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タイトルタイトル: 「最後の突撃で負傷、捕虜に」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~
名前名前: 橋本 正一さん(名古屋・歩兵第228連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2009年8月17日

チャプター

[1]1 チャプター1 ガナルカナル上陸  04:57
[2]2 チャプター2 アウステン山  05:45
[3]3 チャプター3 監視されていた日本軍  04:27
[4]4 チャプター4 死守命令  05:44
[5]5 チャプター5 日課は食べものの探索  04:54
[6]6 チャプター6 飢餓とマラリア  04:19
[7]7 チャプター7 突撃命令  06:13
[8]8 チャプター8 気づいたら捕虜になっていた  05:22
[9]9 チャプター9 尋問  02:07
[10]10 チャプター10 帰還  04:31
[11]11 チャプター11 生き地獄や  02:16

チャプター

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17年の11月の5日に、ショートランドの駆逐艦「夕暮」に乗って、そして6日の未明ですね、11月6日の未明に上陸したわけですね。

駆逐艦がね、全速で、大体35~36ノットで走って、そして、2時か3時くらいに、海岸へ着いたわけですね。それで、「上陸用意」で上陸しました。間もなく、東北へね、背後、曳光弾というのを撃って、それがずうっと、尾を引いたように、ずうっと明るくなるんです。そして、艦砲射撃。それから、飛行機もね、ダダーッと。そんなところで、ほうほうの体で、とにかく、中隊長が一番前にござるで、「前進」ということで、無我夢中で上陸したと。今までの、それまでの、敵前上陸と違って、全然、これは大変なことやと。こんな状態では、ひょっとしたら、これは生きて帰れんな、というような気持ちになったですわ。

アンボン、チモールはね、輸送船で、沖の方へ、輸送船を置いて、そして、工兵隊の上陸用舟艇で、大発ですわね、それに乗って、敵前上陸するんですが、敵の抵抗もなければ、簡単に上がって、待っておるんです、みんな。ガダルカナルだけは、後ろからね、曳光弾を撃たれ、そして間もなく、陸上からは大砲。それから、戦艦がおりますでね、米軍の、それが砲撃して。考えるというよりも、無茶苦茶でね、これは、えらい所へ上がったな、ということは瞬間にね。

行軍して行きよる、途中に、道はグチャグチャで。もうね、雨が降りずめですわ。2日に1回くらいは豪雨があって。これはとても、帰れんなと、覚悟しないかんな、ということは、そのときに思ったよね。

岡部隊のね、配属になるのが17日、たしか。6日に上陸をして、17日に岡部隊の配属ということが、わたしら聞くんやない、大隊長がね、岡部隊の配属になったということが分かって。そして、今のアウステン山ね、あそこへ頂上へ布陣したわけですね。

上陸のときから、感じておったんですがね、これは大変やと。ひょっとしたら、生きて帰れんかもわからん、なんていう気持ちを、持ちました。生きておる間は、どんなことをしてもやね、みんなと同じように、ついていかないかんというね。それだけですね。それと食糧がね、上陸するときに、大体2升くらいかな、いや半俵だで2斗か。2斗とにぎりめしを1日分。それで、今の弾薬箱があったで、弾薬箱と。だいぶ重いですが、そんだけ背負っておったわけですね。

まず、第一番に機関銃座を作らんならんでね。谷の下の方へ行って、稜線伝って、下の方へ行ってね、それでビンロウジュの木を切り倒して、それを何回か、運んでね。それで、堅固な機関銃座を作って、そこへ機関銃を備えたと。各分隊ともね、機関銃をそういうふうにして、機関銃座を作って、いつでも撃てるように準備してね、弾込めて。そして第1日をね。

一日中、ビンロウジュの木切り倒して、そしてね、機関銃座作ったんですね。各中隊は、歩兵の方は、普通のタコツボ掘っただけ、ですわね。

アウステン山だけはね、戦争になっておらんわ、始まりは。ほんとに、なっておらんです。敵の米軍の、考えやないかね、あれ。あそこは残しておけ、というようなことで。

わたしが考えるんやが、米軍は平地をまずね、さっと一番早いで。手っ取り早いし。戦車でも、何でも、ダーッとやれるんで、一番、平地を狙うわね。1大隊ですわ、平地。それから、今度は3大隊。3大隊というのは、何でそこおるというと、中間の中腹みたいな所ですて、3大隊は。我々は、山の上やもんで。米軍は山の上まで、上がってきて、なおかつ、犠牲が多いということで、我々が、一番後に、なったんやないかと、わたしはそう思うんですがね。米軍の攻撃は、そういうふうで、やったんじゃないかと、思いますけど。

