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タイトルタイトル: 「激戦のシンガポール攻略」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊 ~広島県・歩兵第11連隊~
名前名前: 上岡 一郎さん(広島・歩兵第11連隊 戦地戦地: ケイ諸島  収録年月日収録年月日: 2009年10月6日

チャプター

[1]1 チャプター1 陸軍歩兵11連隊へ  02:28
[2]2 チャプター2 マレー進攻作戦  02:39
[3]3 チャプター3 マレー半島での快進撃  02:42
[4]4 チャプター4 シンガポール上陸作戦  04:25
[5]5 チャプター5 白旗を揚げた英軍  02:37
[6]6 チャプター6 ニューギニア沖・ケイ諸島  05:15
[7]7 チャプター7 病院船での転進  03:22
[8]8 チャプター8 見破られていた「偽装」  03:24
[9]9 チャプター9 捕虜収容所  04:03
[10]10 チャプター10 アトミック爆弾  02:38
[11]11 チャプター11 広島  03:24

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊 ~広島県・歩兵第11連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年10月6日

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入隊するときはね、正直なことを言えば弟が先に出ておりますからね、だからまあ弟にも負けんぐらいやろうと思って。弟は陸軍航空学校へ入ったんですよ。だからまあこの辺でも優秀なほうだったんですよね。学校でも優秀だしね。それに負けんようにやっちゃろう思うてね。兄が負けたら不細工。まあそのぐらいな簡単な気持ちで。で、入隊してから、入隊したときは、歩兵じゃあっても、何をするんか知らんに入るんですね。入ってからまあ、通信兵とか擲(てき)弾筒(小型の携帯用迫撃砲)とかラッパ手とか衛生兵とかいうように区分されるんです、入ってからね。まあ大体入るまでに向こうでは決まっておったんじゃが、本人に知らせるのは入ってから。それから実際に入ってからこう、入れかえられた人もおったですよね。で、わたしらは元、学校出てから郵便局おったからね、すぐ通信兵に回されたんです。通信兵に回されても、郵便局で通信やっとらんからね、郵便局では窓口で貯金や保険をやっとるんです。じゃから、通信は全然わからんからね、かなり習うのに苦労したです。

どこ行くいうことはわからんがです。もう行く者もわからんし、内地の人も11連隊がどこ行っとるかわからんかった。

Q:開戦、英米と開戦したっていうのを知ったのは?

あれは16年の12月8日。

Q:当日になってわかったんですか。

ええ。それでシンゴラへ上陸するいうのがわかるのは、その船に乗っとる者はその前の日にわかったわけ。どっかへ上陸してどっかで戦闘するいうことはわかっとっても、どこへかはわからなかった。

それが、ちょっと不思議なことは海南島(中国南部)へ上がって上陸演習をして、今度もろうた服がね、タイ国の兵隊の夏服よね。自分の服はあそこへ梱包して船へ置いといて、でタイ国の服、夏服をもろうてそれを着て上陸。シンゴラへ上陸した。

Q:なぜその服を着たんですか。

それはね、タイ国へ上がるのにね、日本の軍隊で上がらしてくれんのよね。タイ国の兵隊なら、どこの部隊ならいうぐらいのことで向こうは済むわけよね。ところがね、シンゴラへ上陸して、今度バンコクへまで行く途中にそれが発覚してタイの兵隊から撃たれたよね。撃たれても絶対抵抗しちゃいけんいう命令で、1発も撃たん、こうに隠れ隠れ前進した。もうそれからね、シンゴラで上陸して、11連隊が2、3人戦死したよね、あこでね。

結局はね、向こうの兵隊の目をごまかそう思うても、知らん者が通るけ、おかしい思うたんよね。それでひっつかまえてみりゃタイの人間じゃないから撃ったいうことやね。

Q:じゃ歩兵はみんなそれに乗って?

