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タイトルタイトル: 「栄養失調で銃が持てない」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~
名前名前: 三田 友行さん(名古屋・歩兵第228連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2009年8月18日

チャプター

[1]1 チャプター1 真夜中の上陸  03:46
[2]2 チャプター2 先頭を進んで  04:38
[3]3 チャプター3 さまよい歩く敗残兵  03:55
[4]4 チャプター4 銃剣での夜襲  05:39
[5]5 チャプター5 銃が重くなった  02:21
[6]6 チャプター6 撤退命令  05:40
[7]7 チャプター7 撤退  06:38

チャプター

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(ガダルカナル島に)上陸して。やっぱり、駆逐艦から舟艇ちって、ありますね、舟艇。小さい船。それに乗って、タソーロングという所は浅瀬の、港といったって、ヨシや何か、草ぼうぼうの所だでね、本当の港ではないんだ。そういう所へ、遠浅の所へ上陸した。

夜だったもんで、全然、分かりません。ただ、上陸せやええ。飛行機に、戦闘機に、見つからんように、上陸すればいいという、気持ちだったです。それで、ガダルへ上陸せや、それで、よかったんだでね。任務をね。

朝、早くから、米軍の戦闘機ね、あれ、2機、来やがって、攻撃しやがって。2機、来た。それは制空権、アメリカが取っておるもんで。九州2師団がやられちゃったもんで。今度、わたし方来たことは情報、入ったと見えるわね。朝、早くからね、薄暗から2機、来やがった、戦闘機が。米軍の戦闘機、グラマン。

海軍でも、逃げるようにして、行っちゃうでしょう。わたし方、降ろして、すぐ逃げるように、ガ島を離れちゃうでしょう。日本軍、乗せて、降ろしたら、逃げるように、逃げちゃうでしょう。制空権がないんだわ、それは。戦闘機で戦うあれが、ないんだわ。ただ、船で降ろしておいて、すぐ行かんと、たたかれちゃうもんで。そういうふうですよ。

向こうの米軍のおらん所へ、上陸しておるということ、分かっておるもんで、上の人は。それで、そこへ、降ろしたんだ。日本軍をそこへ。タソーロングという所へ、降ろしたんだ、遠浅の。上陸が成功せるだろうといって。上陸は、えらい、尖兵ですからね、部隊の。


Q:地図もないと、方向も分からないですね?

 それは分からん。全然、分からん。磁石もなかった。そうです。そだけど島は、ひとつだもんで。島はひとつで。タソーロングという所も、知らなんだですよ。上陸地点は。そんだで、場所を言うより、しょうがないわね。場所をね、そこの降りた所の。タソーロングということは、後で分かったんだけど。降りた所。後で地図見たら、タソーロングということ、地図に書いてあったし。

わたしが、そこへ上がっても、すぐ斥候で。連絡斥候でないで。我々大隊、中隊が行くでしょう。さっき、前進せんならん。2分か、3分か、10分くらい前に、前進していかんならん。わたしは分隊長。分隊長でもね、斥候。斥候というとね、軍隊が行く前にね、5分から、10分くらい前に。犠牲者だわね。爆弾や何か。


Q:部隊よりも先に行かなきゃいけなかったんですね?

 先に。香港でもそう。香港島の戦争でも、わたし、新品伍長だった。


Q:三田さんは地図もなくて、どうやって道が分かったんですか?

 それは、そこから移動せるときはね、ここから3キロなら、約3キロ。約ですよ、約3キロなら3キロ、左へ、島から上陸した所から、3キロなら3キロ、4キロなら4キロ、1里ですわね、そこに水があるで、川があるで、そこへ上陸せよという。そこへ行け、ちゅうんだわな。

分からすか、あんた。ただ、行けちゅうだけだ。小隊長も、知らしんもん。初めての所だもん、そんな、道が分からんも、分からん。ただ、左へ取って行けば、川があるというだけだ。そのようなもんですよ。

上陸した地点から、その川へ行ったら、はや、アメリカはマイク持っておって、その川へ行ったら。はや、それで弾が来たんだ、迫撃砲弾。いかに、アメリカの兵隊が優秀か、ということが分かる。ただ行っただけで、マイクが備えてあって。どこにあった、分からんですよ。それではや、弾、迫撃砲弾が来たでよ。そういう状況だった。そのときは弾の1発、苦にしておったら、前に進めんわ。そういう状況だった。状況はね。


Q:これまでの戦場とはだいぶ違うなと?

