、こういう丸太を少し、乗せてね、この掘った土を上に、載せてあるから。ここに入口だけ残して、これくらいのところへ。ちょうど、これの中へ潜ったつもりだな、これぐらいで。こうして、入っているんだな。そして砲撃の間は、そこへ入っているんだ。そうするとドンドン、ドンドンと落ちてくるんだな、上で破裂するやつと、下へ落ちて爆発するのと、あるんだ。それが、30分、長いときは1時間、やられるんだよ。その間は、この中へ入っている。直撃受けたら、もう、しようがねえわな。
そして今度は、砲撃が終わると、すぐ這い出さないかんのだ。今度は、そこのその部隊が出て来るんだよ、砲撃が終わるとね。

Q:攻めて来るわけですか?

 うん。だから、砲撃の間は入っとって、カサッと、やんだら、すぐ顔を出す。それ、大体、毎日のような繰り返し。その第一線は、出て来る日もあれば、出て来ない日もあるから、毎日、ドンパチやっていたわけではないということ。しかし、毎日がその繰り返しだから、きょうは、ドンパチやらなかったから、あしたもドンパチはないという、保証はないんだから。いつもドンパチの来ても、来なくても、ドンパチの準備しておかな、いかんわけだな。だから、兵隊さん、第一線の兵隊さん、食料はないし、弾はないし、警戒はせないかんし、もう毎日が、朝から、晩まで、緊張、ね。ちょっとも、気の休まるところがない。

兵隊さんの中にも、マラリアになる兵隊もおれば、いわゆるアメーバ赤痢、赤痢なんかになり、胃腸を壊す兵隊さんも出てくるし。負傷する兵隊も、出てくるし。少々の負傷は、わたしも、少々負傷したけれども、少々の負傷はいいんだけど、もう重傷になると、しようがないんだな。後ろへ下げたのもいるし、もう、下げられない人もいる。

降伏もなければ、退却もないんだから、そうでしょ。もう、選ぶ道は退却するか、降伏するかだ。もちろん降伏はないし、退却もないんだから。そうすると、生と死の間で、頑張ってんだから。情けないことに、食料がないんだから。重湯みたいなのを、1日にすするぐらいなもんだから。だからその中で、生と死の狭間の中で、日本軍だから、戦った。わたしはそう思うよ。日本軍だったよ。

その戦さが勇ましかったとか、勇ましくなかったとか、ということは別にして、頑張り切った。わたしの陣地は頑張り切った。だから、兵隊さんには、感謝と敬意を表する、頑張ってくれた兵隊さんには、敬意を表する、現在でも。だから、あのスギウラ君やら、ニシキノ君やら、あるいは、イトウ・ヒロユキとか、オギモトとか、皆、あれ若い兵隊さんだったんだよな。彼らがよく、頑張ったな。

途中でね、師団長の訓示が出たんだな。申し訳ないけどね、もう、訓示なんていうのはね、なんちゅうかな、出した人は、一生懸命、出してくれたんだろうけど、われわれの目には、あるいは耳には、もうそんなこと、どうでもええと。しっかり補給でも、してくれたほうが、よっぽどええわいという感じは、いささか持ったな。


Q:いささか?

 いささか。うん、全部、持ったわけでない。もう、そういう状態で、別に師団長だから、腹一杯食ったわけでなかろうし。師団長の息子さんが、同級生だったんだよ、その写真の中へ入ってるんだよ。

いずれ、われわれも玉砕だな。敵に囲まれたときに、これも、あんたに申し上げたことがあるかな、たまあに、そういうこと、漏らして、あまりいい話で、ないんだけど。「もう、敵は後ろへ行っちゃったし、いまさら、退却するわけにもいかんし、いっそ、総突撃をするか」という相談も、持ちかけた、小隊長にな。そしたら、「もうしばらく、頑張ろう」と言うから、俺1人で、突撃したって、しようがないんだし、頑張るというんだから、そうしようと。で、さらにまた、みんなで頑張り通した。それがまた、命拾いになった、結果的にね。

