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チャプター

[1] チャプター1 作戦開始の渡河  03:34
[2] チャプター2 アラカン山脈の行軍  02:23
[3] チャプター3 サンジャックの戦い  01:00
[4] チャプター4 食糧の欠乏  04:22
[5] チャプター5 連合軍の空中補給  00:57
[6] チャプター6 インパールに迫る  01:31
[7] チャプター7 流れてきた日本民謡  04:47
[8] チャプター8 病院焼き打ち  02:58
[9] チャプター9 ハゲタカに食われる兵士  04:15
[10] チャプター10 自爆する兵士たち  02:09
[11] チャプター11 終戦  01:01
[12] チャプター12 今も欠かさない黙祷  01:32

再生テキスト

チンドウィン河を渡るときは3月の、いつでしたかな、10日ごろでしたか、

きれで作った背のうに、両側に靴下に米付けていて。あとは私物ってなんぼも持てしません。そんなんで渡河するんですわ。

Q:お米っていうのは、どのぐらい持っていったんですか。

あれ靴下1本分、5合だって言っていましたな。靴下1本、5合。それを背のうの両側にくくりつけて。そうして渡ったんですけど。何しろ、持っている鉄砲が重いですでね、皆。歩兵砲ですけど、やはり小銃を持たんならんのがおりますでね。そこ、わたしらは下士官で、軍隊もピストル式で、拳銃って大きい。大きい、こんな拳銃ですねん。重たいの。それを持っているんですわ。それは重たいですわ。大変でした。歩くのが。

何だか、背のうの重さだけで40キロあるっちゅうことでしたからね。せった両手に。それ以外に体にその拳銃と手りゅう弾2発と、それと銃を、小銃を持っているものは、弾を240発持つんですわ。前の飯ごう(弾薬盒か)に60、60、後ろに120発、240発持っているんですわ。鉄砲を持たんものは。それを持っていますと、それはもう重たくて大変ですわ、歩くのが。

今夜、敵前渡河をするということで、真夜中の11時ごろ、真っ暗になったときに、どうですかな、工兵隊が鉄舟を持ってきてくれたで、それに乗って、わたしらは歩兵砲ですで馬が大事ですよね。馬は。その馬を引っ張って乗せるんですわ。船が出たら、馬は今度はもう船の際に頭を付けていると耳に水が入ったら馬は死ぬちゅうことで、馬をこう持って、そのチンドウィン河が、500メートルぐらいある広い川でした。

もう持っていて途中で放しちょるんです。そうすると、馬はもう自力でもう泳ぎませんでね。それが朝、夜が明けたら川岸にいっぱい馬が浮いていました。死んだ馬が。悲惨でした。それで川岸に着いたら、もう既に敵の銃声がパンパンと音がしていましたね。もう小銃隊は既に戦闘に入っていましたですから。

チンドウィン河を渡って、いよいよ前進ですわ。前進するまでにもう既にもう、向こうはもう、それはもうジャングルを燃やしているんですわ。一面草木が燃えている上を歩いていくんです。どんどん。

それはもう分解搬送ですわ。ばらして。砲身、それから揺架っていうてね、こういう鉄の塊に大砲を載せる台があるんですが、これがどんなに重たい鉄か。それと車輪。弾ね。皆、分解して、分解搬送でずっとアラカン山脈を。砲身が重うて引っ張っていられんときはね、中、綱を付けてもう引っ張っていました。

砲身は200キロ以上ですか、うん、200キロです。1人で持つやつはいません。現にあのときは。たいてい2人で持ちます。砲身は。

道は細い、細い道が付いています。山に道が。結局、獣道言いますか、獣が通る道じゃな。それは晩はオオカミがウー、ウーって鳴いていまっせ。オオカミが。それは怖いものですえ。いつ食われるかわからへんで。

Q:獣道を砲を運ぶというのは、砲も大きいからなかなか運べないんじゃないんですか。

ええ。運べやしません。思うように運べやしません。

それは落とすことはできへんで、それは引きつつ、皆で引っ張っていますさかいに。それは車輪やあんなものは軽いもんですよな。持てるけど。何しろ、連隊砲でいちばん歩兵砲っていったらカスですわ。重労働で。ほんま。工兵隊と一緒やな。工兵隊ちゅうやつもかわいそうやで。ほんまに。