ええ。全部乗って。じゃからね、全部乗ったけえ、何ですかな有名になったんかね。

Q:(5師団の)4個連隊でこう前線を交代しながら行くんですか。

そうそうそうそう。連隊も交代する、それから一つ連隊の中でも中隊が交代する。じゃけ、まあわたしらの市川少佐いうのは3大隊じゃけね。11連隊の3大隊で。それが前進するときでも3大隊の中でも4個中隊あるから、それがまたいろんな、交互に休む中隊をつくって3個中隊が進むとかね、半分進むとか。それ大隊長の考えでやる。全部パッと行くこともあるし。

交代しながらいうことは結局ね、いちばん大事なことは休養するいうこと。続けて、どんどんどんどん戦争してたんじゃ、体力が続かんけね。

マレー作戦は近衛(師団)と18(師団)と5師団と三つが上がったんじゃがね。じゃが18師団と5師団は交代してこう行くように。で、近衛はその中間におって、困ったとこへだけ頭出して、近衛が進んで行ったんよね。18師と5師団が交代交代。

面白いほど勝つけえ、進む。休んどるんが先行きゃ勝つ。また先行きゃ勝つ。進むんが速いわけよね。面白いほど進んだです。

Q:じゃ敵はどんどん逃げてくような感じ?

ええ、そうそう。敵は要塞(ようさい)をつくっとるが、要塞いうても普段演習する要塞をね。それつくってそこばより敵から撃ってくるんじゃが、それをけっこう抑えていったんじゃけね。じゃから、まあ日本の、日本人の報復作戦いうのは上手だったんでしょうよ。

いや、それはものすごい撃たれたよね。もう撃たれた話だったらものすごいあるです。いちばんひどかったのは、ジョホールバルの水道。シンガポールへ上がるときの敵前上陸。

これはもうね、舟艇こう進んで、舟艇乗って船を行くわね。行くと、向こうからこのサーチライトで、照らして日本の兵隊がどこ進みよるいうのをみな見とって、機関銃でバリバリこう撃つんじゃから。まあそこで日本の、あそこではね、もう不思議なほど戦死しとるです。

わしらの乗っとった舟艇なんぞはね、あれは普通は16人しか乗らん舟艇、それに26人乗っとってね、それが上へ、ジョホールバルの岸へこう着いて上がるときにはね、10人ぐらい無傷の者がおって、あとはどっかけがしとる。それから死んだ者が半分おる。

川(水道)を渡る、渡りよるのを撃たれるんじゃけね。ほで岸まで行ったら、向こうはもうあきらめて去ったわけです。岸へ行くまでを撃たれたんで。

それがもう、舟艇が岸へ着いたけ上がらにゃいけんのに前が上がらんのやね。「おお、上がりんさい」言うて。「上がれ、上がれ」言うても、何度声かけても上がりゃあせん。よう見りゃ頭がこうなってる。撃たれて。

そこ舟艇から上がるときはもう何にもほうっといて。自分がやられちゃいけんけ、はよ上がって身を隠さにゃいけない。光パーッと照らされとるんじゃから。ものすごい。とにかく向こうが機関銃で思うとこをこう撃ってくる。

上がってからの会戦もかなりひどかったね。まあ今のジョホールバルほどの負傷はなかったがね、じゃが前進ができんほど撃たれたよね。あこは水源地がありゴルフ場があった。並んであったんじゃがね、

ゴルフ場になるとね、行った所へ砲弾が来るよね。どうして敵が、砲弾、来るんだろうか思い思い前進したんじゃがね、

交代するときにゴルフ場行ってみりゃ、は、ここへマイクを据えてある。マイクの線を引いとるんだ。だから兵隊こう行きゃ、足音で向こうがそれ狙うけえ、兵隊来るんで。音がしたとこを狙いよるから、次行っとるけ、当たらじゃっただけ。

まあ理屈から言えば面白い現象だったよね。ここへマイクを据えとる、ここへマイク据えとるでしょ。ここ兵隊が行けばこう音がするけ、向こうはここをねらう。そのときにはここにおらへん、もう前進しとるわね。じゃけ当たらんですんだわけ。それで助かったんじゃが、えっと撃たれるうちには、当たっとるよね、だいぶ。後でわかった。

じゃがわしはね、そう言いながら戦争行って1発も弾撃っとらんの、わたしは。通信ばっかりしとったわけね。

じゃけね、ほんとに撃ついうのは1発も撃っとらんです。通信兵で撃った人はいとらんでしょ。

わしらの目の前じゃけ。わしらがね、5師団の行った所が、ちょうどあのときは真ん中じゃったからね。真ん中で3大隊が一線に出とったからね。じゃから、わしらの真ん前で白旗あげる。

Q:どんなようすでした?

