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タイトルタイトル: 「見捨てられた戦場」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~
名前名前: 岡 今朝像さん(陸軍南海支隊 戦地戦地: ニューギニア(ポートモレスビー、ギルワ)  収録年月日収録年月日: 2009年7月30日

チャプター

[1]1 チャプター1 日中戦争から太平洋戦争へ  04:26
[2]2 チャプター2 ポートモレスビー作戦  03:33
[3]3 チャプター3 ニューギニア上陸  06:29
[4]4 チャプター4 機関銃隊  06:09
[5]5 チャプター5 どこに潜んでいるか分からなかった豪州軍  05:51
[6]6 チャプター6 壊滅状態になった支隊  06:24
[7]7 チャプター7 目前に見下ろしたポートモレスビー  02:52
[8]8 チャプター8 「見捨てられた戦場」  06:11
[9]9 チャプター9 胸に秘めてきた「戦争体験」  05:21

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~
収録年月日収録年月日: 2009年7月30日

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寧波(中国浙江省ニンポー市)って知っとるかいね。寧波、うちの師団わね、広島の師団でしょ。だから上陸作戦が専門なんだよ。だから、寧波というところの上陸作戦に参加して、第一番に敵の陣地の直前の海岸に上陸するわけや。その作戦に参加して、そして、ニンポーという、寧波というところ占領して、そこで休憩をして。
それから、今度は仏領インドシナの、あの例の、南下するな、マレー作戦の前の、仏領インドシナ。あそこに南支那からぐっと下がって行って、それからまた、上海に帰って、それから、マレー作戦になるわけやな。
マレー作戦の準備は、上海でやったわけ。自転車部隊に切り替えて。そして、今度は上海のほうから出発して、コタバルじゃなかった、なんていうんだっけ上陸地点に上陸して、タイ国だよな。まだ、戦争は隠さにゃいかんから、タイ国にね。秘密協定を結んで、タイ国の飛行場の近くの海岸に上陸をして、自転車部隊に切り替えて、ダーッとシンガポール目がけて南下していったわけだ。
んで、シンガポール攻撃終わったら、同じ引き続き今度はフィリピン行って、これに書いてある、FS作戦。フィジーサモア作戦。あれに出るべく準備をして、フィリピン行って、フィリピンでFS作戦は、他の部隊がやるというので、ミンダナオの戡定(かんてい)作戦といって、戡定作戦というのは、一つの地域をパーッと貫き通すという意味ね。戡定作戦に参加させられて、これはドンパチじゃなくてむしろ威力を示すだけだ、こちらの。威武(いぶ)を示すだけだ。
そして、パナイ島というところでその戡定作戦をやって、一休憩して、フィジーサモアにFS作戦にやられるかと思ったら、しばらく待てというときにあの写真を撮ったんです、一休憩のときに写真撮って。そして、そうじゃない、ニューギニアに行くんだっていうんで、びっくりこいたわけだ。

Q:そのFS作戦っていうのは、

フィジーサモア。

Q:それはやっぱり行くときから、そっちの方面に行くって事は分かってるんですか。

そういう予定で船に乗せられて、フィリピンに行ったんだよ。そしたら、フィリピンで変更になって、フィジーサモアには行かないんだと。ニューギニアに行くんだっていうんで、「ニューギニアってどこにあるべえな」ってわけで、初めて知ったわけだ。

Q:そうですよね。

なんでニューギニアまで行かにゃいかんのかいなっていうて。そのときはもうガダルカナルに火がついとったんや。そして、フィリピンからラバウルにやられて、ラバウルから船に乗せられて、ニューギニアにやられたんだね。

Q:フィジーサモアから、ニューギニアから行き先が切り替わったわけですよね。

そうそう。あの時分はころころ変わったんだね。海軍との関係で。バカな戦をしたもんだよ。

そのときの作戦目的なんていうのは、第一線の我々には、ヒョコには分からんもんな。ガダルカナルに飛行場に攻め込んだけれどもダメだった、えらいやられとるでっていう程度の情報しかなかったな。ガダルカナルと隣合わせてるでしょ、ニューギニアはね。
豪州があって、その北の方にあるんだから。結局、ガ島が、ガダルカナルがああいう風になったから、ニューギニアにもやらんにゃならんと、海軍は思ったんだろうな。で、陸軍も自分のメンツ上、ニューギニアにやれやれっていうわけだ。辻参謀あたりがね。
ほんと道路も作らんところを道路を作ってな、ひどいもんだよな。残酷だね、今から考えると。しかし我々、マレー作戦の後でやっぱり気分が高揚してるからね、行くことについては特別の疑念もなかったんだよ。

