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タイトルタイトル: 「死んだほうが楽に思えた」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~
名前名前: 名倉 利三郎さん(名古屋・歩兵第228連隊 戦地戦地: ガダルカナル島  収録年月日収録年月日: 2009年6月26日

チャプター

[1]1 チャプター1 集中砲火  02:49
[2]2 チャプター2 奪い合う食糧  05:44
[3]3 チャプター3 飢餓  02:49
[4]4 チャプター4 玉砕攻撃  05:00
[5]5 チャプター5 戦後64年、今思うこと  01:56

チャプター

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Q:どのあたりに、陣地を構えていましたか?

 それだで、うちは228連隊の2大隊の、その次の6中隊だで、山の上の奥のほうだわ。

弾はどんどん飛んでくるわ。朝、寒いわ。雨が降れば、寒いわ、穴を掘って、入っておったんじゃ。

それは、絵を見れば、地図があるんだけんど、一番、山の奥のほうだわね。一番、奥のほうでアメリカと近いほうの、1つ谷間を隔たれば、アメリカさん、こっちは日本軍だね。それで、朝から晩まで、迫撃砲を撃たれて。時間があるけんど、1時間なら1時間、バンバン撃ちやがって、あと休憩しておるわ、向こうも。こっちはその間、動いても、弾が来やへん。それから、また、ちっと過ぎると、今度はまた、撃ち出す。そうすると、出ていけば、弾は撃たれへんけんど、迫撃砲だと木が、枝でもどこでも、当たれば跳ねるものね。そうすると木が折れちゃって、みんな、落ちてきちゃう。それだで、おれらのところが、おるところは、木がいっぱい折れちゃって、木の下を潜って行く、ぐらい。

迫撃砲を、朝から晩まで、撃ってやられたらたまらんが。それで、2時間なら、2時間撃つと、向こうは休憩だけん、こっちも休憩だわ。弾が飛んでこうへんのは、分かっているもの。それで、また2~3時間過ぎると、撃ち出すわね。向こうは、自動車道ができてるからね。こっちは、歩いていくだけの道だけだもの。それだで、弾を自動車で、運んでくるもの、いくらでもあるから、あんな、朝から晩まで、撃って。

Q:食べ物はどのくらい最初は、持っていったんですか?

 20キロ分、何ぼといったって、そんなのあかんわ、見ておる間だわ。しまいちゃうわ。始まりはいいもの、いつものこと、と思ってどんどん炊いて、食べちゃうもの、そんなの、見ておる間に、なくなっちゃって。これは、あかんわと言って、後方のほうに行きゃ、米はいくらでもあるもの、ここにもらいに行くだわ。それで、もらいに行くけんども、前から来た部隊が、負けちゃっておるものね。おれらの持ってきた米は、途中で取られちゃう。


Q:だれにですか?

 取られちゃう。


Q:だれに取られちゃう?

 その日本兵隊だよ。前から、先に来た人。

先に負けた人が、後方に、うようよしておるだ。親方は、みんな解散しちゃって、コウグンばっかり、うようよしておるだ。

最初師団が、九州の師団と、仙台の師団と、2つか3つ、飛行場を取りに、総攻撃をかけるとき、みんな負けちゃう。みんな、死んじゃへんわね。負けた人で、逃げてくる人もあるし、その人方が後方へ、下がってきて。

その人は、負けちゃったもの、食うものが何もないわ。そうすると、おれとが米を背負っていくもの、えさが行くわと言って、取られちゃうわ。

おれらのところは中隊で、村へ行って、10人ぐらいで行くだわ。それで、海岸の一番端っこまで行くと、日本のあれがあるものね。そこで米を、配給をもらってきて、1日や2日じゃ、帰ってこれへんだよ。1日目に取られるということを聞いておるもの、綱を首へ巻きつけて、寝ておるだ。それでも取られちゃう。それで、ひと晩に2人か、3人は取られちゃう。あとは、しょうがないもの、分けあって、また来ると、その次の晩には、また取られちゃう。

それだでいいほうで、こっちは、1人や2人で、村へ行って戻ってきておると、今度は、鉄砲で撃たれちゃう。鉄砲で撃たれちゃう、日本軍に。それで、取られちゃう。向こうも、取るほうも、死に物狂いだものね、これは死んじゃうもの。それで、いい荷物をしょっていけば、行くわ、行くわで、けんかしたら、こっちは負けちゃうけんど、向こうは鉄砲を持っておるし、それで、取られちゃう。


Q:何で、日本軍が仲間の食糧を取っちゃうんですか?