え? いやあ、白旗があがったら、こっちは構えたままになる。向こうはもう兵器をみな投げ、銃投げて手を挙げて来んじゃけね。それで何かハンカチを使うたんかどうか知らんが、白い小布(こぎれ)を皆こういうふうに回してね。全部が。どんどんどんどんや、来るんじゃから。来る者は撃たりゃあせんけね、じゃけ構えちゃおったが撃ちゃせなんだ。白旗が見えてからは全然撃たん。じゃけ横のほう、18師のほうもね、何じゃね、白旗が揚がったいう通信を5師団から18師団へしたら、じゃあ戦闘をやめよいうことなって。まあ一斉にやめた言うてええな。白旗1か所しか揚げて、ここに兵隊がこんな手旗のように白旗持ってくるんじゃけ。

Q:それ見たときはどういうお気持ちでしたか。

いやあ、そりゃ助かったものでね。けが一つもしとらんでしょう。それから食うものは押収したものを食うて、腹一つ食うとるしね。「やったー。やったー。もうけた。勝った。万歳」いう。

けがした者は大ごと、死んだ者は大ごとじゃが、けがをせん者はうまいもん食うちゃ進み、うまいもん食うちゃ進み、敵を見りゃ撃ちすりゃいいんじゃけ、面白いぐらいな戦争。あんな戦争ないでしょうて。

19年の夏ころだったかいね、夏過ぎとったかいね、ケイ諸島行ったのは。いや、19年の初めかいね。

ケイ諸島行ってからはね、偵察機は時々来よったが、ほかにはえっと(たくさん)来んやね。まあ、こまい島じゃけ、向こうも相手にせんのじゃろうね。

Q:ケイ諸島では同じ場所に駐留してたんですか、ずっと。

ケイ諸島は同じ場所。あこはね、実際には、よくわしわからんのじゃが、小さい島で敵機が来そうにゃない島へもってって、兵隊が入り込んで。食糧もないのに何でここらへおるんじゃろうか思い思い、やりよったよね。

Q:当時からやっぱりこんな所に敵は来ないって思ってましたか。

まあそういう関係は考えたよね。ほかのとこ相手にするじゃ・・・。それが豪州へ近いからね。ま、実際の豪州が見えたわけじゃないが、あの辺天気なら見えるじゃろういう位置やけね。じゃけ、そこの小さい島じゃけ、敵が来んと見とったんよね。じゃが飛行機が上を通るのは、ほとんど毎日通りよったよね。

たったいっぺんね、海岸行って釣りしよったんじゃ。ほしたら、敵機が来たの気がつかんごに釣れよったわけよね。ふっと気がついてみりゃ、頭のそばへ来とるんよね。で、わしらはすぐ桟橋の下へこう入り込んだの。じゃが1人、よう入らんこに逃げ遅れたんがね、ヤシの木に、海岸べりに大きなのがあって。ヤシの木、こう陰にして立ってとったんやね。そしたら敵がそれを見つけてね、撃って回るのよ。で、ヤシの反対側へこうついて、こうぐるぐるぐるぐる。飛行機がこう回るけ、それ反対側へこう兵隊が回るんよ。すると機上射撃をするのをずーっと撃つけ、ヤシの木の頭がころっとこげて落ちたんや。大きなねと、

体が隠れるほどのヤシの木。それを上でカポッと幹が折れてかやった(倒れた)んや。かやったら、飛行機がスーッといんだいな。たった一人を撃つために、1機の戦闘機があれだけ撃って回ったんじゃ。まあ金のある国は違うのう思うて。いっぺんああいうことがあった。あれよりほかにはね、撃たれたとか、それから爆弾落とされたいうようなことなかったね。偵察は毎日来る。