(米軍は)レーダーとかいろんな通信器具が発達しておるんですわ。

拡声器も、戦場には知らん間に、備え付けてあったんだわね、米軍は。そして、我々の物音がしたり、それから煙が上がったり、いろんなものを監視しておるわけで、すぐ分かるんですね。音、したらすぐ分かる。大体、どこら辺におると、日本軍が。ということがすぐ、分かってしまうんやね。

そして、物音がしたら、すぐ分かる。それで、こちらから大隊砲なんかでも、観測所作って、撃ったらしいけども。オツリが、いっぺん撃つと、米軍のがね、何千発といって、撃ってくるんやで、はげ山になるくらい、撃たれるんです。ほんでね、すぐうちの機関銃隊の大隊砲は、すぐ、あかんにようになって、陣地があかんようになって、そして、予備陣地という所へ、引き上げてきておるんです。

米軍はガ島の戦争状態を、見てみるとね、装備やいろいろな点は、格段の差があるわね、日本とは。結局、兵隊が我々の兵隊だと、三八式歩兵銃で、あれ5発入れてやっては、撃つんですがね。米軍は自動小銃で、連発式でね、全然、問題にならんのやわ。日本軍が撃つと、何千発というお返しでね、はげ山になってまうくらい、撃ってくるんですね。

その弾のね、数を、寝ておって、何もやることないんで、わたしは勘定したことないけども、ある人間が今日は1000発。それから、今日は1000発ということで、1000発、1000発、2000発、2500発か、とにかく5000発くらい撃っておるですわ。

結局、壕の中で寝転んで、食糧がないもんやで、寝転んで、ドーン、ドーンというやつを、数えておったんだろうと思うんですね。わたしも聞きましたけども、どこの中隊のや、知らんけども、そういう兵隊もおったという。変わった人間もおるなと、思ってね。

わたしも後で、これは聞いた話やけど、(大本営の辻政信)参謀がみえて、それで後方、後方というのは米軍の方の後方へ、日本軍を上陸させるので、この陣地は死守せよ、という命令やったんですわ、本当は。そういう、命令やったんです。それは、聞いた話ですて、わたしは。

今の米軍のね、米軍の後方の方へ、敵前上陸、日本軍を上陸させると。上陸させると。それまで死守せよ、というようなことを、辻参謀が言われたと、いう話を、聞いたんですがね。


Q:その話を聞いたときに、どんなふうに思いましたか?

 そのときは、戦況がね、だいぶ悪くて、偉い人が言わっせるで、本当に日本軍を上げるんやろな、と思ったんやけども。わたし自身は思ったんやけど、全然、なしのつぶてで、どうなってまったんや、しらんけども、全然、上陸しなんだですわね。

死ぬまで、ここで守れっていうことやわ。この陣地を。


Q:それを聞いたとき、どのように思いましたか?

 上陸したときからね、これは、覚悟を決めなあかん、ということで、生きて還れん、ということは思っておったのでね。あんまり、そう、考えなんだですね。

どうせ、こんな所へ来たんやで、生きて還れん、ということは覚悟の上やでね。何かむなしいようなね、ほんとに何もあらへん。そんな所やでね。そして、雨は2日に1日くらいは降るし。そして、40度くらいの暑さがあるしね。大変な所へ上がったなと。

それで、マラリアやったり。食べるのがないで。上がってすぐ、12月には、何もなかったですわ。

食糧はないしね、やっぱり、うとうとっと、しますわ。雨は降るわ、腹は減るわ。痩せ細ってまってね。それは、うとうととします。まともにおれんわね。普通の戦闘のときでも、雨降ったり何かして、疲れて、うとうとっとすることがあるが、ガ島は特にね。それで、気がつかなんだ、後ろへアメリカ兵がおったらしいけども。小銃(隊)がすぐおりますでね、それが撃ったんやわ。そうしたら、背のうや何か、みんな見ると、チョコレートやいろんなもん、持って歩いておるんだね、米軍は。それをみんな分けて。「おいおい」と、わたしも何やら、もらったけど。みんなで分けて、もらったことあるです。

全然ありません、補給は。弾も何も、食糧も何もあらへん。補給、2回ばか、わたし取りに行ったけども、それはドラム缶でね。海に浮かんでおって、それで、縄で縛って、それで、浮いておったわね。上陸した所には、ドラム缶がずうっと置いてあった。それが駆逐艦や、いろんなのが持ってきて、そして、そこに置いては、ずっと行きよったよね。