 それは自分が生きなきゃならんもん。

そうしたら、その人も腹を減って、食わなきゃならんもん。それで、米を持って、しょっていけば、いいものが来たと言って、ねらってやって、夜になると取られちゃう。

向こうも食わにゃ、死んじまうもの、何でもかんでも、取られちゃうだ。向こうは気楽に寝て、夜、待っておる。こっちは昼中、一生懸命、歩いてきて、もうくたびれておるもの、グースケ、グースケ寝ておると、その間にみんな取られちゃう。

しょうがないな、というようなね。残っている人も、食わにゃ、死んじまうもん。何か食うものはねえかと思って、それじゃ、米をしょっていく人が、目の前を通るから、よし、きょうはこいつらから、米を取っちまおうと思って、寝んでついてくるだもん。それで、ぐっすり寝たころ、背のう何か入ったもの、背のうぐるみを持って、いっちゃうもの。それで、明くる日、目が覚めると、背のうがなしになったら、しょうがない、取られちゃうから。


Q:撃ってくる日本兵というのは、本気で撃ってくるんですか?

 それは殺さにゃ、殺されちゃうもん。殺さねば、殺されちゃう。地獄だもんね。向こうも取るというなら、けんかして取るより、鉄砲で撃っちゃったほうが、早いもん。

初めのうちは、そんな取らへんかったけど、だんだん、自分も腹が減ってくるもん。よし、日本兵が、米を持っていくで、こいつを取っちまおう、と言っておったからな、それで取られちゃう、寝ておるうちに、取られちゃう。


Q:そうすると、身内に敵がいるようなものですね?

 そうだね、しょうがない。そうなると、ほんとの人殺しも、何もないわ。自分が生きるためなら、何でもやるということ。

中隊で米を、ひとり、ひとり、分けてくれる。一番最後で、ひどいときは、10粒ぐらい分けてくれて、10粒だよ。10粒。

それだもの、10粒ばかり、そんな面倒くさいと言って、生でかじったり、そんな煮て、おらんへんもの、生でかじっちゃった。それでおしまいだ、あとは食えやへん。

それで、しょうがないもん、中隊で生きておる人で、ヤシの実を取りに行ったり、何かヘビでもつかまえたり、トカゲでもつかまえたり、食えるものなら何でも、食っちゃった。それでも、そんなもの、栄養にあまりならんもの、次から次へ、死んでいっちゃうんだね。

弾に、当たって死ぬなら、まだいいだけんど、食わんで、栄養失調で死ぬ人、ばっかりだもの。

うちのほうはまだ、百姓の出だで、体力があるで、割にまだ、弱らんかったけんど、町から来た人や、なんかは、弱いもの、じきにみんな、死んじゃったわ。

1か月半かそこらで、人間なんて食わんと、弱いものだよ。すぐ、バタバタ、死んできちゃう。それだで、おれらみたいな、百姓でいる人は、体力があるものね、なかなか死なんだけんども、町から来た兵隊さんは弱いや。これはすぐ、病気になって、死んじまう。

(弱った兵隊が)2日、3日、座っておると、今度は、寝転んじゃうだ。寝転んじゃって、2日ぐらい過ぎると、今度はハエがいっぱい、たかってくるだ。そうすると、明くる日はお陀仏だ。それだもの、死ぬなんか、わきゃないね、弱い人は。

早く、くたばったって「楽をしたでいいな」と思った、それぐらい、えらったから。生きて難儀をするだけで、食うものはなし、息をしておるだけじゃ、つまらんもの。「これは早く、楽になったほうがいいぞ」と。

「おれはたぶん、またあとから、行くんだから」と思ったわね。

最後の突撃はね、参加したよ。うちの中隊で、全部で20人ぐらいだったよね。偉いさんから、みんな参加して。それで7中隊、6、5と3つぐらいから、このトーチカを突破して、帰ってくるというあれだった。

最後、撤退してくるときに、敵さんのトーチカをやっつけてから、そこを通ってくると。おれらのところはトーチカより左、右側、左、こっちなんで、左側だね、左側を通ってきたら、敵さんと 出くわすせえへん。それで、大隊の本部がトーチカの真ん前に、行ったらしいんだ。そうしたら、みんな撃たれちゃった。それで、そのときに、おれらのところも、7中隊はおれらのところといっしょで、左側を来てただ。、そうしたら、その中隊は7中隊が占領したって。そんなことは、占領するせんは、どうでもいいけんど、それで自分は、足を撃たれた。

低いところへ、逃げ込んだ。そういつまでも、逃げておれへんもの、敵さんの状況はどうなったかな、と思って、そっと頭を持ち上げて、見ようと思った瞬間に、頭を撃たれちゃった。ちょっと即死だったけんども、運がいいわね。運がついておるわ。死なんで、済んじゃった。

また、負けて、うしろへ下がってくるね。昔の連隊本部か、何かが、あったところをずっと、下がっていくんだわ。そいつが、おれを入れて、7~8人しか会えへんの。それで、歩いておったんだけんども、おれは、腹が減っちゃって、動けへんもの、置いていかれちゃった、それが運がよかった。

動く元気やなし、寝転んで、寝転んで、死ぬとなると、うちのおっかさんから、子どもから、その人の顔が、ちらつくだ、そうしたら、もうあかんね。そうなったときに、アメリカさんが来て、5~6人で来たけんど、こいつは、まだ、息があるな、と言っておったらしいけど、英語だもの、分からへんわ。

それで、担架を持ってきて、担架に乗せていってくれて、向こうの野戦病院へ、連れていってくれた。あれはきっと、けがしておらにゃ、殺されていたかもしれんな。頭は包帯、腕は包帯だものね。向こうは、かわいそうだと思ったんじゃない。こんなところに置いていっちゃ。それで、担架で野戦病院に、連れていかれちゃった。それで、野戦病院で良うなると、ニュージーランドの、国一番の、大きな病院へ連れていってくれた。


Q:捕まってしまったときは、どんなお気持ちでしたか?