最初に行ったとこが、サンジャックいうところですわ。サンジャックへ行くんだちゅうことで。目的は。それで、サンジャックに近づきましたらね、

今度はもうものすごい撃ち合いですわ。敵、味方。そのサンジャックの後ろのほうに、67(連隊)がおりましてね。67(連隊)の野砲がどんどんサンジャック攻撃と。そして、こちら60連隊は真っ正面から、またサンジャックへ弾を撃っていたんです。どんどん。それで、やっと向こうはもう撃ち止んだで行ったら、もうくろんぼがプクプクに膨れてね、丸うなって死んでいました。

インパール街道のほうへ出るのに山道ばっかりを歩いていました。ほんまに毎日。

それは牟田口(廉也・第15軍司令官)さんの計画が、もう靴下(に入れた米の量)2本で行けるというので、インパールまで。向こうへ行ったら、もう向こうのものを取って、食い物も不自由せえへんと。靴下2本の米があったら行けるという目的で行ったんやで。それで食べ物も何も持っていきません。

こちらもう食べ物がのう、無くなっていくのでね。そんな靴下2本のお米っていうのは、もうすぐ炊いて食べてしまいますわ。そうすると、もう部落があると住民の家へ行ってね、お米があるか探してくるんです。それで、お米がなかったら、もう、もみを持って帰ってくるんです。お米のまだついてへんもみを。そして、もう時間がないときは、もみを火で焦がしていってかじっていました。哀れなもんでしたわ。

お腹減ってるで、もみをガーッと壊して食べますけど。それがもう痛うてね。便をするのに。もみが引っ掛かって、往生したです。もみを食っている間は。それも山の上ですしね。炊事するのに、山を毎日下りて、下まで下がっていかなきゃならない。水があるから、川があるところまで。それはもう下のものは大変でした。毎日、飯炊きはね。

低い山からしたら、やっぱり500~600メートルは下りんなりまへんな。毎日。下で、下りて飯炊いて、また、それで上がっていくんです。持って。上へ。

Q:そんな、じゃ、インパールに行く前から、もう食料がなくなっていた?

ええ。もう食料はもうなかったですわ。もう食料というのはなかったです。その靴下2本のお米だけでしたで、もう早うに食べ尽くしていますわ。

それは食べ物さえあったら、もっと何とかなりましたけどな。食べ物があらへんのやで、それはもう歩く力ものうなっていく、それは。それは、あんた、道に生えている草をジャングル菜っ葉や、ジャングル菜っ葉やって言うて、炊いて食うてるのやもん。哀れなもんよ。

Q:草を? 雑草を食べていたんですか。

ええ。それを半分にちょびっとむくと、お米に菜入れて、おかゆにして食べてるんや。「この草やったら食えるわい」と言って採って「、ジャングル菜っ葉や」と言って食べてるのや。まあ、情けないもんですわ。

何て言うても、肝心の塩がないとあきまへんな、唐辛子や向こうのニンニクを食っているだけでは。不思議とニンニクはあったね、住民の家へ行くと。ニンニクや唐辛子は落ちとる。そうするとニンニクを焼いてね、それをかじっているやん。それで、ここが詰まったか分からへん。ニンニクを焼いてかじっているやん。それしか食べ物はあらへんで。

それはインパール作戦へ行った部隊は、ほんまに食べるものが何もなし。どこも一緒や、皆。

向こうの大きい飛行機が低空して来てね、頭すれすれじゃて、こうやってドアを開けて、それで上から足で蹴っては荷物を落としますわ。自分のところには。兵隊がおるところへ。どんどんと。

ようけい落下傘でものを下ろしとるんです。落下傘、荷物を。赤い札、白い札、青い札、黄色い札とか付けたような荷物をね、どんどん落としよるんですわ。「あ、落ってくるぞ。あれは食いものがあるやろう、拾い行こう」って行きますとね、わし等も拾うたんは、青い札が付いている。それは水でしたんや。青はね。中には、おいしいコンビーフの缶詰拾うたぞというやつにいましたけど。

そして、いよいよインパールに近づいてきた。さあ今度は、もうインパールが目の前に見えたっちゅう、4950(高地 センマイ高地の6Km東)ちゅう山に到達したんですわ。そこで砲を据えて、いよいよインパール攻撃の準備をしていたんです。そしたら、もう敵の飛行機が、爆撃機が来てね。

1発撃とうということで、1発撃ったんですわ。そしたら明くる日、もう向こうの飛行機がどんどんお見舞いに来てね。お返しに。それで爆弾を落として、一遍にうちの山の上に据えた連隊砲に命中してね、砲もうつぶれて。そこで7~8人戦死しましたで。あわれなもんでした。

