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タイトルタイトル: 「食料奪い合いで殺しあう」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
名前名前: 常山 多喜雄さん(金沢・歩兵第107連隊 戦地戦地: ミレー島  収録年月日収録年月日: 2009年11月5日

チャプター

[1]1 チャプター1 南方へ  01:35
[2]2 チャプター2 ミレー島上陸  01:27
[3]3 チャプター3 食べものを探す日々  03:49
[4]4 チャプター4 輸送船の沈没  02:08
[5]5 チャプター5 味方同士の戦争  02:26
[6]6 チャプター6 取り残されたミレー島  00:56
[7]7 チャプター7 極限のなかで  03:40
[8]8 チャプター8 米軍による食糧投下、そして復員  03:41
[9]9 チャプター9 食べものの恨み  03:05
[10]10 チャプター10 今だから話しておきたい「真相」  02:29
[11]11 チャプター11 生きていく、という希望を持つこと  02:45

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年11月5日

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大体南方は、わかっとったんです。出発する前に、服を、南方の服くれるから。それで「ああ、南方やな」ってのはわかったんや。それ以外は軍事秘密で、そんなのは言わない。兵隊にはね。

それであっちこっち玉砕しとるじゃろ。玉砕して、もう、日本にもう海軍もおらんし、あれもおらんし、それで若い衆は全部徴兵、徴兵じゃない、あっちの支那から中支、南方から行ってるでしょ。そうすると、日本の国にね、女しかおらなんだ。そしてその時分、日本にはね、ほら、鉄砲の弾もないしね、食糧もないし。それで、お寺の釣鐘を、下ろしてね、それを鉄砲の弾にするっていうの。日本に食糧も、兵器もみんな減らいてなかったんや。その時分に、その南方へ行くことになったんやで、これは当然生きて帰れんと思って。ほれで負けとるんやし。それで我々運ぶ、船もないし、護衛してくれる、飛行機も、普通なら航空母艦とかああいうもんが、護衛、兵隊を守ってね、戦地へ行くんだけど、守ってくれるもん1つもおらんから。それで死ぬが覚悟で、「ああ、こりゃみんな死に行くんやぞ」つって。戦死覚悟でみんな出発したんや。

Q:味方の島だっていうのはわかって上陸はしたんですね。

そうそうそう。勝っとれば、マキン、タラワへ応援に行ったんだが、その上陸、素直にできねえで、負けたから、こっちへ逃げて。ストップがかかったでしょ、無電でね。それで、その隣へ、やむなく置き去りにされたわけよ。

いや、それがね、我々が上陸したでしょ。そうしたらね、敵は、いま言った、夜が明けて、敵はその1時間ほど後に爆撃したやろ。さあ、いまこそ戦争だからね、金沢でこうやって、敵の飛行機を撃つ練習も何べんも訓練受けてきたんだから、「よし、撃て」という命令が出るかと思ったら命令が出ないの。

島じゅう穴だらけや。そしてばたばたーっと、何人死んだかね、あんときにね。戦争がそのミレー島での戦争でいま初めて死によるさけに、戦争ちゅうもの恐ろしいもんじゃなと思って、爆弾でばたばたーっと人を殺いて。

「自給自足しなさい」って言うたけれども、自給自足しようにも水がねえでしょ。それから、ミレー島だけがね、ヤシの木がね、一人前に育つんや。だから、こっちの小さい島はな、いつからも、海水でヤシの木の根元が濡れとる、濡れとって、海水で濡れてるから、育たんのや。だからあの、ヤシの木も半熟で実がならんでしょ。実がならんから、結局、隣の島へ行った人間もまたミレー島へ夜のうち、そうっと盗みに行かにゃしゃあない。人間はよ、我々は食うわなきゃ死んでしまうさけに、結局盗んでもう。爆弾が落ちるとね、今度はまたヤシの木はまた実が落ちるでしょ。爆弾、そうするとそれをね、爆弾やってるさなかでもね、済んで拾いに行くと、海軍がね、バリバリバリとまた撃つのや。我々拾いに行くと、もう。「こら、ここは海軍の地面じゃ」っていうような。で、パリパリと来るからね、敵の爆弾さなかやと、海軍もそんなものせん、こう隠れよる、防空壕(ごう)のほうに隠れて隠れとるやね。だから、爆弾の最なかに命がけで拾いに行って、そしてそう、こうやって、それでそれちょっと隠いて。飛行機おるから隠いて、そしてこっちへ来とるん。それでいよいよ敵の飛行機が行った時分に、そうっと行ってそれをほじって、そして自分のところ持ってきて、自分の戦友と一緒に分けて食べると。そうせにゃ我々は生きていけなんだ。

