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タイトルタイトル: 「追いつめられた避難民」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 中国戦線 大陸縦断 悲劇の反転作戦 ~福島県・若松歩兵第65連隊~
名前名前: 大谷 一枝さん(会津若松・歩兵第65連隊 戦地戦地: 中華民国(衝陽、信陽)  収録年月日収録年月日: 2009年10月15日、18日

チャプター

[1]1 チャプター1 大陸打通作戦  02:04
[2]2 チャプター2 山岳地帯を進む  04:56
[3]3 チャプター3 一列の行軍  03:57
[4]4 チャプター4 地図のない行軍  06:31
[5]5 チャプター5 ゲリラ攻撃  06:22
[6]6 チャプター6 追い詰められた避難民  04:31
[7]7 チャプター7 最前線の警備  05:17
[8]8 チャプター8 全軍反転で「しんがり」に  07:20

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 中国戦線 大陸縦断 悲劇の反転作戦 ~福島県・若松歩兵第65連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年10月15日、18日

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始まる直前はもう、とにかくこれから警備地がないんだ、宿営地がないんだということだけはあれだから、全部持って行って。何にもかんにも、冬物も夏物もすべて持っていく。だからものすごい量ですよ。そして、さっき言った防毒面もそうだし、天幕もそうだし、あらゆるものみんな背中に背負なくてはいけないんだ。重いなんていうもんじゃない。

湘桂作戦やるから駐屯地に帰らない。だから全部、私物でも何でも全部、自分で持っていかなくちゃならない。そういうのは皆、上から達しられました。これは企図の秘匿でも何でもなくて、とにかく持っていかなくちゃいけねえんだから。

Q:それは、どんな作戦でも大抵そうなんですか。

いやいや。どんな作戦でもって、警備地があって警備地から作戦に出て戻る。これが警備地ですよ。警備地がなくなっちまうわけだ。要するに担当する警備地がなくなってしまうわけ。

どういうところまで行くんだとか、そういうことはまったく知らない。ただ、そういう面では命令に沿って動いていくというだけで。

湖南省は比較的平坦です。ところが、広西省(「甘粛省」は記憶ちがいか)に入ったとたんにもう山ばかり。その山も、ただの山じゃないんですよね。高いのの連山ですから。間に、低いところに道路があるという程度なので、道路ばかり歩いたら行軍上危ないですからね。やっぱり岩の高いところにですね、はやく入って下を通る友軍を援護すると、いうために山から山に。そういうのが中隊の人たちに多かったと思うんですよね。

1800メートルくらいある山ですから、上がるだけでも1日かかる。そういうのが多かったですよね。

「65(連隊)こう行け」って言われると、そこを通って歩く。ちょっとこっち通ってもいいじゃねえかっていうごまかしのしない、非常に几帳面な連隊長だったもんですから、余計に、丁寧はいいんですが、部隊の発展っていいますか、進軍っていいますか、それに対しては遅くなっちまうんですね。だから、伊藤連隊長のあれをみっと、また叱られたというのが多く書かれてありますね。はい。

Q:また叱られた、というのは、誰に

それは師団長、特に参謀長から叱られますよ。

最前線の戦闘をする連隊がですね、やはり、がっと遅れてしまうと何の役にも立たない。そういう第2悌団(後方部隊)になったの結構あったんですよね。行くときは大変だった、そういうわけで。

最左翼にされたからって文句言う人もいませんし。それはもう当たり前なんです、命令ですから。「こっちゃ行け」って言われれば。それの命令を作成する人は例えば、師団長、参謀長だったら、まあ、65(連隊)は最左翼だからあまり弱っかしいのやれないわけですよね。いちばんもう、最左翼はその左はもう敵だらけですから、それから正面も敵だらけですからね。

誰かが行かなくちゃいけないすから。65(連隊)じゃなかったら、(同じ13師団の)104(連隊)か116(連隊)が行かなくてはいけないですからね。だからそれはもう、命令ですから、忠実に守らなくちゃいけない。

これあの、馬なんて落っこちまうんですよね。なんせ道らしい道ないんですから。田舎の道みたいに1メートルもない。道じゃないんです、山道のね。だから農業する中国の人たちがちょこちょこ歩いたり、山に行って何か取ってくるという獣道(けものみち)のようなところで、

そのものも、片方こうなっていて、こんなところをね、通って歩くんですから、馬なんと両端に荷物を背負わされっから、ぶつかって落っこちてしまうっていう。そして日本馬ほとんど、そこんとこ通さないとか。チャンバ、支那の馬ですね、あれあの強いんですよ。それとか歩くのが慣れているから、ああいう馬使いましたね。

Q:崖(がけ)になっている?