結局、こっちは抵抗するに、日本の飛行機って日の丸付けたんっていっぺんも見たことないですえな。飛んでいくのは向こうの飛行機だけやで。その4950(高地)を爆撃に来よったのは、たった1台の飛行機ですえ。1台は爆弾を、ちょうど、真上へバーンと落としよったんですわ。それでバサーっとなって、もう砲もつぶれて。

もう毎日がね、もう敵の宣ぶ工作ですわ。マイクをね、わたしらがおる山の下まで来てマイクを据えて放送しとるんです。「おーい、何中隊の誰それ上等兵、何しているんだ。ここにうまいものを置いておくで取りにこいよ。来なんだら、また砲撃するぞ。なら5分間待つわ」って、5分間ほど待ってくれます。「おーい、来いへんのか、そんなら砲撃するぞ」ちゅうて。さあ、ズドーン、ズドーン、ドーン撃ちまくりようさ。10分間ほど。それで止めよるさ。「おーい、どうや。まだ取りに来いへんのか」って。そしたら、今度は、その間にもう今度は宣撫工作で、日本の民謡をならします。佐渡おけさ、それから鹿児島小原節。チャチャチャチャーン、チャチャチャーンとかいってね、鳴らしよるさ。「おーい、どうや、懐かしいやろう」ちゅうて。それ、みんな日本の捕虜になったのにしゃべらしとるんですわ。捕虜になったものに。それで、「おい、何中隊の何それ上等兵」ですものね。よう知って言いよんすわ。「おーい、では、また始めるぞ。どうや」ちゅうてね。「では、砲撃を開始します」って、またズドーン、ドンドンドンって10分間ほど撃ちまくりよるす。それで、撃ち終わったら、やっぱりもう夕方になったら向こうも止めよるんですわ。向こう兵隊、ちゃんとやっぱり休養するのでね。夕方まではやりよって、晩は静かなものでした。

こっちは、もう方々つぶれたで、下へ下りて前進で。今度はインパール街道のほうを下りて、

カングラトンビ(インパール北北西15Km)の手前まで行ったね、向こうも戦車が山を登っているのを見えるんです。

そのカングラトンビを攻撃に。それ、砲にね、車の音がするで薪をまいたりね、荒縄、クズをまいたりしてね、音がせんようにして、こう引っ張っていくのに、行ったんですわ。それでね、1発撃ちましたわ。そしたら、もう戦車のキャタピラーに当たりましたわ。そしたら、それは降りてきよってね、こっち双眼鏡で「キャタピラーに当たったぞ。戦車を捕獲したぞ」って言ったら、降りて来よって、白い煙みたいなのを上げとるがと思ったら、キャタピラーを溶接しとるねん。気楽なもんや。しまったら、またグーッと動いて帰りよるねん。

Q:目の前で溶接?

そりゃ、余裕しゃくしゃくや。向こうは。

そのカングラトンビでね、もうこちらは60連隊、11中隊が主にそこで戦闘して、大方全滅したんです。11中隊が。

それは悲惨おっせ。銃剣の先にね、破甲爆雷って、こんな地雷があるんや。小さい、ペチャンコの。蚊取り線香のような筒みたいな、あれ、入れ物みたいな。ちょうどあれぐらいのやつ。あれを付けて。せんべいになっとるん。ようけい。3人いよった。せんべいになって死んでるのが。その破甲爆雷をこうやって持って、ひかれて死んでいるのが。

Q:せんべいですか。

うん。

Q:せんべいってどういう?

このぐらいの厚さになっているな。戦車にガーッとひかれて。

Q:え? これぐらい?

これぐらいの厚さになっていますわ。人間がえ。戦車がグルーっとひいて回りよるで。3人こうやって死んでおった。破甲爆雷付けて。戦車に突っ込んだやつが。

Q:このぐらいの厚さっていったら、もう顔の形とかは。

あらへん。あらへん。あらへん。つぶれてあらへん。

インパール街道を反転して下がりだしたんです。それも、もう街道を歩いたら戦車は来るので、また山へ上がって、今度はミッション(インパールの北)ちゅう部落が見えるところまで行った。そしたらミッションにはこちらの野戦倉庫があってね、野戦倉庫と野戦病院があって、それで負傷したものを担架で道路に並べています。

日本の兵隊を、自分らは。担架でずっと並べてあったんです。わたしらはミッションを山の上から見ていたんです。兵隊を運んどんが、負傷用担架でこう街道にこう並べていました。そしたらね、向こうのほうからジープが来たんですわ。ウー、ウーと。「あ、赤十字の付いたジープやで。これは負傷兵を乗せてやるよな」って言って。何か見ていたらね、その出てきたやつが、ブーッと白い煙をかいています。「何や」と。そしたら、それは焼いておったんですさが。こう担架で並べてあったやつを、火炎放射で焼いておったんですわ。そのね、火炎放射器で焼いているということが分かったときは、もう本当にもう涙出ました。ああ、かわいそうやなと、涙が出てきました。火炎放射器で、担架に乗せて国道に並べてあるやつを、