ケイ諸島行って、ケイ諸島のほうでイモをつくって、魚獲ってイモを、つくって、まるで兵隊じゃないようになってしもうて。どっちが本業やらわからんよう。魚取り行き、イモをつくり。それからこんな種あるけ、ちょっと植えてみようやいうて、古い豆を植えたらええ具合な豆ができてね、豆腐をつくって食うたりね。わりかた神妙に百姓したですよ。

じゃが、米の代わりに食えや、飽きてね。戻ってから当分イモは食われなんだ。米を見てイモを見たら、そりゃイモよりは米がいいけね。じゃが、米がないことになりゃ、日本のイモを食うんと同じでおいしかったですね。

農園つくる、それから通信連絡する、魚釣り行く、あれだけの仕事で1年間暮らしたんじゃね。

移動するいうことはね、部下へ、われわれのような部下へ全部へ伝達ができたのは1週間前。じゃけ、偉い人では、まあ2週間か1カ月かあったでしょうが、みんなへ言うのは1週間前。

糧まつもないところで、兵器もろくに送ってこんこに島送りをされた思うとる。じゃけ、シンガポールへ集結してフィリピンへ応援に行くんじゃ言うたら、みな喜んで船へ乗ったよ。「やっちゃるで」言うて、元気を出したんや。

1週間前の移動するいうときにね、全部偽カルテを渡して、あんた病人じゃ、あんたはこの名前で乗れ言うて。1週間前に全部わかったんやね。じゃけ、わしらはこれに書いとるがタケダサトシいう名前で病院船乗るんじゃ、それ1週間前にわかったわけよね。じゃから「おお、あんたどういう名?」「何かな」言うて。戦友同士がね。

ま、そんなことをせんでもよかろう思うてね。びっくりするよね、病人でもないのにカルテをもろうて。それから自分の名前名乗るんじゃない、人の名前で行くんじゃ。何でこんなことをするんだろうか、おかしい、と思うたよね。

病院船で動くいうことがおかしい思いよったよね。何で病院船を使わにゃいけんのだろうか。

きれいなこまい船。ほんとね、「橘丸」いう船は何トンじゃったか知らんが、小さい船やな。こんな小さい船。1000人も乗れるんかいな思うてびっくりしたんや。じゃが1000人も乗れるんは、喫水線からここに沈んどるんじゃけね。船を浮かしたら赤い線がこうぐっとあるでしょ。赤い線がこうに水の底へ沈んどる。それだけ兵隊が乗り兵器が乗り。まあ砲兵がおったけ、砲兵の砲も重たいけ沈むんじゃあるんじゃが、それにしても、やっと乗ったいうことやね。

窮屈なのは窮屈なの。寝たら、皆、みんな全部寝たらね、どこ歩こうか思うよね。普通の病院船はベッドじゃが、ベッドは全部畳んで1カ所へこう積み上げる。

アメリカの駆逐艦が停船命令出し、それから今度止まったら乗り込んでくるんじゃな。乗り込んできてみりゃ、皆元気な兵隊が乗っとるんじゃ。病人1人もいない。おかしいことにね。

ああ、すぐわかる。そりゃあだれが見てもわかる。知らんもんが見ても、こんなおかしいで、兵器を積んどるいうことがすぐわかるね。日本の日の丸を立ててあれだけ沈んどりゃ、病人だけ乗せちゃおらんいうことはわかるよね。何かを輸送しよる、何か重たいものを積んどるとわかる。じゃが案の定、よう浮かれんほど乗っとった。

Q:武器はどこに積んだんですか。

その、今度は底へ積んだんよね。中が3層になっとるその下が、普通はね、人間を積むときは下へ砂を入れて置いとるよね、普通の輸送船いうのは。それで病院船も人数余計乗せんこうに、あちこちする船じゃけ、下へ砂が積んである。それを出してしもうて兵器を積み込んでおる。

「見つかったらボーンと1発で爆破するようにしてあるけ、命はないけ、どっちみち捕まりゃ死ぬるんで」言うて島を出たよね。じゃけ、輸送指揮官は何いう人だったかな。今思い出せんが大佐の人じゃがね、もう絶対電源押すだろう思うとったよね。それ何ぼ待ってもボーン言わんよね。ありゃりゃ、おかしいことになったのう思うて。で、今度それから臨検受けて。臨検受けたときに、はあ捕虜いうことになったわけよね。