崖になっているんです。山っていってもほんとに、この付近の山と全然違う。特に広西省に行きましたら。ほとんど崖ですね。

Q:木とかそういうのは?

あまりないんですよ。木なんて、大きな木は下にありますけどね、山には木っていう大きな木はほとんどないですね。坊主山が多い。また草くらいしか生えない。山っていっても岩が多い山ですから。

だから一列縦隊にならざるを得ないですよね。だから、よく伝令っていうのでこう、口伝えに。例えば100人に1人ずつずーっと伝令的に、上の方に行軍状況を知らせる。まあ、口伝えにとんとんやっていく。で、または旗を振って知らせるとか。手旗なんても結構使いましたよね。それはもう、ほんとうにすごい。道そのものは。

いやあ、もう見えないんですよね、何しろ真っ直ぐじゃないですから、だから100人くらい見えるなんていうのは多い方ですよ。だいたい40~50人くらいでもう見えなくなっちゃう。こうやって見っと、次から次へと動いているのは分かります。いつでも、そういうことやるためには、いちばん前にいるのは、さっき言った中隊がいちばん先。中隊の前の小隊、分隊っていうのがいちばん先。

行くときには、追撃ですから、無理も無理でないもない。夢中になって敵に追尾しなくちゃいけない。敵を追っかけんのに離れていたら追っかける価値はないですよ。

中隊が敵おったっていうと、またそこでどのようにするかっていう。すっと、後ろの方の連中は何がなんだか分かんねえ。止まっちゃってね。中隊が一生懸命戦闘やっているの聞こえないくらい後ろになっているからね。聞こえているところは、あ、大変だなって思うくらい。

前が戦闘していれば、動けないですからね。とにかく向こう行けといったって行けないのが多いですから。まあ行ける範囲では、なんとか山によじ登って行く。そういう攻撃計画も作ると思うんですが。前が戦闘でも、戦闘やってっと必ず、どんどんどんどんと来ますから、戦闘状況を送ってね。

すぐに連隊本部に来ますから、連隊長はそれをどうするかこうするかっていうことを考えて処置はしますが、いずれにしてもストップしてしまうから。半日くらい、そこにひっくり返って寝てしまったり。後ろの方はそういうこともありましたね。はい。あと動けねえんだから。

Q:どうしようもない。援護にも行けないんですね。

行けないんですよ。その間にずうっと、ここから山に上に登っていくとこあるとか。もちろん、ただふつうの人はひっくり返って休んでいますが、大体責任者の人は、どうしたら向こうに行けるかっていうこと、しょっちゅう地形偵察をしますね。

中国の地図。全然合わないんだよね。もう勝手に作ったような地図だから。

合わないって、見て合わないじゃないんです。歩いてみて、その地図と違う。ここに行こうと思って地図の通りに行くと違ったほうに行っちゃったりする。それが合わない。合わないからどうっていうことない。分かんないんだ、こっちは。地図を見て、ここはこう行けばここに行くんだなって行ってみたところが、全然地形も何も違っておる。

湘桂作戦やるのでそんなに正確な地図作ってなかったんじゃないですか。日本の地図も、恐らく10万の地図なんとなかったと思いますよ。

道路だけは分かる。道路とか山とかっていうのはある程度中国の地図でも分かるんだ。でもそのほか、ちょっと入っちゃったら全然違ったり。山がちっちゃかったり大きかったり、右にあるのが左にあったりするから。だから、やっぱり作戦というのはなんと言っても地図が、精巧な地図じゃないとだめですね。

でも、ああいう地図で、おれもさっきも言ったように情報やっておったからね、連隊の情報係がそんな地図しかなかったんだから。

連隊長は各大隊をどのようにして動かすか。それはもちろん、敵がいるかいないかっていうのを、敵陣地がどこにあるかっていうのを情報をとる。これもね、すごい。向こうの人、密偵などをね、連隊本部で使っておった。その人たちがもう、あらかじめ敵状がどうなっているか把握してやっていますからね。だからさっき言ったように、ひっかかったから半日も動けなくなっちゃったなんていうのは、本当に特別なあれで。どのようにして早く、そこのあれを突破していくのかということが、(現地の)密偵の情報によって攻撃範囲を、連隊長が決めてすぐやらせますから。

Q:密偵というのは、どういう人を使ったんですか?