向こうの兵隊がですわ、そのジープで来たやつが焼いておるんですわ。わたしは赤十字のマークの付いたジープが来たで、ああ、タンカで出したやつを乗せていってくれるんやろうなと思ったんですわ。自分のところにね。国際法で、あんた、負傷したやつらにできんさかい。そしたら何の、火炎放射器で焼きよるんですわ。そら、もうかわいそうでね。本当にもう涙が出ました。それを見て。

ああ、もう戦争ちゅうもんは、もうこれはどうしようもないものやなと思いました。勝たんことには駄目なんで。

それがミッションで、もう見たいちばんあわれな光景でしたわ。

Q:反転のときは、食料とかもうなかったですか。

もうない。何もないです。何もないです。もう部落へ行って籾を取ってきて、それを鉄棒でコンコン突いて、それを食べているだけですわ。もう食料は何もないので。それはもう流れてくる汗がちょっとも塩辛くないですもの。汗が。塩分って取ったことあらへんので。そんなんですわ。塩分欠乏で。

食べ物があらへんのやもん。そやろう?もう負傷したり、歩けんようになって自分ひとりぼっちになったら、なおさら食べるものもあらへんでね。もうじっとしたら、もうハゲタカが来てこついて餌にしよるか、それかしゃあないもの。それはかわいそうえ。それはもうすぐ白骨になりよる。ハゲタカが白骨にしてまんねん、突っついて。

Q:生きているときから突っついているんですか。

へたっとるやろう。へたっとるところへ来て突っついとる。ハゲタカという鳥は寝にいたときで突きよる。餌にしよる。

反転途中で行き倒れで、もう歩けんやつがいますわな。歩けんようになっていると、ハゲタカちゅうやつが飛んでくるんですわ。座っているやつをもうこいつだとこついでね、見ている前、もう穴開けて肉取って食べよるんですわ。ハゲタカいうて。これぐらいの大きさの鷹みたいなやつがね、飛んできて、もうよう歩かんやつをみんな突いて、食いよるんですわ。肉取って。そこへもってきて、また雨期で雨ですやろう。雨でね、もうドボドボ歩いているんで、毎日。それで休憩いうたら、もう草原でガーッとそこに寝ているだけで。それはあわれなものですわ。兵隊は。ようこんがして生きていられたなと思うぐらいですよ。

もう持っている物は重たいし。もう自然と歩けんようになるんですわ。歩けんようになって、もう道でへたったら、もうそれでおしまいですわ。部隊で一緒に付いて歩いてへんだったら。もう1人になったら最後や。もう死ぬしか道はあらへん。

持っていても撃つことはおりへんものな。撃ったら、向こうもまたやってきよるで。撃つことはおへんがばってん。それで反転のときも、どこで砲をほかしたか

Q:砲はほかしたんですか。

ええ。ほかしたんです。分解して、バラバラにしてね、ほかしたんです。

持てへんから。弾があったらね、弾があらへんし。弾が重たいでな、持ってしまへんやろ。ほかしよるで。各自、分けて1発持ってって言っても。また、持ってても撃つこともおへんやわな。撃ったら、向こうがやってきよるで。戦車が行きよるで。それはあわれなものですわ。

もう鉄砲の弾ももう、のうなりましたわ。そりゃ鉄砲の弾も食糧に鳥を撃ったり鳩を撃ったりしますんで、しましたでな。何かブタを撃って取ったり、そんなことをして。結局、弾はみんなのうなった。何も後、後方から送ってきいしませんさかいに。送ってくるちゅうことがないさかいで。

「おーい、井上班長、もう歩けません」ちゅうる。そうすると、「おまえは歩けんのはいいけど、絶対に捕虜になんなよ。ここ、手りゅう弾を持っていれば、それで自爆せよ」ということを言ったら、もうすぐに1人バーンと死によったやつもある。自爆しよる。度胸があるわ、皆。よう歩かんやつは。結局ね、そういうやつがいっぱい死んでんや。街道に。白骨街道って、それやねん。それは雨はジャージャー降るし、もう食い物はあらへんし、ジーッとしたら寒うて震えて自然と死んでまいよる。結局、それや、「白骨街道」って言うてるのは。パタパタ倒れてまっせ。

うちの兵隊にわしの顔を見て、「井上班長」って言ってね、牛か馬の骨で頭をコンコンたたいておるやつおんねん。

もう頭にくるのやろうな。もう。もうこれであかんと思ったら。歩けんようになったら。へたってね。「井上班長」言うて。牛やったか馬の骨で頭をコンコンたたいておって、「もうしっかりしてよ」って言って。いろんななりよるて。

もうおかしいの手前まで。

Q:その人は頭をこうたたいてどうしたんですか。それで?