結局、撤退命令だよ。陣地を転換すべしだから、陣地を変えなさいと、今、いる陣地から、大隊へ戻って、来れる陣地を変えなさいという、こういう命令だよ。万やむをえざれば、命令を受けに帰って来なさいと。中隊長は命令を受けに戻れということだよ。

撤退なんていう命令は、一遍もないよ、撤退という命令は、1回もないよ、最後まで。

まあ、しかしな、今、いちばん最後の話になると、敵が後ろへ回っちゃって、銃声は後ろのほうで聞こえるようになった。前の敵は動かないし、前にいる前からの敵は、どうかわからないけど、それは依然として、前におるからわれわれは動けないし。そして、いわゆる間が抜けた、2ヵ月もおるんだから、隙間が全部、わかってくるもの。こちらは攻撃せずにと、頑張っているけど、向こうは飛行機はあるし、大砲は撃つんだし、その間に、日本軍のいわゆる間隙だな、みんな隙間あるよ。そこから、入り込んだんだから。

出した兵隊も、まさか戻って来るとは、思わなかった、正直、言ってな。もう、彼らも戻って来まいし、また安全に完全に、後ろに着いたか、着かんかも、わからんのだし。

いよいよ末期に来たな、終末だな、と思いましたね。


Q:負けとかという言葉は、よぎりましたか?

 だって、それが難しいんだな。自分らの気持ちの中でも、やっぱり、負けたのは間違いないんだけど、負けたあ、と言いたくない気持ちが、これも潜在するんだな。表に、出るわけじゃないけれども、自分の気持ちの中で、負けたんだという気持ちが、先行はしないんだ。それが、やはり、このガダルカナルの戦況の中で、うちの兵隊さんが、頑張り続けてくれたものだと思うな。

上部から、そうだもの。撤退というものは最後まで、聞かなかった、私どもも、聞かなかった。

まず、負傷者、病人、これをまず、下げないかんじゃないかと。それから、敵に悟らせたらたいへんだと、うしろを向くんだから。うしろを向いた途端に、やられたら、全滅してしまうと。

ところが、すぐ下げる処置という、ことばではいいけれども、簡単にいかんのだよな、何もないんだもの。だから、これを敵に、悟られないように、すぐ直ちに、処理せないかん。それで、隣の中隊に連絡を取って、中隊長に連絡を取って、おれのところ、晩まで待ってくれんかと、いう具合に要請をしたんだけれども、おれのところ、とても、もたないと。当時、私の記憶の中では、とてももたないと、おれのところは今からすぐ、もう撤退するということで、何時ごろに帰られたか、いまだにわたしは、時間的なことは知らないが、少なくとも、私の中隊よりは、隣の中隊のほうが先に陣地を撤退したんじゃないかなと、わたしは思うけども。

わたしは全部、下げたかった、1人も陣地に残したくなかった。


Q:どうしてですか?

 だから、あの陣地の中では、私の兵隊さんは、1人も残っていないはずだ。ただ、残念なことに、それ以後の中で、何人かの、落伍者が出たことは、わたしは終生の遺憾なことだなと、思うけれども、これはもう、取り返しがつかないわな。あのサカイダの陣地の中には、1人もいない、これは確信をしている、全部、下げた。


Q:それはどんな思いからですか?

 みんな、部下だもの、かわいい部下だもの。そんなもの、あんた、中隊長だけが、下がりましたなんていうことは、できるかいな。全滅したってな、当時はこれでもだ、これでも、帝国軍人だから。連隊の中では、士官学校を出たパリパリだからな。少なくとも、こんなところで、ぶざまなことはできない。それが今、言うように若かったからな、若かったから、だから、粗こつな面も、行き届かん点も、あっただろうけれども、そういう最後の決断は、スカッとできたと思うんだな。

全体的に、全部が、フラフラだよな、まともな者は、おられんのだから、食糧がないんだから。そして、2ヵ月間も、同じ陣地で、穴の中におったんだから。私自身が、自分の私の拳銃もどこかで、落としちゃったから、あれが腐っちゃったんだな、この皮が腐っちゃったので、拳銃も落としちゃった。それから、時計もどこかで、落としちゃった、ここの皮が全部、腐るんだね。だから、どこで落としたか知らんが、いつのまにか手になかった。それほど湿気が多い。泥の中に、住まわっていたようなものだから。それほどの悪い状態の中で、頑張ってきたんだから、歩けない兵隊さんが出てきても、不思議ではなかったけどな。