密偵は中国。これは中隊にもいる、雇って。もちろん中隊に雇っておった、どういう人間が使っているっていうの、大隊に報告して。大隊から今度連隊に。連隊に密偵の連中を全部、総合するようなのがあったんですよね。それは連隊本部に。各大隊、中隊にはない。大隊あたりにも若干あったんだが、連隊の宣撫(せんぶ)班っていうのが。宣撫班っていうのは宣撫もしますが、そういう密偵を動かすのにね、非常に大切な部隊っていうか、小隊だったですね。

Q:密偵というのはどうやって連れてきたんですか?

それはね、そこらから捕まえるんじゃなくして、密偵はいいのじゃないと駄目だっていうことで、優秀な密偵は最初からずーっと。たとえば、65(連隊の作戦が)始まってから、やっている密偵もおります。そういう人たちが、その部落、その地域地域に行って、この付近でどの範囲のこと知っている、たとえば、昔、むこうでは郷長とかね、若くて優秀な者とかいうようなのを、密偵の親方があるところに行ったら見つける。または作戦でここに行く、やるというときにはもう、そこ前に行って、住民のいちばんいい人捕まえて。それで日本軍の協力するために、いろいろ日本で優遇してやると。たまに密偵、こちちらの情報持っていくやつもいるわけだ。向こうの情報を取るのに、日本の情報ももっていく。まあ、それもひとつの密偵らしいんだがね、そういうことを聞いています。

それだけの、日本軍を信頼させないといけないですから。信頼させて向こうの情報を取る。情報を取って、日本人がくっついていくわけないですからね。彼らみんな飛び出して、取ってくるわけですから、情報を。だから逃げちゃったって分からないわけです。それは逃げないような、信頼性しかなくなっちゃう。案外、いちばん役立ったんじゃないですか? 湘桂作戦、向こうの大前線へ行くための、各連隊なんていうのは。密偵というのは非常に役立ったと思いますよ。

中国軍、中国兵ですか、そういうような、あまり小規模で残っているというのは少なくて。やっぱり住民、むこう中国兵が自分の民衆をうまく使って、その連中にゲリラ的なことをさせるというのがひとつと、もうひとつはあの新4軍(新編第4軍)、共産軍ですね。こういうのが必ずおったんですよ。この連中がいちばんおっかなかったですね。そういうゲリラ的なことやるの。

民衆、部落がみんな、ずっと広西省の奥に行きますと山の上に彼らはおりまして。それで、日本兵だろうが、または湖南省の住民が来たって撃つんですから。だから、どれがどうだっていうような識別ができないくらいだったですね、広西省に入ってからは。

湖南省のころはいない。というのは逃げていないわけですよ。ところが広西省に入ったら、逃げないで山の上に、みんな住居を構えている。そこから撃って、下の通るのをみんな撃っていく。そういうような、広西省の様態が全然違います。だから、ほんとに危なかったんですよね。敵にだけ殺されるんなら、殺されるかどうかは分からないけど、そういう住民のみんな持っておる、銃をね。そういうの、少人数で高いから、せん滅するなんてゆうことできないんですよね。高くて。

だから、桂林あたりボコンボコンとタケノコみたいな山ですよね。ところが、宜山付近に行くと、あの山じゃなくて、ああいうのがくっつかって岩山ですよね。それがずーっとつながっていますから。だから、あちらに行くとまた、住民が狙撃するなんていうことはまた、よっぽど下が平らなところで、危なくないところにいる住民以外は敵。敵が主体。

Q:敵が撃ってくるというのは、狙撃なんですか?

脅かし。弾が実包ですからね、実包。実弾ですから、だから当たればやっぱり死にますからね。でも、彼らはそんなに訓練しているわけではないから、威嚇じゃないですか?

殺すっていうよりもかく乱する、逃亡させる、逃す。自分のところから離れさせる、というのが住民の発砲だと思いますね。けがしたのもおりますからね。

Q:軍としては対抗しなかったんですか?