ええ? もう死んでまいた。死んでまいた。行き倒れや。戦死になっとるで。戦死ってしてある。

まあ、うれしかったのは、結局、タイ国のバンボンというところに下がってきて、そこでもう終戦になったことですな。バンボンのね、兵舎におったら、晩に、捕虜をようけい収容してあるところがあるんですわ。そこがウワーッと万民が歓声を上げよるんですわ。えらいこっちゃぞ。捕虜が暴れとるぞ。これは出て来よるか分からんぞって。そして開けに来たら、実は戦争に負けたんやと。向こうが喜んどるんやちゅうて。

それは終戦と聞いて、もうやれやれと思った。終戦で。終戦というのをもうやれやれと聞いた。

小学校の同級生も死にましたしね、それからまた京商(京都商業学校)の同級生も、一緒のやつも死にました。死ぬときには、「おい、井上班長、頼むで」言うて死んでいきましたわ。かわいそうやけど。

向こうで戦死したやつ、ほんまに食わず飲まずでいてね、ほいでそのまた遺骨すらまともに拾ってられへんねん。で、向こうで結局もう、どこへもう行き倒れになって埋められたか分からへん、そういうのをここへ祀(まつ)ってます。とりあえず戦死したもんを祀ってますので、そらここへ来るたんびに、そら申し訳ないっちゅう、ただそれだけですわ。自分は生きて帰って、向こうで苦労して死んだ人に、飲まず食わずでいて死んだ人に申し訳ないと、ただその気持ちでいっぱいです。

帰りの船で沖縄見たときにはほんまに涙出ました。戦友があの、「あこ、サツマイモみたいな格好したのが、あれが沖縄砲撃受けたあとでっせ」言うたけど、ほんとにかわいそうだ思いましたね。戦争というもんはするべきもんと違うちゅうことを、つくづくと思いました。

出来事の背景

【インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~】

出来事の背景 写真陸軍第15師団は、京都府と滋賀県出身者を中心に編成され、総兵力は2万。
昭和19年(1944年)3月に始まった「インパール作戦」に投入された三つの師団のうちの一つである。
「インパール作戦」は、ビルマ方面第15軍司令官牟田口廉也司令官が、戦況を一気に打開しようと考えついた作戦で、連合軍の補給拠点、インド東部のインパールを攻略しようというものだった。
31師団が、インパール北方の拠点「コヒマ」を攻略、33師団は、南のう回路からインパールへ、そして、15師団は北側からインパール攻略を命じられた。

大本営をはじめ、陸軍内部は補給を軽視したこの作戦の成功を危ぶんだが、牟田口司令官は強硬に主張し、作戦開始が決まった。

3月、インドとの国境を流れるチンドウィン河を越えて、作戦が始まる。将兵は重い荷物を担いで、3000メートル級のアラカン山脈を越え、作戦開始から10日目に、サンジャックで連合軍を退け、コヒマ-インパール間を遮断した。
しかし、インパールを取り巻く高地に近づいたところで、最新の兵器で反撃を受ける。「セングマイ高地」では、連合軍の最新の戦車に蹂躙され、肉弾攻撃に踏み切らざるを得なくなり、多くの兵士が命を落とした。
6月に入ると、コヒマを攻略していた31師団も苦境に立たされ、ついに佐藤師団長が独断で撤退を開始、31師団からの援軍を当てにしていた15師団は大混乱に陥る。

15師団にも、7月には退却命令が出されたが、その撤退は悲惨を極めた。飢えと病気で兵士たちは次々に倒れ、その撤退路は「白骨街道」とまで言われるようになった。

19年末、連合軍とのイラワジ会戦を戦いさらに大きな損害を受け、タイまで後退して終戦を迎えた。師団将兵2万人のうち、1万5000人が亡くなった。

証言者プロフィール

1921年
京都府京都市左京区に生まれる。
1942年
現役兵として第15師団第60連隊入隊。中国・蕪湖へ。
1944年
歩兵砲中隊班長としてインパール作戦に参加。
 
復員。復員後は、故郷で印刷業を営む。

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インド(インパール)

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