 違う。それは、違う。中国におったときは、全然。2年前には、中国におったんだで。広東に。広東、知ってるでしょう。2年前までは、広東におったんだ。


Q:ガダルカナルはそれまでの戦場と、どう違いましたか?

 やはり、飛行機が。アメリカは飛行機を持っておるでね。飛行機が優秀だわ。飛行機が。朝、早くからね。服装だって、普通のなりしておるですよ。何も、日本軍の飛行士と違って、普段のなり。運動靴はいてね、それで、飛行機に乗っておるんだで。死んだ人、見るとね。ガ島でも、一緒。それで、ようけおるしね。戦闘機でもようけおるし。それは戦力ちゅうだか、装備が、優秀だったね。ようけ持っておって、アメリカ軍は。ほかの中国や、何かの兵隊とは、違う。そう思いましたよ。装備が違う。軍隊の装備が。

それから、奧へ入ってから。その水がある所。川がある。4キロばか行くと、3キロか、4キロばか行くと、川があるで、マタネガ川か、何か川があるで。そこへ行くと、何やしらん、フラフラしたような兵隊を見たんだわ。この目で。後で聞いたら、九州の2師団の兵隊だということで。部隊がバラバラ、こいちゃった。そのとき、食うものがない。


Q:どんな様子でしたか、その人たちは?

 それは、まあ、おぞいもんだわ。服でも何でも、ビロビロで、あんた、見られたもんだないわ。それは、かわいそうだと思った。

玉砕ということは、聞いておりましたでね。九州の2師団が、バラバラ、こいたなと思ったことだ。それより、自分の方の任務があるもんで、聞いておれんだ。

それは、かわいそうだなと、思うだけのもので。自分がどうなるか、分からんもんね。お互いに、これから、自分がどうなる分からんもん。敗残兵、かわいそうだな、とは思ってもね、かまっておれんの。そんな兵隊を。そういうふうだったです。

自分がまだ、これから戦場へ行かん、ならんでしょう。ほんだで、かわいそうだと思った、だけのもんで仕方がない。それは、かわいそうだ。今でも、そう思う。だけど、あの時分に食糧がようけあれば、やっておったもんね、それは。オレは歩兵だもんで、背のうに、背負がねておっただけだもんで。やることはできんの、おコメでも何でも。

この方向を向いて、行けという。方向というのは、分かっておるですよ。アウステン山といって、大きい山がありましたもんで、それを目標。ガ島にアウステン山という、大きい山があった。日本名かもしれんけど、アウステン山という、大きな山があって、それ目当てに、行っただけだ。2日、そこからね、川の所から、2日半くらいで、そこへたどり着いたんだ。斥候で。

それは、命令どおり、そこへ行くという、命令を受けただけで。斥候を受けておってただ、前進せいだけのものでね。道を見たり、敵に遭ったら、どうせる。そういう、考えだけです。ただ、戦闘をやるという、頭だけだ。遭ったらね。

全面的には、アメリカ兵隊は道具をようけ、持っておるでね。歩兵でも何でも。ほだで、強いことは知っておったですよ。だけど、夜襲や何かになると、日本軍の方が優秀なんだわ。

向こうの機関銃陣地をね、アメリカの、機関銃陣地を夜襲で攻撃したときですよ、曹長以下の7名で。

敵はここの山におると、中間ジャングルの中から。ジャングルこっちだと、向こうは機関銃、備えとる、機関銃をね。重機関銃を。それで、日本軍は通る奴を、撃つもんで。それをこっちから、ジャングルの中で昼間のうちに、よく見といて、観察していて、どこから行ったらいい。ここからなら、こちら。こちらならと、このよく見といて、それで、夜攻めるんだけど。

それも、夜は紙や何か、このぐらいの紙をね、薄長いような、チュウスイ切りのを並べて。帰るときに、分からんといかんで。それで、紙つけて、前進して行くんです、敵を目がけてね。だが、はっきり、道路はねえですよ、分からんですよ。

ただ、ジャングルの中に、おるところを見たときから、こちらなら、こちらだけの高い山があるもんで、そんだけのことだ。上へあがると、草原みてえになっとるんだ、あの米軍のとこは。そこに陣地があるもんで、そいつを目がけて、夜間行くと、こういうふうに、見えるだけだもの、人間が。そいつを目がけて突っ込むのだけだ。


Q:三田さんの武器はどういう武器だったんですか?