Q:臨検を受けたときはどんなようすでしたか。

ああ、ああ死ぬ。つかまったら死ぬるんじゃ思うとるけ、えっと何も考えとらん、誰も。まあ死ぬる、兵隊じゃけ死ぬるんじゃぐらいの気よ。ここで戦死かいうぐらいの気持ち、気分がね。やっちゃろう思うとったんじゃけ、やられるんかいもう、ぐらいのことよね。じゃけ、そうくよくよする者はなかった。

捕虜収容所へ送られる自動車の中で、「あこには弾薬庫がある、あこには衛兵所がある、あこは兵舎がある」言うて、道路のほとりをみな見て全員が頭の中へ入れて通ったね。

Q:それは何でですか。

捕虜収容所へ入ったら暴れて出て、出て弾薬庫を押さえちゃるいう気。兵器庫押さえて、やり返してやるいうような、気分じゃったんや。できることじゃないんじゃが、そうやっちゃるいう気があったよね。それはわしだけじゃない、みんなそういう気分で話をしよった。「おい、あこに弾薬があるけ、よう覚えとけよ」「ここには兵器庫があるけ、覚えとけよ」「いやあ、ここには司令部があるわ。司令部も覚えとけよ」言うて。自動車で(捕虜収容所に)送られる間に、そのあるのを見て通った。

Q:当時捕虜になるっていうのは、どういう気持ちだったんですかね。

捕虜、捕虜になるまでは、さっきのようにやり返してやるいう気があったが、捕虜になってからは生きて帰りたいばっかり。

何ぼやられて、日本の国がやられて焼かれて壊されとっても、帰りたい。それが話に出るんじゃけ、誰もそういう気だったいうことやね。それからわしらはまた特に、わし自身は、出るときに見送り受けとらんけね、余計、元気な顔見せたかった。何とかしてけがせんように努めて、帰らにゃ思うたよね。

おかしいいうことになろう思うんじゃが、捕虜になるときには自決するいう気分でみんなおったんよ。それがあの場合には全員が帰りたい言う。自決するいう気は全然ない。それで捕虜になるのが恥ずかしいとも思わん。不思議な心境の変化やね。自分でもあがな気じゃなかったんじゃが、思うようになった。

Q:どうしてそういうふうに心境が変化したんですか。

うーん、それようわからんね。もう捕虜になったとき自体がもう、どういうんかな、あっこやられた、ここやられた、日本の国がめちゃめちゃになったいうのをこっちは聞いとるけえね。で、わしらは通信兵、特にみんな先知るんやな。わしの通信機は通らんでも、通信の一連において話が漏れてくるけね。

どこがやられた、どこで負けた、だれが死んだいうて。偉い人の死んだやら、よその島のほうがぶっ飛んだ、いや東京へ爆弾落とされた、いやどこがやられたって、みなわかるんよね。

モロタイへおるときにね、まあ捕虜がまだ分割されとらんごちゃごちゃのときにね、「ここに憲兵がおるか、それから志願の軍人がおるか、それから普通のもんだったら何兵か」いうて聞かれたんよね。じゃけ、それが通訳は日本人なんじゃけね。アメリカ軍の国籍を持った日本人。それが問うてくるんじゃけ、まあうそ言う必要はないけ思うて、「通信兵です」いうて言うたら、「え、ちょっと来いや。これを聞け」言うて、聞かしてくれたときにちょうど放送しよるんが、アトミック爆弾落とされたいう、広島がおおごとじゃいう。あのときはまだ長崎は落ちちょらんの。広島が落とされた大ごとで。「聞いたか?」言うて、「聞いた、聞いた」。どがん言うたら言うて、アトミック爆弾落とした言うから、何落としたんか言うて問うたんよ。そしたらアトミック爆弾いうて、原子爆弾とは言わんのじゃけね。小さいものが一つ落ちたために広島が全部ないようなったんじゃ言うて話をしたけ、「うそだろ」言うたんやね。

で、アトミック爆弾じゃ言うて。「アトミック爆弾や、何なら?」言うてたら、「あれはこれだけのもんで広島が全部全滅した」「ほがなことできるんかい?」言うて。「できる言うても、したんじゃ」言うて。