それから海軍が先に、我々とは5年前か10年前か、飛行場こしらえたときの海軍がおるでしょ。潜水部隊もおるでしょ。その人が食べた缶詰の空いたがを、今度はこんなタケノコのこんな缶詰拾ったきに。で、ゴムでこうぴたっとして、それでヤシの実のコプラっちゅうやつを、そこへこうこう、かぎかけて、餌にこうかけとくんや。そうすると、夜そのヤシの木の匂いがすると、そこらへんの動物。動物っていってもヤドカリしかおらへんけど。ヤドカリがね、こうして出て、ネズミおとしのとこに、来るやつもおるね。そうするとネズミはもうやっぱり食うものがないから、そこへパチパチガサガサッとやりおる。

それできゅっと首ひねってぴいて。それでそれを上陸した当時はこうこう下げといて、「おい、おまえの部隊は何匹とれてえ」ったら、「うちはいま7匹とれた」。「7匹とれたったって、そんなものはおまえ、15人分でよ」ったら、「おまえ、ネズミ半分じゃがや」。それで1日の食糧じゃとてもそんな、生きてくためにはね、そのネズミ食ったで、ほんとに。それで隣の分隊へ行ったんや。そしたら隣の分隊へ行ったら、ありゃ、、普通に、わしら初めてネズミつかんだときゃ、はらわた出いて、頭切って、尻尾切ったが、おまえありゃ、隣の分隊へ行ったら、そんなひっつかんで、こう焼いて、「そうなりゃ、おまえ、はらわたもおまえ、尻尾もみんな食わなどうするんや、おまえ、腹減ってるときに、おまえ何でも食わんな」って言って。それぐらい、あのうねえ、食べんがちゅうものは苦しいもんや。

南海丸がこう来てね、見えたがや。我々の目から。ああ、涙出た。うれしいて。いやあ、うれしいと思った。そして、考えて、おかしいぞと。こんなやすやすと南海丸が来るちゅうことは、ないんだと考えた。さあて、これは敵の作戦やぞと。いま見てれ。我々の目の前で、これをかっつぶすために海軍が待ち構えてるんだと。時間を待ちに、海軍の待ちやがった。こうわし思ったら、思ったとおり。我々の欲しくて仕方ない米の来る南海丸を待っとるんだ。手叩いて。それを目の前でばあっと引っかけて、「あらあ、来たわい」と思ったら、たちまちにもって、爆撃で南海丸が煙上げて、よたよたになって、そうすると南海丸の船長がね、「いやあ、わしそのう、死んでも構わん。ミレー島へ突っ込んでやるぞ」と。そうするとタカイワ海峡抜けにゃ通れんからね、タカイワ海峡を通って、もう煙上げてどうにもならんがや。それを南海丸の船長がね、運んでくるだよ。はあ、うれしかったね。「さあ、来た」。突っ込んだところで沈没。当たらんらんがや。沈没してもね、そこへもって敵が爆弾、撃ち…、落といて、南海丸積んどる食糧をバーンバンとやろうと思うて来るやろ。「ああ、ああ、だめやったな」と思って。いやあ、あんときはうれしかったね。「ええー、くそったれ」と思った。いま食べれる米が沈没してしまう。「ああ、ああ、ああ」と思った。