で、シンガポールが落ちて、それ行けっていうんで調子に乗っとる最中だから。残酷なもんだよ、今から考えるとね。準備もせんでさ、僕の記録にあるように、食料だって弾薬だってな。ああいう風な、とても戦争にやる(行かせる)備えとは言われないよ。虐殺だな。最初は道路偵察というつもりだったんだよな、南海支隊はな。それがおっとどっこいそうじゃなかったんだ。豪州としても、ちょうど、ニューギニアというのは、福岡県と朝鮮半島の対馬みたいなもんだから。だから、そこに敵が上陸してくりゃ大変なことだよね。その豪州が、ガダルカナルと豪州がアメリカのマッカーサーの反攻する大拠点だったわけだ。「いつかはフィリピンに戻ってくるぞ」っちゅう大きなことを言って、マッカーサーは帰ったね。その反攻の第一線だったんだよ。そのためにはガ島、ガダルカナルに飛行場を作り、ポートモレスビーにも飛行場を作って、そして反攻の拠点にしたわけだ。ガ島がああいう風になったから、大本営としても、ニューギニアにもポートモレスビーもやらにゃいかんということになったんだと思うね。

Q:ニューギニアに上陸して作戦始めたころは、空からの援軍もあるだろうと当然思うわけですよね。

そう。そういうのがあって、作戦開始だろうと思うよ。誰でもね。ところがおっとどっこいそうはいかなかったんだな。ラバウル保つのがせいぜいだったんだろう。
虐殺だと思うよ、ニューギニアのあれは。極端にいうと。あんな準備もせんで、食料も持たせんで、弾も持たせんでね。3000メートルで。あれは、何ちゅう探検家かな。何十年か前に1回、山を登ったっていうだけの経験のな。

Q:偵察とか準備っていうのは、本来はその作戦をやる前には、どの程度の研究が必要なんですか。たとえば、マレー作戦とか。

そら、マレー作戦だったら5年くらい準備してるからな。そりゃもう、前持って準備して。ニューギニアだって、ましてやああいうところなら少なくともああいう、前人未到の山道を歩くんだったらそりゃ、あんた、大体作戦考えるのが間違いだよな。飛行機くらいで偵察がせいぜいだろ。空中偵察がね。ジャングルゆうても普通のジャングルとは違うんだよ。1尺先が見えないくらいなんだから。木が立ってね。大きな木があって。光もあんまり通さないわけよ。ところどころ光がこうさして、ああ光が差したかなあと思うところに兵隊らおるしな。敵の兵隊がな。こっちだってそうだけども。

Q:空中偵察なんかをやったような資料はもらえたんですか?

ないない。ほんと連隊長が持っとったのが、点と線を描いた地図1枚だけだったんだよ。おれの文章に書いとるみたいにな。兵隊は、地図がなくて戦争やるなんてものはとてもじゃないよね。

Q:ガリ版刷りの用紙が連隊に1枚。

連隊長が持っとっただけだよ。軍から頂いたのが。それで戦争せいっていうんだから、大間違いだよ。またそれって、それで、「ヘイ」って言うてやる指揮官も指揮官だとおれは思うよ。

山勘だよ。道を作りながら行くんだから。ジャングルの木を倒しながら。こう山があるやろ、その木を切り倒して、道を作りながら行くんだから。

ただこうやってうつむいて、鉄砲もってうつむいて、黙々として歩くゆうだけだもんな。わしらだって、軍刀もって杖突いて黙々として、こんちくしょうって思いながら。

Q:やっぱり、こんちくしょうって気持ちは。

あるよ。しんどいときは。

Q:それまでのその、自転車でこう。

マレー作戦。

Q:平地をこう行くのと違って行軍自体が大変ですよね。

そりゃもう、全然、天と地の違いよ。自転車部隊というのは、マレー作戦で初めて日本軍が採用したんだよね。マレーはアスファルト道路だからシンガポールまでダーッと。
長い半島がね。両側は密林だというても、ジャングルだとゆうても、ゴム林のジャングルだから、すき間があって明るいもんだ。そこにバンガローがたったり、普通の民家が立ったりしているわけだ。だからジャングルだといってもニューギニアとは全然違うわけだね。