 銃剣だ、銃剣。こうやって撃つ、歩兵銃ね。歩兵銃に着剣して、先っぽにこのぐらいの剣を、尖った剣を、突くだけだ。それに、夜間だものね。ただ、こういうものが見えると、突くだけ。

ただ、黙々としてね、数が分かっちゃうんで、数が。突撃したら、数が分かっちゃうんだ話しとったら、人間の数が。だから、ただ無口で、突っ込むだけ。大きなアメリカ兵でもね、死んでいくときは、大きな声して、泣くでよ。

向こうだって、兵隊だでよ。こっちだって、兵隊だもの。それは聞いたら、大きな兵隊が泣くだろ、あんた、殺しゃ。殺したって、一発だけで、あんた、銃剣で左胸を刺しゃ、一発だけだ。その一発だけどもね、股を刺されたか、どこ刺されたか、分からんの。それで、死んでいくんだもんで。刺されたとこは、一発や二発じゃねえもの、そうやったとこは。夜襲はそういう、戦争。

自分は殺されんように、やっつけたる、ちゅうだけだもん。ただ、米軍を殺すだけなの。それはそうですよ。やるか、やられるかだもの、米軍と日本軍と。それです、そんな考えとる、余裕なかった、今思っても。ただ、やっつけたちゅうだけだ。だから、戦争は恐ろしいで。そんな、慈悲心ってありますか、あんた。鬼と鬼心。けだもの心。人間の心ねえもの。戦争を行うちゅうことは、殺し屋だもの、人間の。人間同士のこれや。やらな、やられちゃうもの。そうでしょう、向こうで、軽機関銃持っとるし、銃はいくらでも持っとる。

鬼でなきゃ、殺せねえですから、あんた。それは殺せね。ほかのこと言えんで、鬼になりました。

Q:三田さんが戦地でいちばん悲しかった出来事は、なんですか?

 やはり、食事がなかったちゅうこと。夜襲、連絡斥候に行くとき3~4中隊へ行くときでもよ、食べとらんもんで、あんた。砲、銃がもう、持てなんだ。それで、中隊長の拳銃を持って行った。中隊長の拳銃を借りて、連絡斥候、行ったんだもの。重うて、持てなんだ。


Q:銃が持てなかったの?

 ああ。銃、三八式歩兵銃、知ってみえるでしょう。あれが持てなんだ。拳銃なら、自殺はなるし、手りゅう弾は二発持っとった、手りゅう弾は。手りゅう弾はこんなもんなんで、二発持っとった。自殺戦の弾だものね、拳銃も。拳銃はこうやって撃つだけでね、死ねるもんでね。

死んでいく兵隊は、ようけ見たけどね。そんなもん、「おとっつあん」ちゅうて、「おやじ」なんて、死んでった兵隊はおらんだ。1人もおらん。聞いたことねえ、この耳では。ほかの兵隊は知らんです。よく何十人ておるけどね、聞いたことはねえ。「天皇陛下バンザイ」ねえ、「お父さんバンザイ」なんて、聞いたことはねえ。ただ「お母さん」「おふくろさん」「おっかあ」だ。あの言葉ばかり。いかに、母親は強いちゅうことは分かる。精神的やら、肉体的から、愛情からね。と、いうことは今でも、忘れやしねえよ。

通信紙はこのぐらいの、ちょっとまだ、大きいけどね。通信紙って、軍で紙があるんだ。ちょっとようけ、束になっとるんですよ。それ、通信紙しようと、こんな紙だよ。

赤鉛筆で書くわけ。赤い鉛筆で書くもんで、こういう赤の鉛筆ね。それで赤紙、赤紙、言うたもんね。命令は、大隊長の命令は、それで、赤紙しけえいかんから。赤い字で書いた命令を、大隊長から、中隊長に渡すわけだ。内容は知りませんよ。大体、聞いたけど、内容は聞きませんよ。


Q:早川大隊長からなんと言って、その通信紙を受け取ったか、覚えてますか?