彼(部下の一人)が、立ち止まっておったので、肩を貸して、おい、頑張れ、いっしょに行こうと、肩を出して、肩にかけたんだよ。2~3歩だったか、5~6歩だったか、十数歩だったか、記憶にないけれども、肩にかけて、歩き出したんだけど、もちろん暗闇だし、倒木がたくさんあるんだな、戦闘のあとだし、谷間だし、これぐらいの倒木が何本かあるんだな。これぐらいの倒木が、彼はどうしても、もう歩けんと言うんだ、渡れんと言うんだ。おまえ、これぐらいのものを、またげよと、これは、おまえ残ったら、たいへんなことになるんだと、頑張れと、こういうことで、肩を貸して、いくらか歩いたんだけど、ご迷惑かけません、置いていってくださいと、彼のほうから、口を出した。だめだぞ、わたしも、1人じゃないんだから、わたしはほかに、たくさんの部下がいるんだから、彼はもう一応、私の指揮下を離れていたんだけども、大事な私の、責のある部下だからと思って、肩を貸したけれども、迷惑かけません、置いていってくださいと、彼から出たと。後日談、彼は林の中にいわゆる入り込んで、それで爆発音を聞いた。だれからの話か忘れたけど、それなら、爆発音を聞きましたよ。


Q.どういうことですか?

自爆をした。彼なら、間違いなく、自爆しましたよ。おれはあそこで、音を聞きましたよ、という話を私のところの兵隊さんから、聞いた。だから、これも気の毒な最後を遂げさせたなと、思うけれども、私のこれは、殺して下げたわけではないけど、彼は間違いなく、自らの命を自ら、絶った。惜しい兵隊さんを殺したなと、思うけれども、取り返しはつかない。

だから、しっかり頑張って、ついてこいよ、死ねとは、言わなかったよ、ついてこいよと。しかし、もう置いてきたらこれは、ついて来れないなと、アメリカ軍が、すぐうしろから、ついてきておったんだから。だから、もう陣地を消したんだから。もうだめかしらとは、思ったけれども、わたしは死ねとは、言わなかった。そんなことは、言いたくないものな。1人もおまえ、自決してこいと、命令したのはわたしは1人もない。最期については、自らがみんな、処理をした、できなかった子は、捕虜になった。

天皇陛下の、ご紋章のついたものを置いてくるなんていうことは、もってのほかのうちの、もってのほかだよ。

第一線を退くときに、13人、直接、私の手元に残ったのは13人、その中で、ひと山越えた、ひと山と言ったって丘だけど、1つの低い丘を越えたら、歩けない人が、3人ばかり出ちゃったの。しかし、そこはアメリカ軍の砲撃の一番よく来る、ところなの。そんなところで、まごまごしておったら、たいへんなことになる、と思ったものだから、いわゆる、背のうも、鉄砲も、全部、捨てさせたの。それはあの処置を、わたしは今でも、適切だったと思うんだ。どっちみちもう、撤退だから、陣地にも、たくさん残してきたんだから。それで、身1つでもいいから、連れて帰らないかんということで、銃も捨てさせる、背のうも捨てさせる、雑のうという袋1つと、短剣だけにさせて。


Q:橋本さんはどうして、そこまでさせたんですか?

 生きて連れて帰らな、しょうがないよ。連れていかな、しょうがないよ。しかも、その捨てさせたのは、下士官だったよ、分隊長だったよ。かつて私が、一番、大事にした選抜の下士官だったんだよ。彼でさえ、私に言わせると、彼でさえ、動けなくなった。彼はボーゲンビルで、亡くなりましたけどね、その子はね。だから、逆に言うと、捕虜にしたほうが、生きて帰ったし、そこまでして、連れて帰った人は、亡くなっちゃったし、人間の運命の分かれ道って、幸か不幸か、善か悪か、知らないが、そこらあたりが、難しいところ。