極端に言うと、一寸先も見えない。木と木が、いわゆる天然自然の木よね。材木がにょきにょきたって、木と木の間が30センチくらい間が見えるだけだよ。それがダーッと四方八方につながってるんだから。だから、ひょっとすると頭ぶつけるわけよ。

機関銃中隊というのは、ひとつの大隊に、今は何個くらいあるんだ? 機関銃はいくつあるんだ。いくつあるかいな。6つくらいあるかいな。この時分は8つくらいあったんだよ。それを各中隊にこう分けるんだ。そして、大隊長の参謀で、中隊長が大隊長のそばにつきっきりで、しかもあと残りのものを指揮するという。残りの4つを。やって指揮すると、こういうな仕組みになってんだよね。おれはやっぱり大隊長のそばへついとったから生きたんだろうな、一つは。だからね、これは皆さん若いからなんですけれども、人間の運命というものはね、こんときに一言がなかったらね、大隊長が「下がれ」って言わなかったら、おれは死んどるわな。こうやって会えてないわ。ほんのちょっとしたところでな。だから運を天に任せるってやつだ。

Q:機関銃中隊っていうのは、普通の状態であればどういう風な戦闘の仕方をするんですか。

普通の歩兵中隊の兵隊さんがずっと攻めていくでしょ。そのとき、機関銃は両方の小隊のところにくっついておって、そしてこの歩兵が前進していくやつを敵が撃ってくるね。敵も機関銃とか軽機関銃とか小銃とか持って撃つわけだ。あれは陣地が固いわけだ。それを機関銃がこっからみて撃って、この歩兵の前進を容易にするってわけだよ。

Q:ニューギニアの場合はそういうことができたんですか。

できない。全然できない。このイスラバの戦闘かな。連隊長は「敵がおらん」というけれども、わしと小岩井さんは「敵はおりますよ」って言うわけよ。無礼、けんかしたっちゅう話がこれに出てるんだけどな。そういう風に、あまり人の悪口言いたくないけども、探り撃ちとかな、機関銃で探り撃ちとか何とかして、あぶりだすという手もあるわけだ。敵だって、軽機関銃や機関銃が迫撃砲なんか持ってんだから、それを撃つとかね。そして一般の歩兵中隊の前進を容易にならしめるということはやるんだけど、どちらかというと一般の中隊の攻撃に、火力というのかな、射撃を増強をするという兵器だよ。あのギャング映画にあるだろ、あれよ。

Q:ニューギニアの場合できないというのは、どういう面が障害になるんですか。

何が。

Q:ニューギニアの場合は、そういう今おっしゃったような攻撃ができないというのは。

木と木の間がこうくっついておるんだから。弾が通らんわけだ。それから敵が見えないんだよね。敵が見えないのと、木と木が密集してるからなかなか通らない。想像つかんだろうな。

Q:敵の動きも変則的だったりする面もあるんですか。

そら、敵もやっぱり同じこと。こっちが見えないと敵も見えないわけや。しかしちゃんと敵は標定してるわけだ。構えとるわけだ。敵の機関銃や軽機関銃をこうちゃんと構えとるわけだ。あそこにきたら、チラッと見えたら、バアッと撃つわけね。あらかじめ準備している。こちらは何も知らずに行くから、そこんとこに引っかかるわけだ。

Q:敵のほうが先に陣地を持ってたってことですかね。

そうそう。そして、構えてるわけだ。

Q:それも気づかないで近づいちゃうわけですか。

気づかない、見えないから。そしたら、やられるわけだ。

敵は陣地つくっとる。穴を掘っとるか、あるいは岩なんかに隠れとるわけよ。あるいはジャングルの影に隠れとるわけ。ジャングルがなかったら、やっぱり壕(ごう)をほって、そん中に隠れてるわけ。だから、分からんから、なかなか。危ないわけよ。