そしたらちょうどそれを放送しよったんよ。そりゃ1回の放送じゃない、何回も放送しとるけ、そのいっぺんが聞けたわけ。それも通信兵だったお陰で聞いとるわけ。じゃけ、こうこうで言うてみんなに言うたら、「何のこに、一升瓶ぐらいなもんで広島がつぶれるに」て、皆言うたよね。じゃがうそじゃなかった。

それで捕虜を解放して内地へ帰るときに、元の本名へ戻した。あれは12月の28日じゃったかね、向こう乗ったのが。それから31日に佐世保(長崎県)へ上陸して。佐世保へ上陸した日に、本日をもって軍人を解除するいう。兵役免除にするいう。昔は兵隊からやめて戻るときは、予備役とか後備役とかいうような役がつくんじゃが、この場合は兵役免除になる。捕虜じゃけえ、じゃないの、終戦になっとるけ。

戻って己斐(現、広島市)の駅でいったん汽車が停まるでしょ。ずーっと全部言うて。「あ、ここが横川だ」、「ここは広島駅で、あっちの火が見えるのは、あれ宇品で」言うて。あー言うて、びっくりしたんやから。22年の正月で、まだあがになった。いや、こりゃ大ごとじゃな、全く。ひどいことになったんじゃの思うて、ま、初めてびっくりした。

初めはうそだろう思いよったんや。これだけのもんで広島がみな飛んだて、うそや言うて言うたんや。

昔の精神でいやあ、捕虜になるよりはボーンと沈んだほうがええかもしらんのじゃが、日本が負けたとすれば、これで死んだけいうて何にもならん。あの中には何じゃね、国会議員に出た人もおる、県会議員になった人はざらにおる、あの病院船乗った者の中にはね。あれは死んどったら活躍何もしやへんが、生きて戻りゃ活躍できとる、いう人もおるわけ。ま、まあわたしちゃ親が喜んでくれりゃええぐらいな簡単な気で戻ったが、中にはまた日本を盛り返しちゃろう思うた者もおったでしょうよ。

出来事の背景出来事の背景

【偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊 ~広島県・歩兵第11連隊~】

出来事の背景 写真西南戦争や日清戦争、日露戦争にも参加した伝統を持つ歩兵第11連隊は、おもに広島出身の兵士たちで編成されていた。

連隊は、日中戦争、仏印進駐を経て、太平洋戦争開戦の12月8日、マレー半島に上陸、マレー半島を自転車で進撃、英軍の猛攻をはねのけてシンガポールを攻略した。しかし、激戦で多数の死傷者を出した。
さらに、シンガポール陥落後、現地25軍に「華僑粛清」を命じられ、多数の中国系住民の殺害に関わった。
その後は西部ニューギニアやその沖の小さな島々を転々とし、補給が来ない中、密林と離島での苦難の生活を終戦間際まで、部隊によっては終戦後も送らなければならなかった。特に、「ケイ諸島」に駐留した部隊は、自活を余儀なくされ、飢えと栄養不足、マラリアや赤痢などの病気に苦しめられた。さらに、終戦直前、11連隊にシンガポールへの転進命令が下るが、制海権、制空権を全く失った中で移動するため、国際法で攻撃から守られている「病院船」を輸送船と偽装して使うことを命じられた。そのため、将兵が傷病兵になりすますことになり、偽名のカルテや白衣が用意された。武器は梱包し、その箱には赤十字の印をつけて医薬品に見せかけた。しかし、その病院船「橘丸」は、出港から二日後、米軍の臨検を受け、偽装は暴露された。
連隊の将兵全員が捕虜になるという前代未聞の事件となった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1941年
歩兵第11連隊補充隊に入隊
1941年
タイ・シンゴラに上陸、マレー作戦に従軍
1943年
ニューギニア南岸カイマナに上陸、豪北作戦に従軍
1944年
ケイ諸島に上陸
1945年
8月、病院船橋丸でアメリカ軍の捕虜となり、フィリピンの捕虜収容所で終戦
1946年
復員、広島県秋町郵便局勤務、退職後農業を営む

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