 「これは死守せよ。あくまで死守せよ。」

ああ、それは大隊長、そう言ったもの。大隊長、渡すとき、そう言ったものだから、あらかじめそれは知っとる。


Q:(2回目の連絡斥候のとき)大隊長から渡されたときには、なんと言って渡されましたか?


 無言でしたね。無言、何も言わなかった。「これを渡してくれ」と言っただけなの。それ、どうもすみません。それ、無言。第2回行くときの用紙は、中は知らなんだ。こっちへ行って初めてわかった。

薄暮、夜を利用して、一線から中隊長の位置まで、全部、中隊長、3、4中隊下がれという命令だ。下がれ、大隊長のおる位置まで、下がれちゅう命令だ。

そこの一線から、3~4中隊の一線から、大隊長の位置。大隊長はそこから3キロぐらい後ろに。後ろにおるもんで、3キロばかり4キロも。そこへ下がるまで、大隊長のおる位置まで、下がってくれちゅう、命令だ2回目は。

第1大隊長の早川菊夫大隊長のもとまで、下がれと。これは言えんか、生きるか死ぬか、の境ということは知っとる。


Q:どのぐらいの道のりを歩いて、命令を届けたんですか?

 約3キロですね。大隊長の本部から、3里。ジャングルの中ですよ、普通の道だねえ。そうなの。


Q:どんな思いで、届けましたか?

 それは敵に会わんようにね、先こっちが見つけて、あとは、かまっとっていかんな。銃もある、戦うと思うんで、拳銃と手りゅう弾だけでしょ。これを渡すまでは、死んではいかんと思って、それで、前進しただけだ、行くときは。それ、1回(め)も2回(め)も一緒です。

それはもう、心配だ。それで、わたしは行ったんだ。選ばれて行ったんだで。それは、責任は重大だもんね。4中隊がだめになるか、30名がだめになる、境だもんで。それは真剣だったですよ。


Q:命令を渡したときの中隊長さんの反応はどんなでしたか?

 それは、涙出して喜んだ。涙出して喜んだ。一線まで下がれることには。


Q:喜ばれた?

 もう、それだけは喜んでてよ。中隊長もまた下がるまで、知らんでしょう、下がるときは。それで、晩まで待って、薄暮まで待って、わしが今度は、中隊を誘導してくれちゅうて、そりゃいいですよ。わたしは任務を終わったでね。中隊長の3中隊と4中隊と命令を受けて、それで、薄暮を待って、暗うなるのを待って、まだ明るかったもんで。暗うなるのを待って、夜になるまで待って、それで、そうね11時、10時か11時になりました、暗くなりましてね。

撤退するときはね、そんなもの、命令でよ。今度は、エスペランスちゅうところへ集合してよ、ラバウルへ撤退するなんて、思わなかったもの。中隊長もなんとも、言いやしない。ただ、そこの岬まで、行くだけだなんて。ラバウルへ下がるなんて全然、聞いとらん。また、変わったところへ行って、戦争、飛行場の近くまで行って、戦争やるんだと思うとったけど。


Q.ほんとに撤退だということを知ったのはいつでしたか?

 そこの駆逐艦が、来てからだ。駆逐艦が、日本軍の海軍のね、駆逐艦が。戦争をやる船ですよ、駆逐艦て。スマートなね、30メートルぐらいの長さの。

駆逐艦に乗ってからは、まず、食事を海軍さんなり、いただいてね。まあまあ、ちゅうところだったけど、あんまり、余計いただいてね、船の乗るときには、今度は腹痛だ。食べておらんところへ、食べたもんで。衛生兵に聞いたらね、ハットリ医師に聞いたかな、聞いたらよ、これは栄養失調で、食ったらんところへ、栄養失調になっちゃってよ、それで腹痛こいちゃった。

そのとき、駆逐艦でラバウルへ下がっても、そこに残留兵って、チモール島で戦った、戦友がおったんだわ、ノグチちゅう。春日井の、西春日井の男だけどね。それでわたしは、痩せちゃって、こんなものになっちゃったんや。63キロから、65キロぐらいあったやつが、30キロ、35キロぐらいの。それでさ、動けんでしょう。船から降りてもよ、はいずって降りたようなもんで。今、杖ついている以上だったね。それで、三田が同年兵だったもんで、初年兵から。「三田が死んじゃう、三田が死んじゃう」って大騒動。そのくれえ。


Q:8月15日の終戦はどこで、迎えましたか?