食糧がなくなってからは、今のアリの巣や、あれを探して歩いて、それが仕事やったもん。敵が来んし。交代で番しておるだけやで。行ったときは、十何人おったんやで、それが交代で行くんやで、そう行かんとていいでね。寝転んでおって。食がないで、今のトカゲを探したり。

食糧探し。全然12月から、何にもあらへんで。トカゲ、それからアリの巣、それからビンロウジュ。3つやな。その3つを探して。敵よりも食糧のないのが、おそしかったでね。食べな死んでまうし。水ばっかり、飲んでおるわけにいかんへんもんね。

アリの巣。それは、割るとアリがいっぱいおる。そいつをとにかく、飯ごうに入れて、それで温めるとアリが死んで、みんな出てまうで、それを食べるわけ。それがアリの巣という。それから、トカゲは、こんな小さいね、4~5センチのあれで、ここらにおる。あれも、そこら中、ずうっと探して歩いて、小枝でたたいて殺して。そしてあぶって、そして、皮むいたり、脚の所、あれしてね、取って、そして食べたの。それが食糧。食べるものがないで、それを探して。それが、仕事やったね。弾撃っておるよりも、それが、食べ物探すのが仕事やった。12月頃から、ずうっとね。みんな、生きておる者は、みんなそういうこと。

ひとり、うちの中隊のね、T、にしておこうか。その人間がね、わたしが水汲みに、行ったときにね、マラリアで、あんまり暑いので、壕の中におれんで、それで出てきてね、こうやって、上向いて、寝ておったんですが。「おい」と言って声をかけたときに、よう見ると、口をもぐもぐさしておるんで、これはと思って、口の所を見たら、あっちの蝿は大きいのかどうや、知らんがな、アブみたいなやつが、ダーッと口の中にいっぱいおる。かわいそうにと思って、こうやって手でやったら、バーッと出て、それですぐにまた入る。中へ入る。こんなことしておってはいかんでと思って、それで、わたしは水汲んで、体洗って、谷川の水でね、洗って。

そして、帰りに見てみたら、死んでまっておった。オレ、あれ見たときには、うちの中隊やもんやで、これは、親兄弟一族がほんとに見ておったら、とてもね、見られんやろと。わたしだけが見て、知って、おるんやけども。親が見たら、ほんとに泣けて、かわいそうにと思ってね。そのときだけはね、わたしは初めて、涙がこぼれてね。今でもね、かわいそうにと思ってね、おるんですがね。それがわたしが一番、ガ島の悲しい思いをした話ですが。

ほんとに、涙がこぼれてね。かわいそうに、これは自分のうちやったら、ほんとに思うもんね。そんなこと、同じ中隊で言うことも、できんしね。家族にね、そんなむごい状態で、死んだということは、言ええへんでね。ほんで、あのときだけは、本当に涙こぼれたね。泣いたのは、あのときだけやないかと、思うがね。これだけはわたしのね、あれとして、悲しかったことで、伝えたいと思うんですわね。

あんな死に方はね、ほんとに、どこの戦場でもないもん。おそらく、ないと思うんです。

Q:橋本さんの部隊に撤退命令は届きましたか?

 いや、届いてないです、全然。それで大隊長が、今言った、23日の0時にここへ集合、と。うちのアウステン山の者は、誰も聞いてない。23日に転進ということで、各中隊長はね、みんなもちろん。そして0時に集合して、全部で102名。大隊長を入れて、大隊長以下、102名。

それで「北はこっちや」といって、指差してね。大隊長が指差して、こっちへ行くと。歩ける者は這ってでも、連れていくと、いって言われた。それで、23日の0時に集合して、それから北へ、北へ、ということでね、大隊長についていって。

敵の真正面やでね、まあ、これは覚悟を決めてね。突撃の瞬間、その前やが、鉄条網の所で分かって、米軍が撃ってきて、それで、地べたにへばり付いて、おったんです。大隊長からみんなね。これではあかんで、死ぬより方法、あれへんで、といって突撃と言ったんや。大隊長が「突撃」という命令、下した。ほんで、すぐ後ろやで、ついていくより、仕方がないわね。生きて帰れんことは、覚悟の上やでねもう。敵の真正面に突撃しておるんやで、生きて帰れるとは、もちろん、これが最期やと。わたしはそのときに、うちのお父っつぁんや、おっ母さんは、とても、生きて帰れんで、ここで死ぬでと、いう気持ちで突撃した。