倉庫があったんや。それで、敵が上陸してくるときにはこれの倉庫を開いて、米がありますから、戦いなさいと。敵の、上陸作戦の来た場合に食べてよしと、倉庫の鍵を開いて食べてよしと。そして海軍に、向こうのうちへ、自分の米、番しとるでしょ。我々行きよると。バリバリと撃つからね。

盗みやはどこの中隊か知らんけど、とってってしまう。だから島へ上がったときから、お互いにその殺し合いばっかしとるんよ。

兵隊はほんとに殺し合いやったが。そしてその殺した人は鉄砲持ってこうあと追ってって「こら」って言って捕まえる者もおらんわけや。捕まえに行こうもんなら、その人もまたブスッとやったるでや、それで。弾持っとるんだから。

何とか准尉やったな、この人もね、盗みに行ったんや、海軍へ。海軍しかねえんやないか。そしたら、海軍盗みに行ったら、向こうがバリバリと撃つか、何かつかみ合うてしてて、何か刀抜いたか知らんけど、その人は命からがら、けがして命からがら自分の中隊へ逃げてきて、海軍につかまったら大騒動だから。自分の恥やから。それで自分の中隊へ逃げてきて、それでそこで腹切って、死んだって。

大体ね、腹減った人間が盗みに行ってもね、すぐ捕まるよ。逃げ切れるだけの体力がないもん。腹減って、へやろ。それも何カ月か腹減っとるんやろ。いま、きょう腹減ったんじゃのうて、上陸するなりから腹減っとるような人間が、恐らく逃げれれまい。それで捕まると結局、こう縛られてこうして、今度はこういうもんが来ないようにって見せしめのためにヤシの木の下、縛られてたんかねえ。知らんけんど。なんか、海軍のほうじゃまた怒るわいね。食糧とりに来るんだから。大事な食糧や、へやろ。海軍も欲しいし、盗んでったその人も欲しいんだから。

Q:クエゼリンが落ちて、ミレーがまだあるっていうのは、不思議な状態じゃないですか。後ろがもうなくなっちゃったじゃないですか。

そうそうそう。

Q:そういうときって、もう戻れないとか、もう食糧は来ないとか、どういうふうに、兵隊たちは思ってたんですかねえ。

兵隊たちは、どうせ、まあ日本がいつかは負けると。勝つか負けるか早う決めてくれと。そうせんと、我々はこんなとこに、食糧もないとこにおる必要はないと。勝てば勝つ、負けりゃ負けたで勝負が決まるから。

戦友がね、食うもんがないからね、栄養失調になったりして、骨と皮になった人がね、こう夜中になってこう、ほってきてね、それでそうっとこう見回して、わしのそばへ来てね、そしてナイフでわしの肉をこう取りにかかる。ちゃくってってこうや。そして、こうしてね、さわってみて、「あらあ、これはまだ水分ある。あのう、温かいわ。これはあれだ。生きとるようだ。これはあしたにしよう」って。それで、ちゃくってやりに、何に来たか、それは知らないけどね。それで、ちょくってやらんと、わしをほっといてくれたんや。その人のおかげでこうして。そしたらちゃくってやったらわしもそこで終わりだよ。