まず第一に怖いよ。怖いのと焦るのとね。いわゆる恐怖感がある。恐怖感がありますよ。どんなこと言うたって。いつ出て来るか分からんという恐怖感がね。
しかも、弾の飛んでくるやつだから。姿見せずに。だから、恐怖感がありますよ。

Q:それは、平地と違う恐怖感なんですか。

そうやね。いわゆる泡立つというのかな、何とか言うんじゃないか。こう、ぞっとするという。なんも知らんとこにポンと入るとぞっとするだろ。あれあれ。どんな戦場になれた人でもそうやわ。すぐ慣れてくるけどね。まして、ジャングルだから、敵が見えないんだから。

怖くないものは一人もいない。怖いっちゅうのは本当だよ。おれは、当番兵と一緒に後ろへ下がるときにね、輸送船みたいな船に乗ったんやわ。そんとき、敵の飛行機がやって来て、爆撃を落としたんだ。そしたら、船のすぐそばに爆弾が落ちたの。そしたら、普通の船ね、大きな汽船よ。あれが、ばあっと、魚がしっぽ振るみたいに振動するわけだ。ビューッと。当たってないけど怖いもんな。それは幸い当たらずに、ラバウルに着いて。そんときはおれはもう連隊長から下がれといわれて、半病人だったから、死んだようになっとったんだけどね。当番兵がおれをおんぶしてね、そしてラバウルに上陸させてくれたんだけど。
やっぱり、魚の尾びれが振るみたいに輸送船がビュウッと揺れるときは、やっぱりいい気持ちはしないよ。「ああ、これで終わりか、おれも」。そんとき、わりかた部下のことは思わなかったな、言うちゃ悪いけど。自分自身が逃げたい、雑な言葉で言うと、逃げたいというか、生きたいというか。そういう気持ちのほうが多かったように思うな。
ほいでラバウルの病院行ってから、ハヤシっていう兵隊さんが当番で、朝、晩、敵の空襲があったときも、おんぶして防空壕に連れて行ってくれた。だから、命があるんだけどな。やっぱそんときも怖いもんな。なんぼ中隊長だ何だって威張っとってもさ。さあ裸一貫になるとほんとに当番兵にすがりつきたいような。

(戦争は)勝っても犠牲が大きい。ともあれ、うかつに戦争はやるもんじゃないわ。

そして比較的ニューギニアの戦いというのは、あんまり人に知られない悲惨なところがあるんだよね。ジョコウホウベン(?)だったかな。ガダルカナルは割り方有名だけどね。やっぱり戦術的に言うてもなんだろうけれども、制空制海権の無いこういう渡洋作戦は負けるに決まってるわい。渡洋と言うのは、太平洋を渡ると書くんだよ。こういう遠いところのね。補給で第一負けるしね。これなんかもうニューギニアなんて言うのは最初からそういう補給の準備してないんだもん。ちょっと行って来いと言うやつだもんね。本当にちょっと行って来いと言うやつだ、これ。

Q:そういう戦後その統帥部の人たちに、ちゃんと責任追及はされているんですかね?

されてないだろうね。たいがいは自分で腹切って、かっ切って死んでるけどね。それはおれだって実際切ないもん。申し訳ないもん。だからこうやってあなたたちがせっかく来てくれてるけど、こんな偉そうなこと言うてね、話すのが異様にこう、なんか、つらいね。つらいっちゅうか、申し訳ないんだけど死んだ人にはね。偉そう、なんだって思うよ。

丸印は戦死者数を示すと書いてあるね。ほとんど死んでるよ。力尽きや、刀折れ矢尽きるっていうのほんとうやね。あの時分は、本当にこう1メートル歩くんでも這わんばかりだったな。そういうつらさがあったな。だから軍刀をこう突いてね。

Q:行軍自体がつらいという事ですか?

歩くこと自体が。行軍よりも歩くこと自体がつらい。歩けない。今も、よとよとしとるけどそれよりもつらいつらい。

Q:それはマラリアとか?