そんなところに、高いんだって。200メートルも300メートルも高い、こういうところですから。そこに擲弾筒(てきだんとう)だって、まっすぐに上がんないですからね。大体60度くらいにあがりますから、遠いところからそこに行かないと、撃たないと。もったいないですよ。そいうところ撃つ弾なんてもったいなくて。早くそっから避けて前に出るっていうよなのが多かったですね。ほんとにすごい地形なんですよ、あの付近の地形は。あのとこに行けば、まだ、宜山の付近に行くとやっぱり下が平でボコン、ボコンとタケノコみたいに立っている。岩山はさっき言ったようにこういう狭いところ。道をぐるぐる回って平らなところない。あったところで部落が若干あるというくらいで、岩山にはそんなに平らなところは少なかったですよね。

全然予期しないところから撃ってくるんだから。だいたい戦闘っていうのは撃つほうに、敵陣地がある。これどうやって攻撃するのかっていうのが普通の戦闘で。ところがてこてこてこてこ歩いて、山からババーッと撃ってこられたら、こっちとしては負傷者が出たって大変な損害ですからね。その、予期しないところから撃ってくるから。損害の、精神的苦痛っていうのは大変なものですよね。ああいうのが、いちばんおっかなかったですね。結構多かったですよ、宜山付近からあの付近てのは。

住民がみんな同胞ですから、彼らもまた一緒に逃げていく。だからこの前も言ったように、金城江から河池の間の軍公路は両端にだーっと、跳ね飛ばされた住民が。中国兵が急いで逃げるために車両を飛ばしたりなんかしながら、跳ね飛ばす。そういうのとコレラ。累々たるもんだったんですね。そういうふうに、ひとところに集中してしまうんですね。集中するのは、中国兵はよく知っているから。また住民も、中国兵が逃げるのを援護するんじゃなくて、自分が逃げて行かなくてはならないから、一緒になって逃げる。そうして住民は、そこのけそこのけってやって、中国兵がいるから住民だけが亡くなってしまう。両端に。もう食べ物も何もなくなって、くたびれちゃって、死んでしまうというのが多かったですね。惨憺たるものだったですね。わたし現に見ました。

もう亡くなってあれなんだが、もうみんな、一口でいってはね飛ばされたような状態で。もう一つは病気で力尽きて、両端に死んでいるっていうの多かったですね。

死体累々だから、もう臭いしね。われわれそんなの見ているよりも、早く河池に行くっていうのがあれだったんで。ほんとにやな感じだったですね。

これは全然住民以外は兵隊はいなかった。みんなもう住民の服装しかってね。それで若い人で女性とか、子どもとか年寄りらいし者、特に子どもが多かったね。結構の距離ですからね、金城江から河池までは。もちろん中国兵はいなかった。

Q:子どもが多かったですか。

子どもと女、年寄りが多かったね。子どもはかわいそうだったね、いちばん。

要するに、ぽんと捨てられたというような状態ですよね。投げ捨てられたっていう状態。わたしはさっきも言ったように、中国の軍、車両とかそういうのがどんどん逃げていくから、邪魔なので跳ね飛ばされたっていうのが多かったんじゃないかと思うんですがね。コレラで死んだっていうようなこともよく言う人もおりますが、本当にコレラ、そんなことだったらすぐにこちらに感染しますからね、コレラはね。

うん。力尽きてるっていうか、跳ね飛ばされて即死したか。恐らく1人とか個人じゃないと思うんですよね。恐らく家族とかそういうので死んでおったんじゃないですか。みんな別々の人じゃなく、何かこう集団的に逃げていくところを跳ね飛ばされたとか。

大陸打通作戦というのは、河池、金城江から長坡墟まで、今の独山まで行って終わりなんです。そこまで行って、今度、そこから撤退するかどうするかっていうことなんだが・・もう端まで行っちゃったから、撤退するっていったって、やつらは皆中国にいっぱい、その辺にいるわけですから。すぐ撤退したら、こっちはくたびれていますので、そのまま撤退したらもうどうしようもないんですよ。それで、そこのところに。要するに進攻作戦というのは終わって、今度はそこの警備をするということになって、一つの今度は警備態勢に戻った。

本当は重慶まで行こうなんていうね、そんなあれも軍ではあったらしいですよ。でも、それはもう大体長坡墟を突破したら終わりと。それで終わりじゃなくて、そこで態勢を整えて要するに警備するわけですよ。だから我々はいちばん最前線の河池、金城江に65連隊は残って、向こうから来る敵をあそこで阻止しなさいと。