1人も残らず、連れて帰りたかった。そんな途中で、自決をさせたりということは、気持ちの中では、思いもよらなかった。しかし、また反面、敵の中へ、捕虜として、残すわけにはいかんのだから、最後の処理はやはりそれ以外に、手がないということは、私自身も重々承知をしておると。

しかし、あんなにたくさん、私の中隊から、捕虜が出るなんていうことも考えてなかった。あそこで、ああいう、落伍をするとは、思ってなかった。だから、長い間、わたしは自分の小隊長だけど、小隊長に、不信感を持っていた。なぜ彼らを連れて、こなかったかと。なぜ、銃を捨ててもいいからと、長い間、思っておった。先ほど言ったように、その子に聞いたら、いや、僕たちがあとから、ついていきますから、先に行ってくださいと、こちら側から言いましたと、小隊長から言われたんじゃないんですと、言われたので、それでこの疑問は晴れたけど。そのときに、小隊長はもう病死して、亡くなっておったんだ。

船に、乗ったときというよりは、船に、フラフラな兵隊さんのみんな、お尻を上げて、船に押し上げた。そうしたら、一番、最後に、私が残っちゃったの。これはもう全部、船に、上げたから、おれ1人、残ろうと、もう兵隊さんさえ、帰ればええわと、思った途端に、海の中にまだ、1人おるものだから、真っ暗だけれども、おおいと、呼ばれたわけだな、船の上から。だれだと言うものだから、下のほうで、その当時だから、偉そうな顔をして、中隊長と言ったら、ワーッと寄って、みんなして、5~6人で引きずり上げてくれたな。それも今、感謝をしている。普通ならば、おまえ、置いていくぞと、いうくらいな立場でも、しょうがないのに、みんなして、ワーッと引きずり上げてくれた。だから、みんなといっしょに、帰れた。だから、うちの兵隊さんは、よかったよ。非常に個人的な、いろいろなことが、あっても、押し並べて、私のところは、精鋭だったと思う。非常に最後まで、頑張ってくれたと思う。

船に乗ったときには、どれだけの人が、乗っているのか掌握もできないし、とにかく、海の中にいたのは、全部、乗り込んだだろうと思うので、これで、やれやれ、おれのところはこれで、全部、乗ったなという感じね。それから先、どうなるかということは、もう海軍さん任せだから、軍艦だから、それで今式に言うと、やれやれという気分が、なかったわけではない。そんな簡単に、やれやれ、助かったという、そういう気分でもないけれども、それがなかったかと言うと、やれやれ船に、乗れたという感じは、それはもちろんあった。

おれの部隊は、これで乗れたなと、いうことやな。あまり人様の、残念なことに、隣の部隊はどうだったという、そういう広い考えは、残念ながら、持ち合わせていなかったな。これでおれの中隊の、兵隊さんはみんな乗せたぞと、いう気持ちのほうが、強かっただろうな。たいへん狭義で、狭い心で申しわけないけれども、率直なところを言って、おれのところだけは、これで乗せたという、自分よりは、兵隊さんを全部、乗せたという安心感があったことは事実です。

涙が出たよ。第1拠点のマラタイから、移民してきた人の家が、2~3軒あって、そしてジャングルと、草原の接する部分に、骸骨が1つ置いてあった。わたしはあれが、ノダ・キヨシ軍曹でなかったかなという目で、眺めた。涙が出たよ。そして、私のおった壕に、たくさん、だれが集めたか、現地の人が集めたのかどうか、知らんけれども、遺骨がどっさりあった。そのときには、たいへん再会ができて、よかったなと、率直によかったなと、思ったよ。

この遺骨を、内地へ持って帰った。一部の人のご希望で、普通は千鳥が淵に、置くんだけど、その一部を分骨してもらって、名古屋まで持って帰った。ところが、名古屋で受け取ってくれるところがなかった。

だから、持って帰った遺骨を置くところが、なかった。悲しかった。逆に今度は、悲しくなった。だから、もう遺骨の収集はしない。申しわけないけれども、ガダルカナルに置いてきた、戦友たちは、残念ながら、生涯、そこの土になって、生涯、ガダルカナルで、頑張ってくれよと、もう、内地に帰っても、君たちを迎えてくれるものは、ないんだよ、こう言い聞かせたよ。それが遺骨収集したときの、結末の私の、気持ちでした。