Q:実際じゃあ、常山さん以外の人で、やっぱり倒れてる人で食べられた人もいるっていうことですね。

おうおう、ようおるおる。うん。みんなね、餓死寸前でね、腹が減ってるでしょ。すると食べ物、餓死寸前だから、動けんでしょう。水も飲みに行け…、そこに、ヤシの木の下までとりに行けんでしょう。だからね、そういうときにね、食べ物やさけ、やっぱりそのすぐ隣の人食べなけりゃ。きっと食べてるでしょう。そうせんなら、自分が死んでしまうさけに。それで、わしの、肉をとりに来たようなもんで、各人がやっぱそんな気持ちが、やっぱあったとに、あったわけだ、あったわけやと、わしはそう思うとる。
 つまり何ちゅうかね、戦争ちゅうものは、人の命を粗末にしし、そして、我々はその、戦友のため、戦友同士が生きていくため、生き残るために、鬼やねえ。戦争ちゅう、鬼やねえ。それしか考えれんわ。戦争病というね、一種の病気ついとるんや。戦争に行った人は。そうでなけりゃそんなね、平気で人を、肉を食べたり、そんなことはできんわいね。わしはそう思うとるんや。戦争は一つはありゃ流行病(はやりやまい)だ。戦争に行った人間が、全部がその殺人鬼という、何でも平気でやるようなね、戦争ちゅうものは末恐ろしいもんやなあと思うて、自分でそう思うとる。どうしても生きづらいのさけに。敵と戦えば、敵を殺さなきゃ自分の生きていけんのやさけに、戦争は。それと一緒や。敵と戦うか味方と戦うか、どうしても生き残るためには、いろんなことをねえ、やってきたんじゃないかなと思う。そうしな並大抵でね、生きていけんが。そこへもってきて、わしという人間が頭やられて頭、ぼけてしもうてな、わけわからんやろ。不思議でしょうがない。科学で判断できんことを、科学の目から見れば、死んでしもうとるんや。それが今日こうして生きとるんだからね。もう科学以上や。どうして生き残ったか、どうしてどうなったかわからんがや。

我々日も何もわからんがや。カレンダーもなし、あれもなし、2年間ないからね、日も何もわからねえけど、敵の、海軍の司令部が電波察知、電波を察知して、日本は天皇陛下が玉音放送で15日の正午なら正午に、玉音放送して戦争が負けたっちゅうことを国民に知らすっちゅうて。だからそういうのは海軍がキャッチしたわけよ。そしたらそのとおり天皇陛下が、まあ、戦いは敗れた。で、どういう何やら、戦が終わりましたっていうのは何やったか、どういう言葉やったかな。ちょっと忘れたけどね、「日本は降伏しました」って言って、天皇陛下が放送したわけ。そうするとそれ放送するなりね、敵の司令部がね、ミレー島のほうへ、司令官に、「おい、戦争は済んだぞ」と。「滑走路に白十字書け」と。「そうしりゃ、おまえんとこ米はないんやさけに、米から落としてやる」。落としてやるつって。そうしたら放送済んで、もうあんまり時間もそう経たんがや。1時間も経ったか経たんかわけわからんぐらいだ。時計もないから。そしたら敵の飛行機が来てね、それでまたボール箱に、パラシュート、小さいパラシュートつけて、それでボール箱の中に米と鍋と水とマッチと、それからいろんなもの入れてね、それで、たくさん落とすがや。すると我々は何やと思って、わからんから拾うて、拾うて見たらね、米と鍋やろ。「ありゃあ、水も入っとるし、ありゃりゃ。」

それでこう、箱開いてみると、「初めはおかゆにして食べなさい。食べて2、3日経ったら、かたい御飯を食べなきゃ、あんたらは胃袋が弱っとるから、そういう食べ方をしなさい」って、説明書付きや。「ありゃ」、そういうことを思うと、ありゃ、我々にありゃ、命を助けてやるちゅうと。ええ、まあ何でも、腹減ってるし、「さあ、炊いて食べまいか」って言って、それで米炊いたんや。そしたら案の定、もう毒も何も入っとらんがや。米、鍋からみんな一通り、こうやって御飯を炊いて食べたわけや。それでこう。そうすると我々はそやろ、思いもよらぬ間に15日になったら突然に、玉音放送が済んでから1時間も経たんうちに、その来たらしい、その米が。きれいな米がパラシュートで下りてきたんだ。ああ、うれしかったねえ。

氷川丸の第一船で来たわけや。それで、氷川丸に乗って日本へ復員したのは我々第一船や。で、要は、それだけ我々んとこは食糧が困難やったと、大本営が認めてくれて。それで我々は敵が、敵の米もろうて、まあ肥えてころころになって、元気になって、そしたら迎えに来た船の船員がびっくりしたんや。骨と皮のがりがりの人間を迎えに来たはずが、肥えてころころの、元気なの迎えに来たわね。「ありゃあ、こりゃあ」っちゅうようなもんで、びっくりしておったんやけど。