そうマラリアの熱が出て。目が見えなくなるのや、もうろうとして。それから下痢ね。

そんときは、ラバウルで死ぬと思ってたからね。毎晩ハヤシ君がおれをおんぶしてね、防空壕んとこに逃げてくれたよ。ラバウルで。それでラバウルに行ってから、おれがマニラに後送されることになったときに、「ハヤシ君ね、お前も一緒に下がれ」って言うたよ。おれと一緒に。でも「いや、わたしは戦友が戦ってるからニューギニアに帰ります」ゆうてね。帰って、戦死者名簿見てもね、載ってないんだよ、名前が。だから捕虜になったか、戦死したしたかだろうな。そういうのを思うと胸が痛いよ。ほんとに。奥さんもおったんだけど。

だけど生きて帰るのは、そんなにも卑怯(ひきょう)なことして帰る人もあったかもしれんけれども、病気でやむにやまれず帰った人もあるんでね。おれなんかマニラで送り返されたのは、何も好き好んだわけじゃないんだよね。たしかね、マニラから内地に帰るときには台湾、それから小倉を経由するんだけども、途中で一回敵の飛行機に襲われたことがあるわ。病院船でも敵の飛行機はやるんだなと思ったことがある。しかしあの、わしの当番のハヤシ君がね、一緒にマニラに、マニラの病院まで付いてきてくれって言ったときにね、「いやわたしは、ニューギニアで戦友が働いてる、やってるから、ニューギニアへ帰ります」言うたときに、いや実際感激したね。

病院いうても名前だけでヤシの木をこうズボズボと立てとるくらいのもんで、空の天井なんか無いしな。
で僕は運がいいんだよ。こう下がって行って、下がって病院のギルワかな、どっかの病院に下がったときに、「もう急がんと。これが最後の病院船だ」と言われた記憶があるね。
それでハヤシ君がもう、「中隊長これは急がないけませんで」言うて、そうしておんぶして、舟艇に乗って、そして輸送船に乗った記憶はあるね。そういう断片的にちょこちょこ記憶はあるんだけどな。もうそのときは半分は死んだようなもんだからな。

Q:でも手りゅう弾で自殺と言う事はあったんですね。

あるある。動けんとね。悲壮だで。いやわしは元気だからなかなか思い及ばんけども、実際自分が動けんようになってさ、手りゅう弾で自殺せにゃならんと言う事になればな、そのときの心境を考えてごらん。悲しいもんやで。本当に。それ考えると今は生きてる我々は申し訳ないと思う、おれは。だから戦争防止とか何とか口では言うけど本当に戦争っちゅうのは怖いわ。やるもんじゃないわ。しかしやりゃならんからな、やらにゃならん場合があるんだからね。普通の生活でも、やっぱり仲のいいときばかりじゃないしね、衝突もあるんだからな。やらにゃならんときもあるけど、それはよっぽどのことで。やっぱり外交とか教育とか政治とかいうもんで、極力防いでもらわにゃいかんな。

Q:糧まつの補給があれば、勝てた?

勝ってるよ。勝ってる。あのイオリバイワからさらに前進できてるよ。あそこで米粒がなくなってんのを旅団長が見て初めて撤退を決心するんだからな。
あれからはどちらかいうと下りだから。

Q:兵力で負けたとは思っていないって。

戦で負けたとは思ってないよ。食料に負けたよ。あんときでもやっぱり、空中輸送なんかできなかっただろうかと思うよ、おれは。結局、航空勢力の制空権が無いからな。制海権もないし。ようそれで戦争やったと思うわ。死んで来いっちゅうようなもんだよ。で最初からねニューギニアはね、ガ島に比べてもう、問題にしてないんだよ、大本営は。おれさどうもそんな気がするんだ。最初から問題にしてないわ。だから貧乏くじ引いたんだよ。こんなことあんたに初めて言うよ。おれ今まで、悪口言ったことはないんだ、あんまり。自分が生きて帰って来てるから。だけど今日は初めてあんたに言うけども、全く地獄だったなぁ。おれなんか地獄の入口くらいで済んだからまだ良かった。しかし良かったか悪かったかその後のな、いろんな終戦後のことがあって、あぁ自分の罰だと思ったよ。生きてきた、生きて帰った罰だと思ったよ。