 8月15日はラバウルにおりましたけどね、ガ島から下がって。それから、9月半ばに聞いただけど。8月9月、9月半ばに、終戦、聞いただけ。遅く聞きました。


Q:9月に日本は負けたんだと知ったときには、どんな気持ちでしたか?

 それは、残念だなと思ったけどよ。やっぱり、ガ島で負けたということは、知っとるもんでよ、ああそうか、といったようなもんだ。


Q:想像がついた?

食料もないし、飛行機も飛べへんしね。船もあんまり来んし、島だもんで分からんでね、状況が。だけえ、あまり、聞きもしなかった。


Q:三田さんにとってね、ガダルカナルの思い出というのはどういうもんですか?

 まず、残念な戦さだったなと思う。残念、負けてよ。残念な戦さだったって。自分は生きとったけどね。戦友、ようけ、食わずに、殺しちゃって。ひどい戦争を、やらされたもんだと、ね、そう思ったわけ。

哀れだということを言ったって、思ったって、しようがねえもん。負けたは、負けたんだ。やられたんは、やられたんは、食うもんはなかったちゅうこと。それは、残念だったというでしょ。みんな、正直なことを言えないもん。みんな兵隊は、正直に言えんでしょう。上官は言ったって、承知の上だもの、負けたちゅうことは。

死んだ人は、いちばん気の毒だわね。日本全体ですよ。あの兵隊ばっか、じゃねえ、日本国全体ですよ。もう少しよ、早う終戦がしておりたかったと、長になった者は。ただ、そう思うとるだけ、今でも。

やっぱり、戦争はやってはいけないと。英語でも、日本語でも、話は通じるんだで、戦争だけはやっていかん。そんだけですね。アメリカだってあんた、兵隊は殺しゃ、死んでて。若い人が死んでいくでしょう、殺しゃ。日本軍だって、若い人があんた、階級の低い人や、一線の人は死んでいくだけだもの。上の人はあんた、死んでけせんだもの。それを言うんだ、わたし。それだで、戦争はやってはいかんと。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~】

出来事の背景 写真半年間の戦闘で2万人もの犠牲を出し日本軍の大敗北に終わったガダルカナル島の戦い。名古屋歩兵第228連隊は、日本軍が三度に渡る総攻撃に敗れた後、最終段階に投入された。補給においても、戦力においても、緒戦段階に比べ遙かに不利になった状態で上陸させられた228連隊、2500人中、生還できたのはわずか300人だった。 
 
太平洋戦争開戦以来、攻勢を続けていた日本陸軍は、昭和17年8月にガダルカナル島で、米軍との初めての本格的な地上戦に突入。

日本軍は米軍を「すぐに勝てる弱腰の敵」と見ていたが、実は火力・兵力・戦略ともに日本軍を凌駕していた。作戦が失敗しても、戦訓の見直しをせず兵力の逐次投入を繰り返し、現地将校からの撤退の進言も軍司令部は無視。228連隊を待っていたのは、激しい米軍の集中攻撃と飢餓地獄だった。上陸から2ヶ月で、6割の兵士が命を落とした。

12月31日、ようやく大本営が「ガダルカナル撤退」を正式決定した後も、228連隊には更なる悲劇が待ち受けていた。「撤退命令」が前線に届くまでに16日を要し、その間に多くの兵士たちが命を落としたのだ。最後まで「撤退命令」が届かず、玉砕する大隊もあった。
さらに、餓死の恐怖に直面した兵士たちの中には、生きるために死体の肉に手を出したものもいた。飢えに苦しんだ陸軍将兵は、ガダルカナル島を「餓島」と呼ぶようになった。

ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1000人のうち、戦闘による死者はおよそ5000人、1万5000人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1939年
歩兵第6連隊に入隊
1939年
歩兵第228連隊に配属
1942年
ガダルカナル島に上陸
1943年
ガダルカナル島撤退
1946年
復員、東海財務局で働く

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