頭がこうやられとるからね、病人扱いやったんや、きっと。ほしてこう病気につけて、この、兵隊と一緒にこう寝とるでしょ。病院船の中で。そうすると、ヒソヒソ話が聞こえてんですよ。「あらら、何やで言っとる」と思ったら、そしたら兵隊がね、御飯を食べてミレー島で強くなったでしょ。もとの体に戻ったでしょ。そしたらその兵隊がね、言う、ヒソヒソ話する。「おい、あのがきたれ、あの将校が、あの島で威張りやがって、食糧のあるときに、食糧を我々にそんなもうもう、配給を少なくして、将校は余計とって、余計食べる」と。これはまあ当たり前やね。将校が余計とって余計食べるのは当たり前なんやけど、「あんなくそがきたれや」と思って、それでまた兵隊がね、2、3人して、「おい、今夜やってやろるまいか」って。それでまた、要するに船はどんどんどんどんとこう進んでいくんだから、日本へ向けてね。復員船だから。そうするとその兵隊がね、将校に、「ちょちょちょっと、あんた。あの、話あるさかいに」って、それで将校も何の気なしに、「それこそ、何やったい、何の話やい」ちゅうと、するとそれを2、3人して、つかんでぽーんと海の、外へ投げてね、それでポチャーンと落ちりゃね、どこ打つか知らんけどね、打って、それで船はどんどん行くんやから、船に追いつけんからね、打ったショックから、足打つか胸打つか知らんけど、海面に叩きつけられてこう落ちるんだから。それでそんな将校がね、3人たら5人たら7人たらその復員船の中で死んだわけや。

ああ、ほんとうにもう、ねえ。もう日本が見えるちゅうのに、楽しみにしとるその兵隊を、なあ、海へつか…、かわいそうやったわ、ほんとに。すると、わしゃ寝とってそれが聞こえて、あらあ、かわいそうやけど、まあしょうがねえわな。

戦争はね、時として人間が鬼になるんだ。わしゃそればっかそう思うとる。鬼にならなきゃ戦争に生きていけぬのがや。逆境や。逆境や、戦争っちゅうものは。その逆境に生きていくには、しっかりした鬼にもなるような根性持っとらんと、生きていけんのや。まあそう思うとるんだ。戦争が悪いんや。人間を変えてしもうて。

ミレー島上陸40周年記念のお参りの慰霊会やったんや。40年、だれかが助けて、これは見やが。「足も手もあるわ。わしは幽霊でねえぞ」って言ったら、(シミズ)チヨマツは「おう、おまえ生きとったか。おまえ、みんなそんとき戦死したと認めとるんやし、わしもその場におったんやぞ。おうー」って言って、「おまえはあしたの男や」とこう言うのや。「あしたの男て。ああ、あしたの男、あしたの男って聞いとったが、わしのことか」って言ったら、「おう、おまえのことじゃ。おまえは、死んで倒れてるときに、こうして、肉、腹減っとるからね。あのう、あの他の兵隊がね。ちょこっとこうやろうと思ったら、温かかったって。体温があったんだ。だからおまえ、こりゃやめて、あしたにしよう、あしたにしようって言ったら、おまえ、生き残って」って。このシミズっていう兵隊が言うさけえ、「あらあ、わしもほんとにのう、あしたの男ってほかの人のこと言いよっとると思ったら、わしのこと言うてた。ありゃあ、よう助けてくれた。ようちゃくってやってくれんだ。ちゃくってやって、肉とられたら、わしゃ死んでた」。それでそんときシミズに言うた。「ありがとう、ありがとうって」。

ほんとになあ、真相を話すということは、つらいことや。それに、ちょっと言うと、木から落ちて、ヤシの木のチャガロウ(樹液)をとって木から落ちて事故で死んだ人、あるいは、海軍の倉庫へ盗みに行って死んだ人、そんな人全部、終戦と同時に戦死になってるでしょ。それ、今、わしが事実述べて、「あんたんとこの子供は戦死したんじゃない、物を盗みに行って死んだ」とか、「あんたとこのは木から落ちて、ヤシの木から落ちて死んだんだ」と、そんなこと、いま、言っちゃならんがな。そんな、かわいそうやもん。その遺族に対してね。だからこれ言うのはほんとにつらいんだけど、いま何ぼ、60何年も経ったんだから、まあ戦争の話はちょこしても、ほんとのこと言うても、まあ大したことなかろうと思ってこう言うとるんやけど、ほんとにつらいんや。言うほうが。ほんとに戦争はしちゃならんがやと思うとる。