腹が立ったよね。おれの部下もずいぶん死んだんだから。それまで支那とかなんとかで死んだ部下も多いし、かわいそうだなあと思うけど、これほど悲しい思いの作戦はないな。悲しいよな。ニューギニアのあれだけは。だからあんまり人さんに話したことないんだよ。2回ほど、連隊会に、生き残りだけやったからな。連隊会に行ったけども、話も出ねえんだ。悲しゅうて。申し訳なくてな。おれがこのここんとこで、大隊長が言ってなかったらおれはここで死んでる、名誉の戦死遂げてるんだけどな。

おれなんかニューギニアのことどう、本当にもう、捨てられて戦だっていう残虐、何て言うのかな、捨てられた戦だと思うよ。もうてんで大本営にしてもあれは捨ててるわ、腹ん中の本当の姿は。ひどいもんだよ。誰1人としてそれを、とがめる人が無かったんだから、最初な。しかしどうせ死ぬときは同じ事で、いつかは死なにゃいかんけども、あぁ言う死に方はしたくないもんだな。わたしの部下でね、マレー作戦で何名死んだかな。6名死んだ。でニューギニアでは生き残った方が少ないわけだ。それから支那では1名、あぁ、1人死んだな。当番。死んだんだけども。しかしマレー作戦で死んだのが1番幸せだったと思うな。

Q:どうしてですか?

マレー作戦で勝ったからよ。マレー作戦で死んだサラガイというのはね、お母さん一人子一人でね。戦後訪ねたときには悲しかった。戦争のときに死体はどう処置するか知ってんの? どういうふうにしてると思う?

Q:余裕が無いときもあったでしょうね。

通常手足を切ってね、そして焼くんだわ。そして骨にして、コツにして。飯ごうにだかれて首から下げて行くんだ。涙1つ、出ないで。情けないもんやで。あぁおれもこうなるんだなと思う。

サラガイはシンガポールでね、機関銃の、僕はずっと機関銃だから、機関銃のもう名手だったんだ。射手でいう。でまぁシンガポールの旗が上がるほんの1分か2分前に敵の砲弾が落ちて来てね、それで死んだんだよ。残念だったけど、それがどこで死んだかと言うと膝に破片があった。膝が。膝から腰にかけて砲弾が落ちてね、そして死んだんだけども。軍医のとこ連れて行けって言う間も無かったわ。で息が絶えたんだけどね。

お母さんのとこ連れて行ったらお母さん親1人子1人や。そして、そうじゃない、その、破片が腰と膝に当たった。そしたらお母さんが言わっしゃるのにはね、実は息子のサラガイがね、息子が帰って来て、夢でだよ、その「かすりの着物を着せてあった。そのかすりの着物はね、ネズミが膝のところ食いちぎられている」って言うんだよ。それ聞いたときね、なんとも言えん、親子の情を感じたよ。やっぱり夢に現われてたんだよな、うん。やっぱり、遺族にとっては本当につらいことなんだな、1人息子だったんだけどね。おばあちゃん1人で。だからおれなんかも本当人殺しをやって、部下をたくさん殺して本当罪なことしてんだわ。だけどこれしょうがなかったんだな。本当罪なことしてるよ。

Q:岡さんご自身はニューギニアのことを記録として残したいと思いますか?

ないね。本当記録はね、断片的になるんだわ。そして自分の都合のいいことばっかり人間としてなっちゃうからな、本当のものが出てこないわな。で嫌だよな、思い出すのが。ただね、もうニューギニアのこと思い出すのは部下に対してあいすまなかったと思う事だけだな。もうそれだけは寝ても覚めても思う。だからおれ、そこにあの、41連隊ニューギニア戦の戦没者の、お位牌さんの代わりのみずとう(水帳か?)なんかあげてんだけどな。お位牌さん作ってる。坊さんが、月々御参りに来るけども、こうやって戦地の部下のあれをたまる、お位牌さん作ってんの岡さんだけだって言ったで。しかしそれだけじゃすまんと思ってんだ、おれ。

Q:亡くなった部下ですか?

そうそうそうそう。生きて帰ってあれしたものは皆成功してるね、こんななんか見ると、なんとかの社長だ、やれなんだ言うて。やっぱ死んだつもりでやる、頑張るんだな。

Q:申し訳ないというのはどこが申し訳ないのですか?