手りゅう弾をね、まず投げて。発火して投げて、そして、突撃したよね。わたしはあれ、確か、二つともほかったんやないか。手りゅう弾の投擲ね、表彰もらったことあるで。連隊で。ほんだけど、あんなヒョロヒョロの半病人やで、そうも、飛んでいっておらんと、思うけども。分からんわね、そんなもんは。真っ暗で。

そして、「ワアーッ」ていう喚声を上げて、突撃したと。みんな一緒やと思うけど、「ワアーッ」て言って。よけいあかんわね、本当は黙って、突っ込まないかんのやけど。「ワアーッ」て言った。何やしらん、喚声上げて。何が、何やら、分からん。「ワアーッ」ていう声だけやでね。分かれへん。

ところが、突撃して大隊長が倒れて、榊原もすぐ際におる。わたしもおって、伏せておった。大隊長がさっき、やられたでね。声がするで、撃たれるでね、さっき。ほんで、伏せておったら、身動きができいへんのや。ほれで、2回目にまた大隊長が、突撃と言ったわ。ほれでまた、ついてね、突撃したんやけども、そのときに、後ろに迫撃砲が落ちたでね。それは、そんなもの、分かれへんでね、わたし。ほれで、バーンと腰の辺が、丸太でたたかれたようにね。「ああ」と思って倒れて、そして、人事不省になってまったんやわ。それから、ちょっと覚えがないのや。人どころやあれへん、自分がそういうふうで、覚えがなしに、なってまったんやね。人事不省。

時間はね、どれくらい経った、分からんが、人事不省になっておって、その場では分からなかったが、ふわっとね、浮いたような感じがして。それもね、全然、意識がはっきりしておらなんだ。これも、みんな後になりますけども、飛行場へ着いてね。それも、全然、分からんのや。飛行場へ着いて、そして、どのくらい時間が経った、知らんけども、気がついたら、気がついたのは、飛行機の音とエンジンの音と。

そして、自分の左脚が、ものすごう痛うて、ほれで、痛い痛いと思って、これはと思って、目を開けたわけ。ほうしたら、米軍のハンモックみたいなやつがあってね、簡単なやつがあって、そこに寝かされておった。それが、これももう少し経ってから、分かったんやけども、わたしだけが、そういうのに乗っておったんやね。あとのはね、見たらテントの中に、負傷兵がね、これは日本人やなと思って、寝ておって。天幕みたいなやつの上に、寝かされておったよ。わしだけが、何でやしらんと思うけども、それは分からんのやが、寝ておった。


Q:アメリカに捕まったということにはすぐ気がついたんですか?

 そこで、気がつきました。覚えのなかったやつが、そこで見たら、日本人が寝ておるし。ルンガ飛行場やでね、あそこ。ルンガといったはずや。あそこの飛行場の、飛行機のエンジンの音が、やかましい。ほんで、これは、オレは捕虜になったんやなと。理由の如何を問わず。日本軍はそうや、理由の如何を問わず、恥辱やわね。そう、わたしはそういう思いでね。痛いとか、何とか、じゃなしに、そういう思いがありました。

わたしが想像しておった米軍とは、全然違うなと思って。飛行場に収容されたときね、これは、日本やったら、こんなもんは、生かしておけへんのに、連れてきてね。それでまだ、誰やしらん、いろんな薬がね、やってあったのかどうや知らんけども、よう、負傷兵をね、看護するなと思って。


Q:治療されたんですか?

 治療はね、しておるはずだよ。なんかリンゲルみたいなやつが、ぶら下がっておったし。覚えないけどね、リンゲルみたいなやつが、ぶら下がっておったで。あんなことは、日本やったら、やらへんわね。負傷兵をようね、米軍も扱うなと思った。

米軍の通訳が来てね。ほんで、これは日系やと思うが、流ちょうな日本語やで、何から何まで、全部分かる。それが来て、一番先、尋ねられたのは「あなたは人肉を食べましたか」ということが一番、早かった。そんなもんは食べたことないという返事をね、しました。それから、部隊のことを聞きたかったらしいが、日本人はそれは言わまいと。軍人は言わまいということを、独り言なんかで言っておりましたで、やれやれと思って。その人肉の問題だけやったですね、わたしは。


Q:何でそんなこと訊かれるのかなとか思いましたか?