いまかてね、88になって、「さあ、どうしよう」と。もうちょっこり、88、もう2年生きりゃ、90の卒寿になると。さあて、ここまで来たんやさけね、もう戦争のことは忘れて、前を向いて、卒寿目がけて、90目がけて、真っすぐに進まな、それが希望や。そうせんな楽しみはねえもん。こんな体でそんなどこも行けんしね。昔ゲートボールしとったときね、ゲートボールは楽しみでね、「ようし、きょうは優勝してやれ」ちゅうようなもんで、楽しみやったんやけど。今はほんとに楽しみはねえがや。今、ここまで88まで来たんだから、いま90の卒寿まで行って、それが楽しみや。それを目がけて生きとるんや。それしかねえんじゃ、いまのとこは。もう戦争は終わって、もうわし1人が頑張っていま「卒寿まで行ってやる、くそったれ」と思う。それだけが生きがいやと思っていま頑張っとるんや。いまつえをついてやっと歩いとるんや。えー、くそ頑張って。そうせにゃ人間な、前を向いて歩かな希望がねえわい。このまま死んじゃ。

ちょうどミレー島におったときそうやった。各人死んでってもう、戦友が死んでってもう、爆弾でやられて死んでった。「くそたれめ。おれだけは生きて日本へ帰らん」と思ったらそのとおり日本へ帰れたんだから。今度いま年をいまはね返していま、今度、今、90まで頑張ろう。そうしな生きとる甲斐ないもん。何のために命拾いして、ねえ、ミレー島から命拾いしてそして帰ってきて、楽しみがねえがや。そう思っていま頑張っとるのや。それしかもう人間の楽しみはない。じいさんの楽しみはない。

ああ、いま思うことは、こんなばかな、ばかげた戦争は二度とやってほしくないんだ。戦争のない、核兵器のない世界を、願うとるわけや。それしか道がないんだ。

出来事の背景出来事の背景

【飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~】

出来事の背景 写真日本からおよそ4600キロ離れた太平洋中部ミレー島(マーシャル諸島のミリ環礁)。太平洋戦争中、5700人の日本陸海軍将兵が送られ、3100人が命を落とした。

このミレー島は、戦況の悪化とともにアメリカ軍の支配地域に取り残された。そのため2年近く補給が途絶え、兵士たちは耕作地のほとんどない環礁の島での自活を余儀なくされ、飢えのために次々と倒れていった。
多くの犠牲者を出したのが、石川県金沢市で編成された陸軍歩兵第107連隊第3大隊。この部隊が派遣されたとき、島にはすでに3000人を超える海軍部隊が配置されていた。補給が途絶えた島に駐屯した陸軍と海軍。食糧不足が深刻化すると、同じ日本軍でありながら、両者は食糧を巡って激しく敵対するようになり、食糧を盗んだ兵士が射殺されたこともあったという。

さらに、米軍は上陸してくることはなかったものの、海で漁をする兵士を機銃掃射の標的にした。

昭和20年(1945年)になると、第3大隊1000人のうちおよそ半数が亡くなっていた。そうしたなか、同じ部隊同士でも食糧の配分を巡って対立するようになり、大けがを負わされた部下が小隊長を射殺する事件も起こる。先行きに絶望した兵士の中から自決する者も出た。

終戦後、第3大隊の生存者が島を離れることができたのは、昭和20年9月29日。復員船氷川丸に乗ることができたのは、300人足らずであった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
石川県石川郡鶴来町に生まれる。
1941年
現役兵として歩兵第7連隊に入隊
1943年
歩兵第107連隊でミレー島へ
1945年
復員、家業の左官業を営む

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