頭に浮かぶものはやっぱり、若い兵隊さんね、現在、見てみると、みんなわれわれのこの白髪頭、歯の抜けたじいさんだけれども、われわれの頭に浮かぶものは、あのときの若い兵隊さん、ミズノ軍曹のあの写真、あの兵隊さんがいわゆるガダルカナルというところに、浮かび上がってくる。

悲しさが半分、思い出が半分、それ以外に何が、浮かび上がってくるというと、やっぱり、あの戦争はいわゆるよかったのか、悪かったのか、というところまでいくけれども、われわれがよかったとか、悪かったとか、と言える立場でもないし、その当時に振り返ってみても、別に、それでわれわれに処理ができる、問題でもなかったと思う。

「敗軍の将兵を語らず」、私なんかは、将ではないけれども、自ら省みると、将のはしくれ、一番下っ端だけど、であるから、やはり敗戦の責任は、自分たちが負うべきだと、われわれが負うべきだと、人に転嫁すべきものではないと思います、今でも。今さらかな。

飢えで亡くなったとか、あるいは、あそこで野垂れ死にしたとか、という話がよく出てくるけれども。わたしは、わたしの連隊と、申し上げるか、わたしの同輩と、申し上げていいのかわからないけれども、みんな、非常によく闘い、非常によく極悪な状態の中で、みんな頑張ってきた。そういうことを、伝えるならば、後世に伝えるならば、あの極悪の中で、頑張ってきた兵隊さんが、日本の今日を支えたんだということを、本当は伝えてほしい。

だから、たくさんの部下を亡くして、そして、結果的に彼らの死が、無駄死にに近かった。結果的には、効果的には。それが非常に、悲しい。生きておれば、今の日本の復興は、生き残った者がみんな、頑張ったんだけど、あなた方も生き残ってな、いっしょに、この今の世代を作ってくれたらな、楽しかっただろうなと思いますよ。

だから、亡くなった人は気の毒だ。さっきから、申し上げているように、亡くなった人の慰霊は、わたしはできるかできんかしらんけど、気持の中では、生涯お守りをしたいと思っています。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~】

出来事の背景 写真半年間の戦闘で2万人もの犠牲を出し日本軍の大敗北に終わったガダルカナル島の戦い。名古屋歩兵第228連隊は、日本軍が三度に渡る総攻撃に敗れた後、最終段階に投入された。補給においても、戦力においても、緒戦段階に比べ遙かに不利になった状態で上陸させられた228連隊、2500人中、生還できたのはわずか300人だった。 
 
太平洋戦争開戦以来、攻勢を続けていた日本陸軍は、昭和17年8月にガダルカナル島で、米軍との初めての本格的な地上戦に突入。

日本軍は米軍を「すぐに勝てる弱腰の敵」と見ていたが、実は火力・兵力・戦略ともに日本軍を凌駕していた。作戦が失敗しても、戦訓の見直しをせず兵力の逐次投入を繰り返し、現地将校からの撤退の進言も軍司令部は無視。228連隊を待っていたのは、激しい米軍の集中攻撃と飢餓地獄だった。上陸から2ヶ月で、6割の兵士が命を落とした。

12月31日、ようやく大本営が「ガダルカナル撤退」を正式決定した後も、228連隊には更なる悲劇が待ち受けていた。「撤退命令」が前線に届くまでに16日を要し、その間に多くの兵士たちが命を落としたのだ。最後まで「撤退命令」が届かず、玉砕する大隊もあった。
さらに、餓死の恐怖に直面した兵士たちの中には、生きるために死体の肉に手を出したものもいた。飢えに苦しんだ陸軍将兵は、ガダルカナル島を「餓島」と呼ぶようになった。

ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1000人のうち、戦闘による死者はおよそ5000人、1万5000人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1937年
陸軍士官学校進学
1940年
9月 中国・南支の歩兵第228連隊第1大隊第4中隊に見習い士官として配属
1942年
ガダルカナル島に上陸
1943年
ガダルカナル島撤退
1946年
復員、鯖江市で織物業に従事、市議会議員

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ガダルカナル島

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