金城江は、さっき言ったように非常に主要地点なんだよね。鉄道も通っておったところですからね。黔桂鉄道が通ったのは。車庫みたいなのもあったんです。ここのところは黔桂公路の北に対して、北はもう敵ですから、それを抑えると。

その間に師団は(後方の)宜山まで行け。そして、師団は宜山だ。あれは結構距離がありますからね。うちの連隊だけが、天狗の鼻の先みたいなところ河地に行こうと。敵だらけだよ、あそこのところ。警備したものの。

だから、特に軍公路のあれしている河池は第一大隊。そこの警備に就く暇がなくても、というか、今度はわーわー、わーわー。やつらは日本軍が攻撃しねえもんだから、今度は猛烈に攻撃してくるわけさ。あれもものすごかった。田畑大隊長も亡くなるくらいですからね。山なものですから。山の上にしかって陣地、下に置くことできないから。下でもって何か作って、それでみんな山に持ち上げて。大変な苦労をしてるんですよね。山、続いてたって、馬の背骨みたいなの続いてるだけですからね。ちょこちょこ天井歩いたら、撃(ぶ)たれっから。

それと、いちばんおっかなかったのは、第一大隊の人たちに聞くと上からの飛行機も来るから。ただ岩山だから、飛行機が来ても爆弾は瞬発信管だからね、あれに触ると、跳ねると。ぱっと爆発しちまうんだ。だから、米式化した徹甲弾のような、速射砲みたいなので撃ってくるのに、中まで潜ってって爆発するようなのが、米軍の兵器としてあのとき初めて使った。日本軍、我々はもうそんなの見たことない。ところが、一大隊はそれをだいぶくっているんだね。

Q:それはどういう。

潜っていくんだ。

Q:どこにどう潜っていくんですか。

陣地を岩山につくってあるでしょう。そこのところに岩山を通して。普通はもう、ぱっと瞬発信管だから、こうやったらぱっと爆発する。ぐーっと潜ってそこで爆発する。だからおっかないんですよ。崩れてしまうんだよね、岩山そのものもね。

結構広い川だった。50メートル以上ある道路で、中州とかそういうのはあるんだが、そこんところにいちばん最後のしんがりの中隊が一個小隊をこちらに置いて、中の陸橋、軍橋、軍橋というんだが、日本で作った簡単な仮橋ですよね。それをみんな渡すわけです。そこをね。渡して終わったときに、いちばんこっちのやつが真ん中ころまで撤退してくるわけです。それを反対側から敵が射撃したら、機関銃でババババやって、敵のやつら撃てないようにするわけなんだが。敵はもう、真ん中ころに来たときに、こっちに来ておって撃ってくるんだよ。上のほうのやつらと日本軍、撃ち合いしている。その下を、川岸を向こうに渡って、そういう緊迫した、いちばんしんがりの部隊というのはそういうものだったんですよ。

まず、しんがり一個大隊。例えば二大隊なら二大隊おって、それであれを下げるわけですよ。それで今度、この人たちはあちこちに散らばらないで軍公路をぱっとこないと、急いで帰らないと危ないから、三方に敵がいるんだ、後ろと両脇に。だからぐーっと来る。そうするとすぐ「わー」っと三方から敵が来ますよね。そのときに、がっと一大隊が、二大隊が下がってくるのを反対に出ていくわけだ。攻勢に出るわけだ。そういうやり方で、服部さん(連隊長)はよくその話をして。「どうしてあんなにうまくいくんですか」と言ったら、「上杉謙信の車懸り(くるまがかり)の戦法の僕は逆をやったんだ」。車懸りの逆戦法をやった。車懸りってこういってこういうふうな、こういって。反対に、下がったら出る。また下がらせて出る。出て、少しずつ撤退をしていった。と、そういう車懸りの逆戦法ということを言っていましたね。わたしもあれは本気になって聞きたかったもんだから、一緒に話をしたときに、いつもそれをまず聞きました。それまでは全部一体となってやったから損害が出ませんよ。ちょっとでも乱れると、もう各個ばらばらになっちゃう。何しろ敵は多いですから。天狗の鼻の先ですからね。それを軍だから、後ろばかり来るのならあれだが両端からも来る。その後ろから来るのを、さっき言ったように、川を渡ってきたってもう敵が来てるんだもの。20~30メートルのところに高台に上がって、真ん中にいる、橋を撤収する日本軍に対して撃ってくるわけですから。それを撃たれないように、こちらから強力な重機関銃でもって、やつらが撃てないくらいにバーッと掃射してるから、敵が(高台に)上がったって撃てないわけだ。そのうちに向こうの川の対岸に着いてしまう。いちばん最後の一個分隊がみんなそうして行った。だからしんがり部隊というのはいかに大変な・・だから作戦一つ誤ったらその場で殺されちゃうんだね。川の真ん中で。そういうようなのは本当に、服部流で車懸りの逆戦法というかね。下がる、撃つ、それを狙うようにしてこちらからやるという。