生きてるのが。安楽にこうやって生きてるのが申し訳ない。そりゃね、考え方によってはねありがたいことだよ、女房子どもおってさ、で飯を食わしてもらって。他に何があんた、不自由があるだろうに。言っちゃね、お金が無いのはしょうがないだろうけどな。要するにニューギニアなんか最底辺の生活をしてるから。あれ以上の底辺は無いんじゃないか?

自分だけ生きて、そういう気持ちはあるよ。歩兵第41連隊戦没者精霊、第2機関銃中隊戦没者精霊。朝晩祈ってるよ。そしてお位牌さんも作ってる。だから逆に言うと、おれ一人生きて申し訳ないという気持ちの方が先立つな。うん。しかしおれはあのとき、あの、これ書いてあるように「後ろへ下がれ」言うて当番兵を付けてくれなかったら死んでるわな。あのときどういう状況だったのかな、おれ。不思議なもんだ。

(復員後は)あちこち転勤してね、自衛隊入って。ここで仏壇をつらえてから、お位牌を祭ってから初めて気持ちが落ち着いたよね。それまで落ち着かなかったわ。申し訳なくて。やっぱりこれは戦地へ行って部下をこう死なした人は皆そういう気持ち持ってんじゃないかな。仏壇を作っとるっつうのは別として。申し訳ないという、自分だけ生きて申し訳ないというのが、生きて帰った人皆の共通するあれじゃないかと思うよ、おれは。うん。生きて帰ってよかったと思う人は少ないと思うよ。

このまま伏せてしまおうかと思っとった胸のうちだけども、あんたからそう言われると、むしろ、こういうふうな事があったっちゅうことをね、皆さんに知らせて、二度と戦争を起こさんようにするべきだったかもしれんな。うん。

出来事の背景出来事の背景

【ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~】

出来事の背景 写真日本軍将兵の9割が命を落とした“生きて帰れぬ”戦場ニューギニア。その口火を切ったのが昭和17年のポートモレスビー作戦である。
日本軍は、中部太平洋の海軍の根拠地「ラバウル」を連合軍の空襲から守るため、連合軍の航空基地があるニューギニア島の南岸「ポートモレスビー」を攻略する作戦を立てた。ポートモレスビー攻略を命じられたのは、南海支隊で、当初は海路ポートモレスビーをめざしたが、珊瑚海海戦の結果、ニューギニア北東岸のバサブアに上陸して、陸路オーウェンスタンレー山脈を踏破する総距離350キロの作戦に変更された。現地司令官は「攻略は不可能」と断じたが、大本営参謀・辻政信の独断で作戦は実行されるにいたった。
昭和18年8月、南海支隊主力がバサブアに上陸、兵士たちは一人当たり、20日分の食料を含む50キロの荷物を担いで、詳細な地図がないままジャングルに分け入った。そこは、道なき道で、樹上からから吸血ヒルが降り注ぐ密林だった。密林を抜けると、豪州兵が銃火・砲火を浴びせかけてきた。さらに、標高3000メートル級の山越えで、食糧も尽き、兵士たちは体力を失った上に、マラリアに苦しめられた。
出発から7週間、兵士たちがポートモレスビーを見下ろす「イオリバイワ」まで進出したものの、そこまでが限界だった。9月下旬、日本軍は「転進」を決定したが、マラリア患者、負傷者を抱え、豪州軍の追撃を受けながら険しい山道を将兵たちは撤退することになった。そして、食料を失った兵士たちは、木の皮や根をかじるようになった。
ニューギニア北岸にたどりついた生存者は、バサブア、ブナ、ギルワなどの日本軍陣地に拠ったが、連合軍の追撃で翌18年の1月までに相次いで撤退する。
南海支隊はこの作戦で、9割以上の兵士が命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1919年
佐賀県小城町に生まれる。
1940年
陸軍士官学校卒業、歩兵第41連隊に配属。中国にて浙江作戦、寧波作戦ののち、マレー作戦、シンガポール攻略作戦などに参加。
1942年
ニューギニア上陸。ポートモレスビー攻略作戦。
1942年
イオリバイワからの転進の際、マラリアのためマニラに後送される。
1945年
広島陸軍幼年学校の教官として終戦を迎える。
1945年
復員後は様々な職業を経て陸上自衛隊に勤務。

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