 おかしなことを聞くなと思ってね。こっちは、肉みたいなもの食べるのあらへんに。ビンロウジュやトカゲやあんなものを食べておってやね、おかしなことを聞くなと、思ってね。中にはあったんかどうや知らんけども、わたしはそういうことはしなんだで。

日本人の中でもね、まんだ、英語の達者なのが、おってね。それで、日本は戦争に負けたで、っていうことをね、言っておるのがあった。それがね、通訳やと思うがね、向こうのニュージーランドの兵隊が、通訳兵というのがおったが、それの教え子だら、何たら、というのがおりましてね、それがね、日本は負けたで、帰るんだということを聞いた。

ニュージーランドにね、おるときにね、20年の12月末に、その1週間くらい前かな。日本へ帰れるというね、ことをね、ニュージーランドの兵隊がね、言っておったのを聞いたことがある。半信半疑やったんですが、荷物をまとめて、帰る準備をせよという。まんだ本当に、半信半疑やったよね。ええんかなと思ってね。みんな、行かんならんでね、帰るというで。半信半疑で12月の31日の日にウェリントンまで汽車でね、ずうっと行って。それで31日に。正月やると、こっちで、具合悪いかしらんけど、ニュージーランドの方が。それで船に。その船がまた、米軍のね、今のリバティですわね、あれに乗って。

負けたというのは、ほんとにね、わたしは日本人として、半信半疑やったでね。「そんなこと言うけども」と思って。21年の2月の3日の日に、ずうっと、小笠原からずうっと、通って、そして、浦賀へ着きましたね。そうしたら、そのときに、陸上を見たら、アメリカの国旗と日本の国旗と揚がっておる。これは本当に、何の言うこともない、負けたんやなと。あいつ見て、初めてね、感じたよね。

実感がね。しみじみとね。2つ揚げてある、旗がね。疑う余地なしやわね。日本やったら、あんな所へ、揚げえへんでね。絶対、あんな所へ揚げえへんで。

よう、日本軍は手を伸ばして、輸送も利かんような所へね、何であんな戦争したしらんと。

あそこは本当に、生き地獄やね。もうほんと。二度と行たないね、戦争、終わっても。本当にもう。

もう二度とね、あんな戦争をしてもらっては、本当に困るなと思ってね。軍の命令や、これやあれやといって、無茶苦茶。大勢の人を、230万人くらい、亡くなっておるんやないかね。本当にバカげた戦争をね、やったもんやなと思って。手を広げ過ぎるんやわね。アジアの全部に、迷惑かけておるでしょう、中国から全部。アジアはほとんど、迷惑かけておるもんね。

戦争は二度と、してもらいたないと。やっぱり、いっくら貧乏しても、平和なときが一番ね、やっぱり。今、不景気でいかんけども、これ戦争があったら、無茶苦茶やでね、そんなもん。今、不景気や、戦争あるといったら、たいもないもんや(とんでもないことだ)。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~】

出来事の背景 写真半年間の戦闘で2万人もの犠牲を出し日本軍の大敗北に終わったガダルカナル島の戦い。名古屋歩兵第228連隊は、日本軍が三度に渡る総攻撃に敗れた後、最終段階に投入された。補給においても、戦力においても、緒戦段階に比べ遙かに不利になった状態で上陸させられた228連隊、2500人中、生還できたのはわずか300人だった。 
 
太平洋戦争開戦以来、攻勢を続けていた日本陸軍は、昭和17年8月にガダルカナル島で、米軍との初めての本格的な地上戦に突入。

日本軍は米軍を「すぐに勝てる弱腰の敵」と見ていたが、実は火力・兵力・戦略ともに日本軍を凌駕していた。作戦が失敗しても、戦訓の見直しをせず兵力の逐次投入を繰り返し、現地将校からの撤退の進言も軍司令部は無視。228連隊を待っていたのは、激しい米軍の集中攻撃と飢餓地獄だった。上陸から2ヶ月で、6割の兵士が命を落とした。

12月31日、ようやく大本営が「ガダルカナル撤退」を正式決定した後も、228連隊には更なる悲劇が待ち受けていた。「撤退命令」が前線に届くまでに16日を要し、その間に多くの兵士たちが命を落としたのだ。最後まで「撤退命令」が届かず、玉砕する大隊もあった。
さらに、餓死の恐怖に直面した兵士たちの中には、生きるために死体の肉に手を出したものもいた。飢えに苦しんだ陸軍将兵は、ガダルカナル島を「餓島」と呼ぶようになった。

ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1000人のうち、戦闘による死者はおよそ5000人、1万5000人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1940年
歩兵第228連隊に配属
1942年
ガダルカナル島に上陸
1943年
1月、突入攻撃を行った際に腰を負傷、米軍の捕虜となる
1943年
ニュージーランド捕虜収容所に収容
1946年
復員、岐阜市役所勤務、煙草店経営

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