あとは飛行機だよね。Pー51(戦闘機)。これもしょっちゅう飛んできて。岩山をぬってくるからね、やつら。こういうものの機銃掃射。これはもう普通の岩山の陣地に対しては、やつら撃ったって役に立たないわけだ。だから、表に出ている何かを見て撃つわけですよ。日本兵を見て撃つわけですよね。例えば馬でも何でもいい。そういうようなの、あれはおっかなかったね。

Q:Pー51はどのようにやってくるんですか。

ナメクジって知ってるね。ナメクジみたいなんだよ。こうなってね。上がまっすぐで、下が平らにこうなって、ずっと長く。「ナメクジ、来た」って我々はよく言ったんだが。大体、地上10メートルか20メートルくらいの間を飛ぶんだから。飛んでくるんだからね。高い岩山を縫ってくるんだよ。あんなのはちょっとね。飛行機なんていうのは山より上にしか飛ばないと思うんだが、あの連中はそうじゃないんだよね。山を縫ってくるから、相当機銃掃射も正確にできますよね。だから、あれはおっかなかった。

Q:それは、もう日本軍にまったく制空権はそのころはなかったんですか。

ないね。日本の飛行機なんて見たことない。やられっ放しですよ、上は。頭の上は。

湘桂作戦になってからは日本の飛行機というのは見たことないね。

出来事の背景出来事の背景

【中国戦線 大陸縦断 悲劇の反転作戦 ~福島県・若松歩兵第65連隊~】

出来事の背景 写真陸軍歩兵第65連隊、兵員のおよそ半分は福島県出身者で、幕末の戊辰戦争で官軍と戦った「白虎隊」の名を受け継いで「白虎部隊」と呼ばれる精鋭部隊だった。
日本軍が劣勢に立たされた昭和19年(1944年)、中国戦線にいた65連隊は、50万以上の兵力を投入する陸軍史上最大の作戦「大陸打通作戦」に送り込まれた。
この作戦の目標は、中国大陸を南北に貫き、東南アジアから物資を運ぶ陸上輸送路を切り開くこと、日本本土への空襲を防ぐため中国南部の米軍航空基地を攻略することだった。
昭和19年4月、作戦は始まり、1000キロを踏破する行軍が始まった。
65連隊は、精鋭部隊として、幹線道路や線路沿いを進む主力部隊の盾になるように、険しい山岳地帯を行くことになった。そのため、頻繁に中国軍の攻撃にさらされ、戦死者が増えていった。
その間、日本軍は、「長沙」、米軍航空基地のある「衡陽」を攻略するが、昭和19年7月には、サイパンが米軍に占領され、本土空襲を妨げるという目的は意味を失った。

行軍はその後も続けられ、65連隊の兵士たちは、補給が途絶える中で飢えと渇きに苦しめられた。1300キロを踏破した時点で、兵員3800人のうち、900人が命を落としていた。

昭和20年3月、大本営作戦課長として大陸打通作戦を立案した服部卓四郎大佐が、65連隊長として着任。その直後、中国北部や中部の防衛のため反転が決まった。65連隊は日本軍部隊の「しんがり」となり、撤退途上、中国軍の追撃の矢面に立たされる。さらに、米軍機の機銃掃射を受けるようになった。兵士たちの中からは、苦しみから逃れるために手りゅう弾を炸裂させ、自決する者が続出した。

昭和20年8月、敗戦。2000キロを歩きぬいた65連隊は、この作戦で1500人が命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1941年
会津若松歩兵第65連隊に入隊
1941年
中国へ上陸
1943年
大陸打通作戦従軍
1946年
復員、第一復員局史実調査部

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