 まあ、あかんなと思ったがね。いつかは死ぬんだわと思って、みんな死んでおるわで、しょうがないわなと思って。

戦争は人殺しだものね、殺し合うことだもの。負けたほうは殺されて、しょうがないんで。

ひどい、戦争だなと、そいつは思うよ。食うものも、食わせんで、上陸させておいて。それで、戦争やれなんて言ったって、おれたちは戦争なんかは、やれはせんわ。1対1だ。糧まつ取りに行ったりなんか、しているうちで、陣地のところにおるだけだ。アメリカさんは向こうべた、日本はこっちべたで、おるだけだ。それで、アメリカさんは、ダンプーカーじゃないや、あれを持っておるもの、ダンプ。そいつで道をこしらえちゃうし、木々でも倒して、糧まつでも、弾薬でも、自動車でどんどん運んでいる。日本は小さい道で、よろよろしながら、歩いておるだもん、それは、勝てっこないわ。

Q:今、思い出すと、どんなお気持ちになりますか?

 割に、みんな死んでいって、かわいそうだとは思わなくなった。死ぬときでも、今でも、思わん。死ぬときは、せいぜい、死ぬときやな、こいつは楽をせやったで、いいなと言った。それぐらいやった。それぐらい、生きておる人は、難儀しておるだよ。死んでいって楽、死んじゃっちゃ、楽になっちゃうわね。何も言わへんもん。

栄養失調は、つぶやかない。栄養失調で死ぬ人は、黙って死んでいっちゃうわ。それこそ、言えんくなって、寝て、ハエがたかって、黙って、みんな死んでいくだわ。


Q:そうしたら、最後にガダルカナルを経験した名倉さんから、若い人に伝えたいことは何ですか?

 戦争がないことだのう。戦争と言えば、体はいいが、殺し合いっこだものね。殺さにゃ、殺されちゃうだもん。今、よく暴動が起こっておるけんど、あれも、いつまでやっても、きりがないだもの、人が殺されるだけだわ。


Q:名倉さん、生きて帰ってきて、よかったですね?

 うん。生きて帰ってこられて、今も楽をして、うまいものを食っておるもの、こんな幸せないわ。

出来事の背景出来事の背景

【ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~】

出来事の背景 写真半年間の戦闘で2万人もの犠牲を出し日本軍の大敗北に終わったガダルカナル島の戦い。名古屋歩兵第228連隊は、日本軍が三度に渡る総攻撃に敗れた後、最終段階に投入された。補給においても、戦力においても、緒戦段階に比べ遙かに不利になった状態で上陸させられた228連隊、2500人中、生還できたのはわずか300人だった。 
 
太平洋戦争開戦以来、攻勢を続けていた日本陸軍は、昭和17年8月にガダルカナル島で、米軍との初めての本格的な地上戦に突入。

日本軍は米軍を「すぐに勝てる弱腰の敵」と見ていたが、実は火力・兵力・戦略ともに日本軍を凌駕していた。作戦が失敗しても、戦訓の見直しをせず兵力の逐次投入を繰り返し、現地将校からの撤退の進言も軍司令部は無視。228連隊を待っていたのは、激しい米軍の集中攻撃と飢餓地獄だった。上陸から2ヶ月で、6割の兵士が命を落とした。

12月31日、ようやく大本営が「ガダルカナル撤退」を正式決定した後も、228連隊には更なる悲劇が待ち受けていた。「撤退命令」が前線に届くまでに16日を要し、その間に多くの兵士たちが命を落としたのだ。最後まで「撤退命令」が届かず、玉砕する大隊もあった。
さらに、餓死の恐怖に直面した兵士たちの中には、生きるために死体の肉に手を出したものもいた。飢えに苦しんだ陸軍将兵は、ガダルカナル島を「餓島」と呼ぶようになった。

ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1000人のうち、戦闘による死者はおよそ5000人、1万5000人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1940年
歩兵第6連隊に入隊
1941年
歩兵第228連隊に配属
1942年
ガダルカナル島に上陸
1943年
1月、突入攻撃を行った際に右腕を負傷、米軍の捕虜となる
1943年
ニュージーランド捕虜収容所に収容
1946年
復員